「華二輪」

 

 

 優雅な…ときに、扇情的なまでの衣装に身を包んだ者達が軽妙なステップを踏み、暖炉に踊る炎もまた、楽の音に合わせるようにちろちろと踊り廻る。

  チェス盤のように並べられた大理石様のタイルがシャンデリアの灯を浴びて美しい光沢を湛え、着飾った踊客の舞を一層引き立てていた。

 この館の主であるツェツェリーリエは満足げな笑みを漏らすと、手に持った繊細なグラスからワインを口にした。

「おお…相変わらずお美しい…」

「飲み下されるワインの栄誉に、我々もあやかりたいところですな」

 崇拝者の群れが既に聞き飽きたような賛嘆の言葉を口にしつつも、視線がチラチラと動いていることに気付いてはいたが、ツェツィーリエはいっかな不満げに思うことはなく、婉然と微笑むばかりであった。

 傍付きの侍女は驚いたように目を見開いた。

 この館に勤めてから期間は短いものの、細々と気が付くミーシャ・ローランタンはツェツィーリエに気に入られて傍仕えとなったのだが…自分の他に崇拝者の視線が送られることに、彼女が機嫌を損ねないことは実に奇妙だと感じられた。

 何しろ…今日の宴でツェツィーリエの両脇を占める栄誉を担った《彼女達》…《コニー》と《ユーリエ》は、女であるミーシャですら視線を奪われかねない魅惑的な風貌を備えているのだ。容色を第一とする貴族の女性であれば…年を取れば取るほどに、傍に並べる女の水準には気を使うものだ。

 低すぎては自分に自信がないせいだと疑われるし、高すぎれば自分が霞んでしまう。

 これほど麗しい華二輪を携えながら自信に満ちた振る舞いの出来るツェツィーリエという女性は、確かに国を率いてきた魔王という立場に相応しいだけの胆力を持っているのかも知れない(残念ながら、統治能力となるとまた別の問題になるのだが…)。

 ツェツィーリエは一段高い雛壇のような場所に幅の広い猫足のソファを置き、ベルベット張りの布地の上にしどけなく横たわっている。魔王のみに許された漆黒のドレスをぬめるように白い肌に纏い、肉感的な脚を惜しげもなく晒した姿は不思議と下品ではなく…嘆息を誘うような色艶だけがベールのようにその身を包んでいる。

 その両脇に侍(はべ)っているのは、どちらも極めて特徴的な美しさを持つ者達だった。

 右脇に侍るコニーはかなりの長身だが、小さな頭部と、全身のしなやかな曲線がその肢体をこの上なく優美に見せ、豊満な胸ときゅ…っと括れた腰、こぶりに引き締まった臀部が小気味よい。全体的に凛とした風情があり、本来はこのような場で艶笑する立場ではなく、戦場で指揮官的な立場にあったのかも知れない。

 身体に纏うドレスはベージュを基本としたシンプルなデザインだが、大きくスリットの入った裾はすんなりと伸びる美脚を彩り、体幹部がぴったりとした形状なのも彼女の雰囲気に合っている。また、そのシンプルさは広い襟ぐりに飾られた豪奢な金細工の首飾りを際立てる役割も果たしていた。

  ダークブラウンの髪は、勿体ないことに襟足を随分と短く刈り詰めているが、さらりと流された前髪のもつ艶から見て、長く腰まで伸ばせばさぞかし美しい眺めになることだろう。だが、今でもほっそりとした首筋と右耳に飾った百合の華が映えて十分な美しさを湛えている。

 髪より少し明るい瞳は美しい琥珀色で、時折ユーリエが話しかけてくると、急に雰囲気が柔らかくなって…きらきらと銀色の光彩が瞬くのだった。

『まぁ…この方、噂に聞くウェラー卿の血縁で在られるのかも知れないわ?』

 だが、ミーシャはその憶測を口にすることはなかった。

 ウェラーの名に敬意は抱いているが、その血脈が人間の系譜であることは熟知している。迂闊なことを口にして主に忌避されるのはごめんだ。

「ミーシャさん…あの、お茶を貰っても良いですか?」

「ええ、勿論ですわ!気が付きませんで申し訳ございません」

「ううん、ごくごく飲んじゃってゴメンね。でも、ミーシャさんの煎れてくれるお茶、凄く美味しい…」

 にっこりと微笑む小柄なユーリエに、ミーシャは心からの賛辞を送った。

 深い蒼色の巻き毛は腰まで伸び、同色の瞳は澄んだ色を湛えているが…光の加減によっては一層深い色合いを見せる。目敏いミーシャは、それが色つきの硝子細工を入れているのだと気付いたが、指摘するつもりはさらさら無い。

 桜色のふっくりとした唇に、ちょこんと小さな…形良い鼻。大粒の瞳を縁取る長く濃い睫…小作りだがバランスの良い顔は何とも言えない愛らしさを帯びており、ことに、笑顔を浮かべたときには白い蕾が開くような華やぎを帯びる。

  華奢な体格の彼女は全体的にほっそりとしているが、ふんわりとしたデザインの濃蒼色のドレスに包まれているせいか、ほわりとした胸の膨らみと細腰とのラインは十分に女らしい艶を持っていた。ただ、足先まで隠れるドレスの裾を少し邪魔っけそうに除ける様子を見ていると、このような衣装には慣れていないのかも知れない。

 少年のように軽やかな衣装を着せ、草原を駆け回らせてあげたいような娘だ。

『なんてまぁ可愛らしい方なんでしょ!』

 こういった場に列する女性はツェツィーリエや、コニーように堂々として女王の風格を湛えているか、姦(かしま)しい性質を華やかなドレスで誤魔化す宮廷鳥達…ことに、後者が殆どを占めるのだが、このように芯から可憐な娘がいることに、ミーシャは賛嘆の思いと共に強い保護欲を感じるのだった。

「喉が渇いておられますと?これはこれは…どうです、こちらのワインも美味で知られるアイオリアはタナーニャ地方の産ですぞ?此度の宴席に振る舞うべく、我が領土より取り寄せた物です。良かったら…」

 ツェツィーリエの崇拝者の筈の地方貴族は、図々しくもユーリエの手を取って自分の手を重ね、グラスを仰がせようとする。

「ぁ…ごめんなさい…お…いえ、私…お酒は…」

 困ったように潤ませる目元の何と可憐なこと!

 ミーシャは侍女の職域を越えた憤りによって手を伸ばした。

「申し訳ありません…お嬢様はお酒を召しませんのっ!」

「む…侍女が差し出た真似をするなっ!」

 酔いのせいもあってか…一閃しようとした地方貴族の手は、危ういところでミーシャの頬を傷つけるところであった。

 だが…その身体は鮮やかにくるりと宙を舞うと、何がどうなったのか理解できていないまま、ずどんと小気味よく床にたたきつけられたのだった。

 なんと…すぃ…と身を乗り出したコニーが地方貴族の手首を掴んでひょいっと力を込めてただけで、軽く男の身体を一回転させたのだった。

「ボーリォ男爵も随分と酔いが回られているご様子…そろそろ宴はお開きといたしませんか?ツェツィーリエ様」

 コニーの声は女性としては低めだが、伸びの良い低音は耳朶に心地よい。

 それに、声音は決して荒げたりしていないのに、何と無し、辺りに侍っていた者達も背筋がしゃんっと伸び、号令を待つ兵士のように不動の姿勢を取ってしまった。

「まぁ…そうねぇ…夜更かしは美容の敵ですものね」

 にっこりと微笑むツェツィーリエは華麗な動作で手を叩くと、宴の終わりを来客に告げた。  

 

*  *  *

 

「ミーシャ…では、それを並べたら後は朝まで入って来ないでね?これから私たち、女3人で《パジャマパーティー》というのを楽しむんだから」

「はい、どうぞゆっくりとお楽しみ下さいませ」

 ツェツィーリエの言葉に、ミーシャは素直に答えた。

 広い寝室にはそれに見合った豪奢な寝台が置かれており、三人の麗しき女性達はそれぞれにパジャマならぬネグリジェに身を包んでいる。その薄く透ける素材の生地からは、婉然とした曲線美が伺われた。

 ツェツィーリエは紅いネグリジェの下にその豊満な胸を惜しげもなく晒し、紐のようなショーツを穿いている。ドロンジョ様も吃驚の露出具合であり、コニーもそれに準ずるような出で立ちだ。色みこそブラウンの落ち着いた色調だが、その光沢は艶やかであり…露わになるラインはそれだけでどんな装飾にも勝るあでやかさであった。

 二人の迫力ある美女に気圧されるようなユーリエは、楚々とした淡青色のパフリーズを纏い、可愛らしい小花を散らした下着を身につけている。それでも透ける生地が恥ずかしいのか、手で隠し気味なのが何ともいえず愛らしい…。

『ああ…いけないわミーシャ…こんな可憐なお嬢様を押し倒したいだなんて…っ!』

 少し百合っけのあるミーシャは、頭を振るって自分の下卑た想像を追い払った。

 何しろ、相手は上王ツェツィーリエの大切な客人なのである。しかも、どうやらコニーがユーリエを見る眼差しはただごとではない…。

 彼女の怒りを買うことはツェツィーリエを怒らせる以上に恐ろしい状況を呼びそうだ。

 勘の良いミーシャはそう判断すると、なるべく主達に視線を送らないようにワゴンを動かし、運び込んだ軽食や温かい飲み物をテーブルの上に広げていった。

 そして、深々と丁寧に礼をすると退室していく。

 その際、先程の宴席での感謝を捧げるべく眼差しを送ると、コニーは艶やかな笑みで応えてくれた。

『まぁ…流石はツェリ様のご友人で在られるだけはあるわ…なんて品のある艶かしら!』

 ミーシャは目の保養をさせて貰った喜びに浮き立ちながら、寝室を後にした。

「はぁぁぁ………。つ、疲れたぁ……」

 ユーリエがばさりと鬘(かつら)をむしり取ると、下から現れたのはしゃらりとした質感の黒髪…当代魔王のみが持つ漆黒の頭髪であった。

「お疲れ様です、ユーリ…さ、コンタクトを外しましょう?」

「ん…」

 コニーに手伝って貰って硝子片を目から取り出せば…そこにあるのはやはり、闇空よりも深い漆黒を湛えた双弁であった。

 そう…ユーリエとは当代魔王渋谷有利の仮の名である。

「やれやれ…女性というのは大変なものですね。あのドレスというやつは動きにくいわ引っかけそうになるわ…」

 こきこきと首を左右させながらコニーは毒づいた。

「でも、すっごい似合ってたよコンラッド!俺…うっとり見惚れちゃったもん…っ!」

「そうよぉコンラート!あなたってば女になると私にそっくり!それでいて凛とした風情も持ってるんですもの。これは男は放っておかないわよ?」

「……………」

 コンラート・ウェラーはコニーと呼ばれる自分の身の上に、誰にともなく恨み節を聞かせたくなった。

 聞かせるべき相手はおそらくあの赤い悪魔だろうが、おそらく聞いてはくれまい。

『ちょっとした失敗にしつこく苦言を呈するとはどういうケツの孔の大きさですか?何でしたら測定器で測りますよ?』

 …とでも言われかねない。

 有利のケツの孔の直径なら測るまでもなく目測で正確に知っているが、自分の大きさなど知りたくもない…。

 コンラートは窓の外を見るともなく見やり…このような事態を引き起こした《事件》に思いを馳せた。

 

*  *  *

 

「眞王のお呼び出しが掛かる!?眞魔国で元の身体にもどれんの?」

「ああ、アニシナさんがやっと装置を開発したらしいよ?」

「装置…?」

 村田の言葉に狂喜しかけた有利だったが、《装置》という不審な言葉に妙な警戒心が沸く。

「装置って…あれ?俺がこういう身体になったのって薬のせいだったよね?」

「まぁね。でも、そこを単純に逆辿りしないのがアニシナさんの凄いところさ。回りくどく迂回していった挙げ句、思いもよらない超魔道装置によって…」

「ねぇ…迂回する必要があんの?」

「僕が知るわけないだろう?」

 肩を竦めてみせる友人に、尤もだと嘆息する。

 彼女の思考回路を知りうる者などこの世にいる筈もない。

「うう…何か心配だなぁ…」

 その予感はまさに的中した…。

 眞魔国に渡った有利は、《形質映し絵君ハイパーチャージV世》という名前だけは無駄に偉そうな不思議装置に搭乗させられたのだが…この時、《形質の素》として同乗したのがコンラートだった。

 ちょっとだけ《コンラートっぽくなるなら…》と期待したのも束の間…装置は《逆転位》を起こしてしまった。

 つまり…コピー元とコピー先の形質を、間違ったのだ…。

 その結果…有利には変化無く、コンラートが女体がするという事態が勃発したのであった。

「あーはっはっはっ!常日頃僕たちのことを哀れみもせずにアニシナの犠牲にし続けていた報いだっ!」

「そうですとも!これで私たちが如何に苦しんできたか身をもって理解できるでしょうよ!」

「まぁ…少しの間のことだろうし。腐ったり痛かったりするわけでないのなら構うまい?」

 いつものカーキ色の軍服が胸の所だけ弾けんばかりに窮屈になり、袖や裾が余ってしまったコンラートに、弟も師匠も兄も…全く同情してくれなかった。

 ただ、有利だけが瞳を潤ませて手を握ってくれたのだった。

「コンラッド…一緒に男に戻れるまで頑張ろうなっ!お…俺、コンラッドが男に色目使われたりしたら、断固として闘うから…っ!今度は俺が護るから…っ!!」

 有利は女体化の先輩格として、コンラートをリードするつもりでいるらしい。

 コンラートは内心ショックはショックだったのだが…それはそれ、これとこれとして便乗することにした。

「ありがとうこざいます、ユーリ…俺は下着の付け方も分からない初心者ですが、どうぞご教授下さいね?」

 コンラートはそっと有利の手を取ると、瞳を潤ませてじぃ…と見つめた。

「お…おうっ!」

 実のところ…有利の下着のつけかたなど棒が下着の中を潜った程度の代物であり、コンラートの方は今まで付き合っていた女性の着付けですっかり手慣れていることに、有利は気付いていない…。

「まぁあ…っ!素敵…素敵ねぇ…っ!」

 盛り上がったのはたまたま眞魔国を訪れていたツェツィーリエである。

 早速有利とコンラートをエステだランジェリーショップだドレスの着付けだと連れ回し、すっかり華やかな装いを取り揃えてしまった。

 コンラートが完璧な女性としての美しさを呈すると、笑っていた兄弟や師匠はあんぐりと口を開き、微笑み一つでえらく狼狽えていた。

 純情なヴォルフラムなどは、豊満な胸に抱き寄せてやると顔を真っ赤にして逃げ出していた。うっかり兄にときめいてしまった自分が恥ずかしかったらしく、《ときめいたわけじゃないんだからなっ!》と、分かりやすいツンデレ発言を飛ばしながら疾走していった。

 なお、旧友にして元部下の男は複雑そうな表情を浮かべていた。

『んー…んんー…やっぱ、女体化するとドレスとか似合うよなぁ…でも、筋肉は寂しくなるよなぁ…。んんーんー……』

 女体化をアニシナに頼むかどうかで真剣に悩んでいたらしい。

 今度、強制的にでもそうなるように頼んでおいてやろう。

 更に鬱陶しかったのはコンラートを元々崇拝している兵士達だ。

「う…美しい……っ!」

「女神…女神様降臨……っ!」

「ルッテンベルクの獅子が、女豹に…っ!」

 正直、女豹はよせと言いたい。

 四つん這いになって挑戦的な眼差しを送りそうではないか。

 ただ…役得もある。

「閣下…自分は…自分はぁ…っ!」

「駄目っ!!コンラッドに近寄るの禁止っ!」

 言い寄ってくる男達に明確な嫉妬を示しながら、有利が立ちはだかってくれるのである。

『ああ…ヒロインってこういう感じなのかな…』

 言い寄ってきた連中に有形無形の制裁を加えているくせに、考えることはかなり図々しいコンラートであった…。


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