「グリューネヒルダ号の変人」A

有利side:A
「ねえ、渋谷…あの人達と知り合いなのかい?」
「さっきの人?若い方はコンラッドっていって、俺の…その、家庭教師なんです。お爺ちゃんは知らない人でした」
「コンラート・ウェラーが家庭教師!?」
榊の驚きに、有利の方がきょとんとしてしまう。
「先輩、知ってるんですか?」
「直接的な面識はないけど、噂位は…ね。彼はドイツ有数の名家シュピッツヴェーグ家の次男なんだよ。ただ、家門は継がなかったから父方のウェラー姓を名乗ってるみたいだけどね。確か…ヴォルテール家とビーレフェルト家っていう、これまた名家とも縁続きになってる筈だよ?そのせいか欧米の上流階級に対する接待で重宝されてるみたいで、さっきのキーツ・ウォルノックみたいな富豪と一緒に、この船に乗ることも多いんだ」
「コンラッドって…そんなに凄いんだ…」
仕事が良くできるとは推測していたけれど、まさかそんなに有利とかけ離れた世界に住んでいるとは思わなかった。
「ウォルノック氏は決まった執事を指名してスウィートルームに泊まるんだけど、今回は多分ウェラー氏を執事代わりにするんだろうね」
「ええ…っ!?コンラッド、お爺ちゃんと新婚さん部屋に泊まるの?」
「渋谷…ひょっとしてスウィートを《甘い》って意味だと思ってない?」
「違うんですか!?」
榊はくすくすと苦笑した。良くある間違いだからだ。
「《ひと組》とか《一揃い》っていう意味で、続き部屋のことを言うんだよ。ウォルノック氏は家族がいないから本来はミニスィートくらいで十分なんだろうけど、専属の執事をつけられるのはスウィートからだからね」
「ふへぇ…」
スウィートの意味は知らなかったが、部屋の構造は乗船時に見学で見せて貰った。
この船で一番高価な部屋は800平方メートルという無駄に巨大な総面積を誇り、広々とした居間に複数の寝室をもっている。豪奢な室内設備の中でも特筆すべきは、浴槽が大理石で、ベランダにもジャグジーがついているという点だ。
視界いっぱいに広がる大海原を眺めながらの入浴など、風呂好きには堪らないシチュエーションだ。
『コンラッド…そんな部屋にお爺ちゃんと泊まるのかー…』
背中を流してあげたりするのだろうか?
羨ましいんだか寂しそうなんだかよく分からない。
ああいう大きな部屋には、大家族でわんさか泊まるほうが楽しそうだ。
でも、実際の大家族はインドのマハラジャみたいな妾どっさり家庭でない限り、ああいう部屋には泊まらないのだろう。
「そうなんだ…コンラッド、そんな凄い部屋に泊まっちゃうような人なんだ」
何やら、急に彼が遠い存在に感じられてしまい、しょんぼりと肩が落ちる。
同じ船に乗っていても、この差はなんだろう?
片や(老人の付き添いとはいえ)スウィートに泊まり、片や学生服にエプロンという微妙な姿でバイト生活とは…!
『変に声とか掛けたら、コンラッドの株が下がっちゃうかも知れないな…』
榊だって、コンラートが有利の家庭教師をしていると聞いて驚愕していた。本来、そんなことをしている人ではないのだろう。
「渋谷…どうかしたのかい?」
泣きそうな顔をしているのを心配したのか、榊が気遣わしげに頬を掌で包み込んだ。
ハーフだかクォーターだかで欧米の血が入っているらしい榊は、海外生活も何年か過ごしていたそうで一時的接触が多いのだが、鬱陶しいくらい実兄に引っ付かれて暮らしている有利の場合あまり気にならない。
これで相手がコンラッドになると話は違うのだが…。
「なんでもないです」
ふるる…っと首を振ると、有利は空を見あげた。
7月の晴れ渡る夏空は目に沁みるくらい蒼くて、うじうじした気分を幾らか吹き飛ばしてくれる。
『そーだよ、うじうじすんな渋谷有利!コンラッドに比べて俺がちっちゃな存在だって事は百も承知だろ?』
それでもなお彼のことを好きだと主張する為には、拗ねたり自分を卑下したりしている場合ではない。少しでも彼に近づけるように、自分自身を磨くことだ。
その為には身近な物事こそ大切にすべきだろう。
『ここでの俺の仕事はなんだ?』
有利は辺りを見回すと、カフェの中で物言いたげだったり寂しそうにしていたりしているお客さんがいないか目を凝らした。
「お客様…」
早速寂しげな面差しの老婦人を見つけると、とと…っと駆け寄ってお天気の話をしてみた。
カフェ《ツォップ》でバイトに励むこと。
それが今、有利に出来る一番の仕事だ。
朗らかに老婦人との会話が弾んでいると、柔らかい声で話しかけてくる者がいた。
[ミセス・カールトン、渋谷君、お話が弾んでいるようですね]
言語は英語であったので、有利にも何とか理解できる。
声の主はグリューネヒルダ号の船長ディルタ・シュミットで、40〜50代の壮年の紳士だ。
シュミットは一般的な船長と同じように機関部も管掌するが、更にホテル部門も統轄し、乗客との社交も重要な職務としているから、こうして日中の平坦な航行中には色んな部署を回って声を掛けるのである。
驚いたことに、こういう豪華客船では一般航行よりもこういった社交業務の方が大きな役割を占めているらしい。船長はスピーチの機会も多く、ユーモアのセンスも求められ、また乗客とダンスのパートナーを務めたり、夕食時にはホストとしてテーブルで豊富な話題を提供する役目を負うなど、マルチな才能が求められる役職なのだそうだ。
『コンラッドなんか最適だよな』
マルチな才能、社交的な態度と聞いてすぐにコンラートを思い浮かべてしまうのだから、有利のコンラート贔屓は端から見ると微笑ましいほどであった。
[ええ…本当に。私、この春に夫を亡くしたでしょ?子どもにも恵まれませんでしたし…。こうして思い出のグリューネヒルダ号に乗っていても、何となく寂しくてしょうがなかったの。でも、今はこうしてユーリちゃんが声を掛けてくれるから嬉しくて…!ねえ、キャプテン?ユーリちゃんはいつまでこの船に乗っていられるのかしら?]
[あと二週間弱ですよ、マダム]
[まあ…そんなに早くお別れをしなくてはならないの?]
カールトンはしょんぼりと肩を落としてしまう。
銀に近い白髪を上品に結い上げ、ラベンダー色のワンピースにショールを羽織った老婦人は実に清楚で、《良い年の取り方をした女性》の典型…との印象がある。
有利にも孫に対するように優しく声を掛けてくれるので、そんな彼女に落ち込まれると慌ててしまう。
[えと…ミセス・カールトン、何かして差し上げられることってないですか?つっても…俺、あんまし芸とかある方じゃないんだけど…]
[まあまあ…ユーリちゃん、本当に良い子ねぇ…!でも、気にしないで?こうしてカフェでアフタヌーンティーを愉しんでいる時に、あなたとお喋りが出来るだけで私はとても幸せよ?]
[ミセス、ユーリを独り占めしては困りますよ?]
有利のことを気に入ってくれているドイツ人の紳士が、豪快に笑いながら声を掛けてきた。
でっぷりと気持ちよいくらい肥えたモルツ・ビンデバルトは大手酒造メーカーの理事長で、子ども達も孫達も申し合わせたように同じ体型をしている。
そのせいか、華奢な有利を見ると居ても立て居られぬように菓子類を注文しては《それ食え》《やれ食え》と食べさせてくれるのだ。
[渋谷君、君は本当にお客様に細かなサービスの出来る子なんだね。こんなにお客様達から愛されるクルーはなかなか居ないよ?]
[そ…そんなことないです!俺、全然ちゃんとできてなくて…それなのに、いっぱいバイト代貰っちゃってごめんなさい]
[日本人は本当に謙遜が好きだねぇ…。でも、そもすると卑屈とも受け止められる謙遜も、君がいうと実に愛らしいのが不思議だな。英司は本当に良いクルーを紹介してくれたものだ]
そう、有利がこんなにも良い条件でバイトさせて貰っているのは、榊を介してこの船長からの口利きが効力を持っているからなのだ。
[そうでしょう?叔父様]
自分のことのように誇らしげに榊が言うと、シュミットは《全くだ》と言いたげに頷いた。
[英司が随分強く推薦してくるから驚いたけどね]
[そんなにプッシュしてくれたんですか?]
[ああ、あまり人に関わりを持つ子ではないから心配していたんだが、こんなに後輩想いなら教師という仕事もやっていけるかも知れないね]
嬉しそうに相好を崩すと、品の良い笑い皺が浮かぶ。
本当に甥を大切に思っているのだろう。
[ねえ、ユーリちゃん…。良かったら長崎港を出た後も、夏期休暇の終わりまでは船に乗っていてくれない?勿論、帰りの飛行機代は出すし特別ボーナスも個人的に出すわよ?そうだわ…!船長、それまではユーリちゃんを私の専属執事に出来ないかしら?]
[ミーセースー…困りますよ?ユーリはこのカフェの天使なんですから!専属にされては、俺たちが声を掛けられないではないですか]
ふとっちょのビンデバルトは腹を揺らしながら不満を訴える。
すると、他のお客さん達も口々に同じようなことを訴えるのだった。
まこと、有利としては面はゆさにどんな顔をして良いのか分からない状態だ。
榊side:A
『こんなに渋谷が受け入れられるとは思わなかったな』
榊にとって、有利を強引にこの船に乗せたのはひとえに盗撮の為であって、客受けの良さを想定していたわけではない。
室内の管理は《自分でするから》と言っているので、甥に甘いシュミット船長は清掃員などを敢えて入れることもない。おかげで、安心して小型カメラを埋め込むことが出来た。
有利が予想外に上流階級受けしているのは、一流のサービスを受け慣れた者だからこそ新鮮さを感じるのかも知れない。
執事にしろメイドにしろ、それを職業とする者の慣れた動作は無駄が無く、スムーズだ。けれどその一方で玄人ぶりが鼻につき、《仕事》としてその業務に携わっているという感じがするのだろう。
その点、有利のサービスはとにかく《一生懸命》な様子に好感が集まる。
日本人としても華奢な体格をしているせいか、欧米人から見るとちいさな子どもがお手伝いしているような微笑ましさを感じるのかも知れない。
[ミセス・カールトン、ごめんなさい…。俺、草野球の試合とかもあるから長崎で降りなくちゃなんないんです]
[まあ…寂しいわ]
[俺も寂しいよユーリ]
有利が断ると、お客さん達は一様にがっかりした様子であった。
サービスがどうこう以前に、有利に会えなくなること自体がとても残念であるらしい。
『まぁ…分かる気はするな』
榊とてそうだ。
卒業すれば…強制的に離断されれば有利のことを忘れられると思っていたのに、それは無理だった。
榊の妄想の中ではどんな行為でも笑顔で応じ、あらゆる痴態を演じてみせる有利も、離れている時間が長くなるほど脳の中で変質して、しまいには《何処が渋谷だ》と自分で突っ込みたくなるほど原型を留めなくなっていた。
そうなると、猛烈に彼の《正確な映像》が欲しくなった。
何度再生しても色褪せない、完璧な映像が。
『2週間経ったら…また、会えなくなるんだ』
榊は焦った。
少しでも淫らな映像が欲しい。
その為には何が必要だ?
後輩思いのやさしい先輩…その瞳の奥で、猛禽類の渇望が燃えていた。
* * *
その夜、榊はPCの前で驚喜することとなった。
『渋谷…今日は一体どうしたんだい?』
有利はシャワールームの壁に背を預けると股間を突き出すようにして、艶かしい吐息を漏らしながら…シャツの合間から差し込んだ手で胸の桜粒を弄り、下着の中から半ば抜き出した花茎をくちゅくちゅと擦り上げていた。
濃いピンク色に咲く花茎の先端を大写しにすれば、鈴口を濡らして蜜が溢れ出し…ふるる…っと揺れる。別の画面では顔にズームしていけば、これまで妄想の中でも見たことがないほど妖艶な有利が居た。半ば開いた唇からあえやかな吐息と共に紅色の舌が垣間見え、濡れた質感がなまめかしく榊を誘っているのに…下品だとは感じられない。
妄想の中にあった貌よりも遙かに清らかだからこそ、羞恥を感じながら淫らな行為に耽る様がたまらなく《有利らしい》のだ。
『ああ…イメージよりも更に佳い貌をしているよ渋谷っ!なんて可愛いんだ…。ああ…ぐちゃぐちゃにしてあげたくなるよ…っ!』
実際には、榊自身は手を出せない。
自己保身の本能が極めて強いことと、何より…有利に嫌われることだけは避けたいのだ。
だから、有利自らが《先輩…俺のこと抱いて?》と可愛く迫ってくるか、こうして自慰に耽る様子を見詰めることしかできない。
その分、なんとしても更なる映像を撮りたいという欲望はいや増していく。
その時…音声マイクが捉えた小さな音がPCから聞こえた。
《コンラッド…っ…》
達して、水色のタイルに白濁を飛び散らせた有利が喘ぐように口にした言葉は、《家庭教師》をしているというコンラート・ウェラーの名であった。
『え…?』
一瞬…有利がコンラートと恋仲なのかと疑ったが、その疑いはすぐに打ち消される。
榊の情報によると、確かに色気のある彼は男女を問わず魅了しているから、迫ってくる男の数や質も凄いそうだが、彼自身は全くのストレートという話だ。
トップクラスの男性モデルがコンラートにこっぴどく振られ、酒場で自棄酒していたというのは有名な話らしい。
そんな彼が、幾ら可愛いとは言え有利に手出しなどする筈はないだろう。
『じゃあ、有利の方が熱を上げてるわけだ…』
あれだけ格好良い青年が、どういった気まぐれか家庭教師でマンツーマンの指導をすれば、そういった気持ちになってもおかしくはないだろう。
榊もそれを狙って雰囲気作りをしてきたわけだが、有利が反応しないわけである。コンラートクラスの男に惚れているのなら、榊程度が色気を出したところでどんな色味がつくというものでもあるまい。
『ふぅん…コンラート・ウェラーね…』
榊は画面の中で、有利が真っ赤な顔をして恥ずかしそうに白濁を流す様子を確認しながら、無防備に放置された青いフォルムの携帯電話を手に取った。
勿論、榊の物ではない。有利の所有物だ。
トト…っと手早く電話帳を確認すれば、すぐに《コンラッド》というメール番号が出てくる。すぅ…っと目を眇め、短いコードで素早くPCと携帯を結んでデータを取り込む。
データの移行が完了した後、何事も無かったように携帯を元の位置に戻すとPCに取り込んだデータを確認する。
「……っ!?」
コンラートと有利が取り交わしたメール内容に、榊の口角がひくりと歪む。そこに書かれていた内容は…二人が肉体的な関係にあることを匂わせていた。有利から送られたものだけではなく、コンラートから送られたものにも濃厚に恋人同士の甘い言葉が綴られている。
『渋谷…渋谷……君、コンラート・ウェラーと肉体関係にあるのか!?』
トカカ…っと激しくキーを叩いて携帯のカメラで撮影した映像を見ると、二人で頬を合わせて照れ笑いしながら映っている映像があった。
背景は…洒落たマンションの一室であることが伺われる。
有利のものではあり得ない。これは…コンラートの部屋に違いない…!
かぁあ…っ!
脳の中が灼けつくような衝撃があった。
清らかで、性的なことなど想像の中でしか知らないとばかり思っていた有利が、まさかあんな《彼氏》を持っているなど…!
驚きと悔しさがぐらぐらと沸きたち、2〜3分は自分でもどうして良いのか分からないくらい動揺していたのだけど…。不意に榊は気が付いた。
『そうだ…男とセックスしまくってるような渋谷なら、凄い映像が撮れるんじゃないのか?』
榊はもともと歪んでいた感情をぐるっと廻って一回転させて、欲望を《有利の淫らな姿を映像に収める》というものに特化すると、やっと心の折り合いが付いた。
榊は淫蕩な笑みを浮かべると有利の携帯を再び手に取り、《必要な加工》を施していったのだった…。
コンラートside:A
キーツ・ウォルノックの就寝時間は早い。
9時に老人を寝かしつけると、彼の隣の寝室を宛われたコンラートは漸く開放された。
ウォルノックは自分に干渉されるのは嫌いだが、自分の相手をしている者が通話やメールのやりとりをすることを極端に嫌う為、彼の視界の中で携帯やPCを弄ることは御法度とされているのだ。
漸く開けることの出来た携帯電話でメールを確認すると、夕方の時間帯に一通届いていた。
《お仕事中に声掛けてゴメンね。一緒にいたお爺ちゃん、気を悪くしてなかった?》…有利らしい言い回しに苦笑してしまう。世界の経済界に名を知られた富豪ウォルノック氏も、有利の手に掛かれば《お爺ちゃん》なのだ。
《俺ね、学校の先輩の口利きで、長崎港まではこの船のカフェでバイトしてるんだ。良かったら、明日にでもお爺ちゃんと一緒に一服しに来てくれない?》…ふむ、それはどうだろう?現在のコンラートは、個人の思惑で行動することが難しいのだ。
神戸港には一週間程度停泊するから、多くの客は神戸・大阪・京都方面にツアー、ないし個人で遊びに行くことになっている。気まぐれなウォルノックが明日以降どういう計画でいるのかは教えて貰えなかった。
『俺の意図でカフェに行こうとしているのが見え見えだと、意地になって邪魔されそうだな…』
ウォルノックは昔から偏屈者で通っていたらしいが、ここ近年は特にその傾向が顕著だ。
何か良い方法はないかと思案してはみたが、なかなか良いアイデアが浮かばないまま悶々としている内に《ぷるる》…と携帯が震えた。
『ユーリ!』
有利からメールが一通届いていた。開いてみれば、そこには…信じられないくらい赤裸々な想いが語られていた。
コンラートのことを想うと身体が疼くこと…思いがけず会えたことで、自慰をしてしまったことを恥じながらも、《コンラッドが欲しいよ…》と、告げている。
『ユーリが…こんなことを…?』
これまでは面と向かっては勿論のこと、メールを介してもここまで直截な表現をすることはなかったのだが、文章の特徴は覚えのあるものだし、発信者は以前登録したとおり《ユーリ》となっている。
『くそ…何とかして会えないかな?』
もどかしくて、コンラートは携帯を握ったまま煩悶した。
ウォルノックは眠りが浅い。
夜間だからと言って迂闊に外出すると、《眠れなくて時間を持て余していたのに相手をしなかった》と責められる心配がある。
『ユーリ…ユーリ、会いたいよ…俺も』
コンラートは正直な想いを綴って返信すると、これも届けとばかりに携帯へとキスを送った。
彼が送ったままの文章が直接有利に届くことはなく、ある《介在者》のもとに送られるとも知らぬまま…。
有利side:B
『や…やっちゃった……』
浴室から出てきた有利は、《変な声が漏れたりしなかったかな?》とドキマギしながら榊に視線を送った。
しかし、榊はPCでメールの遣り取りでもしているのか、特に変わった様子はない。
日中、思いがけず出会ったコンラートは上質な夏物スーツに身を包んでおり、仕事用の顔をして大人の雰囲気を漂わせていたものだから…シャワールームに入ると我慢がきかなくなってしまった。
榊の方がいつも先にシャワールームを使うから、その中には立ち込める湯気と石鹸類で独特の香りが漂っている。それを鼻腔に感じることで、コンラートとの濃密な逢瀬が蘇ってしまったのだ。
コンラートの部屋で勉強を見て貰っていると、ふ…っと会話が途切れた瞬間、《気の良いお兄さん》は微かに気配を変える。
琥珀色の眼差しに睫の影が落ち…奥に怖いくらいの熱が孕むのを感じると、背筋から尾骨の先へと甘い電流が伝い降りていく。
有利は、コンラートの唇を知っている。
その薄く形良い唇が奏でる甘い囁きがどれほど自分を狂わせるのかも、触れられれば肌があわ立ち、あえやかに身体がしなってしまうことも…。
長い指が有利の桜粒を掠めるだけで、花茎の先が濡れてしまうことも…もう、この身体で知っている。《待ちきれない》と言いたげに、あの指がネクタイごと襟元をくつろげる動作が堪らなくセクシーなのだということも…。
二人とも男の身体をこんな風に貪り合うなんて、知識では多少知っていても興味など欠片もなかったはずなのに、互いの身だけは特別な何かに引き寄せられるように求めてしまう。
居間のソファや寝室で情を交わした後…二人で身を清め合う間にも、何度も欲情が再燃して陰部を擦りつけあい、互いの性器を口や手で愛してしまった。
『コンラッドの唇が…俺のあそこを銜えてるトコ、思い出しちゃったんだよね…』
シャワールームの香りで蘇った感覚に、耐えきれなくて…何も知らない先輩が薄い壁を隔てて存在することにも背徳的な欲望を感じたのかも知れない。
止められずに吐精した後、残ったのは羞恥と…耐え難いほどの渇望であった。
『やばいってぇ〜…コンラッドは仕事なんだもん!』
執事代わりに気難しい老人の世話をするとなれば、四六時中機嫌を損ねぬように気を使わねばならない筈だ。
会いたい…会って、彼の肉体に触れあいたい…。
でも、できない。
『我慢我慢我慢!』
自分に言い聞かせて、ザ…ザっと髪を乱暴にタオルで拭う。
「渋谷、さっき携帯が鳴ってたよ?」
「え…っ!?」
飛びつくようにして携帯を手に取ると、着歴はなかったがメールが一通届いていた。
『コンラッドからだ…!』
喜び勇んでメールを開いた有利は…最初きょとんと目を見開いて呆然とし、次いで、これが本当にコンラートから送られたものなのか訝しがるように試すがめすしてみた。
けれど…画面にはやはり送信者《コンラッド》となっており、自分が登録したナンバーから送られてきたものだと証明している。第一、その内容は彼らの関係をよくよく知っていないと書けないものだ。
『嘘…これ、マジでコンラッドが…?』
だとすれば、ひょっとするとコンラートも限界なのかも知れない。
有利を抱きたくて…でも、仕事で制限を受ける身がもどかしくて、こんなフェチっぽいことを要求してきたのだろうか?
『コンラッドが…そうして欲しいって言うなら……』
それで仕事のストレスが少しでも減るというのなら、身体を張ってみようか?
有利は《ごく…》っと唾を飲み込むと、携帯を持ったままトイレに向かった。
もう一度シャワールームに戻るのも不自然だから、鍵の閉まる個室はそこしか思いつかなかったのである。
パタン…
トイレの扉が閉まると同時に、榊の口角が《にやぁ…》っと釣り上がった。
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