第三章 VーA
「ん…」
「ユーリ!」
響いた懐かしい声に、有利はまだ眩しさに慣れない瞳をしばたかせた。
「コンラッド…あれ…?創主…は?眞王は?」
「《鏡の水底》は君が封印しただろ?眞王は、僕たちの世界の眞王と一時的に合体させてる」
有利は少しずつ馴染んでいく視界の中で、泣きそうな顔をしたコンラッドとレオが自分の手を両手で包み込み、村田が皮肉げな笑みを浮かべつつも、内心は安堵で頽れそうになっているらしいのを見やった。
「あー…そうだよね……」
どうやら臨時の医務室のようなところに寝かされていたらしく、有利の他にも衰弱しきった巫女達が村の娘やおばさん達らしき人々に介抱されている。
その外周で直接巫女に触れることはせず、毛布や薪などを運び入れている兵士達がシュピッツヴェーグ軍の制服を纏っていたものだから、ちょっと緊張してしまった。
だが不思議なことに、彼らはレオを捕らえようというような素振りは見せなかった。
「そうだ、村田…。良かった!怪我とかしてないんだな?」
「おかげさまでね」
むにっと頬を抓られてたのは、やはり創主融合体を分離破壊するため力を使いすぎたことを責められているのだろうか?
そんなに魔力を使ったという感じはないのだが、やたらと身体が怠い。
「ええと…ご心配おかけしました」
「殊勝なことだね」
ふ…っと微笑む表情は複雑そうで、やはり心配を掛けてしまったのは間違いないようなのだけど…それでも、労るように髪を撫でつける手はとても優しかった。
「怒ってはいるんだよ。でも…賞賛しなくてはならないのも本当なんだ」
「褒めてくれんの?」
きょとんとして目を見開いていると、村田は介抱される巫女達を見詰めた。
「誰も、死ななかったよ…」
「本当!?」
ぱぁ…っと瞳を輝かせて勢いよく上体を起こそうとしたら、急激な体位変換に自律神経が追いつかず、くらりと目眩を覚えて倒れ掛けた背を、コンラッドが素早く受け止めてくれる。
「無理はしないで…ユーリ、あなたは疲れ切っているんですよ?」
「ゴメン…でも、嬉しい…。嬉しいな…っ!」
しみじみと呟いて、有利も巫女達の様子を伺った。
可哀想なくらい窶れ果ててはいるが、確かに殆どの巫女が目を覚まし、弱々しいながらも感謝の微笑みを有利に向けてくれる。
《ありがとう》…微かな声を聞き取ることは出来ないが、それでも唇と瞳が語る言葉は熱く胸に響いてくる。
『良かった…っ!』
自分がしていることが正義だと確信しているわけではない。
寧ろ、本来為すべき事をそっちのけにしているという自戒の念は常に付きまとう。
けれど…やはりこうして、一人の命が保たれているという事実はとてつもなく大きな重みがある。
その想いを汲むように、村田はにっこりと微笑んだ。
「君が助けた命は、もしかするとこの国の帰趨を変えることになるかも知れないよ?」
「そう…なの……?」
「ん…詳しくは後で説明する。君は暫く休んだ方が良い」
そうは言われても、一仕事終えてやっと会えたコンラッドとも殆ど話が出来ていないし、周りの様子も気になるではないか。
「あれ…アンシアさんは?」
不意に、有利は予定されていた面子が揃っていないことに気付いて小首を傾げた。
何故、アンシアが居なくてヨザックが居るんだろうか?
「うん、君も含めて他の連中にもまとめて説明させて貰うよ」
「…緊急事態?」
「わりとね」
村田は苦笑するが…表情は悪戯を思いついた子どもみたいにキラキラしている。
少なくとも、友人はなにがしかの勝算があると踏んでいるらしい。
「村田…大丈夫だよな?こっちの眞魔国…護れるよな?」
「それはこの国の連中に掛かってるね。正直、前にも増して状況が悪化しているのは確かだ」
「その割にはちょっと楽しそうだぜ?」
厳しくしようとする表情の下に鮮やかな何かが掠めていく様子に、有利はいよいよ生気を強めて村田を見つめた。
「勝算があるんだろ?」
「こんな時ばっかり、ポーカーフェイスを突き破っちゃうんだな、君は…」
村田は《嬉しくてたまらない》という表情を浮かべたが、囁きの方は小さくて良く聞き取れなかった。
「何か言った?」
「何でもないよ。それより…他の連中を集めるから、一通り揃うまで君は休んでいなよ」
村田は細い指を有利の額に掛けると、乱れた前髪を優しく梳いてくれる。
額に触れた指の腹は、氷のように冷たかった。
「村田も顔色悪いよ?」
《一緒に休もう》…とは流石に言えない。
彼は、極めて重要な舵取りの最中なのだろう。
「分かっていると思うけど、ここが踏ん張りどころだから僕は休まない。僕たちにはそれぞれの立ち位置と役割がある。今の君は、時間いっぱい休んで魔力と精神力を回復させるべき立場だよ」
「うん…ゴメンな……」
「君が謝る事じゃないさ」
うるりと涙目で詫びながら寝台に横たわると、コンラッドとレオも代わる代わるに頭髪を撫でつけてくれた。
「ユーリは、素晴らしく頑張ったじゃないですか」
「ああ…君のおかげで、眞王廟は本来の姿を取り戻したんだよ?」
コンラッドとレオの声が絶妙なハーモニーを奏でて耳朶をくすぐるものだから、有利は無意識のうちに《えへへ》…と笑い声を上げて身体を伸ばした。強ばっていた身体が柔らかく緩み、細胞と細胞の間に栄養や酸素がどんどん行き渡っていくようだ。
『気持ちいい…』
とろりとした眠気に誘われるように、有利はほんの少しの時間ではあるが深い眠りを愉しんだ。
* * *
再び有利が目を覚ますと、先程の大部屋ではなく、もっと明るくて良い香りのする部屋に寝かされていた。
室内には村田やロケット第2弾で到着した4人の他に、シュピッツヴェーグ軍とビーレフェルト軍の兵士が一人ずつおり、有利と同じように寝台に横たえられたウルリーケがいた。
有利が試しに寝台の上で伸びを打ってみると、若く柔軟な身体はかなりの回復を見せているようだった。
流石に怠さは残っているものの自力で歩けないほどではないし、急に腹まですいてきたような気がする。
『……俺、ひょっとしてコンラッド欠乏症だったのかも知れないな』
口に出して言うと村田辺りの失笑を買いそうなので黙っておくが、眠っている間も繋いでいてくれたらしい手…大きくて逞しい武人の手を見ると、どうしても状況を忘れてにこにこしてしまう。
少し冷たいけれど、疵のある場所以外はとてもなめらかな肌が気持ちよくて、きゅ…っきゅっと何度も握ってしまった。
コンラッドの方もにこにこと微笑むと、やはり握り返してくれた。
「コンラッド…おはよう」
「おはようございます、ユーリ。少し顔色が良くなったみたいですね」
「そう?」
にぱ…っと微笑めば、淡く頬に血の気が戻るのを自分でも感じる。
ただ、コンラッドの傍らに佇むレオはなんだか物憂げな顔をしている…というか、しょっぱい顔をしている。
「レオ…やっぱ、何か緊急事態なの?」
「そうなんだ。多分…小さな事に一喜一憂している場合ではないような、大きな事件が起きているんだ。そうなんだ…俺はこっちの世界の事に集中しなくてはならないんだ…」
後半は何だか自分に言い聞かせるおまじないみたいになっていった。
よく分からないが色々と大変らしい。
「はい、そこのバカップル。慣れてる連中は生暖かく見守ってくれるけど、そうじゃない連中も多いんでね、とっとと手を離す。慣れててもろくな事しない奴もいるしね!」
こちらは苦虫を噛み潰したような顔の村田で、不機嫌なのは明確だ。
「みんな集まるまで、俺たちも仲良くやりましょうって言っただけなのに…」
「言っただけだった?ホントーに言っただけだったかい?」
「そうだったようなそうじゃなかったような…」
何故だかヨザックの頬には拳が抉ったような痕がある。何をしようとしたんだか…。
「ほら!君たちがイチャイチャするから、こうやって調子に乗る奴が出るんだっ!!」
「猊下、そろそろ本題に入って頂けますか?」
「そうだったね、ありがとうメリアス隊長。君が冷静で助かるよ」
村田に声を掛けてきたのは白に近い頭髪と瞳を持つ壮年の軍人で、シュピッツヴェーグ軍の制服を纏っていた。
先程少しだけ目を覚ましたときにも、そういえばこの制服を着た軍人達が大勢居たような気がする。
彼らはレオの姿を見ると流石に複雑そうな表情を見せるものの、拘束しようというような動きはなかった。
『どうなってんだろう?』
そういえば、一人だけビーレフェルト軍の制服を着た若い兵士が居るのも不思議だ。
こちらは明確にレオに対して憧憬の眼差しを送り、そっくりなコンラッドには驚嘆の眼差しを送っている。
有利と目があったのでにっこりと微笑んでみたら、顔を真っ赤にしていた。
なんだかえらく純朴な青年だ。
「ユーリ…そういう可愛い顔は、あまり手当たり次第に向けないでくださいね?あまりいたるところに崇拝者が出ては、俺の手が回り切りません」
「どういう手を回すつもりなの?」
「色々ですよ…」
底冷えのする笑顔は相変わらず…というか、ちょっぴりパワーアップしている。
会えない時間が愛を育んだ代わりに、嫉妬心も倍増したのだろうか。
コホン…!
村田の咳払いを受けて、流石に有利も《もにゅり》と私語を口の中に閉じこめた。
「さて、こちらに来てから知り得た情報を集約し、新たな作戦を提案しよう」
村田はやはり何処か楽しげな表情で、《新計画》を発表したのだった。
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