「グリューネヒルダ号の変人」B

有利side:C
『コンラッド、ホントに…こ、こんなの見たいのかな?』
トイレに入ってからも、メールに綴られた文章に有利は戸惑い続けていた。
《こんなに近くにいるのに、有利に触れることが出来なくて寂しいよ》…ここまでは良い。有利にだってよく分かる。だって、有利も全く同じ気持ちだからだ。
けれど…これはどうなのだろう?
《ねぇ…ユーリ、お願いを聞いてくれる?ユーリがお尻の孔を弄っているところ、メールに添付して送ってくれないかな?》
『それをドゥーするんですかコンラッドさんっ!?』
榊が居なければところ構わず転げ回り、叫んでしまったことだろう。
あのコンラッドが…確かに、セックスを始めれば意外とねちっこい所もあるんだなと知り始めた彼ではあるが、まさか…まさか、こんなフェチっぽいプレイを要求してくるとは思わなかった…っ!
電話で確認したくとも、お泊まり接待中であることを考えるとそれは難しいし、そもそも、うっかり繋がった場合なんと言って問いただせばいいのか分からない。
それでも、不思議なほど嫌悪感は感じない自分に一番驚いてしまう。
恥ずかしいのは物凄く恥ずかしいのに…どこかで、疼くように囁く声がするのだ。
『こんなに求められて…嬉しい』
優れた社会人である彼が、重要な商談の相手への接待中に堪えきれないくらいの性衝動を覚えている。
そして、その対象は渋谷有利…自分なのだ!
その事が、少し歪んだ自尊心を満足させていることに複雑な悦びを感じてしまっている。
《どうしよう》と戸惑いながらも、少しずつコンラートが求める映像を撮ろうと準備を進めてしまうことから、自分の心の動きが垣間見えてしまう。
だがしかし、有利はすぐに知ることになる。
コンラートとセックスするようになったとはいえ…自分が、基本的には性的な行為についてあまり詳しくないのだということに…。
* * *
『いて…っ…痛ててっ!』
思い切って下着ごとズボンを下ろし、有利なりにちょっと色っぽく斜め体操座りなどして双丘の間で窄む蕾に指先を入れてみたは良いが…これが、痛い。
『えー?何でこんなに痛いんだ?』
頭上に沢山の疑問符を飛ばしながらも、何とか目的を果たしたくてグイグイ突っ込もうとするのだが、乾いた指先は一節入り込んだだけで何とも言えない痛みと不快感をもたらす。
『コンラッドに触られた時は凄く気持ちよかったのに…』
恥ずかしいくらいに感じて、最近では危うくこちらの刺激だけで達してしまいそうになるほどコンラートの手管に耽溺していたものだが、どうして自分でやるとこんなに痛いのだろう?
解答から言えば、通常男性の肛門が何の前戯も無しに緩む事は考えにくく、有利のようにローションすらつけずに突っ込めば痛くて当たり前なのである。
だが、そこのところが有利には分からず、涙と鼻水が出るほど頑張ったにもかかわらず、撮れた映像はかなり《痛そう》なものになってしまった。
蕾や花茎は自分自身の行為に怯えるように縮こまり、そこを犯す指もどこか所在なげである。
『……………これで、癒されるのかな?』
癒されるというより、嫌がられないだろうか?
後者の可能性をギュンギュン感じつつも、有利は《折角撮ったんだし…》と、コンラートの携帯に送信してみた。
この時…有利の指先が特に意図せずして、つるっと滑った。
メールを送信する時、いつも有利は受信履歴から返信する形で送る。電話帳で《コンラッド》を探すのが面倒だからだ。
なので、この時も先程送られてきた《指令メール》への返信という形で送ろうとした。
だが…どういう運命の巡り合わせなのだろうか?
有利の指はその一つ下…本物のコンラートが送ってきた方の履歴を使って返信したのである。
このことが後々自分を救うことになるとは、この時の有利には全く予想もつかなかった。
榊side:B
有利が溜息をつきながらトイレから出てきた時、榊は首を捻った。
『渋谷…結局メールは送らなかったのかな?』
先程有利がシャワーを浴びている間に、榊は有利の携帯に手を加えていた。
登録されていたコンラートのメール番号を部分的に変更して、以前の番号を自分のメール番号にしてしまい、更に有利の番号についても変更し、それは自分のPCの方のメール番号にした。そして榊の携帯とPCはそれぞれに送られたメールを自動転送出来るようにしたから…有利が送った恥ずかしい映像は榊に届くはずなのだ。
電話帳の登録も変えたし、先程《コンラッド》から届いたように見せかけた指令メールもその番号から発信しているので、届かないということは…直前になってやはり思い直したのだろうか?普段の言動から考えると、異様さが目立ったのかも知れない。
『くそ…。コンラート・ウェラーめ。あの渋谷を相手にしてどれだけ健全な交際をしているんだっ!』
思わず的はずれな怒りさえ覚えてしまう。
榊がもしも有利の恋人であれば、あんなプレイやこんなプレイ、あらゆるコスプレや道具に手を出すのに…っ!と、憤りが込み上げてくる。
『渋谷に健全男なんて…宝の持ち腐れじゃないか!』
健やかに見えるのに、時折…はっとするほど艶めいた仕草を見せる有利を開花させずして何が恋人か!
自分の変態ぶりを棚に上げて、榊は大いに憤った。
『そうだ…拙いぞ?今夜中に…渋谷が眠ってしまう前に何とかいやらしい映像を撮っておかないと、明日何かの拍子に渋谷とコンラートが口をきいたら台無しだ』
有利の携帯を弄ることが出来たのは、状況的に見て榊しか居ない。
何の映像も撮れず変態的なメールを送ったことがばれたりしたら困るではないか。
何とかして早いとこ映像を撮って、有利の携帯を元の状態に戻さねばならない。
少なくとも、証拠さえなければ幾らでも言い逃れは出来る…少なくとも欲に目のくらんだ榊はそう考えた。
コンラートside:B
ぷるる…
ぷるる…
パジャマの胸ポケットで静かに携帯が震えると、コンラートは珈琲を啜るのを止めた。
それは結果的に幸いであった。もしも片手間に珈琲を飲んだりしていたら、間違いなく高価な絨毯の上に茶色い液体を散布することになっただろう。
「……?」
メールを受けて最初に覚えたのは、疑問だった。
送り主が不明だったからである。
コンラートのメール番号はいやに複雑で長いので滅多に迷惑メールは入らないのだが、珍しく届いてしまったのだろうか?そう思って削除しようとした手がふと止まる。
「あれ…?」
番号の先頭にある文字が、《yuri》なのだ。
その後にも見覚えのある番号が続いていく。これは…有利からのメールではないのだろうか?それにしては、何故送り主の名前が表示されないのだろう?
偶然にしては奇妙な気がして、コンラートはその送り主不明番号と、登録してある有利のメール番号をメモに書き出して確認してみた。
「1文字だけ…違うな」
メカ音痴の彼のことだから、ひょっとして何か機能を弄っている時に番号が変わってしまったのかも知れない。
携帯だし、うっかり本文だけ見ても妙なウイルスに感染する危険性はそんなになかろうとも思うので、取りあえず見てみることにした。
「……………?…」
ますます妙だ。
有利にしては珍しく写真が添付されており、本文には《これで良かったのかなぁ?ゴメンな、コンラッドが見たいって言ってくれたのに上手く写せなくて》…と、困ったような文章が綴られている。
「見たい…?俺が…?」
そんなことを言ったことがあったろうか?
少なくとも、ここ最近はないはずだ。
しかし…文章の感じや、コンラートを《コンラッド》と呼ぶことから見てもこれは有利からのものに間違いないだろう。
《ポチっとな》…と、時々有利が口にするフレーズを無意識のうちに呟きながら添付映像を展開すれば…。
「……な…っ!?…」
画面に表示された映像に絶句してしまう。
そこに映し出されていたのは、あられもない陰部の映像であった。
一瞬ぎょっとして目を逸らしそうになったが、記憶を刺激されてまじまじと凝視すれば…それが有利の恥部であることが見て取れる。
華奢な体躯を縮こませて、自らの指を蕾に含ませているなんて…一体どうしてあの有利が、自らこんな映像を送ってきたのだろうか?
『怒っているのか?』
お互いの用事によるものとはいえ、2ヶ月も放置していた恋人を責めているのだろうか?
いや…それにしては本文が妙だ。
では、欲求不満なのだろうか?コンラートに抱かれたくて堪らない想いを伝え…て、いや、だからそれも本文の文意からするとおかしいだろう。
結論として浮かんだのは、やけに馴れ馴れしかった《先輩》の存在だった。
何が目的かは分からないが、彼が何らかの形で関わっているに違いない。
誰かの介入無しに有利がこんな恥ずかしい姿を写す筈がないのだ。
実際、映像をよく見れば花茎も怯えたように縮み上がっており、全く快楽を感じている様子はなかった。
『ユーリ…今度は一体何に巻き込まれているんだ!?』
出会いのきっかけとなった事件からいってかなり異常だったが、その後もコンラートに絡む事件で有利はえらい目に遭わされている。どうやら、コンラートたち二人は極まっとうな互いの資質とは裏腹に、変態的な事件に極めて巻き込まれやすい運命にあるらしい。
激しい胸騒ぎに腰を上げるが、不意に扉がノックされた。
「ヘル・ウェラー…起きているのかね?」
「はい!」
ウォルノックだ。
「では、チェスでも付きあわんかね」
『嫌です』
…そう言えたらどんなに良いだろう!
目の幅の涙が滝のように流れそうだ。
『くそ…っ!』
有利の身に危険が及んでいることが明確であれば、今すぐ行って駆けつけるのだが…これだけでは証拠にならない。
「少々お待ち下さい。身なりを整えてから参ります」
「うむ」
流石に就寝中に起こしたことで無理強いは出来ないのか、珍しくウォルノックは扉の向こうで《待機》体制に入っている。
今の内に、可能な限りの処置をすべきだろう。
懸念を抱きながら有利の携帯に電話をかけるが繋がらず、先程送られた番号にメールを返信すると送ることは送れたのだが、例の先輩がどのような形で介入してくるか分かったものではない。
直接会いに行くという手もあるが、その場合…どのような手段に出てくるか分からない。
下手をすれば、酷く有利を傷つけることになるかも知れないのだ。
『あいつに頼るしかないか…』
コンラートはこのような時、便利に動いてくれる友人を一人持ち合わせていた。
ただ…その男は現在東京にいる。
船が港に停泊しているのがせめてもの幸いだが、こんな深夜に連絡して…果たして神戸まで来てくれるだろうか?
代わりに何を要求されるか心配なところではあるが、背に腹は代えられない。
登録された番号に電話を掛けると…
…通じた!
「ヨザ…頼みがある…っ!」
携帯の向こうで寝ぼけた声を出していた友人が、コンラートの懇願にくすくすと嗤った。
おそらく、《お礼》の内容を画策しているに違いない…。
榊side:C
ぷるる…。
有利の携帯が震えた。
けれど、本物のコンラートから送られた文章を有利が目にすることは出来なかった。
届くなり、すぐさま榊が消去してしまったからだ。
何故それが可能であったかと言えば、有利は既に就寝していたからである。
『拙い…!』
榊はコンラートから送られた内容に目を通して真っ青になった。
変態指令によって有利が撮影した映像は…あろうことか、榊ではなくコンラートのもとに届いてしまったのである。
有利が作成したメールを確認して理由が分かった。おそらくは偶然なのだろうが、電話帳でも最新の受信でもなく…一つ前の受信メールに対して返信をしたのである。
『なんて事をするんだ渋谷ーっ!!』
くー…すー…と健やかな寝息を立てる有利をぽかぽかと殴りつけたくなるが、そうもできない。
『どうする…!?』
とにかくしらばっくれるか、《ちょっとした冗談》で言い逃れるか…。
だが、どちらにしても榊が関与したことは幾ら有利でも気付くだろう。それが冗談なのだとしても、かなり悪質なものであることは感じるはずだ。
『どうして…こんな事をしてしまったんだろう?』
覗きだけしていれば良かった。
いや…最初から、こんな形で好きにならなければ良かったのだ。
思えば…躓きの原点は高校受験に失敗したことだった。
エリート揃いの家系に生まれた榊にとって、あの高校は単なる滑り止めであったのだが、インフルエンザに罹患したせいで、受験日が一番早かったあの高校以外はそもそも受験が出来なかったのである。
それでも、最終的に大学で良いところに入ればいいと自分を慰めながら高校生活を送っていた榊は、3年次に運命の出会いを果たしてしまう。
男にも女にも特段の興味を抱いたことの無かった榊だったが…生徒会活動で知り合った渋谷有利の素朴な魅力に気付いてしまったあの日から、何かが壊れ始めた。
男の子らしく可愛い有利を、抱きしめて…色んな事をしたい。
日に日に大きくなっていく欲望との戦いが続いた。
周囲にはそういった嗜好を持つ友人は居なかったし(そもそも、そんなに深い悩みを打ち明けられるような親友も居なかった)、ネットを少し検索すればハードな同性間の性交に関する情報が溢れていた。
『こんなことをしても大丈夫だろうか?』
一度…放課後の学校に二人きりで残る機会があった折に、SMプレイ用の拘束道具を隠し持って有利に話しかけたことがある。
『強姦された女の子が、した側の男を好きになることってアリだと思う?』
《良く漫画や小説で見るよね》…等と会話の中に織り込んだその質問に、有利はゆっくりと思案していた。
そして出した答えは、《少し的はずれかも知れないけど…》と断った上で、
『俺だったら、押し倒したいくらい好きな人は大事にしたいから、絶対強姦とかはヤダ。だって傷つくと思う。その後たまたま恋人同士になれても、ずっとそれは引きずっちゃうと思うな…』
…というものだった。
引き出しの中にしまっていた紅いロープを握る手が、酷く汗ばんでいた事を今でも覚えている。
『俺…彼女居ない歴16年だから説得力ないかも知れないけど、大好きになった人は誰よりも大事にして、幸せにしてあげたい。だから…強姦とかは絶対にしない』
きっぱりと言い切る瞳は…低俗な性情報が氾濫する現代社会の中で、清楚に咲く一輪の華のようだった。
それで、想いを断ち切れば良かった。
けど…出来なかった。
《強姦が駄目なら》…と、ますます陰に籠もった嗜好は榊をストーカーに仕立て上げ、有利が口にしたペットボトルの収集から盗撮まで、幅広い犯罪行為に手を染めてしまった。
それも卒業と同時に断ち切れるかと思いきや…念願通りの大学に合格し、物腰の穏やかな秀才君に群がる女性にも事欠かなかったというのに、有利のことが忘れられなかった。
彼の為に買い込んだ《道具》が部屋に溢れ、妄想が歯止め無く広がっていく中で…とうとう榊は決断してしまったのだった。
こうして、能動的に有利を動かして淫らな映像を撮ることを。
『バレたら終わりだ。バレたら…渋谷は僕をどんな目で見るんだろうか?』
《好きな人は絶対に傷つけない》と言い切った有利のことだ、榊を見る目は明らかに違うものになるに違いない。
《変態…!》
《先輩がそんな人だったなんて…ショックだよ…っ!》
ああ…痛烈な批判が脳髄を揺るがせる。
『くそ…くそぉ…っ!どうしたら良いんだ!?』
明るみに出ないで済む方法…。
有利に軽蔑されずに済む方法…。
『……そうだ…こうなったら、この方法しかない』
コンラートの口を…塞ぐのだ。
決して、彼の口から今回のことが出ないようにするには、彼の弱みを握るしかない。
『出来るか…?僕に……』
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
基本的に防衛本能の強い小心者である榊にとって、攻勢に出るという選択肢は余程追いつめられないと出てこないのである。
しかし…やるしかない。
榊は引き出しを開けると、有利の為に用意した…ずっと使う宛のなかった《道具》に手を伸ばした。
この方法に有利とコンラートが引っかかってくれるかどうか、それが榊の運命を決める。
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