「彼女の秘密」−1
渋谷有利は極上に可愛い男の子《だった》。 過去形で表現せねばならないのが申し訳ないところである。 いや、決して今現在の渋谷有利が可愛くない訳ではない。 変化したのは形容詞の方ではなく名詞の方だ。 言っておくが、今流行り(?)の《男の娘(こ)》になったわけではない。 れっきとした…女の子になったのである。 事情については各自、《男前な彼女》シリーズ過去作を参照されたし。 まあ、参照しなくても《大方アニシナのせいだろう》という点にはすぐ気づいて頂けるだろう。 ただ…困ったのは二、三日どころか数ヶ月経ってもいっこうに性別が改善(妙な表現だが)される気配がなかったことである。 「あーあーも〜…俺、一生このままなのかな…」 「いやいやユーリ…希望を捨てないでくださいよ」 《ユーリがどんな形をしていても愛せる自信がある》という恋人は、慰めてはくれるが言葉に必死さがない。 今日も上手いこと言いくるめて、また美子の買ってきた服を有利に着せて、デートにいそしんでいるのである。 その顔のどこにも、《なんとしても男に戻さなくては…!》という切迫感は存在しなかった。 「あんた…俺の身体なんて結局どっちでも良いんだろ?」 「まさかっ!俺はどちらも好きなだけですよ」 「似たようなもんじゃん」 「どちらでも良いのとどちらも好きなのとは大いに違います。前者は両方にさほど興味がないことを指しますが、後者は両方に激しく興味があることを示していますからね」 「そっかなぁ〜…」 初春の風はまだ冷たいのに、有利が身につけているのはパステルカラーのマイクロミニスカートだ。しなやかで機敏そうな脚は膝上のニーハイに包まれ、絶対領域の白さが眩しい。少し大きめの白いほわほわニットを着ているとはいえ、腿は結構寒い。 ちょっと震えてしまうような寒気も手伝って不機嫌な有利は上目遣いに睨むのだが、ぷくんと突きだした上唇は恋人的には《これもまた極上に可愛い》という表情の一つであるため、全く攻撃力はなかった。 「来週は卒業式なのにさぁ…声掛けてくる後輩・同級生は全部男だし、そいつらがあんたにボコられないように気を配んなきゃいけないし…」 「ええ、確かにそこだけは女体の問題点ですよね。対男誘因力が3割り増しアップですからね」 そう、有利は元から可愛らしくはあったが、やはり女の子の身体になるとどんなに隠しても滲み出るような色気があるらしく、夏場の蠅のように男達が寄ってくるのだ。 学生服に身を包んでいる時ですらそうなのだから、こんな風にスカートをはいて街角デートなどしようものならブブンブンブンという勢いで男が集(たか)ってきそうなものだが…逆にそうでもない。 おそらく、スカートを穿いた有利の横に私服のコンラートがいると、どの角度から見ても恋人同士だから向こうも遠慮するのだろう。 実際、有利が気づかないだけで羨望の眼差しはそこかしこから降り注がれているのだ。 なお、自分のことには疎い有利も、コンラートに向けられる女性達の熱い眼差しには敏感だ。今日のコンラートは髪色より少し深い色合いのブラウンのコートを着こんでいるのだが、これが長身に映えて何とも格好良い。取り立てて高価な服を纏わずとも、背筋がぴしりと伸び、均整の取れた体躯はどうしても衆目を浴びてしまうらしい。 「あれ…?し、渋谷君!?」 「んー…あ、松尾さん?」 何やら激しい驚きの声を掛けてきたのは、草野球の社会人チームメイトである松尾克明であった。草野球はオフシーズンに入っているので最近顔を合わせる機会がなかったのだが、久方ぶりに出会った有利に驚愕の表情を浮かべている。 「どうしたんですか?鳩が豆鉄砲食らったような顔して…」 「や、君の年代でそう言う喩えが出てくるのも軽く吃驚だけど…それ以上にさ、君…女の子だっけ?」 「はぅっ!?」 有利は松尾以上に目を開大させて飛び上がった。 そうだった…最近あまり抵抗なくスカートを穿いてデートするようになっていたが、考えても見れば街中に知り合い等うじゃうじゃいるのだから、いつばったり出くわすか分からないデンジェラスゾーンだったのである。 「え…えと、う…」 「ええ、ユーリは活発なので男の子みたいですけど…実は女の子なんですよ」 有利がへどもどしている内にコンラートがさらりととんでもないことを言い出した。 「ちょ…っ!」 「ちなみに、高校卒業と同時に俺と結婚することになっていますので、手出し無用にお願いします」 「いやいやいや…何か出そうとした手首を切断されそうな勢いだから、迂闊な行動はしないよ…」 だらだらと脂汗を掻く松尾は、顔の前で超高速の手首振幅を見せる。 「そんなことより…渋谷君、良かったら何時間か付き合って貰えないかな?」 「…手首、斬り落としましょうか?今すぐ」 コンラートが凄みのある笑顔を見せると、松尾は全身を震わせて訂正した。 「付き合うってそう言う意味じゃないからっ!そ…そうだ、君も手伝って貰えないか?実は今、ショッピングモール主催のファッションショーをやってるんだけど、モデルの子が新型インフルエンザで大量欠席しちゃって、人手が足りないんだよっ!バイト代弾むから、お願いっ!」 「えー?でも…俺カメラの前だとガチガチになっちゃうんだけど…」 「大丈夫大丈夫。本格的なウォーキング出来る子なんてもともと少ないから、てくてく歩いていくだけで良いよ。なーに、渋谷君とお連れさんくらいの美形なら、春物の服来て歩き回るだけで大ウケだって」 「ウォーキング…って、ひょっとして人前で歩くの!?え…む、無理無理っ!」 有利はぶんぶんと首を振って嫌がるが、松尾が両手を合わせて平身低頭頼み込むと、結局引き受けてしまった。 * * * 「お…おかしくない?何か化粧濃いような…」 「いいえ、ちっともおかしくありませんよ?」 コンラートはそう請け合うが、この男の有利への評価は甘すぎるので不安でしょうがない。 本職の評価を聞こうと視線を漂わせれば、何故だかモデルの女の子達は一様に厳しい目線を送ってきた。 「んー、確かに渋谷ちゃんて素人くさいしぃ〜、ちょっと化粧負けしてる感じ?」 「リサきつーい、ファニーフェイスって言ってあげなよ」 そう言う女の子モデル達も素人に毛が生えたようなものなのだか…自意識だけは高いのか、全く素人の子が一緒にモデルをすることに随分と反感を持っているらしい。 その一方で、コンラートを見つめる眼差しはねっちりと熱かった。 「コンラートさんって、品があるよねぇ〜。何かモデルとかやってたんですかぁ〜?」 「あんた達は品がなさすぎだね。そういうの、余計に自分をブサイクにさせるよ?」 コンラートにもたれ掛かろうとしたリサという女の子が、弾かれたように背筋を戻した。 「カンナ姐さん…で、でもぉ…」 メンバーの中で唯一名の知れだカンナは、モード雑誌の表紙を飾ることもある本格的なモデルだ。年は少々いっているが、その分経験豊富で業界にも顔が利くことから、他のモデル達も一目置かざるを得ないのだ。 「でもはなし。ユーリちゃん、気を悪くしないでね。コンラートさんも。今日は楽しく仕事しましょ?」 「は…はいっ!」 こくっと勢いよく頷く有利にカンナは笑顔を浮かべると、化粧も微調整してくれた。 髪も少しだけカットしてワックスで整えると、元々可愛らしい有利が更に洗練された印象になる。 「んー…ユーリちゃん、マジでモデル本格的にやってみない?これでカメラ映えも良かったら、十分やっていけるよ?」 「いえいえ、今回だけで十分ですっ!」 「そんなことないよ…凄ぇ素敵だよ?」 そう言って馴れ馴れしく肩を抱いてきたのは男性モデルのレオンだった。本名でないのは確実な芸名の彼は、ちょっとイタリア系を思わせる彫りの深い顔立ち(ただし、よく見るとやはり日本人)と長身の持ち主で、少々大袈裟な身振りが印象的なモデルだ。 浅黒い肌に、ウェーブの掛かった艶のある黒髪が映え、少し厚ぼったくてセクシーな唇をしている。睫のばしばしと生えたツリ目も所謂《目力》を感じさせるもので、写真映えは良かろうなと思われる。 カンナと同程度に名の知れた彼はこのファッションショーに於ける目玉的な存在であり、《あいつの機嫌は損ねないでね?》と松尾にも念を押されていた。 「マジ可愛い…。ね、この後打ち上げにも参加しない?」 「俺、酒は飲めません」 「あれ?君って《俺女》?すっげ、超俺好み〜」 「ちょ…っ!」 がばっと覆い被さるようにレオンが抱きつこうとするが、咄嗟に有利の身体はコンラートに抱き込まれてしまう。 「失礼、この子は俺のものなので手出し無用にお願いします」 「ありゃりゃ、あんたも随分な美形だねぇ〜…でもさ、ユーリちゃんってまだ高3でしょ?人生決めちゃうのまだ早くない?」 「いえいえ、俺としては待った方ですよ」 《実は18年待ちました》などと言い出すと、確実に変態扱いされそうなのでそれは言わないらしい。 「ふーん…エッチもちゃんと待ってたわけ?」 「18歳になるまではちゃんと待ちました」 「あんたナニ正直に答えてんだよーっっ!!」 有利がぽかぽかとコンラートを叩けば、レオンは悔しそうに舌打ちをする。 「えー?マジ?もーやってんの?くっそ〜…絶対ユーリちゃんってバージンだと思ってたのに、もう処女膜ないんだー」 「あんたもナニ赤裸々な話してんだよっ!」 「ええ、前も後ろも上もとっくに使用済みです。膜なんかこれっぽっちもありません」 「あんたはもっと最悪だーっ!!」 ガスッと結構な音を立てて有利の拳がコンラートの鳩尾に決まった。 それでも鍛えられた腹筋と反射神経によって、大した被害を食らっていないのが悔しい。 「もー、あんたら最低っ!俺、カンナさんと一緒に行動するからねっ!」 「うんうん、そーしよ。ユーリちゃ〜ん。女同士仲良くしよーね?」 ちゅ…っと頬にキスをされると、漫画みたいに綺麗なキスマークがスタンプされてしまう。 「……」 ぴくん…とコンラートの眉が跳ねたが、何しろ相手は女性だ。それに、レオンとの言い争いで迂闊な発言があったことは反省しているのか、珍しく留め立てはしなかった。 * * * ピューイっ! ヒュッヒューっ! 有利がどぎまぎしながらステージに上がると、屋上に詰めかけた観客からは一斉に口笛とネズミ啼き声が響く。 ステージは仮設ながら、いっぱしのファッションショーのように観客席へと伸びる前後径の長いもので、端まで歩いたらポーズを決めて、くるりとターンして戻るという形だ。 観客の主体である中高生の女の子達からも《可愛い!》の声が上がり、はにかみながら手を振ったり、くるりと勢いよく回転してみせると、もともと運動神経の良い有利は切れの良い動きが出来るから、何回か登場するごとに堂に入ったウォーキングが出来るようになってくる。 これには元々有利をかっていたカンナが、惜しみない賞賛を送ってくれた。 「いーじゃんいーじゃん、ユーリちゃん…すっごいイイよっ!ね…今度はあたしと出ようっ!」 「わ…」 手を引かれてステージに上がると、長身でスレンダーなカンナと、少しちいさくて意外とグラマラス(最近、無駄に胸が豊満になってしまったのである)な有利は、丁度白と黒の対照的な装いだったこともあり、この日一番の歓声を受けた。 「ユーリちゃん、頬寄せて?」 「あ…はいっ!」 ステージの端まで来ると、カメラや携帯、結構本格的な撮影機を構えた観客に向けて頬を寄せ、二人して手のハートマークを作ると、実に愛らしいセット映像に《きゃーっ!》《ぎゃーっ!》と黄色・黄土色の入り交じった叫びが上がる。 この盛り上がりは地方のショッピングモールのショーとしては異例なほどで、店の人たちも一様ににこにこ顔をしている。 また、ずば抜けた長身のモデルが着ている服より、一般的な身長の少女達にとっては有利が着て似合う服に親しみが集まったのか、店側から提供されたカタログも有利の着た服へのチェックが圧倒的に多い。 一方、男性モデルも負けじと頑張っていた。 レオンは流石に知名度が高いのか、彼自体を追っかけてきたファンと思しき一団が熱狂的な歓声を送り、キラキラモールのついた写真入りの大判団扇をひらめかせていた。 …が、そこは我らがウェラー卿コンラートである。 歓声を背にステージ袖に戻ってきたレオンが勝ち誇った様な顔をするのに余裕の笑みを向けると、レオンのウォーキング以上に華麗な脚取りでステージに上がったのである。 しかも、わざと帽子で顔を隠して…である。 「え…?ちょっとスタイル良くない?」 「誰だろ…今日のメンズって、レオン以外に有名なモデル来てないよね?」 レオンのファンはざわざわと噂していたが、ステージ端まで来たコンラートは優雅に帽子をとって騎士の礼を示し…形良い唇を上げて微笑めば、すぅ…っと一様に息を吸い込んでしまう。 きゃぁああああ……っっ!! 女性達の絶叫が響き渡る。 至近距離でコンラートの瞳に散る銀の光彩を目にした人々は特に激しく官能を覚えたのか、興奮のあまりくらくらと目眩を起こす者までいた。 「嘘…す……っごい美形っ!」 「かかか…格好良いよぅ…っ!!」 コンラートの場合は格好良すぎて、実のところ売り上げには繋がらないような気がするのだが…(下手に似た服など買ってしまうと、比較されること甚だしいからだ)それでも女性達の狂喜の歓声は独占状態であった。 普通に歩いていても麗しいのだが、この男…絶対放浪時代にこういうバイトもしていたに違いない(ブーメランパンツを穿いて、銀色のポールに絡むステージでないことだけを祈りたいところだ)。 こうして、極めて盛況のうちにステージは終了したのである。 * * * 「お疲れ様ぁ〜っ!ね、ね、ユーリちゃん〜。この後一緒に打ち上げ行かない?」 「や…でも、俺は酒飲めないんで…」 「わーかってるって!実はね、私もお酒飲まないのよ。肌が粗れちゃうもの」 「そっか…カンナさんって、本格的なモデルさんだもんね」 「そーよん。だから、酒飲みの連中とは違うコースで愉しみましょ?」 カンナはにっこりと微笑むと、ぐいっと有利の身体を引き寄せた。 有利は最終的に着ていた白いノースリープワンピースのままなので、この季節としては露出度が高い。襟ぐりが特に大きく開いているため、ぬめるように白い胸元がかなり見えてしまっている。下着で持ち上げるような形になっているから、ちょっと日本人離れした胸に見える。 「ユーリちゃんってさぁ〜…顔はあどけないのに身体は結構エッチだよね」 レオンがやに下がった顔でにやにやと胸元を覗き込もうとするが、同時に出てきた二つの指にぴしりと鼻面を弾かれてしまう。 「だーめ、このエロモデルっ!」 「ちぇ…っ!カンナ…お前は良いのかよぉ〜…さっきから結構タッチ多くね?」 確かに、カンナは《ユーリちゃんのおっぱいって、おっきいのに形キレ〜イ!》だの《や〜ん、乳首桜色!》だの、更衣室で好き放題ガン見するわ触るわ好き放題やっているのである。 「だって女の子同士だもん。ね〜?」 「え…あ、はぁ…まぁ……」 元男…というか、今でも男に戻ることを諦めたわけではない有利としては複雑なところである。 それに、幾ら女性とはいえコンラート以外の他人に触れられるのはちょっと嫌で、何回か触られてからは素早く逃げるようにしているのだ。 「で、打ち上げ行ってくれるよね?」 「え…えと……。俺達、デートの途中だったから……」 「えぇ〜?デートなんていつでもできるじゃん。結婚するんでしょ?」 「そりゃあ…そうなんだけど……」 もじもじと短すぎるスカートの端を掴んで下げていると…そっとコンラートの腕が包んできた。 「今日はユーリのお知り合いが困っていると聞いたので手伝いましたが…大切なデートには違いないんです。俺にとって、ユーリとのデートは一分一秒を惜しんで共有したい、大切なものなんですよ?」 この熱烈なラブトークは、とても日本人男子には展開できないものであろう…イタリア系の顔立ちをしたレオンまでもが微かに恥ずかしそうにしてしまったくらい甘くてくさい台詞なのに、何故かコンラートが口にするとサマになるから不思議だ。 「そっかぁ…じゃあ、残念だけど…諦めるわ」 ふぅ…っと肩を竦めてしょんぼりされると、お世話になっただけに心苦しくなってしまう。 「えと…じゃあ、ちょっとだけなら…。あの、夜ずっとだと困るから…夜ご飯だけ一緒とかどうです?」 「やーん、嬉しいっ!ユーリちゃん大好き〜っ!」 すり寄せられた頬は…微かに産毛が硬い肌であった。 |