「しあわせ卵」−1









「さあさあ…これで良いかな?まだすることがあるかな?」
「もう十分にしましたよ、あなた。後はゆっくりと休んで、明日頑張りましょう?」
「いやいや、しかしな…二度とある事じゃあないんだ。折角だから、もう一度確認を…」
「まあ…あなたったら…」

 眞魔国の王都で一番と評判のパン屋では、職人にして主人のビスケスが丹念に材料の確認をしている。日持ちする焼き菓子などは既に小袋に可愛らしく詰めて、籠に入れているのだが、やはりデニッシュ生地は当日の朝に焼かなくてはいけないからだ。
 特に、ビスケスは職人芸の極みとも言えるデニッシュを焼くつもりでいる。朝になってから《あれが足りない!》なんてことになると目も当てられないので、元々慎重な性格をしているせいもあって、確認作業はしつこいほどにしてしてしまう。

 おかみさんのミントは少々呆れながらも、ちゃんと一緒になって確認をしてくれた。嬉しいのは彼女だって一緒だからだ。

「よし!これで万全だ」

 ビスケスがやっと頷くと、ちいさな子ども達も歓声を上げた。

「わーいっ!楽しみ楽しみ〜っ!お父さん、すごいのを焼くんだよね?」
「ああ、そうとも。お前達は焼き菓子と卵を配るのを手伝うんだぞ?」
「分かってるよ!僕たちだってちゃんとお祝いに参加したいもの!」

 初夏の風が爽やかに吹きそよぐ城下町に、賑やかな声音が響く。
 色鮮やかな花々が街を染め、たくさんのリボンで飾られたプレートが家々に飾られていおり、そこにはいずれも《祝・魔王陛下ご成婚》といった、お祝いの言葉が描かれていた。勿論、パン屋の店先には硬い雑穀生地で焼かれたパンのプレートで、お祝いの言葉が綴られている。

 眞魔国の誇る美貌の魔王陛下渋谷有利は、明日…《ルッテンベルクの獅子》と謳われる英雄ウェラー卿コンラートと結婚するのだ。こんなにお目出度いことなんてそうそうある事ではないから、誰もが蓄えを一気に放出してしまうのではないかと言うくらいに準備をして、明日という日をわくわくしながら待っている。

 商店街では《陛下ご成婚記念・大特価大売り出し》は勿論のこと、無料奉仕する為の飲み物や食べ物、ちょっとした記念品の準備が進められているし、このパン屋では焼き菓子の他に、《しあわせ卵》というのも用意している。これは子ども達が卵に小さな穴を開けて中身を出し(中身は焼き菓子に使う)、きれいに洗って乾かしてから、中にちいさな硝子玉を入れて、外側には絵を描いているのだ。

 卵はそのまま眺めて楽しんでも良いのだが、卵の殻を割らずに孔から硝子玉を取り出すことが出来たら、その人は幸せな結婚が出来ると言われている。

「うわぁ…楽しみだなぁ!わくわくして、夜は寝られないかもしれないや」
「ねえ、お父さん。お菓子と卵を全部配ったら、あたし達もお小遣いを持って他のお店に行って良いんでしょ?」
「ああ、いいともさ」

 わぁい!

 すっかり財布の紐が緩みきっているビスケスが、子ども達にぴかぴか光る銀貨を配ると、ミントは《しょうがないわねぇ…》と呆れたように苦笑するのだった。
 《甘いわねぇ》とは思っても、やっぱりなかなかにあることではないから、良い思い出を作る為にも、特別なお小遣いをあげるのはしょうがないだろう。

 明日は大事な大事な、みんなの魔王陛下の結婚式なのだから。



*  *  * 




「ユーリ、眠れないの?」
「ん…。ほら、街の様子が賑やかだろ?どこもかしこも綺麗だし…ついつい眺めちゃうんだ」

 血盟城のバルコニーは、明日民へのお披露目をする為に既に華やかな飾り付けが為されている。そこから臨む眺めは、確かに見惚れるほどに美しかった。

 明日の夜は本格的に灯籠に火が灯されるはずだが、今も照明の具合を確認する為に、点々と美しい灯火が宵闇の中で光っている。良く晴れた空には星と月とが瞬いているから、見渡す限り光が鏤められていて、とても素敵な様子だ。
 しかも、その全てが自分たちを祝福する為のものともなれば、そりゃあニコニコ顔になったってしょうがない。

 結婚式当日に、美子やツェツィーリエの要望で少々衣装替えが多くたって、我慢は出来る。非公式にとはいえ、身内の前で純白のウェディングドレスや、漆黒のカクテルドレスを着ることになっているのも別に構わない。
 ぐちぐちと泣かれて《ママの夢を叶えてくれないの!?》と詰られることを考えれば、軽いものだ。(←既に体験済み)

「本当に綺麗だ…」
「だろー?」

 二人して肩を寄せ合って夜景を眺めていれば、屈強なコンラートのおかげで衛兵達も遠慮をしてくれる。彼以上に陛下を護れる男なんていないからだろう。だから、そっと唇を寄せられると、はにかみながらも抵抗せずに受け止めることが出来た。

「ん…」
「綺麗だ…。本当に」

 うっとりと囁かれる声は、恥ずかしながら夜景ではなく、有利に捧げられたものであることは明白だった。コンラートこそ見惚れるくらいに綺麗な男なのだが、どうしてだか事あるごとに《綺麗》と繰り返してくれるのだ。有利はその度に頬を染めつつも、唇を尖らせるだけで否定はしない。

 事実がどうであれ、コンラートにそう思って貰えることは嬉しいことなのだから。

「でも、最高の姿でご家族や民を喜ばせる為には、そろそろおねむの時間ですよ」

 ちゅ…っと子どもにするみたいに額へとキスをされれば少々文句も言いたくなるが、本当に子ども相手なら《夜の営み》などしない筈なので、ぽこんと胸を叩くだけでよしとした。

「あー…でも、ちょっとだけ惜しいかな。あの子達にも結婚式に参列して貰いたかったなぁ…」
「ああ…俺たちの縁結びをしてくれた子達ですからね」

 二人の言う《子》とは、有利にそっくりな…いや、有利自身ともいえる子ども達だ。うさぎの耳を持つ愛らしいうさぎのユーリに、黄色い角を頭に生やした鬼っ子のユーリは、二度にわたってこの世界にやってきて、その度に有利とコンラートの縁を強く結びつけてくれた。二度目の時にはそれそれの世界のコンラートまでやってきて、その白さとうさぎ耳には度肝を抜かれたものである…。

「………正直、あちらの世界の俺を見るのは複雑な心境なんですけどね」
「俺は楽しいよ?」
「ええ…そうでしょうとも。特にサラリーマンの俺などは、下手をすればあなたに押し倒されかねない儚さですからね」
「いや、そりゃ言い過ぎだろうよ」
「分かりませんよ?子鬼のユーリもひととしとって来たら、押し倒しちゃうんじゃないですかね?」
「え〜…」

 あながち否定できないところが何とも笑える。

「俺も頑張ったら、あんたのこと押し倒せるかな?」
「…あなたに組み敷かれるのであれば、敢えてお受けしますが?」
「うーん…あんたの場合、体勢的に下に回ったとしても、結局は俺の方があんあん言わせられそう…」

 実際、体位的にそう言うのもやった気がする。普段よりも見られている感が強い分、余計に恥ずかしかった。

「おや、男前のあなたとも思えないような尻込み発言ですね?」
「あんたが俺の尻を自由にし過ぎなの」

 期せずして尻に関する発言が繰り返されているとき、カッカッカッとえらく勢いのよい靴音が響いてきた。これは…妙に覚えのあるこの音は…。

「そこのイチャコラカップルに朗報です!」
「あ…アニシナさん…」

 ドカァン…っと観音開きにバルコニーへの扉を開くと、突入してきたフォンカーベルニコフ卿アニシナは、身を横にずらすと…背後に控えていた4人の歩を進めさせる。

「あ…っ!」

 そこにいたのは今まさに噂していた相手、異世界のうさぎコンユと子鬼ユーリに、サラリーマンのコンラートだったのである。

「来てくれたんだ…!」
「…というか、アニシナに召還されたというか…」

 うさぎのコンユは軍服と普通の子供服だったからまだしも衝撃は少なそうだが、半笑いのサラリーマンコンラートは、結構なタイミングで呼ばれてしまったのかも知れない。身につけていた衣装がとってつけたようバスローブであったり、髪がしっとりと濡れているところから見て、入浴中であったのだろう。子鬼のユーリも同様で、こちらも恥ずかしそうにひらひらとしたピンク色の寝間着を着ている。おそらく、グレタ辺りに借りたのだろう。

「ゴメンね?でも…また会えて嬉しいよ!俺たち、明日結婚式だからさ〜」
「ええ!?そうなのっ!?」

 有利が照れながらそう言うと、うさぎのユーリと子鬼のユーリは、ぴょうんと跳ねて驚きを露わにした。
 どうやら召還されたは良いが、一体なんのためであるのかは明かされないまま強引に引っ張ってこられたらしい。

 気の毒…。

「今宵はそれぞれの部屋でお休みなさい」

 それだけ言い残すと、アニシナはとっとと行ってしまった。

「じゃあ…俺と一緒に寝ようか?」
「うん!魔王様のベッドは大きいもんねっ!」
「わーい、お喋りいっぱい出来るね?」

 きゃあきゃあと声を上げて喜ぶ有利たちに、やはりコンラート達は釘を刺す。

「明日は大切な日なんですから、夜更かしをしてはいけませんよ?特に、ヒトのユーリを眠らせてあげないと、晴れの日だというのに疲れてしまうからね」

 清らかな容貌のサラリーマンコンラートがそう言うと、すぐにうさぎのコンラートも重ねて注意を促した。

「そうだよ?ヒトのユーリは明日の夜も大変なんだからね?」
「そうだよね。お祝いの夜だもんね。遅くまでたくさんコンラッドとお喋りしたりしたいよねぇ?」
「えー…ああ、そうですね」

 純真無垢な子ども達の言葉に軽く口角が引きつらせているのは、うさぎのコンラートの方だ。《汚れた大兎でゴメンなさい…》とか何とか呟いているのは気のせいだろうか?

 なにはともあれ、それぞれの有利とコンラート達は、3人づつで自分たちの部屋に向かった。コンラートのベッドは比較的小さいのでとても一緒になど眠れないので、寝間着だけ渡したら空き部屋で寝て貰うことになった。



*  *  * 




「結婚か…羨ましいな」

 寝間着を渡されたうさぎのコンラートがしみじみと呟くと、こちらのコンラートは複雑な表情で苦笑した。

「うさぎのユーリは幾つだっけ?」
「……………今は、9歳だ」

 ほぅうう〜…と、うさぎのコンラートは長い耳を寝かせて溜息をつく。可愛いのか可笑しいのか分からないその姿を、こちらのコンラートはなるべく直視しないようにしていた。

「……………長い道のりだな」
「まあな…」

 ふふ…と遠い目をして微笑むうさぎのコンラートの目元には、微かに涙がある。相当我慢を強いられる日々を過ごしているのではないだろうか?

「でもまあ、良いさ…。約束を信じてユーリが俺と暮らしてくれる限り、7年という時もそれはそれで楽しむことが出来る。なあ、あんたもそうだろう?」

 同意を求められたサラリーマンのコンラートは、少々申し訳なさそうに頭を垂れた。

「いや…それが、うちのユーリは実はもう15歳なんだよ。あの姿は、一度酒を口にして弱ってしまったせいなんだ。成鬼すれば、年相応の姿になるらしい。もうじき16歳の誕生日が来るから、我慢期間は君の所よりは短い…ね」
「……そうかい」

 ひゅるぉお〜う……。

 同じくらいの期間を待たされる仲間とばかり思っていたサラリーマンの裏切り(?)に、うさぎのコンラートは完全に耳を寝かせてしまった。その様はもう、何というか変に可愛い。ただ、下着を替えて寝間着を着こもうとする過程でぴょこんと覗いたダークブラウンのお尻尾には相変わらず引いた。耳はともかくとして、これだけは何だか許せない。いや、本兎(ほんにん)のせいではないのだが…。

「じゃあ、あんたの所ももうじき結婚かい?」

 こちらのコンラートに尋ねられると、サラリーマンコンラートは少し言い淀みながら答える。

「そうだね。お互いの家族の方が乗り気なくらいだし」
「家族の方がって…あんたはどうなんだ?」
「ずっと一緒にいたいとは思って居るんだけど、正直…普段がああいうちいさな姿だろう?幾ら本当の姿が大きいんだって分かっていても、欲情すること自体が犯罪めいているんじゃないかと、自分の性癖を疑ってしまうと言うか…」
「ああ…分かる!それは凄く分かる…っ!!」

 嘆息するサラリーマンコンラートに、すかさずうさぎのコンラートが同調していった。幼子を抱えた者同士、通じるものがあるらしい。

「抱き潰してしまいそうなくらい華奢な身体だから、やはり戸惑ってしまうよな?」
「そうなんだよ〜。あんなにちいさな身体できゅるんと見上げられて、信頼に満ちた眼差しで見られてしまうと、嬉しいんだけど心苦しい面もあってねえ…」
「そうそう!布団の中で無邪気に抱きつかれているのに、下がピンコ勃ちになってるときとかねえ…」
「そうそう!シャツの谷間から乳首が見えてるんだけど、時々妙に艶っぽく見えてしまったりとかねー」
「分かる分かる!あと、シャツ一枚で部屋の中を駆け回ってるときに、裾から覗く細い脚が可愛すぎるとかねー」
「分かる分かる!」

 肩を抱き合って分かり合うコンラート達に(←ある意味、明確にロリコン同士の会話)、こちらのコンラートは静かに溜息を漏らした。彼らを哀れんで良いのか羨めばいいのかよく分からなくなったのである。

『幼い頃のユーリと傍で暮らせるなんて、羨ましいとしか言いようがないか』

 どのみち、二人のユーリに縁結びをされるまでは全く自覚の無かった有利を前に、自分からは想いを伝えなかったコンラートのこと、きっとこのコンラート達と同じ立場に立たされれば、やはり欲情を顔には出さずに我慢生活を送っていたことだろう。

『だが、俺は明日にはユーリを娶ることが出来るのだ。無い物ねだりをしても始まらないな』

 そして夜にはたっぷりと新妻を満足させるつもりで居るのだから、今宵は早く寝なくてはならないだろう。

「俺はもう休む。あんたらもとっとと寝てしまいなよ」
「ああ…そうだな」

 多少はしゃぎ気味とはいえ、大人達はすぐ明日のためにと床に就いた。



*  *  * 




 一方、子ども達(?)三人は分かっていてもそうそう眠れるものではない。一緒の布団に入っているせいもあって、興奮気味に結婚について語り合っていた。

「良いなぁ…明日から、コンラッドのお嫁さんになるんだね?」
「まー、どっちが嫁でも良いんだけどさ」

 コンラートがウェディングドレスを着るのだけは痛々しいし、美子がどうしても着ろとねだるので着てやるから、一応有利の方が嫁認定でも仕方ないとは思う。

「あ…あのさ。ヒトのユーリは…もう、エッチってしてるの!?」
「え…っ!?」

 している。それはもう…とってもしている。
 ユーリが眞魔国では成人とされる16歳を越えていることもあって、夜の生活では容赦のないコンラートによって、すっかり主従が逆転してしまう。

『あ…あ……そんな、したら…らめぇ……』
『何言ってるの?美味しそうにくわえこんで離してくれないのは、ユーリお口だよ?』
『…やぁああん……っ!!』
『ああ、凄いねユーリ…とても淫らで、綺麗だ…』

 なーんてなーんて…。
 思い出すだけで身体が熱くなってしまう。
 こんなちいさな子ども達の前で言えることではないが…(←犯罪)。

「ええと…その、初夜まではお預けなんだよ?」(←嘘つき)
「そっかあ…やっぱ、コンラッドはどこの世界でもみさおが硬いんだね?」
「ははは…」

 想いが通じ合った初日に、いきなり相当激しいことをしていたとはとても言えない雰囲気だ。

「でもさ…ちょっと不安になったりはしない?」
「なんで?」

 子鬼のユーリの言葉に、うさぎのユーリはきょとんとして小首を傾げる。自分の小さい頃と同じ容姿なのに、可愛いと感じるから妙なものだ。

「だってさ…。コンラッドってばあんなにステキでモテモテなのに、本当に俺たちと結婚とかしてくれるのかな?」
「大兎になったらしてくれるよ!だってホラ、ここの二人がその証拠だろ?」
「そりゃあ、ヒトのユーリはなんか色っぽいもんっ!前に一緒にお風呂に入ったときだってさ、俺のコンラッドってば転んで大股開きになったヒトのユーリに視線釘付けだったもん!俺が15歳の格好でいるときはそうなでもないのに〜っ!」

 《ぶー》…と唇を尖らせる子鬼のユーリが15歳の姿になったところは見たことがないが、確かにこんな雰囲気だと色気とは縁遠いかも知れない。ただ、有利の方に色気があるかと言われれば、それも疑問なのだが…。

『色気があるとすれば、セックスをもうやっちゃってるから多少は違うのかも知れないけど…』

 あの色気大魔神ウェラー卿コンラートに開発されまくれば、そりゃあ如何に純朴少年とはいえども色気の《い》の字くらいは滲みそうなものだろう。

「そういうのはさ…きっと、時間が解決してくれるよ。うん…」
「そうそう。うさぎのコンラッドもよく言うんだ。《早く大きくなっては欲しいけど、今の生活だって大事にしたいんです。大切なあなたとの日々だから…》ってさ〜」

 頬を染めて《きゅふ〜》と照れ照れまくるうさぎのユーリは、見ている方が恥ずかしくなるくらいの惚気ぶりである。

「それだったら、うちのコンラッドだって…っ!」

 みんなで如何に自分のコンラートが素敵かについて語り合っていたものだから、危うく夜半を過ぎてしまうところだった。

 ボーン…ボーン……

 大時計の音が時刻を知らせると、有利は慌てて布団を被った。

「ヤバ…肌つやが悪いと、お袋にどやされちゃうよ!」
「そっか。晴れの日だもんね…!もういい加減寝なくちゃ!!」
「お休みなさーい」

 一斉にボスっと枕に頭を埋めた子ども達も、ものの3秒で眠りに落ちた。基本的に、寝る気になればあっさりと眠れてしまうのである。




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