「グリューネヒルダ号の変人」G














ウォルノックside:A



 ザザ…
 ザザザ……

 漣が打ち寄せる音を聞くとも無しに耳にしながら、キーツ・ウォルノックは瞼を閉じていた。彼は朝の諍いの後もグリューネヒルダ号に乗り続けているが、一人きりでセミスウィートに籠もる気にはなれず、こうして海に面した共有バルコニーに出ている。
 それが何かを期待しているせいだと自覚するのは…不快だった。

『嫌な日だ…』

 込み上げてくる自己嫌悪から逃れようと目を閉じれば、やけに重い瞼が自分の老いをより強く感じさせる。

『私らしくもない事をしようとしたせいなのか?』

 自分でも滑稽だという自覚はあったが、それでも今日という日を記念すべきものにしたくて、ウォルノックは数ヶ月も前から計画を練っていた。
 お気に入りの青年、コンラート・ウェラーの誕生日に、サプライズイベントを仕掛けるつもりだったのだ。
 そう…彼を誘ったのは気まぐれでも何でもない。彼に会う為だけに計画した事だった。

 その企画に、長年ウォルノックに仕えている秘書…老紳士めいた姿から《バトラー》と渾名される男は微苦笑を浮かべたものだった。

『良い青年ですよね、ヘル・ウェラーは…』

 銀縁眼鏡を光らせながら囁く秘書は全てを理解しているように、踏み込みすぎず…けれどきっちりとウォルノックの希望通りに手配をしてくれた。

 だが…全ては無駄になったようだ。

 間もなく日が沈む。
 あと数時間で…コンラートの誕生日は終わるのだ。

 今回ウォルノックが強引な態度に出たことで、ひょっとするとコンラートは怯えているかも知れない。《怒らせた》…そう思っているとすれば、彼もまた他の連中と同じようにウォルノックの顔色を伺う男に成り下がってしまうだろうか?

 ウォルノックがあの時引いたのは、オレンジ髪の派手な男に取引を迫られた為だけではなかった。
 コンラートに心底恐れさせてしまうことが怖かったのかも知れない。

[ヘル・ウォルノック…おくつろぎの所申し訳ありませんが、お声を掛けてもよろしいでしょうか?]

 不意に、少年が英語で呼びかけてきた。

 ウォルノックは勿論英語で会話することは可能だが、世界共通語のように英語を用いられることが腹立たしく、自分に話し掛けさせるときには極力ドイツ語を使わせる。だから、この時も怒鳴ってやろうと目をぎょろつかせたのだが…。

 びくん…っと怯えて小動物のようにぷるぷるしながらも、《ユーリ》と呼ばれていた少年はウォルノックに何事か伝えたいらしく、両手を前で握りしめて待っている。

[何の用だね?]

 ドイツ語で問えばやはり意味は通じず、困ったように眉根を寄せる。

 《ふぅ…》と、溜息をつくとウォルノックは不承不承ながら英語を使い、炯々とした眼差しで少年を睨め付けた。ウォルノックとしても、コンラートが今どのような心境で居るかとか、聞いたみたいことは沢山あるのだ。

[何の用かと聞いている]
 
 漸く理解可能な言語を使われたことで、少年は目に見えてほっとしたように話を切り出した。

[あ…あのっ!今日は俺のせいで、折角の旅を台無しにしてしまってすみません…っ!]

 頭髪がカツラであれば吹っ飛ぶであろうというほどの勢いで、少年は《ブゥン…っ!》と頭を下げる。
 
[今更かも知れませんけど…どうか、コンラッドと夕食を一緒に採って貰えませんか?その…誕生日会を兼ねて…]
[それは、ヘル・ウェラーが君に言い含めたのかね?]

 《そうだ》と言われたら失望していたかも知れない。
 少年はやはり勢いよくぶるるっと首を振ると、《一生懸命》を絵に描いたような形相で迫ってきた。

[違います!これは…俺が自分で考えたんです。ヘル・ウォルノック…あなたは、今日がコンラッドの誕生日だって知っておられたんじゃないですか?]
[だったら…どうだというんだね?]
[俺…知りませんでした。家庭教師して貰って…そもそも、通学中に危ないところを助けて貰って、凄くコンラッドに恩義があるのに、そんな大事なこと聞いてなかったんだって今日初めて知りました]
[それで、私に彼の誕生日を祝えと?]
[は…はい……。もしも…気まぐれとかじゃなくて、あなたがコンラッドの誕生日を祝おうとしてくれたんだったら…俺は、折角の一日を台無しにしちゃったって事だから…。せめて、誕生日パーティーは一緒にして欲しいなって思うんです]

 コツ…コツ…と杖の先で床を叩く。
 この子は一体どういうつもりでウォルノックにそのような話を持ってきたのだろうか?
 自分の方が愛されるていると余裕を見せるつもりなのか?
 
 だが…積極的に憎もうとして睨み付けても、不思議と少年は阿(おもね)るような表情は浮かべなかった。
 素直に偏屈そうな老人を怖がり、素直に…ウォルノックがコンラートと誕生日を過ごす事が正しいことなのだと信じているようだった。

『妙な子だ…』

 何となし、興味を引かれてウォルノックは口元を掌で擦った。
 何かを思い出すような気がして頭を捻れば、それはコンラートに初めて会ったときと同じような印象なのだと気付く。

 相手がどんな立場にあるかということよりも、一人の人間としてどう向き合っていくのかという点に、毅然とした倫理を持っている…そのように感じたのだ。  

[では…私とヘル・ウェラーが食事をしている間、君はどうするのかね?]
[カフェを無断欠勤しちゃったんで、謝りに行ってきます。そんで、出来ることがありそうならやらせて貰います]
[ふん…]

 ココン…っと杖で床を叩くと、ウォルノックは不満げに鼻を鳴らした。

[君は私の旅を台無しにした詫びをしたいのだろう?]
[は…はい…っ!]
[では、君も同席して貰う。1時間後、ヘル・ウェラーを連れてこの場所に来なさい。ハイヤーを呼んで、神戸の料亭に向かうからそのつもりで準備するように]
[え…?俺は…い、良いですっ!ちゃんとした服とか持ってないしっ!]
[何とかしたまえ。それとも、詫びたいというのは言葉だけか?]
[い…いいえっ!]

 少年はぶるるっと首を振ると、挨拶もそこそこに駆けだした。
 どこかで服を入手するつもりなのだろうか?

『ふん…』

 たったかたと駆けていく後ろ姿を見ながら、自分が笑っていることに気付いて《ごほん》…と咳払いをする。妙な照れくささが口元の表情を迷わせた。

[よ、ウォルノックさん。オットコ前だねぇ〜]
[…貴様]

 表情の選択に迷っている時に声を掛けられたので、ウォルノックには怒り顔を作るほか無かった。

[俺はグリエ・ヨザック…コンラッドのダチだよ]
[関連などどうでも良い。約束の物は何時手に入るのだ?]
[焦りなさんなって]

 何処か気怠げな風情で濡れ髪を掻き上げる男は、ウォルノックと対面する形で椅子を引くと小脇に抱えていた鞄から一冊のアルバムを出した。






ヨザックside:@



[どーぞ。今日はあの坊やの誕生日なんで、あげるつもりでしたが…先にあんたにあげても怒りゃしないでしょう。なんせ、今日が自分の誕生日って事もすっかり忘れてたみたいですからね]
[……]

 ウォルノックは声を上げはしなかったが、周囲に誰もいなければ歓声を上げたに違いない。
 そのアルバムに収められていたのは…幼少の頃から青年期を経て、今日に至るまでのコンラートの成長写真だったのである。
 一体どうやって撮ったものやら、すっかり油断しきってうたた寝しているものから無防備に着替えているものまで、リラックスしたコンラートの日常が切り取られている。

[………どうやって撮影したのだ]

 《了承済みなのか?》と聞きたいのだろうが、そこは肩を竦めて苦笑するしかない。
 了承などとれば、あのええ格好しいがこんなに油断した顔を映させるはずがないのだ。

[グリエ・ヨザック、君はもう一冊アルバムを持っているな?]
[おや…目敏い]
[あの少年の写真なのか?]
[ああ、コンラッドにやろうと思って用意してたんでね]

 こちらも非了承の上で撮影した隠し撮りから、直接母親から譲って貰ったものまで幅広いラインナップとなっている。実は何枚かは《コンラッド以外には絶対見せられないサービス品》も入っているので今は提示することが出来ない。
 なお、ウォルノットに渡したアルバムからも《有利以外には見せられない》数点を取り除いている。

[あの二人は…恋人なのか?]
[そーですよ…二人ともゲイじゃないのに、偶然出会って性犯罪に巻き込まれて…互いを護る為に必死になって結ばれたっていう涙ぐましい恋人なんでさ]
[…なに?]



 ヨザックは赤裸々になりすぎない範囲で、コンラートと有利の馴れ初め…そして、今回も有利がある犯罪に巻き込まれて恥辱を受けるところであったものを、コンラートが何とかして救おうと躍起になった結果がこれなのだと語り聞かせた。

[……妙な連中だ]
[ああ…でも、愛すべき連中だとは思いません?]

 にかりと笑えば、ウォルノックは表情の選択に困ったように唇をへの字に枉げる。
 素直に認めたくはないのだろう。

[変わっているのは百も承知…」

 ストレートな男ほど、自分の中に芽生えてしまった《変態性》を打ち消そうとし、それが掛け替えのない《恋》であっても汚らわしい物であるかのように踏み躙ってしまうことが殆どだということをヨザックは体験から知っている。今までの《正常》から踏み出すのが怖くて、《恋》を《過ち》と断定してしまうのだ。
 その結果、多くが自分の《変態性》を存在しない物として抹消しようとするか、押し隠している間にその性質を歪めてしまう。

 けれど…彼らは違った。

 真っ当な社会倫理や性観念を持っているにも関わらず、男である互いを愛し…求めた。
 生粋のストレートであった彼らにとってその選択はあまりにも重く、生きにくさを感じることもあるかも知れないけれど…それでもなお自分たちの選択を真っ直ぐに受け止めようとする彼らは、ヨザックにとっては実に《変わった連中》だと感じられる。

 自分たちの中に芽生えてしまった《変》なものをちゃんと《恋》として受け止めて…大切に大切に抱きしめている彼らを見ていると、えらく《いじらしい》と感じてしまうのだ。

[けどねぇ…その変わり方は、俺にとっちゃ実に好ましい変わり方なんでさ…]
[護ってやりたいとでも?]
[格好良く言えばね]
 
 護りついでにちょっと悪戯してみたくなるのも事実なのだが、その件については既に痛い目に遭っている。
 ただ、これに懲りて《もうすまい》とは欠片も思わないのが自分らしい…と、ヨザックは思う。

[ま、今日は祝ってやって下さいよ、あの二人をね…。一緒にいれば分かります。会えて良かったって…素直に思える連中です]
[ふん…]

 鼻を鳴らすと、ウォルノックは瞼を閉じた。
 予言者のような物言いが気にくわなかったのかも知れない。

『さーて…俺はどうすっかなぁ?』

 流石にディナーにまで同席するのは気が引けるから、せいぜい豪奢なスウィートを独り占めしてセレブ気分を味わおうとしようか?
 そして、気を使いまくってへろへろになって帰ってくるだろう二人を迎えたら、また何か悪戯を仕掛けてやろう。


 くすくすと笑うヨザックの前で、水平線に夕日が沈んでいく。



 それは慌ただしい一日の終わりを労うような、ヨザックにとって大切な連中の誕生日を祝福するような…鮮やかな夕日だった。






おしまい









あとがき


 美味しいところを持っていったけど、大事なところを危うく潰されかけたグリ江ちゃん…座右の銘は「男の道は外すとも、女の道は外すとも、外しちゃいけない人の道」(by.ボンクレー)らしいです。

 ちょっと終盤悪ノリし過ぎて《悪戯》がディープな事になりましたが、広い心で赦して下さい。
 白基盤の次男だと、時々そういうこともあるのです。

 それにしても、今回は(今回も?)ゆーちゃんに可哀想な道具の餌食になって貰っちゃってましたねー…。ご…ごめんよぅ…。

 アンケートの上位は「いけそうでいけないもどかしさ」と「とにかくコンユイチャイチャ」だったのですが後者の方が不十分だったでしょうか?

 今後もネタが思いつけば続きを書きたいこのシリーズ、「こんなネタ見てみたいな〜」というご助言がありましたら、拍手等からお気軽に声を掛けて下さいませ。
 




おまけ

 榊先輩がキャプテン・シュミットの《お仕置き》を受けてます。
 本人達は幸せそうですが、変態性は高いので苦手な方は見ない方が得策かも知れません。

 それでも見たいという奇特な方は コチラ