「天上天下★唯コンラート様独尊」−2







 冬を越えると、生き生きと植物は芽吹き色づき、動物たちは巣ごもりを終えて野原に飛び出す。
 それは人間も魔族も同じであった。

 冬期の間、各自の国で予選を勝ち抜いてきた選手達が続々と眞魔国入りを始めた。いよいよ天上天下最強武闘王決定選手権大会が開催される日がやってきたのだ。

 眞魔国派同盟に所属する全ての国家から各自3名の戦士が選出される。会場となる眞魔国から選ばれた3名は、ウェラー卿コンラートとグリエ・ヨザック…そして、謎(?)の仮面戦士マリネリス卿オリンポスであった。

 何が謎って、今更正体を隠す意義自体がかなり謎なのだが、敢えて突っ込む者はなかった。彼女には彼女なりの都合があるのだろう。
 それに眞魔国の面々には熟知されていても、他国では一部の国でしか彼女の武勇は知られていないから、正体を隠している意味が全く意味がないということもない。

 ただ、オリンポスはこの大会唯一の拳闘家であり、女性格闘家でもあるから、素手で華麗に乗り込んできたオリンポスに、他国の大会参加者達からは驚嘆と困惑の声が聞かれた。

「あの女性は魔力で戦われるのでしょうか?確かに法力の使用にも制限はありませんゆえ、規制は無いのでしょうが…」
「武人たるもの、女性相手に剣を振るうなど…」

 組み合わせ発表と同時に様々な不満が噴出した。

「困りましたねぇ…」

 大会運営の責任者であるギュンターは困ったように肩を竦めた。
 彼らの言い分は分からないではないが、オリンポスは大会規約に則って予選を勝ち抜いてきたのだから文句の付け所はないのだ。
 
「とにかく、マリネリス卿オリンポスは我が国の代表選手であることに間違いありませんから、対戦拒否はそのまま棄権と見なします」

 こう言われてしまえば選手達も渋々ながら引き下がらずを得ない。
 国を代表し、わざわざ眞魔国までやってきたというのもあるが、それ以上に《女相手に棄権した》と言われては外聞が悪すぎるからだ。



*  *  * 




「全く…女性がこのような場で、男相手に剣を交えるとは…世も末ですな。いや…眞魔国ではこういった風潮がみられるのですかな?」

 如何にも典型的な武人肌の男は、ポタカンタ国の代表モンサ・マルナである。褐色の滑らかな肌と太めの凛々しい眉、短く刈り込んだ金髪がなかなか良い男ぶりなのに、不満げに歪められた口角がそれを台無しにしている。

 しかも声がでかいものだから、オリンポスだけでなく女豹族侍女来軍団や観客にも発言内容が響き渡ってしまった。

 瞬間…水を打ったように場が静まりかえる。

「おや…?眞魔国の方々は随分と大人しくなられましたな。どうやら俺は敵と戦う前にこの雰囲気と戦わねばならないようだ」

 ス…と剣を抜くと、モンサは目にも留まらぬ素早さでふるい、見事な剣舞を見せた。
 おそらく、普段は観客や敵の気分を逆なでするような発言をした後にそういうデモンストレーションを見せ、《なるほど言うだけのことはある》という印象を抱かせてきたのだろう。

 だが…観客からはモンサが期待するような感嘆の吐息は聞こえず、相変わらず《しぃん…》っと静まりかえっていた。

「………ふむ、予想以上に観客の反応が弱いようだ。眞魔国の程度が知れるというものだ…敵に対してもその実力は冷静に認めるのが優れた国民性というものですぞ?これでは、英雄ウェラー卿コンラートとやらの実力もたかが知れているやもしれませんな」

 シ…イィィィインンンン……

 場の雰囲気は、静かを通り越して凍てついてしまった。
 
「その口…即座に封じねばなりませんね」

 春とは思えぬほど凍てついた大気の中で、そこだけが燃える劫火を感じさせた。静かな口調の中に熱く激しい怒りが燃えている。
 仮面の奥で爛々と燃えさかる瞳が、モンサを今すぐ引き裂きたいと切望していた。

「おや?魔力を使われるおつもりかな?だが、俺は強力な法術遣い相手にも後れを取ったことなど無い」
「貴様如きに魔力を使うまでもない…。見よ、我が技の切れ味を…っ!」

 とう…っ!

 ばびゅんと宙を舞うオリンポスの姿は瞬く間に地上10メートル程度の高さに達してしまう。その驚異的な脚力の段階で既にモンサの目はまん丸になっていたのだが、驚くのはこれからであった。


「ぉおおお……ほわたたたたたたたたたたたたたた……っ!」


 殆どの者には、オリンポスの両拳と脚が消えてしまったかに見えたろう。中空に掛かる太陽とも相まって、その姿は金色の光の珠のように映った。

「相変わらず凄い拳圧ですね…。しかも、同時に蹴りをも繰り出している」
「お…俺には見えないよ〜…」

 貴賓席で見守る有利の傍でコンラートが解説してくれるのだが、言われても全く視認することが出来ない。

「コンラッドはマリアナさ…ううん、オリンポスさんを倒す方策とかある?」
「ないこともないですが…やはり苦戦しそうですね」

 コンラートに対してだけはツン要素が殆ど見受けられないデレ気質の人だけに、そもそも対戦して本気を出すかどうかは不明だが…。一人の戦士として、真っ向から戦ってみたいという気持ちもある。

 二人がそんな会話を交わしている間にも、闘技場のモンサは顔面蒼白になって追い込まれていた。

「は…わわわわわ…っ!」

 最初の内はモンサの肉体から離れた場所で大地が大きく抉られ、地響きが伝わる程度だったのだが、その攻撃の輪から逃れようとして…とてもそんな隙など無いことを悟った。どの方向に逃げても拳だか爪先だかつかないものが襲いかかってくるのだ。
 それはまるで、隕石群が飛来したかのような衝撃だった。

 どこにも逃げられない…しかも、攻撃は止まらない。
 魔力は使わないといっていたし、確かに要素の召還なども行われなかったのだが…では、一体何故この女性は空中から降りてこないのだろう…。
 まるで、太陽そのものにでもなってしまったかのように、中空で輝き続けているのは何故なのだ!

「く…くそぉおお…っ!」

 このまま狼狽えている内に倒されてしまっては格好が付かない。
 はっと気付いたモンサは思い切って、手にしていた剣をオリンポスめがけて投げつけた。敵が降りてこないのならば、撃ち落としてしまえばいいと気づいたのである。

 これは良い案に感じられたし、咄嗟にこのような事を思いつく自分に再び自信がわいてくる。

「馬鹿め…っ!そのようなまやかしがいつまでも通じるとでも…」

 意気を蘇らせて生き生きと叫ぼうとするが…その声は語尾を《ひぃっ!》と歪めることになる。

 ボゴゴゴゴゴ…っ!

 なんと…空中に投げた剣が見る間に複雑な形に歪んでしまったのである。
 理由は明確だ。オリンポスの拳圧と脚力が直接物体に加わると、このような変化を来してしまうのだ。

 おそらく…モンサ自身の身体も。

「うわ…うわぁああ……っ!」

 無惨な形状と化して落下してきた剣を目にすると、モンサは自分でも恥ずかしくなるくらいみっともない声を上げて尻餅を付いてしまった。

「ほ…放棄する!試合放棄するから…攻撃を止めてくれっ!」
「放棄ですって?舞踏にせよ武道にせよ…ひとたび試合開始の合図を聞いた者が、敵を前にして怖じ気づくとは…笑止千万、言語道断、横断歩道!」

 オリンポスは色々と怒りすぎているらしい。
 
「食らえっ!」
「どぐぅ!」

 発掘物めいた叫び声を上げてモンサが大地に吹っ飛んだ瞬間…観客席から地鳴りにも似た感嘆の叫びが上がった。

 なんということだろう…大地には見事な地上絵で、華麗に剣を振るうウェラー卿コンラートの凛々しい姿と、丁度その剣に倒されたかのように横たわるモンサの姿が浮き出して見えたのである。

 そう…オリンポスが敢えて一撃で仕留めなかったのは決してモンサを嬲ったわけではなく、コンラートの美しさ・凛々しさを賞賛するための道具として利用したのである。
 
「素晴らしい…流石は我が師匠、マリアナ殿っ!」
「これ、そこっ!人の名を間違えるものではありませんよっ!」

 観客席に陣取った異様な坊主集団(ウェラー教[狂]団の面々である)が叫ぶと、びしりとオリンポスの人先指が突き立てられる。見事な地獄耳だ。

「我が名は武闘家マリネリス卿オリンポス!ラダガスト卿マリアナなど見たことも聞いたことも食べたこともないわっ!」

 《食べちゃ駄目だろう》という突っ込みはともかくとして、《フルネームまでは言っていない》くらいは言いたかったが、敢えて指摘する者はいなかった。

 オリンポスの勢いを止められる者など誰もいないと思ったわけだが…当のオリンポスはちらりと貴賓席に視線を向けると、気づいてにっこりと微笑むコンラートに満足げな笑みを浮かべた。

「ほほ…お初にお目にかかります、コンラート様。私、武闘家ゆえ不調法者ですけども、お会いできた感激を絵画にいたしましたの。気に入って頂けましたかしら?」
「ええ、マリ…いえ、オリンポス殿。素晴らしい技ですね。俺本人よりも素敵なくらいだ」
「ま…っ!こんなものでコンラート様を描けた内には入りませんわっ!わ…私、次はもっと真実に近づけるよう精進いたしますわねっ!」
「え?や…はは。楽しみにしています」
「ほほほ…私も楽しみですわっ!」

 華麗に裾を靡かせて立ち去るオリンポスに、観客達は感嘆と笑いの混じった表情を浮かべていた。

 色々と突き抜けていると、見ていて楽しいものだ。



*  *  * 




 一方、楽しいどころではない者もいた。
 第二回戦でオリンポスと対戦することになっているオースティン・ラ・テルスケッタである。

「くそ…化け物めっ!」

 小さく呟くと、競技会場奥の薄暗い通路に唾を吐く。
 
 試合に先立って行われた親睦会では異様にブロックが厳しくて(次から次へと眞魔国の連中が間に入ってきたのである。)コンラートを視界に入れることも出来なかったというのに、あんな化け物と組まされたのでは一度も接近できないまま帰還することになる。

 だいたい、眞魔国主催の方が油断していると思ったのに全く隙がないなんて奇妙なことだ。こんなことなら自国開催をもっと強く主張すべきだったが…今更後悔しても遅い。

『なんとしても、コンラート殿にこの強力な媚薬を飲ませなくては…』

 眞魔国産の媚薬は種類も豊富で習慣性もなく、効果が高いと聞いたので、それに慣れているだろうコンラートの為に特別作らせたのだ。
 これを口にした者は、目の前の生物に孔さえあれば性的興奮を覚えて襲いかかるという強力な代物である。

 しかし、飲ませることが出来ないのでは宝の持ち腐れだ。

『少々危険性は高いが…致し方ない。混乱に乗じて飲ませるとしよう…』

 オースティンは懐にしまった法石の塊を手にして、ある方向を見やった。
 そこには強力な法術遣いとして知られる、ボルガ国のプロトコル・サンマンがいた。彼はオースティンが戦う次に試合が組まれており、明日は会場脇で控えているはずなのだ。

「サンマン殿、お久しぶりです」
「おお…これはオースティン殿。ご機嫌麗しゅう…」

 恭しく傅くと、手の甲へとサンマンは唇を寄せてくる。その動作には崇拝と共に怯えの色があり、唇はちいさく震えていた。
 少し痩せすぎているのが惜しいが、なかなか美麗な顔立ちのサンマンは…オースティンにとって調教済みの下僕なのである。

「実は、お願い事があるのですよ。これをご覧下さい…」
「ほ…こ、これはまた…大粒ですな?」

 法石の大きさと力は一概に比例しないのだが、ずしりと手に重く感じられるのは物質的な質量だけの問題ではない。掌に余るほどの大きさに、かなりの法力が込められているのが分かる。
 目を凝らせばちらちらと、怪物めいた影が動くのが分かった。
 二頭…いや、三頭はいるだろうか?

「これを、明日…僕が試合をしている折に開放して欲しいのです。事故を装って…ね」
「な…なんですと!?」

 サンマンはぎょっとして息を呑んだ。
 
「幾らあなたのお願いでも、それは流石に困ります…。私も、国を代表してここに来ているのですよ?」
「おや…?僕がお願いしているというのに…君は、拒否が出来るとでも思っているのですかな?」

 先程までほわりとしていた雰囲気が、一気に氷塊の如き硬さを持つと、サンマンはぶるりと下肢を震わせた。オースティンの事しか考えられなくなるくらい調教された過去が、体感として股間を襲ったのだ。
 実際、壁際に追い込まれたサンマンは痛いくらいに股間を握り込まれていた。

「淫らな法術士殿…陰部がぐずぐずに壊れてしまうくらい、屈強な男達に輪姦されたい?それとも…淫具で責め立てられたい?僕自身は指一本動かすことなく、喚く君を嬲ってあげられるのですよ?頂点を得る直前で止められ、丸一日焦らされる苦痛はもうご存じでしょう?」
「お…お願いです。どうか、お止め下さい…っ」

 びくりと震えると、涙を流さんばかりにして怯えるサンマンに、オースティンは甘く毒のある言葉を囁きかけた。

「良い子だ…サンマン。君は、僕が思うように動いてくれるよね?」
「は……ぃ……」
「では、明日…頼むよ?特に、ウェラー卿コンラートから注意が離れるようにね…。彼は、僕の次の獲物なんだから…」
「……っ!」

 サンマンは目を見開き、何とか抗しようとしたが…結局、強く握り込まれた陰部の、痛みを伴う感覚に籠絡されてしまった。

『さあ…これで仕込みは出来た。明日が楽しみだな…』 

 くっくっくっ…

 変態王子の毒牙が今…本格的にコンラートを狙い始めた。



*  *  * 




「あなたが次の対戦者の方かしら?」
「お手柔らかに」

 翌日、第二回戦第一試合に組み込まれたのはマリネリス卿オリンポスとオースティン・ラ・テルスケッタであり、オースティンの方は本来は長剣を得物としているのだが、今日は柄の長い斧を所持しており、射程は短そうだが弓も用意している。昨日の試合を見て対策を練って来たという感じだ。

「ほほ…今日は良い戦いになるかしら?」
「そのようにしたいものですね。僕もあなたと同様コンラート殿を尊崇しておりますから、良いところを見せたいですし…」

 唇の端を引き上げてにんまりと嗤うオースティンに、オリンポスはぴくりと眉を上げた。
 ただ、言っている内容自体には無礼な要素など無かったので、珍しく何も指摘しないまま試合開始のラッパを待つ。

 フォォォオオン…っ!

 高らかに合図が吹き鳴らされると、オースティンは確かにモンサよりも健闘を見せた。
 オリンポスが宙に飛ぶのを待たずに矢を連射すると、一気に間合いを詰めて斧を振りかざす。
 
 しかし、ひらりと避けたオリンポスは踵落としを斧の柄の部分に喰らわせると、瞬く間に大仰な武器を無力化してしまった。

 ただ、そのせいで油断したことは否めなかった。

 華麗な決めポーズを取ろうとしたのかどうなのか、振り上げた腕目がけて振り回された柄が、危うく直撃するところだったのである。
 斧は無力化していなかった。
 刃の部分を失っても、実は逆方向の末端部分に取り付けられた放射線状の金属塊が、遠心力を加えれば十分な武器になるのである。

「マリ…じゃない、オリンポス様ーっ!頑張ってぇえ…っ!」

 侍女軍団が声を張り上げて応援すると、周囲に陣取った関係者や眞魔国の民からも声援が飛ぶ。

「オリンポスさんーっ!がんば…っ」

 口の両脇に掌を添えて応援していた有利だったが、その声は途絶することになる。
 他の観客達も同様だ。

 第二試合に備えて待機していたボルガ国のプロトコル・サンマンの手から、シーサーに似た巨大な法術獣が出現してしまったのである。しかも、同時に三頭も。

「あ…あ、申し訳ないっ!制御が出来ない…っ!」

 真っ青になって法術獣に取り縋ろうとするサンマンだったが、簡単に振り払われると、頭を地面に強打したのか動かなくなる。

「拙いですな…。どうやら、法術士にとっては魔力の濃い眞魔国は勝手が違うらしい。法術獣が制御不能に陥ったようだ」

 殊更に大きな声を上げてオースティンが説明口調で叫ぶと、衛兵達は法術獣にかかり切りになってしまう。 
 
『この隙にコンラート殿に…』

 勢い込んでコンラートの姿を捜すが、魔王席にその姿はなかった。

「……っ!」

 視線を巡らせば、驚くほどの早さでコンラートは法術獣の傍まで来ていた。
 気絶したサンマンを素早く抱え上げると衛生兵に渡し、もう一度制御を試みるよう頼むと共に、魔力の高い衛兵を配置させて獣を囲むと、観客や招待選手達を逃がすために指示を出す。
 今日の警備隊長は元々コンラートの部下であるのか、指揮系統が横槍で乱れると言うことはなかった。誰もがコンラートの指示に従ってスムーズに動いている。

『そ…それでは困るのだ!』

 オースティンは役に立たないサンマンへと憎しみの籠もった視線を送ると、こうなったら共に法術獣を倒す振りをするしかないと悟る。

「助太刀しますぞ、コンラート殿!」
「いいえ、避難して下さいオースティン殿」

 コンラートは後ろ向きのまま、オースティンのの言葉をあっさりと拒否する。

「いやいや、何としてもお助けしますぞコンラート殿」
「ぶっちゃけ迷惑です」
「そ…そんなつれない……」

 尚も食い下がると、とうとう冷たい一瞥をちらりと向けられた上に、端的な拒絶を受けてしまう。 
 
 実際、オースティンが手を出す隙など無かったのである。 




→次へ