「恋愛ダービー」−2
「なあ、隊長。あんたは行かないのかい?」
「何処にだ?」
「《双黒の巫女姫》の魔王選びに決まってんじゃん」
皮肉げな蒼い瞳を猫のように細めて、グリエ・ヨザックがにしゃりと嗤う。相手が彼でなければ、コンラートに対する当てこすりだと思うところだ。
意図としては当てこすりに違いないが、その対象は第2王子でありながら混血でもある、この立場に向けたものだろう。
「何が姫だ。まだ幼い少年というじゃないか」
ウェラー卿コンラートは《ははっ》と軽やかに笑うと、後続の騎兵達を手で制してヨザックと共に先行する。幼馴染みであり、直属の部下でもあるヨザックとの会話はどうしても周囲に影響を与えてしまう。部下の中にコンラートを害する意図はないだろうが、忠実であるだけに、《閣下は今の立場に不満を持っておられる》等と勘ぐられるのは面倒だ。
コンラートとしては眞魔国内に於ける混血の立場を向上させたいという意欲はあるものの、その選択肢として異世界からやってくる《双黒》を取り込む気はない。眞魔国では貴色として尊重される黒を2つも身に帯び、強力な魔力を持つであろう純血のご機嫌取りなどゴメンだ。きっと気位の高い子どもだろう。
そんなコンラートの態度に、ヨザックは呆れたように溜息をつく。
「あーあ、やっぱやる気ねぇなぁ…あんたがその気になりゃ、世間知らずな子どもくらいポ〜っとさせる事なんて簡単だろ?今回の任務だって、俺たちに任しときゃいいのによ」
「俺が目の色かえて《双黒墜とし》に没頭したら、それはそれで軽蔑するくせに」
「ま、そういう側面はあるわな」
《くっくっ》と咽奥で嗤う男は、癖のある柑橘色の髪を揺らしてコンラートの肩を叩いた。
「その微笑…堪んねぇな。馴れてる俺でもそそられるんだ、ホント、あんたがその気になりゃあもっとお偉いさん連中も取り込めるのにな」
「そして混血の王子は、《房事で今の地位を築いた》と言われるわけだ」
「事実無根の今だって言われるんだ。どうせなら利用しちまえば良い」
「気色悪い。どうせ自由にならん人生なら、床でくらいは佳い女と寝たいさ」
「どんな佳い女にも惚れたりはしないくせに」
「お前こそ」
ウェラー卿コンラートはかつての仇敵シマロンとの間に勃発した大戦で奇跡的な勝利を果たし、《ルッテンベルクの獅子》《眞魔国の至宝》と呼ばれる身となった。だが、その後も幾多の戦場で功績を残したものの、その扱いがさして向上することはなかった。以前のようにあからさまな侮蔑を受けることは無くなったものの、やはりこうして一国の進路を定めるような事態になれば、有形無形の妨害を受けることになる。
摂政フォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルや、十貴族の雄、フォンビーレフェルト卿ヴァルトラーナなどがその代表格か。今回与えられた国境紛争の任についても、その性急さと重要性の無さはあからさまなほどだ。国庫に掛かる負担を考えて手早く終わらせはしたものの、やはり予告されていた召還日には間に合わなかった。
ヨザックが言うようにコンラートだけ早く帰っていたとしても、また別の難題を突きつけられたことだろう。
戦場だけではなく、色事に関しても《英雄》扱いされるコンラートを、万が一にも大切な《双黒》に近づけたくないと見える。少年相手にまで、そんな能力を発揮する気など無いのだが。
「それにしても、眞王陛下も奇妙な試みをされるものだ。希少な《双黒》を二人も異世界から召還された上に、どちらかと恋に落ちた者を魔王に指名するとはな」
《ふぅ…》っと洩れた吐息が慨嘆を含むのを、眞王批判と受け取らないでもらいたいものだ。眞王の存在を否定はせずとも、現魔王の政治力の無さから考えると、どうしても今回の突飛な選定方法が眞王の気まぐれとしか思えなくなってしまう。
そう感じてしまうこと自体が、批判と言えるかも知れないが。せめて愚痴くらいは零させて欲しい。
「ま、どうせならフォンヴォルテール卿に射止めて欲しいもんだね。十貴族の中じゃあ、あの人は随分マシな人だ」
「色事に関しては?」
「………あーー〜…うん」
異父兄に対するコンラートの指摘に、ヨザックは苦笑を隠しきれない。フォンヴォルテール卿グウェンダルは政治的・軍事的能力を共に持ちながらも武骨すぎる性格のためか、あまり色事に関する噂を聞いたことがない。まさか童貞と言うことはないだろうが、少年を口説くとなれば、上手く言いくるめてどうこうというのは想像がつかない。
「それでいやぁ、我が儘ぷー閣下だってそうだろうよ。良くも悪くも真っ直ぐすぎる気質だし、ありゃ完全に童貞ちゃんデショ?」
「ヴォルフはあれで良いのさ。まだ成長過程だし、今回もどうせヴァルトラーナに言われて仕方なく立候補したんだろうしな。グウェンに決まれば、何も文句は言わないだろ?」
コンラートにとっては幼い頃から変わらす可愛い弟なのだ。あまり悪くは言いたくない。それに、色事に馴れて上手に口説く姿も兄としてはあまり見たくない。
幼い頃、宴席で女性を口説くコンラートに対して、涙目で《兄上の、女たらしっ!》と非難してきたあの頃のままで居て欲しいと思うのは兄バカ故か。
「それでいくと、やっぱシュトッフェルのクソ野郎が上手くとりいっちまうのか?異世界からやってきて心細いときに、ちやほやして可愛がってくれたら10代の子どもは懐くようなぁ〜」
「面白くも何ともない未来予想図だな」
シュトッフェルは既に中年期から老齢に差し掛かろうという年頃だが、色事に関しては実に細やかで、周到な取り組みをする。武骨だったりきゃんきゃん吠え立てたりする兄弟に比べたら、短期間に好意を持たれそうなのは確かだ。果たしてそれが愛にまで昇華されるかは分からないが。
「…30日のお試し期間内には王都に戻れる。その間に、《双黒》の耳元へグウェンダルの美点でも囁いてやうか?」
「頼むからそうしてくれよ。結果、あんたが選ばれても俺としちゃ願ったり叶ったりだしな」
「そんな都合のいい話があるか」
「あんたなら可能性あるってぇ〜」
半分くらいは真剣みを帯びていそうな眼差しでヨザックが嘯くが、コンラートは苦笑するしかなかった。コンラート自身がどう考えていようと、シュトッフェルやヴァルトラーナが思うようにさせてくれるとは思わなかったからだ。
* * *
王都に帰還してきたコンラートには、案の定《双黒》にお目通りする機会は与えられなかった。何かと理屈をつけては引き離され、血盟城の中でもかなり奥まった書庫に追いやられ、無駄に時間だけが掛かる戦史整理を命じられた。おそらく、数日もしないうちに遠方勤務を命じられることだろう。
『よほど警戒しているのかねぇ』
もう何度こうして、呆れと怒りに晒されてきたことだろう?もはや感情を動かすのが面倒になるほどだ。
埃と紙の匂いが立ち込める書庫の中で、少し鼻がむずむずするのに辟易しながら溜息をつく。
『ジュリア…君が護ろうとしたこの国は、ちっとも改められていないよ』
かつての大戦で魔力を振り絞って負傷兵を治癒し、命を喪った親友を想うと、コンラートの胸には疼くような痛みが訪れる。
激戦で重傷を負ったコンラートが彼女の死を知ったときには自暴自棄に陥り、一時は軍隊を辞めようと思った事もあったが、結局はルッテンベルク師団を再構築して率いる事になった。生き残った連中が他の部隊に四散させられ、純血魔族の元で差別されながら兵役を続ける事が堪らなかったからだ。
だが、これでシュトッフェルが魔王の座に着くような事があれば、流石に軍籍から外れたい。幸い後継を任せられそうな将官も増えてきたから、師団の連中がすぐさま路頭に迷うような事はあるまい。
『辞めたら…何をするかな』
コンラートは何でも器用にこなすが、その分、あまり物事に熱中する方ではない。基本的に執着心に乏しいので、誰かに強く必要とされない限り、何かをしたいという衝動に駆られる事もなかった。
カタ…
「ん?」
書庫の片隅で物音がした。物思いに耽っていたせいか、コンラートとしたことが人の気配に気付かなかったらしい。
「誰だい?」
短い誰何の声に険はない。先程まで気付かなかったコンラートが言うのも何だが、気配に殺気や害意は含まれていない。それに、呼吸音は一人分しか聞こえなかった。刺客という事はあるまい。たった一人で《獅子》を殺害できるような手練れがいるとは聞いたことがない。
「○○○!」
書棚の影からひょこっと現れたのは、華奢な体格の少年だった。
健康的でまろやかな頬に伸びやかな四肢。ツンとつついてやりたくなるような小さめの形良い鼻と、ふっくりした質感の唇。
それらは目にした途端に、ぽんっと胸が弾むような愛らしさであった。少年の全身から迸る生命感に惹かれたせいだろうか、コンラートは少年の希有なカラーリングに気付くのが一拍遅れた。
少年が羽織っていたマントのフード部分を後ろに垂らすと、至宝の色彩を呈する見事な黒髪が現れた。くりんとした瞳もまた、美しい黒だ。
「…《双黒》?」
馬鹿な。
厳重に遠ざけられているはずの《双黒》が、なんだってこんなとこにいるのか。
『それにしても…』
コンラートの方を興味深げに見つめている少年には、《双黒》という特殊な存在への先入観を覆すような印象があった。
もっとこう…何というか、《完璧な美貌》とか《近寄りがたい崇高さ》とかいったものを感じるのではないかと思っていたのだが、少年から感じるのはなんとも言えない親しみやすさだった。まるで、森で出会った可愛らしい小動物が《ともだちになってくれますか?》と、きらきら光るドングリみたいな瞳で聞いているみたいだ。
自然とコンラートの表情も柔らかいものになる。
「初めまして、俺はウェラー卿コンラートと申します。今日はどうしてこんな埃っぽい部屋へ?」
近寄って行っても、やはり人懐っこい性質なのか警戒の色はない。寧ろ、コンラートが親しげな対応をしたせいか、ニコニコ顔で向こうから近寄ってきてくれた。
「○○○」
「うーん…何を言っているか分からないなあ」
異世界から来たという《双黒》は、どうやら眞魔国語が出来ないらしい。諸地域の少数民の言語に精通しているコンラートをもってしても、言葉の意味を掴む事は出来なかった。
それでも少年は何かを伝えたいのか、身振り手振りで示そうとする。
「ユーリ」
自分を指さして何度か繰り返したから、多分それが彼の名前なのだろう。コンラートもにっこりと微笑んで、自分を指し示した。
「コンラート」
「こんらぁ…ど?…ん〜…コンラッド?」
「うん。コンラッドが呼びやすかったらそっちで良いよ」
《コンラッド》と頷きながら繰り返すと、ユーリは嬉しそうに名前を呼んでくれた。
* * *
《眞王廟》と呼ばれる場所から《血盟城》というお城に居場所が移っても、有利の生活が変わる事はなかった。
毎日立派な身なりをした男達が来て何事か喋っていったり、村田から眞魔国語を習うという毎日は極めて退屈で、《中庭に出てキャッチボールしようぜ》と誘っても、村田は運動神経に自信がないからと拒否してしまう。衛兵の皆さんにも村田を介して頼んでもらったが、《そんな畏れ多い!》と恐縮してしまって話にならない。
外出は認められないわけではなかったが、出るとなると厳重な警戒態勢を敷いて、ぞろぞろと沢山の警備兵を率いて行かなくてはならないと聞いては、ゲンナリしてしまって頼む気も起こらない。
こうなると、うずうずしてくるのが渋谷有利という少年の特性だ。30日間も息苦しい空間に腰を据えておくなんて冗談じゃないし、そもそも、一国の王様なんて大層な存在を決める立場にありながら、村田の説明だけでしかこの国の事を知らないなんて問題はないだろうか?
そう思った有利は村田にだけ《城の中を探検してくる》と伝えて、髪が目立たないようにマントを羽織ると、与えられた部屋の窓から脱走してみた。村田は少し驚いたみたいだったけど、《渋谷らしいなぁ》と、不思議な印象の微笑みを浮かべていた。村田が有利の事をそんなに把握しているとも思えないのだけど、その表情は呆れていると言うよりも、《そういう君で嬉しい》と言っているみたいに感じられた。
単なる勘違いかも知れないけど。
村田が口裏を合わせてくれるなら、夕食までは探さないでくれるだろう。そう期待して城の中を彷徨っていた有利だったが、幾らも行かないうちに城外に出るのは困難だと気付いた。衛兵の配置もだが、そもそも構造的に外敵からの攻撃を防ぎやすい建て付けなのだから、当然出て行くのだって制限される。城の背面は断崖絶壁だし、市街地に面した側は高い壁に覆われ、大きな城門が厳重に護られている。
仕方がないので行けるところまで行こうと、どんどん人気のない方向に進んでいったら、古めかしい本がみっしりと詰まった部屋にやって来た。そこは書庫らしく、高い天井の最上段まで重要そうな文書だの、羊皮紙のような雰囲気の地図やら巻物だのが見受けられる。ただ、大切にされているようだが流石に埃っぽい。
沢山の本があっても読めるわけじゃなし、用は無いなと思って立ち去りかけたら、奥の方から声を掛けられた。
『へえ、綺麗な声』
伸びやかな、若い男の声のようだ。
他にひと気はないから、有利に掛けられたのは間違いないようだし、ちょっと挨拶くらいはしておこうかと進んでいくと、印象的な瞳を持つ優しそうな男性がいた。
にこ。
微笑まれた途端、ぽこんと胸の中で何かが弾む。
偉そうな雰囲気の男性陣やら、やたらと萎縮しまくる衛兵達という両極端な人々に囲まれていたせいだろうか?青年の醸し出す穏やかな雰囲気が堪らなく慕わしかった。
お互いに声を出し合って意図が通じないのを確認すると、有利は初めて《ああ、この国の言葉習いたいな》と思ったくらいだ。
それでも、名前だけは交換できた。彼はコンラッドというらしい。若々しく律動的で隙のない動きをする彼が、何故こんな窓際族的な仕事をしているのかは分からないが、会えて本当に嬉しい。
コンラッドには何かやらなくてはならない仕事があるようだったが、有利がここにいて邪魔という事はないらしい。座っていた席に戻って何か配置図のようなものを整理しているのを横で見ていても、何も言われなかった。
配置図はよく見ると、戦争の時の陣形らしいと分かった。多少着崩してはいるが、制服のようなかっちりした服を着ているからやはり軍人さんなのだろう。
『文字を見ても分かんないけど、図示されると流石になんとなくでも意味は分かるな』
ピンときた有利はコンラッドに目配せして、メモ書き用と思しき紙とインク壺を借りると、ペン先から垂れそうになるのに苦労しつつも、絵みたいなものを書いてみた。
紙に書いたのは、地球から水の流れに巻き込まれて噴水に落っこちた二人の男の子、そして、毎日訪れる貴族達の姿から矢印を伸ばして男の子達に合わせる。男の子の内、眼鏡をつけていない短髪の子の顔には縦線を入れて青ざめさせ、ぐしゃぐしゃっとした煙のようなものを出す。
コンラッドがくすくすと笑っているのが分かった。
気をよくして、コンラッドに似せた青年(白い歯を光らせてみた)の横で、両手を上げて喜んでいる男の子を書くと、《あんたに会えて嬉しい》という気持ちが伝わったのか、少しはにかむように微笑んだ。
すると、コンラッドも何か描こうというのか、有利からペンを受け取ってカリカリと描き始めたのだが…。
「…っ!」
笑っちゃイケナイ。
有利だって人の事を言えた立派な絵など描いていない。…の、だが…。
『こ…こんな如才無さそうな美形でも、苦手な事ってあるんだぁ〜っ!』
コンラッドは芸術的なまでに…絵が下手だった。
髪を塗りつぶしているから辛うじて有利と分かる歪なお団子の集団と、比較的直線で構成されたエイリアン的な何かは、どうにかコンラッドの姿だと判別できる。先に有利の絵の流れがなかったら、絶対に分からなかったとは思うが。
爆笑を腹の中に無理矢理押さえ込んでいたら、へにょりと眉を下げてちょっと恥ずかしそうにしている。自分でもここまで壊滅的な画才だとは思わなかったのかも知れない。
それでもめげずに、コンラッドは頭を塗りつぶした団子の中に小さな凸型曲線を2つ描いて笑顔を現す。《笑っても良いよ》ということだろうか?
「ぶは…っ!」
遠慮無く笑わせて貰ったら、コンラッドは今度は苦笑していた。でも、そんなに気分を害した風ではない。
それから、二人は時間を忘れて絵を描き合った。コンラッドも相変わらず下手ではあったが、漫画表記に馴れた有利が色んな表情を単純な直線・曲線・点・○・△などで表現するのに気付いて、それをなぞる事でわりとはっきり意志を示せるようになってきた。特に、《OK》なら○、《ダメ》なら×というのは万国共通らしく、問いかけに対する答えとして重宝された。
こうなると、調子に乗ってかなり無茶な希望も出したくなってくる。
有利はちらりと上目遣いにコンラッドを見上げた後、お城っぽいものを描いて、そこから飛び出していく二人の姿を描き入れた。
コンラッドは考え込んだような顔をしてしばらく、○も×も描かなかったのだが、有利がやはりダメかとしょんぼりし始めた頃、2つの高まり(多分山だろう)の中に丸いもの(太陽?)が入り込んで、また出てくる様子を描いた後、有利が描いた《城出》の絵をトントンと指で叩いた。多分、《明日なら大丈夫》ということだろう。何か準備や手回しをしてくれるのかも知れない。
「良いのっ!?」
瞳を輝かせて見上げると、こくんと確かに頷いている。
『やった…やったぁっ!』
跳ね回りたいような気分でいた有利は、ふと天窓から微かに差し込む陽射しが、柑橘色を帯びている事に気付く。
「あ、そろそろ帰んないと」
遠出をするなら村田にも相談しなくてはならないだろう。有利は夕食を食べる自分と村田の絵を描くと、コンラッドに向かって《バイバイ》というように手を振った。コンラッドも同じように返してくれるから、ひょっとするとこれも共通の動作なのかも知れない。
偉そうな人たちにペラペラと捲し立てられているときには、見るからに《外人さん》といった風貌もあって、魔族達を自分とは全く異なる生物のように感じていたのだが、こうしてコンラッドと絵を通じて意思疎通を図れたおかげか、彼らがちゃんと血肉の通った存在なのだと知れる。
おかげで、夕食の時には随分とふくふくした表情でメニューを平らげる事になった。
* * *
部屋に戻って村田に今日の事を打ち明けると、村田がコンラッドの名前を確認してきた。
「コンラッドって言ったの?姓は?」
「あー、その辺は聞き取れなかった」
「《ウェラー》って言ってなかった?」
「言われてみれば、そんな感じだったかも…」
「茶色い髪に精悍な顔立ち、カーキ色の軍服とくればきっとウェラー卿コンラートだろうね」
村田は《フォン》をつけなかったので、とりあえず十貴族とかいう《お偉いさん》家系ではないのだろう。まあ、そんな肩書きの人だったらあんな閑職に回されたりしないか。
そんな話をすると、村田は不審げに眉根を寄せた。
「ウェラー卿と言えば、《ルッテンベルクの獅子》として知られる勇猛果敢な軍人だよ。率いているのは師団級とはいえ、軍団を率いるに十分な能力を有していると聞く。そんな男に書庫の管理だって?」
「えっ!?凄い人なの?」
「母親は現魔王フォンシュピッツヴェーグ卿ツェツィーリエだしね」
「あれ?ってことは、グウェンダルとかヴォルフラムと…」
「そう。彼らは異父兄と異父弟だよ」
そんなサラブレット家系にもかかわらずコンラートが何かと冷遇される最大の要因は、彼が混血というものである為らしい。この国の人たちが魔族と呼ばれる長命な種族だとは聞いていたが、人間とは随分と大きな確執があることを、有利はこの時初めて聞いた。
《だったら俺や村田だって人間じゃん!?》と吃驚したが、信じがたい事に、有利たちは地球に送り込まれた魔族の末裔であるという。ただ、確かに人間の血も入りまくっているので、混血であるのはコンラッドと一緒のようだ。
それにしても、何十年も眞魔国のために身命を擲って闘っている軍人さんに対して、ただ人間とのハーフであると言うだけで冷遇するとは何事だろうか?
「ウェラー卿と二人きりで遠出するなんて表だって言うと、摂政殿辺りから確実に邪魔をされるね」
「何とかなんないかな?」
「うーん…そうだね。変装すれば何とかなるかな?あと、万が一ばれちゃったときには《眞王陛下のご指示です》って言っといたげるよ」
「やった!ありがとうー、村田っ!良い奴だなーっ!!」
飛び上がって喜ぶ有利だが、自分ばかり楽しく遠出する事に多少忸怩たるものも感じてしまう。
「村田は…どこか出かけたりしないの?」
「僕は良いさ」
「でも、懐かしいとこなんだろ?見に行っときたい所とかないの?」
「随分と様変わりしているだろうし、行っても当時の人は居ないしね」
「あ…」
しまった。悪い事を聞いただろうか?
「ゴメンな、そーだよな。無神経な事聞いて悪かったな」
「…渋谷ってさ、ホント素直だよね」
「え?」
「あのさぁ…僕が自分の立場固めるために、君を冷や飯喰らいの混血と結びつけて、自分はもっと有力な奴を取り込もうとしてるとか疑わないわけ?」
村田は邪気のない笑顔で、《今夜は肉じゃがだってさ》と伝えるくらいの口調でおどろおどろしい事を聞いてくる。どういう意図で言っているのかよく分からないが、有利は少し視線を上げて考えをまとめると、へにゃんと笑うしかなかった。
「村田がそうしたいなら、それでも良いんじゃない?」
「ふぅん…寛容なんだね」
村田の眼鏡が、意味ありげに光ったように見えた。
「…それとも、この国のこととかどうでも良いのかな?」
「良いかどうか確かめるために、城を出てみたいんだ」
反射的に返した言葉だったけれど、それはとてもしっくり来る。勿論、城の中での同じルーチンに飽き飽きして、そこから飛び出したいというのも大きいのだけど、コンラッドに出会ってからは《城出》の意味合いが変わってきた。
『もっと知りたい。この国がどういうところなのか』
そして、有利の役割が何なのか確かめてみたい。
この世界にやってきたときには、優秀な村田健という《主人公》に対して、《勘違いした友達》の立場にはなりたくないと思っていたのだけれど、恥の回避だけが目的の消極的な行動に違和感を覚え始めていた。
この世界の主人公ではないのだとしても、有利は有利だ。
唯一人の渋谷有利だ。
渋谷有利という人生の中では、間違いなく主人公なのだ。
同時に、村田もまた彼の人生における主人公だ。特に、この国が彼にとって大切な思い出の残る国であるというのなら、少なくとも自らの保身のためだけに有利を陥れるなんて事はないだろう。彼の事はよく知らないから勘ではあるのだが、そんな底の浅い策略は企てないように思う。
もっととんでもなく底知れない計略を、千年単位で企てそうではあるけど。
「村田は村田がしたいようにしたら良いんだ。お前、腹黒そうだけど自分のためじゃなくて、もっと大きなもののためにその腹黒さを生かすタイプに見えるもん」
「褒められてるんだか、貶されてるんだが…」
「あはは、どっちもかなぁ。ま、とにかく俺は自分に出来る事を探してみるよ。どんなにちいさくってもさ、何か成し遂げれたら良いなって思うんだ」
村田との違いに落ち込んで、脇役としてぐじぐじしているよりも、何か有利に出来る事をしたい。それでこそ、生きていく意味がある。
「渋谷って、やっぱ良いな」
「え?」
「君の事、気に入っているって言ってんの」
「はあ。そりゃありがたいこって」
「ふふ」
村田が珍しく、本当の意味で屈託のない笑顔を見せたものだから、不意に蘇った情景があった。そういえば、中学2年の時に一度だけ、彼が本心を晒しているのかなと感じた事があった。
『確か…野外活動の夜だっけ?』
* * *
テントに男ばかりごろごろと10人ばかり入って雑魚寝していた中、酷く魘されていた村田は3人くらいの男子に蹴られるようにして起こされていた。目を覚ました村田が一人でテントの外に出ようとしていたのが心配で、有利は何となくついていった。
初秋の時季とはいえ、夜間の山は身を震わせるほどに寒かった。鳥肌を立ててぶるると震えていると、村田は珍しくぼうっとしたように顔を上げて、都会では見られない鮮やかな星空を見つめていた。有利は《綺麗だな》と思ったけれど、村田はそう感じているとは思えなかった。ぽそ…っと呟いた言葉も、今思えばこの状況とリンクしている。
『僕の知ってる星座と、違う』
あの頃の有利には意味がよく分からなかったれけれど、アホの子なりに一応中学生だったから、《ひょっとしてコイツ、小学校までは南半球で育ったのかな》とか、その程度に考えていた。まさか星自体が違うなんて分からなかったし。
だから、かなりトンチンカンなコメントをしてしまったように思う。
『村田、頭良いからこっちのも覚えられるだろ?』
『…まあね』
いつもはそつなく振る舞っている村田が、この日だけは酷くセンシティブになっていたようだ。皮肉げな笑みはとても《優等生眼鏡君》には見えなかった。その表情は宵闇を受けているせいなのか、疲れ切った老人のようにくすんでいた。
『僕は覚えていくよ。たくさんのことを。今まで覚えたものも殆ど忘れる事はない。でも…それが何になるのかな?』
記憶力が良いってことは、それだけ大変な事もあるらしい。全くもってそんな実感をした事などないので到底想像の及ぶ範囲ではなかったが、有利は少しのあいだ黙って、自分なりの答えを探してみた。
『何になるのか考えるために、俺たちは今こうしているのかもしんないな』
『こうして?』
『うん。こんだけパソコンとか色んなモノが発達してるんだったら、一人っきりで家の中に籠もって情報を集める事だって出来るし、実際、そうして暮らしている人も居るんだと思う。でも、殆どの人は学校行ったり会社行ったりして、やっぱ直接顔を向けて、声をかわして生きてるだろ?そうしていく中で、自分が持ってるものが誰かの役に立つのを実感してんじゃないのかな?村田は勉強が出来て、色んな事を覚えられて、その方面で誰かの力になれるし、俺はぁ〜…んー、勉強はできないけど、こーして色んな事覚えすぎてしんどくなった村田の話、聞いてあげられる』
『……』
『今日だってホラ、俺たちクラスメイトなのにお互いのこと全然知らなかったけど、言葉をかわしたらちょっとだけ知れただろ?なあ…俺に話してみて、ちょっとだけ気が軽くなってない?』
『そう…だね』
村田の大きな瞳から、その時ほろりと零れたのは涙のように見えたけど、有利は何も言わなかった。村田はゆっくりと空を見上げて、目元を拭うような動作は見せなかった。
『誰かの力になるって、凄く元気が出るだろ?俺、道聞かれてちゃんと教えられただけですごい嬉しくて、生きてて良かったって思うもん。村田が知ってる事、教えて貰って物凄い感謝する奴はきっといるよ。南半球の星座だって、南半球で天体観測したい人にとっては物凄く重要じゃん』
『君も…喜んでくれるかな?』
『そりゃ勿論』
あの夜村田が浮かべた笑顔は、丁度いま有利が見ているのと表情だったように思う。
日常生活に戻ってみると村田との関係は相変わらずで、顔を合わせたら挨拶をする程度だったけれど、有利の中には確かに彼の印象が残っていた。すぐには結果が出なくても、今こうして繋がりを持つ事が出来たのならば、きっとあの夜には意味があったのだ。
『うん。コンラッドと城下町に出る事だって、きっと何か意味を持つよ』
閉じこもって一人でグルグル考えていたのでは分からないことが、きっと見つかる。
そう信じて、有利は村田の協力を仰いだ。
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