「つぼみの開くとき」−2








 リヒト…地球では渋谷利人と字を当てられている中学三年生の少年は、口をぱかりと開けていた。
 《利回りのいい人》みたいな字面は、とても名付け親のつけてくれた《光》という素敵な意味とはほど遠い。

 いや、問題は15年間連れ添った名前の方ではなく、名付け親の方だ。

「来ちゃった」

 語尾にハートマークと花吹雪を散らせて佇む青年は、あまりにも華麗でゴージャスでスウィートだ。すぐ横に、よく似た面差しだが幾分精悍な渋谷・W・コンラートがいるから、余計に人々の口はあんぐりと開いてしまう。

 なお《あんぐり仲間》の人々は、リヒトが通う中学校のクラスメイト達である。今日は文化祭だから父兄が訪れるのは珍しいことではないし、一年、二年の時にもリヒトの両親については大いに話題となり、《どうして両親がお父さんなの!?》《なんであんなに吃驚するくらい美形で若いの!?》と、文化祭の後にもなっても騒動が続いていたくらいだ。
 特に前者の疑問については、多感な中学生時分にはイジメの対照になっていてもおかしくないのだが、リヒトの方が眞魔国的感覚で飄々としてたせいか、逆に追求されなかった。

 多分、あちらの方で勝手に《深い事情があるもの》と解釈してくれたのか、特に教員などは《強く生きろよ…》等と励ましてくれる。まさか、現在は正真正銘の男性体である有利からリヒトが生まれた等と推測できるはずもないから、これは致し方ないだろう。
 比較的、周囲からは良い受け止め方をされている方だと思う。

「リヒト、固まってしまってどうしたの?」

 父親の片割れにそっくりなんだけれども、どこか儚げな雰囲気が漂う分、えもいえぬ色香を漂わせたレオンハルト卿コンラートがにこやかに手を振ると、コンラッドの方を何度か見ているはずの生徒達からも《きゃあぁああーっ!》と、改めて黄色い歓声が上がる。

「き、来ちゃったって…」
「サプライズだよ。リヒト、こないだレオに遊びに来てくれって言ってたんだろ?」

 《あはは》と一緒に来ていた有利が笑いながら言うと、反射的にリヒトは激高してしまう。

「タイミングを考えてくれよ父ちゃんっ!」

 ぶわっと涙が溢れそうだ。
 なんだってこの親は、自分だって学生時代に色々と苦労したというのに、よりにもよって文化祭なんて日取りに想い人を連れてきてしまうのか。

 そう…クラスの出し物で《アリスのお茶会》という手作りクッキーのお店をやっているリヒトは、今まさにアリスの扮装をしているのだ。
野球部の後輩にまで《先輩、超可愛いっス!おれ、先輩が女なら速攻付き合ってくれって、玉砕覚悟で申し込むッス!》等と熱く語られている。
 
 とはいえ、コンラートには《お嫁さんにして》とお願いしているのだから、今更のような気もするが…。

 ちろりと見上げてみれば、物凄く嬉しそうな顔をして、琥珀色の瞳の中で銀色の光彩をキラッキラさせているコンラートがいる。

「とっても可愛らしいね。背景もどこかお伽噺のようだし…これは、何かストーリー性のある店舗なのかな?」
「うん。《不思議の国のアリス》っていって…」

 丁度店舗の中に飛び出し式のアリス絵本があったから、ざっくり説明しながら見せてあげると、コンラートは不思議そうな顔をした。

「なんとも…ストーリーがあるような無いような、不思議な話だね」
「お話自体はナンセンスだからね。でも、長いこと人気があるんだよ」
「まあ…それは分かるな。とにかくアリスが可愛らしいものね」

 にっこりと微笑むコンラートの方が余程可愛い。
 流石にアリスの扮装はイタイかもしれないが、白の女王なんかは意外と似合うのではないだろうか?

「俺が着たら…変だろ?こういうのってウケ狙いで男が着たりするんだけど、そういうときに言われる《可愛い》は《気持ち悪い》っていうのが結構入ってるんだよ?」
「どこに《気持ち悪い》なんて要素があるの?絶対的に強烈に可愛いのに…」

 婉然と微笑むコンラートは輝き渡るように綺麗で、眩しさに目がくらむようだ。

「か…可愛くなんか…」
「可愛いよ、とても…。他の連中に見せるのが勿体ないくらいだ」

 髪に無理矢理巻かれた水色のリボンをきゅっと直され、至近距離で甘く囁かれると、頬が紅く染まってくらくらしてしまう。
 
「も…こういう所でそういうの、止めて…顔、真っ赤になっちゃうじゃん」
「熟れた林檎みたいで美味しそうだね。連れて行って食べてしまいたいよ」
「おーい、レオ…一応両親がいるまえで、そういうのは如何なものかと…。あとな?一応ここ学校だから…健全な青少年の育成の為にも、ちょっと自重しろよ」

 軽く居たたまれなくなったらしい有利が半笑いで窘めると、初めての地球ではっちゃけ過ぎていたコンラートも少し勢いを押さえる。

「ゴメン、ユーリ。何だか嬉しすぎてはしゃいでしまったみたいだ」
「うん。普段我慢してる分、あんたらって一線越えたときの浮かれようが半端ないよね」「ユーリ…何げに俺批判ですか?」

 コンラッドが《心外だ》とばかりに眉根を寄せると、有利はしれっとして返す。

「別に批判はしてねーよ。ちょっと馬鹿にしただけだ」
「ゆ、ユーリ…」

 半泣きになったコンラッドを従えて、有利は余所の出し物を見に行こうとする。

「そんなわけで、ゆっくり遊んで行ってよレオ。リヒトの学校生活が破綻しない程度にはイチャイチャしても良いからね。コンラッドのことも、《外人だからボディランゲージが激しいんだ》ってことで、生徒さん達には納得して貰ってるから」
「コンラッド…一体、今までに何をしてきたんだい?」
 
 コンラートが軽く指摘したのだが、コンラッドは軽く苦笑して退席してしまった。
 彼らこそ、青少年の育成に問題があるような行為を隠れてしていないと良いが…。

「レオ、あと30分で当番終わるから、そしたら一緒に校舎の中を回ってみない?俺もまだ見てないところが色々あるんだ」
「ああ、良いね。じゃあ、それまではお手伝いしようか?」
「ホント?い、良いのかな…」

 気さくな魔王陛下は日本語を使えないにもかかわらず、上手に交渉して快く男子生徒から衣装を受け取っていた。その時に、生徒の身につけていたチェシャ猫を思わせる腕抜きとソックスを装着しようとしたのだけれど、すかさず割って入った女子生徒達がわらわらとアイテムを差し出した。

「こ…こっちの方が似合うと思いますっ!」

 身振り手振りとリヒトの通訳で意図を汲み取ったコンラートは、快くベストと片眼鏡とうさ耳のカチューシャを受け取った。どうやら、三月兎の衣装らしい。すらりと均整のとれた長身の男性には如何なものかと思われたけれど、つけてみると意外と似合っている。

「渋谷君、写真撮らせてぇ〜っ!」

 きゃふきゃふと駆け寄ってくる女子生徒達はリヒトと合わせてコンラートを撮影したがり、結局30分の間は店のお手伝いと言うより妨害に近いような形で写真撮影会が行われたのだけど、別段、苦情はでなかった。

「ゴメンな、みんな…」

 男子生徒達にとっては迷惑でしかないだろうと思ったのだけど、リヒトが上目遣いになって申し訳なさそうに謝ると、みんな(鼻の下を伸ばして)許してくれた。やっぱり、このクラスの連中は良い奴ばかりだ。

 ただ、きっちりしているメンバーもいるにはいて、《売れ残ると面倒だから、行商してこい》と籠一杯のクッキーを渡された。

 それを持って校舎の中をコンラートと共に回遊すると、我先にと人々が詰めかけてきてクッキーを買い求め、そのついで…というよりは、そもそもの目的であるかのように写真を撮っていったので、すぐにクッキーは完売してしまった。

  

*  *  * 




 クッキーの売り上げをクラスメイトのもとに届けると、リヒトは学生服に戻ってコンラートのもとに駆けてきた。頬を上気させた嬉しそうな様子は、抱きしめたくなるくらいに可愛らしい。

 実際、腕が伸びかけていたのだが…同性愛への風当たり強いと聞く地球では、少々控えておいた方がよいのだろう。

『可愛いなぁ…』

 リヒトへの思いが色合いを変えたことで、その《可愛い》という印象もまた以前とは違ったものになっている。最も大きな違いとしては、独占欲が強くなったことかも知れない。

 以前は《リヒトが望むなら、他の誰かを求めても祝福しよう》と思っていたのだが、どうにもそんな事態には耐えられないと自覚すると、いっそのこと《俺のものだ》と知らしめる為に、公衆の面前でキスでもしてみようかという気がしてくる。

 実際には、やはりリヒトの生活を慮って出来ないのだけれど…(←やっぱりヘタレ)

 手を繋ぎたいのも我慢して、林檎一つ分くらいの距離を置いて校舎の中を回ってみた。
 出し物の規模や精度は勿論子どもの作ったものだから、鑑賞に耐えるようなものではなかったのだけど、きゃあきゃあと声を上げて楽しそうにしている双黒の群れの中で、リヒトが自然に子どもの顔をしているのが嬉しかった。

 やはり、有利は正しかったのだと思う。
 二つの眞魔国に於いてはいずれも魔王陛下と《ルッテンベルクの獅子》の嫡子、救世主の息子として扱われるリヒトは、偉大なる両親の強すぎる光の中に立たされている。
 けれど、ここでのリヒトは適度に平凡で、自分自身というものを客観視していけるのだ。

 生涯を通じては、やはり有利の息子であることを乗り越えなくてはならないのだとしても、成長の過程で自分というものを手に入れる為には、無くてはならない時期なのだと思う。

「リヒト、学校は楽しそうだね」
「うん。良い奴らが多いからね。て、…あっ!宮川先輩っ!」

 ふと見ると、周囲より頭一つ分は大きな逞しい少年がいた。学生服の中学生達の中で私服を着ていることもあって、おそらくはこの学校の卒業生なのだろうと察せられる。
 宮川と呼ばれた彼はリヒトを見つけると、ニカ…っと陽に灼けた顔を綻ばせて足早に駆けてきた。短く刈り詰められた髪は、高校球児の証らしい。

「渋谷、今日は親父さんの片割れと一緒なのか?」

 《ダブル親父》という状況をさらりと流せる辺り、屈託の無い少年なのだろう。

「いえ、この人は俺の名付け親で、レオンハルトって人なんです」
「名付け親?ああ…ホントだ、ちょっと親父さんとは違う感じがあるな。双子とか?」
「えーと…ハイ」

 そりゃあ、《異世界の同一人物です》とは紹介できないだろう。

「それでなくても美形なのに、二人もいるなんて凄いなー。並ぶと、メチャメチャ迫力ありそう」
「はは…確かに」
「あ、そりゃそうと渋谷。お前、アリスの格好してたんだよな?」
「げ…何でソレを……」

 リヒトが《ぐげぇ》と言う顔をしているにもかかわらず、宮川の方は熱心に両手を合わせた。

「なぁ…もういちど着てくんない?」
「えー?やっとお役御免になったのにー」
「なあ、頼むよ…俺はその噂聞いて、練習休んでここまで来たんだぜ?」
「そんなぁ…先輩までわざわざ俺のこと笑いに来たの?」

 ぷくっと頬を膨らましたりしないで欲しい。
 案の定…宮川の切れ長の瞳には《愛おしくって堪らない》という色合いが浮かび、リヒトの肩を掴んで引き寄せようとした。

「なあなあ…先輩命令ってコトでさ」
「えー、狡い!宮川先輩がジュリエットやったときには、恥ずかしいからって俺には見せてくれなかったのに!」
「後でジュリエットでもバケラッタでもやってやるから、なー、見せてよ渋谷!」

 コンラートは少々憮然とはしていたが、会話の内容が日本語で正確には理解できないのと、一応はリヒトの人間関係に考慮して手出しはしないようにしていた。だが…宮川の両手がリヒトの肩を掴み、少し無理強いをしているように見えると、怒りの沸点を《プチン…》と越えてしまった。

 ふわ…っとリヒトをお姫様抱っこにすると、とっとと逃走を開始したのである。

「うっわ、レオ…っ!?」
「し、渋谷ーっ!!」

 宮川が血相を変えて追いかけてくるのが面倒で、レオはひらりと窓枠に足をかけると一気に飛び降りる。ここは3階だが、躊躇するほどの高さではない。あたりをつけていた木の幹やひさしを正確に蹴りながら無事に降りていく。

「ぎゃーっ!無理心中っ!!」

 宮川が背後で叫んでいるが、気にせずスタリと着地を決める。

 ど…っ!と辺りが沸いたのは、出し物の一環だと思われたのだろうか?
悠然と微笑みを返せば、歓声はまた黄色い色調を帯びてきゃあきゃあと響き渡る。しかし、駆け寄ってくる連中を一々相手にするのも面倒で、そのままリヒトを抱えて更に逃走してしまった。
 
 

*  *  * 




「し…信じらんない…っ!」
「申し訳ない…」

 屋上まで逃げていくと、ここが比較的静かで遠くに歓声が聞こえる分、段々と冷静になっていく。
 あの騒ぎの1/3くらいは、コンラートが引き起こしたものだろう…。
 《名付け親》と紹介しているから、まさか誘拐とは思われていないだろうが、そろそろどうにかしないと探しに来られそうだ。

「なんで宮川先輩置いて、お姫様抱っこで逃走なんかしたんだよーっ!俺、恥ずかしくって顔合わせられないよっ!」
「すまない…顔を合わせられないと、寂しいくらい仲良しの先輩だったんだね?」

 そんなにしょんぼりとした顔をしないで欲しい。
 なんだか、リヒトの方が悪いみたいに感じてしまうではないか。

「そりゃあ…凄く面倒見の良い先輩だったし、仲は良い方だったけど…」
「そうか…」

 コンラートが捨てられた大犬(…)のようにしょぼんと肩を落とすから、堪らなくなって肩を抱き寄せた。

「ん…もぉおお…っ!なんでそんなに可愛いの、あんたっ!?絶対俺の人生に喧嘩売ってるだろ?」
「リヒト…何のことだい?」

 きょとんとしているコンラートの頬に、無理矢理噛みつくみたいにキスをしてみた。

「こっちの暮らしとか、友達とか…どう思われても良いから、《この人が俺の恋人です!》って言いたくなるじゃんっ!」
「恋人…って、言っても良いのかい?」
「…あんなところで異様に押しが強いくせに、どうしてそう言うところは信じられないかな」

 半眼になって責めると、コンラートは困ったように苦笑した。それがやっぱりまだリヒトのことを信じ切れてはいないのかと思って、少し寂しくなる。根っからの不幸気質のコンラートは、なかなか自分が愛されているという自覚を持てないらしい。

「俺には学校生活とか友達とか先輩・後輩とか、大事なものはいっぱいあるよ?でも、あんた以上に大事なもんなんかない。恋人としてのあんたが…いつか、結婚して連れ合いになってくれるあんたが、いっちば〜ん…大事っ!に、決まってるだろ?」

 浴びせかけるように叫ぶと、ふわ…っと華が綻ぶようにコンラートは微笑む。
 それはそれは綺麗な笑みは、本当になにもかも振り捨ててしがみつきたいような美しさを湛えていて、どうしてこんな人が自分に自信がないのかと不思議に思う。

 きっと、よっぽど苦しい人生を経てきたせいなのだろう。

『全部全部、俺が埋めてあげられたらいいのに…!』

 過去に戻って全てを修正することは出来ないけれど、その代わり…今の暮らしを輝かせてあげたい。
 コンラートが間違ったと思ったことも、回り道をしてしまったことも…《ああ、全てはこの幸せの為に必要な道程だったんだ》《無駄なことは、何一つ無かったんだ》と信じさせてあげたい。

 何度でも、彼が不安を感じるたびに。

『その為に俺は、たくさんのことを知っとかなくちゃいけない』

 ただコンラートの傍に長い時間居るだけではきっと駄目だと、10歳くらいの時に有利やコンラッドと話していて思った。
 有利も異なる世界で、多数の価値観の中で育ったからこそ眞王や眞魔国の《絶対的存在》を、気にしすぎずにいられたのだという。それはきっとリヒトにも言えることで、眞魔国の価値観だけを基盤にしてしまうと、決してコンラートと並ぶことは出来ないと思うのだ。

 地球で、日本で…良くも悪くも平和なこの国で、《人は平等》という感覚だけはしっかりと身につけておきたい。
 その事もあって、リヒトは高校卒業まで学生生活を続けるよう望んでいるのだ。

『コンラートをずっと支えていく為に必要な物を、俺は吸収したい』

 決意を込めてコンラートを抱きしめたら、同じように強く抱き返された。
 
 遠い喧噪の音を聞きながら、リヒトは有利たちに探し出されるまで、ずっとそうしていた。 




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