「さくらんぼの嘘」A


 




 記憶がないままでは有利の警護は出来ない…そう判断されたものの、記憶を失って心細いであろうコンラッドが心配で、有利は出歩くときだけヨザックに警護を頼み、それ以外はなるべく魔王居室でコンラッドと共に過ごすことにした。

「ねぇ…思い出せない?俺のことも…」
「すみません…こんなに美しい主君を忘れてしまうなんて、本当に申し訳ありません…」
「いや、ウツクシーとか何とかは関係ないし。それに…」

 《俺、名付け子なんだよ?》…そう囁きかけようとして、有利は躊躇した。
あまり有利の方から知識を植え込んでしまうと、気を回す性質のコンラッドのこと…記憶を取り戻してもいないのに、まるで何もかも元通りに回復したかのように演技されてしまうかも知れない。

『そんなのは…ヤダよ……』

 全部思い出して欲しい。
 それが駄目ならば…せめて、演技ではなく新たに自分との記憶を積み重ねて欲しい…。

 有利は涙の滲む瞳でコンラッドを見詰めた。

 大切な大切な名付け親で大親友で野球仲間…。
 袂を分かつことになったり、もう永遠に会えないのではないかと思ったこともあるけれど、いつもどこかで深い絆を感じていたから、いつかきっと会えると信じていた。

 それが、こんなに近くにいるのに記憶がないなんて…今までの思い出を全部失っているなんて…。

『うぅ〜…ちょっと腹立ってきた……』

 これはコンラッドのせいではない。
 分かっているのだけど…せめて、何もかも忘れてしまっても有利のことだけは覚えていてくれたら良かったのにと、都合の良いことを考えてしまう。

 だから、じぃ…っと自分を見詰めてくる無心なコンラッドを見ている内に、ちょっとした悪戯心が芽生えてしまった。

「コンラッド…あのね?実は周りには内緒なんだけど、俺達…秘密の恋人同士だったんだぜ?」

 この時、有利は慌てふためくコンラッドの姿を期待していた。

 《男の子と恋人同士!?》とか、《年の差がありすぎなんじゃ…》とか…とにかく、忘れられてしまった鬱憤を晴らすべくちょっとだけ驚かせて、すぐに《冗談だよ》と言って笑うつもりでいたのだ。

 ところが…


「ええ…っ!?そうなんですか…嬉しい…っ!!」


 コンラッドは乙女のように頬を上気させると、両手を胸の前で組んで瞳を輝かせたのである。

「……………え?……」
「ああ…何という幸福なんでしょう…!記憶を失って初めてあなたを見たときから…運命のようなものを感じていたのです。《この愛らしい方は誰なのだろうか?》《この方が俺だけに微笑んで下さるのなら…俺は如何なる敵をも打ち倒し、愛の囁きを千万回も口にするだろう》…そう思っていたのですが、まさか本当に俺達が恋人同士だったなんて…」

 コンラッドの勢いに押されて、ぱくぱくと口を開くが声にならない。
 そんな有利の様子に、ふと…コンラッドの表情が曇った。

「恋人同士なのに…あなたのことを忘れてしまった不実な俺をお恨みですか?すみません…かくなる上は不誠実の報いを受けて、天の雷に撃たれてきます…っ!」

 豪雨が降り注ぎ雷鳴が轟く屋外に出ようとするコンラッドを、有利ははっしと裾を掴んで食い止めた。

「ああああ…アニシナさんの道具のせいだしっ!俺は平気だから…っ!」
「それでは…俺の愛を疑ったりはなさいませんか?」
「疑ってナイナイ」

 そんなの初めから無いし…と、思ったら…きゅうんと胸が締め付けられた。

『そうだよ…コンラッドが俺を好きなのは、王様とか名付け子とか…そういうので好きなだけなのに……』

 ちょっとした悪戯のつもりで言ってみたのだが、こんなに喜ばれてしまうなんて思わなかった。
 それに…今更《嘘》等と言い出したら、何が真実で何が嘘なのか分からないコンラッドは疑心暗鬼に陥ってしまうかも知れない…!

『俺…なんて事しちゃったんだろう?』

 今のコンラッドは記憶を失って、誰を頼って良いのかも分からない状況だというのに…よりにもよって恋愛に関する嘘をついてしまうなんて、酷いことをしてしまった。
 かくなる上は、彼が記憶を取り戻すまでは完璧な恋人役を演じきらねばならない…っ!

『千の仮面…までは被らなくても良いから、素敵な恋人役をやりきるぞ…!月影先生…見ていて下さい…っ!』

 《ユーリ…恐ろしい子》と言わせてみせる…!

 そんな意味不明なまでの決意を胸に秘め、握り拳を突き上げていたら…コンラッドが何かを期待するような瞳でじぃ…っと見詰めてきた。

「どしたの?コンラッド…」
「口吻を…しても良いでしょうか?」
「……っ!」

 月影先生が呆れ果てるほど、有利は恋人の演技が出来なかった。
 《ぽぱーっ!》っと顔から蒸気を噴き出すと、真っ赤になってしごもごしてしまったのである。

「えと…あの…その……」
「そういえば、俺達はどちらが攻めでどちらが受けなのでしょうか?」
「え?先攻後攻とかそういうの?」
「いえ…寝台での話なんですが…」

 えぇえええええ〜〜っ!?

『恋人同士って…男同士でもそういうのするの?』

 キスまではまあ何とか分かる。
 だが…寝台の上での行為ともなるとまさに未知との遭遇…宇宙人とアイコンタクトをとる方がまだしも手筈が分かる。
 
『攻めと受け…えぇ〜…?役割がどう違うのかな?取りあえず、俺…捕手だから…』

「えと…おれは、その…受けの方デス……」
「そうですか…!益々嬉しいですねっ!!」

 おずおずと両手を組み合わせて呟けば、にこぱぁあっとコンラッドの表情が輝きを増す。
 どうしよう…平均的家庭居室が必要とする昭光度の10倍はあろうかという輝きが、惜しげもなく浴びせかけられる。

 正直、眩しい。

「あれ…?えっと…俺が受けだとそんなに嬉しいの?」
「それはまぁ…あなたがお相手でしたらどちらでも構いませんが、攻めは受けの下肢を持ち上げたり、時には抱え上げて全体重を支えながら性交に励まなくてはなりませんからね。陛下が攻めとなると肉体的負担が大きいかと…」
「陛下って言うなよっ!ユーリって呼べよーっ」

 むかっと来た有利は反射的にコンラッドの肩をこづいた。

「今のは間違いっ!俺…ホントは攻めだった!眞魔国の言葉って難しいから、時々専門用語は間違えちゃうんだよっ!」

 体格差で受け攻めが決定されるとは思わなかった。
 嘘の恋人同士とはいえ、やはり受け手に回るのは恰好悪いかも知れない。

『きっと、コンラッドを抱き上げてキスしなくちゃいけないんだな?全体重とかは流石にきついけど…コンラッドに抱っこされて子どもみたいにキスされるよりはマシだ…っ!』

「そうなんですか?では…ユーリから俺に口吻して下さいますか?」
「えぅ…?」

 期待に満ちた琥珀色の瞳が、またしても眩しい……。

「攻めから受けにするのは普通のことでしょう?」
「ええ…あ、うん…そうだよね……」

内心おろおろと慌てふためいているのだが、どうにかこうには誤魔化すと…有利はコンラッドを寝台に寝かせた。

「目…閉じてくれる?」
「いつもはそうしていたのですか?」
「ん…うん……」

 恥ずかしくてお願いしたら、くすくすと笑いながら目を閉じてくれた。

 白いシーツの上にゆったりと横たわるその姿は、軍服に包まれながらも気品に満ちていて…それでいて親しみやすい柔らかみを帯びている。
 
『睫毛…長いなぁ……』

 普段は派手な美形に囲まれて少し地味に見えるけど、実は精悍な顔立ちが誰よりも有利好みの美しさを湛えているのだと再認識して、ついうっとりと見惚れてしまう。
 数多くの疵を刻まれながらも、白皙の肌は滑らかで…指先で少しなぞった頬はとてもすべすべしていた。
引き締まった頬に落ち掛かる睫は長く…淡い影が艶めいてさえ見える…。
 少し薄めだが、形良い唇にそう…っと自分のそれを寄せていけば、静かな息使いが感じられてドキドキと緊張してしまう…。

『どうしよう…俺、こんなこと…しても良いのかな?』

 恋人役をやり抜くと心に誓ってはみたものの…それは、有利の勝手な思いこみに過ぎない。
 度を超えてそんな役をやり抜いてしまって、本当に大丈夫なのだろうか?
 もしかしたら、余計にコンラッドを傷つけてしまうのではないだろうか?

『そうだよ…コンラッドに恋人がいたりしたらどうしよう!?』

 記憶が戻ったとき、《不誠実なことをしてしまった》とコンラッドは気に病むに違いない。

 唇が触れる直前の…皮膚の温もりさえ伝わるような距離でぴたりと止まった有利は、戦慄く唇でようよう言葉を紡いだ。

「ゴメン…コンラッド……」
「ユーリ…?」

 嬉しそうに微笑んでいたコンラッドだったが、有利の囁きに目を見開くと表情を強張らせてしまった。
 瞼を開いた途端…涙ぐんでいる有利を目にしてさぞかし驚いたことだろう。

「ゴメンね…コンラッド……俺、嘘ついてたんだ…。ちょっとからかうつもりだったんだけど…コンラッド、今は記憶がなくて不安なときなのに…嘘ついてゴメンね?もう…絶対嘘なんかつかないから、赦して…?」
「嘘って…一体どこからが嘘なんです?」

 案の定…不安に満ちた瞳を揺らすコンラッドに、有利は堪えきれなくなってぼろぼろと涙を零し始めた。


「ゴメンね…こ、恋人っていうの…嘘なんだ…っ!俺…あんたの王様で親友で野球仲間で名付け子だけど…恋人じゃあないんだよっ!でも、他は全部本当のことだから…ふ、不安に感じたりしないでね?」


 えぅ…うぇ……っ…


 しゃくりあげる有利にポケットから取りだしたハンカチを押しつけると、コンラッドは戸惑うように小首を傾げた。
 
「俺達は、恋人では…ないのですか?」

 しょんぼりと肩を落とす姿は見ていて可哀想なくらいで…少なくとも、記憶のない今は有利が恋人であるという嘘をとても嬉しい事実として認識していたのだと知れる。

「では、ユーリは俺のことを何とも思っていないのですか?」
「ううん…何ともなんてナイ…」
「でも、口吻などしたくないから恋人ではないと明かされたのでしょう?」

 傷ついている…。

 水膜を浮かべた琥珀色の瞳からそれを感じ取ると、有利はふるふると頭を振って否定した。

「違う…違うよ!もしも、俺に内緒でコンラッドが恋人を作ってたら、記憶が戻ったときに困るだろうって思ったんだ…!」
「では、口吻は平気?」
「うん…。平気だよ!」
「……本当かな…」
「う…嘘じゃないよ!?」

 疑われたことで激しいショックを受けるが、それも仕方のない反応である。

「ああ…何が本当で嘘か、俺には分からない…。何を信じたら良いんだろう?」

 寝台の上に倒れ伏して、コンラッドが両手で髪を掻き回して苦鳴を上げる。
 戻らない記憶と、新たに植え付けられようとする知識が真実であるのか疑わしくて、自己崩壊を起こし掛けているのかも知れない。

「コンラッド…コンラッド……っ!」

 思わず、有利はコンラッドの身体にしがみつくようにして抱きつき…荒っぽく唇を寄せていった。

 触れるだけの、キス。

 でも…触れあった場所から伝わる不思議なほどの熱量に、有利はクラクラと頭の中が大回転するのを感じていた。

 それでも、懸命に息継ぎをしてはキスを繰り返し…おずおずと舌を突き出したら、コンラッドがそれを誘い込むようにして口腔内へと絡み取ってくれた。

「ん…っ」

 鼻から漏れる甘い声が自分のものではないみたいで戸惑うが、嫌悪感は微塵もなくて吃驚してしまう。

『ふわぁ…気持ちいい……』

 さらりとした質感の舌が心地よく有利の舌を転がし、怯える仔猫を手懐けるように絡んでは撫でつける…。
 背骨がとろりと蕩けてしまいそうな心地よさに酔う内、有利は自分の黒衣がはだけられ…桜色の胸粒が外気に晒されていることに愕然とした。

「ユーリ…たとえ嘘でも良い…せめて、記憶がない間だけでも俺の恋人になって…?」

 縋り付くような切ない声に、胸が一杯に満たされて…有利は抵抗できなくなってしまう。

 無防備な胸へとゆっくり近づいてくるコンラッドの唇を待ちながら…有利は瞳を閉じて頷いた。

「うん……」



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