「蒼穹の仔」−9







「よい…しょっと」

 ゴトンと重たそうな音を立てて、天蓋付きの寝台が床に置かれる。今朝方まで執務室に置かれていたものが、ユーリの床上げに合わせて移動されたのだ。
 異動先は後宮…ではなく、王宮内の一角に設えられたユーリ専用の部屋である。

 後宮の女達は家元に戻されたし、半焼した建物自体も撤去作業を進めているところだから、後宮という組織形体は完全に消えることになる。跡地には温室を建設する予定なのだそうだ。

「ありがと、おもい、へいき?」
「いえいえ、何て事ありませんや」

 ユーリが気遣わしげに声を掛けるが、逞しい使用人の男達はにこにこ顔で力こぶを見せつける。彼らは厨房横で賄い料理を一緒に食べたこともある面々で、その時のユーリは双黒であることを忌避されないように被り物をしていたが、今では剥き出しのままでも全く気兼ねない。マナが色々と話してくれたせいもあるのだろうが、単に馴れたのかも知れない。

 今回の引っ越しでは、力仕事は男衆、女衆は調度品や花やリネン類の手配をしてくれている。マナも勿論来てくれて、細やかにユーリのことを気に掛けてくれた。 

「それよりも、双黒の君…引っ越しでお疲れではないですか?何かお飲み物でも運びましょうか?ああ…まずは、どうぞお座りになって下さいな」
「んーん、へいき」

 新しい環境に興味津々で、とても寝てなどいられないと首を振るが、その動きにくらりと来ているのをマナは見逃さなかった。

「平気じゃありません!」
「は…はひっ!」

 マナに強く言われると、ユーリは置いて貰ったばかりの寝台にぴょこんと乗り上げた。やはりこういう時の女性には適わない。すぐに暖かいココアのような飲み物が運ばれたから、はふはふと息を吹きかけて飲んだ。そうしていると、コンコン…と控えめなノックの音が響いた。

「はーい」

 とってってと扉に向かえば、こちらから開ける前に来訪者が入ってきた。許しを得る必要のない、主がやってきたのである。

「コン…おうさま!」

 王を呼び捨てというのは外聞が悪かろうと慌てて呼び直してみた。コンラートの方はちょっぴり不満そうではあったが、他の者がいる場では仕方ないかと呟いて、小さく溜息をつく。

「陛下、お部屋の引っ越しはこれにて完了致しました。何か不都合な点がありましたら、どうぞお知らせ下さい」
「ああ、ご苦労だった」

 労いの言葉を口にしつつも、どこか落ち着かなげな王の様子に、使用人達はお辞儀をしてすぐ退去していった。

「みんな、ありがと。またあそぶ、くる」
「いえいえいえ…」

 お誘いの言葉に、返事ともなんともつかぬ苦笑を返して人々は部屋を出て行く。中には、少々下世話な会話と思しきものを交わしながら去っていく者もいた。

「陛下は随分と我慢しておられたからなぁ…今夜はユーリ様を離してあげられないだろうね?」
「しいっ!」

 ひそひそと声を潜めても、どういうものかこういう会話に限って良く聞こえてしまう。えふんえふんとコンラートが咳払いする中、パタン…と扉は閉められた。
 すると、コンラートの掌がそっとユーリの頬に寄せられる。

「ユーリ、少し頬に血の気が戻ってきたな」
「うん」

 やはり、先程休んで温かい飲み物を飲んでおいて良かった。顔色が良くなっていたおかげか、コンラートが凄く嬉しそうに微笑んでくれた。

 魔力を使ってから1週間くらいは高い熱が続いており、解熱してからも、身体を起こして賑やかにお喋りをしていると、すぐに顔色が悪くなっていた。だから、あまり会話が盛り上がったりすると、いつもコンラートに咎められた。そんな時は怒られたことそのものよりも、コンラートに心配を掛けていることが申し訳なかったものだ。なにせ、ユーリが目眩を起こしてよろめいただけで、コンラートの方が死にそうな顔をするのだから…。

『俺って、それなりに気に入られてんのかなぁ…?』

 照れ照れとはにかむユーリは、コンラートが後宮組織を解体した理由を《焼けちゃった建物を再建するのが勿体なかったから》と認識していた。ただ、その中で唯一自分だけを寵姫(苦笑)として残してくれたわけだから、少しは期待したくなる。

『コンラッドは王様なわけだから、俺だけのもんには絶対なんないわけだけどさ…』

 それでも、できるだけ長い間コンラートの傍で生きていたいな…と、思いながら見つめていたら、とても優しい目をしたコンラートが、ユーリの身体を誘導してソファに腰掛けさせる。

「おうさま、おれ、あしひらく?」

 真っ赤になってもじもじしていると、バシンと軽く頭を叩かれた。
 このまま御開帳させられるかと思ったのだが…。

「そんなに俺が無情な男に見えるか?まだ本調子じゃないお前に、無理なんかさせられるか!」
「ごめ…」
「謝るな」

 怒ってしまったことが不本意だったのか、コンラートの手が伸びてさふさふと頭を撫でつけてくれる。仔猫のように目を細めて、ごろごろ言いたい気分だ。

「怒るつもりじゃなかったんだ。改めてお前と…ユーリと、話をしたかったんだ」
「なに?」

 《出て行け》という内容以外なら大丈夫と心構えをしておいたのだが、コンラートが口にした内容は既に前にも確認済みのことだった。

「ユーリ、お前は俺に…生涯をくれるか?」
「もー、まえ、いった。あげるあげる」
「二束三文で売り飛ばすみたいに軽く言われてもな…」
「ありがたみない?」

 困ったように小首を傾げていると、コンラートの薄くて少し冷たい唇が触れてくる。一瞬だけ温度差に背が震えるが、同じ温度に変わっていくそこがとても気持ちよいことを、ユーリはもう知っていた。

「では…ユーリ、お前は…」

 コンラートは更に尋ねようとして口籠もり、一体どれほど恥ずかしいことを言おうとしているモノやら、白皙の肌を淡い朱に染めて瞼を伏せる。そうすると、意外なほど長い睫が引き締まった頬に影を落とすから、無意識の内に目の縁へとキスをしていた。

「おうさま、なんでもきく、どーんと」
「ああ…」

 コンラートはくすりと苦笑すると、すっぽりとユーリの両頬を包み込んで、静かに互いの額を押し当てた。まるで、言いにくい内容がそこから自然に伝わっていくようにと祈っているみたいに。

「俺は…ユーリを、愛しているんだが。ユーリは…どうだろうか?」
「へ?」

 これが英会話教室なら肩を竦めて《ホワッツ?》とでも聞き返すことだろう。
ユーリは自分の聴覚が捉えたこの国の言葉が、取り違えでないのかどうかで頭を悩ませてしまった。

 だって、まさかこの偉そうな男が、初恋をしたローティーンの少年の如くはにかみながら、ユーリの様子を伺っているなんて…何かの冗談としか思えない。

 でも…でも、もしも本当だったら?
 こちらを見守っているコンラートは、以前よりずっと優しそうだけど、どこか焦れたように…恥ずかしそうにしている。一途にユーリの心を知ろうとしているみたいだ。

『わ…』

 少しずつ、心の中に《愛》という言葉が染みていく。

 その存在を伴って、彼の傍で一生を遂げると言うことはすなわち、ユーリとコンラートは夫婦のようなものになるということではないだろうか?

「もしか、けっこん…って…」

 《所有物》として生涯彼の持ち物になるということではなく。
 ひょっとして…ひょっとして……。

 期待に満ちた眼差しを注げば、コンラートは今度こそ照れることもなく、凛々しく直向きな面をユーリに向けた。

「ああ…お前と俺が、妻と夫として生きていく誓いを立てる…と、いうことだ。もう約定は交わしたのだから、撤回は許さないぞ?」
「……っ!?」

 うひゃっ。

 我ながら間抜けな声を上げて頬を真っ赤に染めてしまう。

「どうだ?」
「でも…でも、コンラッド、おうさま…」

 そうだ、コンラートは一国を治める王なのだ。世継ぎが生まれないというのは致命的ではないだろうか?

「おうじ、うまれない、こまる…おれ、おとこ…」

 しかし、ユーリの心配に反してコンラートはしれっとしたものだった。

「子どもなどいるものか。俺はどうせ、人間達が疎みたくなるほど長く生きるからな。頃合いを見て後継者を据えたら、王などさっさと止めて辞めてしまうさ。そうしたら…共に生きる者が欲しいじゃないか」

 コンラートの傍に居たい者など掃いて捨てるほど居るはずなのに、彼はユーリを選んでくれたのだ。ほんの数日前に出会ったばかりの子どもを、本当に…彼は、愛してくれているのだろうか?
 ずっとずっと先まで、一緒にいたいのだと思ってくれているのだろうか?

 きゅうぅ…んと締め上げられる胸の痛みに、少し前なら《心筋梗塞か!?》と慌てふためいていたに違いないが、今なら分かる。これは…コンラートを愛おしいと思う気持ちだ。

 掛け替えのない、大切な想いだ。

「おれも、あいしてる。あいしてる、あいしてる…っ!!」 

まるで呪文のように繰り返しながら、ユーリは持てる力の全てを使うようにしてコンラートへとしがみついていく。気が付いたらぽろぽろと涙まで零していて、《俺ってどんだけ乙女なのよ》と突っ込みたくはなるが、生理現象なのだから許して欲しい。

 こんなに大好きな人に《愛してる》と言われて、自分も《愛してる》と返せるなんて、滅多なことではないのだから。

「ユーリ…俺が退位したら、馬に乗って旅に出よう」
「うん、うま、スキ。とおく、いく」
「そうだ、どこまでも遠くに行ってみよう。まだ誰も脚を踏み込んだことのないようなところにも、行ってみよう」

 コンラートの言葉にわくわくするような心地になるが、少々気になることもあった。何しろコンラートが言っていることは、《いつか後継者に代替わりした後で》との前提に立っているのだから。

「それは、ずーっと、さき?」
「そうだな。数十年は後になるかな…。よく考えると、まだこの国で色々と取り組みたいことはあるしな」
「む〜…うまのたび、たのしみ。でも、ず〜っとさきは、まちどおしい」

 駄目元で唇を尖らせながらごねてみたら、コンラートは破顔して、思いがけない提案をしてくれた。

「ふふ…。では、近々眞魔国を訪れるんだが…一緒に行くか?折角だから、バド達に会えるように取りはからってやろう」
「わあっ!」

 世話になった農場のみんなに会えるとなれば、そりゃあ気分も盛り上がろうというものだ。しかも、バードナーはコンラートの部下であったという縁も知っているのだから。きっと感動の再会が見られるに違いない。

 それにしても…コンラートと眞魔国とは随分な因縁があるはずだが、良く帰る気になったものである。何か心機一転するような切っ掛けでもあったのだろうか?

「コンラート、くに、かえる?」
「《帰る》、か…」

 懐かしさに、琥珀色の瞳は遠くを見やるが、すぐにふるっと首を振ってすっきりとした笑みを見せた。

「《帰る》のは、当分はシマロンが基盤だ。まだここには、俺を王として強く求めてくれる連中がいるからな」

 にこ…っと微笑む表情はまるで少年みたいに鮮やかで、あれほど鬱屈して幸せの欠片も持ち合わせていないように見えた人が、とても沢山の愛情に気付いて、きらきらと輝いているように見えた。

『この人は、沢山の人が大好きだって思ってくれてることに気付けたんだ!』

 良かった。本当に良かった。
 きっと、ユーリ以外にも大勢の人がこのことを喜んでいるに違いない。

「じゃあ、さとがえり」

 これはマナから教わった言葉だ。
 娘時代には実家だけが《帰る》家だった女性が、お嫁に行ったら、《帰る》家が二つに増える。愛する人と育む家もまた、《帰る》べき場所であるからだ。
 それはとっても、素敵なことだ。

「里帰り…そうか、そうだな…」

 噛みしめるように呟くコンラートは、瞼の裏に懐かしい故郷を想っているのだろうか?

『里帰りか…』

 ユーリはどうなのだろう?いつか…故郷への道標を見つけることは出来るのだろうか?コンラートの里心に刺激されたように、ユーリの中でも望郷の想いが色を持ち始めていた。

 暖かい日常風景…家族で囲んだ食卓、勉強は苦手だけどみんなとわいわいやるのが楽しかった学校生活、そして…何よりも大好きだった野球。

『そりゃあ…ずっとコンラッドと一緒にいるって約束したんだし、それは絶対嘘とかじゃないんだけど…』

 それでも、家族や故郷への想いを完全に断ち切ることなど不可能だった。思い出せばどうしても、目元に涙が込みあげてくる。

「ユーリ…お前も、故郷を想っているのか?」
「ちょっと…だけ」
「…帰りたいか?」

 コンラートの瞳は少し拗ねているみたいだったが、以前のようにユーリを自分の持ち物のように《お前に選択権などない》とは断定しなかった。
 だから、余計に切なくもなる。

「かえりたい…でも、こっち、かえれない、イヤ…コンラッドと、あえない、イヤ…」
「ユーリ…」

 しがみつくようにしてコンラートの背へと腕を回せば、彼もまた強く抱きしめてくれた。

 このぬくもりを失うことなど出来ない。
だが…ユーリにぬくもりを与えてくれた家族を、切り捨ててしまうことも出来ない。

「ユーリ…」

 思い悩むユーリの耳朶に、コンラートの声は優しく染みていった。今まであんなに傍若無人に振る舞っていた人だのに…恋心はこんなにも人を変えるのだろうか?

「お前を離すことは出来ない。だが…いつか、俺が王の座から降りたら共に探してやろう。だから…泣くな」
「なく、ナイ…」
「そうか」

 親兄弟から隔絶された孤独を癒そうとするように、コンラートの手はゆるゆると…いつまでも、ユーリの髪を撫で続けていた。



*  *  * 




「眞王廟から使者だと…!?」

 眞魔国の摂政、フォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルは、声をひっくり返して驚愕していた。
 ここ十数年というもの、眞王廟からの知らせと言えば定例の儀式に関するものばかりで、それも白鳩便で決まった時期に伝えられるだけだったのだ。直接の使者と聞いて、シュトッフェルの背筋には冷たいものが流れていく。彼は数十年の昔、眞王廟からシュピッツヴェーグ家にやってきた使者のことを覚えていた。あの日知らされたのは、可愛い妹のもとにやってきた、《次代の魔王となられよ》との辞令であった。

 そう、眞王廟から直接使者が来ると言うことは、そのような重大事に限られているのだ。

「まさか…まさか、新たな魔王を推挙するなどと言い出すのではないだろうな!?」
「あらぁ、素敵!」

 第26代魔王フォンシュピッツヴェーグ卿ツェツィーリエは兄の言葉を耳にすると、手を叩いてはしゃいでいた。雲雀のような声音は幾つになっても軽やかで、豊満でありながらしなやかな肉体は、魔王にのみ許された漆黒のドレスを纏い、きゅ…っと括れた足首を玉座からゆらゆらと揺らしている。そうしていると、幼い小娘の頃と何も変わらない。

 そう…何一つ変わらないからこそ、眞魔国はこんなにも力を落としているのだ。

『私が踏ん張って支えてやらねば、この国はすぐに崩壊してしまう…!』

 シュトッフェルはシュトッフェルなりに眞魔国と魔族の行く末を憂い、愛おしい妹の為に出来る限るのことをしてやろうと思っていた。
 たとえ、多くの者から見て的はずれな方向性であったとしても…。

 妹の方はと言うと兄の思いにはさっぱり呼応せず、全く方向性の異なる心配をしていた。

「本当にそうだったら良いのにっ!私、いい加減魔王なんて身分に飽き飽きしていたもの。早く自由になって恋愛旅行に出かけたいわ〜。ああ…でも、コンラートが久しぶりに訪ねて来てくれるのですもの…それまでは魔王でいても良いかしら?お仕事のお話でないと、会ってくれないかも知れないものね…」

 脳天気な魔王とはいえ、流石に代が変わってしまえばシマロン王との会見が簡単に纏まるとは思っていないのだろう。それでも、危機感がないことには変わりはなくて、シュトッフェルは苛立たしげに眉をしかめると、摂政に宛われた豪奢な椅子を指先で叩いた。

「馬鹿なことを…!コンラートだと!?あんな親不孝者が今更のこのことシマロンから出てくるというのだ、どのような企みがあるか分かったものではないわ…っ!」
「まあ…でも、コンラートは《紛争が二度と起こらないように》って、友好の為に来てくれるのよ?」
「信じられるものか…!どのように悪虐な企みがあることか…っ!」

 激高して叫んだ丁度その時、謁見室の扉が大きく開かれた。
 どうやら、こちらから許しを与えてもいないのに、使者とやらが勝手に入ってきたらしい。

「魔王陛下と摂政の会話中に、何を…」 

《無礼な》と、続けることは出来なかった。
 そこにいたのは傲岸とさえ言えるほど鋭い眼差しを持った、双黒の少年だったのである。

「な…なに!?」

 世にも珍しい双黒を、シュトッフェルは数ヶ月前に目にしているが、まさか…こんなにも短期間に、もう一人双黒を目の当たりにするとは思わなかった。
 しかも、如何にも世慣れない風だったユーリという少年とは違って、使者としてやってきた少年の方は年格好こそ似通っているものの、侵しがたい威厳を漂わせてシュトッフェルを圧倒してきた。

 そして、無礼を詫びるどころか…いきなりシュトッフェルを糾弾し始めたのである。

「君、随分と無礼だね。この僕がわざわざ訪ねてやったって言うのに、妹君との会話に夢中になって待たせるなんて、懲罰ものだよ?」
「な…な…」

 双黒の少年は細枠の眼鏡をくい…っと指先で引き上げ、シュトッフェルに向かって遠慮容赦なく嘲笑を与えた。

「おや、言葉すら忘れてしまったのかい?それじゃあとても摂政は勤まらないな。まあ良いや。どうせすぐに魔王が交代するんだから、もう用済みだし」
「なーっ!?ば…馬鹿なことを…っ!貴様、し…眞王廟からの真の使者であるという証拠はあるのか!?」
「馬鹿は君だよ、フォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェル。双黒の大賢者を前にして、それ以上愚かな口をきいたら、その姿…本気で豚に変えるよ?」
「…っ!?」

 村田の放つ威迫に圧倒されたシュトッフェルは、もう正体を問いただす勇気を失ったらしい。蒼白になったかと思うと、がたがたと震えて立ち竦んでしまう。

「ま…さか…だ、だいけん…」
「まあ…!申し訳ありません、猊下。どうぞ席について下さいな。すぐにお茶の用意を致しますわ」

 状況を分かっているのかどうなのか、ツェツィーリエは《大事なお茶のみ友達の気分を害してしまった》程度の反省ぶりを示すと、傍らに待機していた侍女へと指示を出した。大賢者の方もツェツィーリエには含むところがないのか、実にリラックスした態度で勧められた椅子に腰掛ける。

「ええ、宜しくお願いしますよ。馬鹿に馬鹿だと教え込むのに苦労して、喉が嗄れてしまいました」
「ご免なさいね?でも…お兄様にも良いところはたくさんありますのよ?」
「そうかもしれませんね。ですが、取りあえず一国の政(まつりごと)を司るには、愚かに過ぎます。まあ、おかげで後遺の憂いがないよう、順調に証拠集めも出来たわけですけどね。あなたの顔を立てて死刑だけは免れるようにして差し上げますけど、生涯シュピッツヴェーグ領で蟄居して頂きますよ」
「な…に…?」

 大賢者の言葉に、シュトッフェルはもはや意味のある言葉を紡ぐ事も出来なくなっていた。まるで、術を掛けられるまでもなく、豚に変えられてしまったかのように。

「横領、書類偽造、詐称、背任行為…君に関するありとあらゆる不正の証拠を掴ませて貰った。二つ三つ明かすだけで、十分摂政職は追えるほどのね」
「まあ…どうしましょ!お兄様がいないと、私…政治なんて出来ませんわ!」
「良い息子さんがいらっしゃるじゃありませんか。フォンヴォルテール卿グウェンダルは、優秀な男だと聞いていますよ?」

 息子を褒められて、ツェツィーリエは素直に顔を輝かせた。

「そうね!お兄様は《まだまだ若い》って反対しておられたけど、グウェンはとても良い子だもの。じゃあ、早速摂政職につくようにお願いしてみますわ」
「ええ…後、要職につけて頂きたい面子を一覧にしておきましたから、参考にしてください」
「何から何までありがとうございます」
「いいえ、お気になさらず。全て自分の為ですから」

 大賢者はしれっとして言い放ったものの、何かを思い出すように…微かに微笑む。
 その表情は、先程までの苛烈なものとは随分と違う印象だ。

「正確には、僕にとって大切な人の為に…ですけど」
「まあ、お名前を伺っても良いかしら?」

 双黒の大賢者が口にした名は、《渋谷有利》。
 そして大賢者の名は、《村田健》といった。






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