第三章 U.特攻ムラケンズ@








 天地上下左右時間の経過…全てが曖昧な闇黒の世界を、アニシナ製のロケットが飛んでいく。
 
 鮮やかな深紅のロケットはF1カー並の滑らかなフォルムと光沢を持っており、血盟城前の広場では美しく輝いていたのだが、現在は光源があまりにも少ないためか暗い暗赤色を呈している。

 尤も、搭乗している二人にはその事を確認する術はなかったのだが。



「なぁ…」
「なに?」

 もぞもぞと席の中で落ち着かなげに尻を動かす有利に、村田は殊更気のない返事を寄越す。

 発狂した眞王を鎮静させにいくという命がけの旅について聞かれるのであれば、幾らでも丁寧に応えてやろうと思うのだが…好奇心にきらきらと輝く仔犬のような瞳は、どう考えてもそういうことを聞きたいわけではなさそうだった。

「ヨザックと、いつから…その、そういう関係なの?」

 《やっぱりそこかい》…村田はげんなりとしてしまったことを顔には出さず、しれっとしてはぐらかそうと試みた。

「女王様と下僕の関係?」
「………そういう関係なの?いや…それにしたってさ、ちょっと意外だったって言うか…。二人とも仲良しだとは思ってたんだけど、チューとかしちゃう関係とは思わず…」

 どこかうきうきとしたその口調は、恋バナに励む女子高生のそれだ。

「だったらどうだっていうのさ」
「うん…村田に、絶対怪我させちゃいけないなって思った」
「…はぁ?」

 少々突拍子もないと思われる発言に村田は調子はずれな声を上げるが、有利の方は真剣そのものだ。

「今までだって、絶対に村田を護るぞって気はあったんだけど、眞魔国に大事な人を残してるってなったら、そりゃもう必死のぱっちで頑張らなきゃ!って決意を新たにしたわけで…」
「おいおい、君ねぇ……。僕は、別にヨザックのことをそこまで思ってる訳じゃあないよ?」
「今は…だろ?村田にしちゃあ、チューも辿々しい感じしたもんな。これから一杯エッチしたりラブラブして、仲良くなってくんだろ?」

 《初めてのキスは渋谷と》…そんな乙女チックな要望を持っていたとは決して知られたくない。
 村田はくきゅ〜っと唇を噛んだ。
 
 ヨザックを見ていると、時々《仔犬みたい》…なんて微笑ましい気分になるなんて事も、誰も知らない知られちゃいけない事だ。地獄耳のデビルマンにも内緒だ。

「渋谷…君、そういう先輩面を浮かべて生暖かい眼差しを送るのは止めてくれないかな?」
「いやー、だってさ!俺が村田に何かを教えてあげられる立場になるなんて事まず無いもんっ!何でも聞いてよ?やりすぎでケツの孔が荒れたときはねー…」
「頼む、渋谷…その可愛い顔で僕の夢を粉砕するのだけは止めてくれ!」

 意外と夢見がちな大賢者様は、本気で嫌そうに顔を歪めた。

 
 その時、ガクン…っとロケットが揺れた。


 今から特攻を掛けるとは思われないほど暢気な会話を続けていた二人だったが、は…っと我に返ると意識を集中させる。

「渋谷…モルギフをしっかり握っておいてよ?それが僕たちの…この計画の命綱だからね?」
「うん…!」

 有利は背中に革バンドで固定していたモルギフを抜くと、剣先を足下に接地して柄を眺めた。

 ヴァンダーヴィーア島の火口で活性化された魔剣は往年の姿を取り戻しており、へなちょこモードではB級ホラー映画調だった顔も、美しい青年とも美女ともつかぬ神秘的なものに変わり、巨大な剣の柄には眞王を始め、有利に所属する四大要素の力を包含した魔石が填め込まれている。

 最初の一撃に最大級の力を載せるため、全ての力をここに注ぎ込んでいるのだ。

「いよいよだぞ…モルギフ。頼んだからな?全部…お前に掛かってんだぜ?」
「ほげぇ〜っ!」
「………声だけは相変わらず脱力系なんだな……」

 全ての品格を上げるというわけにはいかなかったようだ。
 顔に似合わぬ間抜けな声で、モルギフが鳴く。

 ガク…っ
 ガ…ガガ…っ

 激しい横揺れ縦揺れが続くと、もう減らず口をたたいている余裕はなくなる。
 限界までこのロケットの中で魔力を温存するが、持ちこたえられない…あるいは、方向を捻じ曲げられそうになったら脱出装置で離脱し、剥き身で突っ込まねばならないのだ。

 どうやら…そろそろ、後者の選択を迫られているらしい。


 ボコォ…!


 凄まじい力がロケットに大きな陥没を造り、螺旋状に回転する機体は大きく進路を変えようとしている。

「行くよっ!」
「了解…っ!」

 有利は背中に村田を抱きつかせた状態で魔剣の柄を握りしめると、脱出用の紅いボタンを押した。

 《ポチッ…とな》

 …思わず脱力してしまいそうなその音声は、アニシナが事前に録音しておいたものだ。

「………今週のビックリどっきりメカが出てきそうな気がするよ〜…」
「まあまあ」

 鷹揚に構えているところから見て、案を出したのはこいつなのではないかと有利は疑った。
 
 10、9、8……
 ココココココ……っ
  
 カウントが始まると同時に、射出装置が起動する。
 眞王と同調した装置は、二人の魔力を最大限に保持できるよう…もう一つの異世界に向けて二人を射出するのだ。

 ドォン…!

 勢いよく射出されながら、有利は一瞬だけ後方に吹き飛ばされていくロケットを見やった。
 ここまで彼らを運んでくれたロケットは…これから、永遠に孤独な空間の狭間を漂い続けるのだろう。

 このロケットは、その為に作られた装置だ。
 意識を持たぬ無機質の固まりだ…。

 けれど、その孤独を思うと…自己満足と嗤われても有利は叫ばずにはいられなかった。

「ありがとう…!」 

 その声が聞こえたのかどうか…どんどん遠くなっていくロケットが、一瞬だけ…有利に応えるように明滅したような気がした。



*  *  *




『来る…』


 闇の中で蠢きながら、その男は呟いた。

『来る…』
『来る……』


『来させない』

 男に癒合した意識が、嗤うように告げる。
 抗い難い力にねじ伏せられながら、男はその屈辱と…大きな変革の刻が近づきつつある事への期待感に心を震わせた。

『来る…』
『来ルぞ……』

 だが、微かに表出し掛けた期待感はやはりどろどろとした創主の念に引きずり込まれ、強い魔力は混濁した思考体の中で男の思いとは裏腹な方向に用いられようとしている。

『はじき返セ』
『いや…もウ間に合わない』
『なら、引きずり込ンで我らと一体化させよウ』

 くつくつと嗤う思考体のうねりが、もう言葉を発する力もなくなった巫女達と、幾人か取り込んだ兵士達の顔をどろりと流していく。
 
『この力…ウェラー卿トそのおまけを我らの飛ばした方角から連れ出しタ力だ』
『おのれ…自分を余程過分に評価しているらシい。我らを倒すつもりか?』
『あと一息で禁忌の箱に封印サレし力を、ひとつのものに出来るというのに…』

 それは、何としても男が避けたいと思っていた事だった。
 狂ってしまうとしても知っていても、巫女達を巻き込んで無茶な形態による封印を施すほどに…。

『何が…来ようとしている…?』

 一瞬だけ、また男の意識は戻り掛けた。
 けれど…すぐにまたねじ伏せられる。

『眠っていろ…眞王陛下ドの』
『お前が造った国が滅ぶのヲ、目の当たりにせずニ済むことに感謝しながらな…』

 どろどろと蠢く思念の群の中で、眞王は微かな希望の光に向けて藻掻くように腕を伸ばした。
 実際には、思念体に取り込まれた肉体は《腕》と呼べるような形状を為すことは出来なかったのだけれど…。



*  *  *




『ここだ…!』

 空間の狭間の薄闇の中から、やはり闇の中なのだが石造りの壁が垣間見える。
 その中を埋め尽くすどろりとしたゲル状物質と、幾つもの顔が流動していく様は聞きしにまさる不気味さで…普段なら一目見ただけで恐怖に尻込みしていたかも知れない。

 しかし、有利と村田はこの日のために精神の準備を続けていた。
 事前に十分な説明を受けていたこともあり、直接眼にしてもリアルなゲーム画面に慣れた世代的には《定番の映像だよね!》くらいに笑い飛ばすことも出来る。

 有利の手がモルギフの柄を握り、村田の腕が背後から有利を包み込んで、手の甲に添えられる。


「行…けぇぇええ………っっ!!!」


 大音声を発して、有利と村田の肉体が…大きな魔力を包含した魔剣モルギフが実体化する。

 時を同じくして、創主と綯い交ぜになった眞王もこれを迎え撃つ。

『着た来たキタきた着た来た…!』

 ケケケケケケケ………っ!

 調子はずれな絶叫をあげて巨大な眞王の顔が有利に対峙すると、ずぁ…っと開いた口が耳元まで裂けて二人を飲み込もうとする。

「ぎゃーっ!口裂け眞王…っ!」
「渋谷、大丈夫!ポマードポマードポマードっ!!」

 謎のおまじないが効いたのかどうかは定かでないが(絶対違う)、有利は耳元に囁かれる余裕を帯びた友人の声に冷静さを取り戻す。

 直進し掛けた方向を瞬時に転換すると、魔剣の力と…そこに包含された真っ当な方の眞王とリンクすることで、敵の本体を見極めようとする。

「違う…こいつじゃないっ!」

 軽い一閃で大顔眞王を払いのけると、有利は素早く腰を捻って壁を蹴り…何もないように見える黴びた石畳の隙間を狙った。

 
 ド…………っ!


 モルギフの刃が深々と隙間を抉った瞬間…

 
 ギャァアアアアアア…………っ!!!


 耳を塞ぎたくなるような…おぞましい絶叫が眞王廟を埋め尽くし、のたうつ力が有利と村田を薙ぎ払おうとする。

 シュル…
 シュルル……

 流動体の中から伸び出した触手がねっとりと二人に絡みつくと、様々な幻覚を見せて互いの手を引き離そうとした。


 村田は、自分が半分腐り爛れ…蛆が孔という孔から這い出てくる腐乱死体に抱きついているという様を体感した。
  
 有利には、モルギフが凄まじい熱と炎で自分の手を焼き尽くし、炭化して崩れた肉の間から生々しく白い骨が覗いているように見えた。
 更にはズルズルとした鱗を持つ怪物が自分の背にのし掛かり、首筋に食らいつこうとして臭い息を吐きかけているように感じた。


 けれど…二人は決して互いを振り払おうとはしなかったし、モルギフを手放したりはしなかった。

「頼む…!モルギフ…みんな、頑張って…っ!!」

 命令ではなくお願いの…励ましの声を囁きかける有利に、モルギフはにっこりと微笑んだ。

「ぼぇええ…っ!」

 相変わらず、声は脱力気味だったが…。


 ギャアアア………っっっ!!!


 絶叫がいよいよ断末魔の様相を呈していった時、有利は持てる限り全ての力を尽くして魔剣モルギフにお願いをした。


「《鏡の水底》を…封印して……っ!」


 魔剣の力が眞王廟を割裂させながら奔り、怒濤の勢いを得た雷撃が地球と眞魔国を繋ぐ水鏡に襲いかかる。
 そして水盆を真っ二つに割ったとき、凄まじく眩い光柱が眞王廟と天空とを繋いだ。

 

*  *  *





 ドォォン………っ!


「な…何だ…!?」

 兵が叫び、馬が嘶く。
 仮休息に備えて殆どの馬を繋いでいたのは幸いだった。
 そうでなければ、驚愕によって四散した馬を集めるのに時間を取られたことだろう。

 訓練されたはずの軍用馬が動揺するのも無理はない。
 凄まじい爆音と共に、鮮やかな光の柱が一直線に夜空を貫いているのだから…。

「閣下…あれは、眞王廟の方角です!」
「うむ…」

 グウェンダルはこの怪現象が一体如何なる意味を持つものか判じかねていたが、仮休息の時間を予定より短縮せざるを得ないとは考えた。
 また、理由を探るために手薄な諜報員の中からまた幾人かを割く必要にも駆られていた。

「あれは…凶兆なのでしょうか、吉兆なのでしょうか…」

 ヴォルテール軍の参謀は主に似た渋い容貌の男で、普段は冷静沈着な判断力で信頼を得ている。
 それが、どうしたものか…少々子どもっぽいような顔をして驚嘆すべき光景を見守っていた。

 まるで、ちいさな子どもが初めて見る花火に驚いているような…。

「分からん。だが…少なくとも、あまり先入観を持って行動せぬ方が良い」
「は…!失礼致しました」

 そう、先入観を持てばどうしても自分の第一印象に即した事実を求めたくなる。

 普段は比較的悲観的な未来展望を描きがちなグウェンダルですら、あの眩い光の美しさに…何らかの吉兆であることを祈り掛けたくらいなのだから…。

  

*  *  *



「何事だ!?」
「眞王廟の方角です!光の…柱が立っています」
「見れば分かる!」

 ヴォルフラムは苛立たしげに叫ぶが、流石に状況が状況だけに腹を立ててばかりいるわけにもいかない。
 光の勢いに驚いて乱れかけた隊列を整えるよう矢継ぎ早に指示を出した。

『眞王廟だと…?』

 鮮やかな光の柱は暫くすると色を薄めていったが、強い魔力持ちであるヴォルフラムには相変わらずその方角から不思議な波動が感じられた。
 その方角には、《禁忌の箱》暴発以来…いや、ヴォルフラムがこれまでの生涯で記憶している中でも、おそらく初めてと思われる規模の要素が集結している…。

『何という魔力だ…!』

 ヴァルトラーナを喪うことになった折、眞王廟ではこれほどの魔力は感じなかった。
 かなりの魔力を持っていると察知された警備隊長メリアスですら、どれほど力を振るったとしてもここまでの魔力は発揮できまい。

『まるで、眞王陛下ご自身であられるような…』

 伝説めいた力の躍動を脈々と感じながら、ヴォルフラムはぶるる…っと金色の頭髪を振るった。

『駄目だ…!いま、眞王廟に向かうわけにはいかない!』

 ヴォルフラムは一族の決断を背負って、仇討ちという不可避の使命を帯びているのだ。
 どれほど眞王廟の動きが気になろうとも、進路を変えるわけにはいかない。

『だが…しかし……っ』

 王都に据えた進路を…馬の手綱を…眞王廟へと向けたいという欲望が胸を灼く。

『もしかして、コンラートに関わりがあることではないのだろうか!?』

 混血であるコンラートに魔力はない。
 だが…だが、眞王の間に入ったまま消息を絶ったのであればあるいは…!


『コンラート…!』


 ヴォルフラムの脳裏に、ダークブラウンの頭髪をお日様に透かした兄の姿が思い起こされる。
 《ヴォルフ》…彼にしか出せない、独特の甘い声で優しく呼びかけてくれた《ちっちゃなあにうえ》。

 懐かしく慕わしい琥珀色の瞳は、銀の光彩を散らした独特のものだった。
 いつ見ても綺麗なその瞳が誇らしくて、同年代の友人達や新しい侍女に自慢して回ったものだ。

『ちっちゃなあにうえは、お目々にお星様があるの!』

 みんな微笑んでくれた。
 コンラートも笑ってくれた…。

 その笑みが凍り付いたのは、ヴォルフラムの暴言によってだった。


『お前を兄などと呼ぶものか!』
 
 
「……っ!」

 パシィィン……っ!

 ヴォルフラムが疲れ果てた馬に鞭を振るうと、馬は口泡を吹かせて速度を上げた。
 無茶な走り方に閉口しながらも、他の者もついていかないわけにはいかない。

『万が一会えたとして…何と声を掛けるつもりだ?』
『赦されるわけが…ないじゃないか…っ』

 ヴォルフラムが言われた側であれば、生涯赦すことはないと思う。
 だから…コンラートとて、赦してくれるはずがないではないか。


 ドッドド……ドッドド…


 闇の中を、幾つかの篝火と…様々な想いを載せた隊列が進んでいく。 
 成就するにしろ失敗するにしろ、眞魔国の未来に暗い影を落とすであろう使命を帯びて…。

 


 

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