第三章 V.合流@









 

 血盟城前の大広場に設置されたロケットに有利と村田が搭乗し、派手な深紅の蓋がゆっくりと閉まっていったとき…コンラッドはその蓋をこじ開け、繋がっているコード類を無茶苦茶に引きちぎってやりたいという衝動と闘っていた。

『止められるわけがないだろう…?』

 ぐ…っと噛みしめた口内の肉から微かに鉄の味が広がっていき、組み合わせ、握りしめた指が痛いほどに掌を抉る。

 有利が望んだことだ。
 《救いたい》と…誰よりも大切なあの人が選んだことだ。

 そして、村田にも指摘されたとおり…この作戦の初動に於いて如何に剣技が優れていようと、コンラッドに出来ることは何一つ無いのだ。


 《足手まとい》…その言葉が痛烈に胸を抉る。


『ユーリ…あなたが危険に晒されるだろうこの時に、何も出来ない自分自身が呪わしい…!』

 絶叫したい衝動をぎりぎりのところで耐えているコンラッドは、僅かな時間ではあるが普段の注意力を欠いていた。

 だから…グウェンダルに背後をとられ、そのまま抱き竦められるという事態は全くの想定外であり、身体の平衡を一瞬崩してしまったせいもあって、暫く子どものようにきょとんとした顔で…兄の逞しい胸と腕とに凭れ掛かっていた。

「コンラート…忘れるな!陛下はお前が後背を護っているからこそ、前に向かって足を踏み出せるのだ。決して、自棄になるなよ?」
「グウェン…」

 不覚にも、涙が滲みそうになってしまう。

「そして…私がお前を想っていることも忘れるな!」
「はい…兄上……」

 思い切って言ってみたのだが、何だか顔が熱い。
 振り返った先では、兄の方が凄い顔になっていたので…さり気なく直視しないようにして、腕に額を寄せた。

「ありがとうございます…」
「うむ………」

 ドドドドド………

 側方から勢いよく軍靴の響きが加速してくる。
 は…っとしてその方向に注意を向けたのが幸いした。
 気づかなければ、流石に吹き飛ばされていたかも知れない。

 ドッコウ…っ!

 勢いよく二人の兄に飛びついてきたのはヴォルフラムだった。
 顔を茹で蛸みたいにして、激怒したような顔をして…でも、怒っているわけではなく…寂しさと羞恥をそんな表情の下に隠しているのは明確だった。

「忘れるなよ…!コンラート、ユーリはこの僕よりもお前を選んだんだ!…ということは、お前はそれだけの価値がある男なんだ!」
「ヴォルフ…」

 弟が、精一杯の力でコンラッドを励まそうとしているのが分かる。
 ぶっきらぼうでツンデレで、堪らなく愛おしい弟…!
 
 コンラッドは嫌がられるのを覚悟の上でわしゃわしゃと金色の髪を撫でつけるが、今回ばかりは赦してくれるつもりらしい。
 ヴォルフラムは口を真一文字にしながらも、抵抗はしなかった。

「帰ってこい…絶対、無事に帰ってこい…!」
「分かっているよ…俺のこの命に掛けても、ユーリは無事に…」


「分かってない!」


 兄と弟の同時突っ込みにコンラッドは眼を見開いた。
 
「お前も…無事に帰ってくるのが絶対条件だ!」

 弟はぷるぷると唇を震わし、大きな宝石のような瞳は涙さえ滲ませている。

「そうだ!その誓いを立てないのなら、今叩き斬ってでも止めるからな!?」

 兄はずびしっと勢いよくコンラッドの鼻面に指先を突きつけ、生涯最深と思われる縦皺を眉間に刻んでいる。

「グウェン…ヴォルフ……」
「いいな?無事で帰ってこい!英雄になんてならなくて良いから、例えどんなに無様なことになっても、這ってでも帰ってこい!」
「はい…!」

 胸に熱く沁みる想いに、瞼が酷く熱い。
 ついでに、周囲の驚嘆の眼差しが熱い…………。

 恥ずかしいのと居たたまれないという感情がコンラッドに《走ってこの場から離れろ》と告げていたが、《嬉しい》という一つの感情が足止めをする。
 クールな態度を装って恰好をつけるよりも、今は兄弟の情に浸っても良いような気がしたのだ。

 どのみち、兄と弟はそれほど時間が経たないうちに連行されてしまった。
 勿論、魔道装置の動力源にする目的でアニシナが首根っこを掴んで搬送しているのである。

『…………グウェン、ヴォルフ…君達もどうか無事で……』

 コンラッドは、自分の身をひとまず置いて兄弟の安否を気遣った。

 

*  *  *




 有利と村田を乗せたロケットは無事射出され、それから数刻が経過した後…じりじりと焦燥感に灼かれる人々の間で動きがあった。

「連絡が入りました!陛下と猊下は無事、初動作戦に成功されました…っ!」

 魔道装置に繋がっていたウルリーケが歓喜に顔を輝かせてそう告げると、《わぁぁあっ》と広場中が大歓声に埋め尽くされた。

 まだ第一段階とはいえど、今回の計画の中ではそれが最も重要であり、最も困難な任務と考えられていたからだ。
 ゲームで言えば、いきなり導入部分から中ボスと闘うようなものだ。

「やったな…隊長!これでやっとあんたの出番だぜ?」
「ああ…」

 朗らかに声を掛けつつも内心忸怩たるものがあるヨザックに、コンラッドは複雑な表情を向けてきた。

「そんな顔すんなって。定員オーバーなんだ…。この短期間にアニシナちゃんが頑張ってくれたお陰で、4人乗りの2弾目が完成しただけでも感謝しなくちゃなんないさ。陛下と…猊下を、頼むぜ?」
「分かってる」

 コンラッドとヨザックは拳を強く打ち合わせると、蒼と琥珀色をした瞳を見合わせた。
 
「…無事に、帰ってこい」
「ああ…帰る。絶対にな」

 コンラッドが自分の身をも大切に扱う覚悟を決めてくれたことが、ヨザックには嬉しかった。
 羞恥心が人一倍強い兄と弟が身体を張った甲斐があるというものだ。

「行ってこい…」

 コンラッドの後ろ姿に向けて、ヨザックは小さく呟く。

『ああ、行きてぇな…俺もさ』

 現在残されている魔力使いが全精力を奮い起こしても、この2弾目のロケットを射出するのが限界なのだとアニシナは言った。
 3弾目のロケットを造り、魔力の回復を待っては随分なタイムラグが出ることだろう。
 
『すぐに行きてぇ…。あの方に、今すぐお会いして…抱きしめてぇよ…!』

 別れ際の荒っぽいキスを思い出すだけで、ヨザックの唇は酷く敏感になる。
 掠める自分の指にすら感じて、そっと睫を伏せた。

『初めてだったんだぜ?きっと…』

 何もかも知識としては知っているのだろうけど、あの小柄な少年が18年という月日で体験できたことはごく僅かなものに違いない。
 その彼が、貴重な《初めて》をヨザック相手に捧げてくれたのだ。

 脳の奥が灼けるような幸福感と、相対するように辛い寂しさが胸を締め付ける。
 
『猊下…猊下、大好きですよ…?』

 浴びるように囁いてあげたい。
 怒ったような顔をしていても、どこかでほんのり《嬉しい》と感じてくれるような気がするから…。

「ヨザック!」
「…へ?」

 突然名を呼ばれて、ヨザックは頓狂な声を上げた。
 声の主はコンラッドで、ウルリーケの傍からヨザックを呼んでいる。

 平静にしか周りからは見えないだろうその表情が、微かに強張っているのをヨザックは見逃さなかった。

「ヨザ、アンシア殿の代わりにロケットに乗れ」
「……へ?」
「事情は後で話す」

 そのまま、すぐに予定していた3人と共にロケットに搭乗することとなった。 

 ロケットの横ではアンシアとヴァルトラーナが神妙な顔をしていたが、アンシアの方は周囲の目線に気付いた途端に明るい笑顔を振りまいた。

「ほほ…猊下ときたら、ああ見えて可愛らしい方ですこと!恋のお相手が一緒でなくては、作戦に支障を来しそうだと仰るんですよ?」
「………………へ?」
「私の代わりに猊下をお慰めしてね、グリエ・ヨザック」

 《あははは!》…事情を察した観衆がげらげらと笑ったが、ヨザックは半ば放心状態だ。

『こりゃ、一体どういう冗談だ?』

 我ながら頓狂な顔を浮かべてしまったが、ヴァルトラーナの憮然とした表情からヨザックは状況を読み取った。

『こいつぁ…何か向こうで予想外の事態が起こってやがるな?』

 アンシアは送り込まれる意味を失ったのだろう。
 代わりに、腕の立つ男を必要とするような事態が起こっているのだ…。

『ヴァルトラーナが、どうにかなっちまったんだ』

 おそらくは何らかの政変で権力を失墜させたか…最悪の場合は死亡したか。
 
「いやぁ〜…俺の仔猫ちゃんたら、普段は冷たい素振りで俺を袖にするのに、さっきは可愛かったもんねぇ…。心細くなって、俺を呼んでくれたのかな?」

 ヨザックの物言いに観衆が《どうっ》と沸く。

 そうだ…アンシアの対応は正しい。
 ヨザックもそれに合わせるべきなのだ。

 民衆に不要な懸念を抱かせることは得策ではないのだから。

「じゃあ、行ってきますよーん!」

 暢気なヨザックの声を最後に、ロケットの蓋が閉じられる。
 
 ピキョ…っと装置の噛み合う音がして、蓋が完全に閉じられた途端…騒がしかった観衆の声が全く聞こえなくなった。
 この中は完全防音となっているらしい。

「なぁ…あっちのヴァルトラーナは死んだのか?」

 傍らのコンラッドに尋ねれば、表情を隠す必要のなくなった彼が苦渋に満ちた声を上げる。
 横目で見た眉間には、兄に似た皺が刻まれていた。

「死んだ。そして、ヴォルフラムがビーレフェルトの当主の座を継ぎ、自領の軍を率いてシュトッフェルを伐つべく王都に向かっている」
「…!」
「迎え撃つのは…グウェンダル率いるヴォルテール軍だ…!」
「何て…こった…!」

 ヨザックの眉間にがつんと衝撃が走ったのは、ロケットの射出に向けた横揺れのせいだけではなかった。

 当初の予定では、眞王廟を押さえてシュピッツヴェーグ軍麾下の警備隊も掌握し、堂々と王都入りを果たすことになっていた。
 そして王都に十貴族を呼びつけ、正式にツェツィーリエの退位とウェラー卿コンラートの王位継承を認めさせる。

 眞王のお墨付きがある以上それだけの押し出しはあるし(創主と癒合しすぎているあちらの眞王が使い物にならなくても、こちらの眞王を出せば良い)、ヴァルトラーナに対してはアンシアを使った説得が出来る。
 有利の回復を待って四大要素の力を用いて眞魔国に実りを蘇らせ、豊富な食糧を背景にして民の胃袋に聞かせれば一層効果的だ。

 その上で眞魔国内を安定させ、人間世界とやはり食糧を使った交渉を行って《禁忌の箱》廃棄への道を探る。


 その基本軸が…大幅な変更を余儀なくされている。


 それぞれの事件が発生した時系列と二家の進軍状況にもよるが、一度動き出した軍隊を止めることは容易ではない。
 少なくとも、ゆっくりと十貴族会議の席で納得して貰うなどというのんびりとした展開など望むことは不可能だ。

 最悪…血みどろの内戦の中で、レオは罵声と疑惑に包まれながら王座に就くことになるだろう。 

『血みどろ…まさに、そうだ…』

 二つの軍の指揮官の顔を思い浮かべて、ヨザックは苦鳴した。
 何の因果で、あの二人が闘わねばならないのか…!

「兄弟相打つ事になるのかよ…っ!?」
「……そうだ…っ!」

 レオの顔色は蒼白になり、琥珀色の瞳はそのまま化石化してしまいそうなほど生気を失っている。
 彼がどれほど打ちのめされているのかが如実に分かり、ヨザックは胸が拉がれる思いに歯噛みした。

「くそ…っ!何だって国中が餓えてどうにもならないような時期に、悠長に仇討ちなんてやってんだよ!」
「希望が見えないからこそかも知れない…。彼らは、今暫く生きながらえたとしても、数年の後に待っているのは避けようのない飢餓だけなのだと知っているんだ。じりじりと真綿で締め付けるようにして死んでいくくらいなら…武人として華々しく死にたいとでも言うんだろう…」

 絞り出すようなレオの声に、か…っとヨザックの目の奥がスパークした。

「なら、お偉いさんがテメェだけで死にゃあ良いんだよっ!何だって兵を巻き込みやがるんだっ!」
「…そうだな…。全くだ…!」

 痛切なその声に、ヨザックは自省した。
 誰よりも彼が一番辛いのだとは、ヨザックとて分かっているのだ。

「悪い…」
「謝ることはないさ…。巻き込まれた兵には、もっと本願があったはずだ。少なくとも…私戦でしかない戦いよりも、国を護るための戦いで死ぬことを兵は求めたろうよ…!」


 コウコウコウコウコ………
 ドッドドドドドドドド………ッ!

 ドゥン…っ!!

 
 強烈なGが掛かり、四人の身体が荒々しく揺さぶれ…突然、開放される。
 どうやら、時空の狭間に入ったらしい。

『あっちはどうなってんだろう?』

 もともと、レオから話を聞いたときには《こりゃもう、そっちの国は無理だろうよ》…と、二人に留まることを勧めようと思ったものだ。
 それが、村田の語る計画を聞いて初めて、《何とかなるかも知れない》と思い始めた。

 しかし、今やその希望は勢いよく吹き飛ばされようとしている。
 
 双黒の大賢者が点してくれた希望の灯が四人の中で消え失せようとしている今、あの二人はどうしているのだろうか?

 不安と哀しみに胸を塞がれているのだろうか?
 
『会いたい…猊下……っ!』

 早く早く…!
 一刻も早く着いてくれ…!

 そう強く思いながらも心のどこかでちらりと思う。

『早く…でも、無事にも着きたいな…』

 ヨザックは大発明家アニシナが大好きだが、彼女の作るものを全面的に信頼しているわけではないのだ…。



*  *  *



 ゴガァァン……!

 凄まじい轟音を上げて、深紅のロケットが眞王廟の天井を砕いて眞王の間に降りた。
 アニシナ的には《安全設計》らしく、ちゃんと着地時に逆噴射はしているのだが…その前に分厚い岩壁にぶち当たっているのだからあまり意味はない。

 それでも丈夫が取り柄の四人組は何とか怪我もせず(卓越した運動神経の持ち主でなければ、おそらく頸椎捻挫は免れなかったろう)、床に半分埋まったロケットからどうにか這いずり出てきた。

「うう…アニシナちゃん…相変わらずはらはらどきどき設計だよ…」
「命が無事なだけありがたいと思え」

 コンラッドは神妙な顔をしてロケットから出て行くが、それは本心からなのかロケットに通信機が取り付けられていることを想定しているかなのかは不分明だ。

「良く来たね」

 ロケットに近寄ってくる人影に、ヨザックの心臓はぱぅんっと勢いよく跳ねた。
 少し顔色は悪いものの怪我をしているような様子はない村田に、ヨザックはロケット酔いをもろともせず飛びかかろうとした。

「待った!その図体で飛びかからないでくれ。僕は今、自分の身体を支えるだけで精一杯…」
「俺がお支えしますよ!」

 ヨザックはお叱りの言葉をいなしながら、ほっそりとした少年の体躯を逞し(過ぎる)腕の中に捕らえてしまった。

「良かった…どこも、怪我はしてないですね?」
「してないから撫で回すんじゃない!」

 ぽかりと殴られて、ヨザックはやっと周囲の様子に気付いた。

 呆気にとられたような顔をした男達と衰弱しきった巫女達が寝ている間の、幾らか空間が拓けた場所にロケットは突き刺さっていた。下手をすれば大惨事になっていたらしい…。

「フォンカーベルニコフ卿は流石だね。いつも人死が出る丁度手前でセーブしてくれる」
「多分…うちの閣下がおられたら、閣下だけ下敷きになってそうな気がするんですが…」
「でも、生きてはいるだろう?」
「まあ…そうなんですけどね?」

 いつもの会話を交わしていると、ロケットから出てきたレオの前に一人の青年が跪いたのが見えた。
 麦藁色の髪をした、100歳前後の若い男だ。

「ありゃあ…ビーレフェルト軍の兵士なんじゃ…」
「ヴァルトラーナの親戚筋さ」
「なんだってそいつがレオに?」
「ずっと…気に掛かっていたらしいんだよ」

 村田によると、あの男…ゲインツ中尉はヴァルトラーナに可愛がられていたこともあり、命じられて極秘任務にも就いていたのだという。
 その中で知り得た《秘密》のあまりの非道さに、ゲインツ中尉は彼の持つ正義感と主家に対する忠誠との板挟みになっていたのだ。

 それが、忠誠の対象が主家を通り越して眞魔国…いや、眞王陛下に帰属することを赦されたとき、彼は初めて魂の安寧を得ることが出来たのだ。

 物に感じやすい性質らしいゲインツ中尉は涙ながらに謝罪の言葉を連ね、レオもまた労るように肩へと手を添え…立たせてやっていた。

「彼は、重要な鍵を握ることになるよ?」
「猊下…」

 その横顔の鮮やかさに、ヨザックは瞠目した。
 
『この方は…やっぱり、凄ぇお方だ…!』

 彼の頭蓋内には新たな計略が組み立てられているに違いない。
 この危機的状況をひっくり返すような…あるいは、利用するような劇的な策が…!

「猊下…愛してます…っ!」
「分かってるから持ち上げるなっ!僕は愛玩動物じゃないんだぞ!?」

 ひょーいっと勢いよく《高い高い》をしたら、靴を履いた足で思いっきり鼻面を蹴り飛ばされた…。



  





→次へ