「カフェで遭いましょう」−1

※サラ様のリクエストで、「あの手この手で男子高校生ユーリを堕とす黒次男」のお話です。








「渋谷君、4番テーブルのオーダー頼む」
「了解!」

 更衣室から飛び出してきた少年に、素早く指示が飛ぶ。

 すばしっこそうな印象の少年は見てくれに違わぬフットワークの軽さを見せて、オーダー票を手に取るなり《とたたっ》…と、4番テーブルに向かった。

 少年…渋谷有利は当年とって17歳の高校生、自他共に認める野球好き。

 色々あって部活動は帰宅部だが、高校に入ってから自力で立ち上げた草野球チームの運営費を捻出するために、月・水・金の放課後は8時までこのカフェでバイトに勤しんでいる。

 繁華街に位置するこの店は、リーズナブルな値段帯でわりと味の良いメニューを出してくれるということで、学校帰りの学生やサラリーマンが立ち寄るために、夕方時分ともなると結構な繁盛ぶりを示す。

「いらっしゃいませ!」

 有利がにぱっと屈託のない笑顔をむければ、少し疲れた顔をしていたOL二人もつられてにぱりと笑い返す。

 オーダーがすんだ後も、二人のOLは何となく視線を引かれて有利の背中を見送った。

「へぇ…なんか、カワイー子」
「むちゃくちゃ美形ってわけじゃないけど、雰囲気良いよね」

 有利はカウンターの店長らしき男に伝票を渡すと、小気味よい動作で反転して別のテーブルのオーダーに向かう。

 きびきびとしたその動きは元気の良い小動物を思わせ、ぱりっとした白いシャツの後ろ姿と、細い腰に巻かれた短い丈のカフェエプロンが快活なイメージを増強する。

 手入れをしていないと思しき頭髪は今時珍しいくらいの漆黒で、大きなくりくりとした瞳も同様である。ちんまりとした鼻から唇、華奢なラインの顎など…実に素朴な愛らしさに満ちている。

「んー、顔もよく見ると結構綺麗よ?でも…そうね。今時の子にしちゃ、あんまり自分の容姿に構ってない感じで、垢抜けないのは確かだけど」
「そこがまた良いんじゃない。あーゆー子って何か良いなぁ…。自分の息子だったらかいぐりして可愛がっちゃいそー」
「あんた…発想がおばさん通り越してお母さん…」
「お母さんはおばさんを超越してんの!?」

 やいのやいのと言い交わしているOL達の会話を、もう一人のウェイターが苦笑混じりに聞いていた。

『渋谷ってば…地味に見えて結構ファンが多いんだよねぇ…』

 こちらは一見してかなり小綺麗な顔立ちをした少年で、名を村田健という。
 有利とは同い年で元同級生ではあるが、中学までは殆ど口を利いたこともなかったし、高校は別の所に進学した。

 それが、村田が絡まれているところを有利に助けられた(正確には、逃がしてくれた…)のが縁で、今では随分と親しく付き合う間柄になっている。

 おまけに別段野球が好きというわけでもないのに、気が付いたら草野球チームのマネージャーを甲斐甲斐しく務め、運営費まで捻出すべくバイトに明け暮れているのだから奇妙なものだ。 

『なんだかねぇ…渋谷からは妙な誘因力を感じるんだよねぇ…』

 決してモテモテタイプには見えない…どちらかというと洒落っ気のない木訥(ぼくとつ)とした少年なのだが、一度親しく会話を交わしたり一緒に行動してしまうと、彼の一本気なところに何とも言えない愛らしさを感じてしまうのだ。

『こいつは、自分が助けてあげなくちゃ…』

 そんな父性愛とも母性愛ともつかない感情を誘引する何かを、フェロモンのように放出しているらしい。

 そのせいだろうか…ここの客は有利目当てと思しきリピーターが多く、目が合うと親しげに手を振ったりするのだった。

 有利の方も好意には好意で報いる男で、気が付けば必ず笑顔で返してしまうから…ますます通い詰めてしまう客が出てくるのだった。

『変な客もいるからな…気をつけてあげないと…』

 以前も《トイレの場所を教えてくれ》と声を掛けてきた客が、そのまま有利を個室に引きずり込もうとしたことがあった。

 しかし…どういうものかこの有利という少年には自分がそういった行為の対象になることに警戒心がないらしく、異常を感知した村田と店長に助けられても、

『ひゃー、助かった!サンキュー!金出せとか言われてもバイト中は一銭も持ってないもんな!』

 などと観点の違う反応を見せていたものだった…。


 さて…そんなこんなでこの日も有利はバイト業務に勤しんでいたのだが…そろそろ有利のシフト時間が終了を迎える頃、気になる客がカフェを訪れた。

『あ…今日も来た』

 カラン…といい音を立てて青銅の鐘がついたドアが開かれると、紺色のスーツに身を包んだ青年が入ってきた。

 概ね夜8時にやってきてエスプレッソを一杯だけ飲み、煙草を一服すると帰る客だ。

 白人であることは明瞭なのだが、何処の国の出身かは分からない。若々しい容貌ながら、有利のような素人にも一見して分かる…明らかに仕立ての良いスーツに身を包み、値打ちモノっぽいカフスボタンやネクタイピンが日によって異なることから、かなり実入りの良い仕事をについていることがわかる。

 いや…そんなことよりも一層目を惹くのが、彼の秀でた美貌だった。

 白磁の肌に映えるやわらかい琥珀色の瞳、頭髪の襟足はごく短く刈り詰められているものの、さらりとした質感の前髪が風を受けると、ふわ…と秀でた額の上で踊るのがとても綺麗だ。

 高い鼻梁から薄めの唇、細い顎に掛けてのラインは気品に溢れているが、それでいて上流階級独特の気取った臭気がない。

 ウェイターに話しかけられても常に爽やかな笑顔で応じ、穏やかな口調で応じているらしい。

 らしい…というのは、彼の声については全て人づてに聞いただけだからだ。

 有利自身は彼からオーダーを取ることも、注文されたエスプレッソを給仕することも出来ないのだった。
 何故なら…青年がいるスペースはこのカフェに5テーブルだけ設けられた《喫煙席》なのである。

 店長自身は愛煙家なのだが、彼には幼い子どもがいるせいか副流煙に対して敏感で、未成年を働かせる場合にはどれだけ人手が足りなくても…自分がフル回転してでも、そのウェイターを喫煙席に入れたことはない。

『成長期の子どもにどんな悪影響があるか分からないからね!』

 その言葉は心底嬉しいし、華奢な体格にコンプレックスを感じている有利としては、成長の可能性を残すためにも望んで副流煙などに身を晒したくはない。

 だが…薄い硝子の隔壁越しに、青年が細巻き煙草に銀色のライターで火をつけ、ふぅ…っと紫煙を吐き出す様子を見やると、ついつい目を奪われてしまう。

 気さくな雰囲気の青年が、紫煙を吐き出す瞬間だけは何処か気怠げな気配を漂わせ、さら…と長い指でダークブラウンの頭髪を掻き上げる仕草が…伏し目がちになった目元が…男の有利でもどきりとするくらい色っぽいのだ。

『あーあ…羨ましい…あんな大人な感じの雰囲気って、努力して身に付くもんなのかな?』 喫煙を真似たいとは思わないのだが、しなやかな青年の動作一般には憧憬の念を禁じ得ない。

 それに…ただ容貌や仕草だけの話であれば、ここまで同性の青年に心惹かれたりはしない筈なのだが…もう一つ有利には気に掛かることがあるのだった。

『今日もボール、持ってきてるのかな?』

 青年は普段…席に着いてエスプレッソを待っている間、使い込まれた風合いの野球ボールを握り込んでは色んな形に指を組み替えている。

 どうやら、複数の球種を持っているらしい。

 野球馬鹿一代を自認する有利としては、青年の大きな手が楽々とボールを掴む様子に、 《球速はどのくらいなのかな?》《一番好きな球種はどれなんだろ?》等々…気になってしょうがないのである。

 出来れば自分の草野球チームに勧誘したいが、カフェで休息中にボールを弄っているくらいだから、既に会社のクラブか何かで活動している可能性も高い。

 そもそも、口をきいたこともない高校生が急に話しかけたりしたら警戒されるかも知れない…。

『常連さんに不審がられて逃げられちゃったら困るしなぁ…』

 そんなこんなで悶々とする日々が続いていたわけだが…この日は有利を驚かせるような出来事が起こった。

 喫煙席にまだ空席があるにも関わらず、青年が禁煙席に案内されたのである。

「ちょ…っ!そのヒト、喫煙席じゃ…っ!」
「ああ、今日はいいんだって」

 案内してきた先輩ウェイターである海原は、馴染みの客が普段どちらの席を希望するかなど熟知しているよと言いたげに苦笑して見せた。

「あ…ご、ごめんなさい…余計なこと言って…」
「良いって、渋谷。気にすんな」

 すぐに機嫌を直して、海原はくしゃくしゃと有利の頭髪をかき混ぜた。

 体育会系の海原はさっぱりとした性格で、同系列の気質を持った有利を可愛がっているから、最初からそれほど気に障ったわけではないのだろう。

 くしゅ…としょげてしまった有利の様子が余程可愛かったのか、悪のりして《くかー、カワイイなぁ》と抱きしめ掛けたその時…その動きを察知していたようなタイミングで、するりと間に割り入った者が居た。

 例の白人青年である。

「シブヤ君…だっけ?俺がいつも喫煙室に入るって覚えててくれたの?」

 響きの良い低音は風貌にこの上なく見合った美声であったが、言われた内容にかあぁ…っと有利の頬が染まってしまう。

 《今まで一度も案内したことのないウェイターが何故知っているのか》と、不審に思われたのかも知れない…そう判じたのだ。

「あ…あの……ゴメンナサイ……。俺…実は野球好きで…」
「ああ、俺がボール触ってるの見て気になったのかな?こちらこそゴメンね、不審な行動をしてしまって…」

 にこ…と屈託のない表情で笑いかけてくれる青年に、有利の胸には《何ていい人…っ!》という印象が深く深く刻み込まれた。

 それに、ふわりと笑う青年の瞳には銀色の光彩がきらきらと舞い、なんともいえない…うくつしい彩りを呈するのだった。思わず有利は胸の鼓動を強く感じてしまい、慌てて大きな身振りで手を振ってしまった。

「そ…そんなことないです!不審とかそういうことじゃなくて…あなたの手が大きくって、腕とかも長いから…良い球投げるんじゃないかって気になってたんです!」 
「そう?嬉しいな…。でも、下手の横好きなんだよ?試合も会社に入ってからはやってないしね」
「じゃあ、あのボールは…」
「昼休憩なんかに同僚とキャッチボールするために持ってるんだけど…近所の公園でも、壁に向かって投げたりしてるんだ。これまた夜中の公園でやってるもんだから、不審きわまりないんだけどね」
「一人で?」
「うん、同僚は変化球の捕球とか出来ないからね…」

 少し寂しそうに、青年の琥珀色の瞳が翳る。

「あの…あの……」

 有利の胸の中で、心臓がばくばくと跳ねる。

 こんな申し出をして引かれはすまいかと不安で一杯なのだが…それでも、ひとりきりで投球をする青年の姿を思い浮かべると、いてもたてもいられなくて口を開いてしまった。

「もし良かったら…!今度の休みにでも江南町の河川敷で一緒に野球しませんか!?俺、草野球チームでキャプテンやってるんです」
「本当?嬉しいな。お願いできる?」

 あっさりと快諾してくれた青年だったが…鞄の中からスケジュール帳を取り出すと微かに眉を顰めた。

「うーん…ちょっと暫くは週末に泊まりがけの出張が入ってるな…。連絡先だけ交換しておいて、都合が合致するときにお願いすることって出来るかな?」
「勿論!俺のチームって社会人も多いから、そういうのよくあるんです!あ…俺の連絡先は…」

 ポケットから携帯を取りだしかけた有利だったが、何組かの客が席を立ち、会計カウンターに向かうのを見て焦った。

 この時間帯は回転こそ早くないものの、夕食後の一服をゆっくりと楽しむ客でそれなりに席が埋まっている。街路を歩く通行人の視線がこちらに向いていることも察せられるし、早くテーブル上の物を片づけてしまわねばなるまい。

 こんなタイミングで個人的な話で盛り上がったうえ、連絡先交換をして時間を消費するというのはお給金を頂く身としては些か申し訳ないことだ。

「あの…」

 ちら…と青年を見やれば、勘の良い性分なのだろう…鷹揚に微笑んで手を振って見せた。

「ああ、後で良いよ。なんなら、君のシフトが終わるまで待とうか?」
「良いですか?」
「こちらがお願いすることだもの」

 《待つよ…》…と、最後の一言だけが、すれ違いざまに有利の耳朶に囁きかけられたのは気のせいだろうか?

 ふわ…っとかおる微かなコロンの芳香とともに、甘い響きを載せた美声が首筋を伝い…不思議な感覚を背筋に伝えた。

『なんだろ…これ……』

 有利にはそれが一体どういう意味合いの感覚なのかは理解できなかった。
 じん…っと脊柱を蕩かすような甘い響きが伝えてくるものが、《官能》と呼ばれるものだなどとは…。



*  *  * 




「渋谷、帰りコンビニ寄ってく?」

 更衣室でお仕着せの衣装から普段着に着替えると、村田がいつもの調子で誘いかけてきた。

 他愛のないお喋りをしながら肉まんだの鶏の唐揚げだのをぱくつく帰り道は、村田にとって非常に楽しみな時間なのだ。

「ううん、村田は先に帰っててよ。俺、約束があるから…」
「約束?こんな時間にかい?誰と?」
「えへへー!実はさ、新しいピッチャーをスカウトできるかも知れないんだよ!ほら、いつも喫煙室に入ってた白人のヒト…あ、まだ名前聞いてないや」
「白人…ああ、あの美形の外人さん?」
「そうそう」
「あの人ねぇ…」

 村田は何かを考えるように人差し指でトントンと顎を叩いていたが…ふと、思いついたとばかりにこう言い出した。

「僕も行くよ」
「え?村田が?でも…あんまり遅くなると家族のヒト心配しねぇ?」
「僕のトコは連絡だけ入れておけば問題がない家だよ。寧ろ、君んちの方が問題なんじゃない?お兄さんなんて、初めて口きいた外国人男性と夜二人きりで話すなんて知ったら大暴れするんじゃない?」
「う…」

 それは実にありそうな想定で、正直げんなりとしてしまう。

 有利の兄はギャルゲーと弟を愛する珍妙な嗜好な男であり、家族ぐるみの付き合いが2年目に突入した村田でさえ、妙に敵視されることしばしばなのである。

「うーん…」
「それに、チームのピッチャーっていうんなら僕にだって無関係って訳じゃない。僕の戦力分析だの、トレーニングプログラムの作成だのには君だって恩恵に預かってるだろ?どういうタイプのピッチャーか知っておくことも必要だと思うな。試合、あと2週間後じゃないか」
「あ…あ、そっか…っ!」

 ここ界隈髄一のご長寿チーム《おたっしゃライオンズ》…今にも他界しそうなその名称とは裏腹に、この連中は平均年齢62歳という年齢層を無視した強健さで知られており、あざといばかりの勝負運びは、《若僧どもに一泡吹かせてやる》ことを生き甲斐とする高齢者の執念を感じさせる。

 そこのチームの長老…もとい、キャプテンは、有利の愛する某野球チームでキャッチャーを勤めていた人物でもあり、ここと良い勝負を展開することは有利の強い願いなのである。 

「んじゃ…一緒にいこっか?」
「ああ」



*  *  *



 
 店を出ると、カフェの前に佇んでいた青年がにっこりと微笑みながら迎えてくれた。

「シブヤ君…と、お友達かな?」
「村田健と言います。渋谷君とは親友で、チームのマネージャーも務めています」

 《親友》という滅多に口にしないカテゴライズに有利がぱちくりと目を見開く。
 《何か悪いものでも食べたのかな?》などと疑う有利を余所に、村田は漆黒の瞳を凶悪に眇めていた。

『こいつ…絶対下心アリだ……』

 有利を見た瞬間の蕩ける様な笑顔…そして、村田が連れ立って歩いてくるのを認めた瞬間、眼差しを掠めた険…。
 あれは、明らかに村田を邪魔者と見なしている目だ。

「そう、じゃあチームの方でも時々お世話になることがあるかも知れないね」
「ええ…」

『あなたの球筋がチームプレイに足るものであれば…ですけどね』

 握手を求めるように一歩あゆみ出ると、有利には聞こえないように密やかな囁きを伝える。目元には明らかに辛辣な嘲りが込められていた。

『どうかな?判断するのはシブヤ君だと思うけどね…。俺は、彼を失望させるつもりはないよ?』

 きつすぎる握手を返しながら、こちらも有利に向けるのとは雲泥の差がある侮蔑の眼差しを放つ青年…。
 二人の間からは初夏に似合わぬ凍気が漏れだし、通りすがりの通行人達に襟を寄せさせていた。

「ね…何か寒くない?」
「花冷えかなぁ…」
「桜も散ってる時期に何言ってんのよ」

 有利はというと、特に寒気等は感じないものの…握手をしたまま静止している(ように見える)二人に、きょとりと小首を傾げた。

「どーしたんだよ村田、と…えぇと……」
「これは失礼、名乗るのが遅れてしまいましたね。俺の名はコンラート・ウェラーと言います。コンラートと呼んで下さい」
「え…あれ?俺に敬語なんか使わなくても…」
「いやいや、シブヤ君は俺のキャプテンになる人だからね。敬意を表しないと」
「えー?ヤダよぉ…恥ずかしいよ、コンラー…えとコン…ラッ……う?」

 軽く舌足らずなせいか有利の舌は縺れてしまい、上手くコンラートの名を呼ぶことが出来ない。

「コンラッドと発音してくれても良いですよ?そう呼ぶ友人もいますから」

 表情全体で《可愛いなぁ…》との想いを放散しながらコンラートが言うと、有利はむず痒そうにじたばたしてしまうのだった。

「だから!敬語なんかやめてよコンラッドさんっ!年上の人にそんな話し方されるとむずむずしちゃうよ」
「そう?むずむずしちゃいますか?では、気をつけますね」

 くす…と悪戯っぽく微笑まれれば、またしても有利の胸には疼くような感覚が過ぎる。 コンラートの放つ男っぽい色気が、物慣れない有利の情動を妙な具合に刺激してくるのだ。  

「ところで、連絡先を教えて頂いても…いや、教えて貰っても良いかな?」
「うん」

 気安く有利は頷くと、すぐに電話番号とメールアドレスの交換を行った。

 それを見ている村田の眼差しは実に冷え冷えとしていたものの、流石に留め立てするほどの理由がない。

「さー、それで?どこでキャッチボールするんですか?渋谷も僕も学生ですからね。幾ら明日が土曜日だっていっても、時間には限度がありますよ?」
「そうだね。じゃあ…そこの公園で良いかな?なんなら、車で来てるから後で送るよ?」

 《それじゃ、お言葉に甘えて》…と言い掛けた有利の言葉を制して、村田がずずい…っと乗り出してくる。

「結構です。僕と渋谷は帰りに寄りたいところがあるんで」
「そう?そこまで送るのでも良いけど…」
「結構です!あなたもしつこいなっ!」
「村田!」

 意固地になってしまった村田の肩を、有利が慌てて引き戻した。

「失礼だぜ、村田!コンラッドさんが何したって言うんだよっ!!」
「君ねぇ…こんな怪しい男を易々と信じるなんてどうかしてんじゃないの!?何かあってからじゃ遅いだろ!?」
「何って…何が起こるんだよっ!」
「心外だなぁ…俺はシブヤ君と野球がしたいだけなんだけど…」

 きょとんとした友人とそらっとぼけてみせる青年が、村田の神経をぷちりと断ち切ってしまった。

「じゃあ良いよっ!好きにしなよっ!!」

 ぷいっとそっぽを向いて歩き出した村田に、有利は呆然としてしまう。
 一体、友人が何故こんなにも怒っているか分からないのだ。

 その時…動揺して言葉が出ない有利の背を、ぽん…と叩いた者が居た。

「キャッチボール…また、今度させてね。今日は友達を追いかけた方が良い…。誤解とは家、彼は彼なりに君のことをとても心配しているみたいだったから、一人で行かせてはいけないよ」
「コンラッドさん…」

 きゅう…と眦が熱くなり、感動症の有利は思わず泣きそうになってしまった。

『村田…村田…っ!この人、凄いいいヒトだよっ!』

 それを一刻も早く伝えてやりたくて、有利は詫びるように会釈すると早足で立ち去っていく友人の背中を追った。
 アスファルトを蹴るスニーカーの音が遠ざかっていくのを聞きながら…コンラートは一人そっと微笑む。

「シブヤ君…また、ね。」

 《待ってるよ》…。 

 初夏の夕闇に、甘い響きを載せた声音が溶けていった…。


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