「蒼穹の仔」−7







『大きさが違う…っ!』

 ユーリに愛撫したあと、ついでにコンラートを受け止める筈の場所のサイズ確認をしたコンラートは、そのような結論に達していた。

 小さい。
 小さすぎる…っ!
 しかも、自ら濡れる気配もない。
 
 《こんな所に押し入ったりしたら、大惨事になるじゃないか!》…と、誰にともなく怒りの言葉を叩きつけたくなったが、ユーリのせいでは全くないので、どうにかこうにか胸の中に収めておいた。一体全体、世の男色家達はどうやっているのだろうか?(←意外と情報を持ってないコンラート陛下)

 肌を濡れ布巾で清めてから乱れたユーリの服を整えてやるが、心の方はそうそう正せはしないらしく、ユーリはまだ呆然としたまま脱力している。どうやら、腰が抜けてしまったようだ。

「気持ち良かったか?」
「は、はふぅ…っ!?」

 答えにくいのを分かった上で問えば、案の定目を白黒させて飛び跳ねる。
 自分よりもこういった情報に疎いユーリを見ていると、ちょっと安心する。これで余裕のある顔を見せて《こうすると挿れ易いんだよ?》等と指南されたら、立つ瀬がなかったところだ。

「き…きもち…」
「嫌だったのか?気持ち…悪かったか?」

 傷ついたような顔をして顔を伏せれば、ぴょんっと飛び上がって肩を掴んでくる。

「ちがうっ!きもちイイっ!」
「そうか。では、今夜もやってやろう。俺が訪ねて行くから、すぐに扉と脚を開けよ?」
「おうさま、オッサン?」
「王に対して悪言を垂れるのは、この口か?」

 気安さを増した物言いに、むににに…っと口角を抓ってやる。

「ふににーっ!ごめんにゃひゃい〜っ!!」
「分かれば宜しい」

 ちゅ…っと音を立てて額に口吻ると、やっと開放してやった。

「俺は仕事に戻るから、そこでくつろいでいろ。退屈なら、書棚の本でも読んでおけ」
「うん…」

 どうやらあまり勤勉な気質ではないらしい。確かに、机の上に座っているよりも屋外を駆けめぐっているのが好きそうではある。

「そのうち、時間が出来たら遠乗りに連れて行ってやるから、それまでは大人しくしていろ」
「うん!」

 農場で暮らしていたせいか、やはり馬は好きなようだ。
 自分と同じものを好んでいるというだけで嬉しいなんて感じるとは、ほとほとこの子にやられているらしい。

『なるべく早く終わらせよう』

 またユーリをからかって遊びたいし、何より…一体どうやって繋がれば良いのか、情報収集する必要もある。(←勤勉)

『こうなると、やはりあいつの助けが必要になるか…』

 実にからかわれそうで嫌だが、こんな事を相談できるのはやはりヨザックしかいない。
 にしゃにしゃと笑う友人の顔を意識的に振り払いながら、コンラートは仕事に集中し直した。



*  *  * 


 
  
 夕食もコンラートと共に執務室でとったユーリは、一度後宮の自室に戻る事になった。ディヴァラートのことを思い出してぶるりと背筋が震えるが、物腰の穏やかな衛兵にコンラート自ら言付けて護衛をして貰い、安全に部屋まで戻ることが出来た。後はコンラートが来るのを良い子で待っていればいいだろう。

 シマロン王宮の作法として、王は正妃以外の女の元に通うのに、同行してはならないというしきたりがあるらしい。色々と面倒なことだ。

『うわぁ…でも、《脚開け》とか…どーなっちゃうの俺っ!?』

 《オッサン臭い》等と茶化して場の雰囲気を誤魔化してはみたものの、実のところ、改めてあんなことをするとなるとかなりの度胸が必要になりそうだ。

『好き…だから、良いのかなぁ…?』

 こういうのが、好きという気持ちなのだろうか?
 コンラートのことを思い出しただけで泣きそうなくらい胸がときめいたり、少し寂しそうな顔をしているのを見ただけで力一杯抱きしめてあげたくなったり、淡く自分に微笑みかけてくれただけで天に昇るみたいに気持ちが高揚するのが、恋…なのだろうか?

『うっわ…恋って恋って…っ!!』

 思わず、一人でころころと寝台の上を転げ回ってしまう。

『ふわ〜…親父、お袋、勝利…俺、異境の地で王様に惚れちゃったよ…』

 新たなホモ人生の夜明けに乾杯である。

『あ、身体あらっといた方が良いかな?でも…頭洗ってるときに王様が来ちゃったら拙いよな。《すぐに扉開け》とか言ってたから、手間取ってたらヤバイかも』

 夜這いを掛けたのに締め出しを食らったりしたら、廊下で相当居たたまれない思いをさせてしまうことだろう。しかし、不潔な子だとは思われたくなくて、風呂場と寝台の間を行ったり来たりしてしまう。
 ちなみに、シマロンで各部屋に内風呂があるというのは相当に格の高い身分でしかあり得ないらしい。コンラートが王になってから、シマロンでは市街地でも急速に上下水道網は完備されつつあるらしいが、風呂については大抵、銭湯のようなものに通うようになっているらしい。それだってコンラートが来てから、眞魔国の風習を持ち込んだもののようだ。

 それまでは汚物はそのまま道ばたや川に流され、それを下流では生活用水として使い、民の9割以上が風呂を使う習慣などなかったから、夏場になると決まって疫病が流行って、幼児や高齢者の死亡率が極めて高かったのだ。それが、コンラートが大規模な整備を進めてからというもの、一気に衛生状態が向上したらしく、特に乳幼児の死亡率は激減したらしい…と、食事の時にマナ達が噂していた。

 だから、コンラートは今ではシマロンの民から神様のように崇められているのだそうだ。

『凄い人なんだよな…』

 バードナーにコンラートの生い立ちを聞いてから、尊敬の気持ちは持っていたけれど、こんなにも凄い人だとは思っていなかった。
 それでいて、時折子どもみたいなところも見せるから、その対比が堪らなく愛おしい。

『まだかな?もう来るかな?』

 やはり廊下で待たせてしまうのが申し訳なくて、そのまま部屋に待機することにしたのだが…ふと、窓の外で言い争うような声が聞こえた気がした。

「ん…?」

 カタリと窓を開けてみると、格子の隙間から中庭の様子が伺える。そこに見えたのは、髪を振り乱したディヴァラートに対して、侍女のレイチェルが強い語調で尋ねているところだった。どうやら、懐にしまったものを見せるように言っているらしい。

 …と、ディヴァラートの視線がユーリの部屋を向いたかと思うと、身の毛もよだつようなおぞましさで《にやあり…》と嗤ったのだった。

「…っ!」

 ディヴァラートが懐にしまっていたものを素早く引き抜いた。
 それは…刃渡りの長い、抜き身のナイフであった。

 月光を弾く凶器に怯えたレイチェルに飛びかかると、ユーリに対してそうしていたように、どっかりと胸の上にのしかかって動きを止める。

 レイチェルを刺す気で居るのだろうか!?

「あーっ!あーっあーっやめーっ!!」

 大きな絶叫を上げれば、《失礼!》と叫んで扉がガチャガチャ鳴ったかと思うと、衛兵が入室してくる。異常事態と察した場合には、衛兵は独自の判断で寵姫の部屋に入ることが出来るらしい。しかし、この場合はこちらに来て貰ったところで状況が改善されるわけではない。

「レイチェル…っ!」

 衛兵は中庭の様子を目にするなり、真っ青になって絶叫し、格子を破壊しようと試みるが、一見すると華奢な構造に見えるものの、何か術でも掛かっているかのようにバチ…っ!と電撃様の光を放つ。
 ここから出ることは不可能と悟ったのか、衛兵は一目散に駆け出していった。階段を使って中庭に出るつもりなのだろう。

 ユーリもその背を追いかけようとしたのだが、ディヴァラートが名指しで挑発してくると、窓から様子を伺わずには居られない。

「見ろ…見ろ…!呪われた双黒めっ!お前に手を貸したこの娘は、お前のせいで嫁入り前の顔を抉(えぐ)られ、削がれるのだ…っ!」   
「嫌…いや、いやぁああ…っ!お止めください、ディヴァラート様っ!」

 レイチェルは真っ青になって顔を硬直させ、恐怖のあまり涙を流すことも出来ないようだ。

「喧しいわ小娘っ!調子に乗って妾に差し出口を聞いたことを永遠に後悔するが良いっ!ふふふ…鼻と片眼、そして上唇を抉ってくれよう…。残された片眼で、鏡を見るたびに双黒を呪うが良いわ…っ!!」

 ディヴァラートの刃がレイチェルの鼻の下にひたりと当てられると、身じろぐことで傷つくのを恐れたのか、小さく震える以上の抵抗は不可能になってしまう。

「やめ…やめーっ!やぁぁぁああっ!」

 格子に取り付いた途端に、先程と同じように電撃が奔って身体が跳ねそうになる。けれど、何とかしてこれを外し、凶行を止めなくてはと祈り、堪え続け、渾身の力を込めて格子を外そうとする。これさえ外し、茂みに向かって飛べばすぐに駆けつけることが出来るはずだ。

「あぁあああ……っ!!」
「馬鹿め…法石を塗り込めた格子がそう簡単に外れるわけが…」

 いいや、外す。
 何が何でも外す…っ!

 強い祈りに呼応して、胸の魔石が輝いていたことを自覚はしないまま、ユーリの手の中で格子が鈍い音を立てる。

 バキ…っ!

『外…れた……っ!』

 振り払うようにして格子から手を離すと、掌には焼け焦げたような痕が残されていたが、敢えて傷口を見ないようにして一気に窓辺から飛び立つ。

「わぁあああ…っ!」

 ボザン…っ!と茂みに落ちて一瞬息が止まるが、レイチェルを放ってこちらにディヴァラートが駆けてくると、ゆっくり衝撃を緩衝しているような余裕はない。

「ひ…っ!」
「わざわざ自分からやってくるとはねぇ…。あははは…っ!身代わりではなく、お前の黒い髪と目、そして鼻と唇を削ぎ取ってやろうっ!!」

 きちがいじみた哄笑をあげてディヴァラートの凶刃が振り翳される。すんでのところで避けたものの、舞踏と乗馬くらいしか運動をしていないはずの女にしては、異様なほど素早い動きでユーリを捕らえようとしてくる。狂気のもたらす力なのだろうか?
 裾野の長い衣装のせいもあって脚がもつれると、ズザ…っと伸びてきた腕が万力のような力でユーリを捕らえようとする。だが、今度は同じ手でやられるつもりはない。

『そう何度も何度もやられてたまるか…っ!』

 ユーリは咄嗟に身体を捻ると、ディヴァラートの勢いをそのまま使って反転し、転倒したその身体の上にドスンとのしかかる。女性を押し倒すなんて初めてのことだが、凶器を持った相手では遠慮などしていられない。力一杯手首へと手刀を叩きつけてナイフを奪い取ると、手の届かない茂みの中へと放り投げた。

「もう、やめっ!おわりっ!!」
「おのれ…おのれぇえっ!」

 がっしりとマウントしているので、ディヴァラートが激しく暴れてもなんとか乗っかったままで居られる。顔や腕を長い爪が掠めていくのに辟易とはするが、このまま衛兵が来るまで堪えなくてはならない。

「レイチェルーっ!」
「ヘイスナーっ!!」

 怯え切って動けずにいたレイチェルに衛兵のヘイスナーが駆け寄り、抱きしめる。熱烈な感情の迸りからみて、どうやら恋人同士だったのだろう。

『良かった…怪我しなくて』

 ほ…っと息をついたのが拙かったのだろう。一瞬、ユーリの視線はディヴァラートから離れてしまった。

「あ…っ!」

 脚を蹴りつけられて痛みに身を捩った途端に、ディヴァラートはユーリの下から這いずり出てしまう。

「おお…おのれ、おのれぇえ…っ!下賤な魔族の分際で、この妾を打擲するとは…っ!最早許さぬ…っ!」
「双黒の君…っ!」

 漸くユーリのことも思い出してくれたらしいヘイスナーが駆け寄ると、危ういところでディヴァラートの手を防ぎ、抜刀して威嚇してくれる。
 しかし、その事はより一層ディヴァラートの怒りを買ったようだ。

「妾に剣を向けるか…貴様、貴様ぁあ…っ!侍女も衛兵も、妾に背くというのか…っ!」

 《いや、だってあからさまに不審者ですし》と突っ込むことは出来なかった。全てを拒絶するような怒りの波動を辺りに放散させると、ディヴァラートは懐から取りだした真紅の石をユーリ達の方へと叩きつけたのである。

 ゴァ……っ!!

 眩い光と熱に、一瞬…何が起こったのか分からなかった。

『これは火…焔…っ!?』

 その事に気付いたときにはもう、辺り全てを火に囲まれていた。普通の火種とは思われないような勢いで囂々(ごうごう)と焔が燃え上がり、乾いた下草だけでなく、生木にまで燃え移っていくのである。中庭はあっという間に炎上してして、伸び上がった火の舌はべろりと後宮を舐めあげていった。

「あ…あ…っ!」
「いやぁあ…っ!」

 ひらりと舞ったレイチェルの服に引火したかと思うと、ヘイスナーが叩いて消していく端から瞬く間に火が燃え広がろうとする。

『ダメ…っ!』

 火柱と化すレイチェルの姿を想像した瞬間…ユーリの頭蓋内で、何かが弾けた。



*  *  * 




 恥を忍んでヨザックから情報を聞き出したコンラートは、《贈り物だよ》と渡されたオイルの瓶や菓子類を携えて後宮を訪れた。しかし、怪しい光でやけに明るい様を遠目に確認すると、そんなものは放り投げて駆け出していた。

「陛下、いけません…これ以上進まれては危険です…っ!」
「何が起きているのだ!?」

 中庭へと向かう道で複数の衛兵達に止められた。使用人達も総出で消火活動に努めているが、それでも火が消える気配はない。コンラートの措置で火災対策を進めていたはずなのに、貯水池の水を吸い上げ、叩きつける仕組みをもってなお消し去れないとは…。

「水の法石を運べ!」
「で、ですが…あのように高価な…」
「人の命より高い石が何処にある…っ!」
「は…はいっ!」

 鋭い叱責を受けた衛兵達は、一目散に保管庫へと向かった。通常、特定の力を持つ法石は一つの領土を買い取れるくらい高価なものであるから、余程の非常事態でないと持ち出されることはないのである。

 コンラートは法石がやってくるのを待つことなく、衛兵を押しのけて中庭へと進んだ。あそこに、ユーリがいるような気がしてならないのだ。

『ユーリ…ユーリ…っ!』

 失えないのだ。
 決して失えない子なのだ。

 気も狂わんばかりの焦燥感に炙(あぶ)られながら駆けていったコンラートは、紅蓮の炎の直中にいるユーリを…彼が、蒼い光に包まれているのを目にした。

「ユーリ…!?」

 それは、不思議な光景だった。

 卵のような楕円形の蒼い光がふるふると震え、燃えたつ焔に抗しようとしている。光の中には呆然としているレイチェルとヘイスナーがいて、泣きながらユーリへと縋り付いていた。

 蒼い光と紅い焔とが鬩ぎ合い、火勢を増した焔は、次第に覆い被さるようにして卵を飲み込もうとする。それはまるで、真っ赤な大蜥蜴のように邪悪な姿であった。

「ユーリ…ユーリぃいい……っ!」

 コンラートの絶叫を聞いたのかどうなのか、ふる…っと蒼い光が震えた。
 《コン…ラッ、ド…》声としては聞こえぬものの、ちいさな唇がそう象ったのを目にして、コンラートは濡らしたマントを被ると限界まで炎に近寄っていった。

 《ダメ…あぶない》…悲鳴のような声が聞こえたように思えたとき、卵がぱぁん…っと弾けて、蒼い光の筋が鮮やかに天空を駆けた。

 フォ…
 フォオオオン……っ!!

 咆吼をあげて飛んでいるのは…龍、だった。大きく開かれた口から飛沫をあげて放たれた水によって、あれほど隆盛を極めていた炎が次々に鎮火されていく。それだけではなく、燃えていた後宮から逃げ損ねて窓辺で泣いていた女達の身体も、蒼い珠に護られているのだ。

 フォオオオン……っ!!

 まるで真昼のような明るさを呈する空は、複数の龍が飛来して…まるで、真っ青な夏空のように輝いている。
 コンラートがまだ何の屈託も持たず、絶対的な存在である父の庇護を受けて、平原を騎走していたあの頃の空のようだ…。

『なんて美しい…』

 感嘆に満ちた眼差しの中、全ての火を消し終えた龍がフゥ…っと大気の中に溶けていく。
 すると、焼け野原に残されたユーリの身体からも蒼い光が消えて、そして…。

 ガク…っと膝が崩れてしまった。

「ユー…リ……?」

 ユーリが放ったあの力が何であったのか理解した途端に、コンラートは全身の血がザ…っと引いていくのを感じた。
 双黒は膨大な魔力を持つと言われているが、それは決して無限のものではない。法力の強い人間の土地で無理に魔力を使った者がどうなるか、コンラートは嫌と言うほど知っていた。

「あ…ぁ…あ……」

 衣の裾を泥に濡らして駆け寄ってきたコンラートは、呆然としているレイチェルやヘイスナーを押しのけて跪くと、横たわるユーリの脈と呼吸を確認する。

 あまりにも弱い命の徴候に、コンラートは慄然とした。

『死ぬ…この子が、死ぬ…?』

 出会ってから、僅か1日に過ぎない子どもの命が失われることを、コンラートは我が身がもぎ取られるような痛みをもって感じていた。
 


    




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