〜青桐山間道の恋人−2〜 コンラートside:@ 我ながら、余裕がないと思う。 『いつもなら、来る者拒まず去る者追わずなんだけどね…』 コンラート・ウェラーにとっての恋愛とは気持ちよくひとときを過ごすための手段に過ぎず、セックスが伴うものであれどうであれ、誰かに執着するということはなかった。 それがどうだろう…この渋谷有利という少年相手には、自分でも可笑しくなるくらい尽くし系の男と化してしまっている。 平日には毎日車で送り迎え、週末も必ず彼のためだけに費やして(しかもそれが喜び以外のなにものでもなく)、あろうことか、押し倒して泣かれただけですんなり手を引っ込めてしまった。 セックスするようになった経過が経過だし、彼が男らしさというものに拘りを持っていることを知っているからこその対応ではあったのだが、ずーーーー……っとこのままというのは正直辛い。 実際問題として…彼とのセックスは気持ちよかった。 正直、予想外の快感だった。 あどけない容姿に反して、乱れた彼は妖艶とも言える色香を発していたし…何よりその様を恥じて涙目になった瞳が可憐で、突き上げて悲鳴混じりの嬌声をあげさせながら頭をかいぐりしてしまった…。 自分の中の変態オヤジ性を垣間見た瞬間であった。 だからといって、その楽しさを再び追求するためだけに温泉に誘ったわけでは勿論ない。 コンラートが今回温泉旅行を提案したのは、このまま有利と気まずくなってしまうことを恐れていたことが大きい。 あの事件の真っ最中に、有利は不安を口にした。 『媚薬抜けた後も…俺のこと、好きでいてくれる?』 その言葉に、コンラートが返した言葉は、 『君を好きであり続けたいと思っている』 …というものだった。 その為の努力を惜しむつもりはない。 彼に、厭われているのでない限り…。 『それは無いと思うんだけどなぁ…』 有利はコンラートが触れると異様に緊張するようになったが、決してそれは嫌悪から来ているものではないと思う。 きっと…あの子は怯えているのだ。 コンラートよりも、おそらくは自分自身に。 『この旅が、君にとっての転機になってくれると良いんだけどね…』 もしそうならなかったとしても、全く諦める気はない自分にちょっと呆れてしまうが、こういう自分も嫌いではない。 これが駄目なら次の手、次々の手と、あの手この手で籠絡していこう。 『君と過ごす日々のためならば、努力は惜しまないよ?』 ちらりと視線を向けると、有利が元気いっぱいにオーダーを受けたり、注文された品をテーブルに運んだりしている。その動作は生き生きとしており、店内の常連客も心地よさそうな視線を向けるのだった。 コンラートと目線が合えば、はにかむように瞳を細めて小さく手を振ってくる。そんな仕草を好ましく思いながらこちらも上機嫌で手をグーパーさせているうちに、有利の勤務時間が終わりを告げた。 * * * コンラートの物欲は薄い方だが、何故だか気が付くと身の回りに良い物が集まっている。 服にしても装飾品についても、まるで品物の方からコンラートに擦り寄るようにして手元にやってくるのだが、車についてだけはかなり能動的に高品質なアイテムを揃えている方だと思う。 その拘りの愛車が、本日目出度く《帰還》してくることとなった。 「うわぁ…これがコンラッドの車!?」 「ああ、やっと修理が終わったんだよ」 有利と出会うきっかけになった友人の交通事故から一ヶ月が経過した今日、事故前よりも美しくチューンナップされた愛車が帰ってきた。 流麗なラインを持つ外車は蒼いボディが鮮やかに月光を弾き、そのままCMにでも登場させたくなるような美しさである。 それまではずっとレンタカーを利用して有利の送り迎えをしていたわけだが、やはり拘りのある愛車をお披露目できるとあって、コンラートは子どものように誇らしげな表情を浮かべて、有利に乗車を促した。 「どうぞお乗り下さいませ、お客様」 「あはは、執事喫茶みたい〜」 恭しい動作で一礼しながら扉を開ければ、有利が笑いながら入りかけて…すぐに靴を脱ぎはじめてしまった。 「どうしたの?」 「だって…無茶苦茶綺麗なんだもん!俺のおんぼろスニーカーでいきなり乗れないって!」 あわあわと頬を染めて靴を脱ぐ動作が何とも愛らしく…かつ、漫画のように庶民的でちょっと可笑しい。 「気にしなくて良いのに…。まあ、でもリラックス出来るから良いかな?車内も綺麗だしね」 革製品の加工を職とする友人は、そのまた友人で腕の良いエンジニアに外装の修理を頼むと、自らも品質の良い革を独自のルートで入手し、手作りで背もたれやシートの加工をしてくれたのだった。肘置きやカップ入れといった小物には深い飴色の木材を用い、これもやわらかい色彩の革製品と良くマッチして、全体的にゆったりとくつろげるリビングのような仕上がりになっている。 足が当たる位置には毛足が少し長めの青色のマットが敷かれているので、有利が靴下で乗り込むと、まさにお部屋感覚である。 「うわぁ…ふかふか、凄い〜身体がフィットする感じ〜…」 腰を下ろした際の沈み具合も驚くほどに心地よく、有利はシートに乗り込むなり瞼を閉じてリラックスモードに入ってしまった。 「それは良かった!」 コンラートはブレーキ等を踏まなくてはならないので流石に靴を履いたままだったが、やはり従来よりもランクアップした内装にご満悦の表情だ。 「君を最初のお客様に出来て嬉しいよ、ユーリ」 「えへへ…」 エンジンもスムーズに起動すると、車は宵闇が深まりつつある静寂(しじま)を滑るようにして駆けていった。 大きな期待と微かな不安を混じり合わせた二人の間に、温泉に辿り着くまでの途上で何が起こるか予期させるものなど…この時には何一つ無かったのだった。 有利side:2 黒川渓谷にほど近い温泉宿《さくら庵》は、その名の示すとおり桜の木々に囲まれており、あと1〜2週間もたてば染井吉野が咲き始めるが、いま時分にも野趣溢れる山桜が来客の目を楽しませてくれるそうだ。 コンラートが予約を取った部屋は特に眺めが良く、朝になれば峡谷から登る朝日に葉桜が映えて、えもいえぬ美しさだと聞いている。 「へぇー…でも、そんな部屋高かったんじゃない?勉強教えて貰ってるのに、成績上がったご褒美まで貰っちゃうのって、なんか悪いような…」 「ああ、俺の場合は下心アリだから」 悪びれることなくぺろりと舌を出して言うものだから、彼独特の飄々とした口ぶりについつい笑ってしまう。 「えへへ…んじゃ、俺も頑張んないとな!」 「ご奉仕してくれる?」 「おっさんくさーい」 「現役高校生に比べれば、そりゃおっさんだよ。でも、年の割には若ぶりに見えない?」 ぷぃっと上唇を尖らせて言うと、元から若々しい顔が幼ささえ滲ませる。余裕のある大人がこんな風にあどけなさを覗かせると、妙にドキドキしてしまうものだ。 「……ご奉仕、できるといいな……」 「おや、嬉しいことを言ってくれるね」 運転席に助手席という並列の座り方は、真っ正面に座るよりも本心が出やすい。 コンラートが運転に集中しているせいで、直接有利の方を見ないというのも理由の一つだろう。 言いたくてずっと言えなかったことが、少しずつ有利の口から零れていく…。 「俺ね…こないだコンラッドのマンションに遊びに行ったとき、絶対エッチするつもりだったんだ。でも…あの事件の時に一杯抱かれたあの部屋で、天井見た途端に急に怖くなっちゃったんだ……」 「俺が怖い?それとも…乱れていた自分が?」 「……うん…怖いのは、俺自身だよ……」 何もかも把握してくれているようなコンラートの包容力に、感心するのと同時に悔しくもなる。 こんなにやさしく包み込んでくれる人を、有利は裏切っている。 全部任せてしまっていい人なのに、安いプライドが邪魔をして身体を硬直させてしまう…。 淫乱な姿を全部見て、なお《好きだ》と言ってくれる人なのだから、有利は何もかも忘れて抱かれてしまえばいいのだ。それなのに…《男》としてそれを出来ない自分に吐き気さえ感じる。 「あんたの事が大好きなのに、抱かれるのだって凄く気持ちよくて幸せだったのに…。それを楽しんで溺れてる自分を思い出すと、どうしても身体が強張って怖くなっちゃうんだ…」 有利は助手席で屈み込み、重ねた手の上に額を乗せると静かに瞑目した。 「君をそのままにさせるつもりなんてないよ」 「コンラッド…」 コンラートは道路に視線を送ったまま、決然として微笑みを浮かべた。 フロントガラスの向こうには夜の闇と、左右を桐の森に囲まれた青桐山間道が続いている。すっきりとした木肌を持つ桐が何処までも続くようなその風景は、道路の天頂部に掛かる半月とも相まって絵本めいた色調を呈している。 その光景の中から投げかけられるライトの光が、次から次へとコンラートの横顔を掠めて飛んでいく様子に、有利は言葉を忘れて見入っていた。 「時間は幾ら掛かっても良い。今回の旅が駄目でも、また次の手を考える…だから、ユーリ。決して俺に迷惑だから…なんて理由で身を引こうなんて思わないでね?」 コンラートはまた悪戯っぽい笑みを浮かべると、直線コースなのを良いことに、少しだけ視線を有利に向けて微笑んだ。 「俺は結構しつこいタチだから、見苦しいくらい君を引き留めるからね」 「コンラッド…っ!」 嬉しくて嬉しくて…有利の目元は潤んでしまう。 正直、今回頑張らなければそろそろコンラートの方から何らかの…哀しい決断を迫られるのではないかと心配していたのだ。 彼が良い人だからこそ、肌が触れあうたびに硬直してしまう有利を心配して身を引いてしまうのではないかと…。 だが、彼はそこだけは決して引かないと公約してくれたのだ。 有利を失う選択だけは、どうしても選べないのだと。 『俺…頑張らなくちゃ…。ううん…頑張りたい!』 有利が改めて心にそう誓ったとき、コンラートが《こほ…》っと小さく咳き込んだ。 「どうしたの?風邪?」 「いや…ちょっと暖房で喉を痛めたかな?久し振りに掛けたから…。ユーリは大丈夫?」 「あー…そういえばちょっといがらっぽいかも」 「しまったな…飲み物を買ってくれば良かった」 出がけにカフェで珈琲を2杯飲んでいて満ち足りていたので、ついうっかり飲み物を買い忘れてしまった。 乾燥するこの季節、2時間の乗車時間中に水分摂取なしというのはちょっときつい。 「あ!俺飲み物持ってるよ。良かったら飲む?」 有利は後部座席に置いていた荷物からペットボトルを取りだした。 透明な液体はまだ半分くらい入っており、ぬるくはなっているが寒い季節なので問題はないだろう。 「先に飲むと良いよ。ユーリも喉が痛いみたいだし」 「俺はいいよぅ。運転手さんの方が先に飲んだ方が良いって。勤労への報酬ってやつ?」 そう言うと、有利は甲斐甲斐しくキャップを外してコンラートの方に掲げて見せた。 「じゃあ…遠慮無く」 ステアリングを持たない方の手でペットボトルを受け取り、喉を鳴らして飲み下していく。 コンラートの好みから言えば少し甘みが強いような気がするが、それでも渇いた喉にさらりとしたスポーツドリンクは心地よく流れていき、ついついかなりの量を飲んでしまった。 「俺の分は残さなくてもいいよ。鞄にもう一本入ってるんだ」 「そう?じゃあ全部飲んでしまってもいいかな?」 「いいよー」 こく…っと逞しいラインを描く喉が鳴り、最後の一滴までがコンラートの胃の腑へと注がれていった。 その液体が腸管にまで移行していったとき、どんな成分が血液中に…そして、神経系に吸収されていくか気づかぬまま…。 |