「白黒インパクト」−2
白次男side−2
どうも妙だ。
コンラートは自室の寝台で布団に入ったものの、とても眠る気にはなれなくて、上体を起こしたまま薄闇を睨み付けていた。
有利を庇って意識を失った後から、周囲の様子が明らかにおかしい。
しかし、みんな《おかしいのはお前の方だ》との意見で一致してしまうのだ。
おかげで、当分の間は有利の護衛もヨザックに委ねられてしまった。
有利を護る以外には趣味らしい趣味を持たないコンラートにとって、無駄に時間があるだけに、余計なことまで考えてしまって苦しくなる。
『どうしたら疑いを払拭できるんだろうか?』
ほぅ…っと寂しげに吐息を漏らしていると、コンコン…っと扉を叩く音がした。
気配からして、これは…。
「ユーリ!来てくれたのかい?」
寝台から飛び降り、ぱあ…っと表情を綻ばせて迎えると、やっぱり吃驚したような顔をして有利が一歩引いてしまう。
正直、ショックが大きい。
「ユーリ…やはり、あなたも俺を変だとお思いですか?」
「ゴメンね…コンラッド。俺のせいで、記憶が混乱しちゃってるんだね?」
「そんな筈は…」
無い、筈だ。
けれど、みんな揃って《おかしい》と言い立ててくると、流石のコンラートも悩まずには居られない。
「本当に、俺はおかしいのかな?」
「コンラッド…」
アイデンテイティーの崩壊に直面しそうなコンラートをどう思ったのか、有利はきゅ…っと手を握ると、つぶらな瞳で見上げてきた。
「焦らないで、コンラッド。それに…今のコンラッドだって、普通ならちっともおかしな人って感じじゃないよ?寧ろ、すごく真っ正直でピュアっ子つーか…。ただちょっと…いや、かなり…俺たちが知ってるコンラッドと違うから、違和感があるだけなんだ」
「ユーリ達が知っている俺というのは…《ちょっと下世話な話題が好きで、冗談めかした男》…ですか?」
「うーん、物凄くぶっちゃけるとそうカモ…」
「それが通常モードだと言われると、確かに今の方が変なのかもしれませんね…」
瞳を眇めて俯くと、有利が慌てて頭を撫でてくれた。ちいさくて可愛い手の感触は、ちっとも変わらない。微に入り細に入り再現できるほど詳細に覚えているのに、記憶障害とは一体どういう訳だろうか?
「コンラッド…今は休んで?俺、元気になるまで傍にいるし、何なら今のままでも…コンラッドはコンラッドだもん。きっと、俺もみんなもすぐに馴れるよ」
「ユーリ…」
嬉しい。
にこにこと微笑んでくれる有利がいつも通りで居てくれるのなら、あまり深く追求しすぎずにいることが出来るかもしれない。
『大事な、俺のユーリ…』
《俺の》なんて所有格は冗談でしか使うことが出来ないのだけど、やはり心の中でくらいは許してほしいと思う。名誉も、これまでの実績の何を失っても良いから、有利の思い描く未来を作りたくて、袂を分かってまで大シマロンに赴いたのだ。
この程度の事故で、己を失うことはない。
『俺は、俺としてユーリを護って生きれば良い』
そう思い直すと、コンラートは静謐な決意を込めて有利を見つめた。
「ユーリ、早く元気になりますね。そして、また護衛に戻ります。下ネタや冗談は上手く言えないかも知れませんけど…お望みなら覚えますから、本か何かを貸して下さいますか?」
この時、コンラートは有利の脳裏に何が浮かんだか知らない。
純白の花嫁衣装を着て、怪盗に向かって健気に《泥棒も覚えます…!》と言っていたクラ○スだとは、有利としても言えなかったのである。
ここに村田がいたら、容赦なくからかったろうけど。
「うん。じゃあヨザックに借りるね?」
その時、ス…っとコンラートの腕が有利に回され、ごく自然な動作で庇いの体勢にはいる。健気な少女の面影は一瞬にしてかき消え、油断なく主君を護る凄腕の護衛がそこにはいた。
しかし、コンラートは相手を認識するとすぐに緊張を解いた。
「なんだ、ヨザか」
「へぇ〜い、俺ですよーう。廊下で控えておく気だったんですけど、隊長がどんな風になってんのかやっぱり気になりましてね?」
「すまない、ヨザ。お前にも心配を掛けるな…。悪いけど、下ネタ関係の本もあったら貸してくれるか?勉強してみようと思うんだ」
「………こいつぁー…また…」
ヨザックはコンラートの言葉と表情に多少引いたようだが、流石にキャパが大きいのか、殊更に騒ぎ立てたりはせずに、いつもの飄々とした表情を浮かべた。
「ヨザック、コンラッドはまだ疲れてるから…」
《追い詰めないでね?》と呟く有利に、コンラートはポスっと掌を頭に乗せる。やっぱり、こんな事になっても有利は変わらない。優しくて可愛い、大切な有利だ。
「いいよ、ヨザ…。俺がユーリを護るのに邪魔になるような存在なら、半端な記憶なんか抹消した方が良い。俺におかしな部分があったら、構わず指摘してくれ。修正する」
「ふぅん…。そういうトコは全然変わってないよ、あんた」
微苦笑を浮かべて見やるヨザックに対して、有利は少しご機嫌斜めだ。
「悪い意味でも、確かに変わってないね!あんた、もーちょっと自分を大事にしなよ?全部全部俺の為に人生擲っちゃうから…返って俺は凄い心配になったりするんだぜ?」
「すみません、ユーリ…でも、性分なんです」
「もう…」
ぷくっと頬を膨らませて怒る有利をもう一度撫でると、コンラートは再び外へと注意を向けた。
「グウェンもそこにいるのかい?」
「あ、ああ…」
少々及び腰になりながらも、グウェンダルが入室してきた。ギュンターがまだ来ないのは、コンラートを気に掛けて仕事にならない王と宰相の代わりに仕事に就いているのかも知れない。それでなくても大騒ぎする彼がやってくると、ややこしいというのもあるだろうが…。
「グウェンも、俺に気を使わずに言ってくれ。俺は…やはり、変なんだろう?」
「うう…そう殊勝なことを言うな。調子が狂う」
「ゴメン…グウェン」
「捨てられた小犬のような顔をするなっ!拾いたくなるだろうがっ!!」
早くも恐慌状態に入りかけているグウェンダルは涙目だ。
結構打たれ弱い。
「閣下ってば、落ち着いて下さいよ。なんだかねぇ…ちょいとこりゃあ妙な感じですよ。俺が見た感じじゃあ、こいつは記憶が混乱しているって訳じゃないですね」
「なんだと?」
ヨザックの介入に、グウェンダルは少し顔色を回復させた。
「どういうことだ?」
「さあ…詳しいことはよく分かりませんけど、普段の隊長と違うってだけで、一己の軍人としては至ってまともに見えるってコトですよ。記憶が錯綜しているにしては言ってることが理路整然とし過ぎてる。何か、隊長の中では一貫した思考の筋道があるんですよ」
「む…確かに」
「ねえ、アニシナちゃんは今どうしてるんですかい?」
「…あいつをちゃんづけで呼ぶお前の剛胆さには敬服する」
「ケーフクなんかケッコーですから」
「うむ、あいつは《興味深い現象だ》とか何とか言って、《事態を解決する為の新たな魔導装置を緊急に開発しますから、決して覗かないで下さい》と言って、内側から実験部屋を封印してしまったのだ」
うっかり見たらどんな報復行為をされるか分からないと言いたげに、グウェンダルはぶるりと震えた。
「しかし、背に腹は代えられぬ。コンラートの為には急いでアニシナを問いただした方が…」
「いえ、閣下。アニシナちゃんがそう言われるのなら、事態解決はその魔導装置次第ですよ。多分ね」
「…完成まで待たねば、意味はないと?」
「ええ。それまではせいぜい、毛色の違う隊長を楽しみましょうや。その内、何もかも元通りになりますよ。今の隊長も、護衛としては変わらぬ腕を持っていると俺が保証します。念のため俺もお側には居ますが…精神安定の為にも、隊長を護衛に戻してくれませんかね?」
「あ、ああ…それは構わん」
ヨザックの有り難い申し出に、コンラートは瞳を潤ませて感謝の意を伝えてきた。
澄んだ琥珀色の瞳にきらきらと銀の光彩が瞬いて、無駄に眩しいったらありゃしない。
「ヨザ、グウェン…ありがとう!」
「だーかーらー…そんな澄んだ目で見るなぁああ…っ!!」
グウェンダルは絶叫を上げて部屋を飛び出してしまった。
精神安定の為には、彼もギュンターと共に執務室に籠もった方が良いだろう。
黒次男side−2
コンラートは周囲の動揺をよそに、けろりとした顔をして有利の護衛に留まった。
あまりにも言動がおかしいので、グウェンダルが《護衛はグリエに…》と主張したのだが、寝台から音もなく飛び出したコンラートが抵抗の隙も与えずにグウェンダルの腰の剣を引き抜き、首筋に押し当ててから《この腕でも、ご不満ですか?》と、妖艶に微笑みながら言うと、その魅力にメロメロパンチを食らった兄が許可を出してしまったのである。
「いやはや、大した騒動になっちゃいましたね。俺はちっとも変わってないつもりなんだけどなぁ…」
「その図太い感じが、既にいつものコンラッドじゃない…」
「おや?いつもはそんなに打たれ弱かったですかね?」
魔王居室でソファに並んで座った(有無を言わさずこういう体勢になったのである)有利は、変な汗を掻きながら縮こまっていた。でも、こんな時にまで一言多いのはいつもの有利だ。
「どんな俺でも、あなたを護れるのでしたらどちらでも良いでしょうに」
「それだけがあんたの存在意義じゃないだろ?」
「俺としては、それだけで結構…というより、そういう存在でありたいんですよ」
《迷惑、ですか?》…するりと腕が回されて、至近距離で耳朶に響きの良い声が注がれる。ぞくぞくするような快感が奔って、有利は動揺を隠せない。
「そそそ…その、喋り方…ゃ、やだ…っ!」
「こういう時だからこそ、余計お側に侍(はべ)りたいんですけどね」
ぺろ…っと首筋を舐められて《ひぁっ!》と悲鳴が上がる。
「こういうコト、今までの俺ならしてなかったって言うんですか?」
「あ、当たり前だよぉおお〜っ!」
びくびくと震えながら真っ赤になった有利からは、襲わずにはいられないような色香が漂っている。
「じゃあ…確かに、今の俺はおかしくなっているのかも知れませんね。とうとう、壊れたのかな?色々無茶をしてきましたからね」
コンラートの声が低く沈む。
ス…っと眇められた眼差しが、予想外に自分が落ち込んでいることを告げていた。
「どうしたんでしょうね…。もしかすると、事故の衝撃であなたへの想いにタガが外れてしまったのかも知れない」
「ゃう…っ!」
カシ…っと耳朶を甘噛みすれば、いつものように有利の背が跳ねた。
純情で、コンラートのように薄汚れた経歴を持つ男が、決して侵してはならない聖域…そう思うからこそ、今まではこんな風にからかうだけで止めていた…つもりだったのだけど、実はその記憶自体が妄想だったのだろうか?
その時、ヒュ…っ!と飛来するナイフの刃先を正確に左手の第2・3指で受け止め、返す手首でそのまま射手に投げ返すと、背後に有利を庇って戦闘態勢に入る。
既に、右手は抜刀していた。
しかし、射手の気配を確認するとニヤリと嗤う。
「いきなり投げてくるな、ヨザ。陛下に当たったら、その臓腑生きたまま抉り出すぞ?」
「おーお…怖い怖い。だが、腕の方は鈍っちゃいないようだ」
音も立てず忍び込んできたのはやはりグリエ・ヨザックだ。こちらは、少なくとも表面上はグウェンダルやヴォルフラムのように騒ぎ立てたりはせず、じっとコンラートの様子を伺っている。野生の獣のように隙のない所作は、コンラートがよく知っているものだった。
「護衛を代わるという話なら断ったはずだぞ?至近距離でナイフを当てられないような男は必要ない」
「馬鹿言え、あれがマジな射出なもんか」
「ふふ…手加減したと?」
「ああ、万が一当たっても死なない程度にはな」
物騒な会話を交わしてくすりと嗤うコンラートに、有利は不安そうな眼差しを送ってくる。
「け…喧嘩すんなよ?グリ江ちゃんはちょっと、ふざけただけだからね?」
「分かってますよ」
こういう有利の反応も相変わらずだ。なのに…どうしてコンラートだけが《おかしい》と言われるのだろうか?
「なあ、ヨザ。俺は壊れてるか?」
「護衛としては機能してるよ」
実にヨザックらしい返答だ。何となく安堵して頷く。
「ヨザ、当分俺と共同戦線を張ってくれるか?」
「傍にいても良いのかい?折角坊ちゃんを独占できるのにさ」
何やら含むような物言いが引っかかるが、目配せをして《後でな》と伝える。ヨザックの方もくすりと笑いながら頷いた。
「物理的な攻撃から護るだけなら自信があるが、今の俺が何を無くしているのか分からない以上、陛下に不快な思いはさせたくない」
「分かったよ、隊長」
「それでよろしいですか?陛下」
「陛下って呼ぶこと以外なら了承したよ。名付け親」
「すみません、ユーリ…」
憮然とした有利の頬にちゅ…っとキスを送ったら、やはり慌てふためいて足をばたつかせていた。
* * *
翌日、眞王廟から村田がやってきた。季節の変わり目に虫干しを手伝わされていた彼は、寧ろ嬉々として血盟城にやってきた。
「へぇ…これが性格の変わっちゃったウェラー卿?見るからに怪しげだね」
「《怪しげ》なのか《妖しげ》なのかで、意味が微妙に変わりますが?」
応接室で紅茶のカップを傾けていた村田は、しれっとした返答にスゥ…っと眼差しを眇める。
「ふぅん、これは随分と打たれ強いウェラー卿もいたもんだね」
「皆さんの記憶にある俺が、今まで軍人をやってこられたことの方が不思議ですね」
昨夜、有利を寝かしつけた後にコンラートはヨザックと幾らか会話を交わしていた。彼の話によると、《ウェラー卿コンラート》という男は随分と身綺麗な経歴の持ち主であるらしい。
《誠意と真心》なんて、商人しか口にしないような(口にするだけで守ってもいないだろう)ものを後生大事に抱えて生きてきたというのだ。
それでいて、現在の眞魔国歴に至るまでコンラートの記憶にあるのとほぼ同じだけの状況を生み出しているのだから、どうも釈然としない。そんなやり方で同じ効果が得られるのなら、今までコンラートがやってきた(と、思っている)行業は何だというのか。
『俺がおかしいのか?しかし、一体何を目的として俺の脳はこんな過去を捏造しているんだ?』
人を誑し込み、場合によっては跪いて屈辱的な性行為にさえ耐えてきた記憶…こんなものを、《お綺麗》に生きてきた英雄閣下がわざわざ作り出すだろうか?
寧ろ今現在の状況の方が、《汚れた過去を認めたくなくて作り出した夢想》と考える方が無難なように思われる。
『俺は、夢想したいくらいに恥じていたのか?自分の生き方を…』
騙すことも汚れることもなく、清らかに生きていきたいと願っていたのだろうか?
置かれた立場の中で、自分の能力の限りを駆使して、自己の選択に於いて生きてきたと自負していたのに…。
『分からない…』
さしものコンラートも、流石に苛立ちを感じずにはいられなかった。
「渋谷は、どう思うの?」
ああ、双黒の大賢者は相変わらずだ。
ちっとも変わらない。
コンラートの記憶がどうあれ、最も大切にしているものは渋谷有利に他ならないことを熟知している彼は、一番弱いところを突いてくる。
誰がどう《おかしい》と嘲笑おうがそんなことはどうでも良い。コンラートにとって重要なのは、有利を護れること。そして、彼にとって重要な存在であり続けることなのだ。
逆に言えば、ひとこと有利から《こんな下品なコンラッド、いらなーい》と言われれば、その場で首を掻ききって死にたい…そう願うくらいの脆さを持っているとも言える。
有利に否定されることが、コンラートの存在意義を徹底的に砕く事由なのだ。
「…」
平静めかしてカップを傾けながら、その実…コンラートの心肝はこの事態の中で初めて凍り付いていた。有利が何というのか、ほんの一瞬の間に様々想像して、言いしれぬ恐怖を感じていた。薄い唇が微かに震えたのを、村田には見られているだろうか?
しかし、有利は少し考えてたら…笑った。
「コンラッドはコンラッドだよ。ちょっと感じは違うけど、なんか…やっぱ、時々《あー、やっぱりコンラッドだ》って思うもん」
心の中には一瞬にして鮮やかなお花畑が広がって、我ながら単純さに苦笑してしまう。
こうなればコンラートは無敵だ。双黒の大賢者だろうが伝説の巨神兵だろうが何でも来い。嘲笑しながら相手をしてやる。
「…だそうですよ、猊下」
「大賢者様に向かって鼻で嗤っちゃうようなウェラー卿のどこに、《あー、やっぱりコンラッドだ》なんて思えるのか不思議だねぇ」
「それはまあ、愛の度合いが違うんじゃないですか?」
「渋谷に愛されているとでも?」
「ええ、感じが違っても同衾させて頂けるくらいにはね」
「…っ!渋谷…こんな怪しいのと、一体ナニしてたのさっ!」
思わぬ会話の流れに有利はあわあわしながら手足をばたつかせた。
「だ、だって…コンラッドが《不安で、一人では眠れません》って言うからっ!」
「無事に眠れたのかい?」
「コンラッドに抱っこされて、ドキドキしてなかなか眠れなかったら、《眠れるクスリをあげます》って、く…口移しで…」
かぁああ…っと有利の頬が真っ赤に染まるのと対照的に、村田の顔からはザーっと血の気が引いた。
「ば…っ!こ…っ…し…っ!!」
「おやおや、吃音ですか?伝説の軍師ともあろう方が、この程度の動揺を表に出していたのでは勤まりますまい」
くすりと嗤うその態度と声に、村田はブチ切れ寸前だった。
「よぉーし…よく言った、ウェラー卿。僕を怒らせたことを生涯後悔させてやるからね?」
「お手柔らかにお願いしますよ、猊下。俺に何かあったら、陛下が哀しまれますからね」
「ほっほぉおお〜〜?」
村田は怒り心頭に達してビキビキと怒り筋を立てているが、今の状況からの挽回は難しそうだ。努めて深く息をすると、ずれてもいない眼鏡の蔓を上げて半眼の瞳を光らせる。
「では、僕も策を練るとしよう。渋谷を笑顔にさせて、なおかつ僕の胸が空くような策をね…」
「それでお願いします」
ふ…っと微笑むその一瞬だけは、コンラートの表情も《嗤う》から《笑う》に変わる。老練さゆえの濁りがふわりと消え、ただ有利への優しさだけがそこにあるのは、きっと《渋谷を笑顔に》というフレーズに惹かれたのだろう。
この男は、本当に…それが成就されるのなら、後は何がどうなっても良いのだ。
「ふぅん…」
少しだけ表情を和らげた村田は、ぽすっと有利の頭を撫でてから退席した。
「村田、お茶はもう良いの?」
「ああ、少し調べたいことがあるからね」
村田はヨザックの胸もぽんっと叩くと、大柄な男を見上げながら言付けておいた。
「君は、よく見張っておいてくれ。調子に乗ったウェラー卿に、渋谷が突っ込まれたりしないようにね」
「はーい。猊下の仰せのままに」
「何だよ村田、俺はツッコミ専門ってこと?いい加減俺を漫才要員にするのは止めてくれよ!」
相変わらずな有利の返答に、応接室には笑いが起きた。
有利以外は、《村田の言った意味》で捉えていたのである。
→次へ
|