我が侭天使B
〜第27代魔王温泉紀行シリーズ〜
ヴォルフラムは温泉地の様子に目を見開いた。
規模こそ小さいものの瀟洒な庭園に趣のある温泉屋敷など、鄙には希なほどり風雅ぶりに息を呑んで目を見開く。
とても、名の知られぬ温泉地とは思われない様子であった。
「お客様、ようこそお越し下さいました」
「……っ!」
声の主に、ヴォルフラムは呼吸を忘れてぱくぱくと口を開閉してしまった。
『似ている…っ!』
色灯籠を持つ少年…いや、青年だろうか?すばしっこそうな小柄な体躯と、さらりとした質感の髪の毛、くりくりとしたつぶらな瞳…。
『ユーリ…!?』
よく見れば双黒ではなく濃いブラウンの髪と同色の瞳なのだが、その顔立ちや仕草は有利に瓜二つである。
ますます、何故この温泉宿が王都で知られていないのか分からない。
「お客様…?どうかなさいましたか?ご宿泊しては頂けないのでしょうか?」
「あ…ああ……」
はっとして馬から下りると、すかさず厩番が出てきて疲れ切った愛馬を連れて行こうとする。
ヒィ…ン!
馬は少し嫌がるように嘶(いなな)いたが、疲れ切っていたせいもあってか抵抗することは出来なかった。
元々気性の荒い馬ではあるし、ヴォルフラムは有利によく似た青年に気を取られていてそれどころではなかった。
「予約はしていないのだが…部屋は、空いているのか?」
「勿論ですとも」
朗らかに頷いて、青年はヴォルフラムを促していった。
* * *
「見つからない…」
コンラート達は一夜明けても消息の掴めないヴォルフラムに少し焦れ始めていた。
最初は、彼の痕跡を辿ることは簡単だったのである。ところが…馬の蹄の痕が平原の途中でぷつりと途絶えてしまったのである。
「ヴォルフにはここまで見事に痕跡を消すことは難しい…この季節に平原のど真ん中とあっては尚更です」
コンラートの表情も渋いものであった。
「まさか…誘拐?」
「いえ、それにしては妙です。ヴォルフだけではなく、馬の蹄ごと消えているなんて…」
うぬう…と頭を捻る二人の前で、兵達の一人がぼそりと呟いた。
「そういえば…蹄の痕が消えていた辺りで妙な噂を聞いたことがありますよ」
「噂?」
「ええ、あのあたりでは時折…旅人が突然消息不明になることがあるって言うんです。丁度、ヴォルフラム閣下のように恋に破れた旅人が居なくなってしまうんだと」
「そんな噂聞いたこともないぞ?」
「頻繁に起こる訳じゃないからですかねぇ?昔からの言い伝えみたいですから、王都に近いわりに問題になったことがないんでしょうか?」
「だとすれば、探し出す為にはどうすればいいんだ?」
「も…申し訳ありません。無責任な話を出してしまって…。それが、帰ってきた者が居ないもので、その辺りの事情は分からないんです…」
コンラートに詰め寄られた兵はしどろもどろに答えるしかなかった。
確かに、相手が古来から伝わる神隠し伝説では、それが原因だとしても居場所を突き止めることは難しいだろう。
「どうしたら良いんだろう…?」
有利はきゅ…っと唇を噛むと、友人の無事を祈らずには居られなかった。
本当の気持ちとは言え、あんなに正面切って言わなくても良かったんじゃないかとか…糾弾するにしても、もっとヴォルフラムのことを友人としては大切に想っているのだと伝える方法があったのではないか?…等と言った後悔が吹き出してはぐるぐると胸中に渦巻く。
『無事でいてくれ…』
そうでなければ、もしも…万が一ヴォルフラムの身に何か起こるようなことがあれば、有利は自分を赦せないと思う。
コンラートへの恋心も封印して、ヴォルフラムの菩提を弔うことになるだろう。
『馬鹿…!何考えてるっ!!』
まるでヴォルフラムが亡き者になったかのような想像に慄然として肩を震わせた。
あの我が侭な…天使みたいに綺麗な友人が冷たい骸になってしまうなど、考えただけでぞっとする。
『ちゃんと…正面切って喧嘩をしようよ!』
婚約破棄が嫌だと言われても、それで何もなかったことにすることも…ヴォルフラムと二度と口を利かないなんて事もゴメンだ。勿論、死別するなんてもってのほかだ。
『ヴォルフ…恋人でなきゃ、俺達は一緒にいられないのか?』
コンラートに対する想いとは質を異なるのだとしても、やはり有利はヴォルフラムが大好きなのだ。
あの吃驚するくらい高飛車な物言いで、スパッと有利の迷いや懊悩を裁ち切ってくれたことだって多々あったではないか。
何より…一緒に笑っているのが楽しかった。
とりとめもない話をして笑い合って、共に時を過ごす…それは、恋人でなければ赦されないことなのか?
『冗談じゃないぞ…このまま、お別れになんてしてやらないからな?』
どんな手を使ってでも取り戻してみせる…。
有利は心に誓うと、蹄の痕跡が消えた場所の土を握りしめた。
* * *
「ささ…一献」
「おっと……」
一方…有利やコンラートの心配を一身に受けるヴォルフラムは…和んでいた。
ゆったりとした広さの上等な客室に通されたヴォルフラムは、温泉を愉しんだ後豪勢な夕食を食べ、切り子のグラスに幾度も酒を注がれてすっかり酔いが回っていた。
「そんなに注がないでくれ…どうもこの酒は度数が高いようだな?僕は酒には強い筈なんだが…クラクラしてきた」
「何を仰います。まだまだいけますでしょ?」
「そう…だな」
音を上げそうになるたびにくすくすと笑う青年に酒を注がれてしまい、結局かなりの量を飲んでしまった。
『それにしても…なんて似ているんだろう?』
ぽう…っと酔いの回った頭で視線をやれば、少しだけ相伴に預かった青年…ユキトが《ぽ…》っと頬を上気させる。
「そのように見詰めないで下さいまし…照れてしまいます」
「何を言う。お前の方が愛らしいではないか…」
「勿体ないお言葉…お恥ずかしゅうございます」
頬を染めて小首を傾げる様の何と愛らしいことだろう?
『ああ…これが、ユーリだったら…』
どんなに嬉しかったことだろう?
婚約者として身も心も一つになって、互いを誰よりも大切な者として認め…生涯を共にしたかった…。
それが、よりにもよって自分の兄と恋仲になってしまうなんて…!
『いつから…なんだろう?』
あの二人は昔からヴォルフラムが嫉妬するほど仲が良かったのは確かだ。
だが、ヴォルフラムを押しのけて婚約しようとするほど思い詰めるようになったのは一体いつの頃からなのだろう?
『ユーリはともかく、コンラートがそんなことを考えるなんて思っても見なかった』
昔から彼はヴォルフラムの言うことを何だって聞いてくれた。
何を言っても、何をしても赦してくれて…ヴォルフラムが突きつけた罵倒の言葉だってさらりと受け流してくれたものだ。
『それだけ…好きだというのか?』
押し殺すことが出来ないほどに有利を愛していると?
「ヴォルフラム様、どうなされたのですか?」
「いや…何でもない」
酒の味は上等だったのに、どうやら鬱積を晴らすどころか苦悩が深まっていくばかりに感じる。
ユキトが上目づかいに自分を見詰めている様子に、くらりと眩暈を感じる。
濡れたようにひかる唇が、いやに艶かしく見える。
『ユー…リ……』
くらり…くら……
酒に煽られているのかユキトがユーリに似すぎているのか…。
ヴォルフラムの脳髄はずくずくと溶け出してしまいそうになる。
気が付けばユキトに手を取られ、するりと衣服の中に滑り込まされていた。
「……っ!」
「どうぞ…お情を分けて下さいませ」
「ユキ…ト……僕は……」
「分かっております。愛しい方がおられるのでしょう?ですが…一夜だけで良いのです。思い出を下さいませ…」
「あ……っ」
像が…被る。
有利とユキトの姿がダブって見えて、ヴォルフラムの胸が堪えようのない疼きを示す…。
好きだ…。
大好きだ。
なにが…そんなに好きだったのだろう?
至宝と呼ばれるほどの美貌だろうか?
天使と呼ばれたヴォルフラムでさえ影が薄くなるほどの美しさ…それが、手放しがたいものだったのだろうか?
だとすれば…どうしてユキトでいけないことがある?
「何の問題もありません…何もかも忘れて、私の身体を味わって下さいまし…」
するりと腰ひもが解かれれば、抜けるように白くすべやかな肌が燈火の元に露わになる。
ユキトが身につけているのは地球の着物によく似た形状で、鮮やかな藍染めの布地と白い肌の対比…そして、淡く筋肉の乗った胸にちらりと見える桜粒が、ヴォルフラムの愛撫を待つように息づいている…。
「さあ、ヴォルフラム様…」
しどけなく絡みついてくる腕を取って、唇を寄せていったヴォルフラムだったが…不意に、弾かれたようにユキトを突き放した。
濡れた舌が情欲を誘うようにぬるりと唇から出てきた様子に、生理的な嫌悪感を覚えたのだ。
有利と似ているだけに…その淫蕩な様が赦せなかった。
ヴォルフラムが愛した有利は、こんな淫らな男ではなかった。
「どうなさいました?」
「違う…お前を抱いても、ユーリを手に入れることにはならない」
「そんな…身代わりで良いのです。どうか、一夜のお情を…」
「嫌だ!僕は…身代わりなんか欲しくない!」
頭を抱えてヴォルフラムは叫ぶ。
どうして似ているなどと思ったのだろう?
縋り付いてくる指先は商売女のようにねっとりとした動きを見せ、濡れた瞳は奥底にねっとりとした淫欲を滲ませてヴォルフラムを絡め取ろうとしてくる。
彼を抱くことは有利を汚す事のように思えた。
その事が衝撃となってヴォルフラムの精神を射た。
『僕は…』
そもそも、有利を抱きたい等と思ったことがあったろうか?
有利が自分を求めてくれば与えても良いとは思っていたけれど、そういえば…彼に欲情したことなどあったろうか?
仲良く同じ寝台で眠りながら、有利がヴォルフラムを抱くなどという発想を持たなかったのと同じように、ヴォルフラムもまた有利の寝姿に欲情することもなければ、無防備なその身体を開かせようとすることなど無かった。
ヴォルフラムにとって肉体の繋がりなど、婚約者としての立場を強化させる為のものであり、必要に駆られてでなければ無理にやるようなものではなかったのだ。
「…逃げられると、お思いですか?」
くす…と、半裸のユキトが嗤う。
妖艶な笑みは有利に似ているだけにいけないものを見ているような心地にさせるのだが…その背後で蠢く瘴気にヴォルフラムは絶句した。
瘴気などという気配だけの存在ではなかった。
ユキトの背後からはぞわりと暗紫色をした触手が伸び、しゅるぅり…とヴォルフラムの四肢に絡みついてきたのである。
「気持ちが伴わないと奥底まで貪れないのだけれど…仕方ない。こんなに純粋な魔力持ちが引っかかる機会なんて近年無いからねぇ…」
ぺろりと舌なめずりをしたユキトが勢いよく腰ひもを引き抜けば…隆と聳え立つ雄蕊が先端を塗らして欲情を示していた。
「身体だけでも、髄まで喰わしていただこう」
「ひ…っ!」
身動きの取れないヴォルフラムの身体は手首に絡みついた触手によって一纏めにされると、勢いよく頭上に引き上げられてしまう。更には、衣服を裂かれた下肢もまた足首に絡んだ触手によって大きく開かれることとなった。
「ああ…美味しそうですよ、ヴォルフラム様。ちっちゃくて可愛いおちんちん…使ったこと無いんですか?」
「く…っ!」
「私が美味しく頂いてあげますね…」
獣のようにしなやかな動きで身を乗り出してきたユキトが、妖艶な眼差しでヴォルフラムを視姦しながら長く紅い舌を伸ばす。花茎を…舐めようとしているのだ。
「や…嫌だ…止めろっ!」
「どうして?愛しいひとにこういう事をして貰いたかったんでしょう?慰めてあげますよ…。さあ、身体も心も開いて下さいな」
「やだ…やだぁああ……っ!ユーリ…ユーリぃぃ…っ」
ヴォルフラムは迫り来る舌と、身動ぐことさえ許されない状況に泣き叫ぶ。
脳裏に閃いたのは愛しい少年と、そして…いつも追いつめられたときには頼りにしてしまう存在だった。
「あ…兄上ーっ!」
その時、真っ先に脳裏に映ったのが長兄だったのか…はたまた次兄であったのか、ヴォルフラム本人にとっても不分明なところであった。
「待てーいっ!!」
その時、大気を劈いて絶叫と共にドウ…っと流れ込んできたものがあった。
それは…巨大な水柱。
いや、太い胴を持つ…水龍であった。
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