「仕事のお時間」@

 

 

 ふぅ…

  はぁ……

 

 繰り返される溜息が桜色の愛らしい唇から漏れ出ると、その度にグウェンダルはぴくりとこめかみを震わせ、ギュンターは気ずかわしげに眉根を寄せ、コンラートは睫の影を深いものにした。

  重厚な内装とそれに見合うだけの壮麗な家具の中…ちんまりと革張りの椅子に座った魔王陛下は、ここのところすっかり元気を失っている。

「グウェン、少し休憩にしないかい?」

 コンラートがそう促すがグウェンダルの返答は早かった。

「駄目だ。先程も休憩を取ったばかりだろうが」

 そうは言うものの…そのあと生じた沈黙の中、梢の鳥が何処か哀しげな声を上げるのを聞く間に、眉間の皺は一層深いものになってしまう。

 強く言ってはみたものの、内心ではグウェンダルも現状を維持していくことに懸念を感じてはいるのだ。

 卓上に積み上げられていた書類は一時期に比べればその量を減らし、暫くは急ぎの懸案事項もない。

 しかも…ここ数週間、気落ちした有利を見続ける苦痛はグウェンとて同様だったのである。

 スヴェレラでの魔笛騒動が収束したあと、グウェンダルもまた有利が地球に帰されるものと思っていた。以前は《魔王就任を決める》、《魔剣を手に入れる》といった一つの事件を解決するたびに、有利自身の希望とは関係なく強制的に送還されていたからだ。

 けれど今回は有利自身が幾ら懇願し、眞王に祈っても、二つの世界が繋がることはなかった。

 そのおかげで仕事は滞りなく進み、グウェンダルにとっては有り難いと言えば有り難い事態となっているのだが、消化されていく仕事量と反比例するように有利の元気は失われていったのである。

 その様子はまるで、大空を生き生きと飛んでいた鳥が籠に捕らえられ、哀しみのあまり病んでいくかのようだった。

  しかし、だからといってやたらと休憩や息抜きを入れてもこの状況が好転されるとは思えない。一次的に息を吹き返しはするだろうが、仕事自体に《遣り甲斐》を感じられない限り、能率が上がるわけはないのだから。

「こいつは…魔王なのだぞ?やって当然のことをしているだけだ」

 厳しいグウェンダルの声音に、ひくぅ…と有利の喉が鳴る。

 だが、その唇からはいつものような文句は出来なかった。

「ん…そーだよな。魔王業…自分からやるって言ったんだもんな。俺…頑張るから。大丈夫だよ、コンラッド…」

 殊勝に微笑む有利に、コンラートやギュンターの目元はほんのりと潤んでしまう。

 有利も実は、昨日までは《疲れた》《もう休みたい》と愚痴をこぼし続けていた。だが、昨日その愚痴に付き合いきれなくなったグウェンダルにこっぴどく叱られたのである。

『面倒だろうが何だろうが、これがお前の仕事だ。お前はこの地位を強制されたわけではあるまい!?』

 その言葉はぐうの音も出ない程の正論であり、反論の余地など一片たりとも無かった。

 新たな書類をぺらりと捲ると、文字列の意味を探ろうと辿々しく指が沿わされる。

 とても効率がよいとは言えないが、それでも自分の力で読むことが出来るようになった眞魔国文字を、なんとか読み取ろうと努力はしている。

 グウェンダルとしては喜び奨励すべき姿の筈なのだが、彼の愁眉が解かれることはなかった。

 やはりその姿は《やらされ仕事》であると感じられるからだ。

「……」

コンラートは何かを思案するように沈黙していたのだが、す…と右手を挙げるとある《提案》を行った。

「…グウェン、ギュンター、相談があるんだが、いいかな?」

 

 

*  *  *

    

 

 

 険しい岩壁と、針葉樹を中心とした丈の高い木々に囲まれた街道を、騎馬姿の旅人がゆったりと進んでいく。幾らか距離を置いて警備に控える兵達は麗しいその姿に、つい任務を忘れて見惚れてしまうのだった。

 均整のとれた長身をすらりと馬上に伸ばしているのは、この地方の領主であるウェラー卿コンラート。そして、栗毛馬の上で少し危なっかしい馬術を見せているのは、頭髪と瞳をお忍び仕様の茶褐色に変え、仕立てはよいが簡素なデザインの衣服に身を包んだ有利であった。

 有利はお忍びということもあり、黒馬のアオではなく、気性が穏やかとはいえ気心の知れない栗毛馬に騎乗している。そのせいか、その馬術はいつも以上に不安定だ。

 だが、浮き立つ主の心を感じているのか、栗毛の馬は時折嬉しそうに蹄を鳴らしている。

「…なあなあ、本当に良いの?」

「ええ、グウェンも《そうしろ》と言ってくれたでしょう?」

 有利はコンラートに頷いて貰うと、ぱぁ…っと瞳を輝かせて微笑んだ。

 その様子にコンラートも満足げな笑みを浮かべた。

『よかった…良い刺激になりそうだ』

 有利は今日から10日の間、一般庶民の出入りする店で就業体験実習を行うことになっている。

 何故かというと、コンラートがグウェンダル達を次のような趣旨で説得したためだ。

『ユーリは今まで、眞魔国の一般庶民がどのような生活をしているのか密接に観察したことがないんだ。息抜きのためのお忍びで訪れたことはあっても、それはあくまでお客様待遇だろう?一度、眞魔国の市井のなかで《暮らして》みるのも刺激になって良いと思うんだ。勿論、警護に関しては俺が指揮をして厳重なものにする。だから、認めてくれないかな?』

 その言葉に、グウェンダルは意外なほどすんなりと許諾を与えたのだった。

 彼なりに、頭ごなしの強制よりも自発的な意欲づけを誘発することの方が重要であると考えるようになったのだろう。

 そしてコンラートの立てた計画案に幾ばくかの修正を加えてグウェンダルが同意した後(本来、魔王陛下に対して臣下であるグウェンダルが《許可》を与えるなど奇妙なことではあるので、公式な記録には残らないのだが)、有利が就業体験に赴いたのはウェラー家の領土…眞魔国の北端に位置する山岳地帯であった。

 草原を主体とする土地柄と、冬季の長い気候はあまり穀物作りに適しているとは言い難いが、それでも数十年掛けて開拓された土地には素朴な地域性が育まれており、住民は穏やかで親切な者が多い。彼らは半農半猟の暮らしを営んでおり、山羊乳を加工した乳製品の出来の良さでは眞魔国に並ぶものなしとの定評がある。

 また、持久力と体格に優れた名馬を生み出すことでも、近年高い評判を得るようになっている。

 更に言うと、領主が混血であり、尚かつ国の英雄と呼ばれるコンラートであるためか、他家の領土よりも遙かに家柄による差別がみられないのも特徴的だ。

 

 カッ…

 カッカッ……

 

 蹄を鳴らして二頭の馬が断崖に近づくと、澄んだ青空の下に目の醒めるような碧を見せる草原が広がっていた。

 高台にある領主の館は壮麗なものではないが、広く堅牢な作りと漆喰の壁や格子模様の黒木組が印象的だ。よく似た建築様式の小振りな家々が周囲を取り巻き、少し離れた場所には市も開かれているようだ。

 質素ながら活気のある暮らしが、遠目にも伝わってくる。

「凄い…良い眺めだねぇ……っ!」

「ユーリにそう言って貰えると嬉しいな」

 心底嬉しそうに…はにかむような微笑みを浮かべるコンラートは、崖の下に広がる領土を懐かしむように眺めた。

 有利が眞魔国に来てからというものの、基本的に領土の管理は他の者に任せているのだが、それまでは富んでいるとは言えないこの領地の開拓に深慮を注いでいた。

 少しでも、この土地を富ませたかった。

 そうすることで領民の暮らしぶりを向上させるのは勿論のこと、財政力・食糧産出力を向上させておくことは、いざというとき有利の治世を支えることにもなる。

『全ては…あなたのために』

 眩しいものを見るように目を眇め、コンラートは主の横顔を見詰めた。

 まろやかなラインを描く頬、ちんまりと形良い鼻、ふっくらとした唇…コンラートによく似た茶褐色の髪はさらさらと風に靡き、つぶらな瞳を掠めていく。

 幼い…だが、未来に多くの可能性を秘めている、我が主。

『あなたは、これからどんどん成長していくんだ』

 ここ暫く有利の元気が出なかったのは、ひとつにはホームシックもあるだろう。だが、それと同時に彼を倦(う)ませていたのは、彼のおさめるべき《眞魔国》というものが具体的にイメージできない為ではないかとコンラートは考えたのだった。

 有利はこれまで眞魔国に長くいたためしがない。今回は例外的に眞魔国に長逗留することにはなったものの、今度は血盟城の中に半ば軟禁されるようにして仕事漬けになってしまった。

 これでは国民の暮らしぶりなどとても分かるものではないだろう。

『あなたはその目で見て、その肌で感じられることから大きな真理を導き出す。きっと…この体験でも何かを獲てくれるはずだ』

 至尊の冠がその細頚を折ることがないように、誰かに言われたのではなく…自分自身の意欲によってこの国を導いて欲しい…コンラートの願いは、名付け親として可能な限り有利の成長を促すことであった。

「なんかさ、今回…すっごい楽しみなんだ」

「そうでしょ?ユーリは机に張り付いているよりも、実際に身体を動かして物事を理解していく方が合いますからね」

「うん、それもあるけどさ…俺、あんたが暮らしてるところって見てみたかったんだ!」

「俺が…ですか?」

 有利はきらきらと瞳を輝かせて、ウェラー家の領土に視線を踊らせた。

「血盟城でも時間があるときに聞いて回ったりしたんだけどさ、あんた、あそこではあんまり暮らしてなかったんだろ?あんたのこと知ってる人達も、《このように聞いております》みたいなうわさ話ばっかりでさ、直接ちいさい頃のこととか知ってる人あんまり居ないんだもん。ツェリ様のパーティーに出たときのこととかは知ってたみたいだけど…」

 有利の眼差しが微かに眇められる。

『血盟城…か』

 確かにユーリが来るまでのコンラートにとって、血盟城は馴染みのない場所であった。

 ツェツィーリエの催す宴に参加するため、血盟城に呼ばれたことは幾度かあった。だが、それは幼いコンラートにとってはどちらかというと苦痛を感じる席であった。

 ツェツィーリエに抱きしめて貰えるのは嬉しいが、当時混血であるコンラートへの風当たりは強く、庇護者であるはずの母は…愛情はあるのだがすぐに興味の対象が他に移ってしまう人だった。人間である父に至っては放浪癖がある上、その様な席がどうにも苦手な達であるためそもそも参加をしていない。

 そうなると…ぽつんと取り残されたコンラートが己の矜持と母の体面を両立させるためには、如何にして立ち回るかという手管を自ら編み出さねばならなかった。

 混血だからと馬鹿にすることは赦さない。だが、むきになって行動すれば、その評判は母の権威に疵を付けることになってしまう…。

『幼い頃は、流石に上手く立ち回ることも出来なかったな…』

 決して涙など見せはしなかったけれど、敏感な子どもの心は幾度も傷つけられては血を流していた。

「あんたが伸び伸びと暮らしてた事を知ってるのは、こっちの人かなって思うんだ。だから、他の領地に行くよりもなんだか親しみが沸いて来ちゃうんだよね。みんなみんな…あんたの親戚みたいに感じちゃうんだ」

 ウェラー家の領土とは言っても、その領民にコンラートの家系の者はいない。

 父が死んだ今となっては、コンラートにとって親族と言えるものは母と兄弟だけである。

 だが有利にその様に表現されると、元から親しみのあった領民達がいっそう近しく感じられるから不思議なものだ。

 コンラートは、これから始まる十日間の日々が楽しいものになることを予感した。

 

*  *  *

 

 カラン…

 銅製の鐘が素朴な音を立てて来客を告げると、ふっくらとした頬と、大ぶりで赤い鼻を持つ主人は人の良い笑顔を浮かべた。

 おやつどきを少し過ぎた時間帯は夕飯時にはまだまだ早く、せっかちな客に《店は開いていないよ》と言うつもりだったのだが、扉を開けた男が懐かしい顔だったものだから、ついつい笑顔になってしまうのだ。

「ほうほうほう!」

 この地域ではちょっとばかし名の知れた家庭料理屋、《フォルクラント》の主人はでっぷりと肥えた身体を軽妙に揺らし、その体格にしては意外なほどリズミカルな動きで戸口に向かうと、コンラートの肩を抱いて来訪を歓迎した。 

「これはこれは領主様!久し振りのお帰りですな!」

「領主様はやめてくれよ、バーグナー」

 苦笑しながらコンラートが手を振れば、こちらもくすくすと笑って頷いてみせる。

「これは失礼、ウェラーの旦那。いやぁ…それにしてもあの坊やが大きくなったもんだ…お父上に連れられてうちに来られるたび、でっかいボンボアンを口一杯頬張ってたもんだがねぇ」

「ボンボアンか、懐かしいな!」

 ボンボアンというのはハンバーグによく似た料理で、大ぶりな挽肉の塊に根野菜を添え、じっくりと煮込んだものである。

 寒い時期には特に注文が多く、《フォルクラント》のボンボアンは宵の口にはなくなってしまうから、確実に食べるためには予約が必要だと地域住民も認識している。

「食べて行かれますか?お連れさんも一緒に」

 バーグナーはコンラートに寄り添うちいさな子どもを見やると、糸のように細かった眼裂から、はっきりと虹彩が覗くほどに瞼を開大させた。

 それは、彼がこれまでの生涯で目にした少年…いや、ありとあらゆる《うつくしいもの》のなかでも、驚くほどに際だって可愛らしい容姿をしていたのである。

 それに、吃驚するほど綺麗な姿の中で、瞳はとても澄んで純朴そうなのがなんとも素敵だ。

「いやいや…なんとまあ可愛らしい子ですなぁ!」

「こ…こんにちは、俺…コンラッドにお世話になってます、ミツエモンっていいます。この度は、是非バーグナーさんのお店を手伝わせて貰いたくてやってきました!」

「おやおや…給仕希望かい?しかしなぁ…この店はわしの裁量で隅から隅まで切り回してるんだ。いままで、どんな忙しくったってわし一人でやってきたものを…」

 有利の愛らしさには感嘆したものの、頑固者のバーグナーは雇い人を受け入れることには頑なであった。

「そう言わないでくれよバーグナー。この子は可哀想な子でね、もともとは良いうちの子だったんだが、ご両親を病気でなくした上に、治療費で殆どの財産を放出してしまって…天涯孤独の身で路頭に迷っていたんだよ。俺の口利きで城下町の店に勤めることになってるんだが、何しろ今まで坊ちゃん暮らしだったものだから客商売の阿吽がよく分かっていないんだ。正式に働き始める前に、十日ほどこの店で訓練させて貰えないかな?」

『すげぇ身の上…』

 あまりにもできすぎた内容に、有利の方がむず痒い思いをするが、バーグナーの方はすっかり目尻を潤ませて真に受けてしまったらしい。余程人が良いのだろう。

「そういうことなら…分かりましたウェラーの旦那!このバーグナー・ドンク、300年の料理屋生涯にかけてこの坊やを一人前の給仕に仕立てて見せます!おう、坊や!わしの指導は厳しいぞ?その代わり、頑張ってついてこれれば王都のどんな料理屋だって難癖つけられねぇ技量になるからな!」

「はいっ!バーグナーさん、よろしくお願いします!」

 びしぃっと背筋を伸ばして有利が姿勢を正すと、バーグナーはどーんと大きな掌で背中を叩き、うんうんと機嫌良さそうに頷いて見せた。

「腹から声が出てるな。いーい声だ!俺は大きな声で挨拶できる子は大好きだ。お前さん、良い給仕になれるぞ!」

「ありがとうございます!」

 体育会系のノリならどんとこいの有利のこと、やはり元気よく溌剌とした挨拶をするものだから、バーグナーはますます嬉しそうに肩を揺らすのだった。

「バーグナー、頼まれついでにもうひとつお願いして良いかな?」

「へぇ?なんです?」

「ミツエモンと一緒に、俺も十日間ほど雇って欲しいんだ」

「へぇ?」

 バーグナーは頓狂な声を上げると、たっぷりとした頬肉をふるりと震わせて目を見開いた。

「そ…そんなことできやしませんて!御領主が家庭料理屋で給仕なんて勤めてちゃあ、ここいらの連中はひっくり返っちまいますよ!」

「じゃあ、バレなければいいだろう?目元を隠して、髪の色も変えるから頼むよ。そのつもりでここまでフードを被ってきたんだから」

 それほど寒い季節でもないのにフードを目深に被り、店にはいると同時に脱いでいたので少し奇妙に思ったのだが…なるほどそう言うことだったのか。

 バーグナーは腕組みをして考えた。

『ふぅむ…こいつぁ困ったぞ?』

 幾ら繁盛している店とは言っても、二人も給仕を雇うほどではない。しかも、領主であるコンラートを給仕としてこき使ったなどと知られては、バーグナーの店は商売あがったりである。

 そもそも、なんだってコンラートは十日などという短い期間を区切って、この少年と自分とを、給仕としてねじ込もうとしているのだろうか?

「コンラッド…バーグナーさん、困ってるみたいだぜ?やっぱ、こんな短期間限定で仕事させてくれなんて、迷惑なんじゃないかな?」

「まあまあ、ユーリ。バーグナーなら何とかしてくれますよ」

 ひそひそと囁き交わす言葉に、《おや…》とバーグナーの眉が上がった。

『おやぁ…?ウェラーの旦那、随分と坊やに丁寧な口を利くもんだな。それに、坊やも俺には礼儀正しいが、旦那にはやけに砕けた様子だ』

 それに、コンラートの少年を見詰める眼差しのなんと優しげな事だろう!あまり物事に執着を見せないタイプだと思っていたのだが、少年のことだけはまるで春の日だまりのような温(ぬく)みを見せるではないか。

『もしかして…もしかすると……』

 その瞬間…カタカタカタカタ!と勢いよくバーグナーの脳内計算機が回転し、1秒の後に出た答えは……

『この坊や、ウェラーの旦那の恋人なのでは!?』

 ぱぁぁ…っとバーグナーの瞳が輝き、この驚くべき気づきに有頂天になってしまった。

 ナイス、眞魔国的勘違い。

『そうか…そうか、旦那がねぇ!昔は遊び人で知られてたが、ここんとこ随分と大人しくなさってると思ったら…この可愛い恋人にぞっこんだったんだな?こりゃあ吃驚だ。きっと、この店で10日ほど働くことで花嫁修業をしようってんだな?うんうん。そりゃあうちには沢山の奴が来て色んなうわさ話をするからな。きっとただ旅行をするよりも、この地域のことが分かるだろうさ!飲み屋の方が濃い話はあるだろうが、坊やに何かあっちゃいけないってことでうちにしたんだな?うちは品がある…って程じゃないが、そんなに怪しい奴が来るこたぁない。ふっふっふぅ…それでもなおかつ心配で、傍で見守るおつもりなんだなぁー?』

 ここはひとつ、このバーグナー・ドンクが一肌脱ぐしかあるまい。気おい込んだバーグナーは小鼻をひくひくさせて興奮を示した。

「ようがす!ここはこのバーグナー・ドンクが全てを請負やしょう!」

 大きく頷き、どぉんと胸を叩くバーグナーに、コンラートは感謝を込めて肩を抱いた。

「さあ、そうと決まれば準備が必要だ。旦那、わしは給仕服の支度をしてきます。5の刻になったら帰ってきますので、それまでは館の方にお戻り下さい」

「ああ、よろしく頼むよ」 

 

*  *  *

 

 数刻の後…鈍い鉄錆毛のカツラを被り、特徴的な瞳が隠れるように丸い黒眼鏡を掛けたコンラートと、少し緊張気味の有利が再び《フォルクラント》を訪れると…バーグナーは得意顔で給仕服を広げて見せた。

「さあ、旦那に坊や。早速着て見せてくださいよ!」

 バーグナーが卓上に広げて見せた服のうち一枚は、ごくごく一般的な給仕服であった。白を基調とした長衣は袖が七分丈で、袖口には細く青糸で刺繍が施され、同様の唐草模様が縫われた襟元も、少し胸元が覗く仕様になっている。腰に二重巻きにした茶革のベルトには注文書きとペンがさせるようになっており、長衣の下からは同色のズボンが伸びているが、コンラートの身につける服としては異例な幅広のズボンは袖口同様7分丈となっており、踝(くるぶし)とサンダルが見えるようになっている。

 それはいい。

 ちょっと足首が覗くくらいは小さなことだ。

 問題は…もう一着の……明らかに有利に身につけさせる目的で用意された服であった。

「あの…これ……バーグナーさん……い、一体……?」

「へぇ、給仕服でさ」

 《給仕》という行為を行う上では確かにポヒュラーな服であろう。だが、有利が着るとなれば話は別だ。

「だってこれ…メイド服じゃん!お…女物でしょ?俺…男なんだけど……」

 偶然なのだろうが、コンラートが着る予定の給仕服の刺繍と同色の青も鮮やかなメイド服は、襟元が清楚にきゅっと締まり、腰の辺りも大きなリボンできゅうっと締まるようになっており、逆に肩のあたりや胸元はふんわりと膨らむ仕様になっている。せめてもの慰めとして、スカート丈は長いが、踝の上までの白いレース付き靴下がはっきりと見ることはできそうだ。それに、ペチコートでふんわりと膨らませたスカートは実に間らしいラインを描いている。

「坊や…」

 泣きそうになっている有利の肩にぽん…っと大きな手を載せると、バーグナーは慈愛に満ちた眼差しを向けた。

「坊やはこの地方に住む連中の様子が知りたいんだろう?それなら、可愛い女の子に化けるのが一番だ!みんな有頂天になって、きっと口が軽くなるからな!わしが客足が落ち着いたら紹介してやるから、この辺の情報通に色々と話を聞くと良い」

「え…ええ!?」

 思いがけない言葉に、有利はぎょっとして肩を跳ね上げてしまう。

「あの…お、俺は単なる孤児で…今回は、ちょっとバイトがしたいだけで……」

 しどろもどろになって言うが、バーグナーは一体どこまで気付いているものやら、《何もかも分かっている》と言いたげな…妙に男前な顔で頷いて見せた。

「分かってる…そういうことにしといてやる。こんな可愛い子が、世話になってるウェラーの旦那や、その領土について知りたいと言やぁ、きっとみんなはしゃいで話してくれるさ。全部わしに任しとけ!良いようにしてやるから!」

「こ…コンラッドぉ……」

 困り果てた顔で上目づかいにコンラートを見上げると、こちらは苦笑気味に細い顎を撫でている。

「この調子では、何を言っても聞いてくれそうにありませんねぇ…折角ですから、着てみては如何ですか?」

「ええええぇぇぇー!?無責任なこと言うなよ!自分は普通の服だと思って!」

 コンラートは少し屈み込むと、そうっと有利の耳元に囁きかけた。

「ですが、バーグナーの言うことも最もですよ?この店は家庭料理屋とは言っても、味の評判は上々です。客層は広く、血盟城に出入りしている業者も何人か居たはずです。そんな連中に見られてはいくら髪と瞳の色を変えているとは言っても、あなたのその愛らしさですぐに分かってしまうかも知れませんよ?」

「じゃあ、あんたのその黒眼鏡貸してよ!」

「嫌です。こんなものを掛けたら、あなたの愛らしさが半減してしまいます」

「もー!愛らしいとか言うなっ!」

「どうしても…駄目ですか?」

 ご立腹の有利に、今度は泣き落としに掛かるコンラート…。 

「以前…シュトッフェルの館に拉致されたときにはヴォルフとタンデムしていたのに、俺がお側に行こうとしたときにはもう着替えてらしたでしょう?俺はもう残念で残念で…」

「もぉぉ…!なんでそんなもん見たいんだよぉ!」

「名付け子の可愛い姿を目にすることは、名付け親にとっては何物にも代え難い喜びですよ?」

 鉄錆色の髪と、黒眼鏡の影から琥珀色の瞳がのぞくと、そのなかできらきらと輝く銀色の虹彩に有利は何も言えなくなってしまう。

 物欲の薄い男が、有利に関することでだけは時折ひどく我が儘になってしまうのが、恥ずかしかったり…嬉しかったりするのは一体どういう訳なのだろうか?

「うー……」

 尚も唸り続けていた有利であったのだが…満面に笑みを浮かべた二人の男に見詰められ…結局、最終的には頷くことになってしまったのであった。 





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