第三章 ]WーG



 





「アリアリさん…俺、おかしくないかな?」
「あ?別におかしかねーだろ」

 カールはルッテンベルクの正式な軍服を支給して貰ったのだが、まだ筋肉が未発達だったり髪型の収まりが悪いせいか違和感がある。なにやら軍服を着ているというより着られているような印象だ。
 眞魔国軍屈指の戦士であるアリアズナ・カナートがよく似たデザインの士官服を纏っていることから、並んでいると余計にカールの華奢な体格が目立ってしまう。
 
 異世界の眞魔国へと帰還する有利達を見送る為に、カールは先程からてんやわんやで着替えをしている。訓練用の簡易軍服には多少馴染んできたものの、この式典用に増産された壮麗な軍服は着慣れないのか満足のいく仕上がりにならないらしい。

 《そんなに拘るコトねぇじゃねーか》とアリアズナは呆れ顔で言うのだが、《ユーリ陛下を送るんだもん。ちゃんとした格好で送りたいもんっ!》と涙目で訴えられては、時間ぎりぎりまで待つしかない。アリアズナは逆さまに椅子に座ると、背もたれに顎を載せたまま鏡の前で奮闘するカールを観察した。
 多分、ほわほわとした麦わらのような髪が雛鳥のように四方八方向かっているのが、それでなくても細い身体を幼く見せてしまうのだろう。
 
「そーいや、アルフォードやその奥さんもそろそろ会場に来てんじゃねーのか?モタモタしてっと口きく機会逸するぞ?」
「う…あっ!そうだよね。あぅ〜…っ!」

 数週間ぶりに会う知人達とゆっくり話をしたいのは山々だが、《随分立派になったじゃないか》と言われたいとの心理もあるのかも知れない。カールは焦りまくりながら髪に水を絡めて後ろに撫でつけている。



 《禁忌の箱》遠征終結と共に、アルフォードの軍から眞魔国に帯同していた面々も今後の去就を決めていくことになった。

 リネラと結婚したアルフォードはカロリアに居を構えることになったが、彼に付き従った人間の多くはそれぞれの生まれ故郷に戻った。

 カールのように魔族と深い縁を結んだ者はルッテンベルク軍に正式編成されることになり、平時には軍事指導をかねた教育を受けることになる。
 カールは早速始められた眞魔国語や格闘技の指導にべそを掻きそうになっていたが、《アリアリさんをまもってあげたいもん》と殊勝な事を言って、彼なりに頑張っているようだ。
 
 《アリアリさん》ことアリアズナは、《俺を護る前にテメェの身を護れるようになれよ…》とは思うのだが、水を差しては悪いかと苦笑しながら黙っている。面はゆいのは事実だが、内心…ちょっと嬉しかったりはするのだ。

 この二人は現在、眞魔国に於けるカールの戸籍も作ってもらったことから正式に結婚しており、仮住まいの軍官舎ももう少し金が貯まれば退去して、小さいながらも(嬌声が聞かれる心配のない)新居へと引っ越す予定だ。

 そう…《女好き》と公言していたアリアズナもカールと再会してからの数週間の内にすっかり慣れてきたらしく、今では彼の方から鼻面をすり寄せ…甘えるようにして行為を迫るようになってきた。
 かつては《転がったまま何もしない》という定評のあったカールも、大好きな男が相手だと話が違うのか積極的に誘ったりして頑張っている。

「まだかー?」
「もーちょっと〜…」
「バーカ、そんなに無理に髪撫でつけたって似合わねぇよ」
「う…アリアリさんは良いなぁ。髪とか特にいじんなくても、カッコ良い筋肉がたんまりついてるから軍服も似合うよね」

 《良いなー良いなー》と繰り返しながら、カールがヤジロベエのようにコトン…コトンと左右交互に体重バランスを傾けると、老朽化した官舎の床がキィキィと枯れた音を立てた。
 入居費が無料同然なのは良いが、床以外も随分と草臥れているので色んな音が隣接した部屋に伝わってしまうのが軍官舎の難点だ。 
 
「たんまりって言うな!人を筋肉球みてぇに…。たんまりたっぷりってのはヨザックの奴くらいから言うんだぜ?」
「ん〜。でも、羨ましいな。俺も早く筋肉つけたいなぁ…」

 カールが軍服ごしに胸筋をさすさすしながら呟くと、アリアズナは闊達に笑い飛ばした。

「がっつり飯喰ってればすぐにつくさ。人間の成長は早いからな」

 言い放った後…軋む窓枠に強風が吹き付けて、《ギィ…っ!》という耳障りな音がした。そのせいというわけではないのだろうが、二人は暫く沈黙してしまう。

『そうだ、人間の成長は早ぇ…』

 分かっている。
 人間世界で育ったアリアズナは、混血児が辿る定番の運命を経て眞魔国に辿り着いた。
 その間に…魔族と人間の成長曲線の違いを、肌に食い込むようにして感じ取らされたのだ。

 ただ、その時は《置いて行かれる者》としての悲哀を感じただけだった。けれど、この幼げなカールが成長して青年になり…いつしか老化の終着点として死を迎えるその時、《置いて行かなくてはならない》彼の苦悩を思うと胸が拉(ひし)がれるような思いがする。

「…ねぇ、アリアリさん。俺がいっぱい筋肉つけても俺のこと好きでいてくれる?」
「どうだろうな。保証はできねぇ」
「その点でもうダメ?」

 カールは笑っていたけれど、隠しきれない苦さが目尻と口角を歪ませる。
 
「じゃあ…年くって皺なんて出てきたら、全然ダメだよね?」
「……」

 アリアズナは何処か挑戦的な上目づかいをするカールを腕組みして睥睨(へいげい)していたが、不意に両手をかぎ爪状に曲げて構えると、カールの整えたばかりの頭髪をわしゃわしゃと掻き混ぜた。

「わ…っ!あ、アリアリさんっ!?」
「くだらねぇよ。先々の事なんざ、そん時になって悩んだり困ったりしな」

 アリアズナは尖った犬歯を悪戯めかしてカールの鼻に立てると、痛くない程度に甘噛みした。

「カール…お前さんは真実を見抜く真っ直ぐな目を持ってる。だったら分かるだろ?先の事を考えすぎて今を無駄にする奴は、ホントの馬鹿野郎だってな」
「アリアリさん…」

 カールは虚を突かれたようにきょとんとしていたけれど、ゆっくりとアリアズナの言葉を…なにより、語る口調や眼差しを自分の中で咀嚼すると、ふに…とはにかむような笑顔を浮かべた。

「そう…だね。なんにもなく年を取れるかどうかも分かんないのに、心配してもはじまんないし…。アリアリさんになるべく長く好きでいてもらえるようにがんばる方が先だよね?」
「俺だって同じさ。お前がその内でかくなって、俺を見捨てる可能性だってあるんだからな」
「俺はそんなこと…っ!」
「早まった誓いなんて立てるもんじゃねぇ。《エーエンの愛》なんて、やり遂げる前にどれだけ声高に言い張ったかよりも、どんだけ守って行ったかの方が大事だろうよ?」
 
 誓えば成就するというのなら、世の中の恋人や夫婦が別れたりする筈がない。
 
「なぁ…カール。背伸びなんかすんな、年喰ったときのことも無駄に心配すんな…。俺ぁ先のことは分からねぇが、今この瞬間にお前をどう思ってるかははっきり分かってる。それで十分じゃねぇか」

 アリアズナはカールの頭髪をいつも通り収まりが悪くてふわふわした状態に戻すと、《ついて来い》というように手を差し伸べた。

『背伸びなんかしなくて良いから、今そのままのお前で俺と生きろ』

 …そう、語りかけるように。

「えへへ、アリアリさん…」

 嬉しそうに…カールの相好が緩む。

「俺、あんたのことやっぱ大好きだ!」
「へいへい」

 カールは力一杯アリアズナの手を握り締めてブンブン振ると、促されるまま部屋の外に出た。

 すっかり上機嫌になって、鼻歌など歌っているカールのつむじを見下ろしながら、アリアズナは不思議な心地になるのだった。

『好きな奴が出来るってのは、妙なもんだな…』

 多分、この少年が自分を想っているのと自分の持つ想いとでは形が違うのだろう。
 たまたまやってみたら身体の相性も良かったので、なし崩しにこういう事にはなっているのだが…今のところ、アリアズナには体当たりでぶつかっていくような恋心というより、包み込むような慈愛の念…どちらかというと、父性愛に近いものが多く含まれているように思うのだ。

 だから、カールが心配していたような、筋肉がついたらどうとか老人になったらどうかという懸念は逆にアリアズナの方にはない。この子がどんな風体になろうとも、性的なものより多く含まれるこの感情がそう変質することはないように思うのだ。
 まぁ…お互いの為にも、《なるべく可愛い年寄りになってくれ》とは思うが。

 そんな心配よりもなによりも、今は唯この子に会えたという事実が嬉しくて…時折泣いてしまいそうなほど胸が一杯になる。

『なぁ…コンラート、お前はどうだ?』

 今日…彼にとって、とてつもなく大切な存在が旅立つことになる。
 彼らはやはり形の異なる想いを互いに向け合っていて、コンラートの方には一時狂おしいほどの恋情があったことを知っている。

 それが思う形では叶わなかったのだとしても…別れが来るのだとしても…コンラートには、その出会いを《幸い》として感じ続けて欲しかった。

『コンラートよぅ…お前が幸せでないと、俺達ぁやっぱ辛いぜ?』

 同じようにコンラートを心配する連中の姿を脳裏に描きながら、アリアズナは会場へと進んだ。
 そこで目にするコンラートの姿が、少しでも幸せそうであることを祈りながら。



*  *  *




 血盟城前の大広場には早朝…いや、数日前から黒山の人だかりが出来ており、主催者側も出発式の正式な参列者だけでなく、極力多くの民にも救世主達の旅立ちを見守って貰おうと、特設の閲覧席のような台を配置している。

 広場の中央にはアニシナ製の魔道装置がドンと存在感を主張しており、深紅のボディが真夏の陽光を弾いている。
 もう創主の邪魔も入らないので空間同士の移動だけなら有利と四大元素の力だけでも可能なのだが、何しろ身重の身体ということもあり、出来るだけ負担を減じようと移動用魔道装置を造ったのだ。

 コンユバトラーXに類似した魔道装置の姿を見上げながら、民は楽しげに応援歌を口ずさんだ。

「ふぁいふぁいふぁいっ!」
「五人乗り〜」
「んこぉ〜んばぃ〜ん、ぱんつーすりぃ〜」

 数週間前からアニシナの作った自動演奏装置でコンユバトラーXの応援歌を流しているので、民は耳で聞いたままをそのまま覚え込んで歌っているのだ。時折怪しげな歌詞も混じるようだが歌の調子だけは楽しげで、ふとした瞬間に誰かが口ずさむと伝播するようにして合唱が広がっていく。

 賑やかなその様子に、王都の外から来た連中はすっかり目を丸くしていた。

「まぁ…アルフォード様、びっくりするくらい大勢の観客ですねっ!これが全部王都に住んでいる人達なんですか?」
「おいおい…リネラ、《様》はいい加減止めてくれないか?」
「あ…ごめんなさい」

 いつも言われているので直そうとはしているのだが、習慣とはなかなか修正が難しいものだ。それに、今は驚くほど大勢の民を前にして度肝を抜かれていたものだからしょうがない。
 以前眞魔国の軍勢を目にしたときも驚いたが、民間人の醸し出す熱気はまた別物だ。
 訓練の行き届いた軍人とは異なり、幾らか猥雑なくらいの雰囲気と勢いにリネラのような田舎者は圧倒されてしまう。

「人だけじゃありませんね。建物もお城もとても立派で…カロリアだって随分立派に見えましたけど、それよりも更に凄いわ…」

 リネラが改めて周囲を見回せば、歴史深そうな建造物が丁寧な手入れを受けて鎮座している。造られては破壊されるのを繰り返していた大陸諸国の、ぺらぺらとした質感とは大違いだ。

「そうだね。コンラート陛下は更に整備を進められるそうだから、数年後にはもっと凄いことになってるんだろうなぁ…」
「私たちも、頑張らなくちゃいけませんね?」
「出来ることからコツコツと、ね」

 あまりにも大きな格差に少々頭がクラクラするが、ここまでは行かなくともせめて暮らし良い環境を整えていきたい。
 まあ、リネラの場合は自分たちの住まいを丁寧に掃除して、お花を飾るくらいなものなのだがしないよりはマシだ。

「あなた達、そろそろ時間よ。席に着きましょう?」
「あ、はいっ!すみません」

 フリンに促されると若夫婦は慌てて参列者用の列に向かった。  
 
 マキナー夫妻とフリンは有利達が旅立つという知らせを受けると、カロリアの船舶に搭乗して眞魔国に渡った。長距離渡航に向いた船とは言い難かったのだが、《船を用意しましょうか?》と言ってくれるコンラートの好意に甘えるには、彼に対する借りが大きすぎたのである。

 それでも、眞魔国に到着してからはこちらの貨幣を持ち合わせないということもあり、すっかりお世話になってしまっている。コンラートの用意してくれた宿泊施設は一級品であり、従業員は不慣れなあまりに恐縮しきっているリネラにも暖かく、かつ礼儀正しい物腰で対応してくれた。
 そこに用意されていた衣装を着込むと、アルフォードは立派な勇者然としていたし、リネラは清楚な新妻として申し分のない出で立ちになった。元々気品のあるフリンなどは、何処に出しても恥ずかしくない貴婦人ぶりである。
 リネラには《こんな高価な物を》…と遠慮する気もあったのだが、勇者の妻として正式な招待を受けた身があまり見苦しいと、返ってコンラートの迷惑になるかと思い好意に甘えることにした。

 フリンの内心は不明だが、こちらは流石に長年の領主生活が培うものなのか、背筋をぴしりと伸ばした姿は用意された上等なドレスとも相まって女王のような気品を湛えている。共に出席しているアリスティア公国大公家の面々とも自然な威厳をもって笑顔で応対出来るのだから、やはりこの女性は徒者ではない。

 そんなフリンも、会場に有利達が現れると複雑そうな表情を浮かべて睫を伏せ気味にした。その表情は、沸き返る民の歓声と反比例するように暗い。

「コンラート陛下は…どのようにお感じなのかしら?」

 ぽそりと呟かれた言葉に応える者は居なかった。
 フリン自身も返答を期待しているわけでは無かろう。

 コンラートの経てきた道のりを思えば…この別れがどのような意味を持つものか歴然としているからだ。



*  *  *




 シュ…
 ……キュ…


 慣れた動作で漆黒の魔王服を着込むと、コンラートは宙を舞わせて式典用の豪奢なマントを羽織った。
 魔王居室に佇むのは彼一人である。
 《容儀が軽すぎる》と弟は言うが、この程度の衣装を着るのに侍従の手を借りることもあるまい。マントと装飾が多少華美になるくらいで、それほど特別な意匠は凝らしていないのだから。

 シンプルな装飾の中で一点、華麗な輝きを持つのは金色の翼を持つ金の彫刻であった。
 《質素倹約にも程があるだろう!》…何故か怒り口調で弟が押しつけてきたものなのだが、つけていると満面に笑みを湛えるので愛用している。
 こうして鏡に映し出してみると、ビーレフェルトの匠が作り出したという一点物の装飾は確かにコンラートの身を一層優美に彩っていた。

 その彫刻から襟章に掛けて吊された彩紐は兄の手作りで、よく見ると…細かく祝福を祈る詩文が織り込まれているのだった。
 兄はこれを身につけても特に表情は変えないが、目の色が嬉しそうに明るくなるのをコンラートは見逃さない。

 母がくれたセクシー下着(限界突破なTバックスタイル)だけは着なかったが、《夏でも涼しくて良いですね》と言ったらやはり喜んでいた。

 《そうでしょう〜?あの見えそうで見えない感じが素敵でしょう?》…と、返事に窮するコメントをくれたわけだが…。
 息子の股間に食い込む下着に萌える母も如何なものかとは思うが、気持ちだけは受け取っておこう。
 箪笥の肥やしにするけど…。

 大きな姿見鏡に映った自分の姿を見やりながら、コンラートは笑ってみた。

 幸せだ。
 数ヶ月前の状況からの差違を考えれば、まだ夢でも見ているのではないかと思われるほど幸せだ…。

 だから、笑っていなくてはいけない。
 不景気な顔をしたりすれば…有利が心配する。

 ああ、本当に…こんなに幸せなのに《笑わなくては》と自分に言い聞かせなくてはならないというのは、どれだけ贅沢者になってしまったのか知れるというものだ。

『ユーリ…』

 後数時間で、この世界から有利が消える。
 元の世界できっと元気に…幸せに暮らすのだと分かっているから、本来在るべき場所に彼が戻ることを祝福する気も当然ある。
 
 けれど…瞼を伏せて彼のことを想うとき、この胸を去来するのは痛切な寂しさであった。

『ああ…そうだ。この気持ちは悔しさでも哀しさでもなく、寂しさなんだな…』

 今生の別れというわけではない、耐えられない苦しみではないのだ。
 何時か慣れて…今度は、再会の時を楽しみにすることができる。
 …筈だ。

『そうだ…何時如何なる時も、君を忘れることはない…。ユーリ…俺に、幸せの全てをくれた君を…君が育む命を、俺は失うことはない……』

 鏡の中に笑いかければ、今度は違和感なく微笑むことが出来た。
 琥珀色の瞳の中で銀色の光彩も瞬いている。

『大丈夫…』

 こくりと頷くと、コンラートはマントを翻して自室を後にした。



*  *  *




 わぁああああ……っ!!


 有利達が会場に現れると、《どぅ》…っと地鳴りのような歓声が沸き上がる。
 空気圧のようなものに多少押されるが、流石に有利もこういった場には慣れてきて、そうぺこぺこしながら小動物のように歩くこともない。

 彼にしてはとてもゆっくりと…思いをひとつひとつ踏みしめるように歩いていった。

 コンラートと同じように正式な魔王服を着込んでおり、背筋を伸ばして悠々と歩いている分、華奢な肩のラインや少し膨らみ始めた腹部も目立たない。
 容儀を整えたところで、《とても素敵ですよ》…などと、惚れ惚れとコンラッドが囁いてくれたので、ちょっと今日は自分の姿に自信のある有利であった。

 その分観客の目はあまり気にならず、物思いの方に集中できる。

『これで…こっちの世界とはいったんお別れか…』

 予想外な事態が幾つか起こる中でも、有利達はそれらをどうにか乗り越えて目的を果たすことが出来た。

 もともと、有利が我が侭を言って行かせて貰ったようなものだから、救えなければそれこそ何の為に行ったのかと自分を責めたくなるだろう…と、行く前には随分プレッシャーを感じていた。

 けれど、実際に乗り越えてみた今になってみると、有利達がして《あげた》ことというのはとても部分的なものだったのだなと思う。

『俺達はきっと、きっかけを作っただけなんだ』

 決して、超越した高みから《救ってやった》わけではない。共に悩み…迷い、決断して、この世界の存在…ことに、レオンハルト卿コンラートと共に同苦同喜してここまでやってきたのだ。

『レオ…』

 家族との絆を取り戻し、ルッテンベルク軍や眞魔国の民を護り、人間世界との友好も果たした彼はこれから益々素晴らしい王様になっていくだろう。
 うかうかしていては、有利などグウェンダル辺りから《見習え!》等とお説教を喰らうかもしれない。
 今でも十分可能性はあるのだが…。

「ユーリ陛下、ご帰還の日を迎えられましたこと…誠におめでとうございます」
「ありがとうございます」

 コンラートと共に魔道装置の前に立つと、多くの観客が見守る中で二人の現役魔王が向き合って式典用の気取った言葉遣いで応答しあう。
 そんな型どおりの言葉ではとても言い表せないと分かってはいても、形式というものは時として、踏ん切りをつける為にどうしても必要な機会があるのだ。

 尽きせぬ感謝の気持ちを伸びやかな美声に載せてコンラートが語り、有利が可憐な声音を精一杯凛々しく張って、コンラートへの深い友誼を語ると…型どおりの言葉の中に命が吹き込まれていく。

『ありがとう…ありがとう…何度でも繰り返し君に捧げたい。この感謝の想いを…』
『あんたや眞魔国の人達…この世界の人達が幸せでいてくれたら、それが一番嬉しいよ…』

 本当に伝えたい剥き出しの想いは、こうして向き合った瞳同士とか、表情の肌合いによって感じ取れるものなのだろう。


『寂しい…』 


 コンラートから伝導してきたのは…感謝の気持ちと同じくらい大きな想い。
 《寂しい》という、痛切な言葉だった。

 だから、有利は決められていた原稿を暗唱しきった後…一拍の間を置いてから、決められたとおり魔道装置に向かうのではなく、ちょいちょいと手でコンラートを招き寄せて少し屈んで貰った。

「ユーリ…?」

 少し戸惑うように揺れる瞳には、自分の罪を叩きつけられて弱り切っていた頃の儚さのようなものが垣間見えて…有利は強引なくらい荒々しく腕を回すと、コンラートの逞しい体躯を抱きしめた。

「レオ…俺達、おんなじ第27代魔王だよね」
「ああ…」

 驚きに一瞬肩が揺れたが、そのまま優雅な動作でコンラートの腕が有利の華奢な体躯に回される。
 体格は違えど、共に正式な現役魔王の衣装を身に纏った二人の王が強く抱きしめ合う姿は、見守る人々の胸にも不思議な感慨を沸きたてさせた。

 《何という不思議だろう…》
 《共に混血で、同代の魔王として玉座に就く者同士が、このような友誼で繋がれているとは…》



*  *  *




「俺とレオはさ、凄い縁で結びついてんだ。それは…お互いが何処にいたって変わらないよ?」
「ユーリ…」

 抱き返す腕に、自然と力が入る。
 ああ…結びついているというのなら、それを何時だって感じていたい…。

「こっちの世界の魂だって、俺の中にいるだろ?だから俺はもう…この世界にとって異邦人じゃないんだよ。俺は、あっちの眞魔国の魂を持ち、地球の肉体を持つ住人であると同時に…こっちの魂の生みの親なんだ」
「……っ!…」

 コンラートの喉が…震える。
 もやもやと体腔内にたゆたっていた寂しさの理由が、一つ分かったからだ。

 そうだ…これで、いつか再び有利がこの世界にやってくることがあるとしても、その時の彼は《客人》に過ぎないのだと思っていた。
 《おかえり》と言ってくれる誰かの元に帰っていくことを前提として、この世界に来訪するだけなのだと思っていた。

 けれど…それを、《違う》と有利は言うのだ。


「俺はね…もう、こっちの世界にも所属するんだよ。俺の故郷は…これで三つになるんだ」


 ああ…
 ああ……っ!

『何という子なのだろう…ユーリ…君は……っ!』

 如何なる賢者にも…コンラート自身にすら掴めぬ不安と戸惑いを鋭く見抜いて、そんなにも輝かしいものへと昇華させてしまうのだろう。

「戸籍を…君の、戸籍を作っても良いだろうか?コンラッドと結婚したら知らせてくれ…その日づけで、夫婦として登記しておくから…」
「うん、頼むよっ!」

 にっかりと笑って、有利が身体を離す。
 《もう大丈夫だね?》…そう眼差しで囁きかけながら、細い指が…長い睫が、ゆっくりとコンラートから離れていくけれど、もう今までのような…身を切られるような辛さは感じなかった。

 深紅の魔道装置に4人が搭乗したところで、コンラートは眞魔国全軍…そして、大陸諸国からの使者を含む民を背にして手を翳した。

 右の拳をこめかみに押し当て…背筋を伸ばす。
 万感の想いを込めて、ルッテンベルク式の敬礼を送るのだ。


 ザ……っ!


 その瞬間、まるで申し合わせたかのように…魔族も人間も、その場に居合わせた全ての者が同調して右の拳をこめかみに押し当てた。

 ある者はぼろぼろと涙を零しながら…。
 ある者は唇を震わせながら…。

 二人の魔王陛下への想いを込めて敬礼が送られる。

 
「さらば…我が同胞よ…っ!我が…最愛の友よ…!」


 朗々とした美声が大気を震わせると同時に、排気音を立てながら魔道装置の蓋が閉まっていく。
 搭乗者4人もまた、眦を濡らしながら同じ敬礼を返していた。


「レオ…レオ…っ!俺…必ずここにも《帰って》くる。だから…そん時は…っ!」


 魔道装置の立てるやかましい音に掻き消されないよう、精一杯大きな声を張り上げて有利が叫んだ。けれど…声が詰まって最後まで語ることが出来なかった言葉を、コンラートが引き継いで声音を飛ばす。


「ああ…《おかえり》…って……君を、迎えるよ……っ!」


 カシィィン……
 コココココココ……

 ゴファアア……ッッッ!!


 空の彼方に、有利達を載せた魔道装置が高々と撃ち上がり…そして、夢幻のように消える。

 その軌跡を辿るコンラートの瞳から、一滴の涙が頬を伝った。


 微笑むその貌は清々しく…何時までも、何時までも…夏の晴れやかな空を見詰めていた。








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