「蒼穹の仔」−11
カッカッカッ…
カッカッ…
苛立たしげな靴音に、フォンヴォルテール卿グウェンダルは眉根を深く寄せた。
「ヴォルフラム。座れ」
「これが座ってなど居られますか…!グウェンダル兄上、これは何かの陰謀です!人間の王に慰み者として捧げられたような者が魔王になるなど…!」
賓客を招く為の豪奢な部屋に、これほど似つかわしい面子もおるまい。渋みのある美丈夫グウェンダルはゆったりと猫足の椅子に腰掛け、華やかな金の長髪を揺らす女王ツェツィーリエは純白の毛皮を載せたソファに上体を預けている。
一人だけ忙しなく、毛足の長い絨毯の上を歩き回っているヴォルフラムも、麗しい外見だけ見る分には実に華やかであった。
「言葉を慎め。猊下のご指示だ」
「双黒の大賢者ですか…。確かに切れ者であることは確かですが、それにしたって僕は納得など出来ない」
ヴォルフラムが強くテーブルを叩くと、ガシャンと音を立てて茶器が揺れた。ツェツィーリエは困ったように小首を傾げて、愛らしい唇を尖らせる。彼女には息子の怒りがさっぱり理解できないのだ。
「やだわ、ヴォルフ…どうしてそんなにユーリちゃんを嫌うの?とっても可愛らしい子ではなくて?」
「確かに、瞠目するほどの美形であることは間違いありません。ですが、美しいからと言って、それが統治能力に結びつくとはとても思われません」
それが直接母親に対する批判になっているとは、親子して気付いていないのだろうか?
『やはり、手元に置いて教育をつけるべきだった…』
落ち着きがなく、怒りの波動をそのまま周囲に発してしまう弟は、それが元からの気質であったにしても、あまりにもコントロール不全であると感じられた。仮にも軍人として身を立てていくつもりなら、今一度己の資質について考えてみるべきであろう。
ヴォルフラムがビーレフェルト家ではなく、ヴォルテール家の者であれば真っ直ぐな気質を素直に育めたのではないかと信じているのだが…どうだろう?
コンコン
扉を叩くノックの音に、びくりとヴォルフラムの背が跳ねる。ハリネズミのようにコンラートを拒絶しているように見せて、その実、怯えているのではないかと思われる。
「陛下、閣下。コンラート陛下とユーリ様がおいでです」
「お招きしろ」
グウェンダルが声を掛ければ、扉がゆっくりと開かれて堂々とした王が優雅な足取りで入室してくる。幾多の試練で鍛えられたのだろう表情と肉体は、もう一人の弟と比べるまでもなく叡智の存在を感じさせ、凛々しく引き締まっていた。
『だが、別の意味で難関なのは確かだな』
考えを表面に顕さないこの男が、今回、何の意図を持って眞魔国を訪れたのか…真意を正さなくてはならない。《二国間の紛争を無くしたい》等という、過去の確執を完全に払拭したような発言が、何の利益を求めて為されたものなのか、グウェンダルは見極めなくてはならなかった。
一分の隙もない礼を端然として決めると、真っ直ぐにこちらを見つめながらコンラートは口を開いた。
懐かしい、響きの良い声だった。
「母上、兄上、ヴォルフ…ご心配をお掛けしました」
そう口にしたかと思うと、コンラートの背が深々と下げられる。万感の思いを込めた仕草と声音は、慎重なグウェンダルをして《駆け寄りたい》と思わせるものであった。
「コンラート…!」
感極まったのか、口元を覆って涙を滲ませるツェツィーリエが駆け出して、豊満な胸にむぎゅりと息子を抱きしめる。
「苦労を掛けたわね…。お兄様のせいで、本当に辛い目に遭わせて…。至らぬ母で、ご免なさい…っ!」
「いいえ、母上。そのように暖かく受け止めて頂けるだけで、この上ない幸せです」
強く抱きしめ合う姿は、《長年隔絶していた親子》というよりは、《よりを戻した恋人》という感じだ。そのせいか、傍らに控えていた双黒の少年もぽかんとしている。既にツェツィーリエの姿は見ていたはずだが、改めてコンラートの母と聞いても実感がないのだろう。
「兄上にも、お世話になりました。アナハイム家を初めとするルッテンベルク師団の負傷兵に、細やかな配慮を頂いたと伺っております」
「ふ…む。あれは、軍人として当然の措置だ」
「反対勢力と粘り強く交渉しての結果なのでしょう?俺が出奔したあの時節には、混血への風当たりは特に強かったはずです」
コンラートは琥珀色の美しい瞳を潤ませると、じぃ…っと兄を見つめて礼を言う。
こんなにも素直な態度に出られると…グウェンダルとしては表情の選択に困ってしまう。
「いや…、うむ…」
わざとらしく咳払いなどしていると、コンラートはヴォルフラムにも親しげに声を掛けていった。
「久しぶりだね、ヴォルフ。元気だったかい?」
「…貴様の顔を見た途端に、気分が悪くなった!」
叩きつけるような物言いに、コンラートはしょんぼりしたように顔を伏せてしまう。
「コンラッド…げんきだす。おとうと、はずかしがる、だけ」
あどけない言い回しのユーリが励ますと、グウェンダルは勢い良く口元を覆った。愛らしい声や、気遣わしげな表情によって、危うく顔の下半分が融解しそうになったのだ。
「ヴォルフ、怒っているのかい?でも、俺はいまでもお前を愛しているよ?」
「ど…どの面下げてそんなことを!人間の国の王となって、眞魔国に敵対したくせに…っ!」
「俺が王となってからは一度として、シマロンから侵攻したことなどないと知っているだろう?」
「魔族を…殺したじゃないか…っ!」
「人間もまた、殺された。俺の部下の混血もね。こんなことは、もう二度と繰り返したくないんだ」
沈思な表情を浮かべて懸命に理解を求めるコンラートだったが、自分の立場を肯定させようとする言葉は、ヴォルフラムの怒りに火を注ぐだけだった。
「そうだ!我々は殺し合うべき存在なのだ。そのように定義づけられた種族の間に、平和など成り立つものか…っ!世迷い言など口にしていないで、とっとと人間どもの国に帰るが良い…っ!この国に、もはやお前の居場所などないのだっ!!」
「ヴォルフ…」
哀しげにコンラートが瞼を伏せると、両手を広げたユーリが間に立ちはだかった。
「やめて…っ!コンラッドは、おとうとだいすきっ!なのに、どうしておとうと、こんらっどキライいう!?ほんとはスキっ!ぜったいスキっ!!」
愛らしい顔に切なくなるほどの嘆願を込めて、懸命にヴォルフラムへと語りかける態度に、グウェンダルはもうもう…ぐらぐらくるほどにメロメロであった。
「勝手なことを言うな!誰がこんな男を好きなものかっ!!」
「ちがうっ!キライなら、そんなカオしないっ!」
「…っ!この…このっ!僕のことを見透かしたような顔で生意気を言うな!慰み者として人間の国に売られた奴隷の分際で…っ!」
ユーリを目の前にしての、あまりと言えばあまりの罵倒に、グウェンダルも流石に制止を掛けかけた。
だが…その前に動いた者が居た。
豊かな金髪を靡かせた…ツェツィーリエであった。
「ヴォルフ、謝りなさい」
「は…母上?」
つい先程までふわふわとした少女じみていた女性が、厳とした凄み湛えてヴォルフラムを睥睨している。
グウェンダルは知っていた。こういう顔をしたときのツェツィーリエは、最強なのだと。
これは…極めて希にしか発動しない、《お母さんは怒ってるんですからね》というステータスだ。
「ユーリちゃんはコンラートとの間を取り持とうとしてくれたのよ?そんな子にどうしてそんな酷いことを言うのかしら。そもそも、どうしてコンラートのことをそんなに悪し様に言うの?」
「し、しかし母上…」
「まあ…口答えをする気かしら?困った子…」
《…ね。》、と言うが早いか。高いヒールの靴を履いた足が一閃してヴォルフラムに宙を舞わせたかと思うと、その場に座り込んだツェツィーリエの膝にヴォルフラムが俯せで乗る形となる。
「はははは…母上っ!?」
バシコーン…っ!!
ツェツィーリエの掌が、ヴォルフラムの臀部に炸裂する。激しい音を立てて、打擲は続けられた。
「わ…わわわ…っ!」
「謝りなさいっ!」
「嫌ですっ!」
「母の言うことが聞けないの?だったら、母は知っていることを全部明かしてしまうわよっ!」
「…っ!?」
そこから…恐るべき《お母さんは何だって知ってるんですからね!》攻撃が始まった。
* * *
家族との対面を前にして、コンラートはどうやって彼らに情を請うべきか思い悩んでいた。それでなくとも混血であるコンラートは、堂々たる十貴族に座する家族に複雑な思いを抱いていた上に、二十年近くも敵国の王として離別していたのだ。
『どの面下げて会ったものやら…』
だが、村田の説明を聞けば状況が切羽詰まっていることは嫌でも分かる。ユーリとの仲を認めて貰う為にも、兄弟の信頼を取り戻せねばならない。
そう心に決めて傍らをゆくユーリを見ていると、静かな自信が湧いてくるのを感じるのだった。
『そうだ…俺は、愛されるに足る男であるはずだ』
敵国に居たとはいえ、コンラートは決して眞魔国に対して礼を欠いた対処などしたことはない。必ず国際法に基づき、専守防衛の対応に努めてきたのだ。
しかも、今回はそのような紛争の再発防止を訴え、憎しみの連鎖を断ち切るべくやってきたのだ。
きゅ…っとユーリの手を握れば、とろけそうに可愛らしい顔で笑いかけてくれる。
この笑顔があれば、コンラートは自分を信じることが出来た。
『誠意をつくそう。まずは、それからだ』
今更体面を取り繕ったところで何になろう。誠心誠意、想いを伝えていくのだ。
しかし…やはり、と言うべきか、ヴォルフラムだけが頑なに抵抗を示した。
『この子には…それほどに憎まれているのか…』
間に立ったユーリにさえ侮蔑の言葉を打ち付けられたときには、怒りのあまり弟を殴りたい衝動にさえ駆られてしまった。
しかし…ここで、母が思いがけない行動に出た。
いつになく据わった目をして、ヴォルフラムを膝に抱えたかと思うと、勢い良く尻を叩き始めた上に過去の暴露を始めたのである。
「あなたったら、そもそもコンラートに冷たくし始めた切っ掛けは、混血の子と喧嘩をしたときに、コンラートがその子の肩を持ったからでしょう?」
「…なっ!」
「母は何でもお見通しよ?自分が悪いと分かっていたのに、大好きな《ちいさな兄上》が泣いている他の子を抱きしめて慰めていたから、腹が立ってコンラートに当たったのでしょう?」
「違いますっ!僕は…僕は…っ!!」
「今だってそう!自分よりも可愛い子がコンラートに大切にされているものだから、あなたったら嫉妬しているのよ!己を恥じなさい、フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムっ!!」
「僕は…ち、ちが…っ!」
半泣きのヴォルフラムに対して、ツェツィーリエの責めは苛烈だ。
「母に嘘をつくつもり!?」
「…っ!」
それは、良くも悪くも真っ直ぐなビーレフェルト家の者にとって、《嘘つき》と呼ばれることが最も忌避されると知っての的確な攻撃であった。
ヴォルフラムは顔を真っ赤にしてふるふると震えると、根負けしたようにがくりと項垂れた。
「し…嫉妬では、ないです。ないです、が…。た…確かに、コンラートと双黒が仲睦まじくしている様子に、苛立ちは…しました」
一言喋るたびに歯と歯の間で苦い物でも弾けるみたいに、ヴォルフラムは言いづらい内容を告白させられた。
すると、ユーリがとてて…と近寄ってしゃがみ込む。
「おとうと、しんぱいない。コンラッドは、かぞくおもい。ずっとずっと…おとうともおもってた」
「……」
どうにもばつが悪くて、ぷい…っとそっぽを向くものの、もうユーリに対して侮蔑の言葉を加える気はなさそうだった。尤も、母の方はその程度で満足する気はないらしい。バシーンっと良い手形がつきそうな音を立ててお尻にスパンキングすると、《ごめんなさいは?》と底冷えするような声音で囁きかける。
「…………………すまなかった…」
「んーん、おれはへいき。それより…おかあさん、て、いたい」
「…っ!」
ユーリは心配そうにツェツィーリエの手を取る。道具を使うのならともかくとして、尻を叩くという行為は行った側にも被害が出る。母の繊手は痛々しいほどの朱に染まり、幾らか腫れているようにさえ見えた。
「平気ですわ。母として…今まで、至らなかったことに比べれば…」
自嘲するような笑みは、この天真爛漫な女性には似合わない。だが、これはコンラートがどうにかして彼女に自覚して欲しいと切に祈っていた感情でもあった。
息子達の母として…何より、眞魔国の国母として…物事へと真剣に取り組んで欲しいと。
向けられる眼差しの意味に、コンラートは胸を熱くした。
ツェツィーリエは今、母としてコンラートを想っていてくれるのだ。ただ可愛がるだけではなく、本当の意味で《護りたい》と思っているのだ。
* * *
『やはり、シュトッフェルの呪縛が解けたことが大きいのか』
グウェンダルはめざましい母の変化に瞠目していた。
伯父は伯父なりにツェツィーリエを愛していたのだと思うが、彼女の厭う煩雑な政務だけでなく、国の直面する現状を目の当たりにすることにさえ《お前は見なくても良いのだ》というスタンスを貫いてきた。
しかし彼が解任され、ツェツィーリエの知らぬ間に眞魔国がどのような状態に陥っていたのか…コンラートが何故、敵国に渡らざるを得なかったのかがつまびらかになっていくに連れて、幾ら脳天気な母とはいえど、己を顧みずにはおられなかったのだろう。
『手遅れではありませんよ、母上…』
とても遅くはなったけれど、決して、取り返しがつかないというわけではない。
ツェツィーリエの手を愛おしげにとり、冷たい掌を押しつけるコンラートを見ていると、強くそれを感じる。
憮然としたヴォルフラムも、自身の尻も痛いのだろうが、母の手の惨状を見るとすぐに侍女を呼んで氷を手配させた。彼もまた、少し冷静になった頭でこの状況を考え直しているのだろう。
「申し訳ありませんでした…母上」
「母に対してそんなにはっきりと謝れるのなら、兄にも謝りなさい」
「………………………すまなかった……」
ぶすくれてそっぽを向くという、幼い子どもみたいな謝り方ではあるが、それでもコンラートにとっては染み入るような感動であったらしい。しみじみと味わうように瞼を閉じ、次いでゆっくりと開かれた瞳には、溢れるような愛情があった。
「詫びてくれる気持ちだけで十分だ。ありがとう…ヴォルフ」
「………」
コンラートの腕が伸びて、ヴォルフラムを抱きしめる。びくんと肩を震わせて抵抗を示し掛けたヴォルフラムだったが、兄の香りに包まれればどうしても何かを思い出すのか、拒否することよりも責めることを選んだ。
「どうして…シマロンに行ってから、便りを寄越さなかった…っ!」
「ヴォルフ…?」
「18年もあったんだぞ…っ!その間に、申し開きをする機会など幾らでもあっただろうが…っ!どうして…どうして、何の便りも寄越さなかった…っ!」
この場合の《便り》とは、シマロン王としての国書は含めないのだろう。
ヴォルフラムは家族として、兄として…人間の国に渡らねばならなかった事情を、伝えて欲しかったのか。
「便りを送っていたら、許してくれたかい?」
「許すもんか!」
「………そうだと思ったから、送らなかったんだが…」
「それでも、お前は送るべきだったのだっ!僕が幾ら怒っても、許さなくても…僕たち家族を愛していると、教えてくれなければならなかったんだ…っ!!」
子どもっぽい稚気を顕していると自分でも分かっていながら、ヴォルフラムは理不尽な責めを続ける。けれど、《軍人》として詰ろうとした先程までの彼に比べれば、《弟》としての糾弾の方がよほど素の感情が伺えて、微笑ましいほどだ。
「すまない…ヴォルフ」
「そうだ…!お前こそ謝るべきなんだ…っ!母上や兄上や…僕の事を、見捨てたなんて思わせたお前が悪いんだ…っ!」
とうとう泣きじゃくり始めたヴォルフラムは、自分の涙を隠そうとしてコンラートの胸へと顔を埋めていく。その仕草は、幼い時分に兄弟喧嘩をした(全てヴォルフラムが悪かったのだが…)時とそっくりだ。
「馬鹿…バカ、馬鹿…っ!」
「うん、うん…すまない……」
優しく謝りながら金色の巻き毛を撫でつけていくコンラートに、ユーリが涙を滲ませた瞳で笑いかけている。
《ね?やっぱりおとうとは、あんたのことスキだったろ?》とでも言いたげに。
* * *
数日の後、不器用ながらも家族の繋がりを確認し合っていたコンラートの元に、更なる喜びの報が寄せられた。アナハイム農場から、バードナー夫妻が上京してきたのである。 高価な薬と強い魔力持ちによる癒しの手を受けたバードナーはめざましい回復を遂げた上、新開発の義足も填めて、ゆっくりとなら自立歩行が可能になっていた。
元々兵士としてよりも農夫として働きたいと願っていた男だから、農場での仕事が出来るのはこの上ない喜びだろう。
「バド…っ!」
「コンラート閣下…いえ、陛下…っ!」
「ああ…こら、跪いたりするんじゃない」
血盟城の応接室でまみえた農夫は、歓喜に顔を輝かせて跪こうとしたが、すぐコンラートに手を引かれて立ち上がる。同じ部屋にユーリの他、バードナーの結婚に際して口利きをしてくれたグウェンダルも同席して、暖かい眼差しで見守っている。
「肩書きなどどうでも良いさ。それよりも…お前達には苦労を掛けた」
「いいえ…!我らのことを気に掛けて下さっただけで、十分ですとも。それに、俺の病気に対して、あのように手厚い治療を施して下さったことは、どのように感謝しても足りません…!」
バードナーはコンラートの後ろからひょこんと顔を覗かせたユーリにも気付くと、両手を握って懐かしさと再会の喜びを現した。
「良かった…ユーリ。やはり、コンラート陛下の元に行ったのは間違いではなかったんだね?」
「バードナーさんのおかげ。ヘンタイおやじのトコ、いかなくてよかった」
「ああ、陛下はとっても紳士だろう?」
「うん!さいしょつめたかったけど、いま、すごくやさしい。あしひらかなくても、おこらない」
「…え?」
純朴なバードナーが目をぱちくりと開いて小首を傾げるものだから、コンラートはげふげふと咳払いをしてユーリの口を閉じさせた。
「…余計なことは言わなくて良いっ!」
「ゴメン」
「ええと…陛下」
バードナーはまだよく分からないようできょとりと目を泳がせていたが、確認を取るように控えめな声を掛けた。
「今回お呼び頂いたのは、ユーリを農場に連れて帰っても良いと言うことですよね?」
「…いいや」
憮然として口を一文字に引き結んだコンラートに、バードナーは少々狼狽えてしまう。コンラートの性癖として少年愛など無いと知っていたから、そうだとばかり思っていたのだろう。
「ユーリは、俺と結婚してシマロン王妃となるのだ。悪いが、農場には戻せない。お前に対する治療費は、その…結納金とでも思ってくれ」
「え?」
改めて聞き返すのは勘弁して欲しい。
居合わせたグウェンダルまでもが目を見開いているではないか。
「…………コンラート……ユーリは17歳と言っていなかったか?」
「人間世界では十分結婚可能な年齢です」
そうは言いながらも、《ロリコン》との非難を受けそうな引け目は感じているのか、微妙にコンラートは視線を外していた。
「いや、そもそも…男の子だろう?」
「良いんです。シマロンに世継ぎなど要りませんから」
「魔王と結婚するなど…シマロンの民は許すのか?」
「魔王にする気はありません」
「おい…っ!」
眞王廟の決定に公然と逆らうような言動に、グウェンダルは血の気を引かせるが、コンラートととしては一歩も引く気はない。
「うん、まおうはおにいさん、するのがいい」
ユーリもケロッとしてそんなことを言い出すから、厳格なグウェンダルはぎょっとしっぱなしだ。
「そんなに簡単に決められるようなことではないのだぞ?魔王とは、そのように軽い座ではないのだ」
「だから、おにいさんがするのがいい。だって、おにいさんすごいヒト。えらいし、カッコイイ。くにのひと、みんなあこがれる。おれも、おにいさんがまおうさまなトコ、みてみたい」
上目遣いにきゅるんと憧憬の眼差しで見られると、グウェンダルはまたしても口元を掌で覆ってしまう。もはや、その動作はグウェンダルの癖と化していた。
「ね…おにいさん、まおうやって?」
「兄上…俺からもお願いします。猊下も使命さえ果たせば、必ずしもユーリが魔王になる必要はないと言ってくれてますし。俺は…どうしてもユーリに、傍にいて欲しいのです。眞魔国にも度々帰らせますから…」
「………お前はどうなのだ?」
「え?」
「お前は、帰ってくるのかと聞いているのだ!」
浅黒い肌を紅潮させて怒鳴る兄に、コンラートは目を見開き、そして…ふわりと微笑んで言った。
「ええ…俺も、度々帰ります。グウェンの顔を見に…。友邦国の王として…あなたの、弟として」
殺し文句が炸裂すると、グウェンダルは観念したように瞼を閉じた。
「…口約束にならないように、日取りも決めるからな?最低限、年末年始と夏至と収穫祭の時期には帰ってこい」
「ええ…」
シマロン、そして眞魔国…。ユーリが言ったように、コンラートには帰る場所が二つある。
その事をこの上なく幸せだと感じながら、コンラートはほう…っと息を吐いた。
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