「大切な君の為に」@
〜青空とナイフシリーズ〜

僕は周囲とそつなくやってきた。
同じものを見たときには同じように笑い、同じような感想を言い合って周囲に馴染んできた。
ただ、大人達はそれで《問題のない子》と思っていただろうが、流石に中学生というのは自分たちと異質なものを見いだすのが得意だ。僕の行動が全て擬態であることを見抜いた上で攻撃してくる者はいなかったけれど、それでも《異物》には違いなかったのか、《親友》と呼ぶ者はいなかった。それでも、攻撃してこなければ…大人達から見て違和感がなければそれで十分だと思っていた。
同じように擬態している《問題のない子》のグループで、僕はぬくぬくと暮らした。互いに深い繋がりなど持っていないことを分かった上で、干渉せずに過ごすのは気楽だった。
《普通》の中学生として過ごす裏で、直接手を汚すことなく多くの屍の山を築いてきたけれど、それを感じさせる要素は何一つ持っていなかったはずだ。
なのに…どうしてだろう?自分とは全然別の生き物として認識していたグループ…《精一杯生きてるスポーツ馬鹿》の一人に、突然声を掛けられた。
『村田…お前、どっか具合悪い?』
『別に?どうして…?』
その日の教室内は昨夜放映された人気ドラマ最終回の話題で持ちきりであり、ハッピーエンドだったその内容に誰もが嬉しそうな笑顔を浮かべていた。村田も上手に擬態して、尤もらしいことを口にしていたはずなのに…どうしてだか、掃除の時間にそっと寄ってきた《そいつ》は、心配そうな顔をして村田の目を覗き込んだのだった。
『なんか…泣きそうに見えたから…』
『……っ!』
自分の好きなこと以外には全く興味ないタイプだと思っていたのに、どうして殆ど繋がりのない村田の感情を見抜くのだろう?
本当は、ドラマなんて話題を合わせる為に録画したものを早送りで佳境の部分だけ確認しただけで…昨夜彼の脳を占めていたものは、村田の本当の両親を殺した連中にやっと刺客の手が届いて、命を奪えたと言うことだった。
しかも、その日は村田の指示したとおり両親の命日だった。
殺し方もタイミングも、完璧だった。
その日が来たら、きっと自分は喜ぶと思っていた。
待っていた…ずっと、待っていたのだ。
それが成し遂げられれば、幼い自分の前に広がった血飛沫も…きっと薄れていくのだと思っていた。
なのに…何も変わらないことに愕然としていた。
かといって、《そいつ》が言うように泣きたかった訳ではない。
正直なところ、どう感じて良いのか分からなかったのだ。
緻密な計算を立てて手を回し、人を動かして指示を出し…追いつめて思った通りの殺し方をしたはずなのに、その事で何も感じない自分をどう感じて良いのか分からなくて混乱していたのだ。
『そんなことないよ?渋谷って、結構心配性?』
『うー…んなことねぇよ!まぁ…いいや。何でもないなら!』
《そいつ》…渋谷有利はばつが悪そうに頬を赤らめると、その場から一刻も早く去らねば…!という感じで踵(きびす)を返した。
村田の指はその背中を追いかけるように伸ばされて…ゆっくりと戻された。
どうしてだろう…自分と同じくらい華奢な体格の少年に、どうしてこんな事を思うのだろう。
《縋りたい》…なんて。
* * *
『……そんなこと、思ってたっけ?』
懐かしい夢を見て、村田は目を覚ました。
便宜上の両親は金で雇った部下で、学校関連の公式な行事などでは実に理想的な夫婦を演じてくれるが、現在は別の仕事を任せている。だから、村田は基本的に自由気儘な一人暮らしをしているのだ。
それが村田にとっての《日常》であり、《普通》の事だと思っていた。
そんな《日常》が、ここ最近は時々崩される。
今日も目覚めた村田の横には、健やかな寝息を立てる渋谷有利の姿があった。
ついでに寝室の扉の向こうには、交代で眠っていたのだろうコンラート・ウェラーとグリエ・ヨザックの姿もある筈だ。
極々平凡な暮らしを営んでいたはずの有利はつい先日、思いがけない経緯で莫大な財産を得ることになった。彼がその事でどう変わるのか興味と懸念を持って見守っていたのだが…今のところ、彼はその本質を全く変えることなく存在し続けている。
それが…村田にとって狂おしいくらい嬉しいことだと、彼は全く気付いていないだろう。
昨日も顔を合わせるなり、既視感を覚える台詞…《泣きそうに見えた》ということを口にして、今度は退かなかった。
村田が《何でもない》と言い張っても、《村田んちに泊まってっても良い?》と村田とコンラートの両方におねだりして押し切ってしまった。
何ということはない会話を交わしていた筈なのに、カーペットの上に布団を二つ並べて寝ているときに突然擬態が崩れて…村田は一言だけ本心を明かした。
『今日ね…僕にとって大事だった人が死んじゃった日なんだ』
『そっか…』
有利はそれ以上は何も言わなかったけれど、真っ暗な中で一緒にいる気安さもあったのか…そぅっと腕を伸ばして村田を抱きしめた。
ぽん…ぽん…っと、有利は何も言わずに背中を叩いた。
普通、両親が小さい子どもにする動作だろうというのは分かった。けれど、幼い頃にそんなことをして貰った記憶自体があまりにも希薄で、ひょっとしてドラマか何か刷り込まれた記憶なのかも知れないけれど…それでもどうしてだか《懐かしい》と感じられて、涙が零れた。
頬を伝う涙は一筋だけだったけれど、それだけで胸の中に痼(しこ)っていた何かがほろりと解れて、僅かな液体と共に流れていったような気がした。
『渋谷…君は、僕が何者か知っても変わらずにいてくれるだろうか?』
何をしてきたのか…どれ程この手が血塗られたものなのか知っても、今と変わらずにいてくれるだろうか?
「ん…」
ふる…っと長い睫が揺れて、覚醒が近いことを知らせる。
眠る姿を眺め続けるのも好きだが、こうして目覚めた瞬間に有利の瞳が自分を認めて、ふわりと笑う顔が好きだ。
「おはよう」
「んー…おはよー…」
目元を擦りながら、《あふ…》っと欠伸をする有利に、村田は微笑んだ。
16歳の少年らしい、屈託のない笑顔だった。
* * *
「目が醒めたらしいな」
「可愛い仔猫ちゃん達がおねんねしてるとこ、俺も見たかったなあ…。ついでに同衾させてくれりゃあいいのにさ。俺とケンちゃんはデキてて、あんたとユーリちゃんもデキてるんだから、4Pとかスワッピングとか夜の楽しみ方は色々…」
「ぺらぺらと良く回る舌だな」
《少し短縮させてやろうか?》…等と、特に感情も込めずにコンラートが言う。
洒落たスーツの袖口にはそれを可能にする鋭利なナイフが仕込まれていることを知っているし、昔馴染みのヨザックには気兼ねなくそれを駆使することも知っているので、ヨザックはふらりとコンラートから身を離した。
「何処に行く?」
「朝飯の準備してくるわ」
「甲斐甲斐しいことだ」
ヨザックの立場は有利の前では《護衛としてのコンラートの補助》という立場である。
確かにその側面もあるのだが、ヨザックが深い繋がりを持っているのは寧ろ村田健の方である。
現在は明確な契約関係にはないのだが、村田の両親を虐殺した組織を壊滅させて、村田の総帥としての立場を絶対的なものにした立役者なのだ。
有利は村田とヨザックが顔見知りらしいことは察しているようだが、村田が自分の立場を伏せているので明確なところは分かっていない。
『ケンちゃんは…どうしたいんだろうな?』
ヨザックが初めて村田と出会ったのは、彼がまだ10歳になるかならないかという時期だった。両親が居ないことの寂しさとか、不条理に奪われた怒りのようなものは感じられなかった。淡々と緻密な計算を立て、実行していくその才能と胆力に畏怖し、従うことを決めたヨザックはあの頃から彼に惚れていたのかも知れない。
誰かと物理的に結びつくことを忌避していた彼が、ヨザックを受け入れてくれたのは最近のことだ。
今になって思えば、それは村田が有利に《親友》として認識されるようになった時期と一致しているのではないだろうか?
『ケンちゃんは変わったねぇ…』
何も愛さず、何も恐れなかった彼にとって、有利という存在は人生に瑞々しい息吹を与え、無彩色だった世界に色合いをもたらすものなのだろう。同時に、それは恐るべき存在でもあるはずだ。
有利という存在が失われたら、村田はどうなってしまうだろう?
いや、失われないまでも有利が村田の本質を知り、見限ったら?
『怖いねぇ…』
ヨザックは昨夜のうちに仕込んでいたラタトゥイユをレンジで温め、レタスを氷水に漬けたりピーマンを細切りにしたり、ベーコンと卵を焼いたりしながらちらりと寝室の方を見やる。
隙のない動作で壁に寄り添う男も、どうなのだろうと思う。
これまで愛するものを持たないようにしてきたと言うこと…そして、《血塗れで死んだ親》というトラウマに関して言えば、このコンラート・ウェラーも同様だ。村田と違って秘密を明かされて見限られる心配はなくとも、有利の護衛たる彼は主を傷つけられることには非常な恐れを抱いているに違いない。
『つくづく、あの坊やは大きな存在になってんだよなぁ…』
確かに可愛い顔はしているが、その能力や性質はごく平凡なものに見える。
けれど…彼自身は全く意図していないにも関わらず、頑なに張ったシールドを夏陽に晒された氷のように溶かしてしまうのだ。
『ああ…そうだな。あの子は、まるで太陽みたいだ』
氷の刃(やいば)を打ち砕き、互いを血塗れにするのではなく、そっと包み込んで…溶かしてしまうのだ。
簡単にしているわけではない。おそらく…彼自身がその刃によって傷つくことを理解した上で、掌が斬られるかも知れないことを分かっていて…素手で向かってくる彼だからこそ、村田もコンラートも刃をふるうことが出来ないのだ。
切り裂かれた彼を見たくないから、自ら心を開いてしまうのだ。
『ああいう連中にとっちゃ、一番怖い《敵》なのかも知れねぇな…』
殺すことで始末できない相手なんて、何とも厄介な相手だ。
護ってやりたいとは思うのだが、これまでとは事情の異なる相手に戸惑っているのも事実だった。
「おはよー!あー…良い匂い〜」
「さーさ、坊ちゃん達たーんと食べて下さいねぇ〜」
心の内の小さな葛藤をつるりと呑み込んで、ヨザックは素敵な食卓を演出し始めた。
* * *
「これが、次の標的?」
「そうだ。間違っても殺すなよ?」
「任務でもないのに殺すわけないでしょ?」
PC画面に映った映像を確認しながら、少女はくすりと笑った。
少女…なのだろうか?少年と言われればそのような気もするし、そもそも、東洋人とも西洋人ともつかない、不思議な印象の子どもだ。漆黒の艶やかな瞳と肩口で切りそろえられた真っ直ぐな黒髪は東洋人のそれだが、目元の彫りの深さはシルクロード上の都市に見られる混血児のようにも見える。
非常に整った顔立ちなのだが、気配を消せば集団に埋没することも自在であろう。
年の頃はおそらく高校生なのだろうが、身につけている衣装がブレザーだからそう思うだけで、スーツを纏っていれば問題なく社会人に見える。
「誑し込めば良いんでしょ?」
「あまり簡単に考えてくれるなよ?渋谷有利本人はともかく、護衛のコンラート・ウェラーは油断のならない男だ」
「でも、渋谷有利の配下には違いない…そうでしょ?」
渋谷有利を思いのままに操ることが出来れば、厄介な連中と直接対決する必要などない。
「私が任務を全うしなかったことなんてないでしょ?余計な事は言わないで」
「…分かった」
電話が切れると同時に履歴を消す。
指示を出すだけで実行なんて出来ないくせに、いつもながら喧(やかま)しい男だ。
「渋谷君…か。可愛い子じゃない」
活発で一本気…でも、がさつというわけではない女の子が好み。野球の話題、特にご贔屓チームの話には目がなく、少し古い選手の話など持ち出した日には夢中になって機関銃トークをかます。
仲良くなるのは簡単。
確かに男女の仲に持っていくのは少し難しいタイプだが、要は目的を果たすことが出来れば良いのである。
《その財産を手放せば、普通の生活が出来るんだよ?》…しんみりとそう伝えて、《有意義》に権現氏の残した財産を活用してくれる人材…彼女の雇い主に委ねてくれればそれで任務完了だ。
「さぁ…どう責めようかな?」
少女は化粧っ気のない滑らかな肌に指先を伝わせつつ、にやりと微笑んだ。
* * *
「遅刻しなくなったのはありがたいんだけどねぇ…」
「何か御不満?」
防御力の高い車に乗せられて登校する先は、村田と同じハイソな学校だ。
概ね平均学力は高いの学校なのだが、上流階級の子女が通う事が多く、防衛施設が充実しているという事情があって、クラス一つ分は学力に関わりなく編入試験の成績無視で受け入れてくれる領域がある。
有利の財産を狙う連中がどのような手段に出るか分からないから、これまで通っていた学校の友人達に迷惑を掛けるのは嫌だったので、《転校すべきだ》と言うコンラートの意見には従ったのだが…通い始めるとやはり《場違い》という印象が拭えない。
「僕とクラスメイトなのがそんな嫌かな〜?」
「そ…そんなことないって!」
どういう手配をしてくれたのものか、村田と同じクラスになれたのだけは本当にありがたい。本来、彼は極めて優れた頭脳を持っているのだから、学年の中でもSS級の生徒ばかりを集めた少人数クラスで学んでいたのだ。
「俺の方こそゴメン…って感じ。なんか、俺の都合でこうさせちゃったんだろ?同じクラスの友達とか寂しがってない?」
「僕の所はマイペースな連中が多かったし、個別指導だから半分家庭教師みたいなもんだったからねぇ…。心配することないよ。そんなことより、渋谷の方が心配だな。君は学校事態がかわったんだもんね。それこそ、友達が寂しがったんじゃない?」
「う…ん。えへへ…意外とみんな泣いてくれたりしてさ?凄ぇ…寂しかったけど、嬉しかった」
そこまで深く付き合っていたという自覚はなかったのだが、盛大なお別れ会を開催してくれた連中は、みんなが《また会おうな?》とか、《転校しても、渋谷が俺達のクラスメイトなのはかわんないからな?》《クラス会には出席しろよ!》なんて…熱く掻き口説かれて、本当に嬉しかった。
《俺、そんなこと言ったっけ?》と、言われて初めて思い出したようなエピソードを語られて、《あんたのこと、絶対に忘れない》なんて、真剣に言ってくれた子もいた。
『俺ってば、意外と愛されてたんだなぁ…』
ふくふくと胸の奥が暖かくなるような実感と共に、やはり寂しさも滲む。
高級車の送迎は一般的な事らしく、そこには誰も突っ込まないが…学校の警備網と連携する形でコンラートが入校すると、こちらは生徒達の関心を大きく集めるらしかった。
特に少女達は瞳を輝かせて熱い眼差しを送る。
『この人が実は俺とえっちなことまでしちゃったなんて、誰も信じないだろうなぁ…』
普段のコンラートはそっけないほど業務上の話しかしないから、有利ですらうっかりその事実を忘れてしまいそうだ。
実際、有利から誘うような形で(全くそういう意識はなかったのだが…)浴室セックスをして以降は、コンラートと寝たことはない。
二人はまるであんな事など起こらなかったかのように、淡泊な付き合いをしている。
『俺…初めてだったんだけどなぁ……』
《初めて》というものを至高の存在のように考えている自意識過剰な女の子みたいだから、絶対口には出さないけれど…寂しいには違いないし、なにがしかの新しい関係を望みたいと思っているのは事実だ。
身体のことはともかくとして、あれからコンラートの素の表情を見ていない気がするのも不安だった。
『あれって…聞き分けのない女の子の口を、ヒーローがキスで封じるみたいなもんだったのかな?』
コンラートと触れ合えたことで彼との距離が近くなったと思ったのは、単なる有利の思いこみだったのだろうか?
それで初エッチを男としてしまった有利って一体……。
『俺はどうなんだろ?コンラッドとまたああいうこと、したいのかなあ?』
熱くて苦しくて…内臓を掻き回されるような感覚に一杯一杯だったから、気持ちいいとか悪いとかいう実感はなかったけれど、それでも有利はコンラートに惚れているのだと思う。そうでなければ、多少好意を抱いていたとしても…とてもあんな行為には耐えられなかっただろう。
『今日…帰ったら聞いてみよう!』
ぐるぐる回っているのは性に合わない。
どう転ぶにしてもこんなものは結局、お互いの気持ち次第なのだ。まずは自分がどう思っているのかを正直に伝えてみよう。
そんなことを考えながら席に着くと、ふと…昨日まで空いていた箇所に席が増やされているのに気付いた。
「あれ?この席多くね?」
「ああ、また転校生らしいよ」
クラスの中では比較的会話をする機会の多い谷重が応えてくれた。彼はそういう噂話の類が好きらしく、早速職員室に向かって色々と聞き込みをしてきたらしい。
「結構可愛い子らしいぜ?」
「へぇ…」
有利も年頃の男の子なので、可愛い子がクラスにいるのは嬉しい。
コンラートへの想いはともかくとして、やはり年頃の少女の愛らしさというのは見ていて空間が華やぐものだ。
「あたし、可愛い?」
「へぁ…っ!?」
突然、有利と谷重の間に女の子の髪がしゃらりと割り込んできた。
よく手入れの行き届いた髪と、活発そうに良く焼けた肌が少し対照的だ。機敏そうな手足が夏服の袖やプリーツスカートの裾から伸びており、有利と目が合うと身を屈めてにっこりと微笑んだ。
「今日からお世話になりまっす!あたし、転校してきました浅葱美保です。わりとかわいげはないって言われる方です!」
歯切れの良い声音は勢いが良く、それでいて聞き苦しくない。
今時の女子高校生にしては語尾を伸ばさないのも印象が良かった。
「俺、渋谷有利です。俺も最近転校してきたんだ」
「そうなの?じゃあ、転校仲間だね」
からりとした笑顔を向ければ、有利も感応するように同質の笑顔を寄越す。
《自分と同質の存在》…無意識に、そう捉えていた。
「お…俺は谷重雄馬!よろしくね!」
「よろしく!」
こちらにも無難に笑顔を返すけれど、有利に対するのよりはちょっと温度が低め。
意識に登らない程度に、有利を《特別》に扱う巧みな手法だ。
そんな様子を横から観察している村田は、何かを思うように目を眇めた。
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