第三章 UーA








 はぁ…
 は…はぁ……

「渋…谷……」

 何とか意識を取り戻して顔を上げた村田は、自分の腕の中で有利がぐったりと脱力しているのに息を呑んだ。
 顔色は真っ白で、唇は血の気を失ってあまりにも淡い色しか浮かべていない。

「渋谷…っ!」

 泣きそうになりながら口元に指を置く。
 指は…もどかしいほどに力無く、小刻みに震えていた。

「……っ!」

 指先の皮膚に伝わる温もりで、すぅ…すぅ…と微かながら息をしているのが分かる。
 力の使い過ぎで気を失っているだけのようだ。

 生きている。
 有利は、生きている。

「渋谷、渋谷…!」

 村田は眦に涙を浮かべて脱力した有利の身体を抱きしめ、自分もまた腕に殆ど力が入らないことに気付いた。
 魔剣モルギフの柄に掛けられたまま硬直している有利の指を外してやろうと試みるが、これも上手くいかなかったので途中で諦めた。

 おそらく村田も、有利と同じくらい蒼白な顔をしていることだろう。

 それでも有利よりも幾ばくか余力を残せたのは…魔力を放出している途中で、有利が村田から力を引き出すことを拒否したからだ。

 綯い交ぜになった創主の力を打ち砕き、地球に置かれた《鏡の水底》を封印するまでは全力で互いの力を使っていたのだが、それが達せられたと分かった瞬間、有利は村田とのリンクを解除した。

 こちらの世界に向かう途上で、《絶対に怪我をさせない》と誓ったことも一因ではあったろうが…。

「もう…この、裏切り者っ!」
 
 むにりと頬を抓ると、《うゅ〜》っと間抜けな声がして有利の眉根が寄る。

 彼は、最後の力を振り絞ってあの男…眞王、そして巫女達を救おうとしたのだ。
 有利の負担を考えれて、村田が邪魔をしてくると見越して切り離したのだろう。

「可愛い巫女さん達はともかく、あんな奴…どうなろうと構わないってのにさ…」

 それでも、有利に見捨てることなど出来ない事は分かる。
 眞魔国と魔族を見守るために己の持つ全てを捧げてしまった男と、最後までその拘りに付き合ってくれた巫女達を彼が放っておけるはずがないのだ。

 それにしても、ここまで消耗してしまうとは予想外だった。
 この第一撃は、ある意味では一時凌ぎ的な作戦だったのに…。

 今回は集結した創主を葬る事が目的ではなく、地球と眞魔国を繋ぐ水鏡を経由して《鏡の水底》を再封印することが主眼であった。
 封印のみの処理では根絶したわけではないので多少心残りではあるが、それでも4つの《禁忌の箱》の力が混ざり合うよりはマシだ。少なくとも、《鏡の水底》については直接鍵によって開けられたわけではなく、誘発的に解放され掛けていただけだから、眞魔国からの働きかけがなければそう心配することはない。
 それに、ここさえ封じておけば眞魔国的には国境添いに結界を張ることに集中すれば良く、創主の束縛から逃れた要素達はちょっと突くだけで爆発的な活動を見せるはずなのだ。

 こちらの眞魔国に渡る手前で拒絶され、締め出しを食らうと非常に面倒なことになったかも知れないが、幸いにして一番恐れていた事態は回避できた。
 だから、今回については有利の魔力消耗は小さいものなると見込んでいたのだ。

 しかし、魔力の総出力は小さくて済んだものの、コントロールには非常に大きな精神力を必要とした。このため、精神的・肉体的な疲労が半端ないものになってしまったらしい。
 何しろ創主を吹き飛ばせばいいというものではなく、複数の巫女と眞王とが混ざり合っているため、彼らの融合を一つ一つ断ち切りながら隙間でうねる創主を封じなくてはならなかったのだ。

 実際、何人かは巫女を死なせることになると思っていたのに、衰弱はしているものの誰一人として命を落としたものはない。
 有利は…それだけのコントロールをしたのだ。疲労して当然だ。

『僕も結構キテるな…』

 小刻みに震える身体には力が入らず、村田は脱力しきった有利の身体を床に取り落とさないようにするだけで精一杯だった。

 ふぅ…っと一息ついて見渡せば、相変わらず薄暗いものの…うってかわって清澄な大気が石造りの広大な空間に満ちていることが分かる。

 その中で、朧な姿が明滅していた。

 ジジ…
 ジジジ…

「あーあ…電池が切れた幻灯機みたいだねぇ…」

 中空に浮かんだ眞王の姿がモザイク状に見て取れるのだが、切れかけたフィラメントが発熱しているような音を立てている。その音の振動に合わせるように映像は濃くなったり薄くなったりを繰り返し、今にも完全に消え失せてしまいそうだった。

「渋谷が折角助けた奴が、あのままくたばると寝覚めが悪いな…」
「俺と癒合させておくか?」

 有利が手に握ったままの魔剣から声がする。
 村田がよく知る方の眞王だ。

「そうだね。引っ張れる?」
「ああ…」

 ふぃ〜ん…っと綿雲のように眞王の姿は魔剣へと引き寄せられ、掃除機に吸い込まれるようにして眞王の力を凝縮させた魔石へと入った。

「一体化しちゃうのかい?」
「いや、暫く魔力を共有すれば意識も取り戻すだろう。そうなれば分離可能だ」
「いっそ消えちゃっても良いんだけどな。四千年も働いたんだし、そろそろ退職の時期だよね」
「おい…俺まで消えればいいなどと思っていないだろうな?」
「ううん?君は居てくれないと困るよ」

 柔らかい笑みを浮かべて愛らしく囁くが、眞王の声は相変わらず渋い。

「………俺を、こちらでまだ使うつもりだな?」
「ご名答」

 にっこりと邪気のない笑みを浮かべて村田が言うと、魔石の表面が曇ったように見えた。
 こき使われる予感が確信に変わったらしい。


 リィィン…
 リィイイィィン……


 静寂が訪れると、ちいさく美しい音色が鼓膜を震わせた。

「ああ…謳ってる…」

 村田はうっとりと瞼を閉じて、大気を震わせる振動に耳を傾けた。
 創主の力で歪められていた要素が束縛から解放されたことで、歓喜の歌を謳っているらしい。

 きっと、こんなに大きな振動なら魔力のないものにでも歓喜は伝わっていくだろう。

「ん…ん……」

 微かな呻き声をあげて瞼を開いたのは、残念ながら有利ではなかった。
 少し離れた床の上で、ぐったりと横たわっていた言賜巫女ウルリーケだ。

 巫女服から覗く窶れ果てた手足は痛ましく、顔色は死人のそれに近いが…それでも、持ち前の魔力によるものなのか、要素達の歓喜の歌が効いているのか、ウルリーケはころりと寝返りを打って村田達の方を向いた。

 そして…瞳を驚きと歓喜に開大する。

「貴方様は…もしや、双黒の大賢者様……」
「そうだよ。ご苦労様、ウルリーケ。ゆっくり休んで…と言いたいところだけど、もしも少しでも余力があるなら協力してくれるかい?こちらの眞魔国の未来のためにね」
「この身が砕けようと、お仕えさせて頂きます…!」

 ウルリーケは気力で我が身を震い立たせると、ゆらりと身体を起こして跪いた。

 彼女には、何が起こったのかある程度理解できているのだろう。
 村田達が何処から、何の目的でやってきたかまでは分からないだろうが…少なくとも敵味方を見分ける力は十分に持っている。

「嬉しいね。やっぱり、眞魔国の女の子は強いや」

 にっこりと微笑む村田は、お世辞でなく感動を込めてウルリーケを見詰めた。

 村田の側の世界でも、ウルリーケは狂いつつある眞王を御しながら眞魔国を支えるために、言語に尽くしがたい軋轢の中に身を置いていた。
 まともである時間の方が遙かに少なくなっていたこちらの眞王相手では、尚更だったろう。

「く…」

 聞き慣れない男の呻き声に、村田はぴくりと眉を跳ねさせる。

 ウルリーケとは丁度反対側にあたる床の上で、麦藁色の長髪を揺らして青年が起きあがった。
 彼はそれほど長期間捕らわれていたわけではないようで、窶れ果てた巫女達に比べれば随分と元気そうな風貌をしている。

 貴族的な整った容貌は甘いお坊ちゃん的な印象が強く、傲慢さは感じられない。
 良くも悪くも素直な青年なのだと思われる。

「アルナ…アルナ!」

 青年は一人の巫女に駆け寄ると、意識を取り戻さないながらも生きていることが確認できると、上体を抱きしめてぼろぼろと涙を零していた。
 どうやら、大切な人であるらしい。

『あれは…ビーレフェルトの軍服?』

 青を基調とした制服は間違いなくそうだ。問題は、何故ここにそんな者が居るかということだ。
 眞王廟ではシュトッフェルの命令によって、シュピッツヴェーグ軍が厳重な警備網を敷いており、同盟しているビーレフェルト軍といえど足を踏み入れることは認められていないと聞いていたが…。

 嫌な予感がする。

 レオ…こちらの世界のウェラー卿コンラートが不在であった期間中に、何か想定外の事態が起こっているのではないだろうか?

「ねえ、君…ビーレフェルトの人?」
「は…ひ、ぁ!?そ…双黒……っ!」

 青年は涙に霞む瞳をごしごしと袖口で拭い、村田を見たが…その姿を見て取ると、今度は別の意味で眼を擦り始めた。
 自分が眼にしたものが信じられないのだろう。

「うーん…新鮮な反応だなぁ……」

 そういえば、自分が大賢者という身分以前に双黒というだけで著しい希少性を主張できる存在であったことを改めて思い出す。
  
「僕は一応双黒の大賢者という者で、村田健っていうんだ。以後よろしく」
「は…はいいぃぃっ!お、お言葉を交わすことが出来っ、光栄至極に存じますっ!!自分はビーレフェルト軍第1騎兵部隊所属のビルロート卿ゲインツと申しますっ!階級は中尉でありますっ!」

 背筋を伸ばして鯱張った敬礼を施すゲインツは、相当な緊張状態にあるらしい。
 軍人らしい精悍な顔立ちが糊を張ったように硬直している。

「なかなか素直な青年だね。気に入ったよ」

 地球においても《愛らしい》と形容される村田の容姿は、眞魔国に於いては魂を抜かれそうなレベルとして評価される。
 素直なゲインツ中尉はうっとりと見惚れるあまり、危うく腕に抱えていた少女巫女を取り落とすところであった。

「その子は知り合い?」
「ええ…妹です」

 確かに、麦藁色の髪と淡く散る健康的なそばかすが良く似ている。
 
「一体…何が起こったのでしょうか?アルナは…妹は、確か不気味な緑色のどろどろした物に取り込まれていた筈なんですが…。自分も、助けようとして引きずり込まれたものとばかり思っておりました」
「あれはね、禁忌の箱から出ようとする創主と、そうさせまいとして踏ん張っていた眞王や巫女の集合体だったんだよ」
「な…何ですって!?」
「それを助けたのが、ここにいる渋谷だよ…僕もまあ手伝いはしたが、主力は渋谷だ」

 ゲインツは驚愕と…それを上回る感嘆に目を見開いて、村田の腕の中でくたりと脱力した有利を見詰めた。
 蒼白な顔色も有利のあどけない愛らしさを害することは出来ず、寧ろ、儚げな風情がいつもとはまた違った魅力を醸し出している。思わず抱き寄せて、全ての苦痛や疲労から何とか救ってあげたいという衝動に誰もがかられることだろう。

「何という美しさでしょう…!この方は、一体…?」
「んー…まあ、最強の精霊使い…エレメンタラーってとこかな?」
「そうなのですか?この方が…呪われた眞王廟をこのように静謐な魂の住処へと清められたのですね!おお…何と言うことだろう!」

 ゲインツは歓喜に瞳を潤ませたものの、何かを思い出すと口惜しげに唇を噛んだ。

「言っても詮無い事ながら…ああ、もう少しこの方が来られるのが早かったなら…!ヴァルトラーナ閣下はあのような悲運に見舞われることもなかったでしょうに…!」
「ちょっと待って…ヴァルトラーナに何があったんだい?」
「閣下はウェラー卿コンラートの生死を確認すべく、強硬に眞王廟に踏み入ろうとされたのです。その結果、シュピッツヴェーグ軍の兵によって、喉笛を掻き斬られたのです…!

「何だって…!?」

 ゲインツの素朴な反応を愉しんでいた村田の表情が、一気に強張った。
 恐るべき告白が、今為されたように聞こえたのだ…。

「もっと詳しく話をして貰えるかい?」
「は…!自分が知る限りのことは全て洗いざらい述べさせて頂きます!」

 相手が双黒の大賢者であり、妹と自分自身を救ってくれた存在だという感謝もあるのだろう、ゲインツは確かに期待以上の機密を明かしてくれた。
 その中には、村田にとって実に有益な情報も含まれていた。

 このゲインツ中尉はビーレフェルト本家に極めて血縁が近く、更にはヴァルトラーナにとって結構なお気に入りの部類に入っていたらしい。この為、普通なら知り得ないような情報まで彼は知らされていたのだ。

 特にシュトッフェルとヴァルトラーナが密談を交わす際、警備についていた彼が偶然知り得た情報は、今後の戦略に極めて重要な意味を持つものと考えられた。

 ただし、当然ではあるがゲインツ中尉は自分が創主複合体にとりこまれるまでのことしか知らないので、その後の展開を彼から聞き出すことは出来ない。

「ウルリーケ…フォンビーレフェルト卿ヴァルトラーナが亡くなったかどうか分かるかい?その後、二家の間でどういう展開が生じたのかも知りたいな」
「水晶球をすぐに見て参ります」
「いや…その必要はなさそうだ」

 カッカッカッ…
 ガッガッ…

 慌ただしい軍靴の音が響いてくる。どうやら、警備隊がこちらに駆けつけてくるらしい。
 創主を打ち倒した際の衝撃で状況確認をするのに幾らか時間を消費したようだが、さて…この状況を見てどういう判断をするだろうか?

『妙な策を講じる連中だと困るな…』

 《双黒の大賢者》という肩書きは実に偉大なものとしてこの国では評価されており、基本的には村田の言を軽んじる者は居ない。
 丁度時代劇で葵の紋所が最強のアイテムであるように、魔族はこの名に平伏すことになって…いることはいる。

 だが、時代劇だとて《こうなったら仕方がない》と言って、やけくそで配下の者を放つ悪代官も居るではないか。

 そうなれば、有利のブースターとしての力しか持たない村田はあまりにも不利だ。
 一個人としてはどんな英知を持っていようとも、村田は繊弱な高校生にしか過ぎないのだから…。
 悪意を持って拘束されれば、良い手札として悪用されかねない。

『くそ…こういう時にこそ、あのミカン星人の手が必要なんだけどな…』

 先程、ウルリーケを介してアンシアの代わりにヨザックを送り込むように頼みはしたが…まだ腕の立つ連中が到着する気配はなく、村田は疲弊しきった巫女達と共に屈強な軍人と渡り合わねばならない。 

『頼む…真っ当な奴が来てくれ…!』

 平静そのものといった表情を浮かべながらも、村田の内心はじりじりと焼け付くような不安に晒されていた。



「失礼致します!」

 背筋を伸ばして完璧な敬礼を掲げながら入室してきたのは、白に近い灰色の頭髪と瞳を持つ壮年の軍人だった。
 階級章や立ち居振る舞いから見て、この警備隊の隊長であると思われる。

「…これは……っ!」

 男は二人の双黒と、言賜巫女ウルリーケを初めとする巫女達が横たわる姿をざっと見回して瞳を開大させたが、すぐに礼儀を逸していることに気付いて恭しく跪いた。

「失礼致しました…私は眞王廟を御守りするべく命じられました、シュピッツヴェーグ軍麾下眞王廟警備隊隊長、メリアス・リーンと申します」
「僕は双黒の大賢者…村田健っていうんだけどね、君に二、三尋ねたいことがある。いいかな?」
「私に答えられることでしたら、なんなりと」
「うん」

 こくりと頷きながら村田はかなり安堵した。
 気を抜けば、その場に膝をついてしまいそうだ。

 このメリアスという男は、この時期に眞王廟に配されるだけあってシュピッツヴェーグ陣営にあるわりにはやり手の軍人のようだ。
 しかも、双黒の存在に対して無条件の敬意を抱いている。

『まずは一安心だけど…』

 この男の真価が期待通りのものであると同時に、村田はもう二つ大きく期待したいことがある。

 ひとつは、彼が真実に近い重要な情報を持っていること。
 もう一つは…その情報が、村田にとって望ましいものであることだ。



*  *  *




『なんということだ…』

 メリアスは長い軍歴故に表情をコントロールする術を身につけていたが、それでも眼前に展開される驚嘆すべき光景に動揺を隠しきることは困難であった。

 あの忌まわしいゲル状物質が、異世界から入り込もうとする《禁忌の箱》の一つ《鏡の水底》から溢れ出た創主と、それを防ごうとする眞王・巫女達の集合体であったとは…。

 警備に就かされていながら、何一つシュトッフェルからは明かされていなかったメリアスからすれば、大賢者がつまびらかにしてくれる解説の一つ一つに目から鱗が落ちる思いであった。

 大賢者は少年の姿をして屈託のない話しぶりをするものの、その智慧の深さと判断力の正確さには舌を巻くものがある。
 彼は必要最低限…と、彼が思っているだろう事柄について手短に問い尋ねると、すぐに倒れている巫女や、自分が抱えている少年の治癒をメリアスに依頼してきた。

 その彼が、大切な宝物のように抱きしめていた双黒の少年を頼むときだけは、少年らしい懸命さを滲ませていたのも印象的だった。

「渋谷は魔剣モルギフを用いて創主を打ち倒し、眞王を救った功労者なんだ。それに、いまはとてつもなく疲れ切ってるんだよ。ゆめゆめ疎かにしないでくれっ!ああ…そんなに急に持ち上げたら頚に負担が掛かるだろう…!?頼むから大切に扱ってくれっ!」

 他のことには鷹揚なのに、少年の扱いにだけはやけに細かく指示を出している。
 よほど大切な存在であるらしい。
 万が一傷つけようものなら恐ろしい報復が待っていそうだ…。

 また、大賢者はヴァルトラーナの死とビーレフェルト軍の王都への進軍、そしてヴォルテール軍が王都防衛に駆り出されたという話については詳細な報告を求めた。
 特に、それぞれの事由発生日時と状況、居合わせた人物、その後の展開については細かく質問をしてきた。

 一通りメリアスから聞き出したいことを聞いてしまうと暫く沈黙し、頭蓋内での思考に没頭していたようだが…ふとメリアスに目線を送ると、幾らか気遣わしげな口調で問いかけた。

「君はヴォルトラーナを死亡させた責は受けなかったのかい?」
「私も何らかの責を負うものと覚悟しておりましたが、報告後も特にお咎めはなく…役職も任務内容も維持されたままです」

 その事を《幸い》と表現する気にはならない。
 それが意味するところが、見た目よりは遙かに優秀な軍人であるメリアスには痛いほど理解できたからだ。

「ふぅん…シュピッツヴェーグ軍はよほどの人材不足と見えるね」
「……左様ですかな」

 漠然と返答をぼやかしつつも、村田の指摘に苦いものが唇を過ぎる。
 まさに正鵠を突いていたからだ。

「直接手を下すことになったエリア少尉は前線送りとなりましたが、基本的に配置された兵はそのままです」
「フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムに告発されて尚、彼は眞王廟が健在であると主張したいようだね。もうそれだけしか自分の正当性を主張できる拠り所がないのだから仕方がないが…」   

 村田はふと何かを思いついたようで、実に愉しげな表情を浮かべた。
 そして、メリアス警備隊長と共にゲインツ中尉も招き寄せると、ある質問を投げかけたのであった。


「ねぇ…君達の忠誠の対象はなんだい?」




*  *  *




 彼らの答えは確信しているが、それでも胸の動悸を強く感じる。

 村田は正直なところ、少しわくわくしてさえいるのだ。
 幸運にして出会うことのできたこの二人が、村田にとって…いや、レオにとって非常に大きな意味を持つ存在であり、劇的な《舞台》を演出する上での名役者たり得るのだという予感によって…。

『当初の予定とは違ってしまうけど、眞王廟の状況をビーレフェルト筋から眞魔国中に喧伝された後では、かなり派手な演出と、その為の手駒が必要だからね』

 舞台の幕を上げよう。
 
 おそらく全てが村田の思い通りに進むことはあるまい。
 役者達にとってはワンシーンごとに誇りと生命を賭けた舞台となるのだから、予測不能な事態が起こることも覚悟はしている。

『だが…決して諦めない』

 この数日間が、この世界の分岐点となるのだ。
 ここで引いては有利の覚悟が無駄になる。

 機運を全力で手繰り寄せて、勝利への道を突き進むのだ。

『全ては君のために…!』

 村田は簡易的な寝台に乗せられたまま、真っ白な顔をしている有利にこの上なく柔らかい眼差しを送るのだった。
 

 





 

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