第三章 XーH







 アリアズナが目覚めたとき、既にケイル・ポー達は出立の準備を整えて軍装を固めていたのだが、アリアズナの方は軍備一式を押しつけられても暫くまともな思考に立ち戻れなかった。

 結局、燻し銀の甲冑を肩やら胸やらに装着している間に仲間達から色々聞かされたことで、何となくは状況が飲み込めてきたが…まだしっくりとはしていない。

「あっちの世界は幸せいっぱいだけど…俺たちは死んでるってのか……」

 なんとも気色悪い話だ。
 そこで死んだのは全く別のアリアズナなのだが、数多くの共通項を持つ相似形であるのだ。

 しかも自分達だけ貧乏籤を引いて死んでいたせいで、混血が我が世の春を謳歌する時代を味わうことができなかったなんて、何とも皮肉なことである。

「あの方は…それを、とても気に病んでおられるようでした…」

 ケイル・ポーは瞼を伏せ気味にしてそう呟いた。

「あの方って…あいつか?」

 なるほど…だから、あんな目でアリアズナ達を見ていたのか。
 護りきれなかった同胞に、どう詫びていいのか分からないのだろう(それにしてはアリアズナに対する鉄拳制裁は容赦なかったが)。

「ええ、あちらのコンラート閣下のことです。あの方は《コンラッドと呼んでくれ》と言っておられましたよ。初めて眞魔国でユーリ陛下に会われた折りに、まだ眞魔国共通語の発音に慣れない陛下がそのように呼ばれたからだと…」
「ふぅん…随分とまぁ、魔王陛下贔屓なんだなぁ…」
「婚約しておられるとのことですしね」

 ケイル・ポーの言葉に、ぶふ…っとアリアズナは噴いてしまった。
 しかも唾が気管に入ってしまい、思いっきり噎せてしまう。
   
「げふ…が……っ!あ…あっちの奴とデキてたのかよ〜…」

 それは殴られるはずだ。

 あの嫉妬深さなのだから…《コマされるユーリ陛下》の姿を想像しただけで怒りが臨界点を突破したに違いない。
 頭頂部にヤカンでも置いておけば、《ぱぴーっ!》…っと、一気に沸騰したことだろう。

「ええ…ですから、ユーリ陛下をウェラー領に置いて戦地に旅立つことに…辛い思いをしておられるのだと思います」
「そうか…ユーリ陛下の方はここで、《奇跡》を起こすんだとか言ってたなぁ…」

 信じられないことだが…あの華奢な少年王は破壊力だけでなく、再生と実りの力も持っているらしい。

「ユーリ陛下は、あちらの世界で《禁忌の箱》を滅ぼした後も、すんなりと眞魔国で暮らせたわけではなかったそうです。更に別の世界が生まれ故郷であるユーリ陛下は強制的に連れ戻されてしまい、長い間お二人は離ればなれでいることを余儀なくされたんだと…。それでも互いに手を尽くして、やっと会えて…しばらくすれば、ご結婚される予定であったのに、こちらのコンラート閣下に会われ…この世界の窮状を聞いて、反対する臣下達を説得して来てくださったのだそうです。その上、異郷の地で離ればなれになるなんて…さぞかし心細かろうと思います…」
「……どうして、そこまでしてくれんのかなぁ…」

 口の端を複雑な形に捩りながら、アリアズナは自分の頬を掻いた。

 そんな決断をしても、彼には何の利益もないはずだ。
 その理由がコンラートに対する愛ではないのだとすれば、一体何のためにここまでしてくれるのだろうか?

「不思議ですよね…本当に。あんな方が…おられるって事自体が、俺はとてもとても不思議です…」

 すっかり信服してしまったらしいケイル・ポーは、瞳を潤ませて窓の外を見た。

 どんなに手を尽くしても枯渇を止めることのできなかった畑が広がっているのだが、告知を受けた農家の連中は頬を上気させて生き生きと土を掘り返している。少しでも有利の力が浸透しやすいように、今までにも増して丁寧に手入れをしようと言うのだろう。

 その作業を有利も慣れない手つきながら手伝っている。
 農家の服を借りたらしく、サイズがぶかぶかなのを袖捲りしたり端ょったりした姿は何とも愛らしく、頬についた土のあとを擦ると《どっ》…と周囲から笑いが起こる。
 もう、すっかりウェラー領の人々に溶け込んでいるようだ。

 窓の外からはここ近年聞かれることのなかった勢いで調子よく《豊穣の唄》が聞かれる他、耳慣れないフレーズのハミングも聞こえてきた。


 ラン…ランララランランラン…
 ラン…ランラララン……


「何だ?あの曲は…」
「双黒の大賢者様が言われるには、土の要素に呼びかける唄なんだそうです。しっかりと覚えておいて、《奇跡》を為す折りには必ず口ずさんでくれと厳に言い含めておられました」
「へぇ…」

 単純だが…どこか胸に染みいる素朴な曲に、アリアズナも思わず口ずさんでしまう。
 その様子に微笑みながら、ケイル・ポーはまた視線を窓の外へと向けた。

「戦の準備をする俺たちに、涙ぐみながらユーリ陛下は言われました。《絶対…絶対、無事で帰ってきてね?》…って。俺は…あんな風に俺たちを励まし、心から無事を祈ってくださる王がいるなんて…信じられません…っ!」
「あはは…俺だって聞いたことねぇや」

 軽やかに笑った後、アリアズナはしみじみと思い出す。
 あの…澄んだ黒瞳を…。

「確かによ、不思議な子…だよなぁ……」

 あのコンラッドが…そして、コンラートもおそらくは惚れているのだろう有利という少年。ちまちまと可愛らしいその体躯の中に、いったいどれほどの力を持っているのだろうか?
 そこには絶大な魔力というものだけではなく…もっと奥深い何かが存在しているように思えた。

 彼がいるだけで世界が変わる…。
 きっと、そんな力だ。

「ちょいと…出立までに顔を見てこようかな?」

 下手をすれば、このまま二度と会えないかもしれないのだ。
 あの奇跡のような姿をしっかりとこの目に焼き付けておきたい。

 《うまくいけば出番はない》…大賢者は画面の向こうから有利にそう言って説得していたが、彼自身はそうと信じている風ではなかった。
 《油断なく、万全の準備を整えておいてくれ》…そう語る口調の方が現実味があり、武人たるアリアズナにとっては血が沸くような喜びであるのだが…有利にはそうでないらしい。

 人間世界との同盟を結んでいるというだけあって、きっと…人間と魔族のどちらが傷つくことも…ましてや、死んでしまうことも辛いのだろう。
 
 だが、彼が一言《敵を殺すな》と命じれば、ルッテンベルク軍の兵士が死ぬことになる。
 そのことを知っているから、決して命じはしない。

 その代わりに泣きそうな瞳で訴えるのだ。
 《絶対…絶対、無事で帰ってきてね?》…と。

『あんな王の為に死ぬのなら、兵は本望だろうが…その死があの方を悲しませるんだとすりゃあ、また辛いところだな…』

 アリアズナは最後の留め金を填め込むと、有利の姿を求めて戸外に出た。



*   *   * 




 ルッテンベルク師団…こちらでは独立したルッテンベルク軍。この組織に所属する男達は、最初の内コンラッドに対してどう接して良いのか分からない様子で戸惑っていたが、その内、あちらの世界での暮らしぶりを尋ねてきた。
 
 中にはあちらの世界で自分がどのように死んだのかを聞きたがる者もいたが、他の連中に肘鉄を食らわされると、笑って有耶無耶にしていた。

 みな、コンラッドを追いつめまいとして気を使ってくれているのだろう…。

『すまない…』

 懐かしい連中。
 死なせてしまった連中。
 復讐すらしてやれなかった自分を、決して責めようとはしない連中…。

 その優しさが…少し辛くて、コンラッドは鎧装束を身につけてから屋外に出てみた。



 しゃがんで畑の土を手に取ってみると懸命に掘り返し、水を蒔いたあとがあるのに、繁殖力が強いはずのウェラー麦ですら畑面積の1/3も芽が出ていない。他の作物に至っては、何がその土の中に播かれているかさえ分からないような有様であった。

『ユーリが起こす奇跡が、この国を救うのだろうか?』

 死なせてしまった仲間達が、こちらの世界で救われることへの希望と同時に、心の奥底から沸き上がってくるのは、どうしようもないほどの不安だ。

 力を使い果たし、消耗した有利が命の危険に晒される可能性。
 そして…有利の希望に反して、人間達が歩み寄ってこないという可能性。

 どちらも酷く恐ろしいが…まだ、前者については回避出来うるとの希望がある。ウェラー領に残る者達に重々言い含めておくことも出来るし、村田も何をおいてもその危険を避けようとするだろう。

 だが…後者の可能性を回避することは極めて困難だ。

『ユーリは傷つくだろう。そして、俺は戦うことになるだろう…』

 そうなった時、コンラッドは二律背反する行動原則に縛られることになる。
 
 平和主義者である有利の希望に即して、可能な限り敵を殺さぬように戦いたい。だが…同時に、あの連中…ルッテンベルク軍の面々を護りたいという欲求も強くあるのだ。

『ユーリ…』

 眉根を寄せている顔を見られたくなくて、木陰に半ば隠れるようにして有利の様子を伺っていると、背後に微かな足音を察知した。
 
「…よぉ…」
「アリアズナ…」

 お互い、何を言って良いのか分からずに…何やらもじもじとしてしまう。
 
『殴らなければ良かったな…』

 抱き合って確かめ合っていたあの時、胸に込み上げてきたのは狂おしいほどの懐かしさであったのに、ついつい有利に触れていることが腹立たしくて手首を掴み、レオとの仲を口にされただけで強烈な打撃を与えてしまった。

「……すまない。傷はもう良いのか?」
「へ…っ。あの程度で長々とへたってる場合じゃねぇだろ?」

 ニヒルに口を歪めて嗤う表情は相変わらずだ。
 数時間に渡って《へたっていた》のは如何なものかと思うが(←自分でやっといて…)、彼らしい物言いが懐かしくて思わず微笑んでしまう。

 不意に、アリアズナが驚いたような顔をした。

「……えらく穏やかな顔で、笑うようになったんだな」
「そう…かな?」

 アリアズナの紅い瞳は、今度は彼らしくもない表情を浮かべて眇められる。
 それは急に強まってきた陽光に眇められているようにも…柔らかく微笑んでいるようにも見えた。

「あの子…いや、陛下のせいかい?」

 くいっと顎で示す先に、農家の女将さん達に頭をかいぐりされている有利がいた。
 おばちゃん連中が相手なので走っていって止めるまでは行かないが、おじちゃん連中もいるのに警戒して軽く膝が動いてしまうと…アリアズナに思いっきり失笑されてしまう。

「あんた、面白いくらいあの陛下にメロメロなんだなぁ!」
「……悪いか?」
「別に悪かねぇさ。軽口一つで拳骨を喰らうんでなければ…な」

 ぴたぴたと頬に手の甲を押し当てられると、コンラッドもまたアリアズナが《変わっている》ことに気付くのだった。

「お前…そんなに丸い男だったっけか?」
「はは…どうだろうなぁ。俺自身とあんたの世界の俺とじゃ、やっぱり違うんじゃねぇのか?あんただって、こっちのコンラートに比べると随分違った感じがするぜ」
「そうか…そうだな……」

 当たり前のことなのだが、その事をアリアズナから改めて指摘されるというのも妙な感じだ。
 彼は今日初めて平行世界のことを知らされたばかりだというのに、随分と柔軟に適応しているように思える。

 アルノルドの後…ルッテンベルク師団として強固な枠組みを造り、どんな危地に晒されても組織の繋がりを維持して生き残ってきた彼らは、やはりコンラッドの知る彼らとは違っているのかも知れない。

『そういえば…年からいって違うのか』

 アリアズナは基本形が貴族的な顔立ちをしているくせに、皮肉げな口元から覗く犬歯が野生の獣めいて見える辺りが強調されるので、それが彼を昔と何一つ変わっていないように見せていたのだが…よく見れば荒々しさの中にも独特の叡智を秘めた瞳が、この年までに様々な事を見聞きして己を鍛えていったのだと教えてくれる。

「そっちの俺は死んだんだってな?どんな死に方だった?」
「それは…」

 コンラッドが言い淀んでも気にした風もなく、飄々とした顔で返答を待っているのは若い頃と変わらない。彼は、事実を避けるよりも直面することを望む性質であったから…。

「酷い…死に方だったらしい。補給もろくに与えられずに最前線に送り出され、塹壕の中で厳寒期を迎えたんだ。《せめて斬り合って死にたかった》…それが、最期の言葉だったと聞く」
「へ…っ。随分と辛気くさい死に方をしたもんだなぁ…。凍死かよ?」
「ああ…足先から凍傷が進んで交戦もままならず、塹壕に籠もっていた幾人かの兵と共に…春になってから発見されたそうだ…」
「ふぅん…」

 急にアリアズナの脚が軽快に動き、コンラッドの懐にはいると…ズトンと拳が鎧の隙間を抉る。

「…っ!?」

 嘔吐を催すほどの強さではなかったものの、不意を突かれて少しだけ息が詰まった。

「これでさっきの拳骨は帳消しにしておいてやるよ。だから…」

 くるりと踵を返す瞬間に、アリアズナは閃くような笑顔を残していった。
 口元から覗く犬歯を、陽光に反射させて…。

「だから…よ。もー、死じまった奴の事なんて忘れちまえ。そいつはちょいと…運が悪かっただけだ」

 

*  *  *




「コンラッド、どうしたの?」
「ユーリ…」

 畑仕事を手伝っている最中にふと後ろを振り返ったら、コンラッドが鉄錆色の髪をした男を見送っていた。確か、拳骨で撃沈させてしまったアリアズナという男であったはずだ。

「仲直りできた?」

 心配そうに尋ねると、コンラッドが柔らかく微笑むから…きっとそうなのだと思って有利は笑顔を浮かべた。

「良かった…!」
「ええ…」

 響きの良い声が微かな震えを含んでいる。
 きっと…長年に渡って心に刻まれていた疵が、幾ばくか塞がったに違いない。

『アルノルドに関わる話なのかな…?』

 聞きたいけれど…きっと、教えてはくれないなと思ったら少し腹が立つ。

 有利はコンラッドから、アルノルド前後の詳しい話を聞いたことがない。
 《ルッテンベルクの獅子》と呼ばれていたことに興味を引かれて幾度か尋ねたことはあるのだが、決まって彼は言を濁し…時には、辛そうな眼差しで遠くを見ていたから…それ以上尋ねることは出来なかった。

 けれど、口に出すことが出来ないぶん降り積もっていくのだろう《痛み》が、コンラッドの中に蓄積されていくのが辛かった。

 何でも秘密にしてしまう彼の性癖を考えれば、随分と譲歩してくれるようになったと分かっていても、時々肩を掴み…揺さぶって、こう言ってやりたいと思う。

『お願い…俺に、辛いことも苦しいことも、全部話して…?』

 初めて目にする…鎧装束を纏った姿が彼の存在をより遠くに連れ去っていくように感じて、有利は唇を噛みしめた。

 コンラッドは、戦地に旅立っていく。
 《上手くいけば出番はない》…そう語る村田の眼差しが、《上手くいく可能性は低い》と語っていた。

 コンラッドは…辛さや苦しさを抱えたまま戦地に赴くのだろうか?
 あるいは、その辛さや苦しさを解消するために…死なせてしまった者達とあまりにも似た人々を救うために、命を賭けてしまうかも知れない。

 そう考えたら…とても怖くなった。

「ユーリ?」

 泣きそうな顔をして、じぃ…っと見詰める有利の眼差しに気付いたのだろう。
 コンラッドは琥珀色の瞳をふわりと綻ばせて、有利の頬に羽毛が触れるような軽いキスを落とす。

「そんな目で見詰めないでください…あなたが、今すぐに欲しくなってしまいます」
「いいよ…」
「…え?」

 そんなに思いがけない言葉だったかな…と、不思議に思いながらコンラッドの頚に自分の両腕を絡めていく。
 そのまま唇を寄せていけば、コンラッドの瞳が少しだけ驚いたように開大し…次いで切なげに眇められて、長い睫が精悍な頬に影を落とす。

 光に透けるその睫が愛おしくて…更に屈んで貰うと、《ちゅっ》…と音を立てて瞼に口吻た。

「ね…しよ?」
「出立まで数刻しかありませんよ?」
「だからだよ…」

 労るような掌が頬を撫でるのが心地良いけれど…敢えてそれを遮って、下唇に噛みつくようにしてキスをした。

「あんたは…俺を確かめておきたくない?」
「…何時の間に、そんなに誘うのが上手くなったの?」
「あんたが鍛えたんだ」
「そう…」

 微笑む表情が綺麗すぎてちょっと腹が立つ。
 あちらの世界で亡くした旧友には素の顔を見せていたくせに、有利にはこんな時まで顔を作るのかと…切なくなってしまう。

『行かないで…』

 そう言えたらどんなに良いだろう?
 けれど…有利には言えない。
 言う資格がない。

 有利がこちらの世界に旅立つ時、コンラッドもまた同じ気持ちを感じて…それを噛み殺して耐えていたのを知っているからだ。

 だから…今の有利には、前戯なんて掠めるくらいで良いから…少しくらい乱暴でも良いから、コンラッドに抱いて欲しかった。



 せめてこの存在を…心と身体に焼き付けて旅立って欲しいと思うのだ。   
 







【ご注意!】


 
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 Iの話をナイス超訳すると、「コンユは愛を確認し合いました。その最中にデバガメが居ることに次男は気付きましたが、危急の際(?)なのでスルーしてやっちゃいました」という話です。

 
「エロを飛ばそうと思っても、つい目がいっちゃうよ!うぉ〜…くどい〜濃い〜親爺臭がする〜次男はこんなエロしないわぁ〜有利はこんな風にあんあん言わないわ〜」という方や、逆に「私が書くエロは超絶エロなので、こんなエロでは満足できない」という方はお止め下さい。

 後者の方は、お願いだからサイトアドレスを教えてください。遊びに行きたいです…。

 上記のような理由その他でスルーしようと思う方と、未成年の方は 第三章 XーJ にお進み下さい。