第三章 [ーA






『双黒…』

 曙(あけぼの)の陽が眩しい蒼天から、4頭の獣と騎乗する男達が舞い降りたとき…最初にアーダルベルトの目を惹いたのはその点であった。

 漆黒の髪と瞳を持つ小柄な少年…。
 最初、彼がヨザックに聞いていた《第27代魔王陛下》かと思ったのだ。

 しかし、彼が大地に降り立ちアーダルベルトに目を向けたとき、本能的に《違う》と感じた。

 この少年は、絶対に…コンラートにどのように掻き口説かれたとしても自分の治めるべき国を置いて、異世界になど《人助け》には来ない。
 冷徹な眼差しは観察者のそれでアーダルベルトを見詰め、自分に有益な情報を引き出そうとしている。

 彼の目は支配者のものであって、心優しき《おうさま》などではない。

『何者だ…?』

 魔王ではないとしても唯人であるはずはないし、この世界の住人であるはずもない。
 このように純粋な《黒》で構成された者が居るとすれば、世捨て人同然のアーダルベルトとはいえ、噂ぐらいは耳にしているはずだからだ。

 彼の周囲を護るように3人の男達が揃う。

 その一人は黒衣が魔王たる身分を示すコンラート。確か、ヨザックの話ではレオンハルト卿コンラートと名を変えているはずの男だ。
 複雑な心境でアーダルベルトを目にしているのだろう…彼の眼差しには複雑な色がある。それは、荒(すさ)みきった姿への同情だけではなかった。

 この世界で唯一、《罪》を共にする者への共感が強いのかも知れない。

 そして他の二人は…これは、話には聞いていたものの…見ていると奇妙な感覚が生じる。
 二人は共にオレンジ色の鮮やかな髪を持つ男達だった。何の説明もなければ素直に双生児だと思ったことだろう。
 眼帯をした一人が、こちらの世界のヨザック。両目揃っているのが異世界のヨザックであるはずだ。

「やあ、フォングランツ卿…僕の名は村田健。異世界で大賢者と呼ばれている者だよ。今日、僕が君を訪ねたのは他でもない。君が持つスザナ・ジュリアの魂に、彼女の本意を問いただしたいからさ」

 名乗りから本題への突入まで5秒と掛からなかった。
 あまりにも重たいはずの話題をさらりと持ち出されて、アーダルベルトは《ぐぅ》…っと息を詰めた。

『こいつ…子どもの様な顔をしているが、中身は違うんじゃないのか?』

 繊細な造りの顔立ちと華奢な体格に騙されそうだが、決して虚勢ではない余裕ある態度は、彼が既に様々な修羅場をかいくぐってきたことを証明していた。

『そうだ…大賢者と言ったか?』

 では…眞王と同じく、眞魔国を建国から見詰めている男なのか?

『化け物…』

 素直すぎる感情の高ぶりを見据えたように、村田はくすくすと嗤って見せた。

「気持ち悪いだろ?僕もそう思うよ…。全く、眞王という男は悪趣味にも程があるが、この大賢者という機構も不自然極まる。幾代にも渡って転生を繰り返し、大賢者としての記憶を受け継いでいくんだからね…当然、僕の存在も四千年分の重みで歪んでいてもおかしくはないね」

 またしてもさらりと流された。

 この少年は、秘すべき時にはその身を引き裂かれても決して口を割らない代わりに、彼にとってどうでも良いことについては恐ろしく腹を割って話す主義なのだろう。
 
「ま、それは置いておいて…。立ち話も何だ。座って話そうか?」

 村田は銀色の獣の背から荷物を降ろすと、幅広の敷布を草原に広げた。するとその上に、二人のヨザックやコンラートが鞍代わりに使っていたクッションを置き、背嚢からとりだした水筒やら食糧を広げ始めた。

「悪いけど、食事をとらせて貰うよ?獅子王君も僕も急がしい身なんで、慌ただしく仕事を片づけてから来たもんで、昨日から食事を採ってないんだ。ああ、でも君とはゆっくり話をさせて貰うから安心して?政務の方はフォンヴォルテール卿に任せてあるからね」

 甲斐甲斐しいヨザック(異世界版)に飲食物を差し出されるたびに、村田は意外なほどの健啖ぶりを見せて、野菜や薫製肉の薄切りを挟んだものにぱくついていく。
 
「コンラート…お前、本当に魔王になったのか?それに…フォンヴォルテール卿が代わりに政務に就いているとは…。シュトッフェルの野郎はどうなったんだ?」
「まあ、そういうことになった。シュトッフェルについては…十貴族会議の席で正式な罪状が決定することになるが、それまでは血盟城敷地内の部屋で軟禁状態としている」
「罪状だと?」

 あの男を、法によって裁くことのできる治世になったというのか?
 それは、ある意味では見渡す限りの緑野よりも強く、アーダルベルトには不可思議に感じられた。

 彼がかつて絶望し、投げ出した国は…何という変貌を遂げたのだろう?

「公的資金の横領・偽証・不当逮捕・拷問等々…ま、色々あるさ。君がいた頃だって、叩けば埃の出る身だったろう?それから数十年経過しているわけだからね。色々と汚泥も溜まっていたわけさ。隠蔽工作も粗雑だったから、簡単に証拠も集まった。だけどね、僕は彼に同情もしている。自他共に無能だと分かっていたはずなのに、彼を摂政の座から降ろすことの出来ない体勢を作った一因は眞王にある。彼の存在が…彼が決めた魔王が指名した者という肩書きが、あの男を摂政たらしめていたわけだからね」

 村田がぺろりと指先を舐めていると、ヨザック(異世界版)が素早くお手ふきを差し出す。長年連れ添った夫婦のような、阿吽の呼吸だ。

「やれやれ、何とかお腹が落ち着いたよ。じゃ、本題に入ろうか?魂、出してくれる?」

 丁寧に布巾で口元と手を拭くと、村田は居住まいを正してアーダルベルトに向き直った。

「……嫌だと言ったら?」
「謎が残るね」
「…それだけか?」
「それだけだよ。僕にとってはね。寧ろ、気に掛かる度合いは君と…獅子王君の方が大きいだろう?僕にとってそれは、《渋谷の中に入らなかった魂》だけど…君達にとっては何物にも代え難い、大切な女性のものだった魂だろう?」
「くそ…気にくわねぇな、その物言い…」
「そりゃしようがないさ。君は眞王の遣り口が気にくわなかった…。その片棒を担いでいた僕に敵意を感じるのは致し方ないことだ。だけどね…これだけは言っておく。僕は珍しく損得勘定を抜きにして、その魂には幸せになって欲しいんだよ」
「……信じられるか!貴様、ジュリアの魂をどうするつもりだ!?」
「君はどうしたい?」
「………っ!」

 アーダルベルトの声が詰まる。

「どうにも出来なかったんだろう?開放されたくて、ここに来たんじゃないのか?」


「来たのはお前等だ…っ!」


 アーダルベルトは獣のように吠えると、血走った眼を見開いて大ぶりな法石を掲げた。
 すると…彼等を取り囲むようにして、大地に五芳星と幾つかの文字列とが浮かび上がった。
 
 五芳星の頂点にはそれぞれ法石が埋め込まれているらしく、強い法力が図式の内部に溢れてくる。

 だが…顔色を変えたのは村田達ではなく、アーダルベルトの方だった。

「何故…効かない!?」

 そう、村田は平気な顔をして食後のお茶をヨザックに注いで貰うと、悠々と一服するほどの余裕を持っていたのだ。
 思い入れたっぷりに叫んだアーダルベルトの立場がない…。

「効いていないこともないさ、ただ…僕の持ってる魔力は、渋谷…あちらの世界の魔王の増幅器としての力くらいしかないから、法力の影響を受けにくいんだよ。そもそも混血だし」
「混血…?双黒の身でありながらそんな筈が…」
「アラスカ…とか言わないんだよね、こっちの獅子王君はつまんないなー…」
「は?」

 勝手に《つまんない》扱いされたコンラートは意味が分からないながら、軽くがっかりされたことにがっかりした。

「あり得るんだよ。僕の大切な魔王、渋谷だって混血だしね」
「混血で絶大な魔力を持つ魔王だと!?」
「いちいち反応が新鮮で良いなぁ…。それはともかく、僕は少し不快だね。幾らか想定していたとはいえ…僕たちの誠意を疑った行動には失望したよ。君…僕を法力で拘束して人質にし、知りたい情報だけ得たら魂を持って逃げるつもりだったね?」
「…当たり前だ!貴様のような奴にジュリアを渡せるか!」

 アーダルベルトの叫びに、コンラートが眉根を寄せた。
 
「それがスザナ・ジュリアでないことは、お前が一番よく知っているはずだろう?もう…その魂は開放すべきだ」
「お前までがそれを言うのか!?お前だって…ジュリアの遺志を継がなかったじゃないか!」

 アーダルベルトの指摘に頬を強張らせながらも、コンラートは怯みはしなかった。
 彼は、既に《罪》を受け入れ…何らかの形に昇華しているのかも知れない。

 《羨ましい》…そう感じることが、アーダルベルトにとっては苦痛だった。

「そうだ…俺はあの時、ジュリアに対して怒りさえ覚え…お前の憤りに共感した。だが、今の俺は自分のしたことが何をもたらしたのかを知っている。そうである以上、受け入れねばならないだろう?」

 コンラートの声は苦鳴を帯びながらも、瞳はもう逃げていない。
 それは…辛い現実を真っ直ぐに見据え、立ち向かっていく男の目だった。

「どんな理由があったにせよ俺達は間違えた。それだけは、どうあっても逃れられない事実だ」
「……言うな…っ!それ以上…言うな…っ!」
「アーダルベルト、俺達の罪が消えることはないのだとしても…償う事は出来るはずだ。腹を決めて、せめてジュリアの魂を開放するんだ。それが…願いを叶えられなかった、彼女に対するせめてもの償いだ」

 鞘から魔剣を引き抜くと、コンラートは静かに構えを取る。
 今度こそ、彼は手加減をするつもりはないらしい。

 万が一の場合はアーダルベルトを斬り捨ててでも、ジュリアの魂を開放するつもりでいるのだ。

『死ねるのか…?』

 《自ら死ねば、生まれ変わることは出来ない》のだと、昔…ジュリアが言った。
 ジュリアの魂を開放し、自分もまた命を絶てなかったのはそれが原因だった。

 それが今…《剣聖》と呼ばれるほどの男がアーダルベルトに剣を向けている。
 これは、好機と考えるべきなのだろうか?

『死ねるのか…っ!』

 そう考えた途端、何かがアーダルベルトの中で吹っ切れた。

『そうだ、戦って死のう…!』

 考えても見れば、最期の闘いが因縁のコンラート相手とは願ったり叶ったりではないか!
 久方ぶりに感じる心地よい興奮に、アーダルベルトの瞳は強い生気さえ帯びて輝いた。

 腰に帯びていた鞘から剣を抜くと、眩しい朝日の中に刃を晒し…堂々たる武人の構えを見せる。
 それは…往年の《豪腕グランツ》の名に恥じぬ姿であった。



*  *  *

  


 キィン…
 カ……っ!


 洗練された舞踏もかくやという剣戟をみやりながら、村田は新たな茶をヨザックに要求していた。

「死ぬ気だね…あの男」
「どうします?」
「正直、彼がどうなろうと良いと言えば良いんだが…。彼の不幸は眞王の馬鹿に巻き込まれたところから出発しているし、僕は自分の世界に於けるフォングランツ卿が嫌いじゃないからねぇ…」

『直球タイプな所が坊ちゃんに通じるトコありますしねぇ…』

 ヨザックは個人的にそう思うのだが、口にすると《あんなのと渋谷を一緒にするな!》と叱責されそうなので黙っておく。
 この辺りの呼吸は心得たものだ。

「俺だって正直、《禁忌の箱》やら坊ちゃんの出生に関わることがなきゃ、あの旦那の方に肩入れしてますね」
「だろう?全く…眞王のやることは悪趣味甚だしいんだ」
 
 その《悪趣味》に四千年にわたって付き合わされてきたせいだろうか?村田の表情は普段の愛嬌を失い、苦々しく老け込んでさえ見えた。

「だが…それほど心配することはないと思うね。昔ですらフォングランツ卿はウェラー卿に勝てなかった…。それが、今になって吃驚するくらい腕が上がっているとは思えない」

 村田の目は確かであった。

 何合か剣は打ち交わされたものの…勝負はすぐについてしまった。
 瞬間風速的にやる気を出したとはいえ、酔いどれ魔族人生は確実にアーダルベルトの腕前も体力も低下させていたのである。

 カィィ……ン!

 段平(だんぴら)が宙を舞ってアーダルベルトの敗北を知らせると、見守っていた人々の目には戦っている最中よりも強い視線が送られる。

 勝者がコンラートになることは当然だ。
 問題は…その後の展開である。

「ここまでだ。魂を渡せ…アーダルベルト」
「く…っ」

 正直、ここまで明確な差がついていたとは信じたくないのだろう。アーダルベルトはこっぴどく弾かれた手首に力が入らぬようで、ぐたりと掌を下垂させたまま眼差しをぎらつかせた。

「俺は一度お前に貸しを作った。まだ…返して貰った覚えはないぞ?」

 コンラートの声から、哀れみが消えた。

 かつて犯した過ちが、この行為によって完全に償われるわけではないのだとしても…そうせずにはいられないのだろう。 

 アーダルベルトの喉元に突きつけられていた剣が角度を変え、手首を一閃させる動きで巧みに刃を斜走させると、胸に掛けられていた腕が払われ…布地を裁つ。

 戦いながらもコンラートは常に注意を払っていたのだろう。
 見事な断裁は目的の物…瓶には疵一つつけることは無かった。
 
「…っ!」

 蒼白になったアーダルベルトの腕が動くが、コンラートの方が一瞬速かった。
 神速の剣先は見事に瓶を掠め取り、掌の中へと納めさせる。

「返せ…返せぇぇ……っ!」
「もともとこれはお前の物じゃないだろう?これは…既にジュリアの物とも言えないんだ。新しく生まれてくるべき誰かの魂だ…」
「今更綺麗事を言うな…っ!」

 抉られる言葉の一つ一つに眼差しを眇めながらも、コンラートはアーダルベルトの主要関節を剣の柄で殴打して痺れさせると、二人のヨザックに拘束を命じた。

「猊下…お願いします」
「うん」

 こくりと頷いて、村田は魂の入った瓶を受け取る。
 その仕草は流石に厳かだった。 
 
「じゃあ…行くよ?」

 貴石に掛けられた封が解かれ、魂がふわりと蛍火のように空中に出てくると…村田は瓶をポケットに詰め込んで、両手で包み込むようにして魂を受け止めた。

「かなり…弱ってるな……。だけど、まだ力を残している。やはり強靱な魂だね」

 褒められて、ふわ…っと魂が浮き上がる。
 
「君の内腔(なか)に納められている記憶を…見せて貰うよ?」

 ほわ…ふわ…と、魂が揺れ動き…不意に、中空へと幾千万の重なりを持つ紙のような物が現れたかと思うと、パララ……と捲れ始めた。
 それはまるで巨大な書物が風を受けて頁(ページ)を進めるような様子で、アーダルベルトでさえ声もなく不思議な光景に見入っていた。

 ふと、頁が止まる。

 村田の指が一枚の頁を指し示し、その上に掌を翳すと…その中から投影されるようにして一つの光景が浮かび上がった。


 それは…眞王の姿だった。


「これは…?」
「し…っ。黙って!」

 アーダルベルトに叱責を加えると、村田は静寂の中で耳を澄ませる。


[驚いているのか?ジュリア…]
[ええ、そうですね…。人の姿というものを、こんなにも明瞭に《見た》ことはなかったものですから…]


「ジュリア…っ!」

 アーダルベルトが絶叫するが、ヨザックに太い首を押さえられると気道が適度に塞がって、息は出来ても発声はできなくなる。

『こいつぁ…』

 端で見ているヨザックには、スザナ・ジュリアの声よりも眞王の姿の方が強烈であった。

 偉そうにふんぞり返った眞王は、形状だけはヨザックにも覚えのある姿をしている。だが…その身からはどす黒い瘴気が立ち上っているかのようで、酷薄そうな面差しにはえらく凄惨な笑みを浮かべている。

 目の前で腹を割かれてのたうち回る者を見て、哄笑しそうな面構えだ。

『こんな奴の言うことを聞いたのか…?スザナ・ジュリアは…』

 疑問が、おそらく誰の脳裏にも過ぎったことだろう。

[正直に言ってご覧?ジュリア…お前には、俺がどう見える?]
[隠してもきっと伝わるのでしょうね?]

 どうやらこの映像はスザナ・ジュリアが見ているもののようだ。

 眞王が自分の精神体を具象化して彼女の脳に送り込んでいるのだろう。
 そんな芸当が出来る相手に、隠し事など出来るはずがない。
 見透かされる恐怖に、大抵の者は思考を止めてしまいそうなのだが…。


[でしたら直裁に表現させていただくと…そうですね、《神聖な信仰対象》というよりは、《悪の総大将》という表現が適切なように思います]

 
 スザナ・ジュリアは毒舌芸人よろしく、きっぱりと断言した。

「ジュリアーっ!?」

 直裁にしたって表現方法というものがあるだろう…。
 コンラートは素っ頓狂な声を上げて突っ込みそうになった。 

 
 



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