第三章 Ⅵー④







『負けたのか…俺たちは……』

 アルフォードの副官ガーディー・ホナーは額から流れ出てくる血を衛生兵に拭き取られながら、どんな顔をして良いのか分からない…といった風に眉根を顰(しか)めた。

 眼球に傷は入っていなかったらしく、血を拭き取られた目は程なく視力を蘇らせたが…ガーディーの網膜に投影される映像は、何とも複雑な心理を掻き立てるものであった。

 荒涼としていた平原には眞魔国側から色鮮やかな緑の芝生が伸び出し、野放図に咲き乱れる花々…春から初夏にかけての馴染み深い植物が楽しげに咲いては、微風を受けてゆらゆらと揺れ動く。
 ガーディーが腰を下ろしている大地にもその変化は及んでおり、今朝方まではざらつく乾いた砂しか触れなかったとは思えぬほど豊かな自然が蘇っていた。

 映像で見た《双黒の魔王》近辺ほどの変化ではないにせよ、それでも…濃い緑色と懐かしい香りは鼻腔を否応なしに刺激して、 かつて自分たちの故郷にも見られた光景を想起させる。
 取り戻せるものならばどんな手を使っても取り戻したい…そう切望する、あのふるさとの姿。
 その力を持つ者が、あの双黒の華奢な少年なのか。

『こんな力を持つ《魔王》が、人間の敵なのか』

 枯れ果てた大地に緑と実りを蘇らせる奇跡の技…それは悪魔の仕業ではなく、太古からお伽噺として伝えられる神々の御技にこそ相応しい。

 明らかにこれは、大地に対する《呪い》ではなく《祝福》だ。

 そう考えると、世界にとっての敵とは魔族ではなく…むしろ人間の方なのではないかと思い至るが、流石に喜ばしくないその結論を首肯することは出来ず奥歯を噛みしめることで思考をそらす。

「痛みますか?」
「いや…」

 顔を顰めるガーディーに衛生兵が声を掛けてくるが、どんな顔をして良いのか分からなくて、曖昧に口を濁すことしかできない。

 戦闘行動は全て収束し、戦場を忙しく駆け回っているのは眞魔国の衛生兵であり、彼らは(少なくとも表面的には)敵味方を問わず治療に努めている。

 噂によると、ガーディー達と長期間対峙していたウィンコット軍最高司令官の姉は、かつて魔族にも人間にも同じように治癒を施そうとして戦場で力尽きたと聞く…。
 弟が指揮する軍もどちらかというと戦闘より治癒術の方に長けているらしく、的確な物理的救急処置と魔力を併用して戦傷兵を癒している。

『話には聞いてたが…本当に、この連中は敵も治療するんだな…』

 基本的に差別意識をあまり持たないガーディーにとって、それは素直に受け入れ…感謝さえ可能な事象であった。
 だが、人間兵の大部分にとってはそうではないらしい。

「畜生…あの連中、我が物顔で歩き回りやがって…」
「あいつらは俺たちを下に見てやがるから、こんな風に偽善的なことが出来るのさ。馬鹿にしやがって…必ず吠え面をかかせてやる!」

 ぶつぶつと囁き交わす男達に、ガーディーは気分が滅入ってしまう。

『こいつらが…俺の仲間なのか……』

 全員が全員そうというわけではないにしろ、眞魔国衛生兵の癒しをそのまま素直に受けられられる器を持つ者は…残念ながら少数派のようである。
 ガーディーも傭兵を生業(なりわい)にしている以上、綺麗事の正義を並べ立てて戦っているわけではない。だが…それにしたって仁慈に篤い敵を前にして、自分の味方がこんなにも品性が低いというのは切なすぎる。

 今も、薄汚い性根を丸出しにした男が、包帯を巻こうとする女性兵にいやらしい絡み方をしていた。

「へっへっ…俺を癒してくれるんだろ?だったらケツぐらい揉ませろよ…」
「嫌…っ!」

 ガ…っ!

 副官は下肢に添えられた副木を掴むと、無造作に不届き者の頭部に振り下ろした。

「テメェ…何しやがる!」
「良い格好しやがって…」

 撲たれた男だけでなく、周りにいた連中までがよろよろと立ち上がってガーディーに掴みかかろうとしていた。

「良い格好?そうさ、俺はせめて良い格好がしたいのさ。自分をこれ以上惨めだと思いたくないからな」

 ガーディーが不敵に嗤うと、男達は尚もぶつぶつと呟きながらも腰を下ろした。
 言われたことに感応したと言うよりも…ガーディーの鼻面を横断する大きな太刀傷が、彼の勇名を思い起こさせたのかもしれない。

『そうさ…惨めなのはゴメンだぜ……』

 傭兵として報償を得ることよりも、逆に自分の稼ぎを投入してやってまで《勇者》を支えようとしたのは、ガーディーの中の存外に純粋な部分…《真の達成感を得たい》という衝動がそうさせていたのだ。

 アルフォードは先程…双黒の魔王とやり合い、新たに出現した《獅子王》コンラートの挑戦を受けて戦いを決意していた。

 だが…本当に勝ち目はあるのだろうか?
 そもそも、アルフォードが勝つことでなにが得られるというのだろう?

『そうさ…あいつら、何だってああまでしてアルの奴を焚きつけてやがったんだ?』

 あの双黒の少年…《ユーリ》は、決して敗者を弄んでいるという感じではなく、心を尽くして励まし、アルフォードの可能性を信じている風だった。
 もう一度立ち上がり、人間達の希望を繋ぐ存在であれと…。

『アルが救世主として役者立ちをしてなきゃ、あいつらも困るって事か』

 おそらくそれは、《禁忌の箱》に絡む事情なのだろう。
 彼らはあの呪わしい箱を滅ぼすのだと言っていた。それが可能なのかどうかはともかくとして、消滅に向けた取り組みを行う為には人間世界にやってくる必要がある。
 そのとき、アルフォードにその橋渡しをさせたいのだ。

 彼らの望みがまさしくその点に尽きるのであれば、ガーディーにとって反対するような余地はない。諸手をあげて彼らを歓迎すべきところだ。

 だが…本当にそうなのだろうか? 
 
 もし、彼らが自分たちを騙して《禁忌の箱》を手に入れ、人間だけを滅ぼしてこの地上に魔族の理想郷を創造しようとしているのだとすれば、協力することは自分たちの首を絞めることになる。

 信じるべきか信じざるべきか…。

『いや…俺自身は、一体どっちを信じたいんだろう?』

 慎重な性格のガーディーは、自分だけの思考の中にあってもすぐに結論を出すことはなかった。
 だが…心の奥底にぽこりと水泡のように浮かんできた気持ちは、淡く美しい彩りでガーディーを誘うのだった。

『信じてぇ…なぁ……』

 木の実みたいな瞳をした、あの純朴そうな少年を疑い憎むことは…ガーディーには困難なようであった。



*   *   *




 ゴウ……ッ!

 夕日に染まり始めた銅(あかがね)色の空から、狼に似た巨大な獣が飛来する。
 その影はすぐさま大きく…鮮やかにその存在感を示すようになり、魔族には歓喜の叫びを…人間達には相対的な鬱屈を与えた。

「ルッテンベルクの獅子…っ!」
「獅子王コンラート陛下がおいでだ…っ!!」
 
わぁぁああああああ…………っっ!!

 ルッテンベルク軍とウィンコット軍は手にしたものをがむしゃらに振り回して歓迎の意を露わにし、危うく統制を失いかねないほどであった。

 しかし、すぐに軍としての規律を蘇らせたのはルッテンベルク軍である。

 ケイル・ポーの目配せを受けて頷いたコンラッドが優雅にルッテンベルク式敬礼を掲げると、皆…一斉に見事な動作を見せて直立し、同様に…誇らしげに敬礼を捧げて見せたのだった。

 彼らに対してやはり敬礼を寄越しながら、コンラートが大地に降り立つ。
 彼の纏っているものはまだ禁色の装いではなかったが、それでも誰かが肩に羽織らせたのだろう…黒と見まごうほど深い色合いのマントが紺色の彩りを呈して夕暮れの空に照り映えた。

『あれは、グウェンだな』
 
 コンラッドはくすりと微笑んでそのように認識した。
 色合いから言って、グウェンダルの好むコートに間違いない。

 あの不器用な男が、心を通わせ始めたばかりのコンラートにどんな顔をしてそれを羽織らせたのかと思うと…また、コンラートがどう受け答えをしたのか考えると何とも気恥ずかしいような心地になる。

 コンラッドがグウェンダルに接近しようとした当初も、やはりこんな気恥ずかしさと…そして、胸の奥が何とも言えず熱くなるような心地を味わったものだ。 

 ふわりとマントを靡かせてコンラートが歩み寄ると、コンラッドは少し遠慮をして一歩退いた。ルッテンベルク軍の正式な指揮官であるケイル・ポーに配慮したのだ。
 だが、ケイル・ポーの方も同様に一歩引いてしまった。



*   *   *




「閣下、申し訳ありませんが俺の代わりにお願いします。観衆が求めているものは、俺と…陛下の絵図らではないと思いますので」

 《陛下》…と、口にするケイル・ポーの唇は子どものように素朴な笑みを湛え、立派な家族のことを自慢するときのような気恥ずかしさと誇らしさに満ちていた。

「分かった」

 コンラッドが小さく頷いて前進すると、それを受けてコンラートも歩み寄り…もう一度互いに敬礼を捧げて労苦をねぎらう。

「ありがとう、コンラッド…」
「微力ながら、お役に立てたのなら光栄だ」

 清々(すがすが)しく微笑み交わす二人の《ウェラー卿》の姿は絵物語のように劇的であり、誰もが生涯この情景を忘れることはあるまいと確信していた。
 風に靡くダークブラウンの頭髪は夕日を浴びて蜂蜜色の彩りを帯び…切れ長の涼やかな眼差しもまた、同系色の色彩に輝いている。
 彫りの深い白皙の肌は興奮の為か…微かに上気して淡紅色に染まり、劇的な情景の中で彼らが生身の魔族であることを物語っていた。

 彼らは、観衆であるケイル・ポー達と同じように息をして、脈打つ現身(うつしみ)の存在であるのだ。それが、とてもとても…不思議で、肌が震えるほどの感動に包まれる。

『何て奇跡なんだろう…?』

 ケイル・ポーは胸に迫る思いに目頭が熱くなり、懸命に瞼を瞬いて夕日が眩しいふりをしたのだが…そんな小芝居など実は必要なかった。
 誰もが…少なくとも魔族は二人の姿にすっかり魅せられていたものだから、誰がどんな顔をして眺めているかなど知られるものではなかったのだ。 

『英雄の座に着く直前に奈落へと突き落とされたコンラート閣下が、今や魔王陛下としてこの眞魔国に君臨する身となられたなんて…』

 そして、その奇跡をもたらしたのが他ならぬ《コンラッド》であり、伝説の中にしか存在し得ぬと思っていた双黒の少年達なのだ。

 到底言葉では表し得ぬ思いに誰もが打ち震え、神を仰ぐようにして彼らの崇拝する男を見つめるのだった。

「…で、アルフォード・マキナーとどう戦う?」
「それなんだが…」

 コンラートはそっとコンラッドの肩を引き寄せると耳元に唇を寄せ、密やかに声を注ぐ。

 …………別になんと言うことはない内緒話なのに、見ている方がドキドキしてしまうのはこの二人の持つ無駄な色気のせいだろうか?

 《ウェラー卿コンラート崇拝者》を自負するケイル・ポーなどにとっては、《一粒で二度おいしい》映像なのも手伝っているかもしれない。

 

*   *   *




「アルフォード・マキナー…今一度条件を確認しておこう」
「ああ…」

 アルフォードはこくりと頷きながら、夕日の中に佇(たたず)むコンラートと相対した。
 傍らには髪型と幾らかの傷跡、身につけている服や武器は違うものの…その他があまりにも相似しているコンラッドが立っている。

 平原の中心に位置することとなった彼らは、互いの陣営を背にしていた。
 コンラートは魔族を…アルフォードは人間を背にして対峙している。

 だが、彼らの士気にはあまりにも大きな隔たりがあった。

 目の前に広がる全てが楽園に見えているのだろう魔族に対し、全ての気力を根こそぎ磨り潰され、打ちのめされた人間達はあまりにも荒(すさ)んでいる。

 ブルル…

 突然、魔剣が踊るように揺れた。

「落ち着け、モルギフ」

 《うきゅるる》…腰に提げた魔剣が唸りをあげるのを宥めると、コンラートは嘆息した。魔剣モルギフは長期間にわたる放置プレイにより激しい飢えに苛まされており、戦場に散らばる魂の群に涎を垂らさんばかりの状態なのだが、今は耐えて貰わなくてはならない。

 聞いたところでは、モルギフは急に魂を喰らうと胃痙攣(?)を起こして魔力を暴走させてしまうらしく、宥めるのに一苦労するそうだ。
 そうなっては《説得》の余地がなくなってしまう。
 それでなくとも、彼らの魔族に対する反感は根深いものがあるのだから。 

「アルフォードに…あの連中、今更何しようってんだよ…」
「勝ち誇る魔族の皆さんの前で、ご丁寧に頭を潰そうってのさ。昨日までの英雄が見苦しく大地に平伏して、俺たちの希望を踏みつぶすつもりなのさ…」
「へ…っ。わざわざ魔王陛下がお出ましにならなくてもよぉ…俺達の中じゃあ、アルフォードの格なんてどうせ地の底についてらぁ……」

 反感は、魔族以上に彼らの指揮官にも向けられているようだ。

 無理もないことではあるが…彼らにとってアルフォードはもはや《堕ちた英雄》であり、嬲り者にされることが確定した存在であるのだった。
 《せいぜい見苦しくないように結末がつけばいい》…甚だ活力に欠ける思念に占められた人間達は、殆どの者がどんよりとした眼差しで自分たちの頭(かしら)であった男を見るのだった。

 その様子は、コンラートにとっても胸が悪くなるような情景だった。

『誰も…この男を庇おうとは思わないのか?』

 コンラートが卑劣な罠に掛かって英雄の座から転落したときには違っていた。
 《仲間》と認識していたうちの誰一人コンラートを悪し様に言う者はなく、命を賭けて護ろうとしてくれた。

 この違いが何から来るものなのか、アルフォードには分かるだろうか?

「おい、勇者さんよぉっ!せめて魔王に傷の一つもつけてみろよっ!」

 一人の負傷兵が立ち上がり、侮蔑に満ちた声をアルフォードに投げかけた。
 瞬間、《ぐ…》っと息を詰めて何かを口にしようとしたコンラートだったが…その前に思わぬ場所から声が上がった。


「うるせぇ…っ!」


 びぃん…っと大気を震わせる銅鑼声は、その勢いに反して強い理性を感じさせるものであり、罵声を浴びせかけた男や便乗しようとした男達を牽制した。

「いい加減にしろよ…?これ以上アルを貶める奴がいるなら、今すぐ出てこい。俺が勝負してやるよ…!」

 臓腑に響く声の主は、鼻面に大きな裂傷を持つ大柄な男であった。
 額からかなり出血していたらしく、巻かれた包帯が既に紅く染まっているが…鷲を思わせる炯々(けいけい)とした瞳には、未だ強い意志力が秘められている。

 まだ絶望していない、数少ない人間であるらしい。

「ガーディー…」
「アル、お前もそんなふにゃけた顔なんかしてんじゃねぇよ。俺の中でのお前に、絶望させないでくれ」
「………っ!」

 半ばやけくそ…という顔をしていたアルフォードの頬に血の気があがってくる。
 まだ自分に絶望していない男を前にして、やっと羞恥を感じることができたのだろうか。

「魔王さんよ…アルを、どうするつもりだ?」
 
 ガーディーはコンラートに向き直り、その意図をはかるようにぎろりと睨み付けてくる。
 返答によっては、適わぬまでも立ち向かってくるつもりなのか…丸腰であるにもかかわらず、戦闘態勢を示すように前傾姿勢をとった。

「聖剣を担う者として、その資格を持つ者であるのか確かめたい」
「勇者を名乗るだけの価値があるかどうか…確かめるってか?へ…っ!仲間達の前でとことん貶めようってのか?」
「君以外に、アルフォード・マキナーにとって仲間と言えるものがこの場にいるのか?」

 《思わず》…と言った具合に息を呑んだガーディーが、浅黒い頬を歪めてコンラートを睨み付けた。

「……何が言いたい?」
「君が今感じ取ったとおりのことだ。君がそこまでアルフォード入れ込む意味も、今一度考えて欲しい。アルフォード・マキナー…君自身もだ」
「……っ!」

 ガーディーの広い背の後ろで、びくりとアルフォードの瞳が揺れる。

「かつての君は間違いなく勇者だった。辺境地を廻っては盗賊団から民を護ってきた…その時、君の仲間はどれだけいた?極々少数だったはずだ。だが…味方の数に関わりなく聖剣は発動し、敵を打ち倒してきたと聞く」
「………」

 《聖剣》というキーワードを出された途端、ガーディーやアルフォードだけでなく人間軍に所属する殆どの者が耳を峙(そばだ)てた。
 何故なら…彼らにとってもそれは疑惑の対象であったのだ。

 自分たちが…悪しき魔族に対する《正義》である筈の自分たちが窮地に立たされているときに、何故聖剣は発動しなかったのか?
 
 その理由を敵の口から聞くことが恐ろしくて、誰もが唇を戦慄かせた。

 《言わないでくれ》…その願いを打ち砕くように、コンラートの哀しみすら載せた声が大気の中に響き渡った。

「君は…ユーリ陛下に言ったな。この戦いの目的は《飢えている者たちに、食料を持ち帰りたかっただけ》だと。だが…君自身分かっているはずだ。本来自分の物ではない何かを持ち去る行為は、どう言い繕ったところで略奪にしかならないと」
「……っ!……」
「君がウィンコット軍に対して優勢だったのは、君達の軍が相対的に強かったから。ルッテンベルク軍に対して劣勢だったのは、君達の軍が弱かったからだ。だが…聖剣が発動しなかったことは君の強弱の問題ではないだろう?」
「俺が…俺達が、正義を欠いていたからだと言いたいのか!?」
「それを雄弁に語っているのは俺じゃない…」

 コンラートの指が指し示すものは、巨大な聖剣だ。

 歴史を感じさせる退色を帯びてはいるものの、一目で業物と知れるその剣は堅牢な造りをしており、柄元に填め込まれた貴石は澄んだ色合いを呈している。
 しかし、魔剣を前にしてもぴくりとも反応しないのはどういうわけか。
 
 勇者であるはずのアルォードが、誰よりもそれを知っているはずではないか。

「よしんば君達が餓えた民のために食糧を手に入れることが正義であったとしても、君達はまず彼らにそれを渡すことが出来たか?ここまで規模が膨らんでしまった軍隊だ。まずは君達で消費してしまったんじゃないのか?」

 アルフォードの軍は初期にこそ食糧を分け与えていたが、軍組織が膨らんでいく中では、逆に《正義のためだ》と称して残り僅かな実りを徴発し始めたと聞く。
 そうなれば軍の目的はもはや民を救うことではなく、次なる戦いに勝つ…いや、軍としての組織を維持したいという世俗的な目的へとすり替えられるのは必然だ。
 いつしか集まってくる兵士達の思念も《ここにいれば喰うことが出来る》という意識で染め上げられるようになっていたこと筈だ。
 手段が目的を見失わせていくという…それは、典型的な事例と言えるだろう。 

 喰うために集まった兵士が、どうして戦いに敗北した…甲斐性のなくなった指揮官を命がけで救おうとするだろう?

 だからこそ、初期の輝かしい使命感を知っているガーディーだけがアルフォードを庇うのだ。

「それは…」
「違うと言えるか?」
「……言えない。ああ…言えないさっ!」

 アルフォードは狂おしく頭髪を振り乱すと、追いつめられた子どものような顔でコンラートを睨み付ける。
 勝利どころか、彼の手に残された浅薄な《正義》すら奪い取ろうとするこの魔族が難くて堪らなかったのだ。
 彼の言葉を受け入れることは、これまで闘ってきた意味全てを否定するように感じられたからだ。

「だが…では、どうすれば良かったというのだ…っ!?」

 ガィン……っ!!

 獣めいた叫びを上げてアルフォードが聖剣を鞘走らせるが、下方から光が跳ね上がるかのような瞬速の刃も、コンラートには容易に受け止められてしまう(急激な加速に耐えかねたように目眩を起こしている風な魔剣が、軽く緊張感を削いでいたが…)。

 ぎらつく剥き身の刃はねばっこい脂を浮かべて夕日を弾き、刃先が鈍く擦れ合って異音を奏でる。その様は、最後の牙を何とかして守り抜こうとするアルフォードの抵抗そのものであった。
 
「分からないか?その答えも、君は知っている筈だ。君が救いたいと願ってきた民が、何のために苦しんでいると思っている?彼らを真に救いたいと願うなら、君が為すべき事はなんだ?」
「うるさい…っ!」

 尚も頑是無い子どものように叫ぶアルフォードに対して、コンラートの獅子吼が浴びせられた。


「目を背けるな、アルフォード・マキナーっ!惰性と現状に流されるような男なら、聖剣は一度として発動することなどない。向き合うんだ…かつての自分と、今の自分を対比させろ。それこそが真の勇気ではないのか!?」


「……っ!!」

 コンラートが柄を抉るように回転させて刃の絡み合いを解くと、アルフォードは後方に飛びすさって目を見開いた。
 そこに内在されている色は相変わらず混乱と憎しみを残してはいたものの…奥底の部分には確かに、本来彼が持つものであろう清らかな気質を滲ませていた。


 コンラートを見詰め返すその瞳には…忘れかけていた何かが蘇ろうとしているようだった。  

 





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