「グリューネヒルダ号の変人」@














有利side:@



『なーんか…まだ慣れないなぁ…』

 高校2年生の渋谷有利は学校指定の白い開襟シャツと黒いズボンを身につけており、その上から生成のエプロンを着込んでいるのだが、そこ迄はまぁ良い。ちょっと不釣り合いではあるが学校の文化祭などではよく見られる光景だ。

 慣れないのは…そんな格好の自分が現在存在する場所である。

 7月下旬とあって真っ青な空は突き抜けるようであり、海の碧と空の蒼とが混じり合う水平線は吸い込まれそうなほど美しい。まさに見渡す限り青・蒼・碧といった状態で、大好きな色彩に囲まれて気持ちが良いのは確かなのだが…。
 何と、有利は彼の身分には甚だ不釣り合いな、豪華客船グリューネヒルダ号にあるカフェ、《ツォップ》でウェイターをやっているのである。

 からりと乾いた風が潮の香りを運ぶが、カフェ《ツォップ》ではさほど磯臭さは感じない。通常の客船よりも多く配置された植物が蔦や葉を天蓋に張り巡らせている為だろうか?また、開放感を持ちながらも自然の天蓋のおかげで直射日光を適度に防げるのも魅力的らしく、客達はゆったりと腰掛けて思い思いの時間を過ごしている。

 このカフェの他にも、少し視線を巡らせるだけで複数のレストラン及びバー、ラウンジ、プール、フィットネスクラブ、スパ、美容室、ショップ、劇場、カジノ等が目に飛び込んでくる。
 しかもそれらの施設は全てゆったりとした間取りになっているが、そのわりに客の数が少ない。不景気だから客が来なかった…というわけではなく、この船に於いてはこれが《十分なサービスを提供できる》上限なのである。
 世の中にはこれだけの贅沢をごく当たり前に享受できる身分の階層がいるのだということを、有利は初めて肌身に感じた。

 有利が何故こんな場所にいるかと言えば、高校の先輩…正確には、卒業生の紹介で《割の良いバイト》を紹介されたからだ。
 有利が運営する草野球チームの備品は最近損傷度が上がり、買い換えを必要としていたのだが(もともと、他のチームのお古を貰っていたのだ)、不況の折…社会人選手達の寄付に頼るのは心苦しく、何とか有利の力で資金を稼ぎ出そうと思った。しかし、いつも働いているカフェも台所事情が苦しく様子なので《時間給を上げて》とはとても言えなかった。

 そんな折に普段のバイト先の2倍近い給料を提示され、《チップも弾んで貰えるよ》と誘われれば断る手はない。元のバイト先も夏休み中と言うことで他の学生バイトを確保できているようなので、思い切ってお誘いに乗ってみた。

 確かに、このバイトは金銭的に美味しい。
 だが…それだけに、一体何故自分が呼ばれたのかよく分からない。

『だってさぁ…めっちゃ余裕があるくらい専門の従業員の人がいるし、人によっちゃ個人で専属の執事やメイドさんがついてるんだもんな…。そもそも俺、英語ならコンラッドのおかげで多少会話できるけど、その他の言語となるとどうにもなんないもん』

 その点、専従のウェイターやウェイトレスはいずれも語学に長けているらしく、料理や飲み物の説明から気の利いた会話までそつなくこなしているようだ。彼らは如何にも《一流》と感じさせるアイボリーのシャツと葡萄茶色のズボンやスカートを着込み、同系色の洒落たエプロンをしている。特にバリスタの丈の長いエプロンなどはつい見惚れてしまうほど格好良い。

 有利がこういう格好なのは先輩の指定で《学生バイト》であることを分かりやすく示しているのだという。しかし、先輩も専従ではないのでエプロンは同じ生成なのだが、服装は従業員の制服なのでちょっと不平等だと思う…。

 この格好のこともあり表で注文を取ったりするのが恥ずかしくて、材料の運搬やゴミ処理など下働きをやろうとするのだが、その度に海坊主みたいな体格の青年が重たい麻袋などを取り上げてしまう。
 何処の言葉なのかは分からないが、

[細っこいのに無理すると筋肉痛になるぞ]

 …とでも言っているらしい。
 如何にも《ビール飲んでウインナー喰ってきました》と言った風情の青年は、大きな赤ら顔で嫌みなく笑ってくれるからまだ救われるのだが…ちょっと男としては情けない。

 情けないと言えば、どうも有利は《珍獣扱い》されているような気がする。

 身なりの良い紳士や貴婦人の元へとコーヒーや軽食を運んでいくと、みんなやたら笑顔で有利にチップをくれるし、頻繁に引き留められてお菓子を勧められる。
 初日は《仕事中ですから》と恐縮して固辞しようとしたのだが、カフェ経営者のイギリス人男性が《それも仕事の内だよ》というもので、結局ご相伴にあずかることになった。
 凝った飾り付けのケーキやパルフェ等は一流のパティシエの手によるものらしく、大変美味しいのだが…ぱくぱくと食べる様子を見つめられた上、デジカメで写真撮影などされると困ってしまう。

 フランス語やドイツ語なので正確ではないが、身振り手振りで意味は分かる。

[スプーンを銜えて]
[にっこり上目遣いに微笑んで]

 等とポーズの要求までされるものだから、《助けて》と件の先輩…榊英司に目線で訴えても、やはり《サービスの一環だから》と苦笑で返されてしまった。

『そんなに日本人って珍しいのかなぁ…?外人さんの感覚って分かんない…』

 唇を尖らせて拗ねても、その様子をまた《チャーミング!》《オー、ベリーキューッ!》と興奮気味に撮影されてしまうのだった…。

『うーん…そういえば、コンラッドも時々訳分かんない事言うもんな』

 ふと思い浮かべた《恋人》の姿に、有利の頬は仄かに上気してしまう。

 有利から言わせれば、彼と平凡な高校生男子の自分では全く釣り合わないと思うのだが、彼は何かと言えば《ユーリ…なんて可愛いんだろう》《君みたいに清廉な子は、他にいないよ》…などと、口を極めて褒めそやすのだ。

『コンラッドの方が、ずっとずっと綺麗で格好良いじゃん…』

 電車の中で偶然知り合い、強姦魔の手から文字通り身体を張って救い出してくれた大切な人…彼は、外資系商社に勤めるエリートサラリーマンである。
 自らをひけらかす方ではないから、静かに佇んでいると他を圧するような美貌というわけではないのだけれど…品が良くて機敏な所作だとか、凛とした面差しなどが実に素晴らしい均衡を呈しており、彼の魅力に気付いて見つめればその味わい深い美しさにどんどん惹き込まれてしまうのだ。

『なんていうの?人柄の良さとか…男としての魅力が滲み出てくるんだろうな』

 魅力…そう、彼はとっても魅力的なのだ。
 ふとした瞬間に漂う無意識の色気などは、心構えを幾らしても動悸を止められなくなってしまう。

 あんな人が(男とはいえ…)恋人で居てくれるのだから、有利としてはどんなことでもしてあげたくなってしまう。

『そうだ、バイト代出たら何かプレゼントしようかな!』

 そういった意味では、チップを弾んで貰えるこのバイトは大変ありがたい。
 
『そうだよな。言われてた仕事よりもきついってんならともかく、こんなに楽させて貰ってお金いっぱい貰えるんだから、文句言うなんておかしいよな?』

 そう考えたら、この状況下で自分が望まれている《仕事》を全うすることが真のサービスであるという気がしてきた。
 ふと、コンラートが言っていた言葉も脳裏に浮かぶ。

『その環境に不満がある時、逃げると大抵逃げた先でまた追いつめられてしまう。だから、環境を変えるよりまず自分が変わることを心がけているよ』

 難しい仕事を抱えていると聞いた時に、仕事を辞めたくなったことはないのかと尋ねたら、そういう答えを返してくれたのだ。
 《そうしようって心意気の話だけどね》…なんて言いながら苦笑していたけれど、きっとコンラートは本当にその通り頑張っているのだろう。だからこそ、大きな仕事を任せられるのだ。
 
『ここで、俺に何が出来るのかちゃんと考えてみよう』

 有利は言葉が足りない分、不躾にならない範囲でよくよく観察することにしてみた。
 すると、やはり言葉にして呼びかけはしないけれど、何かを求めるように視線を迷わせている人たちが居ることに気付いた。大抵は控えめな老婦人であったり、呼吸器に異常があるのか、大きな声を出しにくい人たちだった。

 有利はそういったお客さん達の元に駆けつけると、多少辿々しいながらもコンラートに指導して貰った英語力を駆使してなるべく正確にその意図を受け取ると、精一杯の誠意を込めてサービスしていった。


 そんな様子を見守りながら…榊先輩が意味深に微笑んでいるのを有利は知らない。



*   *   *  


  
  

 有利が勤労意欲に目覚めてから3日後、横浜港に停泊していたグリューネヒルダ号は神戸港に向かって出航した。北半球をぐるりと回るこの船は、日本では3週間掛けて小樽・横浜・神戸・長崎を回る事になっている。

 豪華客船には大衆向けの《マス》と呼ばれる階級から一握りの富裕層のみにターゲットを絞った《ブティック》と呼ばれるクラスがあるが、グリューネヒルダ号はその中間帯である《ラグジュアリー》に分類される。

 クルーズ客船の中では上級なサービスを提供するクラスなのだが、一泊400$〜1000$の中級・上級の船室の他に一部4人部屋の下級船室も備えているので、最上級にはなり損ねている…といった船だ。勿論、有利はこの下級船室を宛われているのだが、本来4人で使うところを榊英司と二人で使わせて貰っているので十分ゆったりしている。

 しかも、人の良い榊は有利の夏休みの宿題まで見てくれるのだから大変ありがたい。



「先輩、すみません…ここ、分かんない」
「ああ…これはね?……」

 榊は壁付けの横長テーブルに片肘を突くと、的確なヒントを出して正解へと導いてくれた。先にシャワーを浴びた榊は首にタオルを掛けており、長めの髪先からはまだ雫が数滴落ちかかるが、そんなことは意識に登らないみたいに熱心な指導をしてくれる。

「あ…そっか!サンキュー、先輩っ!やっぱ先輩凄いや。先生に教わるのよりよく分かるっ!」
「どういたしまして」

 有利が《ぱぁ…》っと表情を輝かせて問題を解くと、榊は嬉しそうに微笑んだ。
 背は有利よりも10p以上高いのだが、男にしては少し長めの茶髪と細身の銀縁眼鏡、小綺麗な顔だち、そして穏やかな表情のせいであまり大柄には見えない。如何にも線の細い学徒肌の青年だ。

 有利が1年の時に3年だった彼は生徒会で文化委員長をしており、堅実な勉強を実らせてかなりの難関大学に合格している。
 《天才肌じゃないから》と謙遜する榊だが、その分段階を追って理解に必要な要素を捉えることが上手く、教師を目指しているのは実に良い選択だと思う。
 1年の時にクラスの文化祭実行委員だった有利はすっかりお世話になっており、その時に携帯のメルアドを交換していたことで今回も声を掛けて貰ったのだ。

「何から何まですみません、先輩…。俺、この船乗ってからずっと勉強見て貰ってるけど、先輩の課題とかの邪魔じゃないです?」
「ううん、そんなことないよ?渋谷の勉強見るの楽しいしね」
「もー、先輩ってばいい人!今回もこんなに給料の良いバイト紹介して貰って、凄い助かってますよ」
「そう?こないだちょっと涙目に見えたけどね」
「う…そ、それは…っ…」

 自覚があったので少々口ごもってしまう。

「俺ってろくに仕事も出来てないのに給料ばっか貰ってて、なんか落ち着かなかったんです」
「でも、最近は凄く良い動きをしてるよね。お客さん達もとても喜んでいたよ?」
「そ…そうですか?」
「渋谷ってさ…ああいう、声にならない声を汲み取るのが凄く上手いよね」
「え…?」

 しっとりとした声で囁きかけられて、有利は吃驚してしまう。
 それほど大きくないので分かり難いが、榊の瞳は色が淡く日本人離れしている。その瞳でじぃ…っと見つめられると、有利はきょとんと小首を傾げた。

「俺、そんなに気遣いの良いタイプじゃないですよ!全然専従のウェイターさん達のサービスには適わないし…」
「そんなことない。渋谷は…凄くやさしいよ?」

 息が掛かりそうな近くで榊が囁くので、有利は照れまくってしまう。
 
「えへへ〜。お世辞でも嬉しいや!あんがと、先輩。俺、ちょっと自信出てきたよ!」

 元気も出てきたらしい有利は勢いよく立ち上がると、るんたるんたとシャワールームに向かった。彼の好みから言えば浴槽にしっかりと漬かりたいところだが、流石に下級船室では無理だ。

「お風呂入りまーす」
「ああ…」

 榊は先程まで有利が腰掛けていた椅子に座ると、自分のPCを開いた。







榊side:@



 榊が手慣れた操作で複数の画面を展開すれば…そこには、脱衣場の上方・下方、浴室の上方・壁面・下方から撮影中の5つの映像が浮かぶ。
 その焦点を細かく調整すると、完璧な角度と倍率で映像を記録していった。

『ふふ…渋谷、結構慣れてきたみたいだね?』

 最初の日は結構緊張していて、水を散らしたりしないように緊張しながらシャワーを浴びていたのだが、先程榊に褒められた嬉しさもあってか、今日は脱ぎっぷりが大胆だ。
 勢いよくトランクスごとズボンを引き抜くと、ぷるんと飛び出してくるのは淡紅色の花茎で、根本にはふわふわとした兎のような恥毛が生える。背を曲げて靴下を脱げば、ぱくりと割れた双丘から可愛い蕾が垣間見え…シャツも脱ぎさると適度な胸筋の上に小さな桜粒が載っていた。

『可愛いよ…渋谷……ああ、今日は大胆に下肢を開いて陰部を洗うんだね?』

 榊は食い入るように有利の肉体を見つめ、シャワーの水滴を心地よさそうに受けながら泡を伝わせていく手の動きを追った。
 特に、ごしごしと花茎や陰部を洗う動きは大きくアップにして撮影する。
 すると、手元の操作一つで脱衣所や浴室に仕掛けられた小型カメラが連動するのだ。

『そんな風に強く擦って…ふふ……暑かったからかな?それとも…えっちな汁が出ちゃったのかな?』

 先程榊が迫ったことで反応しているのなら良いのに…。

 《はぁ…っ》…想像の中で榊に犯される有利を想像しながら、ズボン越しに陰茎に触れてみる。既に硬く勃起しきっているが、革製の拘束着ががっちりと締め付けているから、痛みと快楽の入り交じった感覚が締め付けてきて、まるで狭い有利の肉壁を犯しているようだ。
 実際、拘束着の陰茎に接触する部分にはジェルを塗りつけた襞が設置されて、取り外しの効くコンドーム状になっている。拘束された不自由な形状のまま達しても精液が服を汚す心配はない。

 《真面目な優等生》の仮面の下で蠢く《覗き魔》の本性が、切れ長の双弁の奥でちろちろと燃える。突然有利がこちらにやってきても平気だ。陰部さえこの拘束着で誤魔化せていれば、表情など幾らでもやさしげな男の貌にできる。

 《このまま…渋谷も一人エッチしないかな?》と、毎日わくわく期待しながら見つめているのだが、年頃の少年にしては淡泊な性質なのか同室に先輩が居ることを意識しているのか、有利はいっかな自慰に耽ろうとはしない。

 劣情を誘おうとして色々と思わせぶりな行為を仕掛けたり、人を介してエロ本を見せたりしているのだが、余程清廉なのか鈍いのか…その両方なのだとしても、とにかく一人きりで居る時にも性的な行為をしないのだ。
 
 シャワーコックを捻って湯を止めた。どうやら今日も不発らしい。
 しかし…その代わり、昨日上手く映せなかったお尻の孔を食い入るように映し出せたので良しとしよう。もう一度だけそのシーンを再生すると、ぺろりと舌なめずりしながら股間を擦り上げた。

 《ん…くっ》…ドウっと溢れ出した白濁が膨れあがった陰茎とゴムの間でたゆたうのを感じながら、榊は素早くPCのウィンドゥを閉じる。映像はそのまま着衣時間まで撮影を続行するが、有利に画面を見られないよう名残惜しげに操作を終了させた。

『あと…2週間弱か…』

 その間に何としても、有利の淫らな姿を映像に納めたい。
 榊の歪んだ欲望は虎視眈々と後輩を狙っている。






コンラートside:@



「え…ユーリ?」
「コンラッド!」

 思いがけない姿を目にして、コンラート・ウェラーは目を見開いた。有利の方でも目をぱちくりと見開いている。
 
 携帯電話で《2週間ほど泊まり込みのバイトしてくるんだ》とは聞いたが、まさかこんな豪華客船に乗り込んでいるとは思わなかったのだ。

 商用で、極めて重要な資産家の接待することになったコンラートは、神戸港からグリューネヒルダ号に乗り込んだ。
 ドイツの資産家キーツ・ウォルノックは齢73歳の老人で、とにかく気難しいことで知られており、昔…コンラートの本社で社員の一人が機嫌を損ねた為に大きな資金援助を打ち切られそうになったことがあるのだ。その際、コンラートが赴いてあの手この手で攻略した結果、この老人は不機嫌そうな顔つきは変わらなかったもののコンラートの事は気に入ってくれたらしい。おかげで彼に対する接待は世界のどの地点にいてもコンラートの仕事になってしまったのだ。

 今回も別件の用務で神戸に来ていたコンラートは、急に呼ばれて長崎港までの船旅を共にすることになったのである。

 その間の通常業務は持ち込んだパソコンを介して行うことになるが、世界有数の富豪であるウォルノック家の接待は最重要業務である為、余程の仕事でなければそもそも回ってこないかも知れない。
 
「……」

 脚の悪いウォルノックは杖を突きながらカフェに入ってきたのだが、お気に入りのコンラートが自分の知らぬ少年と話し出したのが気にくわないのか、むっつりと押し黙って身を反転させた。

「ヘル・ウォルノック…?」
「部屋に戻る」
「あ…はい」

 ちらりと視線を送れば、有利は《引き留めてゴメンね》と言いたげに笑顔で両手を合わせている。
 気にしてはいないようだ。

 小さく会釈してからウォルノックを追いかけると、横波の大きさのせいか船体が少し揺れる。コンラートは素早くウォルノックの肩を支えたが、同時に有利のことも心配になって振り返ってみると…こちらは大学生くらいの青年が《少し大げさじゃないか?》と言いたくなるような動作で有利を受け止めていた。

「大丈夫?」
「あ…先輩、すみません」

 有利は恐縮して身を離そうとするのに、何故…小さな揺れにまで対応して肩を抱くのか。《イラ…》っと来るものを感じて、コンラートは琥珀色の瞳を眇めた。

「どうかしたのかね?」
「いえ、なんでもありません」

 激しく後ろ髪引かれるものを感じながら、コンラートはウォルノックを自室へと導いた。



*   *   *




 ウォルノックがトイレに入っている間に、有利宛にコンラートがここにいる理由などをメールで知らせたがすぐに返事は来ないだろう。今は昼を少し回った時間帯なので、カフェは忙しい時間帯にはいるところだ。

『ユーリ…エプロンの下は学生服だったな?』

 年頃の近い青年を《先輩》と呼んでいたのは、学校の知り合いなのだろうか?あちらは学生服ではなかったから、卒業生なのかも知れない。
 それにしても、バイトとはいえ何故学生服なのだろうか?

『……思い知らされるじゃないか…』

 普段は彼が学生服で部屋に転がっていても、そう年齢差を感じることはない。だが、自分が商用でかっちりスーツを着込んでいる時に学生服姿の彼に出くわすと、互いの環境の違いをまざまざと感じさせられてしまう。

 コンラートは…止むにやまれぬ事情があったとはいえ、未成年の少年に対して常習的に《淫行》を行っている。有利の方もコンラートを好いていてくれるとはいえ、それは厳然とした事実なのだ。
 出すところに出せば、コンラートは青少年育成に関わる条例で処罰を受けることになるだろうし、少なくとも、表沙汰になることは社会人としての信用に大打撃を与えるに違いない。

 ことに、現在接待中のウォルノックは先祖代々厳格なカトリックである。コンラートの嗜好を知られると同時に、会社の業務に支障が出る程の反発を喰らう可能性がある。

『困ったな…』

 この船から降りるまでの間誤魔化せれば良いだけなのに、何故か今回については自信がなかった。

 実はここ2ヶ月近く、二人は期末試験や仕事の兼ね合いでスケジュールが合わず長い禁欲生活を送っているのである。
 もやもやと下半身でたゆたうものを仕事への意識で逸らしていたわけだが…有利の姿を目にした途端に、滾るものを感じてコンラートは焦った。

 極力、この船にいる間は触れてはならないのに…今すぐに行って、あの鬱陶しい《先輩》から引き離し、腕の中に閉じこめてしまいたい衝動がある。

『落ち着け、俺…っ!』

 がつんと側頭部に拳を打ち込んでいたら、トイレの扉が開いて不機嫌そうな老人が出てきた。
 今は、彼の機嫌を損ねぬという《仕事》に専念せねばならないのだ。

「ヘル・ウォルノック、アフタヌーンティーの手配をしましょうか?」
「そうしてくれ」
「待っている間、チェスの手合わせを願えますかな?」
「腕は上がったかい?ヘル・ウェラー」
「まだまだです。ご指導お願いしますね」

 そつのない笑顔を向けながら、コンラートは慣れた動作でウォルノック所蔵のチェス盤を広げる。彼の家に代々伝わるというチェス盤は組木細工の一品で、飴色と白木の板が填め込まれた盤上に象牙と黒曜石の駒を並べれば、それだけで芸術的な趣を持つ。

「さあ、一局…」

 コンラートはまだ知らない。


 グリューネヒルダ号という盤の上で、チェスよりもスリリングなゲームが始まろうとしていることを…。







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