「うさぎの嫁入り」@

 







 噎(む)せ返るような熱風がどうっ吹き寄せると、梢にもっさりと茂った緑葉が荒々しく揺さぶられ、乾いた大地にくっきりとした影が踊ります。

 梅雨明けをした地球森は、ここ数日かりかりに乾いた日々が続いており、こんな強い風が吹き付けると砂が巻き上がってしまい、耳も尻尾もがびがびになってしまいます。

 そんな中を歩いていく黒い仔うさぎは、突風を受けるたびにふらふらとよろけています。

 その仔うさぎの様子を見かけた街のうさぎ達は、一様に怪訝な顔をしました。

『おやおや…あれは渋谷さんちの有利君じゃないか。一体どうしたって言うんだろう?』

 普段の黒うさぎならは、こんな風くらい払いのけるようにして駆けていくというのに…今日は一体どうしたというのでしょう?見るからにしょんぼりとしていますし、心なしか目元も赤いようです。

 何羽かのうさぎが声を掛けましたが、その度に《なんでもないよ!》と精一杯の笑顔を浮かべてみせるのが、余計に切ない気持ちにさせます。

『うぅ〜ん…大したことじゃないと良いんだが…』

 大兎達の心配を余所に、黒うさぎはふらふらと家路につきます。

 本当なら、今日はとってもうきうきして楽しい一日になるはずでした。

 何故って、今日は黒うさぎの8歳のお誕生日なのです。

 朝、目覚めるなり茶うさぎに抱きしめられて《ハッピーバースディ…ユーリ》と、堪らなく佳い声で囁かれてベットの上でジャンプしそうになりましたし、朝の食卓にはいつにも増して素晴らしいメニューが並んでおりました。

 お友達と一緒に行った水遊びの時にも、茶うさぎがこさえてくれたお弁当は羨望の的(まと)でした。

 楽しい楽しい一日になるはずだったのです。 

 そう…あの瞬間までは。

 

*  *  *

 

 幼年学校のお友達と一緒に水遊びをした後、お弁当を食べていた時のことでした。

 お友達はみんな有利のことが大好きでしたが、そのなかでも特に有利のことを大大大好きな仔うさぎがおりました。

 その仔うさぎは当然、今日が有利のお誕生日であることも知っていましたから、洒落た革製のキーケースをプレゼントしてくれました。そして、なにげなく質問をしてきたのです。

「なあ、有利は大きくなったら何になりたい?」

 黒うさぎは元気よく応えました。

 

「そりゃあ、コンラッドのお嫁さんだよ!」

 

「えぇ?」

「コンラッドって…」

「コンラート先生?」

 仔うさぎ達は暫くぽかん…としていましたが、一羽が《あはは》と笑うと、勢いづいて一斉に笑い出しました。

 黒うさぎは一体どうしてこんなに笑われているのか分からなくて、憤然として言いました。

「なんだよ…なんで笑うんだよ!」

 有利がむきになって言い募るほどに、仔うさぎ達の歓声は高まります。

「だって…有利は男じゃん!」

「コンラート先生のお嫁さんは雌うさぎだろ?」

「それに…有利が結婚できるような年頃になったら、コンラート先生はオジサンだぜ?」

 ここに村田がいれば気の利いたことを言ってくれたに違いありませんが、残念なことに、彼はお仕事があると言って水遊びには来なかったのです。

「有利ってば変なの!」

 げらげらと笑う仔うさぎ達を殴ってやりたくなりましたが、そんなことをすればきっと茶うさぎは哀しみます。

 でも…自分たちのことを《変》と決めつけられ、笑われることは我慢がなりません。

「お前らなんか…大っ嫌いだ…っ!」

 出せる限りの大きな声をあげてそう叫ぶと、有利はお友達が止める声を背に駆け出したのでした。

 

*  *  *

 

「あれ…?」

 悔しくて悶々としながら歩き続けていた黒うさぎは、気が付くと見知らぬ場所に立っていました。

 大型のシダ類が生い茂り、地べたや岩肌はふっさりとした苔に覆われています。

 背の高い木々に覆われた場所でしたので、幾らか薄暗くて心細い感じはしますが、吸い込む空気がひんやりしているのは助かります。

 先程まで、酷く暑かったですからね。

「喉…乾いた……」

 しゃがみ込んでごそごそと鞄を探りますが、水筒が見つかりません。

 まだたっぷりと麦茶が入っていたはずなのに…どうやら、泉に忘れてきたようです。

『今日は暑いですからね、重いかも知れませんけど…よく冷えたのをたっぷり詰めておきますね』  

 お出かけが楽しいものになるようにと、茶うさぎが心を込めて用意してくれたお弁当も、半分しか食べていません。

 

 ぴちょん…

 ぽとん……

 

 何か熱い雫が滴って、黒うさぎの手の甲の上で弾けます。

 気が付くと…黒うさぎはぼろぼろと涙を流していたのでした。

「くそぉ〜…ちくしょー…っ」

 泣いてしまう自分が恥ずかしくて悔しくて…目を乱暴に擦り上げれば余計に涙が溢れてきます。

 

 大事な茶うさぎとの約束を馬鹿にされました。

 大切な夢を、《変》だと笑われました。

  

 なのに、どうしてちゃんと言い返すことが出来なかったのでしょうか?

『俺も…どこかで、おかしいと思ってたのかな?』

 ずっとずっと…考えないようにしようとしてきたことです。

 茶うさぎはそりゃあ素敵な青年うさぎですから、沢山の雌うさぎがそれこそ目の色かえて秋波を送ってきます。茶うさぎがその誘惑に乗ったことはありませんでしたが、それでも…商店街の鏡に映り込む自分達の姿を見ると、哀しくなることがありました。

 その姿は《微笑ましい》と形容することは出来ても、《お似合い》と表現するには問題がありすぎるものでした。

  どうしたって、ふんわりとした長い髪を揺らし…豊満な肉体を可憐なドレスに包んだ雌うさぎの方が茶うさぎには似合いそうです。

『でも…でも、俺…コンラッドのお嫁さんになりたいんだよ…っ!』

 ひっくひっくとしゃくり上げながら、黒うさぎは苔の上に突っ伏して泣き続けました。

『俺が大きくなったら、少しはコンラッドに似合うようになんのかな?』

 不安は不安を呼ぶものです。

 昨日まではわくわくしながら、一つ一つ年を取っていく事で茶うさぎとの結婚式に近づいているのだと楽しみでしょうがなかったのに、今こうして考えてみると…確かに、年と共に男ぶりを上げていくだろうコンラートに対して、有利が釣り合いの取れる綺麗なうさぎになれるという保証はありません。

「うぇ…ぅう……ぅぅ〜う〜……」

 泣きじゃっくりをあげながら、有利は泣き続けました。

 泣いて泣いて…お目々が真っ赤に染まった頃にようやく涙は止まりましたが、それでもまだ気持ちは晴れませんでした。

 でも、こうしていつまでも泣いていたってしょうがありません。日が長い時分とはいえど、あまり遅くなっては茶うさぎも心配することでしょう。 

 とぼとぼと歩き始めた黒うさきでしたが、何故だか辺りの景色はどんどん薄暗さを増していきますし、見た覚えのない景色が続いています。歩いても歩いても…目の前に広がっているのは果てがないような森なのでした。

「あれ…?」

 黒うさぎは真っ青になって立ち竦みました。

 もしかしてもしかすると…黒うさぎは、入ってはいけないと言われていた森に脚を踏み入れてしまったのでしょうか?

 一度踏み込むと、鬱蒼と生い茂る木々に視界を隔てられて、もと来た道がすぐに分からなくなってしまうという《くらやみ森》…。決して入ってはいけないよと、茶うさぎや村田から重々注意されていた森です。

「ど…どうしよう……」

 空を仰げばまだ鮮やかな青色が広がっていて、夜の帳が降りるまでには時間があることを教えてくれます。ですが、焦る黒うさぎの頭の中には、冷静になって状況を鑑みるだけの余裕がありませんでした。

「帰らなきゃ…っ!」

 急げば正しい道に進めるとは限らないのに、黒うさぎは全力で駆け出しました。

 ぴょこたこと駆けていく黒うさぎは知らないうちに、どんどんどんどん森の奥へと踏み込んでいくのでした…。

 

*  *  *

 

 走って走って、強引に茨をかき分けた先に…突然ぽっかりと開けた場所に飛び出した黒うさぎは、呆然として見たこともない建物を見上げました。

 それはとても大きな建物で、どこか神聖な感じが漂っていました。

 暖かな銅色(あかがねいろ)の瓦がとんがり気味の屋根を飾っており、漆喰地の壁には綺麗な緑葉を絡めた蔦がすいすいと這い上がり、大きなステンドグラスとともに壁に彩りを与えています。

 高い塔には立派な鐘が取り付けられていて、リィーン…ゴロォォ……ン…と、穏やかないい音を響かせています。

「そうだ…誰か帰り道を教えてくれるかも!」 

 それに、お願いすればお水を分けてくれるかも知れません。

 喉を潤す冷えた水のことを想像すると、ごくりと喉が鳴りました。

 なにしろずっと走ってきましたし、暑い日のことでもありますからとっても喉が渇いているのです。

 とこてこと建物に近づくと、一階のお部屋の壁に窓が見えました。

 いつもの黒うさぎならそんなところから覗いたりせず、ちゃんと戸口まで廻って扉を叩いたことでしょう。ですが、この時はもうもう…ともかく兎(ひと)恋しくなっていましたから、誰かが居ることを確認したくてぴょこりと背伸びをすると、お部屋の中を覗いてしまいました。

 

 そこには…吃驚するほど綺麗なうさぎがいました。

 

 




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