「緑澤ラ・クレール・ハイツの愛人」-1




 


コンラートside-1



 《愛人》と《変人》って、どうして字面が似ているのだろう?
 人を愛しすぎると言動や行動が変になるからだろうか?

 そういえば、昔の人も《恋をして、同時に賢明であることは不可能である》と言っていたようだ。まこと、至言といえるだろう。

 また、《愛しい人》と書くのにどこか淫靡だったり、後ろめたい印象があるのはどうしてだろうか。
 こんなに愛しい愛しい人なのだから、《恋》より《愛》で表現したって良いではないか。
 
「ユーリ、挽肉と玉葱はそのくらいで良いよ?」
「そう?じゃあ、ジャガイモと合わせるね?」

 大きなコンラートのエプロンがあまり気味な、華奢な恋人有利…。
 彼は今日から一週間の間、緑澤ラ・クレール・ハイツ2301号でコンラートと共に生活することになっている。

 …というのは、仕事の都合で両親が海外に一週間旅立ち、勝利も卒業研究のため研究室に泊まり込んでいるので、美子に勧められて一時的な同居生活を送ることになったのである。

 ちなみに、兄は自分が不在の間こんなことになっているとは知らない。
 教えるとややこしそうなので、内緒で来ているのである。

『仲良く過ごしてね』

 別れ際に美子が残した言葉が殷々と頭蓋内に響いている。勿論、こんな貴重な時間を喧嘩で潰すなんて人として最低だ。仲良くするに決まっている。
 ただ…問題は……仲良くし過ぎてしまうことだ。

『いつもいつも…こういう機会には何故だかとんでもなく激しいセックスをする羽目に陥っていたからなぁ…』

 勿論コンラートだって気持ちいいのは気持ちよかったし、有利の身体は最高だと思う。けれど、有利自身は本当に普通の感覚をもった《男の子》なのだ。感じすぎて淫らに悶えてしまう自分や、本来は排泄器である筈の場所を弄られて悦んでしまう事に忸怩たるものを感じていることも知っている。

『だから、今回は極力普通の暮らしをさせてあげたいな…』

 今までが今までだっただけに、二人きりで台所にいるとついつい裸エプロンだの生クリームとフルーツでデコレーションされた姿を夢想してしまうわけだが…そういう欲望は爽やかな微笑みを浮かべながらスルーする。

 目標は《普通のエッチ》。
 日中はごくごく仲の良い《友人》として過ごし、お風呂に入ってパジャマに着替え、お布団に潜ってから《恋人》になるのだ。

 普通、自然にそこを経過してからディープでコアなプレイを目指すものだと思うのだが、自分たちは出会いが出会いだけに、世の中の常識を逆走することになりそうだ。
 順走した場合、どこまで進展して良いか分からないというのもあるが。

 パチ…
 パチパチ…っ!

 熱した油が爆ぜて良い匂いが台所に広がる。
 有利が好きだと言っていたコロッケを作っているのだ。
 
「んん~…良い色になってきた!やっぱ、コロッケだけは家で揚げるのが一番だよね?」
「そうなんだ…。買ったのしか食べたことがないなぁ…」
「マジで!?」

 有利は仰天すると、丁度良い具合に揚がったコロッケにキッチンペーパーを巻くと、わくわくしながら寄越してきた。

「すぐ食べて!揚げたてが一番なんだからっ!あ…でも、火傷には気を付けてね?」
「うん」

 ふぅふぅと息を吹きかけてから齧り付くと、なるほど…《かしり》という良い音が耳孔を擽り、快感とも言えるような軽い食感に至福の味覚がわき起こる。

「美味しい…っ!」
「でしょ?ジャガイモも、滑らかな部分とちょっと粒が残ってる感じなのとが混ざってるのが美味しいよね!」

 にこにこしながら新しいコロッケを油に投入した有利だったが、衣に水分が付いていたのだろうか?バチ…っと激しく爆ぜた油が飛んで、有利の手の甲に飛ぶ。

「あつ…っ!」
「大丈夫…!?」
「へ…平気」
「水で流そう」
「良いよ…途中で上げると勿体ないし…」
「良いから。コロッケよりもユーリの肌の方が大事だ」

 素早く火を切ってから有利の手を流水に晒すと、コロッケを生揚げ(?)のまま油切りに載せた。

 改めて手の甲を検分すると、確かに大したことはないらしい。
 それでもじんじんと痛んでくるのが心配で、あまり使ったことのない軟膏を救急箱から取り出すと、丁寧に塗った。

「水膨れになるようなら絆創膏を貼ろうね」
「大袈裟だなぁ…」
「君のことなら、どうしたって心配になるんだよ?ユーリだって、俺が熱を出したときにはあたふたしてたじゃないか」
「あれは…」

 有利の頬にかぁ…っと紅が差す。

 先日熱を出して寝込んでいたコンラートが、メールで簡単にその旨と家庭教師に行けないと事を伝えると、血相を変えた有利が駆け込んできたのだった。
 おそらく、新型ウイルスの流布によって激しい合併症に晒されたニュースなどを見たに違いない。

『熱が下がるまでは寝てて!』
 
 決然とした眼差しで、有利は甲斐甲斐しく看病してくれた。
 学校まで休んで泊まり込む有利も有利だが、快く送り出してくれた美子の腹の据わりようも凄いと思う…。

 おかげでコンラートはほんの数日で緩解することが出来のだ。

「あれは…凄い熱だったじゃん」
「38度台後半だから、脳炎を起こすほどではなかったんだけどねぇ…」
「あんたは普段の体温が35度台じゃんか!普段より3度以上も高かったんだぜ!?」

 真顔で詰め寄る有利はと言えば、平熱が基本的に36度後半で、少し興奮すると健康体でも37度台になるから子どもみたいに暖かい。
 セックスしているときなどが特にそうだから、火のように熱く感じる体腔内は38度近いのだと思う。

『繋がった場所が溶けそうに熱くて…気持ちいいんだよね』

 またしても変な衝動がじわじわと腰骨に込みあげるが、敢えて右から左へと受け流す。

「さあ…残りは俺が揚げるよ。ユーリはサラダを作って?」
「うん」

 こくんと頷く有利はレタスを千切って氷水に漬けた。少し冷蔵庫の中で干涸らびてしまったので捨てようと思っていたのだが、冷水に暫くつけておくとぱりっとするらしい。言われてみれば毛細管現象によってそういうことも起こるのかと思うが、体験的に知っている有利は、家で良い食育を受けているのだな…と思う。

 だからきっと、心も体も健康に育ったのだろう。
 本来であれば、彼がコンラートと肉体で繋がるような関係にはなり得なかったろうと思う。そもそも、偶然が結びつけなければ出会うことさえなかった二人だ。

『不思議だな…』

 こうして一緒に台所に立って、ぱちぱちと油が爆ぜる音と良い香りを共有しあいながら、なんと言うことはない会話を交わす。そのことがこんなにも楽しくて、得難い幸せなのだと改めて感じた。

『この子に会えて良かった…』

 知れば知るほどに魅力的に、愛おしく感じられる有利という少年。
 彼といつまでも共に有るためには、どんなことでも出来そうだ。

『高校を卒業したら…結婚したいな』

 コンラートは日本国籍を持っていないし、この国では養子縁組によって仮の家族になるだけだが、母国ドイツでは同性婚が可能である。互いの家族を説得して、是非夫婦になりたいと願っている。

 有利もコンラートの望みは知っていて、実はドイツ語も少しずつ学んでいるところなのだ。
 ひとつひとつ、ゆっくりと…着実に覚えていく有利。 
 その努力そのものが、彼と自分を結びつけていくようで…堪らなく嬉しかった。



有利side-1


 思わぬ時期に、コンラートと仮初めの《新婚生活》を送ることになった。
 新婚…というのは勝手に有利が思っているだけだが、《卒業後したら結婚しようね》と約束しているのだから、恥ずかしい妄想という訳ではないと思う。

 ぱちぱちぱち…

 コンラートが器用にコロッケを揚げていき、有利が卓上に慣れた手つきで箸などを並べていく。週末には度々遊びに来ているから、台所用品などはかなり置き場所などを把握していた。

 プランターに植えられたちいさな花を手折って、一輪挿しとしてコップに漬ける。
 淡い青色をした花は、コンラートが母に貰ったものだと聞いた。

『ユーリの写真を送ったら、君のイメージだといって送ってくれたんだよ』

 嬉しい。

 父親違いの兄弟とはまだ顔を合わせていないが、母親については実に自由奔放な《愛の狩人》であるらしく、息子が男を愛したと聞いても全く動じなかったらしい。
 その上、事あるごとに有利へと贈り物までくれるのだった。

 時々、《これは…》と二人してドン引きしてしまうような《大人のプレゼント》もあるのだが、そこはそれ…気持ちだけは受け取って、寝室の引き出しの中に収めている。
 いつか使う日も来るかも知れないが…今のところコンラートはパッケージを開く気配もない。

『コンラッドって、偶然俺とのことに巻き込まれなかったら本当に普通の嗜好の人だったんだよね…』

 いざというときの精力はあるが、嫌がる有利に無理矢理…とか、有利が疲れ果てているのに何時までも貪り続けるという事態に陥ったことはない。
 基本的にまともな性向と感覚の持ち主なのだろう。

『ほんと、不思議…』

 有利だってそういうタイプの筈だから、コンラートと別の機会に出会っていたとしても、間違ってもこんな《関係》にはならなかったと思う。

「出来たよ」
「美味しそう…!」

 芳香をあげるスープに、大皿に並べられたコロッケ。付け合わせのマリネに生野菜と魚介のサラダ…。そういったものをテーブルに並べると、一人暮らし用のちいさなテーブルはすぐ一杯になってしまう。

「結婚したら、もっと大きなテーブルを買おうね?」
「…っ!う…うん…っ!」

 こくんと頷くと、《いただきます》をしてからふわふわした心地でコロッケに噛みついた。サクっとした歯触りが堪らなくて、そのままサクサクと囓り続ける。

『結婚したら、こうやって毎日一緒に御飯が食べられるんだ…』

 結婚したら当たり前の事というなかれ、生まれも育ちも違う他人が、血縁の家族よりも家族らしく暮らしていくことのなんと不思議なことだろう?
 ふくふくとした幸せが胸一杯に満ちて、有利は口に入れる全ての食材に感謝したくなった。

 こんなひとときをくれてありがとう。
 俺たちの力になってくれてありがとう…。

 両手を合わせて丁寧に言った《ご馳走様》は、いつもよりも深い思いに満ちていた。




コンラートside-2



 ピンコロピロピピロリロリロリロリ~ン…

 軽快な電子音が居間に響く。

「ああ、お風呂が沸いたね」

 食後のデザートも味わって、少しテレビを見ながら笑った後…さりげなく口にした一言に軽い緊張が走った。

 《一緒に入る?》…その一言をいったものやらどうやら…。
 言わなくても、自然と有利がついてくるのやらどうやら…色々と考えてしまったのだ。

 濃厚なセックスをあれだけやっておいて今更何を…と言われそうだが、こと有利に関する限り、コンラートの配慮は海よりも深いのである。

 有利はどう感じているのか、一拍おいてからこう言った。

「コンラッド、先に入りなよ」
「ああ…そうさせて貰おうか」

 お笑い番組がそこまで好きな筈はないのだが、有利は画面に視線を向けたままコンラートに勧めた。
 《そうか…一緒には入らないのか》と、少々重い足取りでお風呂に向かったコンラートだったが、身体を洗い始めてからふと思い出した。そう言えばシャンプーが尽きていたから新しい物を買ったのだが、生物を冷蔵庫に入れた後、そのまま台所の棚に置いたままにしてある。

 ピーピーピー…

 お風呂についている《呼び出しボタン》を初めて使ってみた。
 お年寄りや子どもが気分が悪くなったときに使うものだから、基本的に一人暮らしの時にはいらない筈のものだ。
 《湯量》《湯温》《おいだき》ボタンと並んでセットになっていたので、《これだけ外して下さい》というのも何でそのまま設置していたのだが、初めて役立つことになった。

「どうしたの…!?湯あたりしたの!?」

 ボタンを押すやいなや、飛ぶようにして有利がやってきた。

「いや…シャンプーが切れたんで、詰め替え用を持ってきてくれる?台所の棚に置いてあると思うんだけど…」
「うん、見てくる」

 安堵したように、有利はぽてぽてと台所に行って、折り返しお風呂に来てくれた。

「これ?」
「ああ、ありがとう」

 浴室の扉を開けて礼を言うと、有利が息を呑んで頬を染めた。
 浴槽に脚を漬けたまま身を乗り出したら、裸体が覗いてしまったらしい。

「えと…じゃあ……ね」

 うごうごとぎこちない動作で居間に戻ろうとするから、思わず反射的に引き留めてしまった。

「お風呂…一緒に入る?」
「う…うん…っ!」

 有利は特に抵抗することもなく、いそいそと衣服を脱いで浴室に入ってきた。
 掛け湯をしてから浴槽に漬かると、一人暮らしにしては大きなそこにきゅうっと二人で収まる。最初は半分くらいだった湯量も、二人で漬かると肩まで届く。

「少し時間差があって良かったね。一緒に入ってたら、濡れた身体でシャンプーを取りに行くところだった」
「うん…」

 有利は少し言い淀んでから、伏し目がちに呟いた。

「あのさ…最初、お風呂のこと言われたとき…一緒に入ろうって言わなかったのは、なんか…改めて言われると、照れちゃったからだよ?」

 《一緒に入りたくなかった訳じゃないんだよ?》…恥ずかしそうにぽそぽそと呟く有利を、抱きしめたくて堪らなかったが…そこは何か理性で止める。
 ここまで我慢したのだから、最強度にしたシャワーで鈴口責めとか、コックを外したシャワーで後宮責めとかいう妄想はノーサンキューだ。

「じゃあ、今度から…俺が《一緒に入ろう》って誘うよ」
「俺も、《一緒に入ろうか?》って言うよ」

 《でも、今日は別々に入って良かったよね》と笑い合いながら、二人は仲良くお風呂で背中を流しっこしたりした。   



有利side-2



 ほかほか
 ぽかぽか…

 ほっこりとした身体にパジャマを着こんで、二人して腰に手を当てて珈琲牛乳を飲んだ。
 残念ながら瓶詰めのものは買っていなかったので、食後に煎れた珈琲の残りと砂糖、牛乳を合わせたのだが、それでも十分に美味しかった。

 少しテレビを見て時間を待つ。
 《10時に就寝しようね》と約束したから、あと1時間だ。

 ゆっくりと時計の針が動いて、時を刻んでいく。
 ソファに並んで座っていた有利は、少しずつ少しずつ…お尻を躙るようにしてコンラートに寄り添った。
 コンラートは何も言わず、肩が触れ合ったと思ったら更に寄ってきて、顔が触れるような位置で囁きかけた。

「あ…今の、可愛かったね」
「うん」

 指さすテレビ画面には、大きな犬にじゃれつかれて勢いよく転んでしまう幼児がいた。無邪気に笑っていた子がえぐえぐと泣くのは、可哀想だが横で見ているとやっぱり可愛い。

「子どもって、可愛いよね…」
「そうだね。俺も好きだよ」

 お互いに言ってから、暫く黙り込んでしまう。
 似たような投稿ビデオが続いたせいもあるが、実のところ脳はもうそんな映像を受け付けてはいなかった。

 《子ども》…それは、二人とって幾らか引っかかりのある言葉だった。
 
 お互いに子ども好きで、いつか愛する人が出来たら三人は子どもが欲しいな…なんて、漠然と未来図を思い描いていた。
 けれど自分たちには子どもは産めない。

 ゲイのカップルが親を失った子供を養子として引き取る話などは聞くが、それはやはり、どこか《自分の遺伝子を受け継いだ子ども》というのとは違うと思う。
 決してその行為に意味がないとか言うわけではないが、やはり違うものは違うのだ。

『俺たちは色んな事を受け止めて生きて行かなくちゃいけない』

 たくさんのものを得る代わりに、きっとたくさんのものを失うだろう。
 同時に得ることは困難だったり、物理的に不可能であることは認めなくてはならない。

『でも…なにと引き替えにしても良いんだ』

 《俺には、この人がいる》…掛け替えのない、愛する人。
 子どもという《家族》を得られない代わりに、誰よりも愛おしいこの人と《家族》になれるのなら、それは十分引き替えられるものだと思う。

『一緒に、生きていきたい…』

 時計の針が時を刻み続けるのを眺めながら、有利はそっと伸ばした手でコンラートのそれを掴んだ。握り替えしてくれる手の感触に、二人して微笑み合った。

 コチン…
 コチン…

 テレビを消して、肩を寄り添わせて時計の音に耳を澄ませる。
 ベッドまでお預けするはずだったキスは、予定の時刻より33分早く始まった。
  
 

 

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