夢魔狩り









プロローグ





 ヒヒィィーーーーンッ!
「開門、開門ーっ!」

 まだ明けやらぬ結盟城の朝…早馬の嘶(いなな)きと呼ばわりの声が朝靄を切り裂いた。

「陛下…陛下っ!ウェラー卿が昏睡状態に…っ!」

 真っ青な顔色の侍女に伝達を受けた有利は、その侍女でさえ驚くほど蒼く…その面から血の気を失っていたが…気丈にも唇を噛みしめると、ばさりと夜具を振り払って身支度を始めた。

「クレア…頼んでも良いかな?俺の身支度が済み次第出立できるように、アオの準備を厩に、食料や水の準備を厨房に伝えておいてくれるかな?あと…クレアが必要だと思う細々したものを荷物に詰めておいて欲しいんだ」

 こんな時ではさえ優しい物言いの王に、クレアは涙を堪えながらひた走った。

 眞魔国は平和な時代にあった。

 国政は安定し…今や、人間の国との交流もどんどん広域に渡っている。
 それに大きく貢献しているのがこの王…第27代魔王渋谷有利である。
 有利は創主を打ち倒した後、一時は生まれ故郷である地球に強制送還されていたものの、王と同じ色彩を纏う双黒の大賢者の導き(?)によって眞魔国へと帰還した。

 いまだ17歳…眞魔国では成人を迎えたものの、地球では高校を卒業していない未成年名な身上の為、地球と眞魔国とを行き来する身ではある。…が、いまや眞王を越える力を身につけた有利は、自らの意志でその移動を可能にしていた。

 そして…これは一部の者のみが知る話であるのだが…臣下であるウェラー卿コンラートと…恋仲にある。
 


*  *  *


 

 ウェラー卿コンラートは王の恋人である。…が、その事を表立って人に話したことはない。
 二人の付き合いは密やかなものであり、おニブで愛すべき押しかけ婚約者はまだその事を知らない。
 そもそも…つきあい始めた事自体が創主騒動の後のことであり、身体の関係を結んだとなると更に最近のことなのである。

 穏やかで静かな恋…。

 自分の思いを我慢しきれなくなった有利が、泣きながら名付け親の胸にしがみつき…思いを伝えたとき、コンラートは苦悩するように眉根を寄せていたが…彼もまた溢れる想いを押し堪えることが敵わず、誰よりも愛しい名付け子を抱き寄せてしまった。

 夜気に紛れての数度の逢瀬のなかでもコンラートはひたすら優しく有利を包み込み、決して無理をさせたことがない。

『もっとアンタの好きにして良いんだぜ?』

 明日は勤務が過酷だから…等と、有利を高めるだけで自分は達しない夜も幾度かあった。その度に有利は唇をとがらせていっぱしの口を利くのだが…年上の恋人は大人の表情で微笑するのだった。

『良いんですよ…貴方が気持ちよければそれで…。それこそが、俺の喜びですから』

 そんなコンラートの表情を思い出しながら、アオを疾駆させる有利は止めどなく涙を流し続けた。

『馬鹿…馬鹿…コンラッドの、馬鹿野郎!いつも俺の幸せのことばっかり祈ってたくせに、何でざまだよ……っ!』

 疾風に向かって挑むように顔を反らせると、すべやかな頬を幾筋もの涙が水平に伝わっていく。

『あんたがいなきゃ…俺が幸せになれるはずがないだろう!?』


 主の思いを読むかのように、アオは嘶き一つ立てずに朝靄の中を駆けていった。



*  *  *




「おや、陛下…早かったですね」
「アニシナさん…?」

 コンラートの任地に到着したのは夜半過ぎのことであった。
 駆け通しに駆けてきた有利をお付きの者達は必死で休ませようとしたが、そうはいかない。有利は疲労と…それに勝る重圧感で脚をふらつかせながらも病室に向かい…そして、病床のコンラートとアニシナの姿を発見したのである。
 コンラートには目立った外傷はない…にもかかわらず、その面は苦痛に歪んでいる。

「何が…何があったんだよアニシナさん!コンラッドは、夢魔ってヤツにやられたの!?」
「ええ、殆どを退治したのですが、物陰に隠れていた最後の一匹が鍛錬不足の兵士に襲いかかったのです。それを庇って…コンラートは夢魔に取り憑かれたのですよ。全く…だらしない!」

 言葉は厳しいが突き放す風ではない。
 彼女なりにコンラートの容態は気に掛けているようだ。

「夢魔ってなんなの?俺…よく知らないのに…コンラートに命令を…っ!」

 丁度他国との貿易交渉で頭をこんがらせていたから…そんな良い訳は通用しない。

『俺が行きましょう』

 さらりとそう言ったコンラートを、この地に赴かせたのは有利に他ならない。

「俺の…俺の命令のせいで……コンラッドが!」
「全く…陛下のように愛らしく、男にしては見所のある方でもその程度のものですか」
「愛らしいは関係ないんじゃ…」
「そんな点に食いつく元気はあるようですね。よろしい!陛下、私の告げる治療法をよくお聞きなさい!」
「治療法が、あるの!?」
「あるから陛下をここにお呼びしたのです」

 一国の国王を呼びつける女…赤い魔女アニシナ……。

「いいですか?これは陛下にしかできない治療です。この夢魔というヤツは淫魔とも呼ばれ、通常は森の奥深くに住んでおります。ところが、この地方の貴族が森を急激に伐採したことで怒った彼らは復讐のために魔族を襲ったのです。そういった意味では彼らも犠牲者と呼べるでしょう…それはさておき、夢魔は取り憑いた者に淫夢を見せます。それはもう…本来その者の持っている願望に、更に夢魔が脚色を加えたとんでもなくエロエロエッサイムな夢を見せると言われています」
「…………なんか……エッチなだけでそんな大した妖怪じゃないような気が……」
「何を言います!これは命に関わることなのですよ!?夢に取り込まれた者は、それはもう現実では考えられないような悦楽の中にいますから、そこから出てこれなくなります。そして最終的には衰弱死するのですよ。しかも、コンラートは下手に聡い達なものですから、どうやらその淫夢を拒絶しているようなのです。これはさらに苦痛を伴う死に向かいます」
「え…!?」

 そういえば、コンラートの様子はとても気持ちよすぎる淫夢の中にあるようには見えない。寧ろ、地獄の苦痛に耐えているようにさえ見える。

「どうして淫夢を拒絶するの?コンラッドって…やっぱエッチ嫌いなのかな?」

 自分に魅力がないからかなとも思っていたのだが、あそこまでいつも淡泊というのは…性的欲求が薄い達なのかも知れない。
 しかし、アニシナは呆れたように鼻を鳴らした。

「はぁ!?陛下ともあろう者が…恋は盲目と言いますが、全く真実ですね!コンラートがエッチ嫌い?馬鹿なことを!この男は精力絶倫、ひとたび房事につけば手練れの娼婦さえとろかすという伝説の馬並み男ですよ!?」
「馬並み…つか、それじゃ、やっぱ…」

 有利に対してだけということなのだろうか?

『やっぱ俺って魅力ないのかな?』

 うるりと水膜を張った黒瞳の艶やかさはさしもの赤い悪魔さえ嘆息させ、噛みしめた唇の愛らしさは早春の野苺のようだというのに、有利はそんなことを考えていた。

「コンラートがエッチ嫌いと思われるのなら、この状態も頷けますね…この男は相当に貴方に参っているようです」
「はぁ!?」

 予想外の言葉に声が裏返ってしまう。

「この夢魔は通常、取り憑かれた者の記憶を利用して淫夢を見せます。非常にリアルではありますが、聡い者…特に、強烈に愛する恋人を持っている場合は、夢魔の見せる夢を拒絶するのです。《これは恋人ではない…》そう思うようですね。しかし、神経系統に与えられる快楽は凄まじいものですから、無理に抗しようとすると大変な苦痛を味わうことになるのです」
「ど…どーすりゃいいの!?俺、コンラッドのために何が出来るの!?」

 リアルな淫夢に、有利への操だてをして耐えているのだという恋人に…どうやって報いることが出来るのだろう。

「私の大発明、夢芝居は覚えていますね?」
「……………って、まさか………」
「そのまさかです!あなたはコンラートの夢の中に入り、夢魔に打ち勝って恋人を取り返すのですっ!」
「そそそそそそ…その、とんでもなくエロい夢の中で!?」
「そうです!そこで夢魔の淫夢を越える実体感と快楽をコンラートに感じさせたとき、この男は戻って来るという、フランス書院並のエロ設定なのです!どうです!?やりますか!?やめますか!?」

 有利はごくりと唾を飲み込んだ。
 思わず脚が震えてしまいそうだ。
 だが…意を決するとまっすぐ前を見据え、アニシナに頭を下げた。

「お世話になります…」


 この夜から…有利の夢魔狩りが始まった。







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