「夜のご指導は如何?」−3
明朝、有利はいつもより少し早く目を覚ました。 そして…包み込むようにして回された腕がコンラートのものであることを認識すると、ぐぁ…っ!と蘇ってくる記憶に頬を真っ赤に染めてしまった。 『俺…昨日、マジでコンラッドに……』 ちらりと視線をソファにやれば、革製の外皮が部分的に色を変えている。散った白濁は既に拭われているが、まだ生乾きであるらしい。 あそこで昨日…有利は《自慰指導》を受けたのだ。 …とはいえ、殆どコンラートにやってもらっての行為だったから、一人で再現できるかどうかは不明瞭だ。 特に、終盤の…お尻の孔に指を差し入れるというのは……本当にみんな、《あれ》をやっているのだろうか?修学旅行中には全くそんな手技は出てこなかったから、ひょっとして眞魔国独特の習慣なのか、あるいは凄い高等技術なのかもしれない。 『コンラッドもやってるのかなぁ?』 《自慰が得意なんて、恥ずかしいから誰にも言わないで下さいね?》という言葉の通り、コンラートは男の性感帯をよく弁(わきま)えていた。ベッドサイドの棚から取り出したオイルも既に開封済みだったから、やはり幾度か繰り返しているのだろうか? あの長い指…貴族的に整った骨組みに多くの疵と剣胼胝を持つ、彼独特の指。それがぬるりとオイルに濡れて、陰茎に絡んだり、お尻の孔に差し込まれたりするのだろうか? 『ぅわ…』 想像すると、あまりに淫靡な情景に朝っぱらから興奮してしまう。《イけない》なんて泣いたのが嘘のように股間のものはむくりと鎌首を擡げ、危うくコンラートの下肢に押しつけてしまうところだった。 綿のパジャマ越しにもコンラートの逞しい筋肉を感じ、ほわりと香る体臭は不思議なほど心地よい。 「ん…おはよう、ユーリ」 「お、おはよう」 コンラートも少し複雑な心境なのだろうか?いつも通り優しい眼差しながら、幾らか照れたような雰囲気が感じ取れる。 「昨日はありがとうね。射精できるって分かったから、安心したよ」 「うん…そうだね。これで女の子ともセックスできるし、赤ちゃんも出来るよ」 どうしてだろう?すぅ…と目元からはにかむような色が失せると、まるで精巧な人形のような微笑みになってしまう。 「良かったね…」 コンラートはどこか無機質に呟くと、するりと布団から抜け出てしまった。 「もう、俺の指導は必要ないね。あとは…彼女が出来るまで、ユーリの手で慰めるんだよ」 「あ…う、ん…」 こくん…と頷いたものの、何かが胸の中でもごもごと疼く。けれど、それが一体何であるのかが分からなくて、有利はふるりと目元を揺らすと、ぎこちない動作で寝台から出た。 早く魔王居室に戻らないと、ギュンターあたりに見つかると煩い。 分かっているのだが…胸につかえたものが有利の動作を鈍らせていた。 「送るよ。部屋に戻ろう?」 「うん…」 身支度を済ませてから部屋を出ると、ぱたんと扉が閉まる音を聞きながら…有利は不安の正体が少し見えてきた。 『コンラッドにあんなエロい相談をして、あんなことして貰ったから…コンラッドにとって、俺はもう子どもじゃなくなったのかも知れない』 おそらくはコンラート自身も予測しなかった形で、セックスの片鱗を共有した二人は以前のように無防備な付き合いが出来なくなったのではないだろうか? ことに、昨夜も言われた言葉…《女の子とのセックス》という言葉がどうしても引っかかる。《これからは、今まで俺のいた位置にはその子がくるんだよ》と言われているように感じて、居もしない女の子にやり場のない怒りすら感じてしまうのだ。 長い廊下を歩いて行くに従って、どんどん不安は増してきて足取りを重くしていくが、それでも物理的な距離は前進を続ければ縮まって、最終的にはゼロになる。 コンラートの手で、重厚な扉が開かれた。 主の居ない部屋は寒々しく…その中に帰っていくのだと思ったら余計に切なくなる。 『このまま別れたら、次にちゃんと…コンラッドに声を掛けられるのかな?』 なんだか泣きたくなってしまう。 コンラートは《失礼します》と他人行儀な口調で一礼したのだが、反射的に伸ばした指で、思わず袖を掴んでしまった。 「待って…っ!」 「…なにか?」 コンラートの表情も声も優しい。 だけど…それはどこか、昨日までのそれよりも距離を感じさせるものであった。 * * * 有利の肉体を好きなように弄り回して、一晩中ぴったりと引っ付いて眠った。 幸せで、最高に気持ちよかった筈なのに…目覚めた有利のぎこちない様子を見ているあいだに、コンラートは自分が何を得て、何を失ったかを知ったのだった。 『もう、ユーリは以前のようには俺と向き合ってくれないだろう』 コンラートの秘めた欲望に気付いたわけではないだろうが、幾ら鈍い有利でも、あそこまで濃厚な接触が《(名付け)親子》として相応しいものであるとは思えなかったのだろう。 最後まで行き着きはしなかったものの、どこか《一夜を共にした》ような感覚が、二人の関係をぎこちなくさせていた。 しかし、居たたまれなくて姿を消そうとするコンラートを、何故か有利は引き留める。 「待って…っ!」 「…なにか?」 予想以上に冷たくなってしまった声に、有利は泣きそうな顔をして見上げてくる。彼もまた、二人の間に漂うぎくしゃくとした空気に、《今までのようではいられない》ことを察知して、哀しみ惜しんでいるのだろうか? ぱくぱくと喘ぐように口を開閉させていた有利は、意識的にすぅ…っと息を吸い込むと、思い切ったように言葉を発した。 「今夜も…また、教えてくれる?」 「なに…を……」 咄嗟に、どう反応して良いのか分からなくて固まってしまった。有利は一体、コンラートに何を求めているのだろう? 話題が話題だけに、万一衛兵やヴォルフラムに聞かれては拙いと急いで有利を魔王居室に引き込み、後ろ手に鍵を閉める。 「射精できることは、もうお分かりになったはずですが…まだ何か俺にお望みですか?」 「……っ…」 有利はぐ…っと言葉に詰まるが、汗ばんだ手を何度も握ったり開いたりしてから頭髪を振るう。 「…そう、だけど…でも、俺…」 「どうして俺に頼むんですか?」 「それは…あんたにして貰うのが、気持ちよかったから…」 頬を真っ赤にして有利が言う。こんな告白をするのに、勇気を振り絞っているのはよく分かる。だが…やはりコンラートは意図を計りかねて溜息をついた。 「てっとり早く快感を教えて貰えるからですか?でも、それは良くない傾向ですよ。ユーリはいつか好きな女の子と結婚して、子供を作りたいんでしょう?それが…俺の愛撫が気持ちよかったからと言って、快楽だけを求めていたのでは本末転倒じゃないですか」 「………違う」 有利は泣きそうな顔をして唇を噛みしめていたが、胸の奥底から湧き出たような言葉を、喘ぐようにして口にした。 「俺…コンラッドのことが好きなんだと思う。だって、コンラッドとああいうコトしてから…女の子と何かすんの、想像できなくなったもん…」 コンラートは思わず天井を仰いで、強く瞼を閉じた。 喜びに舞い踊りそうになる気持ちを抑え込むには、愛らしすぎる少年から目を逸らすほか無かったのだ。 悪魔的に愛らしい唇が信じ難い言葉を紡ぐのを、素直に信じることが出来たらどんなに幸せだったろう? 『でも…違うんだ』 分かっている。 有利が抱いている想いは、きっと恋などではないのだ。 「ユーリ…あなたは今、混乱しているんですよ。俺との行為で得られた快感を、きっと恋や愛と勘違いしているんです。元々名付け親として親しみを感じていてくれたからこそ、その親子愛や友情が、性行為によってすり替えられてしまったのでしょう…」 そう…おそらくは、そうなのだ。 男性は勿論のこと女性とも付き合ったことなどなく、自慰で到達することすら体験したことが無かったほど純朴な有利なのだから無理もない。 コンラートの愛撫は手練れの娼婦にさえ《麻薬のよう》と称された手腕であったのだから、その快感を肉体的な愛情と取り違えてしまっても致し方ない事だろう。 《疑似恋愛》…それこそが、有利が今コンラートに感じている想いなのだ。 『なんて事をしてしまったのだろう…』 初(うぶ)な有利が勘違いしてしまうことを、コンラートはひょっとして…心の何処かで期待していたのかも知れない。実際…コンラートの胸には、悔恨と共に覆い隠せぬほどの喜悦も湧きだしてきている。 ことに、後者は盛んに肩口から耳朶へと甘い毒を注ぎ込んでくるのだ。 『何を遠慮しているんだ?』 『あれほど欲していたユーリが、自ら行為の続きを望んでいるんじゃないか』 『突っ込んでしまえよ、遠慮無く…』 くすくすと嗤う邪な心を、コンラートは必死の思いで押さえ込んだ。 『いいや…いけない』 有利は、極めて真っ直ぐな気質の持ち主なのだ。それを弄ぶようにして快楽を植え込み、コンラート無しではいられないような躰にしてしまうことは、愛する子を麻薬漬けにしてしまうに等しい。 そんな行為で得られた愛など所詮はまやかしに過ぎないことを、有利は何時か悟るだろう。その時…深く後悔しても穢れた躰が浄化されることなどない。 だから今、コンラートに出来る精一杯の誠意は、有利にこれ以上勘違いさせないことなのだ。 「……勘違いなんか、してないよ…」 ふるふると睫を震わせながら涙の滲む黒瞳が見上げてくるのを、敢えて厳しい語調と眼差しで拒絶する。 「今は気分が激しているから、何を言っても納得できないかも知れないね…。じゃあ、一週間考えて御覧?本当に俺でなくてはいけないのか…よくよく考えてみるんだ」 「一週間考えて、ちゃんとコンラッドのこと好きだったら…真面目に取りあってくれる?」 すんすんと鼻を啜りながら言わないで欲しい。 捨てられた仔犬みたいにあどけなく、可哀想な様子に…思いっきり抱きしめて部屋中転げ回りたくなるではないか。 「俺は…」 突っ張るような違和感を覚える喉を、懸命に奮わせてコンラートは語を連ねる。 「俺は…いつだってあなたに対しては真剣ですよ。一週間というのは…あなたが落ち着いて、自分自身の想いを見つめるための時間です」 「…………うん」 有利はこくんと頷いた。 有利自身、やはり自分の感情を整合することが出来ないのだろう。 整合することが出来るようになったら、その時は…。 『俺への想いは、しょっぱい記憶の一つとなるんだ』 その結果、二人の関係が多少ぎこちないものになったとしても、今ならきっと取り返しがつく。 吹っ切れた有利にちゃんと恋人が出来て、いつか酒でも酌み交わしながら笑い合うのだ。 『あの時コンラッドか受け入れてくれてたら、洒落にならなかったよね』 苦笑しながら頭を掻く有利に、コンラートもきっと笑っていられると思う。 決して有利以外に愛する者を見つけることなど出来ず、いつまでも身を固めないことを《遊び人》とからかわれても、決して本心を晒すことなどしない。 全ての気持ちに鍵を掛けて、深く深く沈めてしまおう。 切なさと寂しさを解かした涙で沼を作って、その水底深くに…沈めてしまおう。 * * * 『ユーリ…あなたは今、混乱しているんですよ』 『俺との行為で得られた快感を、きっと恋や愛と勘違いしているんです。元々名付け親として親しみを感じていてくれたからこそ、その親子愛や友情が、性行為によってすり替えられてしまったのでしょう…』 その日は一日中、その言葉が頭の中をぐるぐると回転してしまってどうしようもなかった。お陰で仕事では集中力を欠いてグウェンダルに怒鳴られるし、普段なら《がんばれ》と、唇の動きで伝えてくれるコンラートも、どこか心にあらずという感じで視線を外し気味だった。 有利はしんどい一日の疲れをどぅ…っと背中に感じながら布団に沈み込んだ。普段よりも早く就寝したのだけど、身体は怠いのになかなか眠ることは出来なくて、幾度もごろごろと寝返りを打っては溜息を漏らした。 『呆れたのかも知れない』 そう考えたら、反射的に涙が溢れて止まらなくなった。 「ぅ…ふ、ぅ……っ…」 哀しさと切なさに胸が塞がれて、目元は熱いのに背筋が冷たくてしょうがない。じわじわと溢れてくる涙は枕の色を変えていき、じめついて肌に張り付いてくる。 『そりゃあ…呆れるよな?射精できないかもしんないって事で落ち込んで、《女の子とセックス出来ないかも》ってことを心配してたはずなのに…エッチなことをした途端に《コンラッドを好きなんだと思う》だもん…。俺が逆の立場だったら、《馬鹿言え!》って一言で終わっちゃうよ』 いや、それ以前に…どんなに仲が良かったとしても、そもそもあんなとんでもない相談事など《聞かなかったこと》にするだけだろう。 それをコンラートはあんなにも真剣に扱って射精へと導いてくれたというのに、有利がしたことと来たら、後ろ足で砂を引っかけたに等しい。 しんなりと反省した心は深く落ち込んで有利を責めるけれど、コンラートを想うとどうしようもなく胸が熱くなってしまう。 端的に言えば…あの薄くてさらりとした質感の舌で肌を舐め上げ、長くて器用な指で感じやすい場所を弄って欲しいし、何よりも…ぎゅうっと素肌のままで抱きしめて欲しい。 『大好きだよ、ユーリ…』 『ユーリ…ユーリ、なんて可愛いんだろう?』 それはあの時に聞いた言葉ではなかったけれど、切片のような快楽の記憶を数珠繋ぎにして、これまで折に触れて耳にしてきた言葉を重ねれば、無駄に若い身体は否応なく高まっていく。 『コンラッド…やっぱ、絶対好きなんだよ…』 そろりと伸ばした指で陰茎を弄っても、それだけではあの時のように感じることは出来ない。それが…コンラートの甘い声を思い浮かべ、匂やかな肌の質感を思い出せば…ふるりと蜜を滴らせて身体が反応する。 「ん…んん…ゃあ……コン、ラ…ッ……」 はふ… ぁふ…… 布地の中にくぐもる声が盛んな嬌声へと変わっていき、熱の籠もる吐息が夜の大気を甘く染めていく。ぬるぬると滑る鈴口に、教わった動作で指先を這わせていけば…ちるちると触れてきたコンラートの舌が思い起こされた。 「あ…ぁあ…ぁん……っ…コンラッド……大好きぃい……っ!」 どぷ…っと手の中に溢れた熱は一瞬の悦びをくれるけれど、それは実に一過性の幸福感に過ぎなかった。くらりと目元を揺らす快感が過ぎれば、残るのは空しさばかりだ。 『オナニーで気持ち良くても、コンラッドがいてくんなきゃ…俺は……』 掌を濡らすものとは異なる体液が、いつまでもいつまでも枕とシーツを濡らし続けた。 * * * 約束の日が来た。 一週間は…長かった。 最初は有利が哀しみと寂しさに瞳を揺らしていることを《可哀想》と感じていたコンラートだったが、二日…三日と日を追う内、彼の貌が変わっていくことに戸惑いを覚えた。 傷ついた仔犬めいた眼差しはいつしか以前以上の輝きを取り戻し、コンラートの機嫌を伺うように…幾らか謙っていた態度が少しずつ力強くなっていく。 『この子は、立ち直り掛けているんだ』 正直なところ、がっかりしてしまう気持ちもある。それでも…予測はしていたことだから、何とか踏みとどまれるだろう。 『これで良いんだ。これで…』 有利は心の強い子だから、一時《失恋》に胸を痛めても、ちゃんと《傷ついた》ことを受け入れて治癒していける、伸びやかな生き方が出来るのだろう。 コンラートは魔王居室で有利と向かい合うと、静かに言葉を待った。 しかし…有利が澄んだ瞳を上げて力強く口にした言葉は…コンラートが想定していたものとは異なっていた。 「コンラッド…俺があんたを好きだって、どうしたら信じてくれる?」 「ユー…リ……?」 コンラートは彼らしくもなく言葉に詰まり、何かを受け入れて考えを強くしてしまったらしい有利を見つめた。 「あんたに言われたとおり、一週間考えたよ。たくさんたくさん…俺にしては、随分と真剣に考えたと思う。きっと…こんなに心と頭を使ったのは初めてっ…てくらい。そんでね、分かったんだ。やっぱ、俺はあんたの事が好きだよ。だけどあんたは勘違いだって言い張る。このままじゃ溝は埋まらない…だったら、あんたが思う方法で証明をさせてよ」 「ユーリ…」 こんな答えは予想していなかった。 いや、もしかしたら意固地になって《好きだ》と言い張るかなとは思ったのだが、まさかこんなに冷静な顔をして、自分の主張を証明せしめんとするとは思わなかった。 『どうする?』 一番簡単なのは、単純に《俺にはその気がない》と言い切ることだった。 《そういった意味では愛していないあなたを、抱く事なんて出来ない》…それは実に説得力と効果のある言葉だ。彼は魔王で最高権力者だが、そうであるからこそパワーハラスメントよろしく強権を笠に着たセックスなど強行できないはずだからだ。 だが…コンラートには出来なかった。 『例え嘘でも、あなたを愛していないなんて言えない…っ!』 愚かだと…中途半端だと言われても、コンラートにはこんな不器用な愛し方しかできない。 だから、コンラートにできたのは…悪い大人の貌で嗤うことだけだった。 「証明…ね。やった後で《酷い》と泣いたりしないでくださいね?」 「泣かない。これは、俺が望んだ事だもん」 真っ向から挑んでくる瞳の、なんと力強いことだろう? 一週間の間、有利が自分の想いから目を背けず…涙を流しながらも葛藤を越えてきたのだと察せられた。 『では、俺も真っ向からあなたを試そう』 『《気持ちいいこと》だけではない…俺とのセックスで、現実を知ってなおあなたが俺を《愛している》と言ってくれたなら、その時は……』 受け入れたいのか。 受け入れたくないのか…。 期待感と不安が嵐のように入り交じっていることなど貌には顕さずに、コンラートは有利の唇を荒々しく奪った。噛みつくような口吻が、彼との初めてのキスだということに胸をときめかせているなんて決して知られないように…蹂躙するように舌を絡めていく。 勝ち気な瞳が愛欲に濡れてとろりと潤むのを見つめながら、コンラートは意識的に嗤った。 「さあ…試練の始まりですよ?」 |