我が侭天使@ 〜第27代魔王温泉紀行V〜 うららかな秋晴れの空は澄み渡り、穏やかな微風が良い香りを乗せて頬を撫でる。 心地よい陽よりの、昼下がり。 だが、眞魔国の中枢たる血盟城では…その様な気候を吹き飛ばす勢いで《嵐》が荒れ狂うことになった。 「ヴォルフ…ユーリを俺にくれっ!」 爆弾発言が次男の口から飛び出した瞬間から数えてたっぷり5秒間、三男は硬直したまま目を剥いていた。 「ヴ…ヴォルフ……?」 怖々有利が声を掛けたのが引き金になったのか…フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムは爆発した。 「ふざけるなーっ!!」 高調音混じりの怒号が、人々の鼓膜と窓硝子とを破壊せんばかりの勢いで震わすのだった…。 * * * 事の起こりは、血盟城に於いて先代魔王とその息子達が一堂に会し、その中の次男が《みんなに伝えたい、大切な話があるんだ…》と切り出したことであった。 普段は風のように爽やかだったり捕らえ所がなかったりする次男が、真剣な眼差しで家族に《大切な話》を切り出すのだ。どれほど重要な話なのかと、ツェツィーリエでさえ固唾を呑んで待ち受けていた。 彼らの会した場所は豪奢な造りの賓客室。 壁面は涼やかな蒼を基調としたものから、秋の訪れを感じさせる錦織のタペストリーに切り替えられ、絨毯もそれに見合った毛足の長いものへと変えられていた。だがしかし、ふかふかとする足下の感触を楽しんでいた者は少なかったろう。 それだけ、ウェラー卿コンラートの表情は真剣だったのである。 その中で…ヴォルフラムやグウェンダルはもう一つのことに気付いていた。 『何故…ユーリまで緊張しているのだ?』 そのことで、もしかすると…またぞろ次男が妙な使命感(…)に目覚めて、有利を置いたままどこぞに旅立とうとしているのではないかとも懸念したが、よく見るとそういう風でもない。 有利の頬は緊張してはいたものの、その色彩は蒼と言うよりは赤みを帯びており…その眼差しは時折、えらく切なかったり愛おしそうだったりするような色味を帯びて名付け親に向けられている。 『……何なんだ?』 まったくもって予想がつかないまま、彼らは待ち続けた。 「…お忙しい中、時間を取って頂き申し訳ない」 言い回しの堅苦しさは、《武人らしい》とは言える。 しかし、《コンラートらしい》とは言えないものであった。 「どうしたというのだ?珍しいな…お前がそんなに畏まるとは」 「すみません…俺にとっても、一大決心だったものですから」 言葉通り、コンラートは兄の言葉に応対するのにも《ほぅ…》と押し殺したような息を吐き…ストイックな色香が滲み出しては、周囲へと無駄に振りまかれる。 嬉しくてしょうがないのだけれど、それを表に出してはしゃぐことは控えなくてはならない…そんな、禁欲的な風情が感じられる。 「何だ…?まさか、結婚するなどと言うのではないだろうな?」 こちらも珍しく、グウェンダルが気を使って笑い話を持って行ったのだが…その瞬間のコンラートと有利の顔と言ったら見物(みもの)であった。 ぱちくりと目を見開き…次いで、かぁあ…っと頬を上気させて瞼を伏せたのである。 ここまでくれば、よほど鈍い者でなければ気付きそうなものだ。 『ま…まさか…!?』 グウェンダルはぎくりと頬を引きつらせた。 そして彼の懸念通り…コンラートは観念したように、力強く宣言したのであった。 「俺は…第27代魔王ユーリ陛下と、結婚を前提としたお付き合いをしたい…つまり、婚約したいんだ」 グウェンダルとヴォルフラムはぱかりと口を開き、ツェツィーリエは口元を覆って《まぁあ…!》と歓喜の声を上げる。おそらく、彼女だけがこの宣言に違和感も不都合も覚えなかったのだろう。 「だ…だが、しかしお前…ユーリは行きがかり上そうなったとは言え、ヴォルフラムの婚約者だぞ!?」 「そうです。だから…」 コンラートは悲痛な表情で眉根を寄せながらも、ヴォルフラムに対峙して哀願するような声で願い出た。 「ヴォルフ…ユーリを俺にくれっ!」 ……そこから、冒頭のような騒ぎへと繋がっていったわけである。 * * * ヴォルフラムは初夏から二ヶ月程度の期間をビーレフェルト領で過ごしていた。 秋の収穫期を前にして、暴風や虫の害への対策を整備する必要があったからだ。 そういった雑務が一段落した後、血盟城へとやってきた彼が…次兄と婚約者を目にした時に嫌〜な予感を覚えたのは確かだった。 普段から無駄に仲の良い二人に焼き餅を焼いて、間に割って入ったり《この浮気者!》と有利を責め立てていたのだが、この時は…二人の間に漂う気色悪いほど濃厚な大気に飲み込まれてしまい、酸素を求める鯉のように自分から屋外に出てしまった。 『ど…どうしたというんだ!?』 思えば、この二人とお庭番で《お忍び温泉旅行》とやらに出かけた帰りから妙な感じだった。 目が合うとわざとらしく咳払いをしたり、あらぬ方向を見やったり…。 特に、ヴォルフラムを見詰める目が変な感じだった。 『ヴォルフ…俺たち、ずっと友達だよな?』 『ヴォルフ…お前は俺の自慢の弟だよ』 背筋が痒くなるような台詞を切々と語りかけてくる二人に、ヴォルフは内心疑問符を飛ばしまくっていたのだ。 それが…こういう意味だったなんて! 「嫌だ嫌だ嫌だっ!僕は絶対に婚約破棄なんてしないからなっ!」 ぶるぶると首を振って、頑として受け付けない素振りを見せるヴォルフラムに、有利とコンラートは泣きそうな顔をして詰め寄ってきた。 「そんな…ヴォルフ、お願いだよ…っ!」 「ヴォルフ…お前には本当にすまないと思う。だが…俺たち、愛し合ってるんだ」 「コンラッド…」 頼むから、目と目を合わせて《ひし…っ!》と手を握り合うのは勘弁して欲しい。 あまりの悪寒に背を向けて走り出しそうになったヴォルフラムだったが、現婚約者としてそんなヘタレな行為に及ぶわけにはいかない。 今こそ、堂々と男らしい態度で有利を《本道》に引き戻さなければならないのだ。 「ユーリ…っ!」 「な…なにっ!?」 「黙って僕についてこい…!」 「ゴメン…それは出来ないよ」 申し訳なさそうにぺこりと頭を下げながらも、返事はきっぱりしたものであった。 凛々しく差しだした手が虚しく宙に浮く。 「く…こ、コンラートぉお〜っ!こうなったら、決闘だ!」 グァラシャーン…っ!…と、勢いよくちゃぶ台…いや、テーブルがひっくり返されると、床に細いバターナイフが転がる。 ちっちゃくて細くてもナイフはナイフだ。 「…拾え、コンラートっ!」 「…コンラッド!」 ヴォルフラムの挑戦にコンラートの頬が強張り、有利が顔色を変えておろおろと両手を挙げる。 「落ち着けよヴォルフ!敵うわけ無いだろ?相手は剣豪一筋80年な上に、うっかり剣聖とか言われちゃうランクにつけちゃってるヒトだよ?」 「負けると決めつけるんじゃないっ!…いいか、コンラートっ!手加減は一切無用だ…っ!」 「…分かった」 コンラートは小さく溜息をつくと、観念したようにバターナイフを拾って高々と掲げた。 「決闘を…受けよう」 「コンラッド!」 「ユーリ…ヴォルフも男だ。戦わねば収まりがつかない…そういう気持ちは俺も分かるよ。だから…俺の持ち得る全ての力を出し尽くして迎え撃つ!」 「コンラッドぉ…」 《素敵…》とでも言いたげな、うるうるとした眼差しで見上げる有利と、きらきらとした王子様スマイルで手を取るコンラート…この二人の前に取り残された者は堪ったものではない。 「お…お前ら……人を置いて勝手に世界を作るなぁああ……っっ!!」 ヴォルフラムの怒号に、グウェンダルは頭を抱えてしまった…。 * * * 翌日、中庭で決闘は行われた。 かつて…15歳で眞魔国に流されてきた有利が、行きがかり上ヴォルフラムとの決闘を余儀なくされた場所だ。 全く同じ場所で今…半分ずつ血を分けた兄弟が剣を交わすことになろうとは誰が想像しただろうか? 『ああ…勝負の行方は…っ!?』 わりとあっさりついた。 カーン…っ! 鋭い金属音を立ててヴォルフラムの剣をはじき飛ばすと、するりと目にも留まらぬ摺り足を見せて懐に飛び込んだコンラートはそのまま剣を弟の首筋にぴたりと当てた。 その息使い、表情には誓ったとおり一欠片の手加減もなく、まさに真剣勝負であったことが伺える。 ヴォルフラムとてここ数年でめきめき剣の腕も上達しているのだが、所詮《手合わせ》と《決闘》とでは精神の研ぎ澄まし方も違うし、元々の技量に於いて隔絶しすぎている。 剣の道で知らぬ者とてないギュンターであれば何合かは打ち合うことも可能であったろうが、それでも…有利への愛に燃え上がりまくって、火力発電が出来そうな勢いのコンラート相手では分が悪かったことだろう。 「ヴォルフ…これで、認めてくれるかい?」 はにかむように微笑む兄に向けて…ヴォルフラムはぎりりと歯噛みをしたかと思うと、剣が引かれるのを待ってからその手に魔力を集結させた。 「…納得がいかない…っ!」 「ヴォルフ…っ!?」 悔しげに引きつるヴォルフラムに対して、コンラートは困惑したように眉根を寄せる。 「何故納得がいかないんだ?決闘はお前が望んだことだろう?」 「嫌だ…嫌だ嫌だっ!僕は…ユーリを愛している!その僕が、何故お前に負けるんだ!」 「それは多分、俺の愛がお前のそれに勝(まさ)ったんだろう」 頷きながらしみじみと断定するコンラートには、一欠片の悪意もない。 彼は客観的な事実を述べているだけなのである。 「違う!こ…これは、単に剣の技術だけの問題だ!僕の燃える愛はこの魔力で証明してみせるっ!」 「その場合、俺はどうやって証明すれば良いんだい?」 「愛がないから返せないのだ!」 ドゴォン…っ! 一瞬…何が起きたのかヴォルフラムには分からなかった。 凄まじい衝撃が頬に激突してきたかと思うと、そのまま撃ち抜かれ…体勢を崩して尻餅をついたヴォルフラムの目の前に、仁王立ちになった有利がいた。 殴ったのだ。 拳で。 昔みたいに《手加減》の為に平手を使うことはなかった。 もう…その意味は誰よりも知っているから、意識的に使わなかったのだ。 「……っ!」 そして何よりもヴォルフラムの心を打ち砕いたのは有利の困ったような眼差しと、突きつけられた言葉だった。 「ヴォルフ…お前、見苦しいよ」 「ユー…リ……」 愛おしい少年は哀しげに眉を寄せたまま、ヴォルフラムを殴った拳を一方の手で包み込み…唇に寄せる。まるで、殴った彼の方が辛いみたいに。 「初めての決闘の時もそうだったよな?俺…見ず知らずの国でいきなり魔王様やれとか人間殺せとか言われてへどもどしてる時に、こっちの作法なんて全然知らなかったせいで、お前から求婚だの決闘だの矢継ぎ早に言われてさ…マジでパニックだった」 「ユーリ…」 「あの時も、お前…《どんな勝負でも良い》って俺に任せたくせに、いざ相撲で負けると《剣で勝負だ》なんて言って、それが駄目なら今度は魔力に打って出たよな…。正直、あの時さ…俺、この国には名誉とか勝負の美学とかは一切無い、焼き肉定食の世界なんだって思ったよ」 定番だが敢えて言おう。 正しくは弱肉強食である。 「そ…っ!」 言われて…初めて自分の行為を振り返る。 ヴォルフラムはヴォルフラムなりに、あの時のことは反省していた。 年々有利の影響を受けて価値観を変えていく中でヴォルフラムも成長して、あのような好意を恥と感じられるほどには自意識を変えていたつもりだったのに…。 『僕は…また、やってしまったのか……』 「でもさ、コンラッドがお前を信用していたから…だから、俺は…あの時は怒りすぎて前後の見境が無くなっただけで、本当はちゃんと筋の通ったところがある男なんだって思うことにしたし、何度も《やっぱりそうだった!》って確信したんだよ?でも…幾ら血の気が登ってたって、3年も経ったのにまた同じ展開で真剣勝負を汚すってのはさ…」 《はぁ…》と、深い嘆息が漏れる。 「男として…どうなの?」 ズガン…っと、頭を撃ち抜かれたような心地になって、ヴォルフラムは顔色を蒼白に変えた。 「ゆ…ユーリ…その位にしてあげないか?ヴォルフも反省してるようだし…」 「あんたもあんただ、コンラッド!」 鋭い声に、コンラートがびくりと伸ばした手を止める。 「もういっちょ言うなら、グウェンもだぜ?ツェリ様も…悪いけど、同罪だ。あんたらは、弟の遣り口を卑怯だと思ったはずだ。だったら、あんた達は《筋に従え》ってヴォルフに強く言ってやらなくちゃいけなかったんだ。なのに、あんた達はそうしなかった…。笑ってたり、メイドさんに掛かる被害を食い止めるだけで、《ちゃんと辻褄は合ってるんだから、きつく言う必要はない》なんて思っちゃったんだろ?でもさ…そうやって怒らなきゃいけないときに怒ってあげなかった結果がこうなんだぜ?ヴォルフが何時までもこうなのって…あんた達の責任でもあるんだぜ?」 「ユーリ…」 耳に痛そうに眉根は寄せるものの、誰も反論はしなかった。 やはり…自覚はあったのだろう。 「ヴォルフ…謝れよ。きっちり、筋を通して謝れ。俺のことはもう時効にしておいてやるけど、でも…コンラッドにはちゃんと正面切って、心の底からゴメンなさいって言えよ。そうでないと…お前、何時までもこのままだぜ?」 ヴォルフラムに対して有利がここまで厳しい物言いをするのは初めてだった。 婚約のことにしても、最初の決闘のことにしても…きちんと清算しないまま今日まで来てしまったことを、有利は悔いているのかも知れない。 「う……」 ヴォルフラムに、人々の注視が集まった。 美麗な顔立ちと気高い気性…それ故に、頭を垂れることを赦免されていた節のある我が侭ぷーに今…引導が渡される日が来たのだ。 |