「つぼみの開くとき」−3







「…でさあ、その時ギュンターが何て言ったと思う?」
「えー?」

 《きゃっきゃっ》、《あはは》…可愛らしい双黒同士の談笑は、見ていて実に微笑ましい。
 有利とリヒトが何か喋っているのを横目で眺めながら、コンラッドは風呂上がりの髪を拭いた。

 7月最初の週末は丁度期末試験が終わる時期でもあり、結果はまだ分からないものの(分からないからこそ?)、リヒトはすっかりリラックスして家族団らんを楽しんでいた。

 有利に似て学校の成績は芳しくないリヒトだが、やはり大事な友達を作って楽しく日本での生活を送っているようだ。だから、あと2日したらやってくる16歳の誕生日を過ぎても、やはり高校卒業までは日本にいたいのだと言う。
 そうすると、週末や長期休業を過ごすのがこちらかあちらの眞魔国になるというのが、当面の迎えるべき変化だろう。

「ぷっはー、牛乳ウマーっ!」

 お風呂上がりに牛乳を飲む有利とリヒトは、同じようにして腰に手を当てて雄々しくゴイッゴイッと飲み下していく。ぷはーっと満足そうな息をついているその上唇に、白い髭が生えているのも全く一緒だ。

 リヒトは眞魔国で再会した頃の有利にうり二つである。全く同じDNAを持つのだから当然ではあるのだが…そのわりに受ける印象には違いがある。
 どちらも可愛らしい容貌のわりに豪快な性格をしているのだが、何故だかコンラッドにははっきりと違いが分かった。今、16歳の有利を連れてきてリヒトと並べたとしても、絶対に間違えない自信がある。双子でも好きになるのは片方だったりするから、そういうものなのかもしれない。

 求めるべき相手はやはり有利なのだと、コンラッドの体細胞の全て(特に下半身)が強く主張しているようだ。
 そう、間違ってもリヒトの裸体を見て興奮したりはしないのだから、コンラッドのチンコレーダー(…)は実に上手くできているようだ。

 未だに有利の着替えを見ると襲わずにはいられないのが、状況によってはちょっと問題になるが。
 大体夏だからと言って、風呂上がりにタンクトップとパンツ一丁(黒紐パン)という魅惑的な姿で居る有利にも責任があると思う。すらりとした下肢が素敵すぎて、ついつい足首を掴んで全開にしたくなっても当然ではないか(←言いがかり)。

「リヒト、そういえばグウェンが呼んでいたよ。成人の儀の事だと思うんだけど…」

 嘘ではないが、別に明日になってからでも良いことを殊更に伝えてみる。

「そう?じゃあ、後で行ってみるね」
「髪をしっかり乾かしてからにしとけよ?夏とは言っても、こっちの夜は結構冷えるからな」

 有利は自分だってまだ濡れているのに、甲斐甲斐しくリヒトの髪を拭った。

「うん、ありがとう父ちゃん」

 反抗期の頃には多少言い争いもあったものの、基本的に有利とリヒトは仲が良い。三十路半ばの有利が未だに二十歳そこそこに見えるせいもあって、並んでいると可愛い兄弟のようだ。

「よしよし、俺も手伝ってあげよう」

 コンラッドが妙に積極的に新しいタオルを取りだして頭を拭いてやると、リヒトが少々胡乱な眼差しを送って来た。 
  
「ところでパパ…その要件は今すぐ行った方が良いと思う?」
「そうだね。なるべく早いほうが良いと思うな」
「…父ちゃんと、なるべく早くイチャイチャしたいから?」

 図星を突かれて、内心ギク…っとするが表情には現さない。

「はは、イヤだなぁ…そんなことないよ」

 きらきらきら〜っと銀の光彩を輝かせて笑顔を見せるが、リヒトの眼差しは一層胡乱になってしまった。

「…パパって、爽やかすぎる時の方が嘘ついてること多いよね」

 流石、血の繋がりがないとはいえ息子だ。
 かなりお見通しの模様である。

「り、リヒト…俺は決して、お前を邪魔者扱いしてるわけじゃないからな…!?」
「分かってるよー。でも大概にしとかないと、また父ちゃんに禁止令を出されちゃうよ?」
「う…っ!」

 そう。基本的に有利はコンラッドに甘いのだが、それでも限界というものがある。
 特にリヒトや他の人がいるのにあからさまな態度で求められたり、玩具を使った羞恥プレイなどを強要されると(←やっちゃったのか…)激怒することがあるのだ。

「コーンーラ〜ドぉお…?リヒトに分かるように誘うなって、俺…何回も言ったよな?」
「ああ…ユーリ。怒った顔も素敵ですよ」
「もう!そんなので誤魔化されないからなっ!」

 ぷんすか怒りながらコンラートの胸板を叩く有利に、リヒトの方が《こりゃダメだ》と呆れ顔になって出て行った。多分、有利がそれほど怒っていないのを見て取って、彼の為にも退室した方が良いと察したのだろう。

 コンラッドはともかくとして、リヒトは有利の立場については相当に重んじているから。

「リヒト、ゴメンな。すっきりしたら親子の団らんしような〜」
「へいへい」

 仲の良すぎる両親に辟易したように、リヒトは荒っぽく扉を閉じた。

 

*  *  *  




「はふ…」
「すみません、疲れちゃいました?」
「んーん。平気ぃ…」

 申し訳ないほどにいんぐりもんぐりやった後、心地よい疲労感の中で二人は息をついた。
 結婚して16年が経過したが、未だに(傍迷惑なほど)昼夜を問わず熱々ラブラブの仲である。

 リヒトが12歳の時に家出をした理由も、川の字になって寝ている時にコンラッドが有利を求めてしまったのが原因だった。いつもは防音加工を施した別室でしか行為に及ばないのだが…その時は色々と盛り上がっていたのである。

 あの後、コンラッドも手酷いお仕置きを受けたものだった…。

 2週間のお預けを厳命された上、最終日には《躾》と称して我慢プレイを実施されたのである。
 《あられもない姿で誘う有利を目の前にして、襲わずにいられるか》という我慢大会は、結局誘っている有利の方にも限界が来てしまって、涙目で甘く《来て…》と囁いてしまったものだから、焦らし時間が記録的に長かったせいもあって、我ながら凄まじい勢いで求めてしまった。
 おかげで数日に渡って有利は執務が不可能となり、グウェンダルから二人して大目玉を食らったのである(仲良く頭頂部に大きなたんこぶを作った…)。

 …最終的にはお仕置きになっていない気配もあるが、それまでの2週間が減量中の力○並にしんどかったのだから、やはり大変なお仕置きだったのである。

「ねぇ…リヒトの誕生日、もう少しだね?」
「ええ、明日にはレオもこちらの世界にやってきますし…」
「やっぱ、あっちの世界を選ぶよなぁ…」
「それはまあ、そうなんでしょうけど…レオもリヒトも、まだ《おままごと》的な印象を受けますよね」
「そこから入るのもアリなんじゃない?」
「そうですかねぇ…。あの二人、確かに仲は良いですが…まだそれほど色っぽい感情は見えませんよ?」
「俺たちだって、俺が17歳の時に再会するまではそうだったじゃん」

 正確には、17歳の時に眞魔国へと戻る力を付ける為、四大要素の力を持つ妖怪達と契約を交わす中で、有利がコンラッドへの思いを自覚するまでは確かにそうだった。
 ただ…それはあくまで有利側の話だったりする。

「俺はあなたが15歳の時からズリネタにしてましたよ?」
「あんた、爽やかに輝く笑顔でナニ言ってくれてんだよ…」

 有利の頬が真っ赤に染まる。
 ひととしとって色気も出てきて、寝台の中では妖艶に乱れるようになったのに、我に返ると未だに恥ずかしがり屋さんなのが何とも可愛い。だからこそ、からかい過ぎて怒られたりするわけだが。

「実際問題、レオにリヒトが抱けますかねぇ…」
「その辺は任せるしかないよ。つか、リヒトの方はあんたが思ってるよりもやる気満々だよ?」
「え…?まさか、リヒトが攻めですか…!?」

 変な想像をして首筋の毛が立ってしまう。

「そーゆー意味じゃなくてさ、《ナニが何でも手に入れる!》って気概は、きっちり固めてるってコト。だから、絶対大丈夫」

 有利はにっこりと笑って瞼を伏せる。仲良しの兄弟のようではあっても、やはり有利はリヒトを産み出した母なのだ。十月十日腹に抱えていた子どものことは、誰よりも分かっているらしい。

「レオの場合は…多分、リヒトが生まれてくる時の話を何時までもしつこく反省し続けてるんだと思う。《俺から求める権利なんて無い》とかなんとかね。きっと、明後日にはそのことを死刑宣告を受けるような心地で告白しに来るんだと思うな…心理的に、白装束とか着て」
「あぁあ〜…似合いますねえ…。無駄に潔いから」
「あんただって似たようなもんだよ。俺が許すから無茶な抱き方もするけど、本気で怒ったら絶対手出ししないもん。レオはその上、出生時からの負い目なんかしょってるんじゃあ、とても欲情するような余裕ないよ」
「そう…ですね」

 身につまされる点も多くて、コンラッドは黙ってしまう。

「リヒトはさ、大丈夫。俺たちの子だもん。めっさ前向きに育ってるから、どんなにレオが後ろを向こうとしても、力づくで自分の方を向かせて幸せ街道をまっしぐらに突き進むよ」
「力強いな…あなたと一緒だ」
「ん…」

 頼もしい奥さんへの愛情がまたしてもふつふつと込みあげてきて、コンラッドは華奢な肢体の上へとのし掛かっていった。

 

*  *  * 




『明日…告白しなければならない』

 有利の予想通りに真後ろを向いているレオは、旅立ちを前にし心理的地底を這いずっていた。
 三日前から殆ど食事が喉を通らず、心なしか頬がこけて…周囲曰く、《無駄に凄絶な色香》がむんむんしているらしい。
 
 《無駄ってなんだ無駄って》…と、思わないではないが、多分《貴方の疲れを癒してあげたい》とか何とか言いながら、目をハートマークにして言い寄る輩が増えたり、グウェンダルやギュンターに《アレを食べろ、ココに座れ、スグ休め》と呪文のようにお小言を貰う点が無駄なのかも知れない。

『その色香とやらで、リヒトが丸め込まれてくれたらいいのに…』

 後ろ向きが極まって、逆に前向きに近い発想まで浮かんでくるようになった頃、コンラートは半ば無理矢理グウェンダルに食事と酔い止めの薬を摂らされて魔導装置に乗り込んだ。振動の激しい機体の中で嘔吐した時、吐く物がないと胃液を吐かなくてはならなくて苦しいと思ったのだろう。
 自分も魔力を吸い出されて大変な思いをすると言うのに…つくづく優しい兄だ。

 ココココココ……
 ウィイイイ……ン……

 馴染みのある振動が伝わり、真紅の機体が射出準備にはいる。
 もうじき…コンラートはリヒトに会うのだ。

『リヒト…今も君は、変わらずに俺を愛してくれるかい?』

 無邪気で可愛いリヒト…彼の瞳が凍てつき、コンラートを忌避する時、この心は今度こそ砕けてしまいそうだ。



*  *  * 




 ドゴオォン……っ!!

 いつもながら豪快な大音響をたてて、アニシナの魔導装置が広場に着陸する。一応ビーコンの役割をする受信装置があるから軌道が外れて客席に落ちたりする危険はないのだが、それでも閃光と激震に毎回ヒヤリとさせられる。

 アニシナ曰く、《静かで安全そうに見えると、馬鹿が着陸地点に入り込んだりするかも知れませんからね》ということで、わざとそのような音響にしているらしいが…単に派手好きだからとしか思えない。

 コォオオオオ……っ…

「レオ…っ!」

 リヒトが魔導装置に駆け寄ると、怪我も嘔吐もせずに済んだレオがひらりと陸地に降りる。実は吐く直前なのだが、気合いで引っ込めた。

「レオ…顔色悪いよ?酔っちゃったのかな?」
「少しね。でも、リヒトの顔を見たら治ったよ」

 にっこりと微笑めば、ぱぁ…っとリヒトの表情が綻ぶ。
 大人びた所もあるけれど、こういうところは相変わらず純情だ。

「レオ、いらっしゃい!」
「ようこそ!」

 次々に挨拶に訪れる人々を掻き分けて、リヒトはぐいぐいとコンラートを引っ張っていく。

「リヒト、足が速くなったね?」
「もー、あんたが真面目で礼儀正しすぎるからだよ?油断すると、身体に無理をさせてでも丁寧に挨拶をしようとするもん。パパを見習えとまでは言わないけど、もーちょっとスチャラカに生きても良いのに」

 傍らにいたコンラッドが半笑いになっている。自覚はあるのだろう。

「リヒト…それはパパに対する挑戦かい?」

 二人とも男親であるにもかかわらず、リヒトのコンラッドに対する扱いは結構酷い。
 この辺は母親と仲の良い娘が父親に見せる態度のようだ。

「リヒト!コンラッドだって昔は変なところで、迷惑なくらい真面目で融通が利かなかったんだぞ?それを今みたいに指導したのは俺の功績だ!」

 激しく佳い笑顔で、有利まで口を挟んできた。

「うん。俺も父ちゃんを見習って、レオの調教を進めるよ!」
「あはは!レオの調教っ!火の輪くぐりとか出来るようになりそう!」

 腹を抱えてゲラゲラ笑う有利に、村田やヨザックまで参入してきた。

「いやぁ…レオンハルト卿だったらやっぱり、色気方面の調教もイケるんじゃない?」
「あーん、猊下ったら流石!うっふふぅ〜…レオなら、頑張ればポールダンスとかも出来るようになりそうですよねぇ。指導は是非、舞台の天使グリ江ちゃんにお任せ!」

 ニヤニヤ笑いながら囁き交わす村田とヨザックが何のことを言っているのかレオにはよく分からないが、多分物凄く縁起でもない内容だと思う。

「みんなして何の相談を…」

 真剣に告白の件で悩み続けていたコンラートも、こうしてこちらの世界に来ると急に脱力することがしばしばであった。何というか、この連中には人を深刻にさせない何かがある。

「さーさー、馬鹿なこと言ってないで先に行かせてねー。レオ、休憩室でゆっくりしてよ」「ああ、そうさせてもらうよ」

 出立前の落ち込みとは別のベクトルで疲れ始めているコンラートは、大人しくリヒトの誘導に従った。



*  *  *  


    

 コンラートは暖かい飲み物を口に含むと、ほぅ…っと息をついた。
 
「美味しいねえ!」
「うん、とても」

 それはきっと、屈託無くリヒトが笑ってくれているせいだ。
 喧しすぎる面々にはご遠慮頂いて、リヒトは半ば強引に二人きりで血盟城の小部屋に入った。

 穏やかな時間の流れを感じながら、コンラートは瞼を閉じる。
 すると…ツクンと、やはり胸を突く感情が奥底から滲みだしてくる。

『喜んでる場合か?』

 ツクン…
 ヅ…クン…っ

 ちくちくとした痛みは、いつしかずぶりと突き刺さるような痛みに変わってコンラートを責め立てる。もしかすると、また胃壁に孔でも開いたのかも知れない。
 以前も鬱の極期に入ったのか、血反吐を吐いて倒れたことがある。

 その時にはグウェンダルが血相を変えて有利たちに懇願し、リヒトを3週間ほどあちらの世界に飛ばして貰ったのだ。
 現金なことに…リヒトにお粥さんを食べさせて貰ったりしている内に、胃潰瘍はけろっと治ってしまった。

「レオ、目…開けて?」
「…っ!」

 びくん…っと震えるようにして目を開けると、リヒトのちいさな手が額に押し当てられる。じっとりとしているのは彼の手ではなく、コンラートの額の方だろう。

「また変なこと考えてたろ?」
「いや…」
「隠さなくて良いよ。それって、あんたが…俺が魂の状態で父ちゃんの身体に入り込んだ時、父ちゃんの命の方をえらんじゃたコト、気にしてんだろ?」

 ガシャン…っ…

 コンラートらしくもなく、動揺がそのまま動きに現れてしまった。
 顔だけでなく全身から血の気を引かせて、反射的に立ち上がったことでカップを取り落としてしまったのだ。


 厚い絨毯を敷いていたのだけど、薄い陶磁は落下の衝撃に耐えきれずに割れてしまった。




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