「蒼穹の仔」−10
眞魔国を訪れたコンラートは、天空を染める淡紅色の花弁と人々の歓声に驚愕していた。国際港の沖にシマロン船が見えてきた段階で、眞魔国の民は熱烈な歓迎を示してコンラート達を迎えのたのである。
混血魔族はともかくとして、多くの純血貴族にとってコンラートは《裏切り者》という肩書きで認識されていると思っていたのだが…。
出立直前に報じられた、摂政の失脚と関連しているのだろうか?
「ルッテンベルクの獅子!」
「眞魔国の誇り…っ!」
コンラートに対する歓迎の声に混じって、不思議な呼ばわりが聞こえてくる。
「次代の魔王陛下万歳!」
「双黒の魔王陛下…!」
船旅の続けている間にも情報収集は続けていたのだが、どうしても時間差は出てしまう。その間に、政権交代まで生じていたのだろうか?
不思議に思いながらも、必要な防衛網は敷いて下船していくと、船着き場まで続く真紅の絨毯の上に、魔王ツェツィーリエと共に黒衣を纏った小柄な少年が現れた。驚くべき事に、それは眼鏡をかけた双黒であった。
しかも、コンラートの傍らに立っていたユーリが、黒衣の少年を目にした途端に目を丸くして声を上げたのだった。
「村田…っ!?」
「知っているのか?」
「村田は、ともだちっ!チキューの、ともだちっ!」
最近、やっと助詞が使えるようになってきたユーリは懸命に意志を伝えようとしてくる。
「異世界の友達だって?」
眞魔国では一体何が起こっているのだろうか?
そう言えば、双黒に目を奪われて失念していたが、貴色である黒を纏えるのは王か、それに類する身分の者だけだ。だとすれば、民の叫んでいた《双黒の魔王陛下》とは、この村田のことを指しているのだろうか?
見た目の年齢のわりに落ち着き払った態度を示していた村田だったが、視界にユーリの姿を認めると、子どもらしい表情で駆け寄ってきた。
そして二人は異世界のものと思われる、聞き慣れない言葉で会話を始めた。
* * *
「渋谷…ああ、渋谷…っ!無事だったんだね?」
「村田…一体どうしてここに?お前も流れされてきたの?」
思いがけず目にした友人に、ユーリは我を忘れて日本語で語りかけていた。
『ああ…すっげぇ、懐かしい言葉…っ!』
《日本語が通じる》という、かつてはごくごく日常的であった行為に、ユーリは早くも泣き出しそうになっていた。
それにしても…村田は一体、何故こんなところにいるのだろうか?
そもそも、ユーリがこの世界にやってきた切っ掛けは、公園で不良に絡まれていた彼を救いに行ったせいだったのである。
『友達と言ってはみたものの、そういえば、あん時は見捨てられたかと思ったんだけど…』
中学校では同じクラスだったものの、別の高校に行った彼とは特に連絡を取り合うこともなかった。中学時代にしたところで、実はそれほど会話を交わすこともなかったのである。
しかし、村田の方は随分懐かしんでくれている。もしかして、責任を感じてこんな異境の地まで迎えに来てくれたのだろうか?不良達に突っ込まれた女子便所から、後を追ってくれたのが別のポイントにでも流されたのだろうか?
いや…でも、村田は随分とこちらの世界に馴染んでいる気がするから、賢い彼のことだ。ひょっとして、何か特殊な装置か何かを開発してここまで来てくれたのだろうか?
『地球に、帰れるのかな!?』
話によっては堪らなく有り難いことだ。ただ…地球に帰ったっきり二度と戻れないなんて言われると、これはかなり困ってしまう。だって、ユーリはこの会談が終わったら、正式にコンラートと婚姻することになっているのだ。
《結婚》という言葉の意味を初めて知ったときには、ユーリはひっくり返って驚き、一国の王が世継ぎなど望めない男と結婚して良いのか尋ねてみたが、コンラートは既に臣下達の了承も取り終えていた。
それに…《数十年後》という約束で、一緒に地球への帰り道を探そうと約束してくれたのだ。
「渋谷、黙っててゴメンね…血盟城で色々と説明するから、ゆっくりしていってね?ああ…ウェラー卿もね。渋谷が世話になったようだから、君にもお礼をしたいな」
後半は滑らかな眞魔国語であったものだから、ユーリは村田に尊敬の眼差しを向けてしまった。
「すげぇ…村田!。お前だってこっちに来て、そんなに経ってないんだろ?なのに、もうそんなにぺらぺらなんて…。やっぱ、頭良いんだなぁ…。羨ましいっ!俺も早く、コンラッドと滑らかに喋りたいよぉ〜っ!」
「後でたっぷり教えてあげるさ。…てか、ちょっと僕のはズルみたいなもんだから、あまり買いかぶらないで欲しいな」
「ズル?」
「まあ…その辺りも後で説明するよ。こんな潮風のきついところで立ち話もなんだしね。眞魔国には美味しいものがたくさんあるから、暖かい部屋で歓待してあげるよ」
「へぇ〜、流石はコンラッドのふるさと!」
にこにこして笑うユーリに向けて、やっぱり極上の笑顔で村田は答えた。
「ああ…そして、これから君の国になるんだ」
* * *
血盟城にやってくると、村田とユーリ、そしてコンラートの三人だけが応接間に顔を揃え、この時間についてはツェツィーリエや、招請を受けて王都入りしたグウェンダル、ヴォルフラムには御遠慮願った。よって、この家族はよそよそしい表情で顔を合わせただけで、真の再会は先送りとなっている。
村田としては、コンラートさえも外して欲しいと願っていたようだが、ユーリは将来の夫(照…)と、共に全てを知りたかったのである。
そんな環境下で、ユーリは驚愕の事実を突きつけられてしまった。
「おれ、まおう!?」
「ああ…そうだよ。君を魔王にするべく眞魔国に運ぼうとしたのに…あんな事になってしまって、本当に申し訳ない」
村田は、可哀想になるくらい打ち拉がれてユーリに詫びた。
実際問題として、ユーリはあまりにも予想外の事態に見舞われて、運命を変転させられてきたのだという。
そもそもの生まれからして、眞王や眞王廟の巫女達の目論見は随分と当てが外れたらしい。
強い魔力を持つよう熟成させた魂を地球に運ぶ為に、選ばれたのはウェラー卿コンラートであったのだが、魂が手に入ったちょうどそのタイミングで、よりにもよってシマロンの王となるべく眞魔国を出ていたのである。
なお、この際にシュトッフェルはコンラートの身に危険が及ぶことを察していながら、シマロンにとっての怨敵である自国の英雄を生け贄のように捧げることで、恨みを晴らさせて自軍の被害を小さくさせようとしたらしい。そのことはシュトッフェルの失脚後、派手に村田が眞魔国中に喧伝しており、相対的にコンラートの名誉回復が果たされている。
それはさておき過去に話を戻すと、魂を運ばねばならぬことに変わりはなかったから、地球の魔王であるボブの手に委ねられたそれは、日本に住む魔族、渋谷家の次男に封入された。
自分の魂が人為的に封入されたものと聞いていい気はしなかったが、魂が何であっても、今の人格を形成しているのは間違いなく、今現在生きているユーリ自身なのだと説明されて気を取り直した。
双黒の大賢者として四千年の記憶を保たねばならないという村田が語ることだけに、言葉には重みを感じられた。だから、敢えて誰の魂が原材料になっているかは聞かないことにした。前世などに振り回されては、ろくな事がないと思ったのだ。
「猊下は、ユーリを第27代魔王に就任させようとしておられるのですか?」
「そのつもりだったんだけどね…まさか、魂の担い手になるはずだったウェラー卿と、そこまでしっぽりやっているとは予想していなかったなぁ…」
村田は敗戦による割譲条件を緩めて貰う道具として、ユーリが使われたことに激怒していたらしい。シュトッフェルに対する舌鋒が激甚であった理由の一つがそれだった。
ただ、村田も驚いたことに、その行為によって一度は断絶しかけたかに見えたコンラートのとの結びつきが、返って強固になったのだった。
「僕と眞王は、君とウェラー卿を魂を介した縁で結ぶことで、将来的に強い主従関係に繋げたいと思っていたんだ。だけど、螺旋を描いて歪んでしまった運命の軌道は…思いがけないところで君たちを結んだんだんだね。鍵同士は、やはり共鳴するのかな」
「カギ?」
随分とまた謎めいた言い回しである。
説明を求めるように村田を見やるが、彼の発した言葉は益々ユーリを混乱させただけだった。
「君たちは、《禁忌の箱》の鍵なんだよ」
「なんだいそりゃあ…」
「…なんですって!?」
ぽかんとしているユーリに比べて、コンラートの纏う緊張感は鋭敏に呼応していた。どうやら、かつては眞魔国の王子であった彼は伝説上の曰くも知っているらしく、掻い摘んで説明してくれた。
かつて世界を創造しながら、地・水・火・風の各要素が激しくぶつかりあって世界を再び混沌に戻そうとしていた頃、眞王はこれを四つの箱に閉じこめた。完全に昇華してしまうには、力が足りなかったらしい。箱は眞王に仕えた忠実な部下四名の肉体にそれぞれ刻まれて、各自が死ぬたびに、魂を介して新たな血縁者の肉体へと受け継がれていく仕組みなのだそうだ。
「ウェラー卿、君は自分が鍵だという自覚があったのかい?」
「自覚…と申しますか、ウェラーの名を継ぐ者は俺だけですからね」
「ご尤も」
村田に尋ねられて肩を竦めたコンラートだったが、彼は更に、自分の代になってから《禁忌の箱》を強く意識するようになった経緯も教えてくれた。
実はシマロンの統治下で近年、続けざまに二つの《禁忌の箱》が発掘されているのだ。ひとつは《地の果て》、もうひとつは《風の終わり》と呼ばれるもので、特に後者についてはウェラー家の血縁者が鍵と言われていたことから、コンラートと直接接触しないように気を配りながら、シマロン王宮内に厳重にしまわれている。
前者の《地の果て》については、当初《小シマロン》と呼ばれる属国の王が隠し持っていたというが、怪しげな実験の為にヴォルテール家の血縁者を誘拐しようとしたところを、ヨザック達が未然に防いでいる。
「ふぅん…ウェラー卿、君は大したもんだね。これは、ひょっとしてひょっとすると、君が渋谷の臣下として眞魔国にいるよりも、効率的に《禁忌の箱》を始末していけるかも知れない」
「ひょっとして、元々それが目的で俺を魔王なんてものにしようとしてたわけ?」
「ああ、どうしたって一国の王ともなれば権力が集中するからね。その臣下として強い結びつきを持ったもった者達に、鍵を帯びた者が生まれるよう細工したのも眞王だよ」
村田が言うには、なんとコンラートの兄と弟も、それぞれに禁忌の箱の鍵であるらしい。ツェツィーリエが王としては甚だ無能でありながら王位に在り続けた理由は、奔放な性癖によって重要な血筋との間に子種を設ける為であったのだと聞くと、コンラートは気分が悪そうに口元を覆っていた。
確かに、そんな理由で選ばれた王の元で流された血は、どうやって購えばいいと言うのだろうか?ツェツィーリエ個人にしてみたところで、それではまるで繁殖用の家畜のようではないか。
「眞王って…相当手段を選ばない人?」
「まーね。壮大な規模の我が儘男だからねぇ…。ただ、一概に責めないで遣って欲しいな…とは、大賢者の記憶を継ぐ者として言っておきたいね。あの我が儘な男がいなければ、君たちは生まれることも出来なかったんだから」
それは一面、真実を指してもいた。仕組まれた生まれであったこと以前に、そもそも創主を命がけで眞王が封じていなければ、この世界は未だ混沌の中にあったかも知れないのだ。
「だからこれは、僕からの命令ではなくお願いだと思って聞いてくれ。君たちはウェラー卿の兄弟と共に力を合わせ、どうか《禁忌の箱》を始末して欲しい。これは君たちにしか頼めないことなんだ。眞王は…今、箱から溢れ出た創主によってまともな意識状態を失っているからね」
「…っ!」
衝撃的な告白は、流石の村田にとっても声を潜めずにはいられないものだったらしい。ユーリにはピンと来ないのだが、コンラートの表情を見ても眞魔国の民にとって、四千年も前にいた眞王という男が《まともでない》というのは、余程重大なことのようだ。
多分、幼い弟妹が大勢居るのに、絶対的な存在であるはずの父が鬱や認知症になるくらい大変なことなのだろう。
「だから、君があのタイミングでこちらの世界に引き込まれたのも、僕は全く予想していないことだったんだ。君が運ばれたのは、眞王が出鱈目に魔力を発動させた結果だったんだよ」
「なに、その豪快な召還方法…」
…ということは、たまたま親切なアナハイム家の農場に降りられたから良かったようなものの、言葉も全く通じない時期に人間の国に落ちて迫害されたり、下手をすれば殺されていたり、水中やマグマの中とか、とんでもなく高い場所に放り出されて即死していた可能性さえある。
「俺…良く生きてたなぁ……」
コンラートも、村田が眞魔国語を使って説明すると顔色を青ざめさせていた。二人が無事に出会えたことは、まさに奇跡に等しかったのだ。
「君がこちらの世界にやってきたことは眞王廟の巫女達も感知していなかった。だから、シュトッフェルが君をシマロン王宮に貢ぎ物として進呈したと聞いたときには大混乱に陥ったらしい。大慌ててで僕を召還したのもそのせいさ」
巫女達の力だけでは安定した空間移動を達成することは難しかったから、地球側の魔族と連動して村田を運ぶのに相当苦労したようだ。
「そ…そっか…苦労したんだな」
「君に比べれば、大したことないさ。状況も分からないまま心細い想いをしていたろ?」
「そりゃまあそうだけど…凄く運が良かったみたいで、何処に行っても誰かが助けてくれたもん。結構楽しくやってたんだぜ?」
「君らしいな…!」
そう言って笑う村田は、如何にも年頃の少年らしい。それにしても、あまりよく知らない村田から《君らしい》なんて言われるのは少し不思議な感じだ。意外と、彼の方はユーリを気にしていたのだろうか?
だったらもっと早く声を掛けてくれたら良かったのに。
『あー…でも、あんまり人柄を把握してないクラスメイトから、《君は異世界で魔王となり、危険な箱を始末する使命を帯びているんだ!》なんて言われたら全力で引いてたな…』
何事も、前情報って大事だ…なんて考えていると、コンラートがおもむろに村田へと話しかけてきた。
「猊下、ユーリを魔王にしなくてはならない絶対的な理由がおありですか?」
口調にも態度にも、どこか挑むような雰囲気を帯びている。琥珀色の眼差しは厳しく眇められて、薄い唇も冷気を感じさせるような形に釣り上げられていた。
「嫌なわけ?」
村田の眼差しもまた、ス…っと冷たく眇められる。
「ええ。与えられた役割から考えて、必ずしも魔王という役職に就くことが不可欠とは思えませんね」
少々険悪な雰囲気に、ユーリの方が慌ててしまった。何だろう…この、嫁姑に挟まれている旦那のような気分は…!二人の間に見えざる火花の存在を感じる(しかも、色調は青白い凍気系の火花)。
悩んだ結果、ユーリは嫁(笑)の方につくことにした。口角がどうしても引きつるのは致し方ないところだ。こんな修羅場には馴れていないのだから…。
「む…村田。俺もさぁ…ちょっと、魔王とか困るんだけどなー…。ほら、勉強だってできないし、帝王切開とかできないし…」
「帝王学はともかくとして、君は産婦人科の手術なんて出来なくて良いよ」
「そ…そーね」
問題なのは魔王としての資質よりも、コンラートと引き離されることなのだが…。
コンラートとの仲を説明したものやらどうやら考え倦ねてもじもじしていたら、村田は意外と柔軟な態度で妥協策を提示してくれた。
「まあ、確かに渋谷が魔王にならなくちゃいけないとは限らないね」
「ホント!?」
「ただ、少なくとも、フォンヴォルテール卿やフォンビーレフェルト卿との仲は修復して貰いたい。鍵は、一人ではとても自分の意識を支えてなんかいられないから、互いに強い信頼関係で結ばれていないといけないんだよ。そうなると、シマロンでウェラー卿の囲い者になんかされてるってのはねぇ…。誇り高いご兄弟は、さぞかし渋谷を《はしたない少年》と見るんじゃないかな?」
「そのような扱いをさせるつもりはありません。国に戻れば、ユーリは俺の正妻として娶るつもりですからね」
「はあ?それ本気で言ってるわけ?人間の国でそんなこと認められるわけないじゃん」
「俺が18年間で培った信用を甘く見て貰いたくはありませんね。既に臣下にも承認済みですし、民にも必ず納得させます。誰人にも、ユーリを侮らせるつもりなどない…!」
コンラートから放たれる威迫に、さしもの村田も唇をへの字に枉げた。ただ、ふぅ…っとついた溜息の後には、少し瞳の冷たさは軽減されていた。
「なるほどね…。君が渋谷を大切にしているって事だけは分かったよ」
「ご理解頂けて、光栄至極」
「うっわ、慇懃無礼って君の為にあるような言葉だね」
「恐悦です。単に失礼なだけの方に言われると、しみじみと身に染みます」
「ふん…元眞魔国人として大賢者に表面上の儀礼は尽くしても、重んじる気などさらさら無いみたいだね」
またしてもビキビキと村田の額に怒り筋が浮いているものだから、間に立たされたユーリとしては泣きそうになってしまう。
「コンラッド、村田、せめないで?村田も、くろうした。しんまこくのこと、しんぱいしてる」
「それは分かるが、どうもそりが合わないというか…」
「僕もそれは同感だね」
「ああ、それ、こないだきいた、《同族嫌悪》ね!」
ユーリが誇らしげに覚えたての語彙を発すると、コンラートと村田は何故だか急に黙り込んでしまって、遠い目をしてしまう。何か地雷でも踏んだのだろうか?
「…………ともかく、ウェラー卿。君が渋谷をどうしてもシマロンで花嫁にしたいっていうなら、君と渋谷をまとめて兄弟に親和させることだ。君だって、世界が崩壊すれば困るだろう?」
「ユーリに会ってから、困るようにはなりましたね」
何とか二人の接点が見つかったらしい。ほっとして良いのだろうか?引き合いに出された身としてはちょっと照れくさいが。
「仲良く…ね」
村田には強く出たものの、コンラートも具体的に兄弟の顔を思い浮かべると色々心配ではあるらしい。
バードナー達に気配りを見せていたグウェンダルはともかくとして、如何にもプライドの高そうなヴォルフラムが、果たして自分を信頼してくれるかどうか自信がないのかも知れない。
「コンラッド、ね…きっと、だいじょうぶ」
コンラートの肩に手を添えてこちらの言葉で語りかければ、村田の方は苦笑しながら楽観視を窘める。
「軽く言うねぇ…。渋谷、純血魔族の人間に対する抵抗感ってのは結構根深いもんだよ?しかもウェラー卿は人間の国の王までやってるんだ。相互理解はかなり難しいよ?」
「でも、コンラッド、おとうとにはなす。おとうと、わかってくれる」
確かに難しさもあるのかも知れない。何しろ、18年間も敵国の王として決別していたわけだし、それ以前にも純血・混血の絡みで確執もあったのだろう。だが、全ての揉め事はまず、取り組まないことには解けやしないのだ。
そして、コンラートくらいの人が誠心誠意語る言葉を聞いてくれない者がいるはずがない。
「ね、コンラッド!」
「…ああ。やってみよう」
見つめ合ってふわりと微笑めば、村田がばりばりと脇腹を掻いていた。
「あーあーもー…熱い熱い!独り身の寂しさが堪えるじゃないか」
「まーまーねー。でも、村田だって郷里じゃモテモテだろ?秀才エリート君だもん」
《郷里》…その言葉を口にすれば、一気に思い出の風景が脳裏を駆けめぐっていく。
「そういえば、村田…。俺たち、地球とこっちの世界って自由に行き来できるのかな!?」
ずっと懸案事項ではあったのだが、《魔王》やら《禁忌の箱》の問題ですっかり失念していた。
「今は無理だ。僕をこっちの世界に運ぶだけでも物凄く魔力を消耗してるんだよ。眞王廟に収められていたものと、地球にあった魔石…魔力を固めて作った石も、殆ど焼き切れてしまったからね。《禁忌の箱》から滲み出てくる創主の力で錯乱している眞王を開放して、そこで初めて可能か不可能かが分かるってトコかな」
「そっか…」
やはり長丁場にはなりそうなのか。
「ねえ…渋谷、ウェラー卿。ちょっと自覚しといて欲しいんだけど、僕たちには時間がないんだよ。眞王はそろそろ限界に近い。彼が錯乱しながらもどうにかこうにか押さえている創主の力が開放されたら、世界はおしまいだ。それに、ウェラー卿…君は特に責任重大だよ?ウェラー家唯一の生き残りである君が、世継ぎを残さないってことの意味をもう一度考えた方が良い」
「分かっています。必ず…俺の代で決着をつけます」
ユーリには一瞬どういうことなのか理解できなかったが、村田の説明を思い出してみて得心がいった。そういえば《禁忌の箱》は、それを眞王と共に封じた四つの家系に受け継がれるのだ。ただ一人の《ウェラー》であるコンラートがユーリとしか結ばれずに血筋を断絶させると言うことは、シマロン王家の血筋だけの話ではなく、《禁忌の箱》のコントロールという意味でも重大なのだ。
『俺たちの代で、絶対に《禁忌の箱》を滅ぼす…』
話が大きすぎて、まだ何をどうして良いのか分からないものだから、もやぁ…っと頭の中がぼやけそうになってしまう。情報過多で脳に血管が集まりすぎているのだろう。
わしわしと髪を掻きむしっていたら、コンラートが《髪が傷むぞ》と叱りながらも、ちいさく囁きかけてくれた。
「一つ一つ、解決していくしかない」
「うん」
幾多の困難を乗り越えてきた男の言葉は、やはり力強く響く。どれほど巨大に見える案件も、為すべき事は何なのか一つ一つクリアしていくしかないのだ。
「がんばろ、コンラッド!」
「ああ」
二人は手を繋いで、コンラートの家族が待つ別室へと歩を進めていった。
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