第三章 ]WーE
歓迎行事が一通り済むと、コンユバトラーX搭乗者とコンラートは領主邸のフリンの部屋に通され、軽食を摘みながら歓談した。
フリンは異世界での所行を恥じると共に、その世界で友と呼び合う仲であるという有利に不思議そうな眼差しを送った。
『この方が…ユーリ陛下』
まだほんの子どもにしか見えない。
実際、魔族とは言っても人間同様に過ごしてきた彼は、18歳という若さなのだという。
子を産んだリタとそう変わらない年頃だというのに、この少年は既に二つの世界を救い…そして、多くの人々の心を救ってきたのだ。
レオンハルト卿コンラートに、《何故そんなにも人間に心を尽くしてくれるのか》と問いかけた答えがこの少年にあるのだろう。
しかし今のところ普通に会話をしていく中では、それほど傑出したものを感じることはなかった。
『確かにお美しいし、素直な心根も持っておられるだろう…。けれど、これが多くの民の上に立つ王なのかしら?』
明確に王として素晴らしい才覚を見せているコンラートや、その補助とはいえ、単身でも十分に王の責務に耐えうるグウェンダル。底知れない叡智を湛えた村田健…。彼らに比べて、有利の持つ才知はいったいどれ程のものだというのだろう?
『それが分からないということは、私もそれだけの女ということかしら?』
少々自信が無くなってしまう。
あるいは、有利に対する眼差しが厳しくなるのには別の理由があるのかも知れない。
レオンハルト卿コンラートと、異世界のウェラー卿コンラートは共に蕩けるような眼差しで有利を見詰め、その一挙手一投足に目を配っては、やれ飲み物だやれ風を送ろうだの甘やかな態度で舐めるようにして可愛がっているのである。
特にコンラートが有利を構う態度を見ていると、昨夜まで小娘のようにはしゃいでいた自分が馬鹿に思えて仕方が無く(昨夜から自覚はあったのだが…)、有利を見る目にも自然と嫉妬が滲んでしまうのだ。
『やだわ…私ったら…』
やはり、妙な夢など持つべきではなかったのだ。
明日からはまた心を凍てついた鉄の様に閉ざして、孤高の領主として生きていこう。
しかし、そんなフリンに有利はじぃ…っと眼差しを送ってきた。
「フリンさん、何か背負い込んでる?」
「え…?」
有利は《ちょっとごめんね》と断りを入れてから指を伸ばすと、フリンと手を繋いでその甲に額を当てた。
「いつも頑張ってるフリンさん…あっちの世界でも、俺はあんたの大ファンだったよ。やってることはちょっと無茶で、俺が吃驚するくらい無鉄砲なところもあるけど…いつだって民のことを一番に考えて、自分の幸せなんて二の次にしてるフリンさんは、凄い女の人だよ」
「ユーリ陛下…」
これは、噂に聞く癒しの魔術なのかも知れない。
だが…フリンは別に怪我をしているわけではないのに、どうして?
「《禁忌の箱》は滅ぼされた…。国を支えていくからには、それで全部万々歳って事はないと思うけど、でも…絶対にこれで息をつくことが出来る。だから…フリンさんが、もうちょっとくらい自分自身に優しくしてあげても良いと思う」
「……っ!…」
「だって、あなたはとても頑張ってきたんだもん。おつかれさま…ありがとう」
ふわ…っと、柔らかな毛布のような優しさがフリンの心を包み込む。
昔…良く晴れた日に、母が干してくれたあの毛布…。
お日様の香りがするそれを、母は風をはらませてフリンに着せかけてくれた。
『フリンや…私の可愛いお姫様…!お前に、たくさんの幸せがやってきますように』
笑い皺の素敵な母は、そう言って毛布ごとフリンを抱きしめてくれた。
ずっとずっと忘れていた思い出が、急に蘇ってくる。
父がすり寄せてきた頬の感触…微かな煙草の匂い。
若くして喪った最愛の夫が、死の間際に見せた微笑み。
全て、フリンの幸せを願ってやまない人々が残してくれたもの。
ずっと…フリンが思い出さないように気を引き締め、反芻することで弱くなることを避けようとしたものばかりだった。
けれど、どうして思い出せば弱くなるなどと思ったのだろう?
取り縋り、《どうして喪ったのか》と嘆けばそうかもしれないが…。そうでないのなら、ひとつの大切な思い出として据えていられるのなら、それはフリンを支えこそすれ弱めるような力は持たないのに。
「あ…」
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていくのを驚きに満ちた視線で追いかけながら、フリンは有利の細い腕で抱き込まれた。
「どうか…幸せになって、フリンさん」
「ユーリ…陛下……」
気付かぬうちに凍えていた心の痛みに、どうしてそんなふうに気付くことが出来るのだろうか?
寄り添い…温もりを分け与えることが出来るのだろうか?
『ああ…この方は、治癒が必要だと思ったのだわ…。干魃によってひび割れた私の心に、慈雨を降らそうとしているのだわ…』
ぽろり…ぽろりと頬を伝う涙は、そのまま心に沁みて潤いを与えていくようだ。
フリンは泣くことが心地よいのだということを数十年ぶりに思い出しながら微笑んだ。
『そうだ…コンラート陛下への想いは、報われないのだとしても大切にしていこう…』
忘れて、閉ざしてしまえばそれ以上傷つくことはないかも知れない。
だが、感じることを拒絶した心は何時しか無味乾燥なものにかわり、生きていることを楽しむという感覚を失ってしまう。
『生きているって…愉しいことなのだものね』
うきうきと弾むような心地をくれたコンラートへの愛情を再確認すると共に、フリンは腕を回して有利の華奢な体躯を抱きしめる。
異世界の友が、自分自身の友に変わったことを感じながら。
* * *
カロリアを出航した船は一路眞魔国を目指す。
白波を立てて進む軍艦の行く手にはきらきら輝く水面と、時折それらの光を跳ねかして飛ぶ魚人殿の姿があった。
海戦の機会がなかったことで勇名を立てることが出来なかったのが不満なのか、彼らの鼻息(?)は心なしか荒い。
「やれやれ…やっと帰還かぁ…」
「感慨深いな…」
船の突堤で風を受けるアリアズナに、コンラートは声を掛ける。
気になる話を耳にしたので、少しからかってやりたくなったのだ。
「お前、とうとう身を固めることにしたらしいな」
「……もう、噂が飛び交ってんのかよ…」
「衆人環視の元での堂々たる告白劇だったらしいじゃないか。噂にならない方がおかしいさ」
「うへぇ…」
アリアズナは船酔いでもしたかのようにぐったりと船縁に取り縋った。
「何だ?嫌なのか?」
「んなこたねぇよ…ちょっと思いがけない形で独身生活におさらばすることになったんで、草臥れてるだけだ」
「ふぅん?」
くすくすとコンラートが笑えば、《うるせぇな》と紅の髪を掻き上げながら言うものの、アリアズナも一緒になって目元を細める。
「ま…俺の勘違いのせいで多少目測を誤ったところはあったんだけどよ、できる範囲で…あいつを幸せにしてやれりゃあ良いなとは思うんだ」
そう囁くアリアズナの声は暖かく、眼差しは初めて見るようなやわらかいものであった。
かつて《血の色》と評された瞳は慈味を帯び、暖炉の中で燃える炎の温もりを感じさせた。
「あいつ…抱いてやったら泣いて喜んでよぅ…。《こんな風に、大事にして貰ったのは初めてだ》って言って、大好きだー大好きだー…って、呪文みたいに繰り返すのさ。俺ぁ…なんかもう、とにかくあいつが可愛くてたまんなくなっちまった」
照れまくりながらもやはり嬉しさが隠せないのか、アリアズナは結構饒舌にカールへの想いを語る。
「そうか…」
アリアズナにとっては多少不本意な点を含むのだとしても、それは受け入れ可能な程度であったということだ。そんなものは簡単に乗り越えられるくらい、アリアズナにとってカールは大切な子になっていたのだろう。
特定の恋人を作るのも面倒がっていた彼からすれば随分な成長だ。
『こうやって、人は変わっていくのかな…?』
人だけではない。
環境も…状況もどんどん変わっていく。
『俺は…どうなんだろう?』
王となり、多くの友を得、家族の愛を確認することが出来た…。
けれど、それらをくれた大切な人をコンラートは笑顔で送り出さなくてはならない。
今生の別れというわけではなく、いつかまだ会うことも出来ると知っているのだけれど…やはり幸せそうな恋人達の姿を見れば、独りの我が身がちょっと切ない。
鼻腔を刺激する潮風の為か、随分としょっぱい気分になってしまった。
『贅沢を言い出せば切りがない…。今は、ユーリにどれだけの礼が出来るかを真剣に考えた方が良い…』
有利はまもなく彼の眞魔国へと帰還していく。その前に、彼にしてあげられることがあるとすれば、それはこちらの世界における彼の友人達がどのような人生を歩んでいるかを確認し、もしも不幸な環境にあるようであれば可能な限り救いの手を差し伸べることだと思う。
今のコンラートと国際環境から言えば、大抵のことはどうにかなるという自負もある。ただ、どうにもならない事態…該当者の死亡が確認された場合は有利への説明に苦しむことにはなるだろう。だが、その場合もせめて十分な弔いをしてあげたい。
有利が帰るまでにそれらの目処をつけておきたいから、既に大陸各地へと諜報員達に命じて調査させている(もう《禁忌の箱》や教会についての調査が必要でない分、諸国の詳細な情報収集と平行して調査させても国益に問題はないのである)。コンラート達が王都に帰り着く頃には、おいおい情報が入ってくることだろう。
『ああ…こうして、どんどん物事が片づいてしまうんだな』
有利はそれを指して、《祭りの後の寂しさ》のようだという。
幼い頃に祭りをそこまで楽しみにしていた記憶は希薄なのだが…今回の遠征に関して言えば、苦しい中にも何とかして目的を達成しようと多くの兵や友と突き進んできた。その過程は有利に出会うまでの醒めた闘いとは違い、緊張感の中にも揺るぎない遣り甲斐と喜びを感じていた。
それを思えば、確かに全てが収束しつつある今の心境は…《寂しい》という言葉で言い表されるのかも知れない。
『俺は…その寂しさに耐えられるだろうか?』
耐えられるかどうかはともかくとして、やっていかねばその為に尽くしてくれた有利達を裏切ることになろう。
コンラートは潮風に吹かれながら、波間の蒼い色調変化を見守る。
伏せた瞼の影が頬に寂しげな影を落としていた…。
* * *
眞魔国の軍港に到着した兵や荷物への裁量をケイル・ポーに委ねると、コンラート達やコンユバトラーX搭乗者の一群は一足先に王都入りを果たした。
歓迎行事などは本隊が王都に入る際に行うこととし、まずは国内治世の細かな引き継ぎを行うことになっている。
王都では、彼らの帰りを今か今かとフォンクライスト卿ギュンターが待ち侘びていた。
* * *
「おお…良くご無事で戻られました…!」
「ギュンター、俺の方から行くからそんなに慌てないでくれ」
血盟城に到着すると目元に白い包帯を巻いたギュンターが現れて、まだ覚束ない足取りで両手を翳しながら走り寄ろうとした。コンラートは苦笑しながら大股に王佐へと駆け寄ると、懐かしげに抱きしめてその背を叩く。
執務室にはギュンターの補佐官2名とフォンカーベルニコフ卿アニシナが控えており、いずれも微笑ましげな顔で帰還した王と臣下を見守っていた。
ちなみに、執務室を訪れたのはコンラートとグウェンダル、そしてギーゼラだけで、後は別室に待機している。
ギュンターと特に縁故深い二人をまず会わせてあげたいという心遣いもあったが、双黒二人を特に避けたのには意味がある。
「留守を守って下さり、ありがとうございます。あなたがおられたお陰で、俺達は任務に専念することが出来ました」
「何を他人行儀な言い方をしているのです?」
「ここまでですよ」
ぺろりと舌を出した気配が伝わったのか、ギュンターは華やかな笑みを浮かべた。
「ふふ…随分とお茶目になったものですね?」
「幸せを実感しているからですかね」
「それでは、幸せの直中にいるあなたをこの目で確認させて貰いましょうか?」
「ギュンター…もしや?」
「ええ…!アニシナの投薬を続けておりましてね?今日…包帯を取っても良いと言われているのです」
その言葉に応じて、ギュンターの背後に回ったアニシナが器用な手つきでくるくると包帯を解いていく。
「まだ目は閉じておきなさい…。カーテンは閉めていますが、まだ瞳が強い光に馴染んでいませんからね」
「はい…」
少々緊張気味らしいギュンターの前には、一歩ほどの距離を置いてコンラートが立ち、その傍らにはグウェンダルが歩み寄っている。
「アニシナ…本当に大丈夫なんだろうな?目が飛び出したりはしないか?」
「グウェン、怖いこと言わないで下さいよ。最近気付きましたが…心配性の度合いが酷くないですか?」
「コンラート…お前は巻き込まれたことがないからそう言うのだ!」
怯えを含んだグウェンダルをコンラートが茶々混ぜる…気心の知れた兄弟同士の会話に、ギュンターはにこにこと微笑んで瞼の上に指先を置いた。
「本当に仲良くなって…!ああ…嬉しい。早く見たいですね…っ!」
「ギュンター、焦っては駄目ですよ?ゆっくり…ゆっくり……」
コンラートも兄のことは言えなくて、目を開きたくて居ても立っても居られない風なギュンターを見ると、両手を掲げてあわあわと制止してしまう。
「ゆっくり…落ち着いて開きなさい」
「はい」
言われるまま、ゆっくりと瞼から手を離し…そして、けぶるような長い睫を開いていくと、彼独特の菫色の瞳が露わになり…少しずつ、焦点が合わさっていく。
「おお…」
そのまま、ギュンターは両手で口元を押さえて声を呑んだ。
* * *
『コンラート…っ!』
ずっとずっと…幸せを祈って止まない青年だった。
貴い血筋を持つ身で、優れた武勇と智慧を持ちながら…常に寂しげで、何かを諦観しているようだったコンラートは今…微笑んでいた。
社交的な作り笑いなどではなく、はにかむような…嬉しくて堪らないという想いを素直に顕したようなその表情は、父を喪って以降は絶無と言っていいほどその顔に浮かべられることの無かったものである。
『そういう顔で、笑えるようになったのですね…?』
兄と弟と、母と国とに正しく受け入れられ…抱きしめ合うことの出来る幸せが、今のコンラートを包み込んでいるのだろうか?嬉しくて嬉しくて…溢れ出す涙を止めることが出来ない。
折角、貴色の魔王装を帯びたコンラートの勇姿を見詰めることが出来るのというのに、年のせいか涙もろくなったギュンターは嗚咽も混じってまともに話すことも出来なくなっていた。
「立派に…なって……。本当に…幸せそうで…良か…っ!」
「ギュンター…ギュンター…ああ、そんなに泣かないで?」
「泣きすぎだぞ、ギュンター…目に負担が掛かるのではないか?」
「も…あなたは…しんぱいしょ……っ…」
えぐえぐと止めどなく涙を流し続けるギュンターに、グウェンダルは照れ隠しも手伝ってか荒々しい動作でハンカチを押しつけた。
「ふふ…あなたの姿も、よく…見えます。おお…ギーゼラ!あなたにも心配を掛けましたね?」
「いいえ…そんなこと!」
ギーゼラもうっすらと涙の滲む目元を拭うと、我が事のように嬉しそうに義父を見守るのだった。
「ああ、世界は…こんなにも美しいのですね」
今はもう、何を見ても色鮮やかに瑞々しく見えるのだろうか?ギュンターは親しい人々の姿を舐めるように観察した後は、屋外にも視線を泳がせて…突き抜けるように真っ青な夏空と入道雲だとか、ギラつくくらい威勢良く光を弾く緑だとかを見るたびに詩的な表現を用いて歓声をあげた。
「そうだ…ユーリ陛下や猊下にもご挨拶したいのですが…」
「ああ、そうだな。お前は以前から双黒に強い憧憬を持っていたんだったか?」
「そうですとも!お帰りになられる前に是非是非この目に焼き付けておかねば…っ!」
《お帰りに…》との言葉にコンラートの瞳が少しだけ眇められると、ギュンターは幾らかはしゃぎすぎた自分を恥じた。
『コンラート…やはり、寂しいですよね…』
有利の友人としての位置に心落ち着けたとはいえ、別離の時が寂しくないわけがない。
彼にとって、輝かしい全てをくれたのは…あの双黒の少年なのだから。
「すみません…コンラート。私は…少々、はしゃぎ過ぎですね?」
「何をしょんぼりしておられるのですか?希少な双黒にして、絶世の美貌を誇るお二人を見たくない者がおりましょうか…。ギーゼラ…すまないが、ユーリ陛下と猊下に伝えて貰えるか?ギュンターが会いたがっていると」
「ええ、よろしいですわ!」
ことさら明るい語調で約束したギーゼラであったが、暫くして執務室に戻ってくると…少々珍妙な顔をしている。
「どうしたのです?ギーゼラ」
「いえ…その……。出来れば、浴室でお会いしたいそうなんですが…」
「浴室?そう言えば異国には《裸の付き合い》という作法があるとは聞きましたが…。双黒のお二方が相手では、それこそ私は失血死してしまうかも知れませんよ?」
ギュンターは高い鼻梁を撫でつけながら苦笑しているが、コンラートはサァ…っと表情を変えている。
「……コンラート、そういえばあなたはあちらでの私を見ているのでしたね?本当に…私はあられもなく鼻血を振りまいたりするのでしょうか!?」
「ど…どうなんでしょう?確かに…その……かなり衝撃的な映像ではありましたが…」
『コンラートがこんな風に顔色を変えるなんて…一体どんな有様なのでしょう?』
多少鼻の粘膜が弱いのかな?と思うことはあるものの、子ども時分ならともかく成長してから鼻血など出した覚えのないギュンターは、幾ら憧れの存在とはいえ有利や村田を前にそんなものを振りまくとは考えにくかった。
「そうなんです。お二人が心配しておられるのもその点で、《いつも執務室で吹いちゃうと書類とかが汚れて大変だったんで、掃除が楽な浴室で会いたい》と仰るのです」
「……そんなに酷いのですか!?そこまで行くと、殆ど病気の領域なのではないですか?ギーゼラ、あなたの治癒術でどうにかなりませんか!?」
先程までとは別の意味で半泣きになってしまう。
「魔族の習性については、治癒術ではどうにもならないのではないでしょうか?」
「ううう…。憧れの方の前でそんなに無様な姿を晒すなど恥ずかしすぎます…。ですが、見たいのは山々ですし…。どうしましょう…」
「まあ、覚悟を決めて行きましょうか?」
まだ多少の不安を抱えながらも、堪えきれない好奇心に誘われてふらふらとギュンターは廊下に出た。
* * *
「なぁ…こっちのギュンターって本当に汁噴いちゃうと思う?」
「どうだろうねぇ…」
ちょっと見、てるてるボーズのような形状の染みになりにくい衣服を着て魔王用の風呂に待機する有利と村田は、滑らかな木質の座椅子に座って顔を突き合わせていた。
膝丈のお揃い長衣を着た二人は、よく似た細身の体格とも相まって何とも愛らしいものに映る。
見守るコンラッドもまた、《俺が鼻粘膜弱ければ、さぞかし噴き上げているだろうな…》と思ってしまうほどだ。この男の場合、対象が片割れ限定だが。
「ギュンター閣下が来られました!」
ギーゼラが先触れをして入ってくると、瞬間…大浴場に緊張感が漂う。
いつものように不意打ちで噴かれるのも怖いが、こうして変に準備万端なのも怖い。
「し…失礼します…っ!」
頬を上気させて不安げに入ってきたギュンターはまるで清楚な乙女のようで…《この美形が次の瞬間には…っ!》という緊張感に、有利と村田は思わず手と手を取り合ってしまう。ホラー映画でいう《主人公、後ろ後ろ!》的な恐怖だ。
……が、どうしたことだろう?
おずおずと伏せ気味にしていた瞼をギュンターが開いても、その整った鼻穴から赤黒い静脈血が噴き出すことはなかった。
「え……?」
「だ…大丈夫……の、ようです」
ほわ…っとおずおず微笑んだギュンターは少し大胆になって、有利達の方に近づいていく。
不思議そうに目をぱちくり開いた双黒へと息が掛かる距離まで接近しても、ギュンターは何ら変化を起こす事はなかった。
「き…奇蹟だ…っ!」
コンラッドが愕然として叫ぶと、コンラートも歓喜してギュンターの肩を抱く。
「良かった!ギュンター…これで心おきなくユーリ達を眺める事が出来るじゃないか!」
歓びのあまり敬語も忘れてしまったコンラートは、心からギュンターを祝福して今にも踊りだそうな勢いであった。
「信じらんない!マジで大丈夫!?」
好奇心に駆られた子どもというのはタチの悪い代物である。
《汁を噴かないギュンター》という希有な存在に度肝を抜かれた有利は、ついつい…ゆったりとした長衣の裾を捲って下着が見えるか見えないかというチラ見えラインに持ち上げてしまった。
絶妙な角度で下着は見えないものの…股間と膝の間に出来る魅惑のトライアングルは艶やかすぎ、これにはギュンターよりも寧ろ他の連中の方が激しく反応してしまった。
狭い風呂場に…衛兵達が《何事!?》と駆け付けるほどの絶叫が響き渡る。
「ユーリぃいいいい……っ!!」
「渋谷ーーーーーっっ!!」
ギュンターは結局、汁を噴かないことが証明された(おそらく、あちらの世界のギュンターは実際の視覚が捉えた映像そのものではなく、妄想によって捏造された情景に反応しているのだろう)。
こうして一人の美形貴族の品位が護られたわけだが、その一方で…有利はしこたま関係者に叱られることになったのだった。
ことに…その夜、ウェラー卿コンラートが徹底的な《おしおき》をしたのは言うまでもない…。
* * *
「ユーリ…そんなにあなたが見せたがりとは知りませんでしたよ…。でしたら、こんなの平気でしょう?」
「も…ゴメンなさいってばぁ〜っ!赦して…コン…あぁん…っ!」
自業自得ということもあり、抵抗できない有利はしこたま恥ずかしい夜を過ごしましたトサ。
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