「それでも君が好きなんだ」

※長編小説置き場の『虹を越えていこうよ』後日談です。






 黒瀬健吾(渋谷有利君の友人にして、一年間片思い中の応援団員18歳男子)はこの秋、ある決意を胸に秘めていた。

『彼女を作ろう…。そんなに美人じゃなくても良いから、話が合って雰囲気が良くて…何と言っても俺を一番に好きだと思ってくれる子が良い』

 年頃の青少年であれば極々一般的な望みだろうが、彼がこの心境に到達するまでには3ヶ月の時間を要していた。

 忘れもしない3ヶ月前のあの日…《眞魔国》という異世界に招待され、国賓としての扱いやら豪奢な城やらに度肝を抜かれていた黒瀬は、《血盟城》と呼ばれるその城の一室で、友人から爆弾発言を投じられた。

『俺たち、卒業したら時期を見て結婚しようと思うんだ。結婚式にはみんな出てくれよなー』

 平静な顔をしていたのは篠原だけだっただろう(もしかしたら事前に何か聞いていたのかも知れないが)。同席していた会澤はぽかんと口を開けたまま塞ぐことが出来なくなり、黒瀬はと言うと…口に含んでいた芳醇な香りを持つ紅茶を勢いよく吹き出してしまった。『王様が男と結婚しても大丈夫な国ってどうよ……』

 もともと望みのない恋だと分かってはいるが、それにしたってこんな決定的な形で駄目出しをされるとは思わなかった。

 地球に戻ってからも暫く呆然として過ごしていたため、卒業学年だというのに勉強にも身が入らず、道を歩けば電柱にぶつかり、黒猫に横切られ、家を出ようとすれば靴ひもが切れるという有様で、散々親にも心配されてしまった。

 学歴をどうこういう親ではないが、年を取ってから出来た一人っ子と言うこともあり、妙な悩み事を抱えて自殺でもされては…と、不安に感じたらしい。

『悩み事があったら何でも言うんだぞ?』

『ないない!悩みなんてないって!!』

 泣きそうな目で無理に笑顔を作って父親に言われては、流石に元気なふりをしなくてはならない…。  

 友人達にも心配された。

『よぉ、黒やん…今度の日曜日に時間空いてねぇ?』

 薄々大失恋をしたらしいと察した友人が合コンを持ちかけてきたことで、黒瀬も吹っ切れた。

 いや…吹っ切ろうとする努力をしてみようと決意した。

 

*  *  *

 

 約束の場所と時間を確認したところ、黒瀬はそこがある場所に近いことに気付いた。

『あ…ここ、じーちゃんが入院してるとこじゃん』

 父方の祖父はかなりの高齢で膵癌を煩っている。かなり進行しているし年齢のこともあるので手術は行わない方針らしく、鎮痛療法を中心とした治療を受けるために、ホスピスも併設されている大きな病院に入院しているのだ。

 黒瀬は小さい頃よく可愛がって貰った記憶があるが、見舞いには結局一度親と一緒に行ったきりで、その後ずっと疎遠になっている。

『……行ってみっかな…』

 居心地が悪くなれば用事があるからとすぐに帰ればいいのだし…。

 そう考えたとき、黒瀬は自分の運命がある方向に向かって流れ始めたことに気付かなかった。

 

*  *  * 

 

『あれ?』

 祖父の病室を尋ねようとナースセンターに向かう途中、黒瀬はふと足を止めた。

 自分と同じくらいの年頃の少女が、あわあわと焦りながら小振りな林檎を拾い集めていたのだ。

『凄っげぇ…可愛い……』

 今時珍しいくらい色を入れていない漆黒の髪は小さな二本のピンで留められ、俯いた横顔はまろやかな隆線を描いて形良い唇へと繋がっていく。その唇がまた…小さくて清楚なのだが、下唇がちょっと《ぷく》っとした質感で、指で突いたり唇を寄せて行けばどんなに心地よい感触がするだろうかとときめいてしまう。

 そしてなんと言っても黒瀬好みなのが瞳であった。長い睫が漆黒の艶やかな双弁を縁取り、くりりとした団栗(どんぐり)お目々を一層可憐に見せているのだ。

 女の子にしては肩幅はしっかりしているような気がするが、全体に細くて華奢で…大柄な黒瀬なら簡単に抱き上げてしまえそうだ。

 この近在ではよく知られたお嬢様学校の制服…焦げ茶色の品のあるブレザーに、膝丈のチェックのスカート、そして細い脚を包む紺色のハイソックスがとても彼女に似合っている。

「これ…」

 足下に転がってきた林檎を拾い上げると、高鳴る鼓動を押さえながら…なるべくさりげない動作で手渡そうとする。   

  20〜30年くらい前の少女漫画にはよくあった出会い風景である。

 だが…時代はやはり《現代》なのである。

 20〜30年くらい前ならこれが運命の出会いになって、《すれ違ったり学園祭で二人でロミオとジュリエットをやることになったり恋のライバルが出現してみたり》みたいなイベントを経て告白に至る展開も、この世知辛いご時世においてはなかなかそのような経過を辿り得ない。

『ん?』

 視線があった途端…《アレ?》と思った。

 そして…

「く…黒瀬!?」

 口端を引きつらせて絶句してしまった《少女》の声が決定打となり…黒瀬はその場に膝を突いてしまった。

『渋谷…お前は俺の人生に喧嘩売ってんのか?』

 何故女子校の制服を着ているのかとか、病院の通路に落ちた林檎は相当消毒しないと色々やばそうとか、突っ込むべき所はそこではなく…。

『何で…お前は俺の理想をピンポイントで突いてくるんだよっ!!』

 別に化粧をしているわけでもないのに、ちょこっとヘアピンをつけて女子校の制服を着ただけで、黒瀬の想い人である渋谷有利はどこのアイドルにも負けない愛くるしさを湛えているのである。それも、黒瀬が《可愛い》と思う要素の全てを凝縮したような姿で…。『こんな可愛い男友達なんて嫌だっ!!』

 黒瀬は心の中で青年の主張をシャウトした。

 

*  *  *

 

 黒瀬はパンチドランカーのボクサーのような体たらくでふらふらと通路端のソファに座ると、貧血だと思いこんで甲斐甲斐しく飲み物を買ってきてくれる有利に一層目眩を覚えていた。

 ソファに腰掛ける黒瀬の脇にちょこんとしゃがみ込むと、気遣わしげな眼差しを上目づかいに送り…黒瀬が少し落ち着いて缶コーヒーを口にすれば、安堵してほわりと微笑むのだ。

『神様…泣いても良いですか?』

 こんな可愛い顔で可愛い仕草をされては思いは募るばかりである。

 しかも…その後で事情を聞いてみたら、これまた黒瀬のツボに填るような感動話だったのである。

 なんでも、黒瀬と有利の共通の友人である篠原楓のこれまた友人である山田という子がが、昨年の文化祭でメイド服を着た有利を見てえらく驚いて、《これ…涼子そっくり…っ!》と呟いて泣きだしたのが事の始まりなのだという。

 浅田涼子という名の少女は、3ヶ月前に死亡している。

 休日に街で横断歩道を渡る途中…交通事故に巻き込まれて、即死だったのだそうだ。

 元気なスポーツ少女で、誰からも好かれていたという涼子の若すぎる死は多くの人々を哀しませたが、この中でも特に心を痛め…精神を病んでしまったのが涼子の祖母だった。

 実は…涼子は祖母と一緒に横断歩道を渡ろうとして、祖母が落としてしまった巾着を拾うために身を屈めたその瞬間に、道を逸れてきたトラックに跳ねられたのだそうだ。

 自分を責める祖母は毎日泣き暮らし、すっかり衰弱したうえ痴呆が進んでしまった。

 しかも、起きている間も眠っている間も…何度も孫娘が跳ねられる瞬間がフラッシュバックしてきて絶叫を繰り返すのだ。 

  これには家族の方がもたなくなった。

 そこで、老健施設を併設しているこの病院に入院させることになったのである。

 浅田家と家族ぐるみの付き合いをしていた山田はこの事態を憂い、何とかこの祖母の苦痛を和らげることは出来ないか…事故のショックを何か良いイメージの記憶で打ち消すことは出来ないかと考えた結果、涼子にそっくりな有利に《頼み事》をしてきたのである。

 その《頼み事》とは…涼子の制服を着て祖母に会い、事故が祖母のせいではないことを伝えてくれ…というものであった。

 有利は女装をすること以上に、孫娘に似た姿の者が目の前に現れることで余計に祖母が苦しむのではないかと懸念したのだが、頼まれて陰から見やった祖母の悲惨な様子に心を痛めた。

 そこで恐る恐る涼子の制服に身を包んだ状態で祖母の前に姿を現したところ…予想外にすんなりと、祖母は《涼子》の出現を容易に受け止めてしまった。

『おばあちゃん、俺…いや、あたし…元気だよ』

『涼子…涼子……っ!良かったぁ…あれは夢だったんだねぇ…。ばぁちゃん、とても嫌な夢を見ていたんだよ…』

 童女のように涙を流しながら縋り付いてくる祖母に、有利はつられて涙を見せながら力強く抱きしめた…。

 …と、そこまでは良い感じの話なのであるが…。

 この話はうっかり続いてしまった…。

『ばあちゃん、涼子がお見舞いに来てくれたらすぐに元気になるからね!』

 祖母に瞳を輝かせてそう言われた有利は、足繁く病院に通うハメになり…祖母は言葉通りどんどん元気になっていっている。

「そりゃあまた…難儀な……」

「いやー…なんかもう、今更引っ込みもつかなくてさ…」

 黒瀬の横に座り、すっかり冷めてしまった缶コーヒーを啜りながら有利が独り言ちる。

「でも…ばーちゃん凄くいい人だから、来るのは楽しいんだぜ?同室の人達の生暖かい眼差しが気にならないではないけど…。《俺は女装が趣味な訳じゃありません!》って、一生懸命心でシャウトしてんだけど…」

「や…多分、その視線はそういう意味じゃないと思う……」

「んー?じゃ、どういう意味なわけ?」

 きょとりと小首を傾げて覗き込まれると、黒瀬はまたしても速まる動悸を感じて…大ぶりな掌で彫りの深い顔立ちを覆った。

「あのさ…渋谷、お前そういう格好してると…似合いすぎんだよ。正直、男には見えない…」

「酷ぇ…」

 うるりと涙目で上目づかいに睨まれれば、黒瀬は悶絶せんばかりにして視線を外した。

 この可愛らしさは既に最終兵器並だ…。

「同室の人達も絶対、正真正銘の孫娘が見舞いに来てると思ってるぜ?」

「そ…そんな馬鹿なっ!」

「だって…お前、マジで可愛いもん」

 思わず真摯な眼差しで直球発言を投げつければ、有利は困ったように肩を竦めた。

「うー…そういや、お前の趣味って変わってたっけ…。その…俺が女の子の身体になったとき、好き…とか言ってたもんな?」

「…………あれは……」

 思わず、喉元に込み上げてくる想いがある。

『女の子だったからじゃない』

 ぶちまけてしまいたい…今度こそ。

 やっぱり、こんな奴を忘れるなんてできっこない…。

 好きだと思わずにいられるなんて…最初から無理だったんだ。

 だって…

『こいつは、どうしたって俺が初めて本当に好きになった奴なんだから…』

 実る実らないにかかわらず、この想いはこんなにも育ってしまったのだから。

「俺な、お前のこと…好きなんだよ?あの時、女の子だったときに気の迷いで好きになったわけじゃない…。渋谷って奴が…俺は好きなんだ」

「え…?」

 有利は黒瀬の言葉を反芻し、それがどういう意味を持つのか考えて…そして黒瀬の眼差しが巫山戯ているわけではない…これ以上ないほどの真剣な色を込めているのを見ると、真っ青になって項垂れてしまった。

「……ゴメン」

「謝ることないだろ?」

「ゴメン…俺……考えなしで……。お前の気持ち…全然知らなくて…」

「良いんだよ、何か…言ったらすっきりした」

 強がりではなく、本当にそう思う。

 何か肩に乗っていたものがすぅ…っと降りて、今の自分の気持ちを素直に受け止められる。

 黒瀬健吾は渋谷有利のことが好きだ。

 それは、多分これからもずっと変わらない。

 他に好きな人が出来て結婚しても、子供が生まれても…この気持ちを後悔することはない。

 そういう気がする。

 だって、黒瀬が好きになった奴は、こんなにも素敵な奴なんだから。

「なぁ!お…俺のこと一発殴っても良いよ!?」

「はぁ?」

「だって、一発殴ったらちょっとすっきりするかも知れないぜ?」

「いや、しないだろ」

「すっきりしろよー。だって俺…その……こ、コンラッドが好きだから、黒瀬のそーゆー気持ちには応えらんないけど…っ!黒瀬と友達になれたことは凄っげぇ嬉しいことだっだんだ!だから…これからもずっと友達でいたいんだ!だから…スカッとスキッと爽やかに交友関係結ぼうぜ?何なら殴り合った後夕日に向かって走っても良い!」

「無茶言うなぁ…」

 くすくす笑いながら、胸の中に込み上げてくる暖かい思いに…黒瀬は涙が出そうになった。

『ああ…こいつを好きになって良かった』

 そんな風に思える相手に出会えることは、きっととても希有なことだと思う。

 振られてすらそう思えるような相手に巡り会えたこの奇跡を、黒瀬は誰にともなく感謝した。

「じゃあ…一回だけキスさせてくれよ」

「却下」

「…………けち」

 駄目元ながら悪戯っぽく聞いてみれば、いっそ小気味よいほどの速度で拒否られてしまった。強固な貞操観念だ…。

「ほっぺたとかデコに親愛のチュウは?外人とかするじゃん」

「んー…うー………」

 これには多少気が動くのか、有利は指をわきわきさせて考え込んでいた…が、不意に…意を決したように黒瀬に向き直ると、きょろきょろと辺りを伺って人目がないことを確認し…黒瀬の頬を両手で包んで、勢いよく額へと唇を…。

 …………………寄せ、

 …なかった。   

「んぅ!?」

「………っっっ!!???」

 有利の驚愕の声を唇で塞いでいたのは…誰あろう、ウェラー卿コンラート氏であった。

『お父さん、お母さん…旅立つ不幸をお許し下さい……』

『俺…多分、このアト殺されます……』

 逃げる事も出来ずにショック状態に陥った黒瀬は、椅子の上で固まったまま…目前で展開される激しい口吻を凝視させられていた。

 有利の華奢な体躯はスーツ姿のコンラートに抱えられると一層小さく…儚く見える。

 清楚な唇を激しい愛撫に晒され…含みきれない唾液を口角に滲ます様は、上気した頬や雫を浮かせて蕩けた眼差しと相まって…酷く扇情的に見える。

「ん……んっ……」

 ふるふると睫の先を震わせながらも巧みな舌遣いに翻弄されて、すっかり力が抜けきってしまった頃合いに…抵抗する力を失った有利はふわりと横抱きにされてしまった。

「クロセ君?」

「は…はいぃぃぃっっ!?」

「今回は、見逃してあげよう」

「……は?」

 予想外の言葉に、黒瀬は逆に絶句してしまった。

「ユーリがこちらの世界に強制送還されて…本当に辛かった時に君が支えてくれた事は聞いている。ずっと友達でいたいと…ユーリも言っていたからね」

「はぁ……」

 《ずっと友達》の一言に殊更力を込めていってくれる様が何だかとっても大人げないような気がするが、命拾いしたのは確かである。

「言っておくが、俺はユーリに関しては大変心が狭い」

『知ってます』

 言いたいが言えない。

「だから…分かっているね?」

「………………………ハイ…………」

 肉体的接触は、例え異文化コミュニケーションなら許される程度の範囲であっても許容しないということを、黒瀬は冷や汗を流しながら了承した。

「良い子だ…」

 くすりと微笑むその表情はえらく蠱惑的で…普段の無駄に爽やかな表情からは考えられないくらい…真っ黒な印象だった。

「では、お先に失礼するよ」

 有利をお姫様抱っこしたままいそいそと立ち去る後ろ姿に、黒瀬は思った。

『…渋谷………俺、もう二度とお前にチューしたいとか言わないよ』

 あの独占欲の強すぎる恋人に苦労し通しであろう大切な思い人のために黒瀬は決意した。

 コンラートの進む先が何処なのかは分からない。

 だが…。

 明日、有利が学校を休むのだけは確実…そういう気がして黒瀬は心に合掌した。


あとがき

 胡城様のリクエスト「茶系ブレザーお嬢様学校の制服を着た有利」、如何でしたでしょうか?別に小話は希望されていないにもかかわらず、無理矢理設定を作ってしまいました。コンラッドがちょんぼししか出てこない上に心が狭くて申し訳ないのですが、良かったら貰ってやって下さい。 

 後日、ちょこっと続きを書きましたので、何でしたら読んでみて下さい。

→「彼氏が制服に着替えたら」

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