第三章 Y.獅子王の誕生@







「さぁて…あちらは暫くの間、ルッテンベルク軍に任せておくとしようか」

 村田の声が響いた瞬間、ふぅ…っと魔法が解けたように空気が変わった。
 あまりに奇想天外にして疾風怒濤の展開の中で、誰もが夢心地になっていたらしい。

 双黒の魔王がもたらした、荒れ地を実りの光彩へと変えていく奇蹟。

 そして、信じがたいタイミングの良さで…地中から湧き出すようにして出現したルッテンベルク軍による奇襲攻撃。
 
 そのどれもがあまりにも鮮やかで、現実離れしていて…。脳がなかなか現状復帰できない。

 《現実》というものを誰よりも重視しているグウェンダルからして、夢想空間から自分を引き戻すのに数秒を要したほどだ。

「こちらはこちらで、迅速に解決しておきたい案件を残しているからね」
「は…」
 
 村田の眼差しが氷雪の凄みを帯びて向かった先はグウェンダルではない。だが、その意味するところを認識して居住まいを正す。

 村田が嫌悪に満ちた視線を向けているのは…摂政フォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルだ。

「フォンヴォルテール卿…僕は三つの目的を果たすためにこの世界に来たと言ったね?その究極の目的が《禁忌の箱》の消滅であり、それを可能にさせる二つの命題のうち、一つが食糧問題の解決であると…」
「そのように伺いました。そして、その一つについては確かに成就されたと認識致しました」
「ふぅん…信用してくれるんだ?君のことだから、まやかしを見せたとでも疑うのかと思ったよ」

 からかうような口調に鼻白みながらも、グウェンダルは否定はしなかった。

「失礼ながら、最初はその様な疑惑を抱いておりました。ですが…私とて大地の要素に連なる者…これほどの歓喜に震える要素を前にして、奇蹟を否定することなど出来ましょうか」

 語尾は、自分で思っていた以上に感情を込めたものとなり…知らず知らずのうちに眼差しは熱く、眼前の光景を愛でていた。

『美しい…』

 グウェンダルの前には広大な丘陵が広がり、石畳に覆われた街道が遠く続いている。
 ほんの数刻前まで枯れ果てていたそこには、緑の芝や色鮮やかな草花が生い茂って命の躍動を伝えている。
 数年前までは、存在することが当たり前だった光景がこんなにも心震わす日が来ようとは…予想だにしていなかった。

 強い魔力を持つ者は更に、ずっと自分たちから離れていたかに見えた要素達が、慕わしげに頬へと擦り寄ってくるのを感じるのだった。
 懐かしい友に、挨拶をしてくる声が聞こえるようだ…。

「ふふん…君がそれほど信用してくれるのなら、他の連中は言わずもがなって…てとこかな?」
「も…勿論ですとも!偉大なる双黒の大賢者様…そして、魔王陛下の起こされた奇跡に、だ…誰が疑惑の眼差しなど向けましょうか!フォンヴォルテール卿!貴様、最初だけとはいえど疑うような気持ちを持っていること自体が不敬というものだ!すぐに大賢者様に平伏(ひれふ)して謝罪せぬか!」

 村田に阿(おもね)り、その威によってグウェンダルへと威圧的な態度をとるシュトッフェルに、ヴォルフラムを初めとする直情型の軍人達が剣の柄へと手を伸ばした。
 ここでシュトッフェルが村田の好意を得るようなことがあれば、何もかもが台無しになってしまう。実りの奇蹟など吹き飛んでしまうほどの悲劇…いや、喜劇に成り下がると誰もが憤(いきどお)ったのだ。

 しかし…彼らはまだ村田という少年の本質を分かっていない。
 よって、村田が次の瞬間口にした言葉を理解するために、誰もが数秒を要したのであった。


「豚が…随分と偉そうな口をきくものだね?」

 
 ひゅう………


 初夏だというのに…凍てつくような烈風がシュトッフェルの回りすぎる舌を氷結させる。
 意味を解するには至らぬものの、自分が何か村田の不快を買ったことだけは表皮に散在する受容体によって感じとれたらしい。

 愛らしい容貌に反して随分な毒舌家であることは認識していたものの…まさか、そこまで強烈な物言いをしてくるとは想定していなかったのだ。

「う…ぁ……あ……」
「おや?とうとう口もきけなくなったのかい…?やはり豚は豚だな。僕と同じ様式の椅子に座っていることすら厭(いと)わしいよ。そこの君…その豚を地面に引きずり降ろして貰えるかい?」
「……っ!」

 シュトッフェルは村田の更なる怒りを誘うことを恐れてか、抗弁を口にすることはなかったものの、おろおろと頚を振り…反射的に椅子の手摺りを掴んで降ろされまいと抵抗した。

 見苦しいその姿を一層忌々しげに見やりながら、村田は唾棄するように言い捨てた。

「そこの君…聞こえているかい?」
「は…はいぃぃい……っ!!」

 数刻前までこの国の中枢に於いて権力を恣(ほしいまま)にしていた男を扱いかねていた衛兵も、村田の底冷えするような黒瞳を向けられてはとても拒否することなど出来ない。すぐさまシュトッフェルの手を椅子の手摺りから引き剥がすと、乱暴に地面へと座らせた。

「ああ…より一層、豚らしい姿になったものだね」

 少し満足げに微笑みかけた村田だったが…どうしたものか、少々残念そうに眉を顰(ひそ)める。

「でも、残念だな…君が本当に豚なら、僕だって君を罪に問うことなどしないのにね。せいぜい沢山のドングリでも食べさせて肉質を改善し、美味しく食卓に載せる事だけを考えられたんだけど…。君は何しろ眞魔国を未曾有の危機に陥れた犯罪者だからね、そこは正しく断罪されるべきだろう。この眞魔国に…《禁忌の箱》の消滅が可能な国力を回復させるためにはね」
「猊下…っ!」

 表情を輝かせてグウェンダルが声を掛けると、村田は鮮やかに微笑んで応えるのだった。

「僕たちがここへ来たもう一つの目的を明かそう。それは…眞魔国に蔓延(はびこ)る汚泥を払拭し、完璧とは言い難くとも少しはマシな王を据えることさ」


 どよ…っ!


 大気が…様々な感情を含んで揺らいだのが分かる。
 誰もがそれぞれの激しい感情を抑えかねて、隣り合う者達に囁きかけた。

「新しい…王だって?」
「そういえば、ツェツィーリエ様も先程退位されると言っておられたものな…」

 ツェツィーリエの愛らしさや先程見せた土壇場での度胸には感服するものの、兵達にとっての彼女はあくまで象徴的な王であり、崇拝はしても尊敬は出来ない。
 その彼女が退位した後、《少しはマシな王》が立つとなれば、心浮き立たずにはいられない…。

 だが、問題はそれが《誰》であるか…だ。

「新しい王に、眞王陛下はどなたを推挙されるおつもりですか?」
「推挙などするものか。俺はもうそういう面倒事には首を突っ込まぬと決めたのだ。これからは悠々自適の隠居ライフを送るつもりなのだから、お前達はお前達でどうにかしろ」
「は……」

 眞王陛下の投げやりな台詞にグウェンダルが絶句していると、慰めているのか追い打ちを掛けているのか…村田が笑顔で助言してきた。

「なーに。いきなり自分たちで全部どうにかしろなんて言わないさ。なんせ、危急の際だしね。平穏な時代にはマシな程度の王でも、こういう時には最低の王にしかなれないものさ。だから、今回だけは最低限のラインを突破できるかどうか調べるための、王様決定アイテムを授けてあげるよ」
「あ…あいてむ……?」
「ま、言葉の壁は適当にニュアンスでどうにかしてよ。それより…その前に僕は見苦しいモノを視界から消し去りたいんだ。その身に相応しい罪を言い渡した上でね」

 村田の視線が再び自分に向けられたことで、シュトッフェルは獣じみた恐怖を瞳に浮かべて地べたに平伏した。 
 《椅子》という文化的なアイテムを剥奪され、地べたに置かれた段階でかなりのアイデンテイティーが崩壊の危機に立たされているらしい。
 もっとも、彼によって不当に名誉と生命とを奪われてきた者達の痛苦を思えば、まだまだこの程度で開放することなど出来ないわけだが…。

 当然、村田は許すつもりなど微塵もないらしい。
 徹底的にこの男を打ち砕くつもりでいるらしい彼は両手の指を組み、その上に華奢な造りの顎を載せて冷然と微笑んだ。

「さあ、罪なき者…優れた者を踏みつけにしてきた悪者に対して、正義の大賢者様が名裁きを見せようかな?」


 くっくっくっくっ……


 喉奥で嗤う様子がかなりの度合いで《悪者》っぽいことに、突っ込める者など一人もいなかった……。



*  *  *




『猊下は、凄い方だ…』

 尊敬の眼差しで村田を見詰めているのはフォンビーレフェルト軍に所属していたゲインツ中尉だ。
 鼻の付け根に淡く散るそばかすも若々しい彼は、すっかりこの双黒の大賢者に信服しきっている。

 だからこそ…自分にとって主家にあたるフォンビーレフェルト家にとって《恥》となる事実を明かそうと決意したのだ。
 そのことで、ゲインツは誇り高いフォンビーレフェルト家から叱責を受けるかも知れない。だが、この期に及んで隠蔽し続けることは誰にとっても幸福に結びつくことなどあるまい…。

『今こそ、全てを明かそう…』

 ゲインツ自身、懺悔せねばならないのだ。
知っていて…その意味を分かっていてなお沈黙を守り続けていた彼もまた、同罪なのだから。

「ゲインツ君、まずは君から頼むよ?」
「はい…っ!」

 ゲインツが眞魔国正規軍式の敬礼を施しながら所属と氏名を名乗ると、シュトッフルは顔を引きつらせ…ビーレフェルト軍の一同はざわめいた。

 特に、ヴォルフラムの表情は何とも微妙な形態をとっていた。



*  *  *




『あいつ…一体何を言い出すつもりなんだ?』

 この流れから言えばシュトッフェルを告発するということなのだろうが…ちらちらと送られる眼差しの意味を考えないわけにはいかなかった。
 それは、十中八九…シュトッフェルの盟友であった先代当主ヴァルトラーナの罪をも明らかにすると言うことではないだろうか?

「3年前…ヴァルトラーナ閣下とシュトッフェル閣下は共に、旧グレナダ公国領カロリア地区においてリタという女性と通じ、眞魔国に対する反逆を目論んだとの疑いでウェラー卿コンラート閣下を拘束し、尋問にかけようとなさいました」
「そんなことはもう幾多の場所で語られているではないか!今更蒸し返すような話か!?それが事実でないとしても、伯父上はあの当時…っ!……」

 話し始めた途端にヴォルフラムが噛みついてくるが、それも村田の視線が一閃したことで防がれた。
 血気逸る性質のヴォルフラムではあるが、村田の底冷えする眼差しで《茶々を入れてくるな》と告げられると、不承不承ながら口籠もらずを得なかった。

「いいよ…続けて」
「は…はい」

 気を取り直したゲインツは、意気を高めようというのか一つ深呼吸して、再び声に力を込めた。

「確かに…それが事実でないことはシンニチ等の報道で多くの民が知るとおりです。ですが…問題なのは、ヴォルトラーナ閣下とシュトッフェル閣下が何時…その事実を知られたかということなのです」
「……まさか…」

 今度は、グウェンダルが顔色を変えて声を発していた。


 ザワ……


 周囲で耳を峙(そばだ)てていた人々も一様にざわめき始めた。
 ゲインツが実に言い難そうに語ろうとしていることが、殆どの者にも理解でき始めたのだ。


「はい…。コンラート閣下を拘束する以前に…お二方は、閣下とリタが通じていたという噂が事実無根であるとの証拠を掴んでおられたのです」


「……っ…」

 ヴォルフラムは眼前がすぅ…っと暗くなっていくのを感じたが、それは陽光を雲が遮ったからではなかった。
 敬愛していた伯父が、そこまで道を外れた方法で兄を陥れようとしていた事実を突きつけられ、何に縋ればいいのか分からなくなってきたのだ。

 《もしかして》…という思いは以前からあった。

 それでも、ヴォルフラムとしては伯父への尊敬と自分の正義感との折り合いをつけるためには、信じるしかなかったのだ…

『コンラートの罪が虚偽であったとしても、伯父上はその事実をご存じなかったのだ。当時の調べによって強い疑惑を感じられ、やや強硬ではあったものの…己の正義の指し示す道を進まれたのだ』

 そう信じることでしか、自分の立ち位置を肯定できなかった。 

「な…んの、証拠があるというのだ…っ!?」
「自分は、当時諜報員からの報告を記録する部署についておりました。そして知ったのです…リタの産んだ子は、鮮やかな赤毛なのだと…。リタ自身は亜麻色の髪…コンラート閣下はご覧の通りダークブラウンの頭髪です。血のように紅い頭髪は、紛れもなく旧グレナダ公国第3公子バルバロッサの特徴なのです…!更には、子どもの年も辻褄が合いません。コンラート閣下がカロリアにおられた時期から計算すると、どうやってもその子どもの月齢と合致しないのです……っ!」

 そこまで一気に告げたかと思うと、ゲインツはコンラートに向き直り…地べたに膝を突いて深々と頭を下げた。

「申し訳…ありません。自分は、知っていました。けれど…知っていて結局、何もできませんでした…。いいえ!何も、しませんでした…っ!ヴァルトラーナ閣下とシュトッフェル閣下のなさりようが信じがたいほど騎士道に悖(もと)る行為であると知っていながら、我が身可愛さに…主家への忠誠を優先してしまったのです…っ!」

 ぼろぼろと涙を零しながら詫びるゲインツに、コンラートは何と声を掛けて良いのか戸惑う風であった。
 自分自身のことだけであれば《もう良い》と言ってやりたいのかも知れない。板挟みになっていた事情も分からないではないのかも知れない。

 けれど…彼は栄光の高みへと繋がる階段から仲間ごと大きく突き飛ばされ、矜持を傷つけられ、そして…あまりにも多くの仲間を失ったのだ。

 《もう良い》…そう簡単に口にすることなど出来はすまい。

『伯父上…何故なのです?』

 ヴァルトラーナは慎重な男だった。そして、彼なりに正義感も持ちあわせた男であったはずだ。
 自分自身虚偽であると知っていた情報に、何故それほどに固執したのか…。

 その理由は唯一つ…混血への嫌悪ゆえであろう。

 コンラートの失脚に足る条件揃えが待ちきれないくらい、ヴァルトラーナは焦っていたのだ。
 唯の一日であっても、混血のコンラートが自分に比肩する存在になることが厭わしかったのか…。

『伯父上の矜持は…そのような指針を良しとされたのですか?』

 その人物が本来持つ正義感や道徳を吹き飛ばすほどに大きな差別意識というものが、どれほど本人と周囲に重大な害をもたらすものか…ヴォルフラムはそれを痛切に感じ取りながら、力の入らぬ四肢を何とか奮い立たせようと試みる。

 だが、打ちのめされた精神が立ち直ることは…少なくとも、短時間でそうなることは、どうにも困難であるようだった。
 


*  *  *




「もう良いよ…ゲインツ君」

 村田の声が微かに優しささえ含んで投げかけられる。
 罪自体を憎みつつも、取り返しのつかない罪に深く悔恨を示す男は嫌いではないのだ。

『こんな真っ正直な奴が、この手の秘密を守り続けるなんてのはさ…相当な心理的負担だったと思うしね』

 このような場できちんと内部告発できたのだ。
 その勇気をこそ称えようではないか。

「君は今の発言の証拠となる文書の保管場所も知っているね?」
「はい…っ!法廷にも間違いなく提出致します…!」
「うん。それでは、次はメリアス隊長に頼もうか」
「は…っ!」

 続いてフォンシュピッツヴェーグ軍所属のメリアスが一歩前進すると、またしてもシュトッフェルの顔が引きつる。

「メ…メリアス……っ」

 急激に老いさらばえた感のあるシュトッフェルは、地べたを這うようにしてメリアスに近寄ろうとしたが、すぐに衛兵によって取り押さえられてしまう。
 仕方がないので視線だけを媚びるように向ける様は、撲(ぶ)たれた犬が忠誠ではなく恐怖によって服従させられ、主人の前に這い蹲(つくば)っているかのようであった。
 
 だが…内心の動きはどうなのか分かりかねるものの、メリアスはゲインツとは異なり淡々とした表情を保っている。

「メリアス隊長…君はこれまでに三度、《眞王陛下の勅令》なるものを受け取っているね?」
「はい」
「その書状は保管してる?」
「はい」

 メリアスは小脇に抱えた書類入れから立派な造りの羊皮紙を取り出すと、周囲に見えるように翳して見せた。

「そこで這い蹲ってる君も、覚えがあるよね?」
「……」
「返事もできない豚には、お仕置きが必要かな?」
「は…はいぃい…っ!覚えておりますであります…っ!」

 村田の脅しに、調子はずれな声が転がるようにして大気を震わす。

「…で、眞王陛下。君はこの《勅令》に覚えがあるかい?」
「ないな」

 そりゃまあ、ないだろう。

 実のところ、こちらの世界の眞王は未だに意識を取り戻さないまま魔石に封じられているのだから、あちらの世界の住人である眞王がこのような勅令など知るはずがない。
 だが、そんなことは村田にとってはどうでも良い。

「…と言うことは、この文書はそこの君が捏造したわけだね」
「……は……い………」

 消え入りそうな声を最後まで聞き取ることもせず、村田は更に畳みかけるように言葉を連ねていった。

「そして君は、今まさに眞魔国の民が見守る前で魔王…いや、退位を決められた上王ツェツィーリエ陛下を突き落とした」
「それは…っ!」
「何か反論でも?」
「……う…」

 シュトッフェルは故意ではなかったのだと主張したいようだが、村田の一瞥を受けると条件反射のように萎縮してしまう。

「大きな所ではこの三つが大きな罪状だが、当然この程度で済むはずはないね?君は摂政という位に相応しい能力を持ち合わせないというだけではなく、その位が持ちうる特権を最大限に悪用してこの眞魔国に無秩序な害悪がばらまいた…まさに国の癌細胞ともいうべき存在だ。この際その罪状は余すところなく暴き立てたいところだが、この場ではもう面倒だ。衛兵君達…さ、この男をとっとと相応しい場所に引っ立て、取り調べを始めてくれ」
「は…っ!」
「わ…ぁあ…お、お慈悲を…っ!」

 四肢を出鱈目に振り回して暴れるシュトッフェルに、村田の眼差しが氷点下の冷気を帯びる。

「慈悲だって…?」

 《くす》…っと口の端だけを上げて嘲笑が浮かべられる。


「悪に対して慈悲を与える者は、国を滅ぼすんだよ」


 この場で、おそらくは唯一人…シュトッフェルを弁護しようと口を開きかけたツェツィーリエの唇が強張り、動きを止めた。
 
 他の者達も一様に居住まいを正して、村田の叱責をそれぞれの感受性によって受け止めていた。



*  *  *




『私に、お兄様を庇う権利はないのかしら…』

 兄には自分を殺すつもりなどなかった。それだけは、疑いない。
 ツェツィーリエが彼の思い通りにならないことに困惑し、苛立っていたとしても…それでも、シュトッフェルは突き飛ばしてしまった妹に向かって手を伸ばしてきたのだ。

 その表情は一瞬ツェツィーリエの視界を掠めただけではあったが、欠片の殺意もそこにはなく…唯ひたすらにツェツィーリエを掴もうとがむしゃらに腕を伸ばしていた。
 
 けれど…それをもって今、兄を庇うことが出来るだろうか?

「誰か…誰か助けてくれ…!わ、私は一心に眞魔国の為を…魔王陛下の為を思って国政に努めてきたのだぞ!?」
 
 シュトッフェルが髪を振り乱して叫ぶが、応える者はいない。
 いや、ある意味では突き刺さるほどの強い感情で応えていると言えるかも知れない。

『愚か者め…!』

 周囲一帯から…画面越しに伝わる眞魔国各地の映像からそれが伝わってくる。
 今や、国中がシュトッフェルを《国賊》と認定しているのだ。

『お兄様…!』
 
 半泣きの表情で牽かれていくシュトッフェルから、どんどん貴族としての矜持が消え…ついには魔族としての最低限の品位すら剥ぎ取られて、禽獣のように牽かれていく…。
 即座に処刑などといった処分が下るのではないとしても、その光景はツェツィーリエの胸を激しく引き裂いた。

『お兄様…お兄様、お兄様…っ!』

 衝動的に駆け出すと…ツェツィーリエは兄の身体を全ての視線から遮ろうというように、両手を広げて叫んだのだった。

「猊下…どうか……っ……」
「……君も慈悲を求めるのかい?」

 冷え切った村田の表情に唇がびくりと震えるけれど、それでもツェツィーリエは訴えねばならないと感じていた。

 確かに、ツェツィーリエに兄を庇う権利はないかも知れない。
 けれど…それ以上に、ツェツィーリエには忘れてはならないことがあるのだ。


「慈悲は請いません…。兄が何をしたのか…その一端を知った今、私が兄を庇うことは出来ません。ですから私はお願いしたいのです。どうか…兄と共に、私を罰すると…っ!」

 
 毅然と言い放つツェツィーリエに、三兄弟の表情が硬直した。
 




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