「白黒インパクト」−1








 その日、血盟城には衝撃が走った。
 

ドゴォオオオン……っ!!


 大音響を上げて血盟城の一角が吹き飛んだ。
 一般的な王城であれば、すわ《敵襲か!?》《内乱か!?》と、物騒な事態が推測されるはずだが、実はこの爆発自体は《衝撃》とはほど遠い。

 遠いものになってしまっていること自体が《実はマズいのでは》と思わないでもないが、関係者の内、その事を深刻に考えているのは多分フォンヴォルテール卿グウェンダルだけなので、実は体制に影響は無い。(←宰相の立場がそれだけ低いのもどうかと思うが)

 尤も、この事態が深刻化されない事情の一つは、どんなことがあっても魔王陛下の御身をウェラー卿コンラートが守り抜くだろうという、暗黙の了解あってのことなのかも知れない。

 この為、今回に限っては流石の関係者も少し不安を覚えた。常になく爆発規模が大きかったし、有利は実験器具のすぐ横に立っていたのである。

「ユーリ!」
「ユーリぃい…っ!!」
「陛下!ご無事ですかっ!?」

 爆風に吹き飛ばされた後、体勢を整えた人々…グウェンダル、ヴォルフラム、アニシナが真っ先に気に掛けたのはやはり有利だった。決して反射神経が悪いわけではないのだが、やはり軍務経験がなく、妙なところですっ転ぶ癖のある少年が一番心配だったのだ。

「ん…」

 怪しい赤紫色をした煙が換気されて室内の視界が蘇ってくると、取りあえず有利が無事であることだけは分かって人々は安堵の息を漏らした。
 ただ…グウェンダルとヴォルフラムについては、すぐにギクリと身を震わせた。

 この中で最も心配されていなかった…決して愛情を受けていないからではなく、最も身体能力に優れたウェラー卿コンラートが、有利を全身で庇ったままぐったりと脱力していたからだ。
 見ればダークブラウンの頭部から首筋に掛けて、たらりと鮮血が滴っていくではないか…!

「コ…ン、ラッ…ド…?」

 自分へと垂れてくる血がコンラートのものだと気付いた有利は、蒼白になって名を呼んだ。

「嘘…コンラッド、どうして…や、ヤダな…目、覚ましてよ…っ!」
「ユーリ、動かしてはいかんっ!コンラートは頭を打っている…っ!医療班を呼ぶまで、そのままの体勢を維持していろっ!」
「うん…うん…っ!」

 グウェンダルに指示された有利はわなわなと震えながら、血に染まっていく大切な人を抱きしめていた。

 決して失えない、唯一人の想い人を…。




白次男side−1
 



 ウェラー卿コンラートは《腹黒い男》として知られている。
 その事実は、彼を大切に想う魔王陛下であっても流石に否定できないところであった。

 だが、渋谷有利としては《でも、それはしょうがないことなんだ》と強く主張したいところである。
 何しろ混血でありながら魔王ツェツィーリエの息子であるという立場は、侮蔑と嫉妬という二律背反した感情を否応なしに吹き付けられる立場にあり、そんな中でコンラートが自分を保つ為には、心を殺して生きていくしかなかったのだ。

 二枚舌を使い、利用できる敵を互いに食い合わせて、その屍の上を生きていく。
 時には身体さえも用いて、男も女も思うように操る。簡単には身体を開いたりはしないが、開くとなれば思い切り高く売りつける…。
 そうやって、コンラートはしたたかに生きてきた。

 そんな彼だからこそ、一度は有利に敵対して大シマロンに渡っている間も、巧みに宮廷内で人々を操り、《禁忌の箱》を円滑に手に入れられるようにしてくれた。更には、軍部内の軋轢を利用して弱体化を推し進める一方で、地下活動を続けていた抵抗勢力に様々な情報を流していったのだ。

 有利の手で《禁忌の箱》が全て昇華された後、迅速に眞魔国同盟が広がったのは、決して表に出すことの出来ないコンラートの尽力あってのことだと、有利は知っていた。
 
『どうやって、報いたら良いんだろう?』

 一度は敵に回ったと思っていたときにも決して憎むことの出来なかった男が、たくさんの人々を利用しても、唯一人有利にだけは誠心を貫いてくれた。その事を知ったとき、有利は深く彼を愛しているのだと悟ったのだ。

 けれど…経験豊富で恋に関しても手練れであるコンラートに、こんな貧相な少年が《好きだ!》なんて言っても笑われるような気がしていた。

『どうしてもっと早く…勇気を出さなかったんだろう?』

 くすん…と鼻を鳴らしてゴシゴシと目元を袖口で拭う。いつもは《目に疵が入りますよ》とハンカチや濡れタオルを押しつけてくれたり、悪戯っぽく押しつけられた舌が今は与えられない。それが、とてもとても切なかった。

 血の気を失って横たわるコンラートを見つめながら、有利はぽろぽろと涙を流し続けていた。このままコンラートの意識が戻らなかったら、絶対に後悔する。いや、そもそも告白していたとしても、コンラートが自分に微笑みかけてくれないなんて耐えられないけれど。

『ユーリ…そんなに可愛い顔をして泣いていると、食べてしまいますよ?』

 冗談めかして有利をからかうコンラートは、よく悪戯でキスをした。時には、舌が痺れるほど絡め合うような大人のキスをして、わたふたと慌てふためく有利を愉しんでいたのだった。

『ユーリの反応は可愛いなあ…ホント』

 怒ったふりをしていたけれど、本当は嬉しかったのだ。魔王としてだけではなく、個人としての有利にも興味があるように振る舞ってくれたのは。

「ん…ぅ」

 ぴくん…っとコンラートの眉が震えて、淡く声が漏れる。
 響きの良い美声は呻きさえもどこか色っぽくてドキドキしてしまうが、今はそんなことを気に掛けている場合ではない。

「コンラッド…気が付いたの!?」
「あ…陛、下…ご無事でしたか」
「うん…うん。コンラッドが護ってくれたおかげで、傷一つ無いよ?」
「そうですか、良かった…」

 ふわ…っとコンラートが微笑むと、まるで白い花房が揺れるような…清らかな蕾が華開くような雰囲気が辺りを包む。琥珀色の澄んだ瞳には有利を思いやる慈愛が満ちあふれ、きらきらと煌めく銀の光彩は星のように瞬いた。

 キラキラキラキラ〜…。

 これが漫画なら、多分背後にはこんな擬音が描き込まれることだろう。

『あれ…っ!?』

 なんだろう。えらく違和感があるのは。
 疑問を追求するよりも先に、コンラートの覚醒に気付いた老衛生兵や、グウェンダル達が駆け寄ってきた。

「吐き気などはありませんか?」
「頭が痛いけど…吐き気はないね。目眩や視覚障害も、今のところはないよ」

 衛生兵の質問に的確に答えていくコンラートは、取りあえず声の調子にも張りがあった。ただ…まだ寝起きなせいだろうか?いつもの毒気というか、冗談めかしたからかいがない。
 いつもなら軽く《いつでも閨で励めますよ》なんて、下ネタの一つもかましてくるのに。

「良かった、まずはご無事の生還、おめでとうございます」
「心配掛けてすまない」

 ほっと安堵した衛生兵にコンラートが詫びると、多少の違和感を感じつつも、兄弟達が好き勝手なことを言い出した。

「全く、お前らしくもないぞ?いつもは超常的なまでの力でユーリを救った上に、ケロッとして何事もなかったように振る舞うくせに」
「全くだ!余計な心配を掛けさせてっ!!」

 きっと、コンラートの身を心配しすぎたことが恥ずかしくて、照れ隠しの意味もあって荒っぽい口調になるのだろう。
 いつものコンラートなら軽く笑って嫌みの一つも返すのに、どうしたものか…瞼を伏せ気味にすると、申し訳なさそうに自嘲の笑みを浮かべた。

「すまない、グウェン、ヴォルフ…俺の力が至らないばかりに、無用な心配を掛けてしまったね?」
「………はぁ?」

 二人は一様に、ぎょっとしてコンラートをまじまじと見つめる。

「今度から、気を付けるよ」

 ふわ…っとはにかむように微笑むコンラートに、耐えきれなくなったヴォルフラムが全身の毛を逆立てて絶叫した。


「イ゛ヤ゛ーーッッ!!」



 ぎゃあぎゃあ叫びながらその辺を転げ回るヴォルフラムに、コンラートは素の顔で吃驚している。
 ヴォルフラムの白皙の肌には至る所にブツブツが浮いているから、あまりの違和感にアレルギー反応を示したのだろう。
 
「お、おい…ヴォルフ、どうしたんだい?虫にでも刺されたのかな…」

 顔色を変えておろおろと弟を気に掛けるコンラートなど初めて目にした人々は、あんぐりと口を開けて見入っている。

「グウェン、見て遣ってくれないかな?」

 つぶらな瞳で縋るように見つめてくるコンラートに、グウェンダルは口元を覆って悶絶した。こちらは違和感よりも、ピュアホワイツなコンラートが意外とツボであったらしい。
頬を赤黒く染めて蹲ってしまう。

「グウェン…!?どうしたんだい?ベイカー衛生兵、ヴォルフとグウェンの容態も見て遣ってくれ!」
「はあ…」

 キーキー叫びながら転げ回ったり、無言で蹲っている高貴な病人達に、ベイカー衛生兵は皺深い顔をひくひくと引きつらせていた。戦歴の長い彼はコンラートのこともよく知っているからやはり違和感はあるのだろうが、そこは医学に携わる者として、冷静な判断を求められているのだろう。

「つかぬ事を伺いますが、コンラート閣下…これは何に見えますか?」

 ベイカー衛生兵は突拍子もなく(彼としては根拠があるのだろうが)、人差し指と中指の間に親指を食い込ませるようにして突出させた。横で見ていた有利も意味が分からずにきょとんとしているが、揃って同じようにコンラートも小首を傾げた。

「第2・3指の中節骨の間に、母指の末節骨が掌側から背側に掛けて突出していく…何かの検査法かい?」

 コンラートが真面目な顔をして同じ動作をすると、有利も倣ってやってみた。
 ベイカー衛生兵は途端にどっと毛穴から汗を噴きだして、血相を変えてしまった。

「これは…記憶障害ですなっ!」
「え?俺は何か記憶を失っているのかい?しかし…今の検査法は君や陛下と同じように出来たと思ったんだが…」
「違いますよっ!これは位置覚の検査法などではありません!普段の閣下でしたら、くすくす笑いながら《ベイカー、この俺を誘っているのかい?》等と仰られて、婉然と微笑まれるはずでありますっ!!」
「はあっ!?」

 今度はコンラートが突頓狂な声を上げる番だ。
 顔色を変えて老衛生兵の皺くれた額に手を当てると、まじまじと目を見つめながら心配そうに問いかけた。

「熱はないようだけど…君こそ大丈夫か?仕事のしすぎじゃないのか?」

 至近距離で魅惑的な双弁を見つめることになった老兵は、《ボン…っ!》と全身の血を頭部に集めたかと思うと、《ふしゅうぅ〜…》と呟きながらその場に頽れてしまった。拙い…脳血管でも切れたのだろうか?

「ベイカーっ!!一体どうしたんだっ!?」

 《どうかしてんのはあんただ…》その場にいた全員がそう思った。  




黒次男side−1




 ウェラー卿コンラートは《高潔な男》として知られている。
 その事実は、彼を大切に想う魔王陛下が声を大にして主張したいところであった。

 だが、渋谷有利としては《でも、どうしてあんなに大変な想いをしたのに、真っ直ぐに生きていられるんだろうね?》と言いたくもある。
 何しろ混血でありながら魔王ツェツィーリエの息子であるという立場は、侮蔑と嫉妬という二律背反した感情を否応なしに吹き付けられる立場にあり、そんな中でコンラートが自分を保つ為には、相当な苦労があったはずなのだ。しかし、彼からそんな鬱屈を感じられる者は殆どいなかった。

 爽やかな弁舌を用い、如何なる敵も誠実に説得して、その友愛の中で生きていく。
 中には身体を求める者もいるが、決して心の通じていない者には身を開かず、断固として高潔な精神を貫く。
 そうやって、コンラートは潔く生きてきた。

 そんな彼だからこそ、一度は有利に敵対して大シマロンに渡っている間も、宮廷内で堅実に人間関係を育み、《禁忌の箱》を円滑に手に入れられるようにしてくれた。更には、軍部内の軋轢を利用して眞魔国に味方する勢力を作り出す一方で、そのような組織と地下活動を続けていた抵抗勢力の橋渡しをしてきた。

 有利の手で《禁忌の箱》が全て昇華された後、迅速に眞魔国同盟が広がったのは、コンラートの地道な努力あってのことだと、有利は知っていた。
 
『どうやって、報いたら良いんだろう?』

 一度は敵に回ったと思っていたときにも決して憎むことの出来なかった男が、たくさんの人々に友好を広げて有利に尽くしてくれた。その事を知ったとき、有利は深く彼を愛しているのだと悟ったのだ。

 けれど…戦歴輝く凛々しき英雄閣下であるコンラートに、こんな貧相な少年が《好きだ!》なんて言っても、困らせてしまうのではないかと思っていた。

『どうしてもっと早く…勇気を出さなかったんだろう?』

 くすん…と鼻を鳴らしてゴシゴシと目元を袖口で拭う。いつもは《目に疵が入りますよ》とハンカチや濡れタオルや、心配そうな優しい眼差しが今は与えられない。それが、とてもとても切なかった。

 血の気を失って横たわるコンラートを見つめながら、有利はぽろぽろと涙を流し続けていた。このままコンラートの意識が戻らなかったら、絶対に後悔する。いや、そもそも告白していたとしても、コンラートが自分に微笑みかけてくれないなんて耐えられないけれど。

『ユーリ…そんなに可愛い顔をして泣いていると、抱きしめてしまいますよ?』

 冗談めかして有利をからかうコンラートは、よく微笑みながら聖母のように抱きしめてくれた。時には子守歌を謳ったりして、有利を穏やかな眠りの中に誘ってくれたものだ。目が覚めると何だか急に恥ずかしくなって、《赤ちゃんみたいに扱うなよ》と拗ねたりしたのだけど、コンラートは何時だって楽しそうに笑っていた。

『ユーリがとても健やかに眠ってくれるからですよ』

 怒ったふりをしていたけれど、本当は嬉しかったのだ。魔王としてだけではなく、特別大事な愛し子として扱われるのは。

「ん…ぁ…」

 ぴくん…っとコンラートの眉が震えて、淡く声が漏れる。
 響きの良い美声は呻きさえもどこか色っぽくてドキドキしてしまうが、今はそんなことを気に掛けている場合ではない。

「コンラッド…気が付いたの!?」
「あぁ…陛下…ご無事でしたか」
「うん…うん。コンラッドが護ってくれたおかげで、傷一つ無いよ?」
「それは良かった…」

 ふ…っとコンラートが微笑むと、まるで妖しく濡れた薔薇の花弁が開くような…秘められた蜜が滴り落ちるような雰囲気が辺りを包む。琥珀色の潤んだ瞳には有利を思いやる熱が満ちあふれ、きら…っと煌めく銀の光彩は流れ星のように閃いた。

 タラッタラッタ、タッタンタ〜ン…。
 タラッタラッタ、タッタンタ〜ン…。
 ポワ〜ン…。

 これがド○フなら、多分背後にはこんなBGMが流れるだろう。
 リバイバルで流れていたカ○ちゃんの生足がぼんやりと浮かんでしまう。

『あれ…っ!?』

 なんだろう。えらく違和感があるのは。
 疑問を追求するよりも先に、コンラートの覚醒に気付いた老衛生兵や、グウェンダル達が駆け寄ってきた。

「吐き気などはありませんか?」
「ああ、無い無い。火酒をヨザと競い飲みした翌朝の方が、もっと痛かったね」

 衛生兵の質問にふざけて答えるコンラートは、取りあえず元気そうだ。
 ただ…まだ寝起きなせいだろうか?いつもの誠実さというか、謝意が感じられない。
 いつもなら感謝に満ちた眼差しで《心配掛けてすまないね》なんて、煌めくような微笑みで伝えるのに。

「良かった、まずはご無事の生還、おめでとうございます」
「どうもありがとう。まあ…あの程度でくたばっていたんじゃあ、陛下の護衛は務まらないからね」

 ほっと安堵した衛生兵にコンラートがニヤリと嗤うと、多少の違和感を感じつつも、兄弟達が好き勝手なことを言い出した。

「大丈夫なのか?コンラート。様子もおかしいし…護衛の任にはグリエを配置するから、お前は完治するまで休んでいるんだぞ?」
「全くだ!幾らユーリを護る為とは言え、すぐに身体を張るのは悪い癖だぞ!!」

 きっと、コンラートの身を心配しすぎたことが恥ずかしくて、照れ隠しの意味もあって荒っぽい口調になるのだろう。でも、言っている内容は至極コンラートを気遣ったものだ。
 いつものコンラートならにっこりと微笑んで感謝の気持ちを伝えるのに、どうしたものか…形良い眉根を顰めると、怪訝そうに問いかけたのだった。

「グウェン、ヴォルフ…何か悪い物でも食べたのかい?」
「………はぁ?」

 二人は一様に、ぎょっとしてコンラートをまじまじと見つめる。

「いや…あんまり二人が優しすぎるんで、ちょっと愛を感じちゃうな…」

 くす…っと蠱惑的に微笑むコンラートはまるで小悪魔のようで、耐えきれなくなったヴォルフラムが全身の毛を逆立てて絶叫した。


「イ゛ヤ゛ーーッッ!!」



 ぎゃあぎゃあその辺を転げ回るヴォルフラムに、コンラートは《騒々しいな》と言いたげな呆れ顔をしている。
 ヴォルフラムの白皙の肌には至る所にブツブツが浮いているから、あまりの違和感にアレルギー反応を示したのだろう。
 
「お、おい…ヴォルフ、どうしたんだ?変なクスリでもやったのか?」

 可愛がっている弟が転げているのを、ケラケラと笑って見ているコンラートなど初めて目にした人々は、あんぐりと口を開けて見入っている。

「グウェン、見て遣ってくれないかな?媚薬か何かだったら俺が適当に抜いてあげても良いけど、後で怒られそうだ」

 楽しげな瞳で悪戯っぽく見つめてくるコンラートに、グウェンダルは口元を覆って悶絶した。こちらは違和感よりも、妖艶なコンラートが意外とツボであったらしい。
 頬を赤黒く染めて蹲ってしまう。

「ありゃ、グウェンまでどうしたんだい?ベイカー衛生兵、俺よりヴォルフとグウェンの方が重体だ。見て遣ってくれ」
「はあ…」

 キーキー叫びながら転げ回ったり、無言で蹲っている高貴な病人達に、ベイカー衛生兵は皺深い顔をひくひくと引きつらせていた。戦歴の長い彼はコンラートのこともよく知っているからやはり違和感はあるのだろうが、そこは医学に携わる者として、冷静な判断を求められているのだろう。

「つかぬ事を伺いますが、コンラート閣下…これは何に見えますか?」

 ベイカー衛生兵は突拍子もなく(彼としては根拠があるのだろうが)、人差し指と中指の間に親指を食い込ませるようにして突出させた。横で見ていた有利は意味が分からずにきょとんとしているが、コンラートはクス…っと吹き出すと、婉然としてベイカーを見やった。

「こんな場所で俺を誘う気か?陛下には刺激が強すぎるな…というか、君…まだシモの方は退役していないのか?」

 ベイカー衛生兵は途端にどっと毛穴から汗を噴きだして、血相を変えてしまった。

「これは…記憶障害ですなっ!」
「はあ?今度は何を言い出すのか…俺にそんな疑いを掛けて、監禁プレイでもする気かい?」
「違いますよっ!普段の閣下でしたら、意味が分からず大真面目に天然ボケぶりを発揮するはずです!」
「はあっ!?」

 今度はコンラートが突頓狂な声を上げる番だ。
 顔色を変えて老衛生兵の皺くれた額に手を当てると、まじまじと目を見つめながら心配そうに問いかけた。

「熱はないようだけど…君、大丈夫か?性病が脳にイッたか?」

 至近距離で魅惑的な双弁を見つめることになった老兵は、《ボン…っ!》と全身の血を頭部に集めたかと思うと、《ふしゅうぅ〜…》と呟きながらその場に頽れてしまった。拙い…脳血管でも切れたのだろうか?

「ベイカーっ!!一体どうしたんだっ!?」

 《どうかしてんのはあんただ…》その場にいた全員がそう思った。  




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