「磨り硝子の窓」−1







 目が醒めた時、最初に感じたのは違和感だった。

 どうおかしいかと言えば、一つには頭が酷く痛かった。ズキズキするというよりは、ズーンと重怠い感じ。あと、自分が寝台に横たわっていたのは分かるのだが、身体に跳ね返る反発力が馴染みのないものだった。鼻腔を擽る変に甘い匂いも、正直嫌いだ。少なくとも、自分から好んで身につけようという匂いではない。

「ん〜?」

 誰かに文句の一つも言ってやりたいような気分だが、生憎と、目覚めて最初に目にした男は自分以上に不機嫌そうだった。正確に言うと、《俺のことはあんまり好きじゃないんだろうな》という感じだ。

 ざんばらとした灰色の髪は随分と長く、それを一本結びにして背に垂らしている男は、その色合いとも相まって、どこか抜き身のナイフのようにも見えた。触れれば指先が裂けて紅いものが滴りそうなので、取りあえずこの男に当たるのだけは止めようと思った。

「ええと…おはようございます」
「……目が醒めたか」
「あーハイ。醒めたみたいですね」
「そうか…」

 《ふう…》なんて、人の顔を見るなり溜息をつくのは止めて欲しい。何処の誰だか知らないが…。

 軽く《むっ》としながらそんな感想を思い浮かべていると、更に問題なことに気付いた。

『この人、誰だっけ?』

 いかん。この年で痴呆が始まったのだろうか?
 この年…って、自分はさてはて幾つだったか。
 拙い…………見当識障害まで始まったらしい。
 いやいや、見当識なんてちゃんとした単語を覚えているだけマシなのか?

『《どちら様ですか?》なんて聞いたら怒るよなぁ…』

 何しろ、相手は当たり前のように寝台脇に置かれた椅子にどっかりと腰掛けている。不埒な闖入者であればもう少し慌てたり、自分の目的についてつらつらと語ったりするはずだろう。

『だとしたら、やっぱり俺が忘れてんのか?』

 自分にとって、この男はどういう関係の者だったのだろう?取りあえず仲は悪そうなのだが…だとしたら、どうしてこんな所で《俺》の寝顔など見つめていたのだろう?

 《俺》…《俺》、おや…《俺》は、何だったろう?

「え…?」

 《俺は、何者だ?》

 目にした男や、部屋に対する違和感以上の重大事に、唐突に気付いた。
 何ということだろう…自分は、自分が何者であるのか自体が分からない。
 物忘れ、ここに極まれりだ。
 
「あれ?あれれ?」

 焦って寝台を飛び降り、とにかく鏡を捜した。そうだ、鏡というのはちゃんと覚えている。ぴかぴかしていて、自分の姿を映し出してくれるものだ。懸命に捜していけば、ほどなく壁に掛けられた大鏡を発見した。頭の先から爪先まで、完全に見渡せる姿見だ。

「…あ〜……」

 少しだけほっとした。この顔には見覚えがある。取りあえず、知らないうちに顔がすげ替えられたのでないことだけは確かだ。すげ替えられたものがあるのだとすれば、それは頭の中身の方だろう。

 瞳は大きい方だと思う。少なくとも、先程見かけた男の茅で切ったような瞳に比べれば、くりくりとした木の実のような形をしている。瞳も髪の毛も真っ黒で、何故か今は銀色の輪っかが填められていた。輪っかには、どことなく不吉な印象のある紅い石が填め込まれている。

 もしかして、寝ている間にこんな輪っかなど付け続けていたから頭が痛いのかも知れない。そう思って外そうとするのだが、何故だか輪っかは抜けなかった。

「えー?何これっ!孫悟空かよっ!」

 孫悟空…確か、強い力を持つお猿さんがカメハメハ大王と共に、天竺へお経を取りに行くと、そこに龍がいて願い事を叶えてくれる話…だったろうか?いかん、やはり混乱している。髪がツンツンと立っていた孫悟空には、輪っかは填っていなかった気がするし。

「あのー…申し訳ないんですけど、これ外すの手伝って貰えません?このままだと頭痛いし、若ハゲになりそうだし…」
「それは外せない。お前の記憶を取り戻すために必要なものだから、決して外してはならない」
「えーっ!?」

 激しく棒読みで、困ったことを言う人だ。
 …というか、それではこの男は、自分が記憶を失っていることは知っているのだ。だったら素直に自己紹介から初めても、人間関係に角は立たないだろう。

「えーと…。俺、昨日までの記憶がさっぱりぽんと無いんで、あなたが知り合いだとしても、忘れてるのは致し方ないことだって諦めて貰えます?」
「記憶がないのは知っているから、構わない」
「そりゃ良かった。じゃあ、色々と教えて貰っても良いですか?」
「ああ」

 男はそれから、淡々と説明を始めた。

 まず、自分の名前は《ユーリ》というらしい。正確には《シブヤ・ユーリ》で、《シブヤ》の方は家族名なのだそうだ。家族は心配していないのか聞いてみたのだが、男はえらく残酷なことをさらりと告知してくれた。

「お前に家族はいない。全員、魔族に虐殺された。それはそれは、酷(むご)い方法でな」

 それ以上を聞く気にはなれなかった。覚えていないとは言え、漠然と思い浮かぶ暖かい日溜まりが、土足で踏み躙られそうな気がしたのだ。男は魔族の話をする時だけは怒りに顔を赤黒く染めていたから、うっかり聞くと物凄く詳細に家族の死について語られそうだったし。

 くらりと眩暈がするのを感じながら、ユーリはに質問を続けた。この男が何者で、ユーリが何のためにここにいるかだ。

「俺の名はギリア・フォート。魔族によって焦土と化した集落から、幼児だったお前を拾って、育てた傭兵だ」
「はあ…じゃあ、育ての親?」
「そういうことだ」

 傭兵というと、金で契約して戦争をする人のことだった気がする。こんな殺伐とした男には似つかわしい職業ではあったが、それでは一体どうしてユーリを拾ったりしたのだろう?どう考えても足手まといだと思うのだが…。
 こう見えて、実は義理人情に篤い男なのかも知れない。

 そう思ったら、急に親近感が湧いてきた。

「あのさ、俺なんかこの年まで育ててくれて大変だったろ?」
「い…や……」

 ユーリに気を使っているのか、ギリアの返答は歯切れが悪い。

「それなのに…俺、あんたのこと思い出せなくてゴメンな?今は全然ダメだけど、頑張って思い出すから、なんか昔のこととか教えてくれない?」

 きゅうん…と上目づかいに問うてみると、ギリアは暫くの間、口をパクパクとしていたのだが…不意に、ぼそりと呟いた。

「…………お前、は…可愛い子だった」
「今は可愛くないの?」

 おや、どこかでこんな遣り取りをした気がする。
 頭の奥で、妙に懐かしい声が響いてきた。

『ユーリ…赤ちゃんの時、一度だけあなたに会いました。それはそれは可愛らしくて…俺は、再び○○○に帰らなくてはならないことを、あれほど恨んだことはありません』

 部分的に思い出せないが、どうしてだか胸が熱くなるような言葉だ。
 顔も思い出したいのに、逆光になっているみたいに不鮮明になってしまう。ただ…光に透けた髪が、大好きなライオンの鬣みたいでとても綺麗だった気がする。

 でも、全体的に映像はぼやけ気味だ。
 まるで磨り硝子の窓越しに、向こうの景色を眺めて居るみたいにもどかしい。

「可愛くないとは言っていない。その…趣が違うだけだ。拾った時には…なきべそをかいて、親の名前を呼んで…俺の服の裾を握って、《おかあさんを捜して》と何度も繰り返していた。俺は死体を見つけ出して、初めて…死に化粧というやつをしてやった。お前が…せめて最後に、綺麗な顔の親を覚えていられるように……」

 ギリアの口調は懐かしそうと言うよりも、えらく苦々しいものであった。虐殺した相手を憎んでいるからかもしれない。こんな幼い子どもを残して、母親が死なねばならなくなったことに、怒っているのかも知れない。

「お前は泣いて泣いて…復讐を誓った。地上に生きる全ての魔族を殺し尽くしてやると誓った。俺もまた魔族を憎く思っていたから、お前を拾って、暗殺者として育てる気になったのだ」
「え?俺…そんなこと誓っちゃったの!?」

 物凄い違和感が、ぐぅ…っと胸の奥から迫り上げてくる。
 《そんな筈はない》と、自分自身の声がそう語り掛けてくるのだ。

 《俺は絶対に平和主義を貫くんだっ!》…戦争を由とする誰かに向かって、大見得を切ったというのは、単なる妄想なのだろうか?
 実際のユーリは戦争の名のもとに、魔族とやらを殺しまくっていたのか?激しく不安になって、ドキドキと胸が拍動を早めてしまう。握った手には汗が滲み、眦には涙が浮かんでくる。

「もしかして、その誓いに従って…俺は魔族って連中をたくさん殺したの?」
「ああ、大勢殺した。お前の家族や仲間達がそうされたのと同じように虐殺していった。だが…お前を危険視した魔族は、恐るべき力をふるってお前を魔法陣に誘い込み、記憶を封じたのだ。そうすることで無力化したお前を陣営に連れ帰り、これまでの報復として、《死なせてくれ》と懇願したくなるような拷問の限りを尽くすつもりだったのだろう…」
「えーっ!?そんなハードな人生を生きてきたわけ?俺っ!?」

 またしても違和感が突き上げてくる。
 第一、どうやってユーリは《虐殺》などしたのだろうか?目の前にいる傭兵ギリアはともかくとして、姿見に映し出されたユーリは実に華奢で、とても武装した戦士をばったばったと倒せるようには見えなかったのだが…。

「お前には、強い力がある。お前は…法力使いなのだ」
「法力?」
「そうだ…。今は使い方も忘れているかも知れないが、お前は水の法力の使い手だから、強い殺意を抱けば必ず以前のように闘えるはずだ」
「そんな…」

 ユーリはその場を想像して、ぶるぶると肩を震わせた。

「…怖じ気づいたのか?《双黒の殺人鬼》と呼ばれたお前が…」
「そんな通り名、いらないっ!俺…知らない誰かを殺すなんて出来ないよっ!」
「…何を言っているっ!親を殺された怨みを忘れたか!?」
「忘れたから今、こうなってんだろ!?」

 確かこれは、《逆ギレ》と呼ばれる状況であったはずだ。ギリアの言っていることの方が筋が通っているのかも知れない。だが…どうしてもユーリには容認出来なかった。

「だって…大事な人を殺されたからって、殺したヤツの大事な人を殺したら、また俺の大事な人が殺される…。そうやってどんどん殺しの輪が広がっていったら…ずっとずっと、殺意は止まらない。地上に住んでる全員が死ぬまで、不毛な殺し合いが続くじゃないか…っ!」
「綺麗事を言うな…っ!お前だって殺人者のくせに…っ!!」

 ザクリと胸を抉る《殺人者》という呼称に怖じけそうになるが、頭の中に響く声がユーリを励ました。さっき思い浮かんだのとは違う、どこか幼い…でも、賢そうな声だ

『君は、憎しみの連鎖を食い止めたいんだね?綺麗事と詰るヤツはいるかも知れないけど、僕は…そんな君が大好きだよ』

 これは妄想なのか?
 やはり磨り硝子越しのようにぼやけた映像は、ユーリが無意識下で作り出したものなのか?

 でも…だとしたら、大勢の魔族を殺しながら、きっとこんな妄想を見てしまうくらいにユーリは苦しんでいたのだ。
 本当は、殺したくなんか無かったはずだ。
 最初は憎しみに駆られて殺しまくっていたのだとしても、何処かの段階で気付いたはずなのだ。

 殺し合いを永遠に続けることが、どうしようもない地獄を生み出すのだと…。

 ユーリは瞳一杯に涙をたたえて、声の限りに叫んだ。
 今まで誤った人生を歩んできたというのなら、記憶を無くしついでに生き直してみたいのだ。

「大勢殺したっていうなら、俺は大勢に詫びて回らなきゃいけない…っ!今の俺がすべきなのは、新たに殺すことじゃなくて、謝って回ることだ。そんで、俺自身は赦して貰えないんだとしても、俺にとって大事な人は殺さないで欲しいんだ…っ!」

 そうだ…そうでなければ、ユーリを哀れに想って拾ってくれたギリアだって、いつか殺意の輪に切り裂かれる。

「ギリア…俺のために、あんたが虐殺なんかされたら嫌だ…っ!」

 血を吐くようなユーリの叫びに、ギリアは絶句した。

「……っ!」

 ギリアは何とも言えない形に顔を歪ませたかと思うと、薄い唇を引きつらせてひくひくと震えた。怒っているのか、戸惑っているのか分からないが、ともかく、動揺しているのは確かなようだ。

「どうした。何をしている…っ!」

 その時、廊下から叱責の声が飛び、荒々しく扉が開かれた。随分と偉そうな風体の中年男性が、入室の断りも入れず、苛立たしげにどかどかと踏み込んでくる。その姿はぼんやりと、《中世の貴族》との形容を思い浮かべさせた。

「ギリア…っ!双黒の調教はまだ終らんのかっ!」
「も…申し訳ありません……ベルフォルト様…っ!」
「ええい…もう良いっ!」

 ベルフォルトと呼ばれた男は懐から大きな紅い石を取り出すと、何事か念じ始めた。すると…途端にぎりぎりと頭の輪っかが締めあげられて、吐き気を伴う頭痛がユーリを苛み始める。

「痛たたた…っ!痛いっ!痛いよぉおっ!!」

 泣き声を上げてのたうち回るユーリに、ギリアが動揺を示した。明らかに上官と思われるベルフォルトに向けて、抗議を始めたのだ。

「今暫くお待ち下さい。必ず、説得致しますから…っ!ユーリは今、混乱しているだけなのです。どうか…無茶をされませんようにっ!」
「時間がないのだっ!あの連中は、既に異変を感じ始めておる…っ!」

 何だろう…?
 何のことだろう?
 《あの連中》って誰だ?

 頭は痛いが、ユーリは懸命に男の言葉に耳を峙(そばだ)てた。何か、記憶に関わるヒントをこの男は持っている…そんな気がしてならないのだ。

「双黒…っ!さあ、憎しみを持て…っ!魔族を殺せ…っ!魔族と手を結んだ裏切り者も全て、お前の両親の敵だ…っ!殺せ…殺せ殺せ殺せ…っ!!」
「…くぅ……っ!」

 息が止まるくらいに襟首を掴まれると、ギリアが咄嗟にベルフォルトの手に自分のそれを掛け…裏拳で思いっきり鼻面を打擲された。

「下賤の身で、軽々しくこの私に触れるでないわ…っ!」
「も…申し訳…」

 鼻血を零しながら謝るギリアを見ていると、ユーリの中にいい知れない怒りが込み上げてくる。何の権利があって、この男はこんな事をするのだ?人を《下賤の身》と詰るような男が、そんな権利を持つ大層な男であるはずがないではないか…っ!

「あやまれ…ギリアに……あやまれ…っ!!」

 嗄れた声で絞り出すように抗議すれば、霞む視界の端で、ギリアが大きく目を見開いているのが分かる。

「ふ…くぅううう……っ!!」

 ユーリはありったけの力を込めてベルフォルトの手を鷲づかみにすると、歯を食いしばって抵抗を試みた。こんな男の自由にされるのは我慢がならなかったからだ。

「貴様ぁ…っ!」

 ベルフォルトの怒声が響くと同時に、ドン…っと、頭の中が爆発するような衝撃を感じて全身の力が抜けた。きっと、紅い石の力が最大級に使われたのだと思う。

『ユーリ…っ!』

 切羽詰まった叫び声はギリアのものであったのだろうが、どうしてだが…彼とは違う声と被って聞こえていた。

 普段、ユーリの名を呼んでいたのは…別の声だった気がするのだ。



*  *  *




「我が王は、まだ戻られぬのですかな?」
「も…申し訳ない…」

 フォンヴォルテール卿グウェンダルの言葉に、トレタカーレ国の王トスカ・ディル・トートスは脂汗を額に浮かべている。92歳と高齢の王を責め立てるのは心苦しいが、《ちょっとお手洗いに》と言って退席した魔王ユーリは、もう半時近く戻ってこないのだ。

 幾ら友邦国でのこととは言え、臣下達は焦燥を隠しきれない。
 
「どうか、様子を見に行かせて頂けませんか?」

 礼儀を逸しない程度の語調ではあったが、扉の前に佇むウェラー卿コンラートもいい加減焦れた様子を表に出してしまう。
 大切な王…彼にとっては、名付け子であり、最愛の人でもあるユーリの傍にいられないだけで、コンラートはこの上なく焦燥を感じてしまう。それが異国の地の王宮で20分程度にも渡って…と、なると、どうしても様々な事態を考えずには居られない。
 それでも、無茶を出来ないのが変に常識人である所以だ。

『ヴォルフを連れてきていれば良かったな…』

 今回のトレタカーレ国訪問には、本来ならグウェンダルではなくヴォルフラムがついてくるはずだったが、ビーレフェルト家で不幸があったため、葬儀で来られなくなったのだ。短気な彼なら有無を言わさず、もっと早いタイミングで行動を起こして、結果的に突破口を開いてくれたような気がする。
 ギュンターにしても、ユーリが絡めば超常的な行動を示すことが多いのだが、今回は宰相グウェンダルの代行として国に(泣き泣き)留まっている。

「あ、ああ…どうか、今暫く待たれよ」

 トスカ王はあわあわと扉に手を掛けるコンラートを止める。先程からずっとこの調子なのだが、最初の頃に比べるとやはり様子がおかしい。彼自身、魔王が戻らぬ事に焦っている様だのだ。彼自身は誠意に満ちた男であるから、余計にコンラート達の焦りも理解出来るのだろう。

 コンラートが王の懇請を聞き入れて待機していたのは、早くから眞魔国同盟に名を連ね、個人的にも深い友愛で結ばれた、このトスカ王を立ててのことであった。《この王宮内では、血盟城と同じように気易く過ごして頂きたい》と様々な配慮をして貰っていたし、実際、このお手洗いに関するまでは、今回のトレタカーレ国訪問は全てが順調に進んでいた。
 入国に際して眞魔国軍の武装を解かれることもなかったし、事前に決めていた配置にもつけた。

 だから、《我が王宮の警備を信じて頂きたい》というトスカ王の言葉も信じ、密かにヨザックを遣わせるのみでコンラートはこの場に留まったのだ。

 それが…一体どうしたことだろう?これほど遅くなっているにもかかわらず、ヨザックからも報告がない。今回は友邦国訪問ということで、ヨザックの部下は連れてきてはいないのだが、それでも時間が経過し過ぎれば何らかの方法で伝えてくるはずだ。

『ヨザにも、何かあったのか?』

 コンラートは嫌な予感を振り切ることが出来ずに懇願した。

「では、俺が用足しに参ります」
「あ…ああ…」

 《それなら…》と、トスカ王は安堵したように息をつく。警備の総指揮は、娘婿である王太子ベルフォルトがとっているはずだ。彼にそれほど気兼ねしているのだろうか?
 やたらと愛想の良い男だが、目の奥に嫌な粘り気のある男、ベルフォルト…彼がいたから、コンラートはユーリにヨザックをつけたのだ。

『嫌な予感がする…』

 扉を開けようとしたコンラートはしかし、その行為を完遂することは出来なかった。
 扉が開かなかったわけではない。逆に、廊下側から開いた。

 手入れの行き届いた扉は音もなく開き、そして…ユーリが姿を現した。  





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