「第二十七代魔王温泉紀行」@

※葵様のリクエストで、「眞魔国に偽物魔王現る…な、小話。田舎町でお忍び旅行中にうっかり偽物魔王のご寵愛を受けてしまう遠山の有利に、静かに切れつつ黒い瘴気を醸し出す次男、生暖かく見守り微妙に活躍のヨザ」…という話になる予定です。多分。

 

 




 
 濃緑色の木漏れ日、ふっさりと岩肌を飾る黄緑色の芝苔、鮮緑色のシダ類…あらゆる種類の緑色が夏の始まりを告げる山間の峡谷に、精悍な印象の青年と華奢な体格の少年とが連れだって脚を踏み入れた。

 質素な旅装に身を包んでいるものの、両者ともに随分と端麗な顔立ちをしている。

「すごい…芝苔がふこふこしてる…」

「気をつけて、少し濡れていますから…足を滑らせないように」

「はーい」

 彼らはこの峡谷の入り口までは馬で旅をしていたのだが、今は灌木に繋いで待たせてある。旅慣れた青年の方はこの辺りの地形を熟知していたので、休憩と水汲みを兼ね、清流を求めてやってきた…という次第だ。

「ふわぁ〜…っ!綺麗な小川だなぁ…。じゃ、早速失礼して…」

 少年の方はいそいそと長靴を脱ぐと、嬉しくって堪らないという表情を浮かべて小川のほとりに腰を落とす。

 涼やかな水音とさざめく葉擦れの音を聞きながら、冷たく透明な流れの中へと脚を浸せはぶるりと震えるほど冷たいが…それがまた心地よくて笑い声を上げると、少年は華奢な爪先でぱしゃりと水滴を蹴り上げた。

「冷た…あはは…っ!」

 なんとも…聞いている者の心まで明るくするような笑い声である。

 それに、瑞々しく白い素足が木漏れ日に映え…見る者は思わず見惚れてしまうのだった。

「くぅ〜っ!気持ち良いっ!コンラッドも早く足つけてみなよっ!」

 赤茶のさらさらした髪…それと同色の瞳を持つ少年は、頬を薔薇色に上気させて連れ合いの男性に声を掛けた。

 峡谷の入り口からここまではそれほど距離はなかったのだが、起伏に富んだ岩段の連なりは小柄な少年にとっては結構応えたらしく、額にも淡く汗をかいていた。

 火照った肌に、清水の冷たさが心地よく沁みていくようだ。

「ふふ…気持ちいいですか?陛下」

 端正な面差しの青年がふわりと微笑めば、その整った造作が途端に柔らかなものへと印象を変える。彼にとって、この少年がどれほど大切な存在なのかがよく伝わってくる表情だ。

 尤も…鈍いことでは余人の追随を許さない少年の方は、その眼差しの意味するものを汲み取った風にはない。

 それどころか…不満げに、ぷぅっと頬を膨らましてさえいる。

「陛下って言うなよ、名付け親のくせに…大体、今はお忍び旅行中だろう?折角グウェンが許してくれた休暇なんだからさっ!今くらいは肩書きとかうっちゃらかしといてよ!」

 《陛下》と呼ばれることに抵抗感を示す少年は、この渓谷を含めた全眞魔国領土を統べる王…それも、歴代髄一の魔力を誇るとされる双黒の魔王である。

 今は鬘(かつら)を被り、瞳には色つきコンタクトを入れて印象を変えているが、それでもこの国では《絶世の…》と形容されるほどの美貌は、なんらその容色にくすみを感じさせることはない。

 くりくりと大きな団栗目は長い睫に縁取られ、ちんまりとした鼻やまろやかな頬…ぷっくらとした桜色の唇が、絶妙な均衡を保って少年…渋谷有利を愛くるしく彩る。

 また、造作もさることながら…なんといっても、その身からほわりと放たれる明るい雰囲気が、有利を瑞々しく特別な存在として感じさせるようだ。

 それは傍らに佇む青年にとっては殊に強いものであるのか…琥珀色の眼差しには常に柔らかい色が滲み、強い愛情が滔々(とうとう)と満ちるほどに少年へと向けられている。

 青年の名はコンラート・ウェラー。

 《ルッテンベルクの英雄》、《眞魔国髄一の剣豪》…そんな肩書きよりも、《渋谷有利の名付け親兼親友兼臣下》としての立場を得難いものとして感じる青年である。

 実はもう一つくらい渋谷有利に関連する肩書きが欲しいわけだが…それは、対象者の希有な鈍さや、コンラート自身の臣下としての立場…弟が偶発的に有利の《婚約者》となってしまった事等々が絡み合い、有利が18歳を迎えた今となっても成就はしていない。

 思えば3年間に渡って切ない片思いをしているわけだが…かつては《色街の帝王》と呼ばれた彼がここ近年、すっかりその方面には慎ましやかになってしまった辺りが本気の度合いを感じさせる。

「そうでした、すみません…ユーリ」

 彼自身が付けたその名は特別な響きを持って舌に…喉にと慕わしさを絡める。

 甘く響くその声をどう思ったのだろうか?

 有利は撫でられた子猫のように満足げな微笑みを浮かべると、そのまま何も言わずにぱしゃぱしゃと水を撥ねかした。

『むー…。やっぱコンラッドの声って無駄に色っぽいよな。二人っきりで改まって囁かれると…照れちゃうよ』 

  その事をコンラートに聞かせてやれば、またなにがしかの展開がありそうなものだが…名を呼ばれてときめていしまう自身の心の機微を理解していない彼は、いっかな名付け親に対する想いに気付いてはいなかった。

 ただ…爽やかな微風に前髪を靡かせ、目元を細めて自分を見やるコンラートの…その蕩けそうな琥珀色の色彩ときらめく銀の光彩に、浮き立つ想いを感じるだけだった。

『えへへ…嬉しいな…っ!久し振りにコンラッドと二人きりで旅行だーっ!!』

 ぐわしっとガッツポーズなど決めてしまう。

 思えば、ここ一ヶ月の仕事内容は極めてハードだった…。

 新たに眞魔国派同盟に加わった国々との条約締結交渉が重複してしまい、どちらに対しても失礼がないようにするため、納得のいく内容で条約を成立させるため…昼夜を問わず眞魔国重鎮の面々は頭脳戦に明け暮れていたのである。

 それが何とか山場を過ぎたとき、珍しく眞魔国宰相たるフォンヴォルテール卿グウェンダル自らが有利に、《ゆっくりと休暇を取ってはどうか》と勧めてくれたのである。

 思わぬご褒美に心弾まぬ訳がない。

 有利は自称婚約者を何とか説得して、コンラートと二人きりのお忍び旅行を勝ち取ったのである。

『ヴォルフやみんなと一緒ってのも楽しいけどさ…やっぱ、コンラッドは一番の親友だもんな。たまには身分とかが関係ない状態でいっぱいお喋りとかしたいもん』

 王と臣下としての立場を明確にしていなくてはならない状況では、幾ら親しく言葉を交わしていてもコンラートが有利の名前を呼ぶことはない。

 彼なりのけじめなのだろうが…分かっていても、寂しいのは事実だった。

「コンラッド…そういえば今日泊まる予定のアナスタシアって、温泉もあるんだっけ?」

「ええ、ヒルドヤードほどの規模ではありませんが、採掘によって豊富な湯量を安定供給できるようになったそうで…ここ近年観光化にも力を注いでいる地域です。もともと建材として良質な岩石を産出していることもあり、大風呂もなかなか見事な湯船のようですよ?」

「うっわー、楽しみ…っ!」

 温泉好きには堪らない情報だ。

 しかし、はしゃいでいたら鬘が少しずれてきてしまった。

「あ、いけね…」

 鬘をとると、少し蒸れてしまった黒髪を水浴びの後の犬のようにぶるるっと振るう。

 そうすれば艶やかな黒髪がぱらぱらと踊り、地肌に涼やかな風を感じた。

「はぁ…気持ちいい……」

「ユーリ…鬘はやはりこの季節には辛いのでは?」

「んー…それはまぁそうなんだけれどさ、温泉に染め粉が混ざったりしたら申し訳ないかなぁって思って…。ヒルドヤードでもそれが凄く気になったからさ」

 こういうところが有利の、良い意味で王らしからぬ所であろう。

 温泉地にしても、一声彼が《訪れたい》と言えば高級な宿が最上級の部屋を惜しみなく捧げ、次は何時訪れるか分からない王のために、永久に専用居室として他者の宿泊を許さないだろうに…彼はあくまで《旅の少年》として普通に扱って欲しいのだという。

 なお、名前の方は《ミツエモンとカクノシン》の名が近年知られるようになってきたせいで、変更を余儀なくされている。

 …というのは、この名がどこから漏れ出たのかは知らないが(ギュンター辺りの自叙伝を疑っているのだが…)、市井の民の間で《身分を隠した魔王陛下がこの名で民を助けたり、悪徳領主を退治したりしている》という物語が流布してしまい、寧ろ本名を名乗るよりも疑われる可能性が高いのだ。

 そこで、今回の旅では《ライトとレフト》という名を使うことにしている。

 有利の名前となった《ライト》は、ちょっと新世界の神を目指している少年と被ってしまってなんなのだが…。まあ、野球のポジションの中では比較的人名として通りそうな名称なのでしょうがない。

  また、コンラートから《様》つきで呼ばれることを回避する為、有利はコンラートの弟という立場にして貰った。

『本当の名前じゃないのはなんだけど、コンラッドに《様》付きで呼ばれるのって嫌なんだもん。えっへっへー、今回は《レフト兄ちゃん》に《ライト》だ!』

 ますます嬉しくなって足をばたつかせていると…突然、コンラートの纏う気配が急変した。

 怜悧な眼差しを岩陰に飛ばすや、僅かな動作で袖口に仕込んだ短刀を投げる。

 空を裂いた白刃は狙い通り、目標物を掠めて飛んだ(相手が特定できないので、当てるつもりはなかったのである)。

 すると、《キィ…!》っと弦を引っ掻くような声音を上げて、何か獣のような影が飛びすさり…素早い動作で逃げていった。

「あーあ、コンラッド…野生生物あんまり脅しちゃ駄目だよ?」

「失礼、少し…気になったものですから」

 苦笑気味に返すものの…コンラートの眼差しは、まだ影が逃げていった方角に向けられていた。

 あの影は、野生生物というには知性を…人間と言うには獣性を孕みすぎていた。

 そして何よりも気がかりだったのは、あの影の注視が…

 

 …一心に、有利に向けられていたことである。

 

*  *  * 

  

 牧歌的な雰囲気が漂うアナスタシアは、広々とした高原に綿帽子のような羊がゆっくりと草を噛んでいる光景が何処までも続いている…そんな場所だった。

 民家はぽつらぽつらと点在する程度であったが、ノーカンティーが確かな足取りで進んでいくのをアオが追えば、そのうち温泉地らしい景色になっていった。

「あ…お湯の匂い……」

 芝の香りに混じって漂う独特の臭気に、有利の頬が緩む。

 おやつ時に清水に足をつけて休息を取ったものの、夕刻間近まで馬で駆け通しだったせいですっかり汗を掻き、疲れも堪っている。

 ゆっくりと湯につかって身体を解したいところだ。

「お…あれかな?」 

 宿は一風変わった建物であった。

 ドーム状の岩の中をくりぬいたような形状をしており、扉や窓には硝子や木板が填め込まれている。そしてそこかしこに蔓草が絡みつき、外壁を彩っていた。

「いらっしゃいませ〜!ようこそ、緑葉庵へ!」

 門らしきところに向かうと、気付いたらしい宿の少女が扉を開けて待っていてくれた。 鼻面にそばかすの散る少女はちりちりとした髪を三つ編みにしており、美少女とは言い難いものの…からりと底抜けに明るい表情には好感が持てる。

 スイスの民族衣装に似た白いふわふわのブラウスと、長めのフレアースカート、腰に幅広の帯を巻いてリボン結びにした服がまた、彼女を二割り増し可愛く見せているようだ。

「いらっしゃいませ、お馬さんは儂がご案内しましょう」

 小兵ながら動きが機敏な老人も、愛想良く頭を下げるとすぐにノーカンティーとアオを厩舎に連れて行ってくれた。ちらりと視線で追えば、ノーカンティーの馬体を優しく撫で、親しげに声を掛けている。

 余程馬が好きな達らしく、これには馬を愛するコンラートもほっと安堵したようだ。

 宿の中にはいるとほっこりとした雰囲気の板間が続いており、ふかふか素材のスリッパが置かれていた。壁は外観と同様に岩をくりぬいたもので出来ており、触ると軽石に似た感触がした。

 保温性と通気性の両面を兼ね備えた素材であるらしく、室内は特に冷暖房をしているわけでもないようなのに、極めて適度な湿度と温度を保っている。

「はぁーい、お客様!お荷物お預かりしましょうか?」

 さきほど声を掛けてくれた赤毛の少女がコンラートから荷物を受け取ろうとするが、やんわりと断る。骨組みは頑丈そうだが、背丈はコンラートの胸ほどの高さもない少女に荷物を持たせるのは心苦しかったのだ。

「結構ですよ、お嬢さん。ところで…俺は予約していたレフトという者だけど、すぐに部屋に入れるかな?」

「あ、白菊の間のお客様…です、ね。こ、こちらにどうぞっ!」

  愛想良くコンラートが微笑めば、物慣れない感じの少女はぽぅ…っと頬を染め、しどろもどろになりながらぎくしゃくと板張りの廊下を案内した。

「あの…あの…っ!わたくし、イーヴと申します。この宿でお客様がくつろいで頂けるようお手伝いさせて頂く者です。何かありましたら、お気軽にお申し付け下さいっ!」

「ああ、よろしく頼むよイーヴ」

「は、はいぃ…っ!」

 そのやりとりに有利は嫉妬…するわけではなく、盛んに頷いては同意を露わにした。

『あー…分かる分かる!コンラッドがふわって笑うと、ちょっとどもったり挙動不審になるよね!』

 初(うぶ)な少女の反応と、自分の反応が同一のものであることに違和感はないらしい。

 この辺り、有利が《鈍い》と声を揃えて周囲に言われるゆえんであろう。

 

*  *  *

 

 案内された白菊の間は洋間であったが、やはり白っぽい軽石に囲まれた独特の様相であり、血盟城の自室とは随分と違って見える。

「わぁ…余所んちに来たーって感じする…」

 とすっと勢いよく椅子に座ると、籐網の丸っこい安楽椅子がぐらりぐらりと揺れて有利を揺さぶる。

「少し休んだら大浴場に行きますか?それとも、この部屋の内風呂に…」

「折角だから大浴場に行きたいな!」

 即答するといそいそと上着を脱ぎ始めた有利に、コンラートは複雑そうな視線を向けた。

 温泉好きの彼のこと、そういう答えが返ってくることは分かり切っていたのだが…。

『本当は…内風呂に入って欲しいんだが…』

 それは正体がばれるとかいったことよりも、多分に個人的な事情ではあるのだが…正直、有利の裸身を他人に見せたくないし、コンラート自身目に入れることに辛さを感じるのだ。

 有利が眞魔国にやってきた頃から3年の時が流れたが、筋トレの成果でしやかな筋肉を身につけているものの、やはり全体として華奢な印象の彼は…服を脱ぐと一層可憐なラインを描いてしまう。

 ほっそりとした首筋…肩から二の腕に掛けての伸びやかな曲線。

 コンラートの両の手ですっぽりと包み込んでしまえそうな細腰…。

 平静を保って見つめることが難しいうつくしさに、コンラートは極力彼と湯を共にすることがないように心がけてきた。

 だが…旅路の先で有利一人を大浴場に行かせることなど出来ようはずもない。

  コンラートは片手で髪を掻き上げると、有利には聞こえないように小さく溜息をつくのだった。

 

 そして彼は…この後ほどなくして、有利を大浴場に連れて行ったことを激しく後悔することとなる。

 

*  *  *

 

 大浴場に向かうと、イーヴが慌てたようにぱたくたと駆けよってきた。

「あ…あ、レフト様、ライト様…!大変申し訳ないのですが、ただいま大浴場は貸し切りになっておりまして…」

「え…?大浴場ってみんなの共用じゃないの?」

 きょとりと有利が目を見開くと、イーヴは申し訳なさそうに両手を揉み合い…そぅっと顔をコンラートと有利に寄せてきた。

「あの…実は、ここだけのお話にしていただきたいのですが…」

「何か…あるのかい?」

「実は…魔王陛下がお忍びでこちらの宿をご利用なさっておられるのです…っ!」

 

「…………はぁ?」

 

 コンラートと有利は揃って素っ頓狂な声を上げてしまう。

 《ここだけの》…と、二人に耳打ちするということは、《魔王陛下》とやらが有利を指しているわけではないのは明らかだ。

 

 何者かが…魔王を騙っているのだっ!

 

 怒りよりも、寧ろ興味を引かれて有利は唇を突き出した。

「ねえねえ、魔王陛下ってどんな人なの?」

「それは…お噂通りお美しい方で…怖いくらいです」

「へぇ…」

 《怖いくらい》の美貌ということは、有利に似ているわけではないということだろうか?

「その方は、ご自分から魔王陛下であると告げられたのかい?」

 コンラートが問うと、イーヴはぶるるっと必要以上に首を振った。

「いいえ…!」

「では、何故魔王だと?」

「それは…」

 

「お前達…ここで何をしている?」   

      

 浪とした低い美声…だが、美しいということよりも冷たさが表にたったその声に、有利が振り返ると…そこには、鮮やかな双黒の青年が立っていた。

  そう…見まごう事なき双黒。

 漆黒の艶やかな長髪は背中の真ん中まで達し、目尻が吊り気味の双弁もまた奥深い闇色をしている。染めたり鬘を被っているというような違和感は一切感じられない…混じりけ無しの双黒だ。

 また…更に視線を引いたのは、彼の肌が黒を帯びていたことだ。

 黒人…とまではいかないものの、中近東の人種を思わせる褐色の肌はなめらかで、こちらも何か加工しているわけではないようだ。

 体つきはしなやかで…背丈はコンラートよりもやや小さいものの、筋骨のなりたちでは良い勝負である。今はバスローブと浴衣の中間のような布地に身を包んでおり、小脇に抱えた籠から察するに、風呂にはいるところであるらしい。

「へ…陛下っ!」

「女…その呼び方をやめろと言ったはずだぞ?」

「は…はいっ!」

 底冷えのする声に撃たれ、イーヴが背筋をビィンと張った。

 高貴と言えば聞こえが良いが、どこか粗暴さすら感じさせる居丈高な物言いに、有利はむぅっと頬を膨らませた。

「そんな言い方することないだろ?」

「なんだと?」

「イーヴちゃん、怖がってるじゃんか。それに、《女》って呼び方も感じ悪いぜ」

「その者はこの宿の下女だ。そして俺は客…。客を不快にさせるような下女は、主人の折檻を喰らってもおかしくないはずだが?」    

「も…申し訳ありませんっ!全てわたくしが悪いのでございます…っ!ど、どうかミツエモン様もライト様も、わたくしのような者の為にこれ以上ご不快になられませんようっ!」

 おろおろとイーヴが割って入るが、ミツエモンと呼ばれた青年は彼女のことなど視界に入っていない様子で有利に詰め寄った。

「お前もお節介をやくものではない…。俺を怒らせると、ろくな事がないぞ?」

「何があるって言うんだよ!」

「ふん…まだ言い返すか?」

 すっかり頭に血が上っているらしい有利は頬を上気させて言い返すが、ミツエモンはどう思ったものか…急に興味を引かれたようについぃ…っと目元を細めた。

 その仕草に警戒心を抱いたコンラートは、有利の肩を掴むと自分の背後に庇い込んだ。

「この辺りで引いていただきたい。子ども相手にむきになっては、あなたの度量を疑われますよ?」

「…むきに…か。ふん…厭な言い方をする奴だな」

 皮肉げに口の端を引き上げ、ミツエモンはコンラートから奪うようにして有利を引き寄せた。

「…っ!」

 抗うコンラートの腕に一瞬強い電流が流され、不覚を取る。

『確かに…高い魔力の持ち主のようだ…』

 そうなると、攻め方もおのずと変えなくてはなるまい。

 コンラートは苛立ちを何とか押さえると、ミツエモンの魔力の程…そして、魔力の種類を確認すべく観察を始めた。

「俺は寧ろ、面白いと思っているのだ…。ふふ…俺にこのように言い返す者など今まで居なかったからな」

「え…?ちょ……っ!」

 ミツエモンの逞しい腕はするりと有利の腰に回され…節張った指がきゅっと小振りな尻肉を掴み上げた。

「や…っ!」

「何を…っ!」

 殺気だつコンラートだったが、腰のものに掛けた手がイーヴに止められてしまう。

『駄目です…っ!』

 必死の形相で留め立てするイーヴは、彼女なりにコンラートの身を案じているのだろう。

 または、賓客である《魔王》に何かあっては、この宿も無事ではいられないという計算なのか…。

「人のケツ揉みこんでんじゃねぇよ!」

「掴み心地の良い尻だと褒めたのだ。おい…お前、ライトと言ったか?」

「う…ああ、そーだよ。俺ライト、8番じゃないけどね!」

 野球人にしか分からないネタはあっさりとスルーされ、ミツエモンは有利の頬に手を添え、唇を寄せてきた。

「ライト、今宵…俺の部屋に伽をしに来い。大オニバスの間だ」

「研ぎ?何で俺が包丁やら剣やら研がなくちゃなんないんだよ…つか、ちょっと…ち、近いよ!顔近い!」

「口吻をしようとしているのだから当たり前だろう。綺麗な顔をしているのに…頭は悪いのか?いや、顔が綺麗だからこそか?」       

「なんで俺があんたとチューしなくちゃなんないんだよっ!ヤダヤダヤダ!やめ……っ!」

 見てくれ以上に強い膂力で後頭部を引き寄せられるが…すんでのところで制止が入った。  

  あまりの怒りにどす黒い瘴気すら纏うコンラートが、毟るようにしてミツエモンの腕から有利を剥ぎ取ったのだ。

「……貴様、また俺の邪魔をするのか?」

「弟に手を出されては、死んだ両親に顔向けが出来ないのでね…」

「では、今この俺が手ずから両親の元に送ってやろう」

 にやりと嘲笑すると…ざわ…っとミツエモンの周囲で大気が蠢いた。

 何らかの魔力が集結しつつある…その対象物は、コンラートだ。

『何をしやがるっ!』

 我を忘れて有利が魔力を集結させようとしたとき…思わぬ場所から悩ましい(?)声が響いた。

「あら〜んっ!ミツエモン様ったらそんなトコで油売ってらっしゃるの?早くいらしてぇ〜んっ!!グリ江、待ちくたびれちゃったわぁ〜…」

 くねくねとしなを作っている美女はミツエモンの知り合いらしい。

「うげ…」

 コンラートと有利の口から、潰れたカエルを思わせる声音が零れる。

 オレンジ色の鮮やかな頭髪に、逞しい筋肉の隆起。

 悪戯っぽく輝いているものの、奥底に氷水の冷淡さを含んだ蒼瞳…。

  それは、見まごう事なき彼ら共通の知り合いであった。

 ただ…あまり直視したくないと思うのは、彼が身に纏っているものがイーヴと同じお仕着せ…ふわふわのブラウスにフレアースカートという出で立ちだったからである。

 何だってこの男はこういう恰好をすると、ちゃんと可愛く見えてしまうのだろうか?

 二の腕の半ばから隆々とした上腕二頭筋・三頭筋がお目見えし、がっしりとした肘頭など、エルボーを喰らわせれば一発で肋骨を粉砕できそうなのに…きゃるんとしなを作ると不思議とバランスが取れて見えるのが、余計にコンラート達を困惑させるのだった。

「ああ、グリエか。なんだ…また伽をするつもりか?正直…お前の相手は疲れる。お前は俺の精魂を全て搾り取る勢いで来るからな…。俺は、今宵はこの少年を相手にしたい」

「ええ〜!?酷ぉ〜いっ!グリ江ショック!ちょっと抜かず5発をおねだりしただけなのに…ミツエモン様のいけずぅ〜…」

 やいのやいのと言い争う二人に、コンラートはぐらりと目眩を覚えた。

 お役目上の業務と割り切って夜伽をしたのだろうが…抜かず5発を受けるとはまた凄まじい耐久力である。結局ミツエモンがそれを達成できたのかどうか、男としては多少興味があるところではあるが…。

「コンラッド…」

 ちょいちょいと袖口を引かれ、有利を見やれば…彼もまた困惑したように眉根を寄せていた。だが、彼の思考法はコンラートとは幾らか異なっていたようである。

「ねぇ…伽ってプロレスみたいなものなの?」

「………は?」

「俺、眞魔国に来てもう3年にもなるのに、伽って何なのかわかんなくってさ…。チューから始める技とかがあるの?抜かず5発って言うのは技を掛けっぱなしってこと?俺…柔道でも寝技は不得意だから、やっぱりあのミツエモンとプロレスすんのは不安なんだけど…」

「しなくて良いです。する必要など微塵子程度もありません。ここはヨザに任せて…部屋に戻りましょう?内風呂も趣向を凝らしてあって、良い風呂ですよ?」

「う…うん……」

 まだ大風呂に対する未練はあるようだが、とにもかくにもこの騒動から逃れたいのは彼も同じらしい。

 コンラートに肩を抱かれてちょこたこと白菊の間に向かった。

『ヨザ…頼むぞ?』

 後背に視線だけちらりと送れば、友人がさり気なく目配せするのが見えた。

 

 マスカラを塗り固めた睫が、ばつんと音を立てそうなウインクであった…。


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