「グリューネヒルダ号の変人」C
















コンラートside:C



 じりじりとした焦燥感に責め苛まれながらも、時間は刻々と経過していく。
 その間…コンラートはチェスでウォルノックにこてんぱんにされてしまい、少々不興を買ってしまった。

[君らしくないな…何故、ここに駒を動かした?]
[すみません…]

 《ユーリがどんな危険に晒されているか考えたら、居ても立っても居られなかったんです》…とは言えない。
 
『くそ…っ!』

 やはり、有利と付き合うことを決めた段階で今の会社など辞めておけば良かっただろうか?そうすればこんなしがらみに縛られることもなく、富豪の失望を買ったところで自分だけの損害で済んだのだ。

 だが、強い引き留めに応じてしまったのは自分自身であり、ウォルノックの相手を引き受けたのもやはりコンラート自身だ。誰にも責任を転嫁することなど出来ない。
 けれど…会社の損害と恋人の身の危険を秤に掛けるような行為に、いい知れない不快感が責め苛む。

 あの可憐な少年を、淫らな欲望で汚そうとする男がいるかもしれない。
 こんな時に…自分は一体何をしているのだ!?

 苦悩するコンラートの眼差しは恋と嫉妬に狂う男の情念を見せて…どこか妖しく艶めいてすら見えた。
 噛みしめた薄い唇は淡紅色に染まり、眦に掠める焦燥はうっすらと涙に似たものを滲ませる。

 ごくり…と、唾を飲み込んだウォルノックはそれ以上責めようとはしなかった。
 その代わり…何か言いたげに口を開き掛け、結局止めた。

[…眠いのだろう]
[え…?あ、はい…。そうかもしれません]

 不機嫌さを見抜かれたと気付いてはっと顔色を変えるが、ウォルノックは怒っているようではなかった。相変わらず表情はむっつりとしていたが、どこか気遣う様子すら見せて頭を振る。

[起こして済まなかった。眠りたまえ]

 杖を立ててウォルノックが立ち上がったので、部屋を出るのを介助した後…コンラートはすぐさまヨザックに電話を掛けた。しかし、《運転中》である事を示すメッセージが流れるばかりで通じはしない。
 あの男はこうと決めたら揺らがない計画性を持っているから、与えられた情報の中でいま自分に出来ること…一刻も早くグリューネヒルダ号に到着することを最優先させているのだろう  

『頼む…ヨザ!』

 癖はあるが、それだけにこういう裏の話では巧い立ち回りをしてくれるあの男を、今は信じることしかできなかった。




有利side:D





 翌朝、目覚めた有利を待っていたのは更に信じられない指令だった。


 
「渋谷、君が寝てる間にコンラートさんが来て、これを渡してくれって言ってたよ」
「え…?」

 がさごそと榊に手渡された紙袋を開けると、初めのうち…意味が分からずに有利はきょとんとしてしまった。
 見慣れないお数珠のようなものと化粧品のような瓶、そして飴玉が幾つか入っていたのだ。
 
 意図を確かめようとして電話を掛けるが通じず、代わりにメールが一通届いていたのでこれを見ると、有利の顔色は青から赤へと忙しく色調変化を遂げる。

『こ…コンラッド〜…どうしちゃったの!?』

 そこには昨夜送られてきた映像を絶賛する文章と共に、新たなプレイがおねだりされていたのである。

『幾らなんでも…これは……』

 そうは思うのだが、どうやらコンラートは余程接待相手のウォルノック氏が苦手らしく、《精神的にかなり追いつめられているんだ…ユーリの可愛い姿を目にすることで、かなり癒されると思う》等と、切々と訴えかけてくるのである。

『癒されるのかぁ〜?ホントに……?』

 半信半疑で紙袋の中を確かめる。
 コンラートが言うような目的に使われると認識した途端、単なるショッキングピンクのお数珠がたまらなくいやらしいものに見えてくる…。

『どうしよう…』

 これが、コンラートと二人きりのマンションであるのなら…二人して休暇を過ごしているのなら考えてみないこともない。だが、有利には身分不相応な高給をもたらすバイトがあるのである。迂闊なことをして迷惑を掛けでもしたら目も当てられない。

「どうかしたのかい?コンラートさんは何て?」
「え…と……その……」

 《物凄い変態プレイをおねだりされているところです》…とは、まさか言えない。
 自分の手で蕾にローションを塗りたくり、このえげつないピンク色の数珠を入れていくなど…。しかも、その前に飴玉まで入れろと言うのだ。
 《そしたら気持ちよくなるから》…と、書いてあるが…それではまるで、かつて二人を苦しめた媚薬のようではないか。

「あの…先輩?大学で彼女とか出来ました?」
「残念ながら今はいないね」
「昔はいました?」
「うん、何人かね」
「えと…あの……エッチなこととかもしました?」
「まあ…ぼちぼちね。どうして?何か恋愛関係で相談したいこととかあるの?」

 ざっくばらんにうち解けた空気を作ってくれたので、一気に話やすくなる。
 …というか、実は相手が待ちかまえるようにしてその話題に引き込もうとしているなど知る余地もない有利であった。

「そのぅ…エッチの時に、変わったプレイとかしたことあります?」
「うーん…実は、結構エッチな子と付き合ってたこともあってね、濃いプレイとかもしてたね〜」
「えーっ!?マジで…っ!?女の子の方からエッチなプレイとか求めちゃう事ってあるんですか!?」
「うちはね。何でも、そういう衝動が起きてくると自分でも心配なくらい妄想がぐるぐるしちゃって、勉強も手に付かないっていうんだ。お互い大事な受験を控えた頃だったし…ストレスが溜まってたのかも知れないね。受験に成功したら憑き物が落ちたみたいにスッキリしたらしくて落ち着いたんだけど、進学先が違っちゃったから別れたんだよ。噂だと、またストレスが溜まってきたみたいで、新しい彼氏におねだりしてるみたいだけどね」
「そ…そうなんだー…」

 ストレスとは恐ろしいものだ。
 有利はあまり溜め込んだことがないので分からないが、コンラートくらい重責を担う人だと相当なものがあるのかもしれない。
 
『だったら…聞いてあげた方が良いのかな?』

 考えてもみれば、有利は普段コンラートに大したことを何もしていない。
 家庭教師のバイト料を払っているのは母親だし、彼の収入から考えればそれも微々たるものだろう。
 それに…彼は大恩ある身でもある。

『うん、頑張ってみよう!』

 有利は彼本来の気質通り、前向きになってしまった。
 彼にとっては困る形で…。






榊side:D



 コンラートは…引っかかるだろうか?

 有利の身に淫具が埋め込まれたらしいのを目線で確認すると、榊は生唾を飲み込みながらコンラートにメールを送る。有利の古い方のメール番号だが、おそらく異常には気付いているだろうから敢えて有利を騙ることはしない。あからさまに脅迫者の語調で書きつづり…送信した。

 《今、渋谷は陰部にアナルビーズと媚薬を埋め込んでいる。君のおねだりだと信じてね》《遅効性の薬だが、動いている内にアナルビーズとの刺激とも相まって、一人ではいなせなくなってくるだろう》《さあ…君は恋人として何が出来る?》…挑発的な語調に反応してコンラートが有利を抱けば、ベルトに仕込んだマイクとカメラが何らかの情報を榊に送ってくる筈だ。ただし、それらはPCに送られるので、バイト中の榊が確認することは出来ない。

『でも…コンラートが自分の保身を第一に考えたら?』

 それを考えると、さぁ…っと顔から血の気が失せる。
 その場合はおしまいだ。
 有利の異常に気付いたコンラートが普通に医者を呼び、誤解を解くようなことがあれば有利は無惨に傷つけられ、榊にも追求の手が伸びるだろう。
 
 榊の計画は、殆ど何も知らないコンラート・ウェラーという男が、有利の心を包み込むようにして愛しているという前提に立っているのだ。
 ちょっとした味見程度に付き合っているのであれば…絶望的だ。

『なんだって僕は、好きな子が恋人に愛されているか確かめるようなプレイをしているんだ…?』

 濃厚なセックスシーンが撮影・録音されれば、コンラートに対する脅しの道具にはなる。
 だが…そこまでの愛を示すような男なら、決して榊のことを許したりはしないだろうし、そうでないのなら…誰よりも大好きな有利一人が残酷な現実を叩きつけられるのだ。

 《好きな人は大事にしたい》…今時珍しいくらい純粋に愛を信じる有利が、傷つくのだ。

 恥ずかしい写真を送り、淫らな性具を自ら銜え込んでしまった有利が…それが恋人からのおねだりでは無かったことを知り、更には自己の保身の為に見捨てられたのだと知ればどれほど傷つくだろうか…。

『僕は…なんて事をしたんだろう?』

 熱っぽい身体にいつものエプロンを着付け、潤んだ瞳に拭いがたい艶を滲ませた有利に興奮する自分と、彼の心というものを想う自分との間で激しい鬩(せめ)ぎ合いが生じる。

 いま…全てを打ち明ければ、少なくとも有利の傷は半分以下で済む。
 けれど、その場合は速攻で榊の性癖が明らかになってしまう。悪意ではなく、歪んではいても愛によるものなのだと説明すればするほど、秘しておきたかった事実が伝わってしまう。

『どうする…どうする?』

 考え込んでいる間に、有利はふらつく足取りで部屋を出て行こうとする。
 伸ばした手が、有利を止めることは出来なかった。


 結局、榊の《愛》など自己の保身の前にはその程度のものであったのだと証明するかのように…。






有利side:E



 身体の奥で、ゆっくりと《飴》が溶け出していくのが分かる。その成分が腸壁から吸収され…少しずつ、着実に、有利の感覚が狂わされていくことも…。

『暑い…』

 汗で張り付く服を全部脱いでしまいたい。
 じりつくような情欲が籠もる花茎をしごき、もどかしく纏わり付いてくる感覚を発散させてしまいたい。

 どろりと熔けだそうとする肉壁にはローションでしとどに濡らしたアナルビーズが食い込み、特に前立腺に近い場所を掠めるたびに息が詰まってしまう。浅く早い息を何とか誤魔化そうとするが、シャツに擦れる桜粒は明確に痼(しこ)ってしまう。いずれもエプロンで隠せてはいるが…頬を紅く染めて熱い息を吐く有利の姿は、カフェでは異様に映るかもしれない。

『コンラッド…怖いよぉ……』

 《コンラッドが喜んでくれるのなら》と、思い切ってやってはみたけれど…。せめて、どうして夜ではなかったのだろう?宵闇に紛れていればまだしも爽風吹く早朝の大気の中では、有利だけが異質な《淫》を纏っているように感じられる。

 泣きそうになってよろめいていたら、ちょうどそこにコンラートとウォルノックが現れた。その格好はいずれも洒落たスーツに包まれており、手荷物の様子から見て…彼らは今から観光に行くようだった。


『俺…置いて行かれるの?』


 涙が、本当に流れてしまいそうだった。

 どうしてだかコンラートは真っ青な顔色をして有利のことを見つめている。
 そこには、とても恋人を淫らなプレイに巻き込んで悦に入っている様子はなく…精悍な顔立ちは唯々心配そうに顰められている。


『コンラッドが、おねだりしたんじゃ…ない?…』

 
 それは、直感だった。
 だが、実に説得力に満ちた直感であった。

 あの眼差しや表情は、今の有利を愛でて悪戯をしようと画策している者の目ではない。
 仕事と有利への心配の間で葛藤しているのだ。

「あ……」

 愕然として、声が情けなく掠(かす)れてしまう。
 しかし、だとすれば…一体どうしてこんな事になってしまったのか分からないのだとしても、有利がしなくてはならないことは一つだと思った。


「お客様…行ってらっしゃいませ!良い観光になりますように」

 
 有利は微笑んだ。
 精一杯…自分の身体を灼く感覚から目を逸らすと、習いたてのきっちりとしたお辞儀をすべく腹に力を込めて、腰から綺麗に上体を曲げていく。

「……っ……」

 息が…詰まる。
 下腹に力を込めた事で、ぐりゅりと体内で性具が蠢き…有利の感じやすい肉粒を責め上げたのだ。

『やだ……っ…』

 啜り泣きそうなのを必死で堪える。

 このまま、へたり込んでしまわないうちに行ってしまって欲しい。
 せめて…情けない姿でコンラートの脚を引っ張らないで済むように…。 


  




コンラートside:D



[観光に行きたい]

 朝になってから唐突にウォルノックが切り出した。
 彼がルームサービスを希望したので大きな居間に運び込ませて朝食を口にしたが、全て砂を噛むようだった。

 明朝…コンラートの携帯に明らかな脅迫文が送られてきた。
 それは、有利に対するコンラートの想いを挑発するような内容だった。

 ヨザックは夜通し高速道路を駆けているだろうが、間に合わなかった場合…有利はどうなるのだろうか?

[分かりました]

 努めて笑顔を浮かべようとするのだが、顔色が青ざめてしまうのは隠しようがない。
 いっそ、体調が悪いことにしてしまおうか?
 いや…そうなればウォルノックが外出を止めるだけだろう。体調が悪いといった手前、外出することも出来ずベッドに張り付いていなければなるまい。

 悶々と思案しながら外出の用意を済ませると、鏡に映った自分は一晩でげっそりと窶れてしまったように見える。

『情けないな…』

 グリエ・ヨザックに縋り付く以外、本当に方法はなかったのだろうか?
 この気むずかし屋の富豪とて、説得すれば何とかなるのではないか?

 そう思ってカフェで一服することを提案するが、あからさまに嫌そうな顔で拒絶されてしまう。

[君…あそこのウェイターと友人のようだったな。個人的な用事であれば、私との用事を済ませてからにしたまえ]

『この偏屈爺っ!』

 怒鳴りつけてやりたい。
 怒りを噛み殺して唇を噛めば、ウォルノックは何かを言いかけるが…結局、《行くぞ》とだけ言い捨てて杖をつき始めた。

  

*   *   *




 コンラートがウォルノックの手を取りながら重い足取りでタラップに近づいていくと、生成のエプロンを纏った学生服姿の少年と出くわした。 

 有利だ。

「……あ……」

 二人の間に会話はなかった。
 ただ…有利が一声、絶望に満ちた声を上げたことで…彼の体内に脅迫通りのことが起こっているのだと知れる。

 騙された事を直感したのだろう顔は強張っているけれど、熔け始めた肉体はいい知れない色香を纏ってしどけなくよろめき、こんな状況でなければすぐ傍の部屋に連れ込んで突き上げてしまいたいほど艶めいて見えた。

『ユーリ…っ!』

 衝撃で、頽(くずお)れてくれれば良いと思った。
 そうすれば、急に体調の悪くなった子どもを介抱するという名目で彼に触れることが出来たろう。

 けれど、有利はそうしなかった。

 晴れやかに胸を張り…声を張って元気に挨拶したのだった。

 
「お客様…行ってらっしゃいませ!良い観光になりますように」


 《俺は大丈夫だよ》…そう、コンラートに伝えるように笑う。
 何もかも自分の中に飲み込んだまま、コンラートには伝えずに自分で処理しようというのか…?

 コンラートの仕事を邪魔しないように…。
 

『そんなことは…させない!』


 初めて出会った時のように、衝撃がコンラートの身を貫いた。
 会社に迷惑を掛けることになるかも知れないとか…そんなことはもうどうでも良かった。

 償いは何らかの形でする。
 …してみせる。

 だから…今はこの健気な恋人を抱きしめさせて欲しい。


「ユーリ…!」


 脚を踏み出し、両腕で抱きしめた途端…張りつめた何かが解けてしまったように有利の身体から力が失われた。

「コン…ラッド……」



 啜り泣くような…けれど、何処かに悦びを滲ませた声をひとつあげて…有利は意識を失った。








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