第三章 XーE








 コンラートは映像の中の有利に見惚れてはいたが、世界の全てがそれだけで埋め尽くされていたのは数秒だけであった。
 彼にとって乗り越えなくてはならない壁はまだ幾つもあり、のんびりと観客気分で有利だけを見つめているわけにはいかなかったのだ(見詰めていたい気持ちは目一杯あったわけだが)。

 また、彼にとって大切な人…自分で思っていた以上に大切で…そして、大切に思っていてくれた人達が大勢いることにも気付いた今、感謝と詫びを伝えなくてはならない人も倍加しているのである。

「フォンクライスト卿…っ!」

 コンラートは瀟洒な作りの椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、大跳ね橋の付近によろめき出てきた人物に向かって駆けだしていた。

 それは…遠目にも分かるほどに痛々しい姿となった、フォンクライスト卿ギュンターであった。

 激しい拷問の責め苦によってげっそりと頬がこけ、眼元には白い包帯が巻かれている。
 脱臼しているらしい両肩は三角巾で固定されており、バランスを取りにくい身体が少し動いただけでも動揺してしまう。
 指先まで包帯でぐるぐる巻きにされているのは、きっと知覚点の発達した指尖部分に爪剥ぎなどの拷問を受けたのだろう…。

 何という酷(むご)い責めを耐え抜いたのだろう?
 そして…何故ギュンターは今…こうして笑っていられるのだろう?

「コンラート…お帰りなさい」

 ふわりと百合の華が開くような…優美な微笑みが浮かべられる。

 清らかに…朗らかに微笑むギュンターは、どのように痛々しさを纏おうとも芯の強い美しさを損うことはなく、ひたむきで瑞々しい生命力を放つのだった。

『あなたは…何故そんなにも強いのだろう?』

 コンラートは込み上げてくる感情に胸を熱く染めながら瞼を伏せた。
 眼球の表面が、ちりり…っと痛みを帯びた熱さに晒されたからだ。

 ああ…フォンクライスト卿ギュンターという男は、温室に咲く繊弱な華人などではないのだ。
 真に気高く、靱(しな)やかに立つ一己の武人であるのだ…!

 コンラートは防壁から落ちてくるツェツィーリエを抱き留めた後、短時間ではあったが彼女の変化について質問することが出来た。
 興奮しきっていた彼女はなかなか整然と話を進めることは出来ない様子だったが、それでも深い感謝を込めてこう言ったのだった。

『あのね?私が変わったのだとすれば、それはきっとギュンターと…そして、あなたの乳母であったリリアーナのおかげなのよ。彼らが私を諫めてくれたの…!』

 かつては耳朶に心地よい言葉のみを集め、自分に辛い意見をしてくる者を遠ざけていた母だったのに、一体どのような心境の変化だとコンラートは耳目を疑った。

 それが、幾らかの会話の中でギュンターの我が身を惜しまぬ諫言がきっかけであったのだと悟ったとき…コンラートは、初めて彼の真の姿を見たような気がしたのだった。

 これまでのコンラートはギュンターを味方と見なすことはあっても、決して心を許せる存在であると考えたことはなかった。
 
 兄であるグウェンダルにしても同様なのだが、所詮彼らは血統正しき純血貴族…それも、栄えある十貴族の当主であるのだ。
 コンラートにどれほど便宜を図ろうとも、それは結局の所自分の為であり…政敵であるシュトッフェルを追い落とすための道具として使おうとしているにすぎない。
 そう断定していたのだ。

 だが…逆賊として追われ、眞王の怒りを買ったと噂される中で失踪していたコンラートの為に、何の見返りを求めることもなく…我が身を賭けてギュンターは諫言を為してくれたのだ。

 こうまでされては、いかな頑固者とはいえど無私の真心を感じずにはいられないだろう。

『俺は…馬鹿だった…っ!』

 何故、この男の誠意を疑うような真似をしたのだろう。
 何故…今まで心を開いて話をしてこなかったのだろう…!

 ギュンターは、こんなにも誠を持つ侠(をとこ)であったのに…。

「母を…諫めて下さったと聞いています。その為に…このような責め苦を受けられたのだと…」
「おや、心配してくれるのですか?なに、大したことはありませんよ。こう見えて、私は武人なのですからね!あの程度の拷問で音を上げるほど、繊弱な男だと思われるのは心外ですね!」

 ぷんっと唇を尖らせて怒るギュンターだったが、興奮したせいかまた咳き込んでしまう。

「無理をしないで下さい…。あなたの武人たるを疑う者などこの地上におりましょうか…。もしいたとすれば、今度はこの俺が…命を賭けて、その意を正しましょう」
「おやおや…えらく素直になったものですね!」

 ギュンターは頬を上気させ、照れたように顔を伏せた。
 ひねくれ者の弟子は常に斜め45度の会話しかしてこなかったのに、蘇った途端にまるで熱血漢のような言葉を浴びせられては戸惑うではないか。

「しかし…何故こんなにも、俺に尽くして下さるのですか?」 

 《利益など何もないでしょうに》…とは流石に口に出来ない。
 損得勘定などその意図に欠片も入っていないことを熟知しているからだ。

「おやおや…」

 ギュンターは少し調子を取り戻して、くすくすと笑うのだった。
 その様子はまるで、我が子に《どうして僕を可愛がるの?》と聞かれた母のようであった。

「やはり、変わっていないところもあるのですね。あなたときたら、戦争や政治に関しては恐ろしく勘が働く癖に、どうして好意の感情には疎いのでしょうね?」
「女性相手だとわりと働く方なのですが…」
「それもまた愛情という、一種の欲望が絡むからでしょうかね?ふふ…しょうのない子ですね!だからこそ、気になってしょうがないのかも知れませんねぇ…。私にとって、あなたという男はどんなに大きくなったって、英雄だの救世主だのご大層な存在である前に…可愛いコンラート坊やに過ぎないのですよ?どうして助けずにいられましょうか!」

 ギュンターは悪戯っぽく笑うと、三角巾から右腕を抜き…顔をしかめながら包帯だらけの腕を伸ばしてきた。

「フォンクライスト卿…無理をしては……っ!」
「重傷者扱いしないで下さい。私は元気ですよ!それより…確かめさせて下さい。私の教え子が、無事に戻ってきたことをね」

 ギュンターは包帯越しにコンラートの頬を撫でると、記憶にあるものよりも精悍な骨格に感無量と言いたげな表情を浮かべる。
 彼が知る骨格はもっと華奢で…幼いものであった筈だ。

 随分長い間、こんな風にコンラートに触れたことがないので…少々不思議な感じがするのかも知れない。

「ああ…元気なようですね。とても生き生きとした力を感じます。前のように頑なではなく…靱やかな雰囲気を纏っている。きっと、とても良い体験をしたのですね?」
「あなたには…全て見透かされているようですね」
「ええ!私を誰だと思っているのですか?あなたの師匠ですよ?」

 破顔一笑。
 快活に笑うギュンターに、コンラートもつられたのか声を上げて笑い…そして感激の涙を含んだ微笑にかわる。

「師匠殿…どうか、末永く俺にご指導ご鞭撻をお願いしますよ?長生きして頂くためにも、お体を大切にして頂かなくては困ります」
「嫌ですねぇ!私を年寄りみたいに言うものではありませんよっ!まだぴっちぴちの…!」

「また大幅な減数報告をするつもりか?」

 重厚な声が呆れたように掛けられると、ギュンターの身体はふわりと抱えられてしまう。小柄なギーゼラにとっては重すぎる身体も、長身で肩幅もある武人にとっては大した重荷ではないらしい。
 まるで姫君を誘(いざな)うようにして横抱きにしてしまう。

「グウェンダル!」

 そう…コンラート達の遣り取りを横で見ていたグウェンダルが、手を出してきたのだ。



*  *  *




「年寄りの冷や水もいい加減にしろ。それ以上無理をすれば、不可逆的な障害が残るぞ?」
「まぁ…あなたまで私を年寄り扱いするつもりですか!?同年代のくせに!言っておきますが、私はあなたに噛みついてでもここに居続けますからね!誰がこんな晴れがましい…運命が決するであろう日に病床に伏していられますか!」

 痛む関節を振り回してぷんすか怒ってみせるギュンターに、苦み走った声音と表情とが向けられる。
 だが…その眼差しには、ギュンターの目が見えていれば頬を染めたのではないかというほどの情感が籠もっていた。


「お前が…得難い男だと思うから、無理をさせたくないのだ」


 殺し文句、一閃…!


 ぎゃいぎゃいと喚いていた口を閉じさせるのに、これほど効果のある言葉もないであろう。
 響きの良い重低音で繰り出される労りの言葉に、ギュンターは先程までの勢いはどこへやら…《あー》とか《うー》とか、政治家みたいな声を上げて勢いを押さえてしまう。

「弟の為にその身を尽くし…母を諫めてくれたことに感謝している。それは本来、私が担うべき役割だった…」

 それ以上は、グウェンダルも語らなかった。
 口下手なこの男にとっては、既に羞恥の耐久力限度幅一杯まできているのだろう。
 それでも、最大限の誠意を尽くして語られたこの言葉はそれなりの効果を上げているようだ。

 少なくとも…友と弟とは感じ入っているように見られた。

「猊下に頼んで、我らが座る席の横に簡易寝台を据えて貰おう。お前は…そこで全てを見守る権利があるはずだ。そして、その身に負担を掛けない義務がある」

 《世の中が良い方向に変わっていくのだとすれば…お前はこの国にとってなくてはならない存在になるだろう》…と、続けたいのは山々だが、もう恥ずかしくて言えない。

 《その辺は察しろ》…と、昔気質の亭主のような発想をしつつ、後は機械的に処理をしていく。
 毛布などを抱えて走ってきたリリアーナに指示を出して寝台を用意させると、そこにギュンターを仰臥させた。



*  *  *




「リリアーナ…」
「コンラート様……っ!」

 リリアーナは侍女の鑑とも言うべき女性であった。
 コンラートに飛びついて喜びを表したいという衝動を何とかいなして、簡易寝台の具合がギュンターにとって少しでも居心地の良いものになるように心を尽くした後、やっとしずしずとコンラートの脇までやってきたのである。

 それでも尚、この場で大きな役割を担っているであろうコンラートに気兼ねしてか、自ら声を掛けることはなかった。

 その様子に気付いたコンラートが駆け寄ってくると、そのまま腕の中に抱き込まれて…リリアーナは頬を真っ赤に染めてしまった。

「ありがとう…リリアーナ。母とフォンクライスト卿のために尽くしてくれたと聞いてるよ…」
「いいえ…私など…何も……」

 涙をぽろぽろと零すリリアーナの頬を、コンラートは清潔なハンカチで丁寧に拭っていった。
 
「昔と…逆だね」

 くす…っとコンラートが笑うから、リリアーナもまた涙の中に笑い声を混ぜる。
 コンラートは少年時代には滅多に涙を見せない子ではあったが、それでも耐え難い苦しみを自分一人ではどうにも出来なくなったとき、声を殺して泣いていた。
 そんなコンラートを見つけては、リリアーナは抱きしめ…力づけてきたのだ。

「今度は、俺があなたを支えるよ…リリアーナ。この国を…あなたが安心して暮らせる国にしてみせる」

 確信の籠もる瞳に、リリアーナは悟った。

『この方は、偶発的に魔王陛下を救われただけではないのだわ…!』

 きっと、名誉回復のための方策を見つけ出したに違いない。
 昔、涙を零した後には必ず突破口を見いだしていたように…!

「コンラート様…お待ちしております。その時を…!」

 こくりと頷くコンラートは、リリアーナの額にキスを落とすと小さく手を振って自分の席に戻っていった。
 
 その姿を、リリアーナは何時までも見詰めていた。



*  *  *


「あー…やっぱ良いなぁ、渋谷!絶対似合うと思ってたんだよね〜っ!」

 村田は画面の中や周囲で展開される奇蹟以上に、その奇蹟の中にある有利の姿を堪能していた。
 上機嫌で口元を緩めると、鼻歌であるフレーズを奏でる。

 当然、今回の計画でこの絵面を考え出したのも村田なら、《青き衣》を用意させたのも村田である。肩に載せる《キツネリス》を用意できなかったのがちょっぴり残念なところだが、金色(こんじき)の野に翻る青き衣が完璧なので無問題である。

 多分…やっている有利はこちら方面の知識はとんとないことから、自分が大賢者の趣味と実益を兼ねたお楽しみに使われているとはミジンコほども気付いていないことだろう。

 横で見ているヨザックとしては苦笑ものだ。

 こちらの眞魔国の連中もさぞかし感動していることと思うのだが(今も、周囲で見守っているビーレフェルト軍の中からは歓喜の叫びや、感極まったように啜り泣く声が聞こえる)…まさか、この形態がある世代のアニメスキーにとっては堪らないシチュエーションだとは夢にも思うまい。

 大賢者様の趣味と実益を兼ねた設定は、どうやら大満足なレベルに達しているようだ。

 そのご機嫌状態の村田も、すぐ傍でシュトッフェルが何か口にする度に眉根が寄ってしまう。
 彼にとってこの男は、あちらの世界にあっても始末できないことを苦々しく思っていた男であり、今から始末する予定ではあるものの…その見苦しさを目の当たりにすると不快感を拭えないのだ。

「…フ、フォンクライスト卿……っ…」

 辛うじて椅子に座らされてはいるものの、かつての(正式に罷免されたわけではないが、人々の脳内では既成事実である)摂政殿は両脇から警備兵の監視を受け、不穏な動きがあれば即座に取り押さえられるようになっている。

 シュトッフェルはギュンターの姿に怯えたような…阿(おもね)るような笑みを浮かべて肩を竦めた。
 その表情は卑屈そのもので、同座している方が恥ずかしくなるほどの愚かしい姿であった。

 これまでは軽薄ではあっても、少なくとも美麗であったはずの顔は数時間の内に酷く脂ぎってしまい、おどおどと落ち着かない瞳は盛んに辺りの様子をうかがい、小さな物音一つでびくりと震える。

 これが一国の政治を数十年に渡って取り仕切って来た男なのかと思うと、周囲は怒りを通り越して情けなさすら感じてしまう…。

『大体、この国はツェリ様に甘すぎるんだよねぇ…』

 村田は友人の活躍する美しい映像から視線は外さないまま、皮肉げに唇を歪めた。
 
 眞王がツェツィーリエを魔王に任命したのは、その性的な奔放さゆえに魔族のみならず人間世界にもその愛の矢を放つであろうと予測したからであり、三兄弟を産むほかに大きな期待を掛けたことはない。

 だが、ここまで眞魔国全土に悪影響を及ぼすことになろうとは予想だにしなかった。

 勿論ここでびくついている男がその主因ではあるのだが、ツェツィーリエが政治を顧みることなくただひたすらに自分の欲望を追求してしまったことも間違いなく《害悪》であるのだ。

 村田はこれからシュトッフェルを断罪するつもりでいるが、本来はツェツィーリエについてもこっぴどく絞ってやるつもりでいた。
 何しろ、彼女のせいで村田の大切な渋谷有利がこちらの世界に来ざるを得なくなったのだ。幾らセクシークィーンとはいえど許すわけにはいかない。

 そう、思っていたのだが…。

『全くもって予想外の人が頑張っちゃったんだなぁ…』

 あちらの世界で色んな種類の《汁》を吹き上げているのと、同じ魔族とは到底思えない…。

 簡易寝台に横たえられるギュンターを横目でちらりと見やった村田は、一瞬ではあるが…心から労りに満ちた眼差しを送った。
 彼が命がけで諫言したという事実がなければ…そして、ツェツィーリエが改心することがなければ、村田は心底こちらの世界に愛想を尽かしていたことだろう。

『自分の世界のことくらい、自分で何とかしやがれ』

 こちらに来るまでは、そう罵倒してやりたい気持ちで一杯だった。
 
 だが…この国にもまだ、心ある民はいたのだ。
 そのギュンターがここまで蔑ろにされていた事実には怒りを覚えるが、彼がいてくれたことには村田といえど深く感動せずにはいられなかった。

『ツェリ様…あなたは、彼に色んな意味で救われたんだよ?』

 村田はくすりと微笑んでまた視線を映像へと戻す。

『渋谷…君が救いたいと思っていた連中を、僕もちょっと助けてあげたくなっちゃったよ。ふふ…ほんのちょっぴりだけなんだけどね』

 しかし、村田にとって何よりも大事なのが有利であることには変わりはない。
 見つめる先で有利の顔色が変化していくのを見ると、潮時を悟って声を掛けた。

「渋谷…もう良い。実りの奇跡は十分に眞魔国に広がったはずだ。呼びかけを止めるんだ」
「う…ん……」

 真っ白な顔色になってしまった有利の様子が、眞魔国中の映像にもアップで伝えられる。
 この事実は眞魔国の民に知っておいて貰わなくてはならないのだ。

 絶大な魔力を誇る有利にも限界があり、全てを彼に頼り切ればその存在を潰してしまいかねないのだと恐怖させる必要がある。
 そうでなければ、今後また別の理由によって天変地異が起こった際にも、自助努力をせずに奇跡を待ち望まれてしまうだろう。

『そうはいかないんだよ…。助けるのは、今回きりだ…!』

「もう…良い?」

 気が抜けたように、かくりと有利の膝が崩れると…麦畑を掻き分けて血相を変えた領民達が駆けてくる。上体を抱えられた有利は冷や汗を額に浮かべており、また限界近くまで力を使ってしまったことが伺えた。

 青白い頬に落ちかかる睫の影は陽光のせいもあって色濃く、浅く速い息は発熱者のそれで…ますます有利を儚げに、華奢に見せていた。

 今の姿だけ見ている者は、おそらく《きっと異世界の魔王陛下は、菫の砂糖漬けと紅茶だけ飲んで生きておられるのだ》と妄想を膨らませていることだろう。
 実際には、元気いっぱい状態だと大口を開けて骨付き肉にかぶりついていたり、夏の朝方はランニングとトランクス姿でケツを掻いている等とは誰も思うまい。
 
「ああ…ユーリ陛下、お労(いたわ)しい…っ!」
「駆け寄って、お身体を支えて差し上げたい…っ!!」

 村田の傍で見守っているビーレフェルト軍からも、ひそひそと囁き声が漏れてくる…。
 今現在有利を抱えているおばちゃんは、さぞかし国中の羨望の的となっていることだろう。

「よく…頑張ったね、渋谷…。もう大丈夫だよ。後は僕たちに任せて休むんだ」
「ん…」

 こく…と、頷いて健気に微笑む有利に、国中の視線とハートは釘付けであった。
 今なら胸に五寸釘を打ち込まれても、《これが恋の痛み!?》と叫ぶ者が3名くらいはいるだろう(←多いんだか少ないんだか…)。


「さて…君には渋谷の頑張りが伝わったかな?…聖剣を持つ勇者、アルフォード・マキナー君」
 
 

*  *  *




 突然夢見心地の所に名を呼ばれたアルフォードは、《は…》っと我に返って二つ目の画面を見た。

 これまで《奇跡》を映し出していた画面は半分くらいに小さくなり、隣に現れた画面には、大きく双黒の大賢者が映し出されている。

「君は、あちらの世界では僕たちと力を合わせて創主の軍勢と闘ってくれた。こちらでもそうなることを期待している。そうなれば勿論、この実りは君たちとも分かち合うことになるだろう」
「……っ!」 

 信じられないような台詞を口にされて、アルフォードは息を呑んだ。

 これまで、軍をとりまとめ…大きくしていく過程で、もともとは純朴な性質を持つアルフォードも辛酸を嘗めさせられ、幾度も《自称同胞》に騙されてきた。

 《もう騙されるものか》と、心眼を鍛えてきたアルフォードであったのだが…今この時、激しく迷っている自分に愕然とした。

『迷うような話じゃないだろう!?』

 相手は魔族だ。
 血も涙もない、人間の敵であるはずだ。

 なのに…大地の再生という奇跡を生み出す双黒の魔王と、深い叡智を秘めているかに見える双黒の大賢者に、アルフォードの心は《信頼》という花束を与えようとしている…。

『馬鹿な…!』

 これも、魔力のせいなのだろうか?
 彼らの瞳を見ていると、吸い込まれるように《信じたい》という欲望に駆られてしまう。

「おい…アル、馬鹿なことを考えるんじゃないぞ?」

 彼の性格を熟知している副官が、周囲には聞き取れないほどの小声で囁きかけてくる。
 一回り年嵩のガーディー・ホナーは老練な傭兵で、かつて素直すぎる性格が災いして盗賊団の片棒を担ぎ駆けていたアルフォードを諫めてくれた男だ。
 その後も縁あって共に行動することが多く、いつの間にか副官という地位に収まっていた。

 鼻の付け根を横断する傷跡が引きつれて異相を示すガーディーは、それだけではない不快感に鼻を鳴らした。
 
「確かにあの連中は綺麗な眼をしてやがる。もしかしたら半分くらいは話も本当なのかも知れねぇや…だが、周りを見てみな?」

 幾人かは、迷うように瞬きをしている者もいる。
 だが…本当にそれは極々僅かな者だけであり、殆どのものが目を血走らせ…目の前で繰り広げられた奇跡を下卑た欲望で解釈しているようだった。

「元々の敵愾心が強い連中が、どうにもならねぇ飢えの中であれだけ豊かな実りを見せつけられたんだ…。《分けて貰う》なんて牧歌的な気分よりも、《行って鷲掴みにしてやる》…って戦闘的な気分になるのは仕方ねぇさ。何せ、今まさに戦陣を構えて向き合ってる最中だったんだからな。敵の言うことを丸飲みにできる胆力の持ち主なんざ、そういるはずもねぇさ」

 ガーディー自身は戦いを生業にしてきたわりに、特段人間だとか魔族だとかいった種族の違いに固執する方ではない。単に、食い扶持を稼ぐ手段として敵陣についた者を殺して回っているだけであり、その都度自分を正義と信じられるほどお目出度い体質はしていない。

 だが、その分…冷静に周囲の熱を感じることが出来るのだ。
 時として指揮官の掌中から溢れ出てしまう、野放図な戦意の高揚というものを…。

「この猛りを押さえるのは…お前にも無理だ」

 ガーディーの言葉以上に、漏れ聞こえてくる兵士達の言葉がアルフォードに眉根を寄せさせる。

「凄ぇ…。見ろよ、あの麦穂…っ!全員で両腕に抱えたっておつりが来るぜ?魔族どもを殺せば殺すだけ、俺たちの食い扶持が増えるんだ!」
「腹がはち切れるくらいにパンが喰えるぜ?」
「馬鹿め、近眼な連中だ!食うだけじゃねぇさ…あの怖いくらい綺麗なガキを手に入れれば、どこでだって何だって実るんだぜ?捕まえりゃあ、金を産む鵞鳥を手に入れるようなもんさ!使い過ぎでその力が無くなったって、なにせ双黒だ…。お大臣連中なら夜の慰み者や精力剤として珍重してくれるだろうさ」
「おお…っ!食えば不老長寿の妙薬だって言うしな!?肉片の最後の一欠片まで美味しいってわけだ…!」

 男達は猛る欲望に瞳をぎらぎらと輝かせ、血の気を失って頽れている有利をもう捕らえてしまったかのように話をしている。


 その声が…集音されて大賢者の耳に入ることが、自分たちの運命をどのように決定づけるのか理解もせずに…。


 




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