その掌が鳴るとき
A












「参加しない?」
「ああ」

 コンラートが15歳になった冬のこと、幼馴染みのグリエ・ヨザックが電話をかけてきて、《クリスマス会》という名の飲み会に誘ってくれた。

 彼はシュトウットゥガルトにあるグルントシューレ(小学校)に通っていた頃の同級生だ。
 その後コンラートが母の扶養となってこのギムナジウムに通うようになり、ヨザックが中等実科学校の工業過程に所属するようになってからも付き合いは続いている。

 付き合いとは言ってもコンラートの方から声を掛けることはまず無かったのだが、誘われれば断ることはなく、何をするにしても楽しく過ごしていたのも間違いないから、やはりコンラートにとってこの男は数少ない《友人》といえる存在なのだ。

 彼のことだから、年齢不相応にいかがわしく…けれど、賑やかな会になることは間違いなさそうだったが、コンラートはその申し出をやんわりと断った。

「なに?彼女でもできたのかよ」

 電話口でも分かるくらい、明確に拗ねたようなその声に苦笑してしまう。

「いいや。残念ながら男ばかりのギムナジウムを出て、狩りに出るほどの元気はないよ」
「よく言うぜ…。交流行事の度に他校の生徒から浴びるほど手紙を忍ばされたり、《メル番教えて下さい》攻勢を浴びてるって評判だぜ?童貞って訳でもないんだろ?カタい学校に入らされたからって、そこまで操を守ることもねぇじゃん」

 コンラートは良くも悪くも貞操観念のない方で、ダンヒーリーがそういったことに大らかだったせいもあって、早くに筆おろしを済ませてからというもの、好みの相手に誘われれば特に躊躇もなく寝ていた。
 だが、だからといってそれがなければ日も世も暮れないというタイプではないため、しないならしないで別段困りはしない。
 モテる男の余裕と言えば聞こえは良いが、単に執着がないだけだ。

 母の金でラブホテルに入るのも憚られるため、ギムナジウムに入ってからそういった行為に及んだことはない。(それ以前に、15歳にして操が《守るほどのもの》ではなくなっていることを考えた方が良いような気がするが)
 
「あ…ひょっとして……」

 不意に、ヨザックの声がからかうような色調を帯びた。

「…《彼氏》でも出来たとか?あんた…狙われても上手くかわしてたのにな。とうとう誰かに捕まったのかよ?」
「…まさか!」

 くすりと苦笑したものの、一拍置いたのをどう思ったのか…ヨザックの声が含み笑いを消すことはなかった。

「俺はそういうの大らかだぜ?何かあったらいつでも教えろよ?やり方とか事細かに教えてやるぜぇ〜?やる方もやられる方もさ…」
「両方とも詳しいのか?どういう人生なんだお前…」
「ま、あんたとオヤジさんに救われなきゃ、こういうのを生業(なりわい)にしてたろうなって人生だったからな。名残みたいなもんさ」

 ヨザックはグルントシューレに通っていた時分、両親に先立たれて食うや食わずの生活を続けていた上、母親の男友達…タチの悪い男に淫売宿に売られたのだ。
 逃走中にダンヒーリー・ウェラーとその息子が救出し、然るべき筋に話を通して暮らしの筋道を立ててくれなければ…確かに悲惨な人生を歩んでいたに違いない。

「すまん…」
「気にすんなよ。あんたは俺の恩人なんだ…恩に着せこそすれ、謝るような筋じゃねぇよ」 

 凛とした声を聞きながら、ヨザックのこういうところにコンラートは尊敬を抱くのだった。
 普段はどんなに巫山戯ていたり下品なように見えても、この男はどこか毅然としたものを持ち合わせている。

 それを保たせたのが自分と父なのだということは、コンラート自身にはあまり自覚のないことなのだが…。

「また、誘ってくれ。24日でなければ、いつでも時間は空けるから」
「ふぅん…。クリスマスイブだろう?どう考えたって対恋人日程じゃねぇか」
「そういうんじゃないんだよ…」
「まあいいや。じゃあ、新年の飲み会には絶対参加だぜ?そんで、そっちの方が上手くいってたら首尾も聞かせろよ」
「だからそういうんじゃ…」

 言いたいことだけ言うと、電話はコンラートの返答を待ちきらずに切れてしまった。

「気の早い奴だな…」

 唇の端を微妙に枉げて、コンラートは電話をポケットに戻した。

「ユーリ…友達の誘いまで蹴ったんだから、今年も来てくれよ?」

 《俺に寂しいクリスマスを過ごさせないで?》…そう呟きながら、コンラートが卓上に置かれた人形の頬をちょいっと突くと、心なしか《分かってるよ》と言いたげに人形が笑ったような気がした。



*  *  *




「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ〜ん!」
「ハクション大魔王?」
「何でそういうこと知ってんの?」

 待ちに待った24日の夜…コンラートの部屋でぽぅんっとヒト型に変身したユーリは、思わぬ突っ込みに目を見開いた。

「勉強したんだよ。日本のことをね…」
「へぇ〜!アニメ好きなんだ。意外〜!」
「いや…」

 《そういうわけではない》と言いたかったのだが、《なら、どういう理由なのか》と問われても困るので、そのままにしておいた。

「それより…食べ物を用意しておいたんだけど、食べられる?」
「わ…本当だ!凄い、美味しそう〜っ!」

 卓上に所狭しと置かれた食べ物はいずれも華やかなパーティー仕様で、ユーリに食べさせるのでなければ決してコンラートが買ったりするはずのない物ばかりだった。

 綺麗にカッティングされたサンドイッチ群、キャビアやサーモン、チーズが載ったカナッペ、サンタや鈴、プレゼントの形に整形された焼き菓子やパン、蒸し米や何やらをたっぷり詰めて焼き上げた鶏…それらが綺麗なテーブルクロスの上に並べられ、小さな花籠やキャンドルまで飾られている。

 普段は殺風景なコンラートの部屋に、そこだけ生き生きと息づく生活感があった。

「わぁ…わぁ!た、食べても良いの…?」

 瞳を輝かせて喜んでくれるその姿を見るだけで、用意した甲斐があるというものだ。
 コンラートは誇らしげに胸を張ると、一流の給仕のような動作で食事を勧めた。

「どうぞ、君のために用意したんだ」
「マジで!?」
「そうだよ…ね、遠慮せずに食べて…ユーリ」
「あ…!」

 名を呼ばれた途端、吃驚したようにくりくりとした瞳が見開かれ…次いで、幸せそうにほわりと綻んだ。
 白い花房が揺れるような…そんな微笑みに、コンラートの胸はひたひたと温かい何かで満たされていく。

「えへへ…嬉しい…!名前を呼んで貰えるのって、良いよねぇ…!」
「じゃあ、俺の名前も忘れずに覚えていてくれた?」
「うん、コンラッド!」

 本当だ。

 その唇が…少し鼻に掛かったような甘い声を伝えた途端、ぽぅん…っと胸の中で弾むものがある。

 幸せ。

 ああ…どうして、この子はこんなに幸せな気持ちをくれるのだろうか? 



 二人してたっぷり並べられた食べ物を胃の腑に収めていく。
 それにしても、ユーリが食べたものは一体何処に行くのだろうか?

『でも…食べて美味しいと感じてくれてるのならそれでいい…』

 ユーリは何とも幸せそうに食べ物を口にする。
 コンラートにとって食事というのは、困らない程度に栄養を摂取するという以外の意味を持たないものだったのだが、ユーリと食事をしていると、どういうわけかそれ以外の意味に気づかされるのだった。

 誰かと会話をしながら食事をすることが、こんなにも楽しいとは思わなかった。

「うーん…それにしても、コンラッドってばでかくなったよね?去年は俺と一緒くらいだったのに…」
「そうだっけ?」

 言われてみれば、二人で並んでみると微かにコンラートの方が背が高く、肩幅や筋肉の厚みに至っては、比べるのが気の毒なほど差が出始めていた。

「いつもはプレゼントを贈るとすぐに人形師さんの所に帰ってたからさ、二年続けて同じ人を見るの初めてだ…」

 急に…ぎゅうっと胸が拉がれる。

『ユーリは、成長しないんだ…』

 不思議なことに食べたり飲んだりすることが出来るとしても、彼が育つことはない。
 彼は、人形なのだから…。

「どうしたの?」
「ううん…なんでもない」

 改めて口にしなくても、きっとユーリもその事は分かっている。
 それなら、敢えて短時間しか会えない彼を哀しませるようなことはすまい。
 せめて精一杯楽しい気持ちを味わって、プレゼントを…。

「あ、そうだ…俺、ユーリにプレゼントがあるんだよ」
「え…?」

 ユーリは手渡された包みに、また吃驚して目をぱちぱちいわせた。

「嘘。これって……もしかして…!」
「野球好きだって言ってたろ?」
「うわぁぁ…!」

 《開けても良い?》と可愛らしく上目づかいに聞いてくるから、《勿論》と答えて、コンラートも一緒になって包み紙を開けていく。
 どんどんユーリの瞳が輝きを増して、ミットとグラブ…バットを抱きしめて頬ずりする姿にコンラートまで全開の笑みを浮かべる。

「凄い…俺、人形になってからボール握るの初めてだよ!わぁあ…!コンラッド、キャッチボールできる?」
「ほどほどにはね」
「やろうやろう!」

 うきうきと椅子から降りたユーリだったが、ふとコンラートが開いた包み紙の端に、色の違う紙を見つけて拾い上げた。
 それは、コンラートの手書きと思われるカードだった。

「これ…俺に?」
「………あんまり見ないでくれる?」

 心なしか頬が上気してしまう。
 
 何でも器用にこなすコンラートも、手書きのカード等という物を作る際には色々と不器用さを露呈してしまう。
 よせばいいのにサンタの絵や飾り文字など添えたものだから…ちょっと恥ずかしいくらい幼稚なカードになってしまった。

「そういうの、初めて描いたから下手なんだ」

 見られたくなくて奪い返そうとするのだが、ユーリはにこにこ顔で胸に抱きしめる。

「駄目!これも俺にくれたんだろ?だったら俺のだもん!」
「うう…いつもみたいに既製品で済ませれば良かった…」

 心底後悔しながら呟くと、ユーリはきょとりとして目を見開いた。

「お母さんにプレゼント贈るときとかは、こういうの書かないの?」
「プレゼント自体贈らないよ。母の気に入るようなものを贈る自信もないし…そもそも、母の金で大それたプレゼントを買うなんてシュールだろう?」
「えー?じゃあ、カードだけでも贈ろうよ!」
「でも…クリスマスはもう明日だし…」
「いつもお母さんはプレゼントをくれるんだろう?そのお礼とかでもいいじゃん」

 その考えに取り憑かれたように、ユーリはパンっと手を叩いた。

 すると…また今年もやってしまった。

「あ…」
「あ…あぁ〜!」

 食べかけのカナッペやサンドイッチの隙間に現れたのは綺麗な紙の類で…彼が今年も自分の思いつきを《プレゼント》にしてしまったことが分かる。

「やっちゃった…」
「まあ、また来年もよろしくね」

 ぽんっと肩を叩いてやると思いのほか落ち込んではいないようで、こっくりと頷いて食べ物を脇に寄せていく。

「キャッチボールはまた来年しようね。それまで、こいつで練習してて?」

 大切そうに贈り物のミットやボールを抱えると、これもサイドボードに纏めておく。

「ユーリへのプレゼントなのに…」
「だから、俺とのキャッチボールのために使ってよ。ね…今年はカード作ろう?」
「ああ…」


 言われるまま、次々にカードを作った。

 コンラートの家庭の事情などを説明する内に兄と弟のことも説明すると、《じゃあ、そっちにも作ろう!》ということになり、更にはヨザックなどの友人達にまで《日頃のご愛顧にお応えして》…等と言いながら大量に作らされた。

 改めて名前を挙げてみれば、人付き合いが希薄なはずのコンラートにも《カードを送ってもいいかな?》と思う程度の相手は結構いるようで、明け方まで掛かって作ったカードの数は結構な量になっていた。

「あ…夜明けだ……」

 色んな事をお喋りしながら、あっという間に時間が過ぎたのを感じながら…暫くの間、二人して窓辺が白み掛けていくのを無言で見守った。

 また、淡く…ユーリのシルエットがぼやけていく。

 それが切なくて指を伸ばすけれど、もう…コンラートの指は実体としてユーリに触れることは出来ない。

「また…来年……」
「ああ…」

 笑おうとするその表情が、涙ぐんでいるのを感じたら…コンラートの眦にも涙が込み上げてきた。
 それでも、また来年会えるのだという約束がコンラートの心を繋ぐ。

 会いたい。
 また、会いたい…。

『…俺は、ユーリにプレゼントを用意しながらも…俺へのプレゼントの内容は考えてもみなかった。忘れていたわけじゃあないのに、何かと理由をつけては考えないようにしてきた…』

 自分の心理を冷静に分析すれば、《離したくない》という子どもっぽく…だからこそ純粋な願いに気付く。

『俺は…人形師の元に、ユーリを帰したくない』

 それがどれだけ酷いことなのか、自分でも分かっているつもりだ。
 
 ユーリは家族との記憶を切望していた。
 少しでも思い出せるように、一つずつ《プレゼント》を贈り…記憶を得る。

 その可能性を、コンラートは故意に妨害しているのだ。
 
『だけど…ユーリは今年、俺に《プレゼント》の希望を聞かなかった』

 その事実に縋り付こうとするが、この問題も変なところで冷静なコンラートの分析力が解いてしまう。
 そうさせないために…目を見張るほど華やかな食事を用意し、ユーリが喜ぶだろうプレゼントを用意したのではないか。

 はしゃいだあのサンタ君が、またうっかりミスで何かを出してしまうことを期待しながら…。

『ゴメンね…』

 ベッドの上で人形に戻ったユーリを抱き上げながら、コンラートは陶器の頬に唇を寄せた。
 そこは、去年母の口紅がべったりついていたのを丁寧に拭き清めた場所だ。

 心なしか恥ずかしげにしているような人形をいつもの場所に戻し、コンラートはやさしく囁いた。

「また…来年……」

 来年になれば、コンラートはまた成長し…今よりは少し、大人になるだろう。
 そうしたら、きっとこんな狡さとも卒業できる。
 彼のために、本当に与えなくてはならないものを与えられるはずだ。

『そうしなくてはいけないんだ…』

 コンラートは唇を噛みしめ、楽しかった宴の後片づけを始めた。



*  *  *




 ユーリと作ったカードは思わぬ効果をもたらした。
 贈った面々から、予想を上回る勢いで感謝の連絡が寄せられたのだ。
 そんなにコンラートがそういうものを贈ってくるのは意外だったのだろうか…。

 母は狂喜して電話を掛けてきたし、半ばやけくそで贈った兄と弟までが返信をくれた。

『クリスマスカードとしては時節を外していたが、サンタはなかなか良く描けていた』

 几帳面な字でそういった意味合いの封書を送ってくれたのは兄だ。
 
『僕がこういうものを送るからといって、僕がお前のことを兄だと認識していると思うのは大きな間違いだ』

 神経質そうな文字でそういった意味合いのカードを送ってきたのは弟だ。

 だが、ぶっきらぼうなその文字面の合間に見え隠れるのは、拒絶ではなく戸惑いと…隠しきれない親愛の情で…。

『…来年は、ちゃんとクリスマスに届くように何か贈ってみようか?』

 そんな気にさせられる。

 じんわりと胸に満たされる喜びの感情に、これまでは斜に構えているつもりで…期待して傷つくことを恐れていたのではないかと気付いた。

『子どもだったんだ…』

 年齢の割に大人びていると周りに思われていたから、自分自身そうなのだと思っていたけれど…本当に大人であるということは、欲しいものをちゃんとした形で欲しいと言えることなのかも知れない。

『来年は、ユーリに欲しいものを告げられるだろうか?』

 まだ何も思いつかないのだけれど、あのやさしい少年を幸せにするためには、何だってしてあげたいと思うのだ。

 それこそが、あの子へのプレゼントなのだと思う。





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