「彼氏が制服に着替えたら」

※「それでも君が好きなんだ」の続きの話です。

 

 

 コンラートの口吻で《ぽんやり》としていた有利も、何時までもそうして《ぽんやり》し続けている訳にはいなかった。

 コンラートの腕の中で我に返ると、心理的な居心地の悪さを覚えてもぞもぞし始めた(その前に、《お姫様抱っこ》という物理的な居心地の悪さに対して特に感慨はないのかという話だが…)。

「なぁ…コンラッド……怒ってる?」

「……」

 コンラートは無言で病院の通路を闊歩し、美少女(…)を抱えた美形長身外人という絵図らは嫌と言うほど人々の好奇の視線を集めてしまっていた。

 コンラートは仕立ての良いダークブラウンのスーツをきっちりと着込んでおり、足音も立てずに進んでいく歩様は実に無駄が無く端然としている…が、歩足が妙に早いのが気がかりである。

『うう…俺、何処に連れて行かれるのかなぁ?』

 気分はドナドナ状態だが、敢えて強く出ることが出来ない…。

 この制服姿のことを知られたら恥ずかしいので、ずっと病院に行っていることは内緒にしていたものだから、何やら後ろめたくて恥ずかしい運搬方法を止めてくれという要求すら思い切って口にすることが出来ない…。

 それに…決して有利が悪いわけではないのだが、やはり…おでことはいえ他の男に唇を寄せていた事実は大変気まずいわけで…嫉妬の深さではマリアナ海溝にも引けを取らないコンラートの沈黙に、どんなお仕置きが待っているかと内心ビクビクものであった。

 しかし…予想に反してコンラートが辿った道は見覚えのある経路であり、行き着いた先は…例の祖母の病室であった。

「まぁぁ!涼子…綺麗な外人さんに抱っこして貰っていいわねぇ!」

 祖母は少女のようにはしゃぐと、手を叩いて喜んでくれた。

「フラウ・アサダ…ご機嫌麗しゅう。俺…いえ、僕は…リョーコさんと親しくお付き合いさせて頂いております、コンラート・ウェラーと申します」

「まぁあっ!」

 コンラートが優雅に一礼して恭しい動作で皺深い手甲に口吻を贈れば、祖母はポッと頬を染めて瞳を蕩かしてしまう。おまけに、コンラートは一体何時の間に用意していたものか…小振りながら可愛らしい配色の花束をさりげなく捧げている(手品?)。

「今日はフラウにお許しを頂きたく参上致しました」

「まぁまぁ…一体何かしら?」

「実は…大切なお孫さん…リョーコさんとの結婚を認めて頂きたいのです」

「まぁぁぁぁあっっっ!?」

「ココココ………コンラッド!?」

 何を言い出すのかと有利はあわあわするが、コンラートは如何にも誠実な眼差しで、凛とした面差しを一層引き締めて誓いの言葉を立てるのだった。

「既にご両親にはお許しを頂いているのですが、リョーコさんがフラウのことを心から慕っていると聞いたものですから…」

「あらまぁ…こんな素敵な人と結婚するなんて!涼子ちゃん、良いわぇ…素敵ねぇ!!おばあちゃん、ちっとも反対なんてしないわよ?」

「ですか…実はフラウには寂しい思いをさせてしまうことになると思うのです」

「え?」

 沈痛な眼差しで申し訳なさそうに見つめられれば、どんな頑なな女でもころりと参ってしまいそうだ。

「僕の仕事上の都合で生国であるドイツに近々戻らなくてはならないのです。…ですから、不自由なことや寂しい思いをさせると分かってはいるのですが、どうしてもリョーコさんをドイツに連れて行きたいのです……」

「ドイツに…遠くに……連れて行ってしまうの?」

「ええ…そうしますと、なかなかこちらに伺う機会もなくなります…それが申し訳なくて、僕も暫く考えたのです。…ですが…愛するリョーコさんと別れて暮らすことなど僕には考えられません」

「まぁぁ……」

 情感の籠もる痛切な眼差しは(無駄に)熱く祖母の胸に響き、その瞳を潤ませる。

「良いのよ…良いのよ、涼子ちゃん…コンラートさん……。愛し合う二人が別々の国で暮らさなくちゃならないなんて酷い悲劇だもの!おばあちゃん…時々手紙さえ送ってくれたら、寂しくなんて無いわ…!」

 込み上げてくるのだろう寂しさに眦を紅色に染めながらも…懸命に涙を堪え明るい声を出そうとする祖母に、有利は涙を浮かべて抱きついていった。  

「おばあちゃん…っ!」

「涼子ちゃん…何処に行っても、元気でね…幸せになるのよ?」

「うん…うん……ドイツ行くまでは、また何回でも来るから…っ!」

 同室のおばあちゃん達もうんうんと頷いたり目元を拭ったりしながら…この感動の光景を祝福してくれた…。

 

*  *  * 

 

「…………コンラッド……いつから、知ってたの?」

「1ヶ月くらい前ですかねぇ…ユーリが妙に挙動不審な動きを見せながら外出したのが気になって、後をつけたんですよ。それで、事情をシノハラさんに教えて貰いました」

「……………1ヶ月前って……最初っから!?」

 有利は絶句して座席に頽れた(くずお)れた。

  何もかもお見通しだったというわけだ…。

 祖母の病室を退室してから、有利はコンラートの運転してきた車で自宅まで強制送還される運びとなった。

 車はレンタルで借りた青いアウディで、有利の好みに合わせた色であることは間違いない。免許の方はおそらく、ボブの力で偽造免許証でも作ったに違いないが、運転技術の方は一体何処で習得してきたものやら…実に滑らかで安心感のあるハンドリングだ。

 なお、有利は普段、看護師さんに事情を話して病院内で着替えさせて貰っていたのだが…今日は有無を言わさず車内に連れ込まれてしまったために、未だにブレザー姿のままである。

「……なんで、何も言わなかったの?」

「ユーリが自分から仰らないということは、俺に知られたくないということでしょうか?」

「う……」

「ですから暫く黙認していたのですが…どうも見ているといつまで経ってもお見舞いが途切れることがないので、ひょっとして引っ込みがつかなくなってしまったのではないか…そう、思って様子を見に来たんですよ。」

「…………図星です」

 有利は何もかも見抜いた上で最善の対処をしてくれたコンラートに、最早何を言って良いか分からなかった。

 勿論、感謝はしている。

 引っ込みのつかなくなったこの事態を上手く取り纏め、涼子の祖母を気持ちよく騙くらかしてあげたのだ。

 ただ…今回のことは篠原に頼み込まれてやったこととはいえ、有利は有利で何とかしてあげたいと思い、懸命に涼子のふりを続けていたのだ。何となくすっきりしないものもある。

「俺…結構一生懸命やろうとしたんだけど…なんか、空回りしてたのかな……」

「どうしてそう思うんです?」

「だって…あんたが纏めてくれなきゃ、俺…結局どこかで襤褸を出して、あのおばあちゃんを傷つけちゃったかも知れないだろ?そうなってたら…凄く余計なことをしちゃったことになるじゃん?」

 なにやら泣きそうになってしまい…情けないことに、眦が熱く染まり始める。

「…」

 コンラートはスムーズな運転で車体を道の脇に寄せると、身を乗り出して助手席の有利に微笑みかけた。

「例えあなたが涼子さんでないと知ったとしても…あのフラウがあなたを恨んだり、辛い思いをしたりする筈はありませんよ」

「だって…」

 ぐす…と軽く鼻を啜りながら潤んだ瞳で見上げれば、拗ねたようなその表情のあどけなさに思わずコンラートの口元が緩みかける(必死で修正をかけたが…)。

「俺は…実は今までも何度か、あなたとあのフラウが病室で過ごされているのを見に行ったのですよ?フラウは…とても楽しそうでした」

「だってそれは…涼子さんだと思ってたからだろ?」

「本当は…どうなのでしょうね」

「え……?」

 意想外の発言に、有利はきょとりと首を傾げた。

「最初の頃はどうだったのか分かりませんが…少なくとも俺が見た時には、あのフラウにそういった識別力が無くなっているようには見えませんでした。お孫さんとあなたが幾ら容姿が似ているといったって…性別も違えば話し口調も違うはずです。本当に見分けがつかないなどということは考えにくい…」

「でも…でもっ!俺のこと《涼子ちゃん、涼子ちゃん》って呼んで、凄く可愛がってくれたんだぜ?」

「それは、あなたと共に過ごす時間がとても楽しかったからではないでしょうか?」

「俺…と?」

「ええ…あなたが、フラウを騙したりする目的ではなくて…何とかして力づけようとされていることは誰が見たって沁み通るように感じられました。それが、フラウご本人であれば尚更だったろうと思うのです。あなたが笑いかけ…励ましてくる言葉の一つ一つが、あのフラウに生きていく力を注いでいたから…だからこそ、フラウから疑いの言葉など出すことは出来なかったのだと思うのです。そうすれば…あなたが去ってしまうことが分かっていたから…。夢だと分かっていても…それが素晴らしい夢であればあるほど、人はそのまま夢見ていたいと願うものでしょう?」

「じゃあ…今日のことも?」

「おそらく…自分を納得させるためと、あなたの為と…両方を思ってああいう対応をされたのではないかと思うのです」

「……そう…なのかな?」

「あくまで俺の想像ですけどね?」

 コンラートの言うとおりなのかも知れない。

 そう言えば、何度か《涼子》本人でなければ分からない内容の質問をされた折りにへんてこな返答をしてしまったと思うのだが…祖母はただ笑うばかりでそれ以上聞いてくることはなかった。

 意識的にか無意識的にかは分からないものの、祖母が有利との時間を少しでも長くしようと…《涼子ではない》という決定的な事実から目を遠ざけようとしていたことは間違いないのかも知れない。

「あなたのされたことは…他の誰にも真似出来ない、素晴らしい行いですよ。あなたがああして力づけておられなければ、あのフラウは今でも孫娘を失った痛手から抜け出せずに衰弱していった筈です。ですが、今ああしてあの方はとても元気になっておられる」

 コンラートは優しく…大きな掌で包み込むように有利の髪を梳き、額に軽いキスを落とした。

「我が敬愛する王よ…あなたの底知れぬ深い愛情は、大地に木々に…魔族に人に…慈雨の様に降り注ぐ。その愛が、人の胸に響かぬことなどありましょうか…」

「コンラッド…」

 じぃん…と胸に溢れてくる感動に、有利は堪らずコンラートの背に両腕を回すと、きゅう…っと力強く抱きしめた。

「ありがと…」

「俺は何もしてはいませんよ。ただ…少し無理の出てきた関係を一度整理して差し上げただけです。今後どのようにあの方に関わるかは…やはりユーリの判断にお任せしますよ」

「うん…うん……」

 こくこくと頷きながら、コンラートの大きな掌が頬を滑る感触に心地よさそうに目を細める有利。 

 …その眦が、急にひくん…っと跳ね上がった。

「こ…コンラッド?」

「なんです?」

「あの…その……手が、当たってるんだけど……」

「ああ、腿を触っている方の手でしたらお気遣い無く」

「いや、気遣うよ!何でどんどん奥の方に入ってこようとしてんだよ!?」

「スカートの下がどうなっているのか確かめさせて頂きたいな…と、好奇心が沸きまして…」

 するすると悪戯な指が大腿部を伝い上がっていく…。

「普通です!普通のパンツです!!いつも俺が穿いてる極っ々!普通のパンツですから!」

「ああ、それも良いですが…なんでしたらこちらをお履きになりますか?」

 そう言ってコンラートが紙袋から取り出したのは…

 ……新品の下着一式…勿論、女性仕様。

 如何にも清潔感のある女子高生が穿きそうな、清楚なデザインのコットン素材である。

「嫌だーっっ!!」

「そんな…今日のために色々買ったのに…」

 今日のために…と言うことは、黒瀬のことがあろうが無かろうが、こういう格好をした有利に何か悪戯を仕掛けることは以前からの想定に含められていたらしい。

「つか…物理的に入んないだろう?」

「俺がユーリのサイズを見誤るはずがないでしょう?」

「変な自信持つな!大体…どんな顔して買ったんだよこんなの!?」

「それはもう…にっこりと微笑んで《恋人用です》と言って買いましたよ?」  

 類い希な美青年が爽やか笑顔を浮かべてこんな商品をレジに出した日には…さぞかし売り子の方が緊張したことだろう。

 思わず想像して目頭を押さえていたら…頬を撫でていた手まで有利のネクタイを緩め、襟元をくつろげようとし始める。

「ちょちょちょっ!や、止めろってコンラッド!こ…こんな所でっ!」

「大丈夫ですよ。人目につかないところに停めましたから」

「いや、そういう問題じゃなくて!」

「……嫌、ですか?」

「だーかーらー!その顔は卑怯だから止めて!」

 捨てられた仔獅子の様に切なげな視線で見つめるのは本気で止めて欲しい。

 この眼差しを注がれて、《嫌だ》と言い切れた試しがないのだ。

「ね…お願い……ユーリ……」

 甘く耳朶に囁かれ、首筋の後れ毛をするりと指に絡められれば…有利の中に残された理性などフライパンの上で熱されたバターも同然に…とろりとろとろと蕩け崩れていく。

「…………ここじゃ…嫌だ………」

「では…最寄りのホテルに寄っても?」

「…………………」

 …こくりと頷いたのは、その数瞬の後であった。   

 

*  *  *

 

 後日…有利は涼子の祖母に葉書を送ることにした。

 季節の絵葉書に、ただ一言《元気です》と書き添えて送るだけの簡単なものだったが、それでもこの葉書に込めた思いは言葉に出来ない複雑さを秘めていた。

 あの祖母が孫娘ではない有利にどんな想いを持っていてくれたかは分からない。

 けれど…やはり祖母は信じたかったのではないかと思う。

 孫娘が…掛け替えのない存在が蘇ることを。

 それを信じたいというならば、やはり有利は《有利》という存在を晒すべきではないと思うのだ。

 だから有利は一枚の絵葉書に思いを込め…ポストに投函する。

『あなたの傍にずっといてあげることは出来ないけれど…あなたが元気でいることを、俺はずっと祈ってます』

 投函して踵を返すと、腰から下肢に掛けて両側性の放散痛が駆け抜けていく。それが脊柱管狭窄症のためでも下肢動脈の炎症の為でもなく…労作性の筋疲労から来るものだということは重々承知している。

 それでも…その痛みにさえ甘いものを感じてしまう自分の終わりっぷりが恥ずかしくもあり…

 同時に、…《ありがたい》とも感じる。

 コンラートが、昨夜…有利に触れていた。
 有利を愛し…有利を掛け替えのない存在として求めてくれた。

 彼が生きて、傍にいてくれることを実感出来ると言うことは、
何て素晴らしいことだろう!

 それは…誰に感謝して良いのか分からないくらい、とてもとても大切なことなのだ。

 おそらく…だからこそ、有利はあの祖母を放っておけなかったのだと思う。

 掛け替えのない存在を失ったとき…自分がどれほど狼狽え、傷つき、絶望したか…有利は胸を抉られるような痛覚と共に思い返せるから。

 自分にあのような痛みを少しで和らげる力があるのなら…そうしてあげたかった。 

  コンラートは、もしかしたらこの辺の想いも分かっていたから…有利の思い通りにさせてくれたのかも知れない(最後のオチはただ単に彼の趣味だと思うが)。

『あいつは何処までが嗜好の問題で、何処までが深謀遠慮の結果かよく分からないから…』

 苦笑しつつも有利の眼差しは柔らかく、口元に浮かべた笑顔は何処までも甘い…。

 

 秋晴れの空にひとすじの飛行機雲が浮かび…天穹に弧を描いていく。

 

『どうか…元気で……』

 

 有利の願いを載せるように、飛行機雲は長く長く伸びて…空を渡っていった。

  

あとがき

 「それでも君が好きなんだ」が無理ありまくりな展開だったため、多少言い訳めいた話というか…オチきらなかった話のオトシなおしをしてみました。

 それでも有利の尾行をするコンラッドてどうなの…的なアレはあるわけですが、事情を察し、有利が本当に困るまでは何も言わないであげただけ大人な態度であったと認定して頂けますでしょうか?

 別段続きを…とお願いされたわけでも何でもないのに書いてしまったおまけ話ですが、胡城様、よろしければ貰ってやって下さい★