第三章 ]WーH



 





 予想外なほど無事に、魔道装置は眞魔国へと到着した。

 それが二人の毒女が連携して発進・受信装置を作ったせいかなのか、グウェンダル相手でないときには幾らでも安全性の高い物を作れるのかどうかは不明だ。

 ちなみに…眞魔国の重鎮達は既に有利の女体化・妊娠については知らされていたものの、実物で目の当たりにする有利の愛らしさは超弩級艦隊を引き連れて一斉射撃するような威力があったらしい。
 少なくともフォンクライスト卿ギュンターについては間違いなくそうだった。

 今か今かと最愛の魔王の帰還を夢見ていた王佐は、魔道装置の蓋が開くなり凄まじい勢いでありとあらゆる汁を噴出した為…血盟城前の広場は一時騒然とした。

『うわぁ…帰って来たって感じがするねぇ……』

 《これぞ王佐》という感慨を込めて、帰還してきた4人は遠い目をした。



*  *  *




 有利が居ない間こちらでは数ヶ月が経過しており、新年を迎えて数週間が経過した今では殆どの領土が雪に覆われている。

 魔王不在中に内乱だ何だときな臭い動きがあるのでは…と懸念されていたのだが、その旗印になりそうなフォンヴォルテール卿グウェンダル自らが積極的に噂を流して不埒者どもを《誘惑》したため、返ってそういった手合いを一網打尽にする好機となった。

 それも含めて、グウェンダルは有利不在中に起こった諸々の出来事を書面に纏めて渡し、特に重要と思われる案件については執務室にて口頭で説明した。
 その間中…昔なら退屈して欠伸の一つも漏らしていた魔王が、妙に瞳をキラキラさせながら自分を見詰めてくるものだから、グウェンダルは居心地悪げに咳払いをした。
 
「ん?風邪?」
「いや…その……。陛下、何故そのように私を凝視されるのですかな?」
「うわ、気持ち悪いな敬語…。俺、なんかあんたのこと怒らせた?」

 拗ねたように唇を尖らせれば、甘やかになった大粒の瞳とも相まって、可愛いモノ好きには殺魔族級の愛くるしさを呈している。

「そういうわけではない…。ただ、えらく真面目に報告を聞いているから、妙な具合だと思ったのだ」
「ガーン…俺、いつもそんなに不真面目だった?」

 有利はしょぼんと肩を落とすが、そんな格好をすると雨に打たれた捨て猫の様に見えてしまい、グウェンダルはついつい前屈みになってしまう。
 別に股間が反応したわけではない。可愛い有利タンを拾いたくなったのだ。

 どちらにしても…扉に左肩を凭れさせた弟が凍てついた笑顔を送ってくるので許されるわけはないのだが。

「うん…でも、そうだよな。俺…結局こっちの眞魔国に腰落ち着けて、ちゃんと仕事してたのって短い期間だもんな。やれ試験だなんだって細切れに帰ってばっかだったし。それなのに…グウェンは、俺をちゃんと王様として扱ってくれるんだなーって思ったら、凄く嬉しくて…そんでじっと見てたんだよ?」
「嬉しい?」
「だって、前は内乱の兆しがあるとか…そういうきな臭いこと教えてくれなかったろ?」
「それは…」

 確かに、今までは何もかもグウェンダルやギュンターが手を回して上手く裁量した上で、《お気を害されるから》として、そういった話は常に伏せてきた。
 《有利を哀しませるから》という理由だったのだが、自国内で発生する反乱の意図も分からないような王が、どうして統治など出来るだろうか?それは傀儡政治と何が違うのかと問われればぐうの音も出なかった。

 《迦陵頻伽》を騙る妖怪に有利が浚われた折、改めて有利を《王》として再認識したグウェンダルは、無意識のうちに扱いを変えていたようだ。

「ありがとう…グウェン。留守をしっかり護ってくれて…俺のこと、ちゃんと王様として扱ってくれて…。俺、もーちょっとマシな王様になれるように頑張るね?」
「……」

 《こほん》…っと、別に何が喉に引っかかるわけでもないのにグウェンダルは咳払いをする。肌が少し浅黒いお陰で、微かに上気した頬が誤魔化せるのがせめてもの幸いだ。

「本腰を入れてくれるのは嬉しいが…。その前にやることがあるだろう」
「ハイ…そうでした……」

 何しろ有利は妊娠している。
 ギーゼラの見立てでは経過順調とのことだが、それでも有利の身体は女体化したとは言え未熟な為、予断は許されないという。
 通常の妊娠であっても初産は様々な懸念を伴うのだから、可能な限り周囲の保護と配慮が必要なのだそうだ。

 また、有利は眞王廟で正確に時間軸を調整した上で地球に帰還することになっているのだが…これがまた結構大変だ。

 有利が地球を出発した日が2月2日だったのだが、そこから村田がやってきて教えてくれた日付が2月5日…卒業試験を底上げしてくれる課題提出日であった。
 卒業試験の開始日が2月12日だから、何としてもこの日には帰り着いて卒業資格を得たい。物理的にはその前日までの帰還は可能なようだが、問題は有利の頭の方だ。それでなくても成績判定がギリギリの身で課題提出まで出来なかったとなれば、教師の温情によって追試を繰り返してくれたとしても、卒業判定の為の職員会議が行われるという2月20日までに成績が充足するかは甚だ不明だ…。

「お前が産むと決めた子だろう、大切に護ってやれ。産前産後の補助など負担ではない。補助することは私の権利であり、補助を受けることはお前の義務だ。抵抗は許さん。学校の卒業資格については私の関知するところではないが…拘りがあるのであれば、胎児に影響を与えない範囲で頑張れ」
「うん…心配かけて、ゴメンね?ありがとう…」
「グウェン…優しいな〜…」

 照れながらぶっきらぼうに言う言葉に、有利はいちいち丁寧に感謝の言葉を綴り…そこにコンラッドが笑顔で絡んでくる。

「コンラート…何か言いたいことでもあるのか?」
「いえ別に?俺の妻となる方と兄とが仲が良いというのは、今後のことも考えるととても嬉しいことですよ?」
「うむ…そうだな」

 軽い嫉妬も含めてコンラッドは口を開いたようだが、グウェンダルは別の所に引っかかった。

「卒業出来ようが中途退学になろうが、チキューで3月1日を迎えたら結婚式をすると言っていたが…本当にその時期で良いのか?身体のことも考えて、一年程度延期したらどうだ?今ならまだ諸外国への通知も間に合うし…」
「えーっ!?それじゃ俺、《子連れ婚》になっちゃうじゃんっ!」
「既に《できちゃった婚》状態で何を言うか」
「やだなぁ、グウェン。今は《授かり婚》って言うんですよ?」

 コンラッドがすかさず突っ込んでくるが、問題はそこではない。

「知るか!ともかく、今は大事を取れっ!」
「…やだっ!」

 有利はふるふると首を振ると、頑なに結婚を主張した。

「ユーリ…聞き分けのないことを言うな!魔王らしくすると言った舌の根も乾かぬうちに…!」
「だって…俺、この子をコンラッドと二人で受け止めたいんだ…!産まれた後に結婚したんじゃ、戸籍にそういう記録が残っちゃうだろ?」
「……っ!」

 それを言われると、グウェンダルとしても言葉に詰まる。

 有利達が帰ってくる前からこの奇妙な《妊娠》については眞王廟を通じて知っていたが、有利達と直接その事について語り合う時間はなく(何しろ、魔力温存の為に必要最低限の通信しかできなかったのだ)、グウェンダルは正直なところ…兄としてコンラッドの心情を慮っていたのだ。

 少年として愛してきたその身に子を宿すという異常事態を、一体どのように捉えているのか…それがコンラッドとの間に出来た子であれば《愛の結晶》という形で受け止めも可能だろうが、《有利に宿るはずだった魂》とはいえ、それはこちらの有利には本来授からぬものであったのだ。

 宿したことでもしも有利を喪うようなこと…産褥による死が起こった場合、コンラッドはこの子どもを絶対に赦さないのではないか…。
 そんな子と、有利の死後《親子》になるというのはあまりにも酷い巡り合わせではないか?

 決して口には出来ないが…それが結婚を先延ばしにする最大の理由であった。

 勿論、有利には知らせずにギーゼラや産婦達にも《魔王の命最優先》であることは周知しておくが、有利自身が自分の命と引き換えに子どもを救おうとした場合、それを防ぐことは不可能だ。
 魔力の差から言ってもそうだが、もしも眞王やウルリーケの力を総動員して子どもの方を潰したりすれば、今度は有利の心が壊れてしまうだろう。

 言葉に窮するグウェンダルに、コンラッドがにっこりと微笑みかけた。

「グウェン、俺も…一日でも早くユーリと結婚したいな」

 つるっとそう言うコンラッドに、グウェンダルは《分かっているのかお前は!?》…と、苛立ちを隠せない。
 けれど…そんなグウェンダルにコンラッドは重ねて言うのだった。

「ね…グウェン。俺も、ユーリと二人でリヒトを受け止めたいんだよ」
「リヒト…名を、もう付けたのか?」
「ええ、あちらのコンラート…レオの言葉からユーリがつけたんですよ」
「《光》…リヒト、か……」

 眞魔国の《太陽》と呼ばれる有利の子としては、相応しい名だろう。
 コンラッドが有利の名付け親になったように、異なる軌跡を描いて紡がれた歴史の中から…今度はコンラートが子どもの名付け親となるのか…。

 それを、コンラッドは受け止められるというのか?

「コンラート…お前は、それで良いのか?」
「それこそが俺の望みだよ、グウェン…」

 小さな嫉妬にチクチク嫌みを言っていた癖に、どうしてこういう時だけそんなにも透き通るような笑顔を浮かべるのか。

 不安や葛藤が無いわけではないだろう。

 それでもなおコンラッドが有利を止めないのは、安易に彼の欲求に従っている訳ではなく…それが有利を本当の意味で生かすことだと信じるが故か。

 《ふぅ…》っと、幾らか重い溜息を漏らしてグウェンダルは瞼を伏せる。
 
「分かった…。その代わり、お前は早寝早起きに徹しろ。コンラートと荒淫に耽るようなことがあれば別々に軟禁するからな」
「ありがとう…グウェンっ!」
「……ありがとう、グウェン」

 微妙に温度差の異なる感謝の言葉に、グウェンダルは重々しく溜息をつくのであった。



*  *  *




 深い想いを汲んで了承した《兄》がいる一方、地球産の《兄》はひっくり返りそうになっていた。

 どうにかこうにか眞魔国での手続きと卒業に向けての猛勉強(村田指導)を終えた有利がコンラッド、村田と共に地球へ帰還してくると、勝利が移動ゲートである風呂に突入してきたのだ。

「ゆゆゆゆーちゃんっ!その男から離れなさいっ!!」
「勝利…いきなり何言ってんだよ」

 狭い日本式風呂に着衣のまま浸かる有利とコンラッドは、血相を変えて突撃してきた勝利にきょとりと目を見開いた。
 村田は《煩いなぁ…》という顔をして、耳に入った水を抜こうと頭部を側屈させている。
 
「何でも糞もあるかぁああっっ!!ゆーちゃん、この男に孕まされたんだろうっ!?くうう…この色魔っ!変態っ!男子高校生孕ますなんて、お前どういう身体の構造してんだよっ!その股間にあるヤツは実は妖怪なんだろう?にゅるにゅる出てくるチンポ型触手でゆーちゃんを孕ませたなーっ!?」

 どうやら勝利にはコンラッドが有利を妊娠させたという形で伝わっているらしい。しかも何だか凄いエロ設定…。
 村田も《流石は渋谷のお兄さん、発想がエロ同人だよね》と感心(?)しきりだ。
 しかし、この行為には鬼の形相をした母がブチリと切れてしまった。

「しょ〜…ちゃ〜ん?ゆーちゃんとコンラッドさん…に、健ちゃんをいつまでそうして浴槽に漬けておくつもりなのかしら……?」

 《ゴゴゴ》…という効果音が聞こえてきそうな形相に、さしもの勝利もグビリと喉を鳴らしてしまう。

「ゆーちゃん、こんなお兄ちゃんは放っておいて着替えましょ?ママねぇ〜お腹が大きくなっても着られて、しかも可愛いお洋服い〜っぱい買ったからね!」
「え……?」
「しょーちゃん、ボケっとしてないでとっとと出て行きなさいっ!ゆーちゃんが濡れたお洋服脱げないでしょっ!あ、健ちゃんも悪いけど、このお着替え持って脱衣所に行ってくれる」
「えぇ〜?美子さぁん…僕も一緒が良い〜」
「カワイコぶるな眼鏡っ子ぉっ!」
「ゴメンね、健ちゃん。流石にゆーちゃんもお友達に裸は見せられないでしょ?」
「無理デス。ゴメンな村田」

 村田は《ちっ》…とか言いながら脱衣所に向かった。
 …が、コンラッドは当然のような顔をして浴室で待っている。

「ご…護衛は…?」
「コンラッドさんは隅々まで知ってて良いんだから、居ても良いの。さ、とっとと出てってしょーちゃん」

 結婚を前提としたお付き合いなので尤もといえば尤もなのだが、兄的にはどうにも納得のいかない結論を突きつけると、美子は勢いよく長男を叩き出した。

 けれど振り返った時には、先程までの激烈なテンションは何処へ行ったものか…美子は静かで穏やかな気配を纏っていた。

「おかえり、ゆーちゃん、コンラッドさん…お疲れ様。大変だったわね?」
「お袋…」
「ママでしょ、ゆーちゃん。それに、ママは今おかえりって言ったわよ?」
「うん、ただいま…」
「はい、良いわ。挨拶は人間関係の基本よ?家族間でもね!」

 美子は有利の肌に張り付く服を剥がしていくと、露わになった《女の子》の身体から丁寧に水気を拭い、大判のタオルを羽織らせてから…抱きしめた。

「ゆーちゃん…大事な大事な、私の可愛いゆーちゃん…。出産はね、とっても大変なことだけど…ゆーちゃんなら、きっと乗り越えられるわ」

 こんな風に母に抱きしめられるのは久し振りで、自分の身体のこともあるけれど…何だかくすぐったいような恥ずかしいような…そして、暖かいような何かが滲んで有利は頬を染めた。

「そう…かな?」
「そうよ」

 美子は謳うように…滑らかな声音で囁きかける。
 まるで、子守歌でも歌うみたいに…。

「ちゃんと赤ちゃんを迎える準備をして、大事にしてあげて?周りの人がどんなに気を回しても、最後に赤ちゃんを護るのはゆーちゃん…あなたなの。ママが、最終的には赤ちゃんを護るのよ?」
「うん……」

 普段は天然脳天気な美子もやはり《母》なのか…多少事前に情報を得ていたとは言え、《娘》になってしまった《息子》に動揺することもなく妊娠の心得を諭す辺りは流石と言わざるをえない。 

「コンラッドさんも、お願いね?ゆーちゃんはこの通り無鉄砲で危なっかしいから、しっかり護ってあげてね?」
「御意」

 コンラッドは湯を滴らせながらも、至極真面目な顔をして騎士の誓いを立てた。
 有利も《無鉄砲》という自覚だけはあるので、《むきゅ》…っと唇を枉げて沈黙している。

 実際問題…通常の高校生でも《妊娠した》《させた》となればおおごとなのに、男子高校生が妊娠したという状況をこうして暖かく受け入れて貰えるのだから、文句の言いようがない。
 
 なので…美子の好きなように可愛らしくコーディネイトされても、今回ばかりは文句の言えない有利なのであった…。

 

*  *  *




 凍てつく冬の大気が鼻粘膜をつんと刺激すると、黒瀬健吾の鼻は少し赤く染まる。
 それでも足取りは軽やかで、車道脇に積もった真っ白な雪を《きゅっきゅっ》と鳴らしながら学校に向かった。

 卒業試験初日に何故こんなに浮かれているかと言えば…成績には結構余裕があり、進路も決定しているので心安らかに受けられるとか、そういうことだけではない。
 昨日、久し振りに友人からメールが入ったのだ。

『ちょっと眞魔国で色々あったんだけど、明日は学校に行ける。詳しくは明日な!』

 友人…渋谷有利が休んでいる間、《ちょっとウザがられるかな》…と心配しつつも毎日メールを送っていたものだから、久し振りに彼に会えるという喜びに黒瀬の足取りは軽かった。

「黒瀬!」

 ほーら噂をすれば何とやらだ。
 振り返ったその先には、黒瀬の大好きな友人が…。

「……あれ?」

 なにやら違和感がある。
 ぱっと見、間違いなく《渋谷有利》に見えるのだけれど…やたらと身体の線が柔らかくないか…?
 いや…それも違和感はあるのに、どうしてか見覚えがある。

『うん…前にも俺、こういう渋谷を見たような気が…』

「く…黒瀬…。おはよう!」

 学ランに濃灰色のコートを羽織り、ふかふかした白いマフラーを巻き付けた友人は黒瀬の反応を伺うように上目づかいに見上げている。
 その眼差しや舌唇の《ふくっ》とした感じは絶対に覚えがある。

「渋谷…もしかして、また……」
「ぅん…そーなんだ。他にも色々あったんだけど…聞いてくれるかな?」
「き…」

 何故だろう…喉が強張る。
 有利が女の子になってしまったことは以前にもあった。
 けど…でも…今、有利から放たれる柔らかさというか、独特のまろやかさは一体何なんだろう?
 
『渋谷…お前、さっきからなんで下っ腹まさぐってんの?』

 それも…えらく愛おしそうに。
 まるでそこに大切なものが眠っているかのように…。

 何だかとっても嫌な予感がして、黒瀬はごきゅりと唾を飲み込んだ。

「ききき…聞くともサ…お、俺達…友達だろ?」

 ホントは友達以上になりたかったが、ダメだった。
 試みることも出来なかった。

 けれど…それでもやっぱり有利の事は大好きで、この距離感でなら付き合えるというのならずっと死ぬまで維持したいと思うのだ。
 眞魔国という異世界の国家で魔王を張っている友人だが、卒業してからも黒瀬には会う機会がある。有利が立ち上げた草野球チームは3年の途中からキャプテンを代替わりしているのだが、有利が高校卒業後も一年に一度は試合に参加したいと言うのをみんな快く了承しているし、黒瀬はその時応援団長として招かれることになっている。

『大丈夫…何が起きても大丈夫!俺は…ずっとこいつの友達だ!』

 雄々しく確信しようとするのだが…有利の隣で佇む美形外国人が変に同情を込めた眼差しを送ってくるので凄く居心地が悪い。
 そんなに《可哀想な生き物》を見る目で見ないで欲しい。

「あんた…何で俺達と同じ方向に歩いてんの?」
「急に辞めることになりましたから、元職場にお詫びを兼ねてご挨拶に行くんですよ」

 コンラッドは高校の警護員として雇われていたのだが、有利の欠席と同時に代員を派遣して自分は辞めてしまったのだ。

「あんたら、眞魔国に行ってたのか?」
「うん…そこでさ、凄く色んな事があったんだ…」

 有利が《ほぅ…》っと白い息を吐くと、滑らかな流線を描く唇が淡く煙って…その素描を更にやわらかく見せる。どこか儚げなその風情に、黒瀬はまたしても唾を飲み込んでしまった。

『ううう…渋谷。何でお前…そんなに俺好みなんだよ…っ!』

 この場で抱きしめて、《何があったのか…言ってみろよ》とか(歯を輝かせて)言ってみたい。
 横に佇む男に瞬殺されるのは間違いないが…。

 …というかこの男、想像しただけで殺しそうな眼差しを送るのは止めて欲しい。

「渋谷…っ!久し振りぃ〜、元気してた!?あんたなかなか連絡寄越さないから心配したよ?」
「ああ、篠原…」
「ん…?」

 闊達な篠原は有利の姿をまじまじと見やると、唐突にむんずとその胸を掴んだ。

「わひゃ…っ!」
「…渋谷、あんたもしかしてまた…?」

 篠原の目つきが怖い。何故そんな半眼なのだ。
 思わず有利の目つきも怯えた子狸みたいになってしまう。

「そ、そーデス…」
「ちょっとあんた、そんなに可愛い目で見上げないでよっ!私の人生に喧嘩売ってんの?あたしを百合の道に引き込むのは止めてよっ!もー、何なのあんたっ!あたし、4組の結構良い感じの奴に告白されてたのに、一気にそいつの面影が吹っ飛んだじゃないのっ!」
「そんなこと言われてもーっ!」
 
 不条理な憤りに晒される有利であったが、篠原の気持ちも分からないではない。
 こんなにも可愛い《友人》がいると、恋人を作るのは男女ともに一苦労なのだ。

 だが、そんな不条理感などまだまだ甘いと言うことを、突きつけられたのは試験初日終了後であった。



 
  
   

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