第三章 XーC
パカラ…っ
パカラ……っ!
高らかに蹄の音を響かせながら、暴れん坊将軍並みの迫力を見せてグウェンダルが馬を駆る。
『コンラート…それに、眞王陛下に…双黒の大賢者だと?』
王都前の丘陵に一度ヴォルテール軍を退却させると、グウェンダルは軍の統制を副官に託してから王都まで一騎駆けした。
ビーレフェルト軍は完全に戦意を失って動きを止めているが、迂闊にヴォルテール軍を接近させれば反射的に攻撃してこないとも限らない。かといって、この激変の事態を離れた場所から傍観することもできない。
だとすれば、危険を覚悟で単騎で進むしかないだろう。
『コンラート…本当に、コンラートなのか?』
眞王陛下や大賢者とやらの真偽以上に、その事が気に掛かった。
ツェツィーリエが見て息子だと確信しているのだから間違いはないと思うのだが…それでも、ぬか喜びに終わることが不安で居ても立ても居られない。
『一体今まで何をしていたのだ…怪我などしていないだろうな!?』
夜遊びをして朝帰りした息子を心配する雷オヤジ並みに、グウェンダルは弟を叱責してやりたい気持ちで一杯であった。
しかし…いざ当の本人が立っている場所まで来て馬から下りると、途端に何から切り出せばいいのか分からなくて…つい、最も気になる点を外して声掛けをしてしまうのだった。
「…………お初に、お目に掛かる。私はフォンヴォルテール卿グウェンダルと申します。眞王陛下と猊下に直接拝謁できる機会を得て、喜悦の極みです」
「うっわー、君ってばこっちでも《喜悦》な感じの表情とか上手く出来ないんだねー。口元引きつってるよ?眉、寄っちゃってるし」
恭しく跪いたグウェンダルのこめかみに、ビシリと音を立てて交差点が浮かぶ。
『こっちでも…?一体…どういうことなのだ?』
だが、説明を促すことは出来まい。
この少年の不興を買うことは、事態を大きく拗れさせることになるだろう。
「……申し訳ありません…」
「我慢強いね。フォンヴォルテール卿…常に眞魔国のため…民のためを思い、自分の欲求は二の次にしてるわけだ。そういうところ…大切な資質ではあるけど、時にはもっと素直になっても良いんじゃないかな?」
何故か、少年の声は不思議なほどの優しさを含んでいた。
奇妙に思って顔を上げれば、そこには…やはり先程までの冷酷さを払拭させた黒瞳が見詰めており、唇には冷たさを感じさせない笑みが浮かんでいた。
「僕はお茶の用意が出来るまでは説明を始めないよ。だから…君はそれまで待たなくてはならない。だとしたら、時間は有効に使った方が良いんじゃないのかな?家族と無事を確かめ合う…とかね」
「……っ!」
この表情が演技なのだとしたら、この少年は恐るべき人物なのではないかと思う。
労りと慈愛に満ちた眼差しは、グウェンダルをして抵抗しがたい力を持っていた。
無表情の壁に隠された心の内を、晒してしまいそうになる。
「…お言葉に、甘えさせて頂きます…」
憮然とした口ぶりながら、グウェンダルは内心そちらに行きたくてしょうがなかった家族の方へと足を向ける。
「母上…ご無事で、何よりです…」
「まあ…グウェンったら、私よりも本当はコンラートに声を掛けたいのでしょう?」
「…………そんなことは……」
じぃ…っと、今まで向けられたことがないような真摯な眼差しを弟から送られて…グウェンダルは《…ありません》と続けることが出来なくなった。
何だか物凄く居たたまれない。
背中と額に変な脂汗が浮かんできた。
弟の方も間合いを取るように、じり…っと体術の組み手を取ろうとするように近寄ってくる。
両手を肩幅程度に開いてじりじりと寄ってくるものだから、ついグウェンダルも同じ体勢を取ってしまった。
「ウェラー卿……何をしようとしている?」
互いに目つきが半眼になるのを避けられない。
「再会の歓びを表すために、抱きしめようかと思いまして…」
「よせ、止めろ…。お前、失踪している間に性格が変わったのか?」
「変われているのかは自信がありませんが…少なくとも、変わらなくてはならないと教えられました。自分から、歩み寄らねば何も変わらないのだと…」
今やっているのは、歩み寄りと言うよりも躙(にじ)り寄りな気もするが。
「…誰にだ。お前がそのような対人関係に対する教えを人に請うとは思わなかったぞ?ギュンターに散々言われても、いつも苦笑で返していただろうが?」
「《兄上》も、そうでしょう…?」
ぴたりと両者の動きが止まる。
数瞬の後…《カーッ》っとコンラートの頬が染った。
「……照れるくらいなら言うな!」
流石兄弟。
言うことが同じ。
「じゃあ…何とお呼びすればいいですか?」
拗ねたように、乱暴にコンラートに問われて返事に窮する。
地球に住む渋谷長男なら《お兄ちゃん以外認めん!》というところだろうが、グウェンダルは極度の照れ屋さんである。《お兄ちゃん》等と呼ばれたら、その場で憤死するだろう。
「グウェンダルと…呼べ。コンラート……」
浅黒いグウェンダルの頬にも血の気が上がってくる。
部下を丘陵に残してきて良かった…。こんな姿、絶対に見られたくない。
特に、ギュンターが居なかったのは幸いだ。彼のことだ…目にしていれば、その辺を跳ね回って喜んだに違いない。
「はい。でも…慣れてきたら、グウェンと呼んでも良いですか?」
「慣れ…て、きたら……な……」
はにかむように、《にこ》…っと笑う弟は一体どうしてしまったのだろうか?
《か…可愛いではないか……》そんな風に感じてしまった自分が、壮絶に恥ずかしい。
しかし、コンラートはコンラートで相当照れているようだ。
基本的な性格が元とそう変わらないからこそ、こんなに恥ずかしそうにしているのだと思うのだが…何故だか強い使命感に駆られてグウェンダルに歩み寄ろうとしている。
これが単に表面上のものであれば、この男はもっとソフィスケートされた動作で、詩文の如く華麗な言葉で語るに違いない。
それがこんなにも羞恥を露わにしているからこそ…信じられる気がした。
「うわ〜…奥歯が痛痒い。歯根部が浮いてくるよ…っ!」
「お前が焚きつけてやらせたくせに…」
何やら後ろの方から会話が漏れ聞こえてくる…。どうやら、眞王と大賢者だ。
《やっている当人はもっと奥歯が痒いわ!》…と、叫んでやりたいが出来ない。
それに…とてつもなく居心地が悪いのに…同時に、とんでもなく浮き立つような喜びを感じてしまうのだ。
『くそ…っ!』
油断すると、頬が緩みそうになってしまう。
こんなに困る事態に陥ったのは生まれて初めてだ。
そんな…何とも言えない空気の中で、テーブルセッティングが終了した。
直立不動のビーレフェルト軍に見守られながら、優雅な白木のテーブルで午後のお茶会が始まろうとしている…。
* * *
「やれやれ…やっと話し合いが出来る状況になったね。それでは…本題に入ろうか?」
大賢者が《ス…》っと腕を頭上に翳し、パチリと指を鳴らした瞬間…彼らの頭上には十数枚の映像板が浮かび上がった。
胡蝶に持たせた土の要素の魔石が映し出した、眞魔国各地域の映像だ。
まるでお正月の多元中継のような騒がしい映像だがしょうがない。
彼らは、これから単なる観客としてではなく…役者としても活躍して貰わなくてはならないのだから。
「さあ…大賢者様と愉快な仲間達のQ&Aコーナーだ…。じっくりと君達の疑問に答えてあげようじゃないか…」
実際に《アンサーお兄さん》になったらとんでもない迷解答をしてくれそうな大賢者様は…含みのある表情を浮かべてにっこりと微笑んだ。
* * *
村田は用意された茶器から一口紅茶を啜ると、芳醇な味わいに満足そうな笑みを浮かべ…コトリとカップを卓上に戻してからゆったりと話し始めた。
「まず、改めて名乗らせて貰おうか。僕の名は村田健…ウェラー卿コンラートの依頼を受けてこの世界にやってきたが、本来はこことは違う次元の眞魔国で暮らしている。そちらの方で双黒の大賢者の魂を受け継いでいる、ぴっちぴちの18歳だ」
色々と突っ込み所が多すぎて、何処から突っ込んで良いのか分からない。
それでも敢えて口を開いたのはグウェンダルだ。
「別の次元とはどういう事でしょうか?」
「こちらととても良く似ているけど、異なる歴史を辿った国だよ。眞魔国があり、人間と数千年にわたり敵対し、そして…やはり《禁忌の箱》が開放された」
「……っ!」
ざわ…っと空気が揺れる。
それは王都前に集結しているビーレフェルト軍やヴォルテール軍、そして防壁上や跳ね橋の向こうで鈴なりになっている人々のざわめきだけではなかった。
土の要素の魔石によって中継された、眞魔国各地の声も届いてくるのだ。
「だが、僕たちの世界では《禁忌の箱》から溢れ出た創主は魔剣モルギフを擁する魔王…第27代眞魔国魔王…渋谷有利陛下によって打ち倒され、眞魔国は創世以来という繁栄の中にある」
「第27代魔王…?」
「ここにおられる第26代魔王、ツェツィーリエ陛下の退位後に即位された双黒の魔王だよ。僕と同じ18歳の、麗しの魔王陛下…。僕が忠誠を誓う、唯一人の王だ」
どよ…っ!と、また眞魔国中がざわめいた。
「その方は、こちらの世界にもおられるのですか…!?」
「いや、残念ながらいない。だから、僕たちがこちらの世界に来ざるを得なかったんだ。3つの目的を果たすためにね」
「その目的とは?」
「究極の目的は、《禁忌の箱》を消滅させることだ」
ここまでは何とか冷静な表情を維持してきたグウェンダルにも、流石に村田の言葉が荒唐無稽に映ったのだろうか?ぐにゅりと口元を歪めて…表情の選択に困惑していた。
「その自信があるのですか?」
「ある…というより、そうしなくては世界の崩壊は時間の問題だ。今のところ、突入と同時に《鏡の水底》は封印したが、これも簡易的な封印に過ぎないからね。鍵によって開けられたそもそもの諸悪の根元…《地の果て》、そしてその開放に誘発されてかなり開いてしまっている《風の終わり》《凍土の劫火》を滅ぼさなくては、いつか4つの箱は互いに影響し合って、完全体となった瞬間…この世界を崩壊させるよ。そうなれば魔族も人間も全て死に絶える。そう言った意味では、魔族と人間は運命共同体なんだよ」
* * *
「ほ…本当なんだろうか?」
「《禁忌の箱》のせいで…俺達、滅ぶのか?」
ウィンコット軍と対峙するアルフォード軍の陣営でも、激しいざわめきが起こっていた。
「落ち着け。俺達を誑(たぶら)かそうとしている可能性もある」
「しかし…アルフォード。《禁忌の箱》が全ての源であることは間違いないんだろう?」
「それは…そうだが……」
アルフォード・マキナーは薄い空色の瞳を眇めて、少し離れた空に浮かぶ双黒の少年を見詰めた。
18歳というその年齢と容貌は、魔族よりも人間としての成長過程に等しい。
しかし、彼の纏う迫力と…瞳に秘められた叡智は、こうして映像越しに見ていてさえ徒者ではないことを示していた。
とても、年齢通りの少年とは見えない。
ましてや、口にしていることは単なる嘘にしては規模が大きすぎるし、そのような嘘をつく意味も分からない。
それに、あの凄まじい魔力…!
魔族も《禁忌の箱》が開放されてからというもの、昔ほどは魔力を駆使できなくなっていると法力使いは口を揃えて言うし、アルフォード自身、戦場でその事は実感している。今の眞魔国に、あのように大規模な要素を召還できる術者が居るとは聞いたこともない…。
実際、魔族達もあの大賢者の言動にはいちいち大きな驚愕を示しているではないか。
『どこまでが、真実なのだ?』
《魔族と人間は運命共同体なんだよ》…大賢者はそう言った。
その意図は何だろう?
『手を携えて、《禁忌の箱》を滅ぼすことか?』
真実そうなのであれば、アルフォードは勇気ある決断を下さねばなるまいが…難しいだろう。元々の種族的な確執に加え、もはや魔族と人間は互いに凄惨な死を見詰めすぎた。万が一、大道としてはそれが正しいのだとしても…目の前で死んだ同胞や、無惨に虐殺された一般人の死を思い起こせば、そう簡単に魔族と手を取り合うことなど出来はしない。
魔族の方でも同様だろう。
『一言提案されただけで、いそいそと魔族が同意するとは思えないのだが…』
大賢者がその辺りをどう考えているのか興味が湧く。
魔族達が彼に気を取られて注意力を欠いている今が攻撃の好機だと分かっていて尚、アルフォードが出撃命令を出さないのはそのせいだった。
もしかしたら、これこそ彼の術中に落ちている証拠なのかも知れないが…それでも、アルフォードは今暫く待ってみようと思った。
万が一…億が一にでも、この世界の滅びを防ぐ術があるのであれば、縋り付きたいという願望がどこかにあるのだ…。
* * *
「《鏡の水底》…?それは、遙か昔に失われたまま発見されたことがない箱の筈ですが」
グウェンダルが怪訝そうに尋ねると、ヴォルフラムも強く頷いた。彼らが認識していた《禁忌の箱》は、人間世界で開放された3つだけなのである。
「かつて、その箱は開放されることを恐れて運ばれたんだよ。地球と呼ばれる、こことも…別の眞魔国とも違う星にね。そしてそれは、二つの世界を繋ぐ眞王廟の水鏡から3つの箱に誘発されて開きかけていた。それを限界まで食い止めようとして、溢れ出てきた創主と同化するという奥の手まで使ったのが、眞王と…ウルリーケを初めとする巫女達なんだよ。フォンビーレフェルト卿、君が眞王廟で見た不気味な固まりは、病原体と白血球が混じり合った膿のようなものだったんだ。渋谷はそれを、魔剣モルギフによって封印した。おかげさまで、眞王廟はこの通りさ」
村田が指をぱちりと鳴らすと、頭上の映像のうちのひとつが眞王廟に切り替わる。他の地域でも、頭上に掲げられた映像が眞王廟の様子を映し出した。
そこには衰弱してはいるものの幾分顔色を回復させた巫女達と、清浄さを取り戻した眞王廟の様子が伺えた。
眞王廟は、蘇ったのだ。
今この場にビーレフェルト軍のゲインツ中尉がいることもその事実を証明していた。彼はあの不気味な固まりに引きずり込まれていたのだから…。
「眞王と巫女は開放され、眞魔国を中心から侵していた創主の力は止まった。魔力の強い者なら、何日か前からその気配を感じていたはずだよ?天を貫く光柱が立ったその日からね」
「……っ!あれが…シブヤ殿の力だというのか?」
「ああ…そうさ」
驚嘆する人々に、村田がふわりと笑みを浮かべる。
《渋谷有利》という存在が、彼にとってどれ程大切なものであるのか…愛おしいものであるかが察せられる…そんな笑みだった。
「僕がさっき言ったことを覚えているかな?この世界で為そうとしてる目的の数を」
「3つ…と、伺いました。その一つにして、究極の目的が《禁忌の箱》の消滅だと」
グウェンダルが即座に答えた内容に、村田は満足そうに頷いた。
基本的に馬鹿は嫌いなので、基本事項程度はすぐに頭に入れていて貰わなくては話にならない。その点、グウェンダルはこういった内容の話し相手としては適切だ。
「良くできました。さあ、それではその究極目的を達するために必要な事とは何だろう?」
「それは…《禁忌の箱》に到達する手段と、破壊に擁する力でしょうか?残る三つの《禁忌の箱》は全て人間世界にあります。それを破壊するためには、人間世界を縦断しなくてはならない。近年行われたことのない、大規模な遠征軍を派遣する必要がある。そうなれば莫大な軍備が必要となるでしょうが…」
「そう、今の眞魔国にはそこまでの備えはない。聞いてる?人間世界の諸君…君達は魔族が潤っていると考えているみたいだけど、せいぜい君達の国に比べればましという程度なんだ」
村田が頭上に呼びかけると、画面の一つがざわりとどよめいた。自分たちに向かった呼びかけが為されるとは思っても見なかったのだろう。
「だが、今日を境にそれは解消される。少なくとも…食糧に関してはね。それが、僕たちの二つ目の目標。眞魔国に、再び実りを蘇らせることだよ。腹が減ってはまず、《禁忌の箱》に滅ぼされる前に飢え死にしちゃうからね。そしてその収穫をもって、眞魔国は人間世界と交渉をするんだ。《喰わしてやるから、道を開けろ》…とね」
「そんなことが…」
「出来る。我が王…第27代魔王渋谷有利の能力と、君達の協力があればね」
村田が殊更ゆっくりと頭上に腕を伸ばし、重々しく…強く指を鳴らすと、頭上の映像の一つが大きく拡大された。
それは、広大な…けれど、殆どが芽吹くもののない畑のようであった。
「君達がかつて目にし…今では長く眺めることの出来なくなっていた光景を、彼が見せてくれるよ。だから、彼の言うことに耳を傾けと欲しい…どうか、お願いだよ?」
淡々と語っていた村田の声が、甘く…やさしく、祈りを込めて告げられる。
その囁きに合わせてゆっくりと映像の焦点が合い、《双黒の魔王》の姿がうっすらと大地の上に結像していった。
* * *
『大賢者が心酔している魔王…』
それは一体どのような男なのだろうか。
グウェンダルは内心興味津々ではあるのだが…努めて冷静な顔を作った。
だが、この大賢者…一筋縄では到底いかないだろう少年が心酔している程の魔王なのだ。少なくとも切れ者であるには違いない。
眞王陛下の前で堂々と《僕が忠誠を誓う、唯一人の王》と明言しているところから見ても、その智慧は神の如き光彩を放つのだろうか?
《麗しの魔王陛下》という表現に関して言えば、眞魔国の民は美貌の持ち主に元々慣れているし、その中でも第26代魔王陛下ツェツィーリエは黄金色に輝く麗しさである。美に肥えたこの瞳に、さて…《双黒》という付加価値がつくにしても、果たして驚きをもって眺めるほどの容色として映るのかどうか…。まあ、それは別に期待を上回る必要などない。
『私に興味があるのは…猊下の広げた大きすぎるハンカチの中に、真実が包まれているかどうかだ。僅かでも、この滅び行く世界に希望を見いだしてくれる存在であるのなら…私はその足下に平伏して靴でも足の指でも舐めてやる』
グウェンダルが密やかな決意を込めて見守る中…《双黒の魔王》の姿が、眞魔国中に映し出されたのであった。
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