「しあわせな一日」
chapter06:彼は案外やきもち焼き

有利の女友達side
「あ…渋谷君っ!」
江野崎くるみが弾んだ声を上げた瞬間、都澤利佳の胸中では鼓動が《ぽぅん》と跳ねた。
反射的に視線をやると、向こうも気付いたのか手を振ってくる。随分ハンサムな外国人青年と一緒だ。
「ねっねっ!利佳ちゃん…バレッタ歪んでないかな?」
「おかしくないよ」
お洒落で淡く薄化粧もしている江野崎は、同性の目から見て羨ましくなるくらいに愛らしい。小柄な体格に朝顔柄の浴衣も似合っており、流行の形に結い上げた髪も帯もサマになっている。
『あたしも、少しは小綺麗な格好してくれば良かったかな?』
清潔だが着慣れたTシャツにパンという出で立ちを、都澤は初めて恥ずかしく感じた。先程までは素直に友人を可愛いと思えたのに、渋谷有利の姿が目に入った途端…軽い嫉妬まで覚えてしまう。
『や…別に、着てても一緒か。くるみちゃんの方が可愛いし』
どのみち、浴衣など着たところで日に焼けた肌を誤魔化せるはずもなく、自分に似合いもしないだろう。
そんなことより、今は友人を応援せねばならない。
『利佳ちゃん、私…最近渋谷君のことが気になるのよ〜…。ね、なんか良くない?渋谷君』
つい先日そう言われた時に思ったものだ。《そんなの、前から知ってる》…。
けど、言えなかった。
だから、続けて上目遣いに江野崎がおねだりをしてきた時にも断ることは出来なかった。
『渋谷君にアプローチしようかと思うの!ね…応援してくれる?利佳ちゃん、女子の中では一番渋谷君と接点があるでしょ?』
接点は…あることはある。
それが男女の艶めいた接点であれば、友人もこんな頼み事などしなかったろう。
接点というか、二人に通じる点としてあげられるのは互いにスポーツ馬鹿であるところか。バスケに熱中する都澤と草野球のチームまで立ち上げた有利とは近しいものがあるらしく、話をしても何処か他の女子よりも通じ合うものを感じていた。
《恩義》に近いものを感じているせいもあるのかも知れない。
中学時代からとにかく生活の中心はバスケで、家に帰ってからも必要最低限の勉強だけしたら、庭に取り付けた手製のゴールに向かってシュート練習をしていた。
それで楽しかった。
クラスの話題について行けなくても、別に気にはしていなかった。
けれど…高校に入学してすぐの4月下旬、教室内で自分の話題が出ているのを廊下から聞いてしまった。
『都澤さんって、昔から変わってるのよ。空気読まないって言うかー。そんなに凄い選手って訳でもないのに、生活の中心にバスケ置き過ぎっての?』
発言の主は中学時代のクラスメイトで、仲は別に良くも悪くもなかった子だ。
ただ、自分の常識に合わない子を排斥する傾向にある子だな…とは思っていた。
《なるほど、今度はあたしが排斥されるのか》…そう思いはしたが、別に怒りは感じなかった。
それよりも、面と言われたのなら反論できるのに、立ち聞きしていたようなこの状況では教室に入りにくいことの方が純粋に困った。ゴミ捨ての帰りだから、ゴミ箱を教室に置かないと部活にも行けない。このままゴミ箱を廊下に置きっぱなしにしては、余計に変な勘ぐりを受けるだろう。
こちらは心底困っているのに、発言者に調子を合わせて《そういえば…》などと喋り出す子まで出て、一層動きがとれなくなってしまう。
《いっそ、彼女の言うとおり空気など読まずに突入してみようか…》そんなことを考えていた時に、口を開いたのが有利だった。
『都澤さんは別に変じゃないだろ?一本気で格好良いじゃん』
それまでは特に口をきいたこともなかったのに、どうしてそんな事を言ってくれるのか分からなかった。
大体、このような流れの中で逆らうとろくな目に遭わないものだ。
案の定、例の発言者に食ってかかられた有利は困惑していたようだが、それでも持論は枉げなかった。
おかげで、暫くは二人でいると影でひそひそ囁かれるようになったが気にはしなかった。
喋ってみると、有利はどんな女の子よりも自分のバスケへの想いを理解してくれたし、その他にも《気持ちの良い考えをする男の子だな…》と思ったから、有利と言葉を交わすことは都澤にとって貴重なひとときになったのだった。
江野崎が恋心を告げた時には多少動揺したが、それで有利との付き合い方が変わるわけでも無かろう…と思い、大きく構えていた。
それでも、こうして二人が接近していくのを見ていると変な緊張感が漲る。
「やだぁ〜、渋谷君たら唇カワイーっ!氷苺か林檎飴食べたでしょ?女の子みたいよ?」
「え?赤い!?嘘っ!」
「うん、可愛い〜」
きゃあきゃあとはしゃぎながら、江野崎は有利の唇に指を伸ばす。気合いを入れたネイルアートは、形の良い爪を宝石みたいにみせていた。
どくん…と、都澤の心拍が一瞬速くなったが…友人の指が有利の唇に達することはなかった。
すんでの所で、その顎を捉えた者がいたからだ。
「本当だ。まだ赤いね」
「気付いてたんなら早く言おうよコンラッド!」
「ゴメンゴメン」
流暢な日本語を使う外国人青年は笑いながら、自分の手の甲で有利の唇を擦る。
それでも取れないと分かると、今度は飲み物で濡らしたハンカチで拭いた。
その間中、随分と親密な大気を放ちながら…。
「渋谷君…この人、親戚の方?」
グローパルな親戚もいたものである。
案の定、すぐに否定された。
「ううん。その…家庭教師だよ」
「あーっ!だから渋谷君、ここのところ成績良いんだ!」
「そんなことないよ!」
「だって、1学期にも英語の発音褒められてたじゃない?」
江野崎は上手に会話を進めながら、有利との距離を縮めていく。この辺りの戦術は我が友人ながら感心するほどに自然だ。
「そうだ。この間くれたおやつ旨かったよ。お礼言おうかと思ったら、江野崎さん休みだったから…遅れてゴメンね?」
「ううん、良いよ〜。そうだ…っ!美味しかったんなら、また作ろうか?渋谷君、マフィンとか好き?」
《お菓子作りが上手》という、女の子としては最強の武器を駆使する江野崎だったが…そこでまた横槍が入った。
「ユーリは、表面がちょっとカリカリってなったのが好きだよね?」
「そうそう〜!こないだコンラッドが焼いてくれたやつ旨かったよねー!店で売ってるやつでも、あんなに旨いの食べたことないよ!」
「ユーリは美味しそうに食べてくれるから作り甲斐があるよ。また新しいメニューに挑戦してみようかな?」
「おやつも良いけど、丼ものとか食べたいなー。ほら、こないだ食べた焼き鳥丼みたいなの美味しかった!お肉はふわってしてて、皮はパリパリでさ〜。食感も味も最高だったよ!」
「じゃあ、次は豚肉で同じような食感のを作ってみようか?」
「やった!」
……何故だろう。
有利と江野崎の話題が弾みかけると、必ず《コンラッド》と呼ばれる青年が口を挟んで…彼と有利の会話になるような気がするのだが…。
これは意図的なものなのだろうか?
「…………へぇ…。家庭教師さんってば、渋谷君の家でご飯まで作ってくれるの?」
「ううん、俺んちに来てくれた時にはお袋が作ってくれるよ?コンラッドの家に遊びに行った時だけだよ」
……ということは、それだけ頻繁に家庭教師の家に行っているわけだ。
いや、別にそれほどおかしいということはない。
家庭教師とは言っても若い男性だし、気が合えば勉強以外でも一緒に遊んだりはするだろう。
……が、果たしてそれだけなのかと穿った見方をしたくなるくらい、家庭教師と有利の距離感は近かった。
その口出しの仕方も、偶然と言うには不自然で…どこか、江野崎に対する《嫉妬》めいたものさえ感じさせた。
「仲、良いんだ〜…ふーん……」
「うん。凄い気が合うんだよー」
江野崎の微妙な空気感に気付いているのかいないのか…有利は嫌みではなく《褒め言葉》として受け取ったらしい。
顔を綻ばせて…白い花が開くような微笑みを浮かべている。
『あ…いい顔……』
こういう顔をさせてくれる人なら、家庭教師さんは多少(?)風変わりでも、きっと良い人なのだろう。
「……っ!」
江野崎は指を握ったり開いたりしながら言葉を模索しているようだが、この辺が潮時だろう。
友人と有利達の間に入り、都澤は《幕引き》をした。
「お邪魔してゴメンね?じゃあ…お祭り、楽しんでね」
「じゃあねー。ザワさんと江野崎さんも楽しんでね。でも、あんまり遅くなっちゃ駄目だよ?女の子なんだから」
「うん」
愛称を呼ばれて思わず笑顔が浮かんでしまうが、下駄をはいているわりに歩速のはやい江野崎が視界から消えていきそうになったので、慌てて後を追いかけた。
* * *
「くるみちゃん、どうしたの?」
「どーしたもこーしたもないよ!利佳ちゃん、見てて分かんなかったの?あの家庭教師…もんのっ凄い上から目線で人のこと見てたんだからーっ!もーっ!!私、男の人からあんな視線受けたのはじめてだよっ!」
「そ…そうかな?」
確かに会話という会話を持って行くな…とは思ったが、江野崎が言うほど酷かったな?と小首を傾げてしまう。
だが、少なくとも江野崎にとっては耐え難い屈辱であったらしく、その細い肩はわなわなと震えている。
「うぅ〜…。渋谷君も渋谷君だよ!私と喋ってたのに、すぐに家庭教師と喋ったりして…っ!あんな人だなんて思わなかった!幾ら美形のお兄さん相手だからって…っ!うぅう〜……」
勢いよくぽんぽんと文句を言っているうちに、相当頭に血の気が登ってきたらしい。
江野崎は声を荒げて、吐き捨てるように叫んだ。
「渋谷君ってば、ホモなのかな!?」
「くるみちゃんっ!」
興奮しきってわめく江野崎に、都澤は鋭い声を飛ばす。
「そういうネタ、好きじゃない」
「り…利佳ちゃん…」
江野崎と都澤の関係は、基本的に江野崎の喋りを都澤が聞いて《うんうん》と相槌を打つとか、江野崎の提案を受けて都澤がついていくというものなのだが、その関係は決して一方的なわけではない。
低音できっぱりと都澤が一言いうと、江野崎は途端にしゅん…っとなるのだった。
「……ゴメン…。利佳ちゃん…怒った?」
「もう言わないなら良いよ」
「う…うんうん!言わない!うん…渋谷君が悪いんじゃないしね?あの家庭教師が変わった人だってだけだよね?」
「学期始まったら、お菓子あげたら良いよ。くるみちゃんのマフィンは美味しいと思うし」
「でっしょー!?ねぇーっ!私のを食べもしないうちに、あっちのが美味しいなんて決めて貰っちゃ困るわよね!?こうなったら、絶対あの家庭教師のマフィンを越えてみせるわっ!!」
「その意気その意気…」
笑いながら雑踏を流されていく。
こんな時は、美味しいものを食べて思いっきり笑って過ごした方が良い。
都澤は珍しく《あそこ面白そう》だの《あれ美味しそう》だの声を掛けながら江野崎を引っ張っていった。
少しでも気晴らしになればいいと思ったのだ。
友人が受けたろうショックは、友人として緩衝してあげたい。
それに…これから受けるであろうショックも、出来ることなら友人と有利の為に回避してあげたい。
きっと、2学期になって有利にお菓子をあげたら《美味しい》と言って食べてくれるだろう。
でも、江野崎は決して《こっちの方が美味しいでしょ》とは聞かない方が良いと思う。
多分…有利は、困ったように黙り込んだまま、
『コンラッドのが美味しい…』
なんて思ってしまうだろうから…。
* 有利を好きな男友達との遭遇にしようかとも思ったのですが、長編の黒瀬君とか「男前な彼女シリーズ」でもやったので、有利を好きな女の子達にしてみました。焼き餅やきというか…物凄く大人げない次男…? *
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