その掌が鳴るとき
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「プレゼント…ね」

 箱を開いて、コンラート・ウェラーは苦笑した。

 これまで数回しか顔を合わせたことのない母は、自分の次男が幾つになったのか…あるいは、性別も忘れているのかも知れない。
 
 箱の中に緩衝材と共に梱包されていたのはサンタの人形で、少し変わっているのはそれが少年であることと黒目黒髪であること…後は、頬に鮮やかな口紅の痕があることだ。
 おそらく、母が押しつけたものだろう。

 14歳になる少年への贈り物としては、幾らか奇妙に思えるが…忘れられていなかっただけマシと思うほかあるまい。
 コンラートとしては、それほど母親に対して過大な期待をしているわけではないので、こんな贈り物でも微笑ましさを感じるくらいだ。



 コンラート・ウェラーはこの全寮制ギムナジウムにはいるまでは、父親と自由な旅を繰り広げていた。風を渡り、大地を駆ける…今時珍しいような自然児として育ってしまったわりに、コンラートは名門ギムナジウムの中で浮くことなく暮らしている。
 どうやら、周囲の空気感に無理なく合わせることが得意なたちであるらしい。

 だからといって、それが本人にとって《心地よい》と表現出来るかといえばそうではないのだが…。

 しかし、文句を言う謂われはないだろう。

 自由奔放な母はコンラートの父であるダンヒーリーと離婚した後もう一度結婚したが、その男とも離婚することになると、《花嫁になるのはとっても楽しいけど、お別れするときのゴタゴタはもうこりごりだわ》と嘆いて、それからは不特定多数の恋人達と自由恋愛を繰り広げ、世界中を旅している。

 年齢を超越した美貌と、シュピッツヴァーグ財閥の資本力がその行動を力強く支えているのだ。

 特に後者についてはコンラートも恩恵にあずかっており、こうして《名門》と名高いギムナジウムに入れられ、不自由しないどころか、物欲に乏しいコンラートにとっては無駄と言えるほどの金額が毎月口座に振り込まれる。

 それに、誕生日とクリスマスイブにはこうしてカード付きのプレゼントも届けられるのだから、寄宿舎の世話好き寮母さんに《お家には帰らないの?》等と聞かれても、苦笑するだけだ。
 別にコンラートが傷つく理由はないし、実際、傷ついたこともない。

 シュピッツヴァーグの屋敷に招待されては、寧ろコンラートの方が困ってしまう。
 あそこには何ともいけ好かない伯父がいるのだから、居たたまれない空気を感じるくらいなら、叩き出されない限りこの寄宿舎にいた方が良いのだ。質量ともに十分なクリスマスメニューも頂けたことだし。
 
『母さんは、自由な人だ。息子といるよりも、新しい恋人と華やかなクリスマスを過ごす方が似合っているさ』

 キッチンに立ってパイだの丸焼きチキンなど作っている母なんて、ちょっと想像できないし。 
 ましてやそこに、眉間に皺を寄せた父違いの兄や、怒り筋を浮かべた弟が同席しているというのもおかしな感じがする。

 自分の想像でくすくすと笑って、コンラートは人形をまた箱の中に戻そうとした。
 気持ちだけは有り難く受け取るが、この年でサンタ人形を飾るのはちょっと気恥ずかしい。
 
 けれど、人形を緩衝材の中にきゅ…っと埋めようとした瞬間、奇妙な感覚に囚われた。
 その人形が、泣きそうな顔をしているような気がしたのだ。

「………?」

 不思議な罪悪感を覚えたのは、母の好意を無碍にしようとしたせいなのか…。
 珍しくそんな感慨を覚えて、コンラートは少し戸惑いながらも人形を机の端に置いた。
 
 すると、光線の加減なのか何なのか…ふわぁ…っと人形が微笑んだように感じたのだった。

 《可愛い》…などと、コンラートとしては珍しい感想を抱いたのは、やはり人並みにクリスマスムードを感じていたせいなのだろうか?

「まあいいか…一晩でも飾っておけば義理も果たせるかな」

 誰にともなく言い訳などしながら、コンラートは苦笑してベッドに入った。



*  *  *




 ごそ…

 微かな物音と、何かが動く気配…。
 眠りの中でそれを察知したコンラートは、寝返りを打つふりをして枕の下に手を差し入れた。

 掌に感じるのは、硬質な金属。刃渡りの短いナイフの柄だ。
 父愛用のナイフは形見としての機能の他に、手に馴染んだ護身用の武器としても使える。
 警備が厳しいはずのギムナジウムでまで使うことになろうとは思わなかったが…。

『…物取りでは、ないようだけど…』

 父と共に、危険な地域にも旅をしたことのあるコンラートは、この年頃の少年としては異質なほど戦闘術に長けているだけでなく、闘うべきかどうかを判断する落ち着きまで兼ね備えていた。
 冷静に…それでも油断だけはせずに、如何にも健やかな寝息と態度を装っていると、《侵入者》の方はきょろきょろと辺りを見回したり、コンラートの方をしきりに伺ったりしているようだった。

『困ったな…誰か、夜這いにでも来たのかな?』

 美麗な容貌を持ち、人当たりの良いコンラートは男女を問わずモテてしまい、ギムナジウムの先輩やら後輩やらに告白されたことも数回どころではない。だが、お育ちの良い彼らは滅多に強硬手段に及ぶことはなかったのだが(数少ない事例は必ず撃退してきた)、よほど煮詰まった者が居たのだろうか?

『誰だろう…』

 感覚を研ぎ澄まして正体を察知しようとするのだが、不思議なことに、その存在感には全く覚えがなかった。

 ちいさな呼吸音…軽やかな足取り…それらは害意やぎらつく欲望というものは感じさせず、何故だか酷く戸惑ったように部屋の中を行ったり来たりしている。

「んー…困ったなぁ…」

 思わず…といった感じで漏れた声は少年のそれだが、やはり心当たりがない。
 それどころか、それはドイツ語ですらなかった。

『これは…日本語?』

 随分と遠くから夜這いに来たものである。
 いや、別にここにいるからといって目的が夜這いと決まったわけではないのだが。

 そういえば、この期に及んで《困った》等と言っているくらいだから、少なくとも有無を言わさず押し倒しに来たわけではないのだろう。

 薄く瞳を開いて、夜目が利く琥珀色の瞳を眇めてみれば…そこにいたのは、何とも時節にあった恰好の少年であった。

『…………サンタ?』

 それも、黒目黒髪の。

『黒目黒髪の、少年だって…?』

 そのキーワードにふと思い出して机を見やると、そこに置いたはずの人形が姿を消している。
 ベッドから机までは息が掛かるほどの距離であり、コンラートに気づかれずに人形を持ち出すことは不可能だ。そもそも、こんな迂闊な足取りの少年の気配を察知できなかったのも奇妙だ。

 よく見れば…雪明かりに浮かぶ白い頬には、母につけられたと思しきキスマークが、何故かちゃんと原寸大で付着している。

 物理的に説明はつきがたいが、この少年があの人形と何らかの関わりを持っていると考えるのが無難だろう。

 そろ〜…っと、少年が枕元に近寄ってきた。
 そして、そっと顔をコンラートのそれへと近づけ始めた…。

「キスでもする気かい?サンタ君」
「…わひゃ!?」

 サンタ少年の襟元と手首を捕らえて身を捩れば、驚くほど簡単に華奢な身体はベッドへと引き倒されてしまう。
 この少年が何者であれ、取りあえず刺客の類でないことだけは確かだ。

「何か御用?」

 にっこりと…嫌みなくらい綺麗に微笑むコンラートは、そのもの柔らかな物腰とは対照的に、隙なく少年の関節を押さえ込んでおり、身動ぐことさえ許さない。

 尤も、サンタ少年の方は吃驚するほうが先立っているらしく、別段逃げようとする素振りは見せなかった。

 日常会話なら大抵の国の言葉が喋れるコンラートが日本語で語りかけると、困ったように眉根を寄せる。

「えと…あんたが一番喜ぶプレゼントをあげにきたんだけど…」
「へぇ?俺が喜ぶプレゼントねぇ…。何をくれるのかな?」
「それが分かんなくって困ってんだよぉ…」
「…………はぁ…?」

 涙目になるサンタ少年に、流石のコンラートも言葉を失ってしまう。
 人の部屋に訪問した挙げ句、プレゼントが分からないとはどういうサンタだ。

「ねぇ、あんた何か欲しいもんない?」
「……特に思いつかないなあ…」

 コンラートなりに、真面目に考えて返事をしたのだが…サンタ少年は益々困り果てた顔で溜息を漏らしてしまった。

「やっぱりぃい…?ぅう…何かヤナ予感はしたんだよ〜…。だって、この部屋何にもないんだもん!」

 確かに、コンラートの部屋は片づいていると言えば聞こえは良いが、人が住んでいるとは思えないくらいガランとしており…寒々しささえ感じさせた。

 空調の問題ではなく、生活臭を感じさせる物が置かれていないせいだ。
 
 物に執着を覚えないタチのコンラートは用途が置いておくためだけの物など買いはしないし、貰ってもあっさりと捨ててしまうのである。
 よって、部屋の中には整然と勉強道具などの必要最低限の物品だけが収まっており、壁面には何かが飾られていたという気配すらない。

「ねえ、本当に何かない?バットとかボールとかミットとか、年頃の男の子が欲しがるようなものとかさー」
「全部野球関係ばかりだね。好きなの?」
「うん、大好きっ!特に白ライオンマークのチームが大好きなんだー!」
 
 ぱぁ…っと少年が微笑んだ途端、冷たく張っていた空気がふわりと綻んだように感じて驚いた。
 どうして、そんなに開けっぴろげな笑顔が出来るのだろうか?

「白ライオン…俺は知らないけど、良いチームなんだね?」
「うんうん!あのねぇ…!」

 何気なく拘束を外して話を振ってやると、サンタ少年は面白いくらいぺらぺらと大好きな野球チームについて語りだし、そのまま話題を振れば何でも答えてくれた。

 彼がここに来た理由は別に秘密にすべき事ではないのだろうか?



*  *  *




「あのね?俺、日本の職人さんに作られた人形なんだけど…作られたときに、その近くで死んだ子の魂とごっちゃになっちゃったらしいんだよね。俺を作ってくれた人形師さんが言ってた」
「死んだ…?」

 それでは、この子は幽霊のようなものなのだろうか?
 その判断を察したのだろう。サンタ少年は困ったように…そして、少し哀しそうに小首を傾げた。

「俺のこと…怖い?」
「いいや」
「じゃあ…気持ち悪い?」
「そんなことはないよ」
「…本当?」

 にこ…っと、安堵したように微笑む顔がとても綺麗だったから、この子を笑顔にさせてあげるためなら、何でも言ってあげたいような気分になった。
 人当たりは良いが、その分誰に対しても深入りしないコンラートとしては珍しい反応である。

「それでね…その子の持ってる記憶と、サンタ人形としての俺がごちゃまぜになって、今の俺があるんだ。そんで、どうしてだか分かんないけど…俺にはちょっとした魔法が使えるみたいで、俺を貰ってくれた人が欲しがってるものをちゃんとプレゼントできると、その子が生きてたときの記憶が少しはっきりしてくるんだ。まだ…自分の名前も思い出せないんだけどさ…家族のこととか、好きだった野球チームのこととか…ぽろぽろっと断片的にだけど、ちょっとずつ思い出せてるんだ」

 遠くを見やる眼差しは、雪が降りしきる窓辺に向かい…遠く離れた故郷を想うように、淡く水膜を滲ませる。
 望郷の念に駆られているのだろうか。

 この子の元の家族は、息子を喪ってからどのくらいの年月を過ごしているのだろう。
 記憶が全て戻ったとしても、その家庭に戻れるわけではないのだろうが…戻りたいと切望するその気持ちが切なくて、コンラートは胸がきゅう…っと鳴る感触を覚えた。

 息子を喪った家族の哀しみ…死してなお家族を想う息子…。

 淡々としたコンラートの家族では考えられないような繋がりが切なくて…少しだけ妬ましい。

「そんな凄い力を持ってるなら、持ち主は手放さないような気がするんだけど…」
「普通は俺がプレゼントしたって分かんないもん。それに、願い事が叶うと…俺はまた人形師さんの元に戻るんだよ。そんで、また改めて梱包されて売られるの。人形師さんは、元手無しで儲けるためにやってる訳じゃないと思うんだけど…」
「そうだね、不思議な話だけど…《一番欲しいもの》なんて、凄いプレゼントがあるのなら、欲得ずくって訳じゃなさそうだね」

 半信半疑で頷きながらも、コンラートはこの風変わりな人形の望みを叶えてあげたくて、彼なりに頭を捻って《欲しいもの》を思い浮かべようとした。

 だが…ちょっと恥ずかしいくらいに思い浮かばない。

「シャーペンの芯が切れかけていたんだけど…」

 あまりに貧困な発想に、軽く頬が染まってしまう。

「それ、本当に欲しいもの?」

 案の定、少年サンタに突っ込まれた。

「ある意味、試験の途中に切れたりすると切実に欲しいときがあるけどね」
「あー、トイレで思い切りよく出ちゃった後に紙が無いのに気づいたみたいに!」

 《納得いった》と言いたげに、妙に誇らしげに少年サンタがぽんっと膝を叩いた。
 
 自分の名前も思い出せないのにそんな事は実感として残っているのかと思うと、笑いの衝動が込み上げてきて…コンラートは思わず吹き出してしまった。

「ぷ…くく……っ!」
「あー!何だよっ!笑うこと無いだろー?そういうことってない?」
「俺はいつも確かめてるから、そういう目にあったことはないよ」
「あーあー!俺は生きてる間、そんなことばっかりやってたとか思ってんだろ!?ち、違うんだからな!」

 頬を真っ赤に染めてじたばたと叩いてくる少年に、コンラートは笑いの波動が沈静化するどころかどんどん大きくなるのを感じた。

「や…はは…駄目……。こんなに笑ったの…久し振りだ…!」
「そんな受けちゃうかな!」

 《ぶー》…っと可愛らしく唇を尖らせていた少年サンタだったが、そのうち、自分も何だか可笑しくなってきたらしく、くすくすと笑い始めた。
 
「あはは…何か、喉乾いたね。珈琲でも飲む?」
「良いの?眠れなくならない?」

 人形が眠りの事を心配するなんて奇妙に感じて、また笑いの波動が込み上げてきて困ってしまう。
 何とも笑いのツボを刺激してくれる子だ。

 ちなみに、珈琲を煎れたら煎れたでまたしても笑わせてくれた。

「あー…牛乳無い?クリープとか…」
「ああ…ゴメン。いつもブラックで飲むから置いてないな」
「え?砂糖すらないの!?」
「無いなー…大体、そんなの煎れたら珈琲の味がしなくならない?」
「ならないよー!珈琲って主張強いもん!珈琲牛乳がちゃんと商品として成立するくらいなんだから、入れた方が絶対美味しい…」

 ぱんっとサンタが両手を打ち合わせた途端…卓上に、なみなみと注がれたミルクピッチャーが現れた。

「あ…」
「へぇ…凄いね。本当に魔法だ」
「あ…あ………」

 感心するコンラートとは対照的に、サンタ少年の方は見る間に真っ青になってしまう。

「どうしたの?」
「お…俺……今年の分のプレゼント…自分自身に使っちゃったっ!」
「……………え?」

 点目になったコンラートは、次の瞬間…ベッドに突っ伏して大笑いしてしまった。

「ば…ぶふ……っ…み、ミルク……っ!ミルクでプレゼン……っ!」
「うわーん!馬鹿だ俺〜っ!!」

 半泣きで嘆くサンタと爆笑するコンラート…珍妙な光景を繰り広げている間に、窓の外が淡く白みかけてきた。
 すると…ふわりと燐光に包まれて、サンタの姿がぼやけていく。

「うっわー…どうしよ!こ、こんなの初めてだよ〜…俺、人形師さんのとこに帰れない…」
「良いよ、ここにおいでよ。来年までに一番欲しいものが何か考えておくから」
「頼むね?えと…あんたは……」
「コンラートだよ」
「コンラァト?」
「コンラート」
「コンラッド…?」
「言い易いなら、それで良いよ。君は…そうか、名前…まだ思い出せないんだっけ?」
「うん…」

 淡く淡く…薄れていく姿に合わせて、寂しげに細められる黒瞳が可哀想で…コンラートは、思わず彼の印象に合わせた名前を贈った。

「ユーリ」
「……え?」
「思い出せないなら、俺がつけるよ?ユーリ…ドイツ語で、7月っていう意味だよ。クリスマスに会ったのに変な話だけど、君の印象は夏に向かう季節って感じがするから、嫌でなければ…」
「嫌じゃない…ありがとう…!嬉しい……っ!」

 涙ぐんでにっこりと微笑んだ姿が、朝日の中に熔けて…ふわんと、ベッドに落ちる。
 そこにいたのは、微笑んでいるような印象のサンタ人形だった。

「ユーリ…また、来年会おうね」

 大切そうに《ユーリ》を抱き上げたコンラートは、少し歪んでしまった帽子を直してあげて、そうっと机の中央に置いたのだった。


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