「第二十七代魔王温泉紀行」B
尻の…いや、フットワークの軽さはヴォルフラムのお墨付き(?)である。 特に必要もないのについつい廊下を抜き足差し足忍び足で歩いていると、ふと…厨房から聞こえてくる声音に気が付いた。 「陛下は…ずっとこの宿にいらっしゃるのでしょうか?」 「し…っ!声が高い…」 《陛下》という言葉に反射的にぎくりとしつつも、そういえば…この宿でその敬称で呼ばれる者は他にいたのだと思い出す。 盗み聞きのようで申し訳ないが…少し興味を引かれてそうっと扉の前で耳を澄ませば、宿の者達が密やかに嘆きの言葉を零すのが聞こえてきた。 話しているのは宿の娘のイーヴと、何人かの料理人のようであった。 「イーヴ…気持ちは分かるが、陛下もお気の毒な身の上…記憶をなくしておられるのだぞ?」 「ええ…分かっています。分かっていますとも…!私だって、恐ろしい創主からこの眞魔国を命がけでお守り下さり…英明な事で知られる魔王陛下をお慕いしてました…!でも…そうであればあるほど、今の陛下のなさりようは見ていて辛いんです…っ!」 そばかすの散る顔を歪ませ、イーヴは涙を浮かべて小鉢を握っている。 その手は小刻みに震え、小鉢は我が身の危険を感じて震えているかのようだった。 「イーヴ…気をつけなさい。盛りつけが粗雑になっていますよ?それこそ、陛下にお出しするお膳に粗相があっては大変です」 「ええ…そうですよね。酷く怒りっぽくおなりですもの…。以前は一番下層の庶民に対しても寛容であられたとお聞きしますけど、今では随分と居丈高になられて…」 「し…っ!イーヴ…っ!」 「だって…だって…っ!あの方は…抵抗できないイズールを何度も何度も犯したのよっ!?」 とうとう泣きだしてしまったイーヴは、ぼろぼろと涙を小鉢によそった和え物の上に零していった。 《この涙の味を知れ》…そう言いたげに。 「イズール…可哀相な兄さん…っ!来月にはミーナと結婚するはずだったのに…!宿のために抵抗もしないで、されるがままになって…っ!」 「ああ…あれは、気の毒だったねぇ…。止めようとした父さんは魔力で吹き飛ばされて背骨を痛めて…。まだ、立てないんだって?」 「そうよ、父さん…《イズールが可哀相だ》ってそればっかり言って…すっかり元気をなくしているわ…。ああ…っ!何て事だろう…!あの戦乱の時代を乗り切って、ようやく平和が来たっていうのに…。あんなにも変わってしまった陛下が私たちの上に君臨して、どんな国を築くというの!?」 その言葉には料理人達も感じるものがあったのだろう。深い溜息をつくと…何かを思い出すように遠い目になった。 「そうだねぇ…あの方が、我らの王なんだよねぇ…」 「いや、もっと酷いことになるかも知れないよ?」 「どういうことだい?」 「いいかい?歴代の王を決めておられたのはどなただい?」 「あ…っ!」 他の料理人やイーヴの顔色が変わった。 歴代の魔王を選定していたのは絶対的な権威を誇る眞王だった。 だが…創主との闘いに倦み疲れ、もはや支配力も支配欲も失った眞王は眞王廟で暢気な隠居生活を送るようになっており、もはや眞魔国の政(まつりごと)には関与しないと明言している。 そうなれば…有利が王たり得ないと見なされたとき、次代の王座を巡って血みどろの闘争が行われることは火を見るよりも明らかだ。 「ウェラー卿はあくまでもユーリ陛下を立てられるでしょう。絶対的な守護者ですもの」 「フォンクライスト卿もそうでしょうね。ですけど…フォンヴォルテール卿はユーリ陛下に統治能力無しと判断されれば決して後押しはなさらないはずよ?それに…フォンビーレフェルト卿は郷里に封建的な方々が多い家系ですもの…。それに、失脚なさったフォンシュピッツヴァーグ卿シュトッフェル様だって、まだまだ野心は盛んと聞くもの。きっと…争いになるわ」 ざわざわと厨房がどよめき…不穏な空気が廊下にまで滲み出てくるようだった。 そんな彼らの様子を感じながら、有利は黙然として瞼を伏せるのだった。 『そりゃそうだよな…トップ決めが揉めるってことは…国の人達にとってはとんでもなく不安なことだよな…』 いままで、幾多の戦乱があったとしてもこの国の人々がどこかで安心していられたのは、眞王という偉大な頂点があったからだ。 眞王無き今、魔王としての有利の肩に載せられた責任はあまりにも大きく…民の不安はこんなことで簡単に揺らいでしまう。 『俺は…あのミツエモンに比べて、ちょっとでもマシな王様なのかな?』 確かに、彼に比べれば下々の者にも優しく親切だと自負している。 だが…それは果たして王としての資質という意味で大きなものだろうか? 『俺がこの宿で《王様です》って言ったとき…イーヴ達は《ああ良かった》…て、本当に言ってくれるのかな?』 《こっちはこっちで何と頼りない王だ》…そんな風に感じて、厨房で不安な会話を交わしたりはしないだろうか? ぎゅ…っと握りしめた衣服の裾に、嫌な汗が沁みていった…。 * * * 『ユーリ様…あなたは、魔王陛下で在らせられる身…。ですが、事故のために記憶を失っておられるのです。ですから、いまはミツエモンと名乗り、この宿で心と体をお休め下さい』 マントにすっぽりと身を包んだ男はそう言い残して宿を後にした。 双黒の《ミツエモン》はその日から、怠惰な日々を…待つだけの時間を過ごし続けている。 窓から見える灯籠に明かりがともり、時刻が夕刻に入ったことを告げるが…いつもなら部屋に運ばれてくるはずの食事が届かない。 だが、特に空腹を感じることもないミツエモンは浴衣に似たタオル地の衣服を着崩して、だらりとソファに頽(もた)れていた。 体力はともかく、精力の方は床上手な上に持久力が常人離れしているヨザックに根こぎ持って行かれたせいか、ぐったりしてしまって指先まで力が入らない。 こんな時は…ろくな事を考えないものだ。 『王…か』 本当にそうであるのかどうかも自分自身分からないまま、腫れ物に触るように扱われ…崇拝と言うよりも畏怖の強い感情を向けられながら過ごす日々…。 誰も彼もが最上位の敬語を使い、ひれ伏すようにして対応してくる。 だが…誰一人として、ミツエモン個人がどのような男であるのか知ろうとする者は居なかった。言葉と態度を繕い、へつらい…内心には秘密を抱えているのがありありと分かる。 『いや…あいつだけは、違ったか…』 ミツエモンはふと、大浴場の前で出会った少年のことを思い出した。 整った顔立ちはミツエモンが目を見張るほどに愛くるしく、傍に仕えていた男の立ち居振る舞いからみても、なまなかな身分の者ではない…かなり高貴な身分の子息がお忍びでやってきたと思われるのだが、彼はどこまでも直球でミツエモンに食ってかかってきた。 『変な奴だ…』 ミツエモンは気づかぬ内、口元に笑みを浮かべていた。 彼がこの宿に来て…つまりは、今の彼が覚えている限りの記憶の中で、それは最もやわらかな表情であった。 コン… ココン… 宿の者にしてはやけに思い切りのよい打撃音が、扉の前で響く。 伝わってきた気配に…ミツエモンは大きく瞳を見開いた。 「…入れっ!」 スィ…と軽い音を立てて手入れの行き届いた扉が開かれると、そこに立っていたのは件(くだん)の少年であった。 「よ…よぉ……」 何処かぎこちない笑顔を浮かべて、《ライト》と呼ばれていた少年が手を振ってくる。 「おや…俺に抱かれに来たのか?」 「違げーよ!」 「ふん…まあ、そうだったとしても今日は相手をしようもないがな。グリエめ…腰が立たなくなるまで絞り尽くしおった」 『グリ江ちゃん…凄ぇ……』 有利は頬に汗を感じつつ、廊下の向こうで匕首(あいくち)を携えて潜んでいるだろうヨザックを思う。 《任務のためには身体も張る》…というと悲壮感が漂いそうなものなのだが、彼の場合なんとなく乾いた明るさを感じるのは気のせいだろうか?本気で嫌なら、何としてでも回避しそうな気がするからかもしれないが。 「入れと言ったはずだぞ?お前も…伽のことはともかくとして、俺に用件があるのだろう?」 「う…うん」 こくこくっと頷くと、豪奢な室内へと脚を踏み入れた。 毛足の長い絨毯はまふまふとしており、気持ちいい反面《掃除が大変だろうなぁ》…などと所帯じみたことを考えてしまう。 朱革張りの猫足ソファには細かな織り目の布地が掛けられており、その上にしどけなく横たわるミツエモンは、ある意味では有利以上に王らしい…傲岸な威厳を呈していた。 促されたのは彼が横たわるソファであったが…当然彼と組んずほぐれつやりたいわけではない有利としては許容しかねるため、ローテーブルを挟んだ対岸のソファにちょこりと座った。 「…ここに座れと言ったのに」 「嫌デス」 「ふん…まあいい。お前…名はライトと言ったか?」 「そうだよ、あんたはミツエモンって言うんだっけ?」 「どうだかな…」 皮肉げな苦笑を浮かべると、ミツエモンは苛立たしげにティーカップを指先で弾いた。 ピィン…と良い音が鳴ったかと思うと、水面から浮かび上がった水滴が球体のままふわふわと大気の中で踊り、数珠繋ぎになると、つるるーっと滑るようにして有利の鼻先にやってきた。 その一つをつくん…っと人差し指で突くと、ふわりと水泡が大きくなる。 シャボン玉のように水膜を形成し、有利の顔ほどの大きさになると…ぱちんっと音を立てて弾けた。 「勿体ないぜ?折角美味しいお茶なのに」 ぺろりと頬についた飛沫を嘗めれば、ミツエモンの漆黒の瞳がつぃ…と細められる。 「お前は…変わった奴だな。俺にそんな態度を取る奴は初めてだ」 「他の人はどんなの?」 「敬っていると言えば聞こえは良いが…実際には、怯えているのだろう。俺が何をしても、言っても…平伏して嵐が通り過ぎるのを待っているような感じだ」 「ああ…それは、寂しいね」 それは…有利にも理解できる。 眞魔国に来たばかりの頃、血盟城の衛兵や臣下の人々はみな有利に頭を垂れたが、異界育ちの…それも、双黒の有利をどこか奇妙なものでも見るかのように一歩引いて対応していたように思う。 あの頃…有利がホームシックを感じつつも、眞魔国に自分が存在しても良いのだと実感させてくれたのは唯一人の男だった。 『コンラッド…』 彼を想えば、すぐに胸が熱くなる。 頭皮から指先までじんわりと広がるような、痺れにも似た感覚…切ないような、慕わしいような気持ちは彼との思い出を経て、より強く…深くなっている。 『そーだよな。俺には…コンラッドがいてくれた』 眞魔国の世情に疎く、王のなんたるかがさっぱり分かっていない有利に、何時だって彼は場当たり的な慰めではない…強いことばをくれた。 『あなたが、王です。俺にとって、唯一人の…』 まるで恋を告げるような、熱い言葉。 彼にそう言われると、面映ゆい様な気がしつつも《がんばろう》と…肩に力を入れずにそう思うことが出来た。 だからこそ役目のために彼が有利から離反し、《あなたは俺の王ではない》と告げられたとき…臓腑をぐしゃぐしゃに潰されたような感触がした。 だが…今では知っている。 彼が…有利から身を離し、《追わないでくれ》と暗に伝えるためにその言葉を口にしたとき、何度煉獄の焔で灼かれても償えないような罪を負ったのだと…赦されることなどないのだと…いや、赦されるべきではないと、無惨なほどの罪悪感に心を抉られていたのだと知っている。 彼は何時だって、我が身を罪の穢れに染めてさえも…唯一心に有利を思ってくれた。 「どんなに敬われても言葉を尽くされても、自分の肩書きや容姿だけに注目されたら、凄く空っぽな気持ちになるよね。誰かが…ただ一人でもいいから…誰かが、ほんとうの自分を見てくれたら…人は、何処までも強くなれるのにね…」 「…ライト、お前……」 ミツエモンの眼差しが、変わった。 居丈高で傲然としていた瞳には、どこか縋るような色合いさえ混じり…焦がれるような強さを込めて一心に有利を見やる。 「やはり…お前は、違うのだな」 「え…?何が?」 コンラートを想い…独白に近い言葉を紡いでいた有利は、咄嗟に何を言われたのか分からずにぽかんとしていた。 「お前が、欲しい…」 「へぁ…っ?」 伸ばされた手は強引だったが、眼差しはまるで捨てられた子どもが母を思うように一途だったから…一瞬、有利は抵抗出来なかった。 だが、抱き込まれて唇を寄せられた途端…ぞっとするような違和感に肌が泡立つのが分かった。 「な…何すんだよっ!」 鈍い有利ですらそうと分かる明確な欲情…それが、自分に向けられているのだと自覚した途端、怖気を震うような嫌悪感が込み上げてきた。 「知れたこと…俺は、お前が欲しいと言ったのだぞ?」 『のへーっっ!!』 仔犬のような目をしていても、この男の下半身は猛犬なのだ。 あのヨザック相手に(精力を絞り尽くされたとしても…)セックスできるくらいなのだから、しんみりした空気など屁でもないのだろう。 「待て、ちょっとそこに座り直せっ!あんたに話があるっ!!」 「俺にはない」 「…っ!あんた、そんなだから誰にも相手にされてないって何で分かんないんだよっ!?」 「…なんだと?」 痛いところを突かれたのか、ミツエモンの双弁に凶悪な怒りが滲んだ。 「誰も自分のことを分かってないって?当たり前だろっ!人の話も聞かずにただ命令だけして、話し合いなんてしようとしない奴の話を誰が聞く?みんな嵐が通り過ぎるのを待って、陰口をたたくだけだ。あんた自身が誰も理解しようとしないなら、誰もあんたのことを理解する義務なんて無いんだっ!!」 「お前に…何が分かる…っ!」 ミツエモンの瞳がかっと見開かれるや、部屋中に破壊音が響き渡った。 パン… パリーン…っ! 部屋のあちこちで花瓶や硝子類が割れ、溢れ出た水がミツエモンの回りで渦を巻き始めると、その水流に絡むようにしてパリリ…っと放電するような青白い光が見えた。 この男は水だけでなく、雷まで操るというのだろうか? 底知れぬミツエモンの力にぞっとして退くと、向こうは更に押してきてソファに有利を押し倒そうとする。 「やめ…っ!」 「さあ…股を開け。大人しくしておれば悪いようにはせぬ…。具合が良ければ寵愛してやるぞ?」 時代劇の典型的な悪代官を思わせるその台詞回しには、いっそ滑稽な印象さえ感じられるが受け手の有利としては堪ったものではない。 こういうものは定型的であろうが特殊であろうが、犯される側にとっては大した問題ではないのだ。 「この大馬鹿野郎っ!」 バキ…っ! 有利の拳がミツエモンの頬を抉ると、暫くの間…沈黙が生まれた。 つ…とミツエモンの唇から血が滴ったと見るや…轟…っと音を立てて電気を帯びた水流が有利に襲いかかってきた。 『やば…やられ…っ!』 暴力を行使したことと、それに続く沈黙に気をそがれてしまったのだろう。集中を欠いた有利は意思統一を図ることが叶わず、上様に変身できるところまで感情をスパークさせることが出来ない。 飛沫(しぶき)が…顔に掛かる。 ぱりぱりとひりつくような電流が、間近に迫る。 凄まじい水流の直撃を喰らう…そう覚悟した途端、ふわりと身体が浮き上がった。 「…え?」 きょとんと呆ける有利の耳に、張りのある青年の声が響いた。 「ユーリ…っ!」 ああ…この声は…っ! 覚悟した瞬間、反射的に閉じてしまった瞼をぱかりとひらき、声の主を改めて確認する。 そこには…頼もしい有利の護り手がいた。 「コンラッド…っ!」 逞しい腕が有利の細腰をがっしりと抱き込み、有利を安堵させるよう…口元には微笑みすら浮かんでいた。 次々に襲いかかる水流を巧みに避け、有利を抱えたまま優雅ともいえる足取りで歩を進める男…コンラート・ウェラーは、有利にとっては胸が熱くなるほど頼もしく…ミツエモンからすれば憎悪に値する存在であった。 「貴様…っ!」 双黒の瞳には血の色が透けそうなほどの憤怒が沸き上がり、水流の勢いと纏う電気の強さは、明らかに先程の迄のそれとは様相を異にしていた。 「コンラッド…気をつけてっ!」 「了解!それから…遅くなって申し訳ありません…!」 コンラートは《話し合いをする》という有利の意図を汲んで、ギリギリまで耐え…潜んでいたに違いない。 ちらりと覗いたコンラートの袖口からは紅いひっかき傷が伺えた。おそらく…有利に迫るミツエモンに斬りかかるのを限界まで堪えていた間、自分を押さえるために剣を握るのとは異側の手で爪を立て…自戒していたのだろう。 『コンラッド…っ!』 どんな危険の前にも迷わず飛来し、有利を護る男。 そしてまた、有利の望む道を塞ぐことなく全力で支える男…。 『コンラッド…やばいよ…っ!ちょっともー、格好良すぎっ!俺が女の子だったら速攻好きになっちゃうよっ!抱いてとか言っちゃうよっ!!』 うるうるしてくる有利の瞳が、ミツエモンの怒りに拍車を掛けた。 「おのれ…この俺に楯突くとは…っ!ライト!その兄もろとも臓腑をぶちまけて死ねっ!!」 「なんちゅー短気な男だテメェっ!俺のこと気に入ったとか言ってなかったか!?」 「俺を好きにならぬと言うのなら、貴様など生きている価値などない。兄共々死ぬが良いっ!」 「短絡的なこってすねぇ…」 苦笑混じりにひょいっと現れたのは、着慣れたおんぼろのお庭番装束…それだけに、彼の皮膚の一部であるかのように肌合いに馴染んだ衣装に身を包む、グリエ・ヨザックだった。 「ま…、お偉い方ってのは大抵こういうもんですよ?坊ちゃんが異質な例ってわけですが…」 ヨザックは皮肉げに呟いたかと思うと、次いで…心の底から嬉しげに、にぃ…っと口の端を上げて笑うのだった。 「坊ちゃんが異質な方でいてくれたことが、俺は嬉しくって堪らないんですよ…」 掛け値なしの親しみを込めた眼差しが有利に向かうのをみるや、ミツエモンの双眸には…もはや陰惨とも言うべき怒りが渦巻いていた。 「貴様…貴様…!グリエ…っ!俺を…謀ったのか!?」 「俺の孔は気持ちよかったですか?へ・い・か。あ、ちなみにグリ江が《気持ちいい〜》ってよがったのは全部ウ・ソ!ミツエモン様ったら勢いだけでテクなしなんですもの。グリ江、ケツの孔が擦れて痛いだけだったわぁ〜」 くすくすと嘲りを込めた笑いを浮かべれば、同じ《笑い》と表現することがどうかと思われるほど侮蔑に満ちた表情になる。 ヨザックは権力や暴力で肉体を蹂躙されることに今更傷つくようなタマではないし、当初、それほどこの男を嫌っていたわけではない。 だが…彼が有利を力づくで陵辱しようとしたとき、ヨザックは体内に放たれたミツエモンの精液を、今すぐこの身から抉り取りたいと願ったのだった。 この清らかで、純朴な少年に酷(むご)い屈辱を味あわせようとした男の体液が…酷く穢れたものに感じたのである。 有利を、決してこの男の手になど渡さない。 貧しい混血の子が辿ってきた凄惨な生い立ちの一部など…彼にだけは体験させたくない。 有利に出会った頃からは考えられないような…それは、純粋な誓いだった。 「て、テク無しだと…っ!?」 激昂するミツエモンを更に嬲るように、ヨザックの嘲笑が斬りつける。 「テメェのちんぽじゃイけねぇって言ってんだよ。この包茎野郎が!」 「き、さ…まぁぁぁ……っっ!!」 ドォン…っ! 強い奔流に晒された軽石の壁は浜辺の砂城のように軽々と吹き飛ばされ、庭園に続く壁の一部がすっかり崩壊してしまった。 「な…何の騒ぎですか!?」 言い争いまでは何とか堪えていたものの、連続する半端ない破壊音に流石に焦りを感じたのだろうか?宿の使用人達がわらわらと集まり始めた。 「いけない…来ちゃ駄目っ!」 悲鳴にも似た有利の言葉を捉えた途端…ミツエモンの唇に笑みが浮かんだ。 それは…獲物を見つけた肉食獣のように陰惨な笑みであった。 『まさ…か……っ!』 そのまさか…であった。 軽やかな身のこなしで攻撃をかわすコンラートやヨザックに手を焼いていたミツエモンは、あろうことか…有利を追いつめる手段として、暴力に対して無防備な宿の者を攻撃対象としたのである。 「危ない…逃げてーっっ!!」 鋭く叫ぶが、状況も良く理解できていない宿の男達はただ狼狽えるばかりで、どこをどう…誰から逃げればいいのかすら理解できず、放たれた奔流を前に呆然と立ち竦んでいた。 コンラートとヨザックは有利を護ることを第一義としているため、宿の者までは手が回らない。 やられる… 傷つけられる… 何の罪のない、民が。 『俺の、民が…っ!!』 有利の頭蓋の中で…何かが激しくスパークする。 「この……下郎めがっ!!」 時代がかった言い回しの絶叫が空を裂いた途端… 風が唸り、水が逆巻き、 飛沫を上げて轟く水流が、《主(あるじ)》を中核として巨大な渦を作る。 いや、もはや水流は唯の水の塊にはあらず。 魂を持つ生命体の如く息づき、咆哮するその様は…… 「り…龍が…っいや、それよりも……」 「なんてこと…なんて……っ!」 宿の者達はただ驚きに声を震わせ、口を戦慄かせて眼前の光景を見やった。 長い髪を疾風に靡かせ、中空で仁王立ちになったその少年は…彼らの知る陽気な子どもではなかった。 見事な水龍を従え、凛としてミツエモンを睥睨する少年。 彼は…見まごう事なき、双黒だったのである。 |